2015-09-18

こじらせ女子幸せについて本気出して考えてみた

こじらせ女子幸せについて本気出して考えて…

幸せ自分の心が決める。

誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、

人間幸せを正確に数値化することは現代技術をもってしても不可能で、

もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、

かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである

だけれども、決して貧乏だったから、不幸だったからといって

世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。

100円のお寿司久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。

貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せイメージできないことがもっとも不幸なのだ

まり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである

そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。

これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。

目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ

食事、買い物、飲酒セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。

なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様幸せ暮らしました、で終わっているのだから

その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分経験するしかなかった。

そんなわけで、こじらせ女子幸せの時間普通より短いかもしれないが、

あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、

そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである

ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネット快楽の後の精神状態について調べたことがある。

じつは、科学的にも快楽享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。

幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せポイント化できる何かなのかもしれない。

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