はてなキーワード: 既製とは
サラダ野菜に春雨や冷凍シーフードミックス、鶏肉、ゆで卵なんかを加えてみる、
卵焼き。バリエーションとして中にウィンナーや既製煮豆やはんぺん@伊達巻なんかを足す
自分ならオイスターソース、味噌、焼き肉のたれ、ポン酢、ドレッシング辺りを買い足すかな。
キャベツともやしと豚小間肉を炒めてオイスターソースで味付けor味噌と砂糖で味付け。
ピーマンと肉を炒めて味付け...といった具合。こういった場合豆板醤\2~300や、ニンニクチューブ、生姜チューブ等でアクセントもつけられる。
最初はCook Do回鍋肉の素とかで作って、慣れてきたら調味料を徐々に買って・・で素材の買い出し・カット・調理器具を洗う~等の一連作業になれていくのがきっといいんだろうけれど、調味料があると野菜の量や肉の量を好みにあわせられるのが大きなメリットだよね。
彼女は裸で、俺の横で眠っている。
寝息を立てて、心地良さそうに。
俺はプログラマーで、決して優秀ではないが、人並みに仕事は出切ると思っている。
ゼロから何かを生み出すことは出来ないが、コードを見ればどのような動作をするのか大体想像がつく。
だから既製のコードを応用することで仕事をしている。所謂リバースエンジニアリングというやつだ。俺はそれが得意なのだと思う。仕組みが原理に還元されるような、そうした一連の流れには耽美ささえ感じられる。
俺は彼女の裸体を眺める。
付き合い始めて二年になるが、彼女のことを芯から理解できているとは思っていない。
心の底では何を思っているのか。
俺と会っていないときにはどうしているのか。
もしも今ここにメスがあって、彼女のお腹を縦に切り裂き、ピンク色の肝臓や、規律よく波打つ心臓を見れば、彼女のことがより理解できるのかもしれない。
最終的にはオリジナルでパル関連のアセットやモーションを作らざるをえなかったから慣れないことをしてカネ掛かったんだろうが、"本当は、(クラフトピアのとき同様)出来る限り既製のアセットで済ませたかった"という姿勢でゲーム作りしてるところ。そういうインディー根性は反映される。消費者はあんまりそういうのを褒めるべきじゃないと思う。インディーを贔屓するのは好き好きだが、インディー根性を贔屓してはゲームというのは簡単に死んでしまう。ガラケーポチポチソシャゲによって現代のゲームにひどく悪質なものが増えてしまったのは、ゲーム慣れしていない中高年やスキマ時間ユーザーを引き付けるような作り方をしてしまった時代環境があるからインディー根性インディー品質のポチゲーが売れる時代があったこと自体は仕方ないが、ゲーマーならインディー根性を贔屓してはいけない。バズに惑わされるな。はてなーはバズるものばかりに乗っかりすぎ。
ちんちんがすっぽり隠れるくらいの丈だと長く感じて嫌なんだけど、ファスナーが半分くらい隠れる丈にすると肩がピチッと突っ張ってみっともない。
タックインは意地でもしたくない。
下半身でバランスを取ろうにも、ガリ細だからワイドパンツは総じてウエストがぶっかぶかになる。そもそもワイドパンツがあんま好きじゃない。
スリムストレートかテーパードのパンツしか履きたくないけど、緩めのトップスだとそれにあんまり合わない。デカ目の靴でなんとかバランスしてる感じ。
一度鎌倉シャツのパターンオーダーで着丈詰めまくって注文してみたけど、オックスフォードでもかなり発色が良い白だし、襟もデカくてカジュアルにはちょっと向かない感じだった。あと既製のシャツだと着丈詰めすぎるとボタンの位置が不自然になる。
https://anond.hatelabo.jp/20200203232919
元増田よ。スコッチグレインとクロケット&ジョーンズを同列に並べてる時点でどうよ。
スポンジ中物でお馴染みのスコッチグレインはリーガルと同程度だろ。
なお、スコッチグレインをディスった形になったが、あくまでクロケとの対比であり、コスパ良い靴なんでお間違えなく。
追記:URLの都合で収まりきらないので、ブックマークへの反応は別記事にて補足した。反響感謝です。
anond:20200219120055、anond:20200222120019、anond:20200222165759
あと、大先輩がグリーン色の沼から這い出てきてますので、是非ご一読の程を!
既製靴が100%フィットすることはないので、どこかにひずみがあって当然。
ピンポイントでどこかが当たるだけなら、ストレッチャーで解決するかも知れません。
適当な靴修理の店に行って、当たって痛いけどストレッチャーでなんとかならないか相談してみよう。
で、元増田はウォーキングシューズを否定してるのがまず気に入らない。
あれはメーカーの努力の成果であり、とても素晴らしいものであふれている。
代表格は言うまでもないが、テクシーリュクスのTU-7774だ。
まずは、以下の記事を見て欲しい。なんと4位につけている。
チヨダのハイドロテックなども悪くはないが、テクシーリュクスは別格だ。
まず、革靴履いてて痛いって奴はテクシーリュクスを買うべき。
色は1足目であれば黒を買おう。複数の革靴持っているなら茶色でもよい。
買う場所はアマゾンでも買えるが、近所で試着したほうが買いやすいだろう。
専門店を入れている大型スーパーのような場所であれば、大概取り扱いがあるので安心するといい。
アシックス商事のサイトから近所の取り扱い店舗を探して買いに行こう。
https://www.asics-trading.co.jp/shop/pages/shoplist-pc.aspx
まずもって、毎日同じ靴を履くのもダメだ。せめて1日おきに変えてくれ。
俺は出張でも替えの靴を持っていく程だ。
だが、世の中には便利なツールがある。それがコロンブスのナイトリキッドだ。
補色もかねて、靴に合わせた色を買おう。
こいつを2か月に1度くらい塗る。大体片方30秒で終わる。両足で1分というところだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ma45oOsQ6rs
それくらいの時間なら取れるだろ。
なお、間違っても1か月内に2回塗ろうと思わないことだ。それは成分過多になり、革靴へのダメージが蓄積することになる。
もし、テクシーリュクスを履いて、スニーカーのような履き心地の革靴に目覚めてしまったのであれば、
もう履くのが辛い安物の革靴では満足できなくなるだろう。
しかし、テクシーリュクスはデザイン的にイケているものは僅かである。
もう少しデザインが良いものがいいって人は、2足目はコールハーンかランウォーク辺りがいいと思う。
あと、1万円を超える靴になってくるので、そろそろシューキーパーを用意しよう。
「レッドシダー シューキーパー」でAmazonなり楽天なりで探せば、2000円前後の商品が見つかる。
その中で一番安い奴でいいから買うといい。何、仕入れはどこも同じ筈だ。
靴職人PC、ウィリアムテンプソンと並んで人気のユーチューバーだから皆もよく知ってるとは思うが。
https://www.youtube.com/watch?v=wFmZI8c2K5w&t=61s
とは言え、本物の革靴が一味違うというのもまた、まぎれもない真実である。
刮目せよ。これが世界最高峰のブランド、ガジアーノ&ガーリングである。
https://otokomaeken.com/brand/39985
と偉そうに言ってみたが、俺もまだ持ってない。トランペットの前で憧れの眼差しを向ける少年みたいなもんでね。
このブランドは、かのエドワードグリーンのビスポーク職人が独立して開業したので、革靴を愛して止まない連中がべた褒めするブランドな訳だ。
記事に補足しておくと、「ラスト」ってのは足の木型のことなんでよろしく。
ずっとママチャリの話をしてたら急にロードバイクの話を始めたぜってくらい唐突だったと思う。
ビスポーク(オーダーメイド)ともなれば、やはりカーボンフレームが買えるお値段にはなるからね。
そこで、クロスバイクに当たるものはどれでしょうというと、冒頭で挙がっていたスコッチグレインとかが該当する。
なので、まずはスコッチグレインくらいで入門するといいと思うよ。
ついでに例えるなら、クロケット&ジョーンズとかチャーチとかは立ち位置的にはアルミ製ロードバイクってところかな。
確かにジョンロブなどのハイブランドよりは格下に甘んじているが、質もよく、決して引けを取らない、良い製品を作っている。
cannondale のCAAD9 みたいな素晴らしい仕上がりである。
あとはメンテも。
もし、ナイトリキッドで革靴の艶が復活する事実に驚愕し、靴磨きに興味を持ってしまったなら。
ようこそ、靴磨きの沼へ。
https://www.youtube.com/watch?v=alNZIuG2PrE
本職の方。
https://www.youtube.com/watch?v=E8jeuEiTcX8
こういうのを見て憧れたり、先の靴磨き芸人奥野のテクをみて、これくらいなら俺にもできるぞと安心したりできる。
内側に苦手なプログへのリンクを持つclassが"gtm-click-measurement-target"なdiv要素をブロックするという方針でアドオンを作るか既製のコンテンツブロッカーに指示を与えるかするという方針でブロックすることになるんじゃないかな。
それだけだとページトップに来た時だけは取り逃すので、classが"serviceTop-recommend-primary-img"なdiv要素もブロック対象にするとより完璧。
もしuBlockかAdBlock系の広告ブロックアドオンを流用するのなら、設定ファイルに次の2行を加えることで実現できる。「苦手な.hateblo.jp」のところをブロックしたいサイトに書き換えること。
hatenablog.com##div.gtm-click-measurement-target:has(a[href*="苦手な.hateblo.jp"])
hatenablog.com##div.serviceTop-recommend-primary-img:has(a[href*="苦手な.hateblo.jp"])
去年2017年、個人的に一番衝撃を受けたのは"VR Chat”という、VR空間内で3Dモデルアバターになり、他の人と交流ができるソーシャルVRアプリケーションです。これは本当に素晴らしく、じぶんの身体というものに対する考え方が変わるくらいの体験ができます。間違いなく2018年の台風の目になるような気がしています。
VRChatで体験することができる興味深い身体現象の一つとして、「身体同一性キャリブレーション」とでも言うべき行動/感覚があります(ちなみにこの言葉自体は今テキトーに作ったのでググって頂いても1件もヒットしません)。VRChatにログインすると、ユーザは突然何の説明もなく天空の城っぽいところに放り出されます。スポーン地点の近くには大きな鏡があって、自然と鏡の前にユーザが惹かれていくようなUX設計になっているのですが、ここでユーザは鏡に映った3Dモデルが自分であると認識します。この時の感覚が非常に面白いです。「明らかに自分と違うものが鏡に映っているんだけれども、自分の身体の動きとあまりにも連動しているので、なるほどこれが自分なんだななるほどなるほど」という、違和感を解消する一連のプロセスがあるのです。腕を色々振ってみたり頭をまわしてみたりしながら、自分の神経感覚を3Dのアバターと同期させるような感覚です。ケータイを落とした時に「痛!」と感じる & 言ってしまうような感じに近いです。自分ではないものなんだけれどもなんか自分の身体のような気がしてくる感じです。
そしてこの作業、VRChatの感覚に慣れてレベルアップしてくると、ただの自己位置推定的な物理的キャリブレーションという機能だけではなく、社会的な見え方に関する自分の認識の調整機能もあるということがわかってきます。VRChatでは宇宙人から初音ミクまで、古今東西老若男女問わずあらゆるキャラクターになれるのですが、おもしろいことに、自分のアバターの設定を変えた後に(=自分のすがたかたちを変えた後に)、鏡の前に猛烈に行きたくなるという生理現象が発生します。これはなぜ発生するのか考えていたのですが、「今、自分は相手からどういう風に見えているのだろう」というイメージがないと人間は不安になってしまうからなのだと思います。社会的な動物ということですね。なので、VRChat内は鏡だらけです、色んなところに鏡が置いてあります。
また、「3dモデルを人として尊重する」ということも学べます。VRchatにきて初めて「向こう側に実際の人がいる3dモデル」と対峙するという経験をするわけです。ただのオンラインゲームのように、人がリモコンで操っている3Dモデルではありません。VRChat内で出会うアバターたちはみんな先ほど言ったようなキャリブレーションを終えて、神経がある種入り込んでいるアバターたちなわけです。3Dモデルの右手は実際の人間の右手なわけです。生まれて初めて3Dモデルに対して礼儀正しく振る舞いました。また、人として尊重する精神があるからこそ、VRチャット内で目を合わせる、手をふる、握手をする、頭を撫でる等に意味が生まれるわけです。
また、使っているうちに3Dモデルアバター社会にも慣れて、イケているアバターとイケていないアバターという感覚がついてきます。面白いのは3dモデル単体がイケているアバターが必ずしもVR Chat内でイケているわけではないところです。Unityちゃんなんかは見た目もよいですし、ダイナミックボーンの設定等も手が込んでいるように見えますが、あまりに数が多いのであんまりイケている感じがしないです。身体はある種のユニークネスがないとやはりダメなんだと思います。
自身の見栄えが制約なく自由に制御できる世の中になったら、現実世界でのファッションもおそらくこんな感じになるんじゃねえかなという感じがあります。一つ面白いなと思ったのは、身体が発光するキャラクターが割と目につくということです。UnityのモデルではEmissionの設定一つで簡単に光らせることができるということなのかもしれないですが、ある種の欲求が現れているように見えます。将来的に現実世界でも、医学や服飾技術が発達したら人は身体や服を光らせ始めるのではないでしょうか。まあ現に最近のバイオハッカーたちの流行りは手にLEDを埋め込んで光らせることらしいので、もう始まっているとも言えるかもしれませんが・・・
ご参考: The Latest Trend Among Biohackers Is Implanting LED Lights Beneath Your Skin
https://gizmodo.com/the-latest-trend-among-biohackers-is-implanting-led-lig-1741697381
(余談ですが、既製の3Dモデルだと現実世界の自分のボーンの位置と3Dモデルのボーンの位置は完全に一体化しないので、そこまで含めたオーダーメイドの3Dモデル製作をするというのも面白そうだなと思いました。そういう意味でもゾゾスーツはVR社会においても重宝されるかもしれません。)
VRChatの衝撃についてうだうだと色々書いてしまいましたが、やっぱり何より熱気が凄いです。これこそがインターネットだという感じがあります。ぜひ体験してみてください。
まず、日本人女性の平均と比較して背が高すぎる。また、運動部時代の名残で脚は筋肉モリモリ。
既製のジャケットはたいがい袖が短いか肩幅が合わず、パンツは裾が足りず、スカートやワンピースは短すぎて不細工な脚が余計協調される。
筋肉は脂肪以上に恐ろしい。医者に止められるレベルで無茶なダイエットをしても絶対に取れなかった。
仕事用のスーツは何とか自分に合うブランドを見つけたが、時にはやっぱりかわいい服を着てみたい。
今まで何度、生まれ持った骨格とスポーツにいそしんだ10代を恨んだことか。
そんなある日、格安でオーダーメードができるサイトを見つけた。
スリーサイズと希望する着丈、袖丈、希望する生地を連絡し、金額を振り込めば仕立ててくれるという。
仮縫い等がなくてもサイズさえ伝えればピッタリに仕上げられる技術があるのだという。
(どういう仕組みなのかは知らないが)
ただ、よく見るとウェブサイトの作りが若干雑で、不安を覚えた。
サイトは全て日本語で、日本女性に向けて作られていることは明らかだが、
その他にも、可愛らしいワンピースの写真が写っていたかと思えば、ヨレヨレシワシワの服もあったり。
アジア系女性モデルが膝丈で履いているスカートが総丈80㎝ですと表示されていたり。
今思えば、怪しいと思った時点で止めておくべきだった。
「今度こそ自分の理想の服が手に入る!」と興奮した自分は早速コンタクトを取った。
店長とおぼしき方が非常に丁寧に日本語で返信してくれて、好感度が上がった。
早速、サイズを伝えて所定の金額を支払い、製作してもらうことにした。
自分の体形の特徴やサイズ、身長や体重まで細かく伝えたので、安心しきっていた。
…最悪だった。
写真のジャケットはもっとシンプルに落ちるタイプだったのに、届いたジャケットは
ウエスト部分が異様に絞られていて、そこから裾に向かって思いっきり広がっている。
袖には金ボタン。
これ、どっかで見たデザインだな…あ、バブルの時に従姉が同じようなの着てたな。
とにかく何とも言えない古臭い形だった。
次にサイズ。
バストはきっちり指定のサイズに仕上げてあったが、絞ったウエストの位置が悪く、肋骨に食い込む。
明らかにサイズ感がおかしい。これ着られるってどんな体形の人間だよ。
何となく予想はしてたけど、今回は失敗。
ただ、失敗のまま終わってしまっては悔しい。
縫製は海外でいいとして、デザインはやはり日本のファッションに精通している人でないとだめだ。
今でも本当にやめたかったのか、この気持ちが何なのかわからない。
でも、私はコスプレをやめた。
レイヤー歴は10年そこそこ。基本は男装。既製だったり自作だったり、楽しかった。
でも、そんな私がレイヤーをやめた理由はたった1度見たTwitterでの画像。
多分有名なレイヤーの写真集販売のお知らせだったと思う。何気なく開いた画像は男装したレイヤー2人が絡みあった所謂BLだった。
この場合BLと言う表記が合ってるのかは微妙。だって、二人とも女性。
女性である男装レイヤーが絡み合い、〇液を真似た白い液体をズボンから手から滴り落としていた。
ただの写真集のお知らせにこの画像を選ぶ感性も理解が出来なかった。
そして、その自分では理解できない人たちと同じコスプレをしている。
その時受けた衝撃は、少しずつ私の中に違和感をうんでしまった。
それが、私がやめた理由。
もう、潮時だったのかもしれないし、別のことが楽しくなってきたからかもしれない。
以前読んだのは、レイヤーの作る写真集は同人誌と同じ気持ちで作っていると。
本来のロールプレイングゲームが「キャラになりきってストーリーを作り上げていく」という遊びだとすれば、
そこで重要なのは「キャラになりきる」ことではなく「ストーリーを作り上げる」ことである。
膨大な設定、広大な砂場が用意されたうえで、「自作のストーリー」を楽しめるようになっている。
一方で日本のRPGは、これまで「既製のストーリー」をプレイさせる方向へと進んできた。
小説や映画と同じく、ストーリーの上をなぞるようにプレイヤーは進んでいく。
それはそれでいい。
本来のRPGではないというだけで、プレイヤーを楽しませることさえできれば、「JRPG」でも何ら問題はない。
しかし、だからこそ「既製のストーリー」は、「自作のストーリー」よりも、遥かに面白くなくてはならない。
日本式のRPGは戦闘システムに工夫を凝らしており、なるほどゲームとしてはそれも面白い。
しかし中盤以降、それは分かりきった敵を相手に、決まりきったコマンドを入力するだけの「作業」へと変貌する。
なまじシステムが複雑なために、その「作業」にやたらと時間がかかるというオマケ付きだ。
はたしてプレイヤーは、いかなる理由があってそんなゲームを最後まで遊ぶのだろうか。
この物語の結末を知りたい、という想いによってのみ、プレイヤーはゲームを続行する。
逆に言えば、ストーリーに魅力がなければ、プレイヤーは容易にコントローラを手放してしまうのである。
はっきり言ってしまえば、現在のJRPGのストーリーは途中で放棄したくなるレベルのものばかりである。
プレイヤーに「既製のストーリー」を提供しようとする限り、ゲーム製作者はストーリーに力を入れねばならない。
就活用の服を一式買うときに青山だか青木だかみたいなスーツ屋に行って恥ずかしかった話。
「お、何かスポーツされてたんですか?」
「自転車通学を……」
「じ、自転車通学ですか……」
みたいな定番のやり取りをしてまずは軽く店員を威嚇。
体の中でもアンバランスさが際立つ太ももがギリギリ入るようにかなりでかいサイズで選ばれたズボンは、
チビなので裾を1/4だか1/3だかぐらい裾上げする勢いで豪快に折られる。
裾上げ位置で折り返したら折り返した分が膝近くまで届いてた。
逆に胴は長いのでジャケットの裾がツンツルテンになるからってことでワンサイズ大きくしたら、
予想通り今度は肩、袖、とかのそこかしこがダッボダボになる。なにこの借り物感。
靴選びでは、足が小さめ(24.5㎝)で割と細い形をしてるので、靴選びのおねーさんに
「柳の葉みたいな足されてますねー」って言われる。褒めてねーだろ。
色々試着するけど、おねーさんが持ってきてくれる靴が全部でかかったり、
つま先の方の本来足が入らないはずの隙間に足が細くて入っちゃうから踏み出した瞬間にすっぽ抜けちゃってヒモをギュウギュウ締めてもまともに歩けない。
「これ以上小さくて細いのだと男性用はちょっと……」と言われて持ってこられた、
女性用のシンプルでかわいいローファー?を履いたら、かつてなくぴったりフィットするとかいう哀しみを味わう。
その他、ネクタイとかも一通りそろって姿見をみたら、薄々わかってはいたけど新中学生が初めて学ラン着たか、
お父さんの背広来て遊んでる小学生みたいな印象の生き物が出来上がってた。
で、一番下にチマっとした靴があって、ダボダボブカブカの膝まで折り返したズボンがあって、
でも膝を超えると太ももはそのでかいズボンがパツンパツンになってるっていうクリーチャーっぷり。
既製スーツって、特定の範囲の体型の人がよりかっこよく見えるように作られてるのね……。
その分、逸脱してるとものすごい異形に見えるっていう。
なんにせよ買わないわけにいかないから買って就活にも使ったけど、スーツ着ない職場に就職できてホントよかったなーって思う。
なんで既製のPCは糞プリインストールだらけなんだ。友人にPCが重いって言われて見てみたら
メーカー、プロバイダ謹製のお助けツールとやらがてんこ盛りで、リソース消費しまくりなんだよ。
なんで素人が普通にネットやってるだけで糞ソフトをたくさん押し付けられる仕様になってるのか。
こないだ久しぶりに実家の共用PCみたらタスクバーもツールバーもひどいことになってたぞ。
JavaやAdobeみたいな有名どころですら、Chromeやノートンやマカフィーをくっつけようとしてくる。
チェックボックスに気づかなくてそのまま流したらたちまち不要機能の山。楽天のメールかお前らは。
なんで、ちょっとしたフリーソフトを探すだけで隠しリンクを見つけないといけないのか。
なんで、一番自然な形でたどっていたらそこを押すだろ、ってとこに平気で広告を置けるのか。
うちの彼女がそんなの分かるわけないだろうが。
そんなのを避けるスキルは、長年ズリネタ検索に使ってた俺だけが覚えとけばいいんだよ。
私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。
それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。
もっとも制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。
あなたはもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。
そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女が現実に我々の社会を照らす光なのだということを。
最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。
嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味なパロディ作品であった。
——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか。
その日が来る前に、伝えておかなければいけない。
敢えてそう主張しよう。
それは何だろうか。
笑わないで聞いてほしい。
魔法少女とは時代や年代で移り変わる少女の価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女の資格であり、約束事であり、存在意義なのだ。
いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートとフラメンコガールくらいのものだろう。
ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。
男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。
主人公は12歳の女の子。魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。
すると賢しい人はこんなことを言う。
「まどマギが正統派の魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。
……いいだろう。
そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。
アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中の神話や民話に繰り返し登場する人物像を抽象、統合したものをいう。物語分析においてはキャラクター類型論の礎として重用される。
この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプに還元される。
〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女の至上命題だ。
誰でも知っているように、すべての魔法少女はフェアリーテール(おとぎ話)の主人公なのである。
本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年。アニメ版は2010〜2012年)だ。
以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。
知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。
以下に読み解いてゆく。
『ウテナ』の真の主人公、姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦〉である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲のアイコンだ。
一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルなキャラクター。
しかしこれは倒錯ではない。
洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。
ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。
さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。
閑話休題。
他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦〉であることに説明は不要だろう。
なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。
未確認生物(サル?)のチュチュは典型的なダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女の必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。
「学園の外の世界」だ。
そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生のメタファーである。
管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。
選んだのは未知に挑むという生き方。
〈王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。
ではバロットはどうなっただろう。
彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。
さらに最後の敵(破壊の象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。
運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。
どうだろう。
彼女は男性とは異なる価値観と武器を身につけたバトルヒロインとして成熟の階段を登っているのだ。
締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。
この作品は途中、主人公が事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しかし彼女はその後ふつうの人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。
この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナの処女喪失シーンはこの発展ともいえる。
魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。
それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。
結論からいえば暁美ほむらはダークヒーローの女性版に過ぎない。
そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後はヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。
結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがりな正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。
それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかのヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。
実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。
皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。
願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である。
ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。
無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。
しかし、だ。
『まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズムの糾弾であるようで、その実勝つために既製の概念やルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。
そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。
しかし、我々は豚ではない。
食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。
——部屋の灯りが落とされた。
そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。
最後に。
これだけは言っておく。
んなこと言ったら「出さない」が最も楽になるだろう。
写真だと、手抜きとは言え、それは自分たち唯一のものだし、受け取る側としても一応ちゃんとしたものを送ってきたんだな、という認識になる人は多いと思うよ?
少なくとも市販の送られて来たら、え?って思う人は居る。
それ以上に出来合いのその辺で買ったのを送られてきたら、今度はただただ手抜きで送るだけおくりやがって氏ね、ってなるでしょ?なんなの?何がそんなに嫌なの?
いや、君を叩きたくてやってるわけじゃないんだけど、君は子持ち側を擁護したいって気持ちが根本にあるんだね。
子持ちじゃなくても、結婚しただけでも二人の写真送ったりもあるけど、別にいいじゃん?それこそ結婚式やっておめでとう、ってのと同レベルなんだけど。
だから、別に根本の感情なんてないし。年賀状なんて毎年面倒だけど仕方なく送ってる人がほとんどじゃん。
老人たちはそれを楽しみに手の込んだ手書きとかしたりしてるけど、大半は仕方なく出してる人がほとんど。
でも、それで相手がちょっと手の込んだ物を送ってきた時、こちらが市販の物に、今年もよろしくお願いします、だけで送ったら失礼だも、って思うでしょ?
それが良いか悪いか、って事自体は別として、そう思ってしまって失礼のないように、相手の気を悪くしないように、って思うでしょ。
そんな時に、写真はって送れば、それはその人唯一だし、受け取る側も、それを「幸せ氏ね」と思うかどうかは別としても、
市販のものをただもらうよりは、一応ちゃんと送ってくれたんだ、とは受け取るでしょう?違う?
右か左か、という話はいったん置いてだね。
世の中、もっともらしい体裁を備えた物語(国民国家とか男らしさとか)というのが色々とある。
それを、素直な心情として、または他の目的があって、周囲にそれを共有して受け入れろと声高に言う人がいる。
いっぽうで、そういう物語への相乗りを簡単にしたくない・できない人、というタイプもいる。
昔のインテリオタクの多くは、そういうふうに「斜に構えるマナー」、あるいは
「間違ったことをしないための、倫理としての相対主義」が身についてる人が多かったと思う。
唐沢兄のようにそれが限りなく上っ面になっていってしまった人間もいれば、
岡田斗司夫のように向き合いすぎてあまり軽やかでない路線に入っていった人もいるけれど。
ゆうきまさみであれとりみきであれ押井学であれ、だいたい既製の物語は疑うタイプだろう。
自分をひととき心地よくしてくれたり、かりそめの居場所を与えてくれるような、安易な物語を拒否する。
特にその物語が人を抑圧したり差別化することで成り立っている場合には。
そうした姿勢は、既製の物語をすんなり受け入れた人にとっては「反体制的」にうつる、ということ。
追記:
ちょうはずかしい! やだ〜! 「これはおしい」タグまでもらってるし!
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。