はてなキーワード: 鹿目まどかとは
早見沙織:「魔法少女まどか☆マギカ」(鹿目まどか役)、 「ラブライブ!」(南ことり役)
花澤香菜:「魔法少女まどか☆マギカ」(美樹さやか役)、 「俺物語!!」(小野寺小咲役)
悠木碧:「鬼滅の刃」(竈門炭治郎役)、 「ソードアート・オンライン」(湯浅美咲役)
水瀬いのり:「ご注文はうさぎですか?」(保登モカ役)、 「Re:ゼロから始める異世界生活」(レム役)
佐倉綾音:「けいおん!」(秋山澪役)、 「聲の形」(西宮硝子役)
内田真礼:「魔法科高校の劣等生」(司波深雪役)、 「ハイスクール・フリート」(響良牙役)
高橋李依:「ご注文はうさぎですか?」(桐間紗路役)、 「ラブライブ!サンシャイン!!」(桜内梨子役)
徳井青空:「けいおん!」(平沢唯役)、 「アイドルマスターシンデレラガールズ」(緒方智絵里役)
上坂すみれ:「アイドルマスターシンデレラガールズ」(百瀬莉緒役)、 「ご注文はうさぎですか?」(ココア役)
小倉唯:「中二病でも恋がしたい!」(小鳥遊六花役)、 「ストライク・ザ・ブラッド」(沙音役)
これらは代表的な作品であり、彼女たちが出演するアニメやゲームは非常に多岐にわたります。
ChatGPT、何でこんなに全部間違えているんだろう。
逆に不思議
>セラムンだと、水野亜美、あと月野うさぎやちびうさあたりも入るかな?
うん。
>DQはアリーナ、マーニャくらいでジェシカがぎりぎりくらい?
ビアンカ強い。ミレーユ一時期人気だったけど廃れた。あと最近出たDQのポニテの子。
だいたいあってる。そもそも男性向けでFFの同人自体あまり見なくなった。
>ストIIからは春麗、餓狼伝説から不知火舞、サムスピはナコルル
ナコルルとかもうレアキャラ。不知火舞も昔から描いてる人くらい。春麗はまだギリ。
一時器ギルティギア流行ったけど今はあんまし。スト5でスト勢のエロ同人流行るかと思ったらそれほどでもない。普通。
>DEAD OR ALIVEだと、かすみ、
もうほとんど見ない。あとあやねの方が1:3くらいの割合で強い。
>サクラ大戦からは新宮寺さくら、CCさくらは木之本桜、大道寺知世
ときメモというジャンルが死んだ。あと当然ながら虹野沙希のが強いけどエロ同人では美樹原愛と館林見晴が強かった印象。
ラブプラスはカレシ勢が細々と続ける。
>エヴァだと、綾波、アスカは鉄板、葛城さんあたりも入るかな?
未だ強い。今は映画のおかげでアスカと真希波が強い印象。ただ現在はブーム過ぎて廃れ気味。
>00年代なら、SEEDから、ラクス、マリューさん。フレイはどうなんだろ?死種からはルナマリアくらい?
その辺知らんけどちょい前ならよく見た。最近あんま見かけない。
>Fate はアルトリアやジャンヌ、遠坂凛あたりは入りそう。
ニトクリス、スカサハあたりもよく見る。アストルフォはもう大人気。ブリジットの再来状態。
もうブーム去った。
>艦これ、だと鹿島、加賀、島風あたりは十分射程で天龍、愛宕、高雄、浜風、鈴谷は微妙ラインかな?
あと第六駆逐隊が強い。
うん。生徒会長とか秋山優花里とかまれに見るけど多いってほどではない。
アンチョビとプラウダ贅のが多い印象。あとバレー部もそこそこ。
あと家元(西住しほ)がコアな人に刺さって濃い同人誌が出まくってる。
>と、思いつくままに書いてみたけど、実際どうなんだろうね?
って言うとどういのが入るんだろ?
80年代以前はよう分からんので90年代以降(ストIIとドラクエFFも便宜的に含む)だとうーん。
90年代だとナディアはジャンルコードにもなったくらいだからかなり人気?始まったのは80年代だけど、らんま1/2の女乱馬や天道 あかねあたりも入ってる?
セラムンだと、水野亜美、あと月野うさぎやちびうさあたりも入るかな?
ストIIからは春麗、餓狼伝説から不知火舞、サムスピはナコルル
DEAD OR ALIVEだと、かすみ、
サクラ大戦からは新宮寺さくら、CCさくらは木之本桜、大道寺知世
00年代なら、SEEDから、ラクス、マリューさん。フレイはどうなんだろ?死種からはルナマリアくらい?
艦これ、だと鹿島、加賀、島風あたりは十分射程で天龍、愛宕、高雄、浜風、鈴谷は微妙ラインかな?
と、思いつくままに書いてみたけど、実際どうなんだろうね?
あ、魔法少女リリカルなのはの高町なのは、は素で忘れてた。そうするとフェイト・テスタロッサもか。
東方は、まったく押さえてないのとゆっくり実況のキャラというイメージしかなくて、えと霊夢とマリサだっけ?
忘れてたつながりだと、ラブライブの面子、あと、京アニだと、けいおん!の秋山澪に氷菓の千反田える
あと、ナデシコのホシノ・ルリも当時はかなり人気だったよな・・・
エロゲーはよく分からないけどたい焼き食ってるのとか、保科智子くらいしかしらないな。エルフやアリスソフトの有名どころくらいしかプレイしてないけどあんまりここらは同人でてなさそうだけどどうなんだろ?鍵や葉っぱやサーカスとか名前くらいしか聞いたことないんだよね。
あと忘れてたのは、ロードス島戦記のディードリット、あたりか。ラノベだと、スレイヤーズのナーガやリナ=インバースあたりってどうだったの?
僕は友達が少ないは柏崎星奈。ニャル子やストライク・ザ・ブラッドの姫柊雪菜あたりかな?いやそれよりSAOの結城明日奈か。化物物語の戦場ヶ原ひたぎもひってるかな。
あと挙げてなかったのだと、初音ミクは多分鉄板、ソニ子はぎりぎり?アズレンは高雄、ベルファウスト。
グレンラガンのヨーコ・リットーナーもエロ同人ではかなり人気だったような。
あと、名前がでてこんけど、ワンピースのエロい格好の人と、20年以上現役戦士の名探偵コナンの毛利蘭もいけるかも。
とこれだけ挙げるとさすがに100そろそろ越えるか。
作品ではなくキャラ毎の人気、オールタイムで考えるとどうなんだろう?と思って色々考えてみたが、やっぱり抜けは多いなー。
同人誌販売サイトでもそういうカテゴライズ見当たらないし、検索したところ違法なUPサイトっぽい所くらいだし、そういうのは当然網羅的でもないし、最近のに偏るだろうし、定量的にどうこうは難しいので、体感になっちゃうけど。
インキュベーター(QB)『あらら?鹿目まどかの意思は確認した?』
ほむら『私はあの子が居なくて淋しいのに。あの子も人としての幸福を放棄するなんて考えられないって趣旨の事を言ってたのに。私はあの子を助ける自分になりたいのに。なんでよってたかって否定されちゃうんだろう。』
QB『いや、結果から見て擁護する人達も結構居る様だけど。で、君の結界の中の、記憶が封じられた鹿目まどかではない、本来の彼女にとって、“魔法少女を救済する概念である《円環の理》という女神になり、更には僕たちの干渉の結果としての人類の文明進歩と宇宙の寿命延長を担保する事への使命感”と、“彼女の人並みの幸福への私情”とが、どちらが上位か下位であるかを知りたいんだけど、その件での、まどか当人の意向は明示されているの?』
ほむら『やっぱり認めちゃいけなかったんだ。まどかの契約の時、私はどんな手を使ってでも、まどかを止めなきゃいけなかった』
ほむら『私が悪魔化と世界改竄をしなかったらQBがまた円環の理への干渉を企むかもしれないのに』
QB『いや、所詮宇宙人が女神に敵う訳が無かったし。で、鹿目まどかの、この件についての意向は?』
ほむら『え?ごめんよく聞こえなかった』
QB『あ、えーと、、暁美ほむらによる世界改竄と、それが干渉した、鹿目まどかの概念化により構築された円環の理システムに関する、鹿目まどかの具体的な意向への確認は行ったのかな?』
ほむら『何で?』
QB『あ、えーと、』
ほむら『何の?』
QB『え?』
ほむら『ん?』
QB『この事案における、まどかが“助けられた”か否か、まどかの“幸福”を判定する上で無視出来る訳が無いまどか自身の意志と価値観を知りたいから、彼女にそれを確認したかどうか教えてくれないかな?』
QB『いや、だから。それが為されているかどうか、どうすればそれが為されるかの判断の大前提となる、まどかの価値観を確認したいから』
ほむら『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
QB『いや、僕はただ、君の世界改竄の動機となった、君の元来の願いである鹿目まどかを助ける自分になりたいという事案と、その達成の要件となる鹿目まどかの幸福の判定の上で、確認が必要不可欠な、この状況における鹿目まどか当人の意思や価値観の確認が為されたかどうかを…』
ほむら『 だ ま り な さ い 』
QB『』
念のために最初に書いておくと、私は幻影のファンなので、結論はお察しの形にまとまります。
「幻影ヲ駆ケル太陽」と「まどかマギカ」の作品の雰囲気が似ていることがあげられます。
実際、かわいい女の子が過酷な戦いに巻き込まれていくダークファンタジーチックな部分は一緒です。
放送時にも幻影は「まどかのパクリ」とか「二匹目のドジョウ狙い」だとか言われていました。
この作品を「まどかマギカの批判では?」と思ったのは上記のように似た雰囲気を出しておいて、
その結論や人間の行動に関してはまどかマギカの正反対をいっていた部分にあります。
両作品の主人公2人は最終話にて、自分の結論とそれに伴う行動を起こします。
鹿目まどかの場合は「希望を信じた魔法少女が魔女になる(絶望する)のはおかしい。私は全ての魔女を消し去る」
太陽あかりの場合は「人は闇に捕らわれても、やり直しができる。私はダエモニアを元の人間に戻す方法をさがす」
簡単に言うと、絶望を拒絶するか、絶望を肯定するかの違いです。
幻影ヲ駆ケル太陽に登場する星河せいらはある言葉をよく使います。
実際、この言葉をかけた三島花苗がダエモニアになった後も彼女の持論は変わりませんでした。
そして、この言葉は自分の出来る限界以上の事を願う魔法少女への批判のようにも聞こえます。
まどかマギカの魔法少女は願いをかなえる代償として魔女と戦う運命を背負わされます。
それと同じような存在が幻影ヲ駆ケル太陽にも出てきます。主人公たちの敵ダエモニアです。
「幻影ヲ駆ケル太陽はまどかマギカの批判である」ということを暗に示しているのではないでしょうか。
さて、ここまで両作品の違いに振れてきましたが、
結局のところ、「幻影ヲ駆ケル太陽はまどかマギカの批判ではない」が結論です。
正直1クール作品を比べて3つくらいしか反対の部分が見つからない時点で分かっていたことではありますが、
意識して入れられた違いではないでしょう。
一番説得力があると思われる「正反対1」についても、重要なのはこちらの結論ではなく、
太陽あかりが言った「運命は自分で選ぶ。あなたが決めることじゃない」という言葉にあると思っています。
この部分に関して言えば、鹿目まどかも絶望へ転落していく運命に対する拒絶を行っており、非常に似ていると感じています。
幻影ヲ駆ケル太陽のDVD/Blu-ray3巻は11/27(水)発売です!
みんな買ってね!
セカイ > まどか
まどか > セカイ
「愛する人」か、もしくは「世界」か――セカイ系というジャンルは突き詰めてしまえば、そういう問いに対する答えを出すプロセスの物語だ。
だからセカイ系というジャンルは、「俺は、ヒロインと世界のどっちを選べばいいんだーーーー!!!!」という主人公の煩悶だけを、そのまんま物語というフォーマットに落とし込んだものだと言える。
今回の劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語で、ほむらはまどかの幸せを選んだ。
劇場版は答えは出していない。
ただ圧倒的に、暴力的に、有りうる2つの可能性を視聴者に対して提示しただけである。
続編のプロットやコンセプトがあるとすれば(あるだろうけど)、この問いに対して答えを出すものになるだろう。
それを見るのが楽しみで仕方ない。
モノクロのアニメhttp://monokuronoanime2.blog.shinobi.jp/
新章『叛逆の物語』は今までのシリーズと総集編……この2作でも先鋭的なビジュアルで話題になったが、『叛逆の物語』の映像美はその比ではなかった。
まずは作画面。テレビシリーズ版では輪郭線の形が定型的なホームベース型に捕らわれすぎて、潰れがちになる部分が多かったが(それがいいという意見も多い)
『叛逆の物語』ではもう少し柔らかさが加わり、線の流れが自然になった。顔はやや面長になり、さらに目は少し大きく描かれる。
鹿目まどかのキャラクターは原案デザインに近いものになり、カットによれば蒼樹うめ自身が描いたと思うほど再現度の高さを見せる。
動画はほとんどのシーンでフルコマで描かれ、細かい部分まで繊細に動きが加えられる。
魔法少女達全員をフレームに入れたカットが非常に多く、その中で動きを止めで済ませることはなく、常に何かしらの動きが与えられる。
全ての動画を楽しもうと思ったら何度も繰り返す必要があるだろう。テレビシリーズではキャラクターの体型が棒のように肉感がなかったり
中割の動きに“抜け”があったりするのがだいぶ気になっていたが、『叛逆の物語』ではそういった不満を感じさせない。
テレビシリーズから2年かけたからこそあり得た品質の高さを見せる。
また2000カットに及ぶという壮絶な絵コンテのボリュームは、ただの「テレビの劇場版」というスケールを易々と越えて、一つの「映画」として堂々たる貫禄を見せつける。
反応
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1383644316/
810 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 14:59:49.39 ID:???0
ふわふわ&的外れ繰り出してるね
811 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:00:34.39 ID:???0
こういうふわふわした感想ぶっしてえ
812 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:00:41.98 ID:???0
ちょこハメついに尻尾出したな
813 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:01:26.68 ID:???0
フルではないだろどう考えてもどう見ても
815 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:02:22.14 ID:???0
>中割の動きに"抜け"があったりするのがだいぶ気になっていたが
気にしてもない癖に修飾語として使って文章量水増しして「オ・レ・わかってる」感出すやつ笑える
816 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:02:22.30 ID:???0
817 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:02:52.53 ID:???0
819 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:03:57.58 ID:???0
全動画強制30fpsってこと
838 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 15:24:51.63 ID:???0
http://monokuronoanime2.blog.shinobi.jp/
この人って界隈では有名人なの?
899 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2013/11/06(水) 16:11:31.44 ID:???0
さらに言うと、実際には秒間8枚ではなく、ある瞬間には2コマあるいは1コマというタイミングが混在し、コマ単位で動きを慎重に操作している(実はリミテッドアニメーションではない。“部分的に”リミテッドアニメなのだ)。日本のアニメの流麗さはそこから現れている。
海外のアニメでもごく稀にリミテッドアニメーションが作られるが、日本のアニメのように美しい動きが作れない理由がここにある。
『惡の華』の動画に接した時、動きが美しく見えない理由がこれだ。動きがガタついて見えるのは、従来のアニメーション的な制作方法を無視しているからだ。軌道線に一貫した流れを作らず、なのに3コマ撮りだから、動きがガタついて見えてしまう。
ロトスコープの代表者と言えばラフル・バクシが挙げられるが、彼のアニメーションがまずまず流麗に見えるのは、フルコマ(秒間24コマ)で描かれているからだ。
私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。
それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。
もっとも制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。
あなたはもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。
そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女が現実に我々の社会を照らす光なのだということを。
最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。
嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味なパロディ作品であった。
——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか。
その日が来る前に、伝えておかなければいけない。
敢えてそう主張しよう。
それは何だろうか。
笑わないで聞いてほしい。
魔法少女とは時代や年代で移り変わる少女の価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女の資格であり、約束事であり、存在意義なのだ。
いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートとフラメンコガールくらいのものだろう。
ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。
男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。
主人公は12歳の女の子。魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。
すると賢しい人はこんなことを言う。
「まどマギが正統派の魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。
……いいだろう。
そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。
アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中の神話や民話に繰り返し登場する人物像を抽象、統合したものをいう。物語分析においてはキャラクター類型論の礎として重用される。
この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプに還元される。
〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女の至上命題だ。
誰でも知っているように、すべての魔法少女はフェアリーテール(おとぎ話)の主人公なのである。
本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年。アニメ版は2010〜2012年)だ。
以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。
知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。
以下に読み解いてゆく。
『ウテナ』の真の主人公、姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦〉である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲のアイコンだ。
一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルなキャラクター。
しかしこれは倒錯ではない。
洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。
ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。
さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。
閑話休題。
他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦〉であることに説明は不要だろう。
なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。
未確認生物(サル?)のチュチュは典型的なダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女の必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。
「学園の外の世界」だ。
そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生のメタファーである。
管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。
選んだのは未知に挑むという生き方。
〈王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。
ではバロットはどうなっただろう。
彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。
さらに最後の敵(破壊の象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。
運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。
どうだろう。
彼女は男性とは異なる価値観と武器を身につけたバトルヒロインとして成熟の階段を登っているのだ。
締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。
この作品は途中、主人公が事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しかし彼女はその後ふつうの人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。
この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナの処女喪失シーンはこの発展ともいえる。
魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。
それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。
結論からいえば暁美ほむらはダークヒーローの女性版に過ぎない。
そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後はヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。
結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがりな正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。
それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかのヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。
実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。
皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。
願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である。
ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。
無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。
しかし、だ。
『まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズムの糾弾であるようで、その実勝つために既製の概念やルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。
そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。
しかし、我々は豚ではない。
食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。
——部屋の灯りが落とされた。
そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。
最後に。
これだけは言っておく。
まどマギについては、既に山のような論が出ているが、個人的には、どんな理屈をつけようと、「きちんと作ってある事」につきると考えている。脚本にしたって、演出にしたって、ありきたりなクリシェに依存せず、必要な事を必要なだけ作成し、丁寧に作り上げたことが、あの作品を十分鑑賞に耐えるものにしている。その中から、今回は副題を取り上げてみたい。
通常、副題を付ける一番簡単なやり方は、その回のアウトラインをまとめてしまうこと。その方法は、モーニング編集長によって、まとめられている( http://togetter.com/li/58023 )。
まずは比較として、セーラームーンの副題上位12話を挙げて見る。
とまあ、大体その内容を示唆する単語が含まれ、舞台、または主題がおおまかにわかるようになっている。
これと同じ手法をまどマギに当てはめてみると、こんな感じになる。右には比較として実際のタイトルをつける。
見ればわかる通り、実際のタイトルは何も作品内容を示していない。タイトルだけでは、何が起こるのか、いっさいわからない。じゃあ何から付けられたかと言えば、作品の中で登場人物の感情を最も表現するセリフから取られている。
ということは、サブタイトルについては、おそらくは最初に仮タイトルがつけられ、最後まで脚本が書かれた後から、改めて付け直された思って良い。つまり、一度サブタイトルを再検討する時間がきちんと割かれているという事だ。それだけ適切な時間をかけた作品である事がこの事からわかる。
こういう事が、「作品に手を抜かない」ということなのだ。
暁見ほむらは、頭が切れるから鹿目まどかと再び会う方法を見つけ出した筈
それに、あんな場所、一人にさせておくのは寂しいもんな・・・ 苦労するけど、あなたと同じように神になってみせるわーーー
翼も弓も手にいれたんだし、あと足りないのは力だけ・・・ああ、力が欲しい!!
暁見ほむらが、『イーノック』ポジションの エルシャダイ・・・じゃなかった
魔法少女まどか☆マギカ 第二部 作ってくれないかなぁ・・
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ikedanob/status/60707908484214785
お前らブチキレしてるが、実際先進国はこれまでもそういうことをしてきたし、これからもそういう事し続けるよ?
君らの怒りはエクスキューズにはならないんだけど、わかってるのかなあ?
「今まで知りませんでした」も免罪符にはならないし、君らは途上国の森林を焼き払って作ったプランテーションで栽培された食べ物を口にするだろ?
ホント笑っちゃうよ君たちの偽善は。池田信夫は今回に限ってはデマでも何でもなく真実を口にしたんだけど、鹿目まどかなみなさんには厳しい現実だったかな?ww