はてなキーワード: 跋扈とは
映像ソフトは1万枚以上売れ、原作コミックもかなりの人気であるという。
この「月刊少女野崎くん」の原作コミックだが、発刊している企業は今年8月著作権侵害の疑いでSNKプレイモア(大阪・吹田市)から
刑事告訴されたスクウェア・エニックス(東京・新宿区)である。
また、この事件に関する報道を踏まえると、同社は恒常的に著作権侵害を行っていたと推測される。
加えて、同社はSNKプレイモアからの再三の申し立てにも拘らず、著作権侵害を行っていた漫画を連載・発行し続けていたという。
これらの点を踏まえると、スクウェア・エニックスは順法精神に欠けるある種悪質な企業としか言いようがない。
順法精神に欠ける悪質な企業に対しては不買運動とまではいかないまでも、その企業の製品に対する買い控えが起こることは多い。
また、不買運動を起こすことで悪質な企業を駆逐するとともに、順法精神を持つ優良企業をより成長させることができ、
結果として消費者や労働者の権利が守られるとともに、より公正で互いの権利が尊重される社会に近づくことになるだろう。
一方悪質な企業の商品を買い続けるということは、優良企業を駆逐させ悪質な企業を跋扈させることにつながりかねない。
その結果、消費者や労働者の権利も蹂躙されることとなり、公正で互いの権利が尊重される社会からは遠くかけ離れたものになるだろう。
さて、スクウェア・エニックスの発刊する漫画、あるいはゲームソフトなどに対し不買運動が起こったという話は聞かない。
それどころか同社が刊行する「月刊少女野崎くん」といった漫画の単行本や同社が制作に関与した映像ソフトが非常に売れているという。
このことから、今年8月の事件発覚後から今まで「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックスの商品を買った人は、
自らの快楽追求の帰結がどうなるか、そして自らの購買行為が社会にどのような影響を与えるのかという2つのことに関する想像力を欠如した、
幼稚な人間と言わざるを得ない。
そして「月刊少女野崎くん」が未だに売れていることは、それだけ幼稚な人間が増えたということの証左である。
勿論年端もいかない乳幼児なら自らの快楽追求の帰結がどうなるか、あるいは自らの行為が社会にどのような影響を与えるかについて
しかし「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックス社の刊行する漫画などは「おかあさんといっしょ」や「みいつけた!」といった
乳幼児向けのものではなく、中高生以上の年齢層を対象にしていると推測される。
したがって、この「月刊少女野崎くん」ブームは、中高生以上の日本人の幼稚化をシンボリックに表しているといえよう。
この日本人の幼稚化に対し、例えば「月刊少女野崎くん」といったスクウェア・エニックスの刊行する漫画やゲームを発禁にしたところで
残念ながら対症療法にすらならないであろうし、そういう意味で今の日本の状況は絶望的である。
しかし日本人の幼稚化に対し絶望することこそ、次なる突破口を探すうえで必要かもしれない。
「絆」や「希望」といったスローガンに惑わされることなく、正しく絶望したうえで次の手をひねり出さなければならないだろう。
この文章では「月刊少女野崎くん」を購入する人に対し幼稚な人間と批判したが、事件発覚以後同社の商品を購入した人間もまた、
「運動中に水をのむなかれ」
形骸化のはてに本質を見失った金言によって苦しめられた事がない者など生まれたばかりの赤子のみだろう。
いや、赤子すらも訳の分からん胎教に付き合わされたものが多かろう。
人々は自己啓発本を買い漁る。
情報化社会の大波に乗り、人類史上かつてなくライフハックが世の中を呑み込もうとしている。
無数のライフハックを求める人々は、ライフハックの数ばかりを気にしだし質を見失い始めている。
溢れるライフハックは、次々と一口サイズに縮められ、本質をすり潰されていく。
時には相反するライフハックがぶつかり合いその隙間に「中間が一番だ」という一番古いライフハックが入り込む。
「中間が一番だ」これが入り込むのならまだよい。
時には2つの又聞きお役立ち情報に挟まれてダブルバインドに心を病む者までもが出てくる始末だ。
我々はこれにどう立ち向かえばいいのだろうか。
研究やビジネスを作る人が、絶対にリターンが得られない仕組みになってるよね。日本は。
国として致命的な問題だと思うんだけど。
研究した成果を根こそぎ奪いたい放題なんだよ。
金を採掘してくる挑戦者を、ハイエナのように洞窟の出口で待ってんだよ。
挑戦者は、金塊を持ったまま洞窟から出るに出られず、思案しているうちに時間が立つ。
ハイエナ企業は、ちょっと改良したらOKだろ?とか、あの手この手を使って研究の芽を奪おうとする。
通常ならばひとたまりも無い。
で、一般的に研究というと、大学の中だけで行われているのが研究なんだと思われるけど、
大学の研究は当てには出来ない。すると個人レベルの民間に研究を頼るしかないんだけど、
すさまじい程の険しい道になるんだよね。
日本はどこもこんな状態。
少しだけ化学式を変えたやつが跋扈していたけれども、実害はあんまりなかった。
じっさいアメリカで解禁の流れがあるように、タバコよりも危険性が少ないとさえいわれている。
しかし当局がしらみつぶしに疑似大麻を禁止していった結果として、脱法を目指す合成行為は複雑になる一方だ。
結果として変な化学式を持つ、大麻よりもよほど危険な作用が起きる可能性がある気持ちの悪い薬物が蔓延するようになった。
効き目が妙に強く第三者を死に追いやるような変な脱法薬が蔓延っているのは、皮肉なことに当局の取り締まり強化の結果ともいえる。
はてなでは少子化問題が度々取り上げられる。少子化問題の原因として挙げられるのは、若者の貧困化と女性の社会進出による晩婚化だろう。地域の公立校の学級崩壊、日本総ヤンキー化などの話を聞くと、やはり自分の子供には高い金をかけなくては、しかしそんな経済的余裕はない、それだと生まれてくる子がかわいそうだ…、やはり子はひとりまでにしよう、と世の中の夫婦が考えるのは仕方ないことと思われる。しかも自民党は子ども手当を廃止し、より貧困層が子どもを生みずらい世界を作ろうとしている。この政策ははてなではもちろん批判されている。はてなの大多数は、少子化問題をどうにかしなければいけないと思考しているようだ。はてなは高リテラシだから産まない女性を批判するようなことはしないが、しかしどこか他人事を感じる。自分たちも子供がいても良い年なのに、少子化問題、イクメンの是非など社会全般の問題には興味はあっても自分自身の結婚や子育てには興味はないのだ。はてなの民の典型的人間像は30代、そこそこの年収がある高学歴IT企業勤めの独身である。未だに結婚していないのは、20代の若い嫁さんを狙っているからなのだろうか。しかしもしそうだとしてっも、子どもの事を考えてではなく単に自分の欲望のためだろう。けしからん。
さて、少子化問題の原因は貧困と、はてなの民のような頭でっかちの童貞であることを明らかにしてきたが、ではどうすれば問題も解決できるのか。高年齢独身の結婚を促すことは今の自由な世の中ではなかなか難しい。また、ブラック企業が跋扈する日本の労働状況では、子ども作りの前に自分の生死が危ぶまれる。そんな中で、やはりキーマンになるのははてなの高収入高齢童貞である。彼らをうまく利用することが、社会全体が子育てを支援することにつながる。
ここで具体的な策を提示しよう。
とりあえず子を小学校入学年齢まで育てれば、あとは社会が子育ての責任を持つことにする。つまり高収入独身童貞のところに里子に出すのだ。もちろん児童虐待が起こってしまうので、一対一ではなく、一人の子に数人の童貞がつくことにする。お互いに手を出さないように牽制し合うことで、平和が生まれる。童貞たちは可愛い子供の将来のためにお金を使うことができる。これはAKBに金を費やすよりも、よっぽど健全で社会的にも有意義ではないだろうか。社会全体で子供を育てることは、社会の活性化につながり童貞に希望を与え、また出生率のアップにつながるのである。また、童貞による性犯罪も、擬似親子関係を持つことで減少すると思う。
何より童貞たちの弱い立場の女の子を守りたい願望を原発を超えるエネルギーを持っている。これをAKBではなく社会に還元しない手はない。いつしか童貞は社会におけるステータスとなるだろう。美人は何も考えずにボンボン子を産んで欲しい。美人の子は美人だ。美人の子のためにお金を使いたい。
この制度を不健全だとかロリコンだとか言う口だけリベラル派が出現するだろうが、男の子も可愛いし、何より風俗よりもAKBに金を使う童貞はたくさんいるのだ。つまり、下半身はどうあれ上半身では純粋な愛を自称する権利が童貞にはある。童貞はどんな欲望を胸に抱いていても、自分の子に手を出すようなゲスではない。
関東大震災が起こった年、女子中学生であった私は結果的に当時の摂政を銃撃からお守りしたのだけど、その後、宮内大臣から直々の縁談があって、新しくできた丸ビル前で待ち合わせたのがなれ初め。
あの時はまだ民本主義とか、東大新人会に勢いがあって、彼が進歩的な話をしてくれることにときめきを感じたことを今のように思い出す。
けど、あの年は甘粕大尉が事件を起こしていた時代でもあり、その後の時代は彼に向いていなかった。進歩的とされた思想の弾圧の結果、彼は閑職にまわされ酒と借金におぼれていった。
その時の私の窮状を救ってくださったのも、牧野伸顕閣下。幅広い人脈を持つ閣下のおかげで、私に暴力をふるうようになった彼と私の婚約関係は
世間の好奇を浴びることなく解消することができた。そして、早くに妻君をなくしてた海軍のある佐官の下へ嫁げたことは、一生の中でも最大の幸福だった。
その後の戦争で、私と子供一人を残し、帰らぬこと人となってしまったのは仕方ないことかもしれないけど、悲しかったなぁ。実のところ、敗戦が決まって軍人恩給も出なくなるかもということで
今後の一家の暮らしをどうしていくのか本当に心配だったことの方が切実で、あの時のことはあまり記憶にない。なんとか生き残ったことだけを思い出す。
敗戦後何もなくなったどころか、一人目の夫よりもはるかに人間的・学問的に劣っていた進歩的知識人たちが政治的にも、学問的にも跋扈しだしたことには天地動転とはこのことかと思ったけど、
その後の日本の成長は目覚ましかった。高度成長期も終わりには、国のために散った二人目の夫と将兵さんのために、南洋諸島に慰霊することが出来た。あの時、ようやく戦争が終わったのだと思い、
夫が欲しがっていたゼネラルモーターズ製のシボレーの模型と、子供が作っているトヨタ製のカローラの模型をたむけた。
日本と言えばまず後進的で奇形な資本主義国であることが当然とされた時代からうってかわって、1980年代には日本は世界最高の資本主義国となっていた。
NECに勤める孫に半導体というものを説明され、湾岸戦争を見た時に、もう世界は私が知っているものではないのだと思ったものだった。
さて、どんなに年をとってもお迎えは20年前に来ると思っていたのだけれども、100をとうに超えてもまだ生きていて、このまま後2,3年生きれば県で一番長生きらしい。
最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています。倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています。
また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。
また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分は日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさらに抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています。
彼らは社会のハイコンテキストな空気に適応出来ず、社会の無言の圧力に抑制された存在なのだと思います。社会の倫理に虐げられた人間に今更、社会の倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本の教育、〜しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう
最近、永井均や中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます。
彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味や価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう
今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会がコモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在の若者をゆとり世代といい、多くの問題を最近の若者的な問題にすり替えて押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失、失われた10年、年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。
また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分の世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼は文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋な希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである。
その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業が跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。
今の会社はグローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデルが一年たらずで崩れてしまう。
企業倒産による、失業、リストラ、些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。
生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している
障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間の言葉を無視する。
たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力で仕事が作られる。
駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。
彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。
初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性や政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしまう
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している
朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。
昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。
痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。
☆はてなブックマークはコメント数でソートできるようにして欲しい。
今のはてブのシステムはブクマ数とその伸び率で人気記事を決めている(と思われる)。だが、このシステムだとコメント数が一桁なのにブクマ数は100行ってトップページに表示される記事がかなりある。
•ライフハック系記事
•レシピまとめ記事
•プログラマ系記事?
大抵これのうちどれか。
ライフハック系記事は業者が桜ブクマしてると思われるものも結構ある。てかそうじゃなかったら毎回代わり映えしない自己啓発記事をブクマする知的貧困層がはてなに大勢いることになり由々しき事態だ。
レシピ系記事はそもそもやたらとパクリが多い。クックパッドのリンクまとめて貼っただけの記事とかが平気で300ブクマ集めたりすると悲しくなる。はてなユーザーは「ナポリタン 簡単 おいしい」みたいに2、3の単語を組み合わせてググることすら出来ないのか?
プログラマ系記事ははてなのユーザー層的には仕方ないのかもしれないが、あまりに多すぎる点と、わからない人には全く価値がない点が問題だ。はてブがこれだけ便利なのにユーザー層が偏ってるのは、このプログラマ系記事が多すぎてウザいからじゃないだろうか。何だ言語って。
ということで、はてなの人気ランキングはコメント数でソート出来るようにして欲しい。はてなの魅力はやはりブコメだ。記事に対するコメントが読めるサービスはヤフコメやまとめブログなど他にもあるが、なんだかんだではてなが一番リテラシーレベルが高いと思う。ネトウヨが跋扈する今のネット世界で、はてなは最後の良心なのだ。そのブコメの比率が高い記事は、高確率で良記事なのである。
今の増田のシステムは元増田も1行レスも全て縦に流れていくシステムだが、2chなどの掲示板のように元増田のみ表示して、その下にトラバがつくという表示方法も導入して欲しい。増田の現状は日記帳的な利用のされ方は少なく、3割の元増田に7割のレスがつくような状況だ。カオスである。
しかもそれが時系列順で何の脈絡もなく並ぶため、初めて増田を見た人にはプリントアウト案件が整然と並んでいるようにしか見えない。増田を初ブクマする増田ソムリエも、面白い元増田を探すのに何ページも遡らなければいけないのは大変なのだ。
そこで、元増田とそれに対するレスを分けて見れるシステムがあると大変助かる。
判別方法はタイトルをつけているかでよい。タイトルをつけたものはトラバがあっても元増田にする。
いかがだろうか?
☆色付きのはてなスターは、貰った分を使えるようにして欲しい
グリーンスター、レッドスター、ブルースターに限って、誰かに付けてもらったものは使えるようにして欲しい。
今のはてなスターの現状は、ほとんどが無色スター、たまに緑スターを見るぐらいである。netcraft氏のように、レッドスターをはとのエサのようにばら撒く奇特な人もたまにはいるが(というか1人しかいないが)、もう少し普通のホッテントリなどでもカラフルなスターが見たいものだ。
そこで、誰かに付けてもらったスターを自分のものに出来るようにしたらはてなスター界隈がもっと活性化するのではないだろうか。
そして、自分のばら撒いたレッドスターがどこかで再利用されてるなら、netcraft氏も少しは報われるのではないだろうか。
はてなスターがどれだけはてなの売上に貢献しているか分からんが、たいした額ではないだろう。色とりどりのスターがブクマ上でキラキラしてる方がはてなにとってもなんか得だと思う。
私は2chというサービスが前時代的であると繰り返し主張してきた。そもそも2ch設立当初から別段新しいサービスではなかった。ただの掲示板。規模が大きいだけ。
規模の点で他に代わるサービスがなく人が多いから続いてるだけ。
まあひろゆきの運営理念が優れていたというのも多少はあるんだけど。それも最近のひろゆきを見ていると迷走している感がぬぐえない。2ch.scを作ってサーバー攻撃したり、なんだかなあと。
ひろゆきの2ch本には2chはフラットに情報提供するサービスと書いてある。ハッキングから夜のおかずまでというキャッチフレーズや便所の落書きという2つ名のとおり
何でもありの投稿スペースなわけだが、それはあくまで建前であるということに注意が必要である。
ピットクルーを始めとするプロ工作員の暗躍によりスレの流れが決まっている事実を挙げるまでもない。そもそもあのようなコミュニケーション形態自体とてつもなく閉鎖的で限界があることに
私たちはSNSやマイクロブログといった新時代のコミュニケーション形態を目の当たりにする中で繰り返し気づかされてきたのである。
何らかのテーマのスレを覗いてみると立ち所にそのことが再確認できる。スレの「総意」という名のノイジーマイノリティが跋扈しており、決して「フラット」とは言えない代物であることが分かる。
しかも、その原因が単に日本特有の同調圧力といったものには帰着できないことも言う迄も無い。そもそもが、「閉鎖的になるしかない」ようにわざわざ作られているのではないかと勘ぐりたくなるほどに
"コミュニケーションアーキテクチャ"という言葉はこれからのITサービスを語る上で欠かせない新しい専門用語である。旧来の「情報アーキテクチャ」という概念はもっぱら情報をいかに整理して伝えるか、
という表現者の視点が暗黙の前提となっていたが、コミュニケーションアーキテクチャでは表現者をも超越したメタな視点でものを見る。言うなれば合コンのセッティングのように
いかに場を用意するかという視点とも言えよう。
実は同様の概念は芸術分野において1990年前後から存在した。"アートプランニング"という概念である。いかに芸術家たちが意匠に沿って気持ち良く表現しやすい展覧会を開催するかという超越的視点。
その開催者の視点に立って戦略指向を練るのがアートプランニングなのだよ。日本では大阪芸術大学の芸術計画学科が有名で多数の人材が輩出されているな。
ひろゆきも昔はアートプランニング的視点では群を抜くものがあった。少なくとも1冊目の2ch本を出した頃のひろゆきは高い視点で捉えていたし「フラット」などという建前を掲げて理想を語っていた。
それが2冊目ではゴーストライター使うわ、近年では2chというサービス自体を古いとみなしている節があるわで、これじゃもう2ch終わったなとしか言いようが無いわけです。
古いなら変えよう、あるいはゼロから新しいものを作ろうとすればいいのに、気にくわないことをやりだした現2ch運営に嫌がらせしたりと肝心な部分で悪い意味で保守的になっちゃってるのね。
2chの衰退の直接な原因はこうしたひろゆきの衰えであるが、もっと抽象化してみると誰一人としてコミュニケーションアーキテクチャを考えようとしない、そこに根本問題があるわけです。
「技術者はデザインを考えない」「使いやすさを考えない」という言い古された批判がある。ITアーキテクトの重要性が叫ばれて久しいが「使いやすさ」に配慮した製品がいかに稀少かは周知の通り。
でもこれはもっと高い視点を要する問題なんですよ。UXなんて言ってますけどそういうことばかり新しがって言ってる人はもう脳みそが古いの。
http://anond.hatelabo.jp/20140616005514
偏見で女性作家作品を読まない人がいるのはもったいないなと思ったので
「少女漫画アレルギー」でも楽しめる漫画を集めてみます。すでにやっている人がいたらすみません。
この世はヒト知れぬ生命に溢れている――。動物でも植物でもない、生命の原生体――“蟲”。それらが招く不可思議な現象に触れたとき、ヒトは初めてその幽玄なる存在を知る。蟲とヒトとをつなぐ存在――それが“蟲師”たる者。
深遠なる世界観。
蟲と人との関わりを描く。基本的に一話完結。
語られる物語はどこか懐かしく、優しく切ない。
普通の人間には見えない不可思議なモノたちが見えてしまう飯嶋律。彼とそのファミリーがさまざまな妖魔との出会いの中で紡ぎ出す不思議絵巻。
語られる妖達はどこかで見たことがある気がしてくる。昔話の中で。民話の中で。
20世紀末、高度な文明は滅び、人々は暴君の支配する国で圧政に苦しんでいた。300年の時が過ぎ、山陽地方の白虎の村に双子の兄妹が生まれ、兄の方はタタラ、そして妹は更紗(さらさ)と名付けられた。兄のタタラは暴君の圧政から人民を救う「運命の子」と予言されるが…。愛と冒険のジパング伝説!!
とにかく熱い。読んでいると天下統一したくなる。
主人公がゾクゾクする程かっこ良い。だが女だ。
演劇の道にすべての情熱を賭けて生きる少女・北島マヤ。幻の名作「紅天女(くれないてんにょ)」をめぐって、さまざまな人物とその思惑が交錯する演劇大河ロマン!!
貧しい母子家庭に育つ北島マヤは才能を見いだされ、逆境の中演劇の道を志す。
演劇の道に人生の全てをかけた2人の少女。天才・北島マヤと努力の天才・姫川亜弓。
2人の才能のぶつかり合いが熱く描かれる。古典的名作。完結するのだろうか・・
今は亡き有名なオペラ歌手を母に持ち、同じ道を目指す資産家の娘、麻見史緒。バイトをしながらオペラ歌手を夢見る緑川萌と出会い…!?
怒濤の展開に目が離せない。
「ガラスの仮面」が絵柄が古すぎて抵抗あるという人はこちらだけでも読んでみてほしい。
その少年は、幼い頃すべてを失った。夢も家族も居場所も──。この物語は、そんな少年がすべてを取り戻すストーリー。その少年の職業は──やさしさ溢れるラブストーリー。
居場所のない少年は棋士の能力だけで自分の居場所を作ろうとした。
生き方を見失った彼は3人の姉妹と出会い、人との関わりを回復させて行く。
次々と担任が辞めていく問題クラス、4年さくら組の新担任になった芳賀稲子・通称“ハガネ”。ひと筋縄ではいかない、クセモノぞろいの子供&その親たちを相手に、ハガネの真剣勝負が今、始まる―!!
いじめ・虐待・ネグレクト・・・扱う題材は極めて重いが読後感は悪くない。
いじめられっ子はいじめられたまま。虐待児は虐待されたままだ。
しかしながら子供の成長を予感させるラストで読者に希望を感じさせる。
良く取材をしていると思う。
ゴルゴ13より目が細いこの人は世界一ヒューマンな大学教授である。道路は右端を歩き、横断歩道以外で道を渡らない。安くてうまい“さんま”のためなら、足を棒にしても歩きつづける。本書は、Y大経済学部教授柳沢良則の克明で愉快な記録である。
暖かかったり、ほろっとしたり。泣いたり笑ったり。
勉強っていいな。学ぶ事はすばらしい。
はじめの方の巻はちょっと毛色が違うのであえて途中の巻にリンクしています。
王道少年漫画。
の増田にも満足できるのではないかと。
悪魔の血を継ぐ少年・奥村燐の前に、突如父を名乗る魔神が現れ、悪魔が棲む虚無界へと連れ去ろうとする。高名な祓魔師である養父は、命を懸けて燐を守り死んでしまう…。燐は己の無力さを悔やみ、祓魔師になって魔神と闘うことを強く決意するッ!!
その昔、霊感の強い烏森家の殿様が妖しげなものを呼びよせてしまったために、それを退治する結界師が生まれた。かつての城跡に建つ私立・烏森学園を舞台に、400年後の現在も跋扈(ばっこ)し続ける妖怪に立ち向かう墨村家と雪村家の若き後継者、良守と時音の活躍を描く妖結界バトルストーリー!!
兄・エドワード・エルリック、弟・アルフォンス。2人の若き天才錬金術師は、幼いころ、病気で失った母を甦らせるため禁断の人体錬成を試みる。しかしその代償はあまりにも高すぎた…。錬成は失敗、エドワードはみずからの左足と、ただ一人の肉親・アルフォンスを失ってしまう。かけがえのない弟をこの世に呼び戻すため、エドワードは自身の右腕を代価とすることで、弟の魂を錬成し、鎧に定着させることに成功。そして兄弟は、すべてを取り戻すための長い旅に出る…。
まとめは力尽きました。たくさんいますよね・・
中村光(聖☆お兄さん) ヤマザキエリ(テルマエ・ロマエ) 岡田あーみん 新井理恵(ペケ) 柴田亜美
とかいろいろ。不条理ギャグ系は古いと通じないかなぁ。ススメにくい。
狂気を孕んだ耽美さに「少女漫画アレルギー」な人は耐えられないかも
名作だけど少女漫画っぽいかな・・?
コメントどうもありがとうございます。
ブコメも全部読めていません。すみませんすみません。日曜までには・・
今日も獣医学部のユニークな仲間とかわいい動物たちは大騒ぎ。思わずニヤリのおもしろさで、国民的人気大爆発のドクトル・コメディ!
ストリートキッズのボス、アッシュは、胸を射たれて瀕死の男から薬物サンプルを受け取った。男は「バナナフィッシュに会え…」と言い遺して息を引き取る。ベトナム戦争で、麻薬にやられて、正気を失ったままの兄が時々つぶやく「バナナフィッシュ」と同じことばを聞き、興味を抱いた。謎の言葉『バナナフィッシュ』を追うアッシュに、暗黒街の黒影が迫る…! 大人気ハード・ロマン!!
まだ“情熱”って言葉さえ知らない、小学校6年生の千早(ちはや)。そんな彼女が出会ったのは、福井からやってきた転校生・新(あらた)。おとなしくて無口な新だったが、彼には意外な特技があった。それは、小倉百人一首競技かるた。千早は、誰よりも速く誰よりも夢中に札を払う新の姿に衝撃を受ける。しかし、そんな新を釘付けにしたのは千早のずば抜けた「才能」だった……。まぶしいほどに一途な思いが交差する青春ストーリー、いよいよ開幕!!
緑の原の一族(グリアナン・クラーク)の中で唯一、黒髪で生まれたアリアンロッド。魔法使いのもとで修業を積むアリアンは、炎の中で一族を滅ぼした“邪眼のバラー”を目撃。運良く生き残ったアリアンは助け手を求めて旅に出る…。神話と伝説の古代ヨーロッパを舞台に、遠大な構想で描かれた大河ファンタジーロマンの決定版!!
「麻生太郎氏による「日本の借金」の解説が超わかりやすい! 「経済をわかってない奴が煽っているだけ」 | ログミー[o_O]」
この記事のブコメが惨憺たる有様だった。
家族の借金だから踏み倒すつもりかとか、金刷ったらハイパーインフレだとか、国債無限に発行して無税国家にしてみろとか。
素朴()な経済観の人多いですね。
まあでも、これは元記事の「家族間の借金」の例えが悪いとも言える。
この酷い例えを、一部の自称経済通は何故かわかり易いと勘違いしてよく引き合いに出すので、誤解が拡大し議論の混乱に拍車がかかるという悪循環が延々続いている。
そこでこの例えを、実態に沿うように拡張してみようと思いました。
話を破綻させないための設定の無理矢理さを見て、いかに筋の悪い例えかを実感してもらう
こと。
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さて、父ちゃんはその借りた金を何に使ってるのか。パチンコか酒か?
実は、増田家の増改築や補修をしたり、熱元機や家族共用車を買ったり、同居のじーさんばーさんに小遣いやったり、家族の医療費払ったりしてる。
そうやって建てたり買ったりしたものは父ちゃん名義になるので、資産という意味では超持ってる。ぶっちぎりで町内一の資産家。
ところで、父ちゃんは町のどこの店に頼んで増改築したり車買ったりしてるのか。
実は、長男が大工、次男が自動車工で、よそにお願いする必要がない。
さらに、増田家は子供が異常に多く、しかも全員がなにかしら手に職を持っている。
そのため、たいていのことはよそにお願いする必要はない。
また、子供たちの間でもお互いに仕事をしては代金を払っており、よそにお願いする必要は少ない。
で、子供たちは、そうやって得た金をどこに預けるのか?町の銀行?
実は、母ちゃんに利子付で預けている。
で、母ちゃんは子供たちから集めた金を、仕事で何かと用入りな子供に貸したり、父ちゃんに貸したりしている。
そもそもの話だが、実はここでいう金は日本円じゃないくて、増田お手伝い券だ。
このお手伝い券は、父ちゃんに頭が上がらないおじさん(父ちゃんの弟)が作って母ちゃんに流している。
お手伝い券は、その気になれば父ちゃんも作っていいことになっている。
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疲れてきたのでとりあえずこんなもんで。カネは基本循環してるけど、経済環境によっては信用を担保に滞留してしまい、そこの額が膨らんで見えるというだけの話なんだよね。
あと、大事なのは「たいていのことはよそにお願いする必要はない」ってところ。
仮におじさんがトチ狂って何京枚も券を発行したり、増田家全員が催眠術にかけられたりして、お手伝い券の信用が毀損したとする。
もちろん短期的には、増田家内は混乱し、酷い損をする奴とか得をする奴が出るだろう。
でも、人材に由来する増田家自体の生産力が毀損されるてるわけではない。モノやサービスを生み出す能力はあるが、その分配ルールが一時的に麻痺するだけだ。
絶対量の少ないモノを争奪するモヒカンどもが跋扈する世紀末にはなりようがない。
結局長い目で見れば、また新たなお手伝い券が作られるし、その価値は増田家全体の供給力に見合った価値水準に落ち着く。
だからハイパーインフレ(ここではすごいインフレ程度の意)なんてのは、デフレ…つまり供給力の余りまくってることの方が深刻な今の日本じゃ、起こすことの方が難しいという話です。
誰かこういう内容でSFを書いてくれ。
★親を太平洋戦争で失った主人公が、タイムトラベルで過去に戻り、
太平洋戦争の開戦を阻止するように奔走する。
★奔走していった結果、現世において、死んだハズの親が、
だんだん生き返ってきた。
★しかし喜ぶのもつかの間、「太平洋戦争を回避した日本」というのは、
実は「戦前の権力者が生き残った日本」ということで、現世において、段々と世相が暗くなってきた。
「軟弱文化一掃」「労働団結権一切否認」「集会結社の規制」「特高の跋扈」「女性参政権、女性の財産権否認」
★さらに現世において、日本の同盟国のナチスが跋扈し、ユダヤ人がゼロになってしまった。
ことここに至って、主人公は「太平洋戦争は、日本が民主化・近代化するための必要悪だ」と気づいて、
断腸の思いで、開戦阻止を諦め、親の死を受け入れた。
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
◆0,艦これについて
『艦これ』が一部界隈で話題になり始めた直後にプレイし始め、継続プレイ約1年ちかく。
小規模ゲームであるにも関わらず、すさまじい数のプレイヤーが遊ぶ人気ゲームとなり、
小規模な運営も火の車状態でなんとか回している・・・という現状。
また、ゲーム内容についてもその辺のすぐに「いいから金を出せ!」という化けの皮が剥がれるゲームに比べれば
はるかによく出来ていると思う(実際私も2000円で入渠ドックを2つだけと、関連グッズ、公式書籍等何点か購入しただけで1年近く遊べている)。
しかし、元々「さっさとたたむつもりだった」(白書インタビューより)からか、1周年を迎えた『艦これ』は
いちプレイヤーから見ても「やや雲行きが怪しくなってきた」と感じる。
以下はあくまで私がいちプレイヤーとしてプレイしていて感じた点であり、
決して『艦これ』自体のアンチである、萌えミリアレルギーというわけではない。
艦娘の強さに関しては、ゲーム開始時に規定された数値が継続して使用されている。
だいたいは元になった艦種ごとにスペックを算出し、基礎値+近代改修値(合成)が限界である。
この数値はゲーム開始時に設けられたスペックを使い続けているものであり、新鋭艦でもそれほど大きくは変わらない。
それ自体はキャラゲーとして見れば許容範囲だろうが、この問題は以下で述べる2,3の問題点により構成されている。
要約すれば「新装備・レベルキャップ解放のないMMO状態」である。
現状でプレイヤーが組める最強のパーティーは戦艦・空母編成であるが、その戦艦/空母編成を遥かに越えて敵だけが
インフレしすぎている、というような問題が発生しているためこの後はもう泥沼になる様しか想像できないのである(詳しくは3で述べる)。
キャラゲーとして「好きなキャラを強くする」にも、2の問題が引っかかり数ヶ月単位の時間がかかるという延命仕様であり、
これからアニメ・グッズ展開などをかけていくにあたって「ゲーム自体が落ち目のMMOのような空気」を漂わせるというのが問題点だ。
また、平然とイベントなどで採用されるようになった「司令部レベルで敵の強さが変わるが、報酬は共通」という仕様も悪手で、
早々にプレイヤーが動かせるコマが頭打ちになってしまうので「一部の艦娘を入手し、育てたら後は司令部レベルを上げない」というのが
イベントを楽に攻略する手段だと言うのだからもはや笑うしかない状態である。
そもそも司令部レベルが高くて何故敵が強くなるのか?何故報酬が同じなのか?一切設定や「リアリティ」では説明が付かないし、
艦娘の強さは司令部レベル20でも50でも80でも頭打ちですよ、という話だ。
◆2,「新装備」が入手できない
とにかく「新装備」が手に入らないことが、先に述べた艦娘の強さの頭打ちを更に強めている。
例えば「20.3cm(3号)連装砲」は重巡を少しでも強くしたいプレイヤーにとっては欲しい装備であるが、
この装備は現状手に入れる方法はA,ランキング上位報酬 B,三隈(改)の初期装備 C,利根/筑摩(改二)の初期装備 D,衣笠(改二)の初期装備 の4つだけである。
Bは三隈を入手するというステップ自体が大型建造という全く割に合わないガチャを回すかドロップ堀り、
Cは勲章4つ(通常プレイでは2個/月でしか入手できない)、Dは非常に高いレベルまでの育成を必要とするため余程の根気が必要である。
ではAはどうなのかというと、サーバーにもよるだろうが「ランキング上位者はありえない量の戦果を稼いでいる」のである。
(参考までに述べておくと、横須賀サーバーではランキング1位は4月の集計時に6000近い戦果を稼いでいる)
これらのプレイヤーは24時間張り付いていたとしても手動では稼ぎ得ない戦果をたたき出し、その数値が他のプレイヤーからでも
参照できてしまうという状態、要するに「不正プレイが横行しているし、それをユーザーも確認できるが野放しにされている」という状況。
ほぼ現実的にレア装備を入手しうる手段であるランキング上位報酬も、多くのユーザーが不正プレイを使って優先的に取得している、という状況は
あまりにもまずい、というか普通のMMOなら大炎上不可避なレベルの事態ではあるが、『艦これ』では常態化している。
まあ、これは良い。好きなゲームだから太平洋よりも広い心で許すとしよう。
さて、このレアな装備を「先行」実装した時にははっきりと「将来的に他のプレイヤーも入手できます」と明言されているが、
上の例で挙げた3号砲が最初に配布されたのは2014年4月のランキング報酬である。
つまり、1年以上の間「先行」配信を受け取る資格を得た上位ランキングプレイヤー以外はB,C,Dのうちいずれかで
膨大な手間をかけてやっと1つ入手可能なのである。
これは他の装備(試作晴嵐)などでも同じで、ランキングに入賞できないプレイヤーは入手機会は未だに「イベント」か関連艦娘の装備だけである。
このような状況から、とにかく「自分の好きな艦娘を集め、一番良い装備をさせる」ことも非常に難しい。
元々『艦これ』が流行った要員に「キャラゲーとしての楽しみ」があるのは間違いないにも関わらず、
「好きなキャラを強くする」ことができる可能性が非常に狭められており、プレイしていてストレスに感じる。
「史実」という言葉がある。艦これに登場する艦娘は過去WWⅡにおいて建造された艦をモデルとしており、関連した能力を持つ。
これは『艦これ』というゲームの大前提であり、敵とステージもそれをある程度共有しているのが世界観としての約束であった。
この「史実」をモデルとすることによる豊富なバックボーンは多くのプレイヤーを惹きつけた要素となったわけだが、
残念なことに現在ではこの「史実」はプレイヤーを縛り付けるための方便だけに成り果てている。
『艦これ』では、プレイヤーが敵艦が跋扈する海域に突入し、連戦をくぐり抜け最終的にボスを倒す、というのが目的である。
一度でもゲームを製作したことがある方にあっては態々言うまでもなくご存知のことと思うが、プレイヤーのヘルス=敵のヘルスではない。
プレイヤーのヘルスは最後のリスポーンポイントからそこまで来るだけのバリューを持っており、リスポーン可能な敵のヘルスは軽い。
しかし、このゲームでは後半の海域に差し掛かるに連れて「味方よりも高いヘルスを持った敵」が平然と出現するのである。
『艦これ』がアクションゲームでなんとかガードを決めればどんな攻撃でもダメージ0どころか反撃できるとか、
プレイヤーの卓越した作戦でうまく行動する前に叩き潰せる等の方法があればこの構造は「ボスモンスター」として問題はない。
プレイヤーが艦娘たちの戦闘に干渉できるのは戦闘前の陣形決定ボタンを押すのみで、押した瞬間に勝敗は決するうえ、
味方の艦隊は敵陣の奥深くに切り込めば切り込むほど燃料・弾薬が減って不利になっていく。
そこで「何度も」味方のキャラクターよりも絶対的に強い敵が登場する、というマップ設計はゲーム制作素人どころの話ではない。
2-4などのようにボスとして配置するならまだわかる。
プレイヤーが使える艦娘は実質的にヘルスのキャップ値は100であるが、これら敵艦は平気で100を越えたヘルスを持つ。
更に道中で連戦・攻撃力も高い・避ける方法はなしとなればプレイヤーサイドでできる事は最早
「一番スペックの高い艦娘を並べて敵が攻撃を全部ミスすることを祈る」だけである。
先に述べたようにはっきりいって『艦これ』のゲームとしての戦略性は下の下どころの話ではない。祈るだけである。
いわば「味方を一切操作できないWizシリーズで何の対策もなしにクソ固いボーパルバニーと連戦」状態だ。
その状態でいくら「強敵」を出現させられても、「高難易度でやりがいがある」とはならずただ面倒なだけである。
そもそも、長門の2倍のHPを持ち、加賀の2倍の艦載数を不自然に一箇所に割り振られ、軽巡以上の対潜能力を持った艦とは何なのか?
帝国海軍が戦っていた相手にビッグセブンをはるかに越えたスペックを持つそのような化け物が居たということなのだろうか。
残念ながら筆者はWWⅡの時代の艦船の専門家ではないため、そのような存在がいたかどうかについては判断のしようがないのだが。
そして一方で、味方のステータス、装備はいつまでも「史実」に沿った数値のままで一向にパワーアップしない。
ケッコンカッコカリなどのシステムが追加こそされたものの、上がるステータス自体は微々たるもので
一部『if改造』の入った大井・北上は超パワーアップを遂げたという例を除けば「史実」は多くの艦娘にとって
実質的な「能力キャップ」として機能するだけのペナルティと化している。
戦艦で最強クラスの大和・武蔵が実装され、この「史実」をモデルにしている以上プレイヤーにはこれ以上強い戦艦は手に入らないのである、
それこそ大和が宇宙戦艦になったり武蔵がゲッターロボに乗るif改造でもなければ。
◆4,艦種の扱い
・大艦巨砲主義化
上述した難易度調整の結果、一部の艦以外の存在意義は非常にあやふやで、
周回して何度もボスドロップ等を入手しようというプレイヤーでなければ戦艦・正規空母以外を使う価値は非常に薄い。
そもそも強い強い敵と正面から殴りあうしか攻略が無いので、耐久と火力の高い艦以外は後半海域になると一気に出番がなくなる。
既存のマップがほぼすべて「戦艦や正規空母を含む敵と連続で会敵し、戦う」という構造を取ってしまっているため、
駆逐・軽巡などは道中に潜水艦が居る場合でもなければ入れる価値が非常に薄い、ただ大破撤退を引き起こすキャラと化している。
その潜水艦に関しても後先考えない実装をしたせいで味方の潜水艦だけは一瞬で敵駆逐・軽巡に大破させられるキャラとなっており
(対潜水艦装備をしていない駆逐・軽巡でもどんどん「敵だけは」攻撃を当ててくる)、通常マップではかなり有用性が薄い。
実際に後半海域で出番が回ってくるのはごく一部の戦艦娘や大鳳と赤城・加賀を除けば大井・北上ぐらいのものである。
一般的なMMOで「終盤MAPでジョブや装備が絞られる」というのはまだわかるが、『艦これ』のゲーム性はそこまで深くない。祈るだけだ。
艦これがウケた理由の一員である多種多様なキャラクターたちは実質的に後半海域では20人以下まで絞りこまれ、
後は後述するハンデキャップマッチのお荷物役にしかならないというのはキャラゲー部分にも影を落とす設計である。
空母が烈風ガン積みで制空権を取ったら戦艦だけが殴りあう。WWⅠどころか大航海時代レベルの海戦ゲームである。
・艦種縛り
代表的な例としては、3-2をクリアするために必要な「駆逐艦縛り」などであるが、これらマップは「史実」をベースにしたと言われている。
このキス島作戦の時点で駆逐艦を編成して突入しても普通に戦艦と遭遇し、ここをいかに中破で乗り切ってくれるか祈るだけ・・・というマップ構造になっている。
しかし、モデルになったと言われるキスカ島撤退作戦では駆逐艦は敵艦には「遭遇していない」。
これを再現しろというのはさすがに無理だが、後々の艦首縛りマップでもだいたいの場合普通に敵主力とは会敵し、撃破する必要がある。
結局のところ、この「艦種しばり」も「史実」にかこつけたプレイヤー側への一方的なハンデキャップであり、
将棋で言えば飛車角落ち、ひどくすれば金銀桂香全落ち程度にまで行くというのが実情である。
お荷物を抱えれば道中を通過しやすくなりますよ、というのが2-4以降での方針らしいが
自分の好きなキャラクターをお荷物扱いされて気持ちの良い人がいるのだろうか?その辺りの考えが非常に浅い。
駆逐艦縛りや軽巡縛りにすることで事前工作活動を行い、主力攻略を有利に進められるようなシステムであれば良いものだが、
残念ながら現状の『艦これ』の戦闘は操作不能のボーパルバニー連戦モードだけである。
また、重雷装巡洋艦は先手で敵の数を減らすまたは削れるというかなり強い特徴を与えられたのに対し、
航空巡洋艦は非常にその特徴が薄く、いつまでも劣化重巡のまま(そしてその重巡も戦艦の劣化版)である。
申し訳程度に引き上げが入ったものの、早々に"if改造"が適用された雷巡とは違い劣化重巡、ひいては劣化戦艦という色が強く、
専用装備である水上機は2で述べたようにほぼ手に入れる手段が皆無ときている。更に言えば、弱い。
開幕の爆雷攻撃で落とせるのは精々低レベル雑魚駆逐のみであり、更に潜水艦がいれば無意味な攻撃を繰り返すという仕様で
どうもこのあたりから「開発方針を決定する人のお気に入りかそうでないか」という格差を感じるのである。
どうも最近の新規マップを見る限り、開発方針は「ドラム缶でも運んでろ」という事らしいが。
このあたりの艦種縛りに使うために都合よく部分的に引用される「史実」と、
その史実から外れることができる・できないの基準が不明瞭極まる点がプレイしていて非常に不満点として持ち上がってくる、
というか2-4実装までとそれ以降で明らかに設計基準が違うことを感じるのである。
特に後に実装されたものになればなるほど「史実」を使った理不尽なプレイヤーいじめがひどく、
敵は好き放題パワーアップしていくという印象が強い。
0で述べたように艦これの運営はオーバーキャパ状態で回している。大変だと思う。
いつも新規解放などに追われていて、大変そうにしている・・・それはわかる。
が、艦これの運営新実装に関するアナウンスはいい加減で、「かろうじて嘘はついていない」レベルのものが多い。
2で述べた「先行配信」で1年以上、勲章実装時の「持っていたらいいことがあるかも・・・?」からの後出し設計図。
新装備実装の「~するといいことがあるかも?」というような物言い。
元々『艦これ』自体がかなりマスクデータの多いゲームで、プレイヤーは解析でもしない限り情報を与えられないが
(事実として公式に轟沈の発生する条件も未だに伏せられているままである)、その中で公式の物言いが
「ギリギリ嘘ではない」レベルのアナウンスを運営スタッフにさせる点はかなり不誠実な開発方針である。
「運営は大変そうだけど開発からのアナウンスがあまりにも不誠実だよね」という点は間違いなく艦これ運営の問題点だ。
なんとなく維持運営が大変そうなので心情的に同情してしまいがちだが、その影で開発からのアナウンスに関しては
後出しでイベント報酬を追加する、後出しで勲章を重要アイテムにする(うえにリアルタイム縛りにする)、
決して嘘は言っていないというレベルの適当な新装備の説明、先行実装(1年)という装備の出し渋り等、枚挙に暇が無いのである。
twitter上だとアカウントがひとつで巧妙に偽装されている上に、だいたいここらへんの不満を率先して
袋叩きにしにくる憲兵が居るので口が裂けても言えない話なのであるが。
◆まとめ
まとめると、2014年5月現在艦これはアニメ化、グッズ展開、コミック展開等をかけていくに「これから」という時に
肝心のゲーム側の鍍金がボロボロと剥がれ、末期臭を漂わせながらキャラゲーとして楽しんでいる人にまで影を落としつつある。好きなキャラが使えないのだ。
コミカライズやこれから放送されるアニメ、同人誌や関連グッズだけで『艦これ』に触れる人は良いかもしれない。
だが、その一方でゲーム本編ではどんなかわいい新キャラも潜水艦退治かハンデキャップマッチ以外に仕事がなく、
そのキャラが気に入っても全く強くすることはできず、嘲笑うかのように敵は遥かに強いものが出現する。
強い強い深海棲艦に比べあまりに艦娘は貧弱で矮小、無限にリスポーンする敵に対して一度死ねばロストという儚いもの。
肝心のゲーム部分で「艦娘」というキャラクターの価値を落とすようなことをしているのは非常に残念、というのが私の思いである。
「プレイヤーがどんなにキャラクターに愛着を持っても、開発方針がそれをシステムで
徹底的に否定するようなアプデ・イベントを繰り返すのはやめてほしい」、ただそれだけの話だ。
イギリスの第二次世界大戦では金融政策上のスローガンとして「ゆりかごから墓場まで」という
英国の映画監督である、ダニー・ボイルは27時間や、スラムドッグ$ミリオネアを描き
映画、トレインスポッティングの中では、薬まみれの若者に、
と自分たちを対比させ、
「退屈なテレビ、家庭、住宅ローン、最初に買う家、保険、税金控除、
これらをクソだと冒頭で述べる。
その若々しい青さはそのうちに、disappearするのだ。保身、なんとなく生きる人生。
ゴールデンウィークもパーナン。お腹に外人の子を抱えた、風俗嬢(ナンパ)から、
BCGに転職した同級生まで、いろんな人にあった。そんななかで
岩瀬大輔の「ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて」
を読んだ。
ここに出てくる連中はいわゆる過去のケース、成功した人を後からたどったMBAの
ケースであるというよりは、かなりとんがっておかしくなった連中に見えた。
ベンチャースピリットとは路上でナンパすることから、HBA(ハーバードビジネススクール)
を出て、ベンチャーをExitさせることまで、どれもそれは0→1をする、スピリットなのかも
しれない。
タイムマシンの民間利用が開始されてから30年。開発当初の予測とは異なり、
最大3時間前への跳躍が限界で歴史改変は不可能と証明されたこの技術は、
結果的に短期的な事故を回避する手段として急速に普及しました。
人間に重篤な障害をもたらすと警鐘を鳴らしてきました。なぜなら人類は
やり直しのきかない一度きりの人生に対峙することこそが自然な姿であり、
人間が本来持ちうる健全な肉体は宿命たるカルマを受け入れる精神によって
培われるからです。現在の世界的経済停滞も、安易な時間跳躍の跋扈による
真摯さの喪失及び生命力の脆弱化によって引き起こされていると言っても
過言ではありません。
この問題は子ども達の精神、肉体に於いても深刻な影響が懸念されます。
ねじまがった時間の中で生きる子ども達に、真の幸福、真の成長は
訪れるべくもありません。
我々の提唱する、自然な時間をありのまま受け入れるLOMESスタイルは
先日発生した多重跳躍事故の悲劇がこの技術の持つ歪みを浮き彫りにし、
私の親友は女ファンを蔑んだり、軽んじたり、排除の意思を示す言動を繰り返すような輩が跋扈する界隈に趣味を持っている。
私はいくら魅力的なコンテンツでもそんな性差別主義なバカ男どもの私腹を肥やすことはしたくない派だから、毎度毎度彼女の愚痴を聞くのが辛い。
女を落として自分たち男を上げる、卑怯な手段を使っておいて何が高尚な趣味だよ。勘違いしてんじゃねぇよ。
女蔑視でオナニーし合う糞尿男集団とか臭すぎ。一生肥溜めにいろ。地上に出てくんな。
と蹴散らさない彼女が私には惨めで卑屈に思えて、イライラする。本心を打ち明けた方がいいと思うが中々踏ん切りがつかない。
そんなゴミなんてとっとと捨てれば?
派遣をめんどうみたこともあるけど
かわらねーよ。
どこぞのEC事業みたいに値段を嘘ついて割り引いてもいないのに嘘で割り引けみたいな社員が跳梁跋扈するようなモラルの低い会社ならともかく
蜥蜴の尻尾切りで逃げるだろうが、全体的にモラルが低いことはみんな知ってるだろ。
確かにレバレッジかかってるけどよ。
他人にレバレッジをかけてちゃんと育て上げるには、とんでもねー苦労が必要だよ。全部経験だよ。
おまえら、あんなふうになりたくて、あんなふうなのが素晴らしい仕事だっていうのか?
嘘ついて詐欺まがいで他人にレバレッジをかけてるからこんなバカみたいな社会になってるんだろ?