「跋扈」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 跋扈とは

2014-02-16

こういうバカが跋扈するから日本のものづくりはだめになったんだろうなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20140216123641

2013-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20131202174533

選り好みもヘッタクレも、ブラック企業跋扈する昨今、

これよく言うんだけどさぁ、実際、30年前と比べて実際に「ブラック」な企業って増えてるのか?

30年前なんてホント奴隷みたいに使われてた奴だって目に見える様に居たのに。

最近、そういうレベル人間の「声」がでかくなっただけな気がしないでもないんだけど。

そういうレベル人間無駄大学にいけちゃって「大卒」だからきちんとしてる、と言ってるだけな気がしないでもないんだけど。

終身雇用たって、今と昔でそんな違うのか?ホント統計的に違うのか?正しく、全てのレベルの人を見た場合に。

確かに景気も違って、バブル期には何の能力がないやつでも工事現場に飛び込みで行って1日数万のしごとにありつけた、とかホントにあったみたいだけど、

からといってその頃に比べてホントに「ブラック企業が増えたかどうか、ってのが甚だ疑問。

少なくともここバブル終わってからってんなら90年代からあったわけだし、ここ数年で急にどうこう言い出してるのは単にそういう声が聞こえてくるようになっただけだからな。

から今も昔も変わらんのに。

http://anond.hatelabo.jp/20131202171351

選り好みもヘッタクレも、ブラック企業跋扈する昨今、きちんとした待遇のある会社を狙わないと将来困ることになるのは自分だろ。昔と違って今時の企業終身雇用なんてしてくれないんだから、稼げる時に稼げるだけ稼いでおかないと洒落抜きで首くくることになる。そしてそういう所が安定しているとなると必然的にそれなりの規模の企業になる訳で。

あとこの手の話題になると必ず介護ガーと言い出すバカが湧いてくるんだが、そう煽れっていうガイドラインでもあるのかね。

介護根本的に業種としてはかなり特殊で、適応できる場合とできない場合の差が激しい。

人をかき集めればなんとかなるような業種ではない。だから人が足りないんだよ。

人が集まらない所というのは人が集まらないだけの理由がある。

かい企業が維持できているのもそれなりの理由がある。

ただ学生ブランド志向だけ叩けばいいってもんじゃない。

2013-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20131127123908

普段まったく興味を示してくれない相手の興味を引くためには、恐怖を煽るのが一番簡単な方法だというのは判る。

だけれど正直言ってこの手の話には、恐怖を煽りたいあまりに「嘘・大袈裟・紛らわしい」が跋扈しているというのが個人的な観測

昔はそういうことをやる人間は「ホラ吹き」として早晩相手にされなくなるため話が出てきづらかったんだろうが、

ネットが普及してそういう査読をすっ飛ばせるようになったせいか表に出てくるようになってる印象があるなあ。

そしてホラ吹きだと片付けてもらえればまだいいが、なまじっか地位のある人間がやるもんだから信者」が生まれて派閥化するという病的な展開をするんだよなあ…

2013-10-05

僕とAV女優になりかけた人のちょっと奇妙な思い出話

僕は昔、AV女優になりかけた人とちょっとした非日常出会いをした事がある。

といっても実際には会った事はなくて、ボイチャで何度か話した以外はチャットメールでのやり取りだけなんだけどね。

さっき仕事から帰って嫁の飯食ってタバコ吸ってたら急に思い出したから、なんかモヤモヤしたので文字におこしたくなった。

実際に運営しているブログに書いたら色々とアレなんでココに書いておこうかなと思って書いてみた。

暇なひとは適当に読み流してくれ。

話だいたい7か8年前くらいになる。昔、大学生だった僕はとあるネトゲファンサイトを運営していてちょっとした人気があった。

運営している中で色々な人に出会ったんだけど、その中でもAV女優になりかけた女性との出会いは衝撃的で忘れられない。

最初は「ホームページ見てます!」みたいな感じでメールをくれた彼女。仮にA子とでもしておこうか。

当時この手のメールがわんさか来てたかぶっちゃけ辟易してたのだけど、彼女が本当に女性で、しかもHが出来る年頃とわかるや否や下心全開でメールやらチャットやら色々とアクションをかけていた。

因みにこの時、僕にはリアル彼女がいました。

アホ過ぎる僕。反省しろ僕。反省してます

僕の残念さはおいおいて。そんな感じでチンコおったててチャットやらボイチャしているある日、なぜか話は人生相談へ。

おいおいこれは僕に慰めて欲しいって事なのかな!? ktkr!!」

とアホが有頂天に達したとき、A子の身の上話が始まった。

それを聞いているうちに僕のチンコはおっ立つどころか、しおしおと萎れていった。

A子は幼い頃、頻繁に性的虐待を受けていて、もう子供を生めない程に子宮ボロボロになっているということ。

そんな事があってか、中学高校は荒れに荒れた事。

暴走族とつるみ、そこでも散々レイプされてボロボロにされてしまった事。

その後はなんとか立ち直り、改心して容姿を生かしてモデル業を目指すも売れず、会社でもいじめにあっていること。

挙げ句の果てには勝手AVの企画ものに組み込まれそうになり、監督をひっぱたいて事務所を飛び出した事。

その他いろいろエグい事満載。

かいつまんだだけでもこの有様。

普通の家庭に生まれて普通に育った僕には、とても同じ日本にいるとは思えない凄惨過去彼女は話してくれた。

もちろん嘘かもしれない。

今なら「釣られクマーwww」とか笑われるかもしれない。

でも僕には嘘には聞こえなかった。

彼女の悲痛な叫びに聞こえた。

まぁそれでも半信半疑だったんだけど、A子の友達だというAV女優Webカメラ越しにボイチャをしてしまった時、真実だということを確信してしまった。

いやだって日頃お世話になってる方だもの

情けない話だが真偽なんて一目でわかる。

いやマジでビビった。

このときばかりは幸運と思うどころかリアルに「神よ……」とか嘆いた事を覚えている。

チャットが終わったとき自分のアホさにとことん嫌になって、壁に床に頭をぶつけまくって部屋で一人で泣いてた。

子供の頃から男の欲望に身も心もボロボロにされて、それでも頑張って立ち直っていじめにも負けず夢を追うA子。

男性不信になるどころか、見ず知らずの男の僕にサイト運営を頑張って下さいとエールをくれたわけだ。

そんなA子に僕は出会ってから数ヶ月間、彼女チンコを突き立てる事しか考えていなかったのだ。

知らなかった事とはいえ、僕はなんて愚かなんだろう。

「こんなゴミクズ野郎はさっさと死んじまえ!」

……と何日か断食まがいな事をして大学サークルも行かずリアル彼女とも連絡を取らず部屋に籠った事がある。

流石にこの時は心配されて友人達に部屋凸された末、救出された。

A子がなんで身の上話をしてくれたかというと、どうも重い病気を患っているようで、手術をするか迷っているそうだ。

現代医学では何とかなるようなものらしいけど、放っておけば手に負えなくなり死に至るものらしい。

「いやいやいや! さっさと手術しろよ!」と言ったんだけど、A子は「もう生きるのに疲れちゃったからこのまま死のうかな」と笑っていた。

僕はここで迷った。

簡単に「生きろ!」とは言えるかもしれないけれども、果たしてそれがA子にとって本当に良い事なのだろうかって。

無責任に言っても彼女を苦しめるだけなんじゃないかなって思った。

でもA子は僕にコンタクトを取った時点で、本当は生きたいと思っていたんだとも思えた。

子供もできないし、女としての意味も無い。男に汚されてボロ雑巾みたいな女」と笑って言うけど、誰かに生きていて良いと救いを求めたんだと思う。

数日間考えて考えて考えて、うーんと考えて、やっぱり生きてた方がいいと思ったので僕はなんとか手術するように説得をし始めた。

この頃は情けないことにボイチャする事が怖くて全部文字のみのチャットだったんだけど、一言一句全てに魂を込めた。

彼女に生きて欲しいという一心で。

僕は文字を打ち続けた。

結果、彼女は手術を決断した。

何ヶ月かの闘病生活を乗り越えて、彼女はなんとか病気を克服した。

その間、彼女は僕と同じく相談に乗っていた職場男性と恋に落ちたらしく、数ヶ月後に結婚

今は幸せ生活を贈っているらしい。

その後はメールのやりとりもチャットのやりとりも自然に少なくなった。

そりゃあ新婚さんだもの。別の男とチャットしていれば夫の方に迷惑がかかる。

そのくらいはアホの僕だってわかる。

少なくなった事に一抹の寂しさも感じたけれど、同時に僕は彼女が着実に幸せを掴んでいる事に満足だった。

因みにこの顛末を僕は全てリアル彼女に話した。

土下座スタイルの僕の顔面をサッカーボールキックが襲ったけど、なんとか許してもらえた。

そんなリアル彼女は数年前僕の嫁になり、今は横で漫画を読んで爆笑している。

今振り返るとあれは何だったんだろうと思う。

僕がしたことは見知らぬ女性勃起して、ドン引きして、ただ励ましただけだ。

話も未だに信じられない部分があるし、正直嘘であってほしい。

話を盛っているとしてもだ。

もし真実だとしたら今の日本薄氷の上に皆が生きていて、その下には悪鬼羅刹が跋扈する地獄なんだなと思える事がある。

エロ同人の過激な陵辱ものも、ウシジマ君のような世界も、もしかしたら日本の至る所で起こる不幸を蒸留したものなのかもしれない。

考えただけで恐ろしい。

からこそ僕は頑張って、一人前に仕事をしてちょっとくらい残業でキツくても嫁を守らなければならない。

悲惨な目にあっても立ち直り、夢を追って幸せを掴んだA子を思えば僕はなんでもできる。

から頑張る。

書いているうちにタバコが終わった。

ここらへんで終わりにする。

雑に書いてごめんなさい。

最後まで読んでくれてありがとう

もちろんこれは本当の話。

ホラ話と思われても仕方が無いけど、俺も未だに信じられない。

ほんと、色々あるなぁ。人生って。

2013-09-27

あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね

飯のネタが完全にマンネリになったので、ずっと敬遠していた地元の謎の蕎麦屋に入ってみた。僕の地元と言えばまともに食える飯屋がほとんどなく、常にチェーン店頼みになる。しかしそのチェーン店もよくぞここまで雑魚キャラを集結させたなと思えるほどの逆オールスターっぷりであり、中華のなんとかとかいう店が我が物顔で幅を利かせている有様だ。

またなぜか同じジャンルの店が半径100m以内に密集しており、パスタ屋は三軒ある。どれもどうでもいい味だが、その中でもジョリーパスタは確実にいらないだろう。

そんな訳で僕の地元でご飯を食べようと思ったらその度に頭を悩ませ、またその度にあまりの使えるカードの少なさに呆然とするのは必定である。僕はこの不毛地帯に16年も住んでいる。おまけに今はニートなのでもはや発狂寸前だ。

蕎麦屋に入店した時点で店内最年少が僕であるのは明白であった。じじばばどもが跋扈する店に小僧っ子が一人入ったことにより、緊張が走る。僕はこの店の均衡を崩したイレギュラーだ。ただの素人が紛れ込んできただけなのか、それとも相当の手練れか。じじばばどもの目が光る。そんな殺気を感じながらも、何食わぬ顔で着席する。

店を見渡し、唯一仲間にできそうなのは一人黙々と丼ものをかっこんでいる恰幅のいいOLだ。しかしよく見てみるとOLは丼もののセットを頼んでおり、前屈みになりつつ蕎麦大事そうに抱え込んでいた。全神経を食事に捧げようとするその態度には見習うべきところがある。もはや僕がつけ入る隙はないように思われた。

このような八方塞がりの中、おまけにこちとら睡眠不足で両手が小刻みに震えるというコンディションである。流れは完全に店側にあった。「焦るんじゃない。店の空気にのまれるな」。脳内五郎が唸る。戦況は明らかに不利だ。しかもよく見たら僕の半ズボンのポケットには穴が空いている。これだからニートダメだ。

店員がやってきたので、動揺を悟られぬよう、焦らずに「もり」とコール。小慣れた感じを気取って「もり」とだけ注文してみたのだが「もりそばですね?」などと確認をされてしまい、向こうはこちらの心情は全てお見通しだとでも言わんばかりの貫禄だ。

しばらく待ったのちに蕎麦が運ばれてくる。出てきた蕎麦はしっかりとおいしかった。常に両腕が震えていた為、薬味などは箸に挟まれつつプルプルとよく分からない動きをとったりしていたが、僕もなんとか奮闘した。完食である。たまに鼻の奥を突くそばの香りに、少しぜいたくな気分になった。こういう店もいいじゃないか。また来よう。

店を出るとお昼休みが終わったのか、スーツ姿の人達がいそいそとどこかへ歩いていく。頑張れ、と僕は心の中でエールを送る。俺もいつか大物になろう。満足気な気分に浸りながら家路につき、僕はリビングのテーブルに昼食代のお釣りを置いて、部屋のドアを閉めた。さぁ、これからどんな出来事が俺を待っている。どんなドキドキやワクワクが。そう考えると僕はいだって少年に戻れるのだ。

2013-09-20

空き家問題って、まだまだ業者の狩場なんだよな

まだ表面化してないから良いけどさ、

そのうちリフォーム詐欺と同じく社会問題になるだろうから愚痴らせてくれよ

空き家」って、要は「住宅として価値の無い土地」と同義だから

まず、「空き家」の整理から

自治体が頭抱えてる「空き家」は、所有者が何するつもりもなく放置されてる家な。

賃貸に出すとかじゃなくて、そもそも放置してる。完全なあばら屋。

不動産屋がなんかしようとする「空き家」ってのは、所有者は貸す意志だけはあるけど、

馬鹿から値段下げてないヤツな。建て替えるカネがないとかも同じ。

これって、完全に別物だから

一緒にするとややこしいから、「放棄家」と「空き家」って呼ぶな。

放棄家」の問題から

まず簡単な方からな。

一人暮らしジジイがボヤだして、老人ホームに突っ込まれたとするな。

まあ、日本は豊かで医療技術も恐ろしく高度だから、ハッキリ言ってなかなか死なねえ。

すると、その爺が額に汗して働いてやっとこ建てたマイホームってやつは、空き家になる。

老人ホームに突っ込まれるくらいだ。

子供が居ても没交渉だったり、まあフツーは子供にも子供(孫な)がいて、そっちも別にマイホーム建ててる。

するとだ、

「ワシの家だ!」とかジジイ血圧上げなくても、フツーは維持する。そもそも相続してねえし。

つうか、放置されるわけだな。十年単位で。

ハッピーなケース

んで、ある日ジジイが天寿を全うする。喜寿も超えてりゃ大往生だ。

するってえとだ、30で建てて50でちょいと手直しして、そっから20年近くたったボロ屋が残るわけだ。

繰り返しになるが、相続する子供ってのはこの時点ですでに「自分の家」ってのを持ってるのがフツーだ。

するとどうなるか。

駅近だったり都心だったりするとだ、そもそも爺が死ぬから不動産屋だのデベロッパーだのが日参してる。

土地活用じゃなくて、売ってくれって言ってくるわけだわな。

面倒だろう俺らが全部やるから金に変えちまえよ使い勝手いいぜ金、と言うわけ。

まあ嘘じゃない。

当たるとはかぎらねえし、素人が下手に手を出してやけどするよりゃエエがな。

これはまあ、言って見れば土地新陳代謝ってやつで、ジジイと一緒に輪廻転生するというわけだな。

こりゃ問題ない。というか、実にハッピーなケースだ。

アンハッピーなケース

で、だ。

アンハッピーだとどうなるかっていうと、これがどうにもならない。

ボロ屋はある。潰すにゃカネがかかる。さら固定資産税は6倍に跳ね上がる。

「は?お義父さんのボロ屋、解体お金かけた上に、今2万の固定資産税12万になるの!?更地にするって馬鹿じゃないの!!」

まったくもってごもっとも。

馬鹿しか更地にしねえんだわ。ご近所の目?そもそも住んでねえし。

んでまー、こういう場合でも子供世間体を気にしたり、真っ当に相続してりゃまだやりようもある。

近所が不安がるし解体費用は出すから潰してくんね?と役所から人が来りゃ善処はするわな。

じゃあ、ジジイとムスコの関係がアンハッピーだとどうなるか。

複雑な相続関係とか、そもそも何処住んでるか判らねえとか、3人が均等に相続してたりとか。

こういうのにぶち当たるとだ、もうしちめんどくせえから生活笑百科仁鶴師匠にまあるく収めてもらえ

って言いたくなるくらい人生機微を堪能できる。

(つうか、価値の無い土地寄付を役所が受け付けてねえのが問題だと思うんだがな)

続いては「空き家」の問題

こりゃまあ、実は放棄家とも絡みがあるんだが、結局値付けするのが素人なんだわ。

住宅市場って、海千山千不動産屋が跋扈する魑魅魍魎世界だと思ってるだろ?

マンションだの地上げだの、新幹線が通るので原野を買いませんかなんてのはその通りだ。原野には手を出すな。

でもなー、サラリーマン大家代表するように「大家」ってのは、「素人」なんだわ。

不動産売買でも、こすっからプロのやるところってのは、流通もすりゃ売れもする。

そもそも金額がでけえからヤラカシたら潰れるわけだ。

でもな、「おやじ土地相続した」なんてボンボン不動産素人だが、値付けはこいつがする。

不動産屋もほっとく。

なんでかって?広告載せんのにちっとばかりお駄賃もらえるからだ。

バカがバカな値付けでバカったけえ家賃をだぼらに載せてるとだ、手数料がいただけるわけです。

売買も同じ、な。

ハッピーなケース

そりゃあ固定資産税もかかるわ昔住んでた思い入れはあるわって三丁目の夕日ばりの思い出の家が、

しろウワモノ分マイナスになるから300万円ですって言われてハイそうですかと手放せるクレバーガイばっかりじゃねえ。

まあ、まだ売れる土地ならやりようもある。

ちっとばかり素人値付けに付き合って、ぼちぼち焦れてきたアタリで買い手に「こりゃ交渉すりゃ下がりますって」って言いつつ

段階的に値段を下げさせる。結局、フツーの値付けに落ち着いてまあまあ値引きさせつつ円満に取引を完了する。

賃貸も同じだあな。

そこそこ近所と同じ家賃になって埋まるってのがフツーのケースだ。

アンハッピーなケース

誰がそのアパートに住むんだ仕事もねえのにか?

って処にアパート建てちまったりするとだ、まー不幸だな。

まあでもこりゃ判りやすい方のアンハッピーからまだ判る。

建てちまった農家ジジイだってわかってんだ。自分地方が衰退してるなんてのは。

イオンもこなけりゃ新幹線も素通りだ。

電気もある、ガスもある、車もそこそこ走ってる。仕事は1人に1つねえ。

こりゃまあ宿命だ。

じゃあなにが判り難いかって言うとだ。

塩漬けだ。

バブル土地が高かった。あの頃の値段を覚えてると、まー手放さねえな。

しかもだ、たまには成立する。大抵賃貸だが。

すると値段は下がらんな。

しかも、前述のとおり不動産屋は別に成約しなくても困らなねえ。

どうせ人気のあるトコはちゃんと動きがあって手数料が発生するし。

意固地になった素人は、自分の値付けを改めねえよ。

閑話休題で、価格の話

よく、地価が下がれば家賃も下がるから家買っても借りてもおんなじだって話あるだろ。

あれはまあだいたいあってるけど、時差がある。

家賃ってのは、なかなか上がったり下がったりしねえんだわ。

液状化で販売価格がずどーんて下がっても、家賃はあんま下がんねえ。

これは、家の販売価格相場賃貸相場意味合いの差がデカイ。

販売価格相場ってのは、成約価格に左右される。基本的に過去の値段は関係ねえ。今が重要

もちろん賃貸相場だって今が重要だよ?

でもな、おんなじ間取り同じアパートで値段が極端に変わったりは、まあしねえ。

既にその家賃で借りてる奴が居るってのは結構強力な意味を持つ。

業者の狩場たる、「空き家」問題

相場にゃ今が重要って話したな。

売買においては、それは絶対だ。

でもな、その話を素人はききゃしねえ。

3年前に2000万でマンションが売れたって聞きゃ、同じ値段で売りたいと思うのが人情だ。

でもな、お前のマンションより駅近に2500万の新築マンション建っただろ?だれが買うんだその中古

かくて新しもの好きのハッピーアツアツ新婚家庭は新築を求め、微妙中古売れ残り空き家が問題と相成りました。

結婚指輪質屋で買って新婚旅行熱海に行った家庭だけが石を投げよ。

否定はしねえよ。中古ランドセルを買う親は賢いんだろうが、子供の心にシコリは残る。

そのシコリは単なる幻想だが、幻想ってのは集団圧力が形作る。

そして、新築住宅ってのは一定以上の需要がある。便利な土地にゃ限りがあるが、古い建物は取り壊せる。

正直、「土地」は減る

ま、土地は減らねえな。

不動産屋にとって「土地」と呼べる「土地」が減るんだわ。

判りやすく言い直そうか。

昭和の半ば、日本住宅公団って皮を被った国が、地方出の労働者のために家を大量に作った。

団地妻ってのは、憧れの象徴だったんだよ。団地を買ってマイカー持ってるお父ちゃんってのは、誇りだった。

まり、今は見る影もないあの大量の公団住宅は、その当時はまさに素晴らしい「土地」だった。

そりゃ、出稼ぎよりも楽だし、ガード下よりゃ快適だ。

郊外マイホームだって同じだ。

そこは(通勤は大変だが)人が住みたがる素晴らしい「土地」だった。

労働者はあふれてたし、サラリーマンもあふれてたからな。

んじゃ、今はどうだ?

かくて「狩場」は誕生する

50人しか住めないマンション100人が応募すりゃ、価格は高騰してアタリマエだ。

でも、50人も住めるマンションに30人しか応募しなけりゃ、人気のない部屋には価格は付かない。

だって20部屋余るんだもの

でも、マンションの不人気部屋20オーナーは、そんなことは判らない。

というかだ、判っても認めない、認めても言わない、言っても聞かない。

そんなところに現れる「いま空き家リノベーションして若者向けの物件にすれ(以下略)」って業者だ。

おお、ウチの物件はそこが足りんかったのか!

と、まー、ローンを組んで改装ちゃうわけだな。

いまはいいよ。

不便を楽しむみたいなモノ好き多いから。

すきま風のある和風な佇まいってのは、人気がある。蚊帳つっちゃったりな。

ただなー、これ、お大尽遊びなんだよな。

そんな世の中儲かってるデザイナーだのウェブクリエイターだのではあふれてねえよ?

どーしよーもねー土地にある空き家は、どう作り替えたってどうしよーもねー土地に立つ物件になるよ?

長い愚痴をまとめる

使い道のある「土地」に建つ「ボロ家」は、業者が狩り尽くすから存在しねえ。

使い道のない「土地」に建つ「ボロ家」は、使い道がねえ。

それは「空き家」をどう活用するかじゃねえ。「土地」をどうするかって話だ。

んでもって、人が減るってことは、「便利な土地」の基準が上がるってことだ。

「不便な土地」の自覚があるなら、「空き家」をどう活用したって無駄だ。ローンは組むな。

(まあ、役所が土地寄付を嫌がるのが問題だと思うんだよな。法律整備しろよ)

2013-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20130910122326

人間を信じることが出来るのは、恵まれた人だけだ。

 

貧困国の話を聞けばいい、泥棒が跳梁跋扈しているから、他人の事なんて信じない。人を見たら泥棒と思え。という世界だ。

まり人間を信じることが出来るという事自体が、裕福な世界に生まれたという事だ。

騙されれば、騙されるほと人は他人を信じなくなる。

 

昔は、製品に100の能力が有るといえば実際は110ぐらいあって、悪くても100ぐらいでた。今は 最大性能で100で平均90とかで

下手をすれば 小さな文字で 論理的数字です=実際は出ません。 みたいな世界になっている。

 

こんなに、虚飾にまみれた世界で、人を信じろという方がどうにかしている。

世界はどんどん、信用出来ない、より嘘をついたほうがより売れる世界へと移行しているじゃないか

 

だって、他人を信じたいさ。でも、見る限り、どうやって人を信じるんだよ。

2013-09-08

東京五輪反対論」の話

2020年オリンピックパラリンピック開催地東京に決まった。決戦投票では97票中60票を獲得する大差での当選だったようだ。

はてブでもこのニュースは注目されているようで、今朝からずっと東京五輪決定を報じるNHKニューストップエントリーを飾っている。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20130908/k10014372361000.html

ブコメを眺めてみよう。ポジティブに捉えるコメントネガティブコメントが両方見られる。テレビメディアニュースサイトが祝賀ムードを漂わせていても、喜んでない人が相当数いる。実にはてならしい反応で、ぼくは大好きである

さて、記事タイトルで「反対論」などと銘打ってしまったが、ぼく自身は東京五輪に反対ではない。準備に伴う再開発公安強化のやり方に関して各論反対はしたくなるかもしれないが、地方民のぼくは東京五輪自体に反対する直接の理由はない。

というのも、この五輪開催、最も利益を被るのも、最も不利益は被るのも、東京であるからだ。(日本全体としては財政悪化の懸念があるが、それを補うだけの経済効果はあるだろう。利益の方が大きいと予想する。) ぼくは地方にいる限り、直接的な影響を受けることは無いだろう。

からこそ書きたいのは、上記のブクマで多く見られるネガティブコメント及び東京五輪反対論」は、特別異常でも無ければ、必ずしも斜に構えている訳でもない、十分理解できる反応ではないか、ということだ。

東京五輪開催決定のニュース福音である可能性が高い一方、痛みを被る人間を発生させることも確実だ。(特に東京には多いだろう。) その層の人間がこのニュース不快感を示すのは当然のことだし、場合によっては恨み言になるのも多少は理解すべきであろう。

また、地方民でも何らかの形で、経済的または社会的精神的な不利益を被る人はいるだろう。それも不思議ではない。

ただ、一部に日本の開催能力を疑問視するコメントがあったが、この意見に関しては私は否定的である

開催能力と言う点では、日本東京は最も安定して信頼できる候補だったのではないかと私は予想している。(というか、開催能力は十分あるだろうと評価されたからこそ当選した訳だし。)

問題となるとしたら、それは、“能力”では無く、“不利益の皺寄せ”であろう。

とりあえず望むのは、「こんな楽しいムードに水を差すのは非国民」みたいな言説が跋扈しないこと。そして、不利益の極端な皺寄せがどうか行われないように、ということである

そして願わくば、現時点でネガティブな印象を持っている人、「反対論」を唱えてる人でも楽しめる、誰も予想できなかったような東京五輪になればいいなと思う。

2013-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20130822195550

鉄道趣味世界でも、宮脇俊三ストレートに回顧趣味に走っていたのに対し、

川島令三

鉄道回顧趣味人跋扈は、『鉄道過去の遺産であり、滅びいく技術』との

 偏見世間に植え付けてしまう」と批判していたなあ。

個人的には、名所旧跡中心の地方観光スポットの取り上げ方が、

余計に「地方は遅れている」という偏見助長していると思う。

「●●城跡」とか「作家●●の旧宅」なんかの観光スポットは、もういいよ。

そんなんより「日本最大級の●●ダム」とか「●●コンビナート工場夜景」とか

世界最新鋭の●●工場」のような最先端観光を育てる方がいい。

2013-07-22

参院選投票率が52%と聞いて

有権者の1/2が投票に行かなかったということになりますね。100人組織だったら、48人は投票に行っていない。それってどうなんでしょう。

当然投票率世代差、地域差というのはあるものと思う。特段の事情があり、投票所に行けないというケースもあるかもしれない。上京した学生住民票実家に残したままで投票できないことがあるかもしれない。

しかしながら、二人に一人が投票しない状況というのはいかがなものでしょう。いくらなんでも変じゃないですか?道行く人10人とすれ違ったらそのうち5人は投票していない。

世の中に対する関心が極端に欠如しているのか。特定の候補者擁立しているような組織所属していないので投票先が決められないのか。それとも選挙という制度を理解していないのか。

いずれにしても初等教育の段階で、現代普通選挙権利であると散々刷り込まれてきたことだろうに、どうして投票しないのでしょう。

共感できる政策がないのだったら一番ましなところに投票すればいいじゃない。共感できない人が当選しないように違う人に投票して抗うのもいいじゃない。

今回の選挙特に気になる候補者がいて、動向を見ていたのですが、結局知名度が勝る候補者に敗れてしまった。

結局のところ全体の利益というものを理解できない人が多い(利益は人それぞれでしょうけど)。投票しないのは論外として泡沫候補面白半分で入れたり、知名度で選んでどうするの?そういう無思考状態の輩が跋扈する状況ってどうなんでしょう。

想像以上に何も考えずに生きている層がいるんだなと感じた。もう制限選挙にしてもいいよ。

職業、居住地、学歴などのセグメント情報投票状況を紐づけたらおもしろい結果が出そうで気になる。結局政治しろ経済しろ大部分はフリーライダーなんでしょうね。

ともあれネット選挙が解禁されたりと少しだけ情報オープン化されておもしろかった。

2013-06-22

頭が痛い → 努力の仕方が馬鹿

幽霊を信じている → 右翼だの左翼だのゴチャゴチャうるさい

アゲハチョウ → いい加減に国は精神異常者を街中に跋扈させろ

否定するだけで代案出さない奴 → 株価だの円相場だの言って野菜様は育つのかねえ

サインボルト不調説 → ソースコードを捨て、街に出かけよう

杏 → トラトラトラ

明日にしよう → 炭酸飲料価値が無いとは誰が言ったんだソース出せよ

2013-06-17

名前を付けるということ:在特会レイシストしばき隊

在特会レイシストしばき隊デモカウンターデモが激化していましたがついに双方に逮捕者がでましたね。

両方とも共感できないのでどうでもいいです。平和日本のため潰し合ってフェードアウトして下さい。

で、名前だ。

在特会は正式名『在日特権を許さない市民の会

レイシストしばき隊は『レイシストしばき隊』のまま。

双方ともストレートなネーミングですね。

在特会について

今言われている在日特権については都合のいいように使われてはいるところがあるものの、過去彼らが受けた不当な差別を是正するためには必要ものである部分は否めません。

なので本当に特権と言えるか僕は疑問です。通名でなく本名普通に生活できることが一番の幸せでしょうからね。

なので在日特権を許さないという在特会名前も、彼らのやってることも共感出来ません。

レイシストしばき隊について

まず『レイシスト

これは彼らにとって「新大久保鶴橋デモやってるネトウヨ」でしょうかね?

「いや違う」って言われそうですが外野からはそう見えます。そして「なんだこいつらもネトウヨレイシストというカテゴリーに入れて攻撃してんじゃん。差別じゃん」って感じです。

次、『しばき隊

しばきは関西でよく言う「しばくぞコラ」のしばくですね。

本人たちは非暴力を掲げてるつもりみたいですが非常に暴力的な名前です。

隊は「~したい」という願望の表現集団である「隊」をかけてるんですね。ダジャレです。寒いです。

なのでこの「レイシストしばき隊からはふざけ半分で差別的かつ暴力的な行為を行う集団という印象を受けます

はい、もちろん共感出来ません。

今後在特会に関するマスコミ報道で僕が注目しているのは『市民団体』という言葉がどう使われるか?ってとこです。

市民団体』って【決まりはありませんが】左翼に使われることの多い言葉ですね。

しか在特会は『在日特権を許さない市民の会』です。

あれ?極右レイシスト市民団体になりますね。

ここでマスコミが「在特会を名乗る右翼グループが」というと、『市民団体』とは左翼のためにある言葉と暗に認めてしまます

そうなると左翼に対しての見方が厳しくなりつつある昨今他の「市民団体って言われるところはやっぱ左翼だね、胡散臭いね」ってより多くの人が思っちゃうんじゃないかな。

逆に『市民団体』と言うと「ほれみろ市民団体なんて胡散臭い連中ばっかだ」ってなっちゃます

そんなわけで名前に関しては在特会のほうが一枚上手です。

名前だけなら『何らかの政治思想のある団体VSチンピラ』です。

まぁどうでもいいのには変わりないので平和日本のため潰し合ってフェードアウトして下さいと重ねてお願い申し上げます

さて

「うるせーよこのノンポリ野郎の卑怯者!」って声も聞こえてきそうですね。

なんで僕の立ち位置はどこかと言っておきましょう。

レイシストネトウヨではない保守より』といったところです。

韓国日本に対する行為ははっきり言ってウザいです。

かの国と戦争はしたくないけどテキトー経済破綻で自滅してくれんかなって感じです。

それとかつて左翼の活動にがっかりした経験もあるからです。

僕もロックが好きで10代の頃は反体制の思想にかぶれたこともありますよ。

でもね、日本カウンターの皆さんを知れば知るほど「ダセェwww」って思っちゃったんですよね。

崇高な思想を掲げていた学生運動のはずが内輪もめで別れてお互いしばきあってねぇ、挙句の果てはテロリストですよ。

何やってんだか。

当時金も時間もあった裕福なボンボン青春だったんですね。

流行りの学生運動やってりゃ女とヤレるなんて不純な人もいっぱいいたでしょうね、青春ですから

そのうちの多くの人は学生が終わると同時に体制側に吸収され日本の発展のため身を粉にして働いたんですね。

ありがとうございます。ご苦労様でした。

やめなかった皆さん

僕の通ってた大学にもその残党と残党に捕まった若者が沢山いらっしゃいました。

彼らは僕が10年前でも「闘争」「革命」「団結」と威勢のいいタテカンキャンパスのアチラコチラに設置し、折にふれてコート、白ヘル、ゲバ棒伝統的装束に身を包み、正門で難しい言葉で僕のような意識の低い学生説教を説いていました。

「立ち上がれ」と

つの時代だよwwwwwwwww草生えるわ。

僕は思いましたね

「あーーーこの人達まだ青春を続けているんだ」

他にも某音楽グループ所属していた時に知らず知らず左翼的な活動に引きこまれたこともありました。

グループにその色が濃くなった時僕を含むメンバーは逃げましたね。ついていけないもの

そして震災以降の左翼の皆さんの跳梁跋扈

反原発運動最初は支持してたんですけどね、彼らの色が濃くなって離れました。

「そうか、反原発は名も無き個人の声を届けるものから左翼の新しい戦いの場にシフトしたんだね、ああ、止まっていた彼らの時間がまた動き出した。青春は終わっていなかったんだな。彼らの瞳を見ろ、青春の喜びでキラキラと濁ってる」

やり方も相変わらずですね。

敵認定をしたもの屈辱的な名前をつけ悪いイメージをつけ己の行為正義とする。

過激なパフォーマンスの先鋭化。

ついていけなかった人々にそっぽを向かれ、支持しいたはずのその人達にすら石を投げる。

そして待っているのは蛸壺化カルト地下活動に精を出す日々でしょう。学生運動からの40年で何も学んでない。

まぁ時間が止まっていた人達からしょうがいか

しかしまレイシストしばき隊のやることは火に油を注ぐことしかやってないでですね。

こないだのノイホイのベンツ突入

本人はそれで低収入ネトウヨ屈辱を与えたかったそうですがそれで「悔しい!負けた!」なんてなるはずありません。

日本右翼化は悪化する日韓関係が占める部分が大きいです。

しかしね、これがどんどん大きくなっていく背景ってのは確実に不況なんですよ。

ドイツ若者の間でネオナチが支持されトルコ移民迫害された事がありましたね。

それとまったく一緒です。金持ち喧嘩せずってのは真理ですよ。

そしてレイシストネトウヨという言葉

本当に在特会の活動を封じ込めたかったら使うべきではなかったですね。これを使うことで『レイシストネトウヨ在特会』の構図ができちゃった。

でもね、今韓国への悪感情は多くの普通人達にもジワジワと広がってるわけですよ。

そんな時に上の構図ができると

「俺は中国韓国も嫌いだけど在特会じゃないかネトウヨでもレイシストでもねぇよ。」って解釈が成立しちゃうんですね。

はい、もちろん僕もそれですよ。

本当にこの問題を解決しようと思うなら『レイシストネトウヨ在特会』の構図はフェンスの向こうの外野を作った悪手。大失敗だと思います

世論を形成しているのは大多数の問題意識意識の低い普通の人、つまり外野の人ですからね。

そういう人を味方に付けマジョリティになり勝利するってのは選民意識たかエリートさんには何十年たっても学ぶことができなかったようです。

意識プライドも高ぇっすね。あべのハルカスもびっくりです。

さて、長々と書きました。

在特会の皆さん、韓国も眼中になくなるくらいお給料増えていい暮らしできるようになればいいですね。

僕も給料安いっす。

頑張れアベノミクス

レイシストしばき隊のみなさん、言葉センスもっと磨きましょうね。

大丈夫知的エリート文化人がたくさんいるあなた達ならできるわ。

そして3度めになります

在特会の皆さん、レイシストしばき隊の皆さん、これからも元気に潰し合いより一層のフェードアウトを期待します。

では、さようなら

2013-05-22

いつなんどきでも乙武さんをかかえてあげられるバリアフリー飲食店以外営業禁止になったら

外食の値段が夢の国基準かそれ以上になり

テイクアウトレンタルスペース、人材派遣を組み合わせた

脱法飲食店跋扈したりして

それはそれで面白そう

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-04-29

ネトウヨがはびこるのはサヨクオルグをさぼっているか

在特会などで暴れる人を輩出しているのは、自由競争社会でとくに優れた点はないとして選別されず、かつ弱者救済のセーフティネットからも緊急を要しない救済対象とされ選別されない、二重の意味で選別から漏れた層なのだよね。

弱いけど自分の足で立ち上がれる、とみなされ放置されてる(白タグ弱者)けど、立ち上がり方はわからず、教えてももらえない。「緊急を要する弱者(赤タグ弱者からみたらそれは甘えだ!」と断罪するのはかんたんだけど、当事者にとってみれば苦しいことに変わりはないよね。

20世紀左翼はこういう層(白タグ弱者)に対して「君らは救われる者ではなく救う者なのだ」とかいうてオルグをかけ、自信と存在価値を与えることで手っ取り早く救済し、さらには自陣営の裾野を広げる、ということをやってきたのだが。

現在サヨク在日コリアンや、米軍基地周辺住民などのメディア写りの良い弱者ばかりに赤タグを出してリソースを集中し、この層に対しては白タグ放置したり、さらには「何も行動しないのは邪魔しているのと同じ」としてわざわざ敵に回したりしてる。苦しんでいるのを放置してれば、とりあえず役場に行けば保証してもらえる日本国籍というモルヒネで苦しさを紛らわす行動に出られても仕方がない(保証してもらえないケースもまれにあるけど、そのときは別途赤タグが出る)。西側同盟政府や、第二次大戦枢軸国政府非道無為が原因で弱者になってるところに赤タグが出やすい傾向にある現状ならなおさらのことだ。

正直なところ、サヨクの側の彼らに対する認識が「敵」もしくは「自分の足で立てるくせに立とうとせずケアを要求する白タグ弱者」ではなく「当方のリソースの都合上永久に失われることになる黒タグ弱者」に切り替わらない限りネトウヨの増加、跳梁跋扈を押しとどめることはできないと思う。

きちんとオルグしていけば朝日新聞の例でもあったように転向してくれるだろうし、ちょっと増田であった「兄と新大久保で合った」の話にしても、増田弟が増田兄の弁が立たないなどと小馬鹿にしたせいでその小さな悪意が社会の中で大きく育ち帰ってきて新大久保の皆さんに襲いかかっていたわけで、増田兄の優しさと弱さに気づいた時点で増田弟が手をさしのべればよかっただけなのだ。しばいたらたぶん2倍3倍に増えて戻ってくるだけだと思う。

まあサヨクさんがそれをやりたがらない気持ちもわかるのだけどね。若さと、時間と、行動力だけはあり余っている層をオルグして自陣営に引き込むと、現在ネット歴史認識がーとかほたえているだけの人の陣営内序列が相対的に低下するからね。

2013-03-07

なぜ国内Perlが急速に萎んだのか

2005年 Railsの襲来

2005年に突如現れたRailsによって国内Ruby利用者が急増したのがPerl滅亡への第一歩となった。書きやすさに作者がとことんこだわって作られたRubyの魅力を一度知ってしまうとPerlの古くさく読み辛く書き辛い文法に誰もがうんざりし始める。

2007年 JavaScriptブーム

Ajaxで再発見されたJavaScriptのブームもPerl終焉に若干ながら貢献している。ブラウザというPerlが全く手を出せないジャンル王者JavaScriptの持つ華やかさに誰もが憧れ、そして手元のPerlの古くささに反吐が出始める。不器用で不細工なところも含めて愛していた女房とつつましく送っていた人生に、突然ぴちぴちボイン女子大生が転がり込んで来たようなものである

スマホ/ソーシャルゲームバブル

iPhone市場が本格的に立ち上がり、Perlとは全くの無関係であるスマホアプリ全盛期がやってきていよいよPerl滅亡へのカウントダウンが始まった。そして極めつけはソーシャルゲームバブルである。ここでもPerlかい言語は全くの蚊帳の外で大絶賛凋落中。

2012年 ビッグデータ/Hadoopブーム

Perlなんぞ全くお呼びでない世界の話。段々とwebテクノロジー世界に高度な数学的知識を持ったアカデミック層が跋扈しはじめ、専門学校プログラミング言語を学んだだけの人間ハッカーなどと名乗ると恥ずかしい時代になってきてきた。

2013年 Pythonの本格的な浸透

遂にPerlにとどめを刺したのはPythonである守備範囲は当然ながらPerl駄々被りで読みやすく書きやす世界的なシェアうなぎ上り。完全にPerlが不必要な世の中になってしまった。

結論

2005年までのPerlはまさに我が世の春を謳歌していたが今や目も当てられない惨状でプログラミング言語シーラカンス・COBOLとすら比較され出す始末。昔Perlの人として売り出していたハッカーも、いつのまにかPythonの人になっているケースも海外では多い。10年でここまで時代は変わる。今のメインテクノロジー明日は我が身だ。小手先技術に乗っかってモダンだのハッカーだの聞こえのいい言葉を汚い口でまき散らして消えて行ったPerlエンジニア達の死を無駄にしてはいけない。変化の速い時代に生きる我々に必要なのは本質を学ぶ事だ。コードの書き方とかどうでもいいんだ。もっと1020年たっても色あせない情報工学を身につけなければならない。

2013-02-24

本心ダダ漏れですよはてサの人

撮り鉄アスペ

http://anond.hatelabo.jp/20130224011240

ブックマーク

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130224011240

D_Amon

撮り鉄アスペ」が差別でありひどい発言であることは言うまでもない。だが、反差別サヨクと呼ぶ一方でサヨク叩きに首肯していた「普通の人」がこういう差別者跋扈させたとも思う。差別と戦う責任外注するな 2013/02/24

前半が単なるポリティカルコレクトネスのための言い訳しかなっていない。

どうみてもこの人は「撮り鉄のようなオタクたちは反差別を冷笑してきたのだから差別されて当然だ」と本心では思っている。

でもそれをストレートに述べることはできないので、「自分はそうは思っていないけれどそう思われても仕方がない」という回りくどい言い方をしているんだよね。

こういうのがいわゆる「太宰メソッド」なわけだ。

2013-02-22

ヘイトスピーチするネット弁慶ボランティア行け」がイラつく理由

イラつくよな。俺もイラつく。

まあヘイトスピーカーやネトウヨイラつくのは当然だろとしか言えないが、そうでないのにイラつく。

NHK_PRの発言ツイート単体は説教がましいとはいえ、イラつくものでは無いと思う。

ヘイトスピーチをするネット弁慶ボランティア行け」の裏にある文脈があって、それにイラつくんだ。

裏の文脈について文章化してみよう。

まずは、マジカルバナナ風に連想してみる。

ヘイトスピーチ

…と言ったら「ボランティアもしないネット弁慶

…と言ったら「ニート内弁慶

…と言ったら「ひきこもりネット依存症」

…と言ったら「非コミュ友達ゼロコミュ障

…と言ったら「非モテ童貞キモオタ

…と言ったら「学校でも孤立してたぼっち

こんなところか。

これはNHK_PRツイートだけ読んだときにも感じたが、被害妄想の行き過ぎと思い自省した。

NHK_PR東北についての発言だと補注したし、考えすぎというものだ。

でも日経ビジネスオンラインの記事で書かれた絵を見て、被害妄想ではないとわかったね。

しろ、この「ネット弁慶」は間違いなく上で連想した文脈に依っていると思った。

というよりNHK_PRの補注を理解すれば東北の話だし、お門違いだが、ネットでの受容のされ方の一部、日経オンラインビジネスの記事とかが、被害妄想ではないと思った。

ただネットで威張りちらす人という意味で「ネット弁慶」と語ったのかもしれない。

だけどそれは前都知事シナシナと呼べばいいじゃないかと語る時、その裏には差別の文脈があるのと同じ構図だ。

というか、証拠がある。

日経ビジネスオンラインの記事付属していた絵が、上での連想を裏付けている。

http://cdn-ak.b.st-hatena.com/entryimage/133730370-1361466019_l.jpg

内弁慶 内定もなく泣いている 親のスネこそ泣きどころなれ』

ヘイトスピーチをするような輩は「ネット弁慶無い内定」「ニートで親のスネ齧り」と言ってるわけだ。

ネット上でヘイトスピーチしてないでニートは働け、ボランティアに行け、ということだろう。



なにをいってるんだ?

これを「よく言った!」「これが批判されるなら日本おかしい」と称賛してる人、おかしいとは思わないのか。



ヘイトスピーチネット弁慶ニートは何の関係も無いだろ。

ヘイトスピーチをする人間は《…》のような立場にあるからヘイトスピーチをするんだ」

とでも主張したいのだろうか。

あるいは「ヘイトスピーカーはルサンチマンを抱いているから」とでも言うのかな。

まあ社会心理学がそういうならそうなんだろう。

社会不安定化すれば、ナショナリズムが高揚する。貧困層が増え失業者が増える。「内定もなく泣いている」人間も増えるだろうし、ニートひきこもりも増える。

このまえ話題になっていたひきこもり支援サイトも、ひきこもりには愛国的な人間中国韓国を異様に嫌う人間が多い…などと書かれていた。とはい事実なのか偏見なのかわからないが。

その程度の関連性はあるだろうよ。でもヘイトスピーチと、それらを結びつけちゃいけない。

ニートネット弁慶だけじゃない。その背後にある文脈に並べ置かれた言葉

ニートひきこもりぼっち。友人ゼロ非コミュコミュ障キモオタetc...

これらは包括するような属性、たとえばコミュ弱者とか、そういったものがあることは感じるが、明瞭な言語化は難しい。概念がない。

ある種の叩きやす属性だとは思う。

キャラとして成立している。

それでも、単独で差別者と成立する属性ではない。

なのに、ヘイトスピーカーを批判するときに、これらの属性が持ち出される。

ルサンチマンを抱いているからヘイトスピーカーになるわけでもない。

ヘイトスピーチを口にするその時まで、ヘイトスピーカーじゃない。

偏見差別から逃れられない人間の性はあれども、悪しと思い言葉を飲み込む。よくあることだ。

どうして「ヘイトスピーチから悪い」と言えないのか。

まるでヘイトスピーチだけでなく、性格、置かれた立場まで悪いかのような語り口だ。

それって差別偏見じゃないの?

いや、これこそが差別偏見だね。


差別を批判する言葉、その横から滲み出た偏見、これこそ差別だね。



ヘイトスピーチは悪い」「レイシストは悪い」本来はこれだけで良いはずだ。

でも、反差別を声高に主張したい。力強く語りたい。

正義立場言葉の力みが、自らの抱く無自覚の偏見を漏出させる。

ヘイトスピーチをするネット弁慶ニートボランティアに行け!」

ニートには何の罪もないし、ネット弁慶もまあ、イタいだろうけど罪は無い。

それでも罪があるとしたら、ヘイトスピーチとは違うレイヤーでの罪だ。


「あっ、レイシストだ。批判してやろう。どうせお前らは《…》なんだろう。友達もいなくてルサンチマンがあるから人種差別してんだろ。見え透いてるぞ?」

見え透いてるのはそっちだよ。お前らの持つ偏見

お前らだよ。具体的に言うと、差別を批判するとき差別者以外を、叩きやす属性を巻き込むお前ら。

そういうお前らだよ。

何を差別するのは良くて、何は良くないか

差別抵触しない差別

自分正義の側に立っていると思ってるから口が滑る

みんな見ているぞ。

お前ら良識ぶった人間イラつかれている。

差別を語る美辞麗句の横から漏れでた差別言葉が、淀みとして溜まっている。

お前ら良識ぶった人間の語る反差別の枠組みがイラつかれている。

良識を語る口をよそに、こちらを見る偏見視線が、お前らの語る反差別への信頼性を損なわせる。


@NHK_PRは、ネット弁慶ヘイトスピーチを向けている」という、身も蓋もない反論はイタいけども、まさに象徴的だと思った。

良識ぶったお前らが偏見の発信者なんだよ。

誰がなにを嗜好するかにまで道徳瑕疵見出し飽きたらず、生まれ付きの属性をもってして、社会構造の抑圧者であることを自覚せよと原罪を見出し断罪する。

まあ、こういう告発者は極端だが。

そのような差別告発者が、うっかり漏らした偏見差別

加速スイングバイして、ただの偏見よりダメージ増加だ。


ま、ヘイトスピーカーそれ自体より、ネット弁慶を批判したいよね。

ヘイトスピーカーはネット弁慶ということにしたいよね。

ニートとかコミュ障であってほしいよね。

猫大好きゆうちゃんも、キモオタフェイスだしね。

ゆうちゃんみたいな奴だってことにしとけば予定調和だよね。

批判しやすい、叩きやすい、ゆうちゃんみたいな、ネット弁慶を矢面に立たせたいですよね。

差別への信頼性が損なわれたから、差別主義者が増えた、新大久保で跳梁跋扈したとは言わないよ。

差別に陥る輩には、そんなもん関係ないだろうし。

だが、イラつくわけだ。

そのイラつきをどこに向けたらいいか

別の弱者に向けたら本物のヘイトスピーカーだ。

それなら、偏見の発信者たる良識ぶったお前らに返すしか無い。

お前らは楽しげに「奴等はルサンチマンを抱いてるから」「《…》だから」とヘイトスピーカーやレイシストを批判する。

自分がどれだけ幸せで良識あるかをアピールするために、他人のルサンチマンや、世間様に叩かれている無関係属性を出汁に使う。

関係属性は、相手に図星だろ?と思わせたいから使うんだよな。

ようするに、その属性は弱いってことだ。

強い属性なら「オウ、わしは都知事やで?凄いやろ。おまけにあいつは弁護士や!」としかならんわな。

新大久保のヘイトスピーカーに対して「お前巻舌の得意なヤンキーコミュ強者なんだろ?」という指摘もあまりみない。

動画を見る限りこちらのが適確だと思うんだけど、何故かネットの殻を破ったネット弁慶滑舌が悪いという言葉が似合いそうなヒキニート、元ぼっちだとかキモオタ、彼は学校孤立していましたなどが槍玉に上げられる不思議

別にヤンキーキモオタどちらが事実なのかはどうでもいい。

事実はお前らはヘイトスピーカーに、叩きやす属性見出したいということだ。

差別の枠組みには抵触しないが、偏見を向けて許される弱い属性

往々にして世間様にも叩かれている弱い属性

それを反差別の出汁に使う。

言葉に勢いを持たせたいだけに、差別者に図星と思わせたいだけに、無関係な弱い属性を出汁に使う。


それがお前らの視線イラつくわけだ。それを丁重にお返しした。

丁重にお返しできなかった人は、本物のヘイトスピーカーになる。

丁重差別を批判できなかった人が、他所誤爆してるんだから、似たもの同士とも言える。

これでもまだ範囲が広いけど「嫌サヨク」に留まっている人はまだ理性的だね。

チョンだシナだの言うのは、イラつきが明後日の方向に暴発した、本物のヘイトスピーカーだ。

それはお前らの影の実体化だと思うよ。

似たもの同士、仲良くしとけばいいさ。


差別を語る人に「私は差別と黒人が嫌いだ」をやめろとは言わないよ。

それは原理的に不可能なのはわかってる。

でも、せめて「私は差別差別主義者が嫌いだ」くらいにはして貰いたいね

2013-01-13

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。

3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治的恫喝やドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。

8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。

終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を高度に形式化して使える人がいるのは、正直こわいです。

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしまう

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん