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2017-05-01

フロントエンドが嫌い

ウェブフロントエンド技術進歩と興亡の速度には目を見張るものがある。

browserifyが生まれGruntが生まれ、Gulpが生まれた。

そしてその全てが死んだ。

Webpack, Babel, Flow, 今栄えている技術だってそのうちに死ぬだろう。Reactだって例外ではない。

一部はもう死につつあるし、少し前にあれだけ持て囃されたTypeScriptも今や消えつつある。Coffeeは全エンジニアから嫌われた。

そんな万華鏡のように目まぐるしく変わる情勢に追い付かんと研鑽を続ける者等がいる。アーリーアダプター自称し最新技術のケツを追いかQiitaにクソを垂れ流す彼らこそ我らがイケイウェブフロントエンジニアである

最新技術に目を凝らし、やれ新たなこれイケてるだの古臭いあれはイケてないだのと宣いチュートリアル記事を量産する彼らであるが、彼らの存在は決して無駄ではなく、生まれたて技術知名度は彼らにより上げられる。

それはやがて大きな同調圧力空気となって流行った技術を押し流す。

さて、少し話は変わる。

かつては栄えた技術が滅び、消え去れども残るものはある。

書いてしまったソースコードと拭いきれない遺物と化したクソの塊だ。

ウェブサービスはただ作って終わりではない。その先にあるのは長く続くメンテナンスだ。

少し例を挙げたい。あるところにイケイウェブエンジニアあなたがいたとする。

ある日あなた上司からあるウェブサービスを作ってほしいと頼まれ、それを引き受けた。

さて、サービスを作るにあたりあなた使用する技術を選定する。イケイウェブエンジニアあなたはとても流行に敏感だ。勿論jQueryを使い泥臭くDOMを弄くり回すことなどあってはならない。

あなたESの最新規格に準拠したコードを書き、Flowtypeで静的型検査を行い、Angular4を使うことにした。

勿論そのままでブラウザ動作しないためWebpackとBabelを駆使してトランスパイルする。

数週間後、めでたくサービスは完成した。

さて、問題はここからである

一年後のある日、あなた上司に呼び出された。

曰く、そのサービスに新たな機能を追加して欲しいのだという。

あなた脳内で試算する。時間と手間は掛かるが可能だと判断したところで、はい、と答え一年ぶりにプロジェクトソースコードを開いた。

ここであなたはあるものを目撃、頭を抱えることになるだろう。

それは何か。陳腐化した一年前のトレンド技術の塊である

一年後の未来世界では Webpack2 など既に新しく現れた技術に叩き潰され醜く断末魔の鳴き声を上げる死に瀕した哀れなヒキガエルの如き存在だった。もちろんAngular4はもう誰も使おうとはしない。

もちろんあなたもそれらを過去存在へと葬り去った新技術に首ったけだ。

さて、ここであなたがとれる戦略は次の2つだ。

一方は、クソだクソだと悪態を付きながらもはやメンテナンスもされていないクソプラグインの体系化されていないクソドキュメントとにらめっこをしながら古臭いクソの塊と付き合っていくこと。

もう一方は、新たに聳え立った最新のクソの塊に無限移植を続けることだ。

前者を選んだあなた時間が経つごとにまともな情報を得られなくなり、やがては身動きが取れなくなった段階でようやく最新技術への移植を考えはじめる。しかし、その頃には膨れ上がった旧時代のクソはそんなことを容易に許してはくれやしない。

さて、後者を選んだあなたを待っているのは無間地獄の如き最新技術の濁流だ。それに揉まれながら一年ごとに、古臭きは悪だと声高に叫びながら無限移植作業を行うことになるだろう。

どちらにせよ待っているのはクソの如き地獄である

しかし、どれほど技術が移り変われど変わらないものもある。

あなたがクソと罵り選択肢からも除外されたjQueryである一年後の未来であってもjQueryはそこにあった。もちろんクソと野次られながら。

クソレガシーこと枯れた技術の利点はそこにある。

勿論jQueryを使った品質の低いクソコードはクソだ。

けれども一年前のあなたjQueryを使ったコードが読めるし、今のあなたももちろん読める。一年後のあなたは疎か、三年後のあなたの後継ですらも (泥臭くDOMを弄るコード閉口しながらではあるが) やはりあなたの書いたコードを読めるだろう。

そもそもからしてウェブフロント倒錯している。

JavaScriptDOMを書き換えるためだけに存在している書捨てのクソ言語であって、サーバーサイドを書くために存在している言語でも、100万行からなるバベルの塔建設に耐えうる言語でもない。

前提からして倒錯したクソウェブフロントは一度無に還るべきだし、私はそんなクソウェブフロント界隈が大嫌いだ。

この意味不明なクソポエムも憎むべきクソの一端である

2017-04-19

これからの子供はプログラミング学習必須!とか言っている割には

文系おっさんたちは勉強しないよな。自分たちには関係ないとか思っているのかな。後15年もすれば今の小学生社会人デビューしてくる。ひょっとしたら、その子達は息をするようにプログラミングを使いこなしてくるかもしれない。そう、ちょうど我々(文系おっさん)がWordExcelを使うように。当たり前のようにブラインドタッチをするように。

15年後の彼ら彼女らにとって、プログラミングの出来ない割れわれ文系おっさんは、我々が社会人になった時に「使えない時代遅れ老害」と感じたブラインドタッチWordExcelを使えないじじいに見えてしまうのだ。

「なんでこんなことも出来ないくせに俺よりも給料高いんだよ」とか言われる日が来るのだ。そして、そのスキルセットの違いが今よりも早いスピード給料に反映される世の中になっていて、我々おっさんたちの給料はただでさえ高くないのに、あっという間にプログラミング常識新社会人たちに追い抜かれ、残された仕事といえば、肉体労働の時給制の仕事となるのだ。

ああ、恐ろしい。数年前に自分が大いにあざ笑ったブラインドタッチすらできないおっさんにならないよう、今から研鑽を積もう。本当に使えない老害になってしまう。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170323162129

産業界で飼われている草食系畜産動物です。

日米欧、欧の中でも各国違う仕組みでシステムがまわっているのを見るけど、

なかでも日本は本当にうまく回っていない感は外から見ていても感じる。とても日本社会的な特徴がよく出ているかなとも思う。

例えば、高齢化社会の進展で社会保障費が増大する中、

財務省は、高齢者サポート以外の予算一生懸命締め付けるための因縁を各省庁につけて回っているんだけど、

文科省グローバル化とか大学改革とか、それを実施するためのお金として削られる分を取り返そうとしている。

 

財務省はそこに根拠を求めるから文科省が偉い教授陣に提案とかグローバル化ロードマップとかの作成をお願いする。

すると、

もっと偉い教授陣が集まる教授会で何が議論されているかと思えば、やれ大学改革だ、グローバル化だ、

大学院授業の実質化だ、オープンコースウェアだ、アクティブラーニングだ、学位プログラム化だ、

単位互換制度だ、デュアルディグリーだと、文科省の顔色をうかがいながら、

みたいな現象が起きる。

 

ただ、大学運営方針を決めたり戦略を作ったりすること自体世界中のどこでもやってる。

ここで、日本で一番特徴的だなと感じるのは、年功が高い人というか総合力を重視する規範ものすごく強くて、

そういったロードマップ作成を、年功の高い人だけでやろうとすること。

だいたい良い人材が腐らなければ、年々研鑽していくこともあって、

年功が高い人の方が(その組織委内での)総合力が高くなるのは当然の帰結だけど、

それでもある一点で評価すると年功の低い人でも年功の高い人を圧倒することは当然ある。

「他はだめだめなんだけど、ここは素晴らしい」という人材がいたとき

あいつは未だ未だ」「こういうところが足りてない」など、"欠点がない"ことを資質として求めちゃう

 

結局、戦略策定とか高尚とされるお仕事は年功高い人がとるので、大学業務リソースは変わらない中、よそ者とか若い人に、

生産性の低い学生留学生含む)を手厚く面倒みながら、自分事務書類に追われ、試験監督したり、

クラス連絡会とかオリエンテーションとか企画して、引きこもりで出てこない学生の両親に電話相談したり、

大学説明会オープンキャンパス市民講座とかに駆り出され、はては高校訪問などの営業まで

してもらわないといけない体制が出来上がる。

 

長期戦略を作る方の話に戻ると、年功が高い人になると、人生の"あがり"が見えている人が自然多くて、

10年後なんて俺には関係ない話」と口にしちゃう人がマジでいるし、

戦略策定も"欠点がないように"実施項目は並べるんだけど達成目標議論は避ける。

 

経産省資料

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/sangyougijutsu/kenkyu_kaihatsu_innovation/pdf/004_04_00.pdf

ベンチャー活用」とか実施項目は踊るけど、その帰結については書いてないでしょ?

 

年功高い人の会議でも同様の議論(↓)があって、これまで前述のことは本当に陳腐だと感じられるかもしれないけど、

http://www.meti.go.jp/committee/sankoushin/sangyougijutsu/kenkyu_kaihatsu_innovation/pdf/006_03_00.pdf

 

結局のところ、地方は結局「若者」を排除して自ら衰退するですね。

私も逆の立場になってきたら、しっかり神輿に乗せてほしいし

 

さらにこういったものを作る有識者会議だと「高度な日本技術を輸出」とか、

日本に本当に有意性があるかどうか不明なことが世界を圧倒しており、

しか世界がそれを欲しがっているというクールジャパン前提の実行計画が立つ。

 

他方で、極端な例を挙げると欧州小国だと官僚組織部長(局長の次席)に30歳ちょっとで就くことがあったりして、

しか転職でだったりする(すなわち年功ゼロ)。

そういう人にうまく仕事をさせて、組織利益にしようという目標意識運営側に強い。

 

 

欧米だと博士課程の学生に勤続年数5-6年のサラリーマンと同じ年収を渡して仕事をしてもらうのもよく聞く話ですよね。

日本だったら、そんな社会経験ない人に良く任せるなーって感じするよね。

 

 

でも、欧米の友人もP300くらいの研究提案書(ロードマップ)なんて作ってポジション取りに行ってるし、

大学とかもっと上位の戦略策定している人たちは、

そうやって入手したロードマップを取捨選択編集統合してたり全体目標を作ってたりするんじゃないかなと思うけど、

そういう、屍累々の上に国家戦略的全体像を作る世界日本はなりたくないよね?

2017-03-09

311島尾敏雄と私

島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代予備校講師に勧められて買ったもの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族崩壊を記録した作品である

 読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。

  『相馬に帰ろう』

 紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。

 私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄相馬地区ふるさとだったのだ。

 そして、未だに故郷原発事故惨禍に見舞われている。

 東日本大震災から6年。故郷自然と思われた。

 正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思った。私はどうしたらなんとも言えない閉塞感を打破できるかを考えては、多分無理だろうなと半ば諦めの感情を胸に秘めていた。

 東日本大震災が起きた。

 私は生き残った。住んでいる地域原発避難指示区域には入らなかったものの、鉄道などインフラは寸断され、私たちは転居した。都会に。

 それからの私の生活は非常に充実したものとなった。幸い、福島出身と明かしても白い目で見られることはなく、田舎ありがちなデキる人の足を引っ張る風潮もなかった。意欲ある人が存分に学び体験できる施設があり、尊敬できる人がいた。若者がより広い世界へ飛び立とうとする意欲を持つには充分だった。

 東日本大震災が起こって6年になる今、私は東京で高いレベル教育を受けられている。あの地震でおぞましい数の人が亡くなり、今も苦しんでいる人が大勢いるが、私にとって6年前の地震人生を大きく変えた分岐点であったように思える。あの地震がなければ、私はここにはいない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。嫌だったふるさとから、私は逃げるようにしていなくなってしまった。どうすればいいかからなかった。何か違うのではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、田舎を離れられる開放感でそれを押さえつけてしまった。大震災を美化してしまった私の思考が正常なものなのか、若さゆえの過ちなのかは未だにわからない。

 小説の中で島尾敏雄相馬に帰ったのは、崩壊してゆく家族とのギリギリ人生をやり直す力を、故郷に感じたからだと思う。多くの人が、故郷自分人生の原点にして、そこの原風景大事にしているように。私が捨てた故郷のそばには、未だに立ち入りが禁じられ、人々が帰ることすらできない場所がある。彼の郷里最近、立ち入りが許可されたばかりで、復旧・復興とは程遠い。故郷に帰ることさえ一生叶わない忸怩たる思い、悩み苦しんだ時に自分が生まれ育った場所が変わり果ててしまった悲しみ、いわれのない差別に苦しみ、福島出身ということに引け目を感じている子どもたちの心情にどうやって接したらいいかからない。故郷を追われ苦しんでいる人に少しでも助けになるように日々研鑽を積んで、その人たちを助ける力、次に世界を揺るがす大事件が起きた時に多くの人を助けられるような力を養うことが、震災をチャンスと捉え故郷を捨て去った自分贖罪だ。

 自戒として、ここに記しておく。

2017-02-09

かっこいいも作れるし、作ればいいのに

男性女性の化粧や整形にやたら厳しいのはなんなの?「可愛いは作れる」というフレーズ馬鹿にする意味合いが含まれるのはなんで??

「産まれてくる子供の顔が全然違ったら嫌だ」とか言う人が時々居るけど、

女性の大多数は貴方のことを騙そうなんて微塵も思ってないし、一緒に子供を設けるなんて万に一つもあり得ないですよと言いたい。

そうゆう外見の改善努力を殊更に叩く人に限って、ブサイクな傾向にある気がしてならない(気がするだけです)。

コンプレックスを拗らせて他人攻撃して、「お前も産まれたままの姿を世に晒しもっと不幸になれ」と呪いをかけるなんてすごく悲しいことだと思う。

男性も、どんどん整形したりコンプレックスを隠す程度の化粧をしたりすればいいのに。

外見がマシになると他人の見る目も変わってくるし、何より自分で「外見がマシになった」と認識できれば自己肯定感が高まって人生のものがマシになるよ。

作り込まれたかっこいいを否定する女性なんて居ないよ。大丈夫

■追記

女性の化粧や服装に厳しいのは女性」というコメントがありましたが、厳しさの基準男性のそれとはまるで違います

女性女性服装や化粧を批判する時は「ダサい」「もっと改善すべき点がある」という内容で、

男性のように「化粧することそのもの」や「流行ファッションであること」を批判する女性はまず居ません。

女性による「もっと研鑽しろ」という批判と、男性による「手を加えるな、俺たちを騙すな」という批判混同するのはナンセンスです。

2017-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20170115151355

なまじ化粧があまりにも効果的なせいで自らも参加してるルッキズムレースから一人だけ降りて一人負けになるから降りるに降りれないけど

ルッキズムレースの平均速度自体女性同士の研鑽でどんどん上がってしんどくなっていくという

2017-01-05

戸田奈津子尊敬されるための唯一の方法

インタビュー字幕翻訳者戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」

https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e

 

を読んだ。全体的には一方的自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。

 

「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。

 

それは時代というか当時の映画産業要請でもあって、戸田個人責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもの自分を虚飾したい一心で、本質的には作品奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事表現されている「字幕翻訳女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳師匠発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。

 

せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから個人の早業を自慢するよりも、字幕質的向上のために制作・配給側が用意する時間予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分大事からだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者なっちゃった人で、その上根っからダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。

 

戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているもの脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語ちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。

 

どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体のものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト時間人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである

 

そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品ファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕女王」を産んだのだ。それは映画というもの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。

 

多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由ほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアけが字幕翻訳者理解不足を責めているのではない。字幕スクリプト情報量100%伝えろという不可能要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事競争できているか問題なのだ

 

そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品最後工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品無理解字幕がつけられていることに耐えられない」という作品ファン心理考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画ファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンル仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間リソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?

 

戸田字幕映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田字幕翻訳単独作業である理由として、「セリフ言い回しリズム統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフ言い回しリズムを敢えて変えることで、登場人物心理的変化や場面転換を表現する映画原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフ統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数視点必要になることだってある。脚本演出意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。

 

ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作翻訳者スクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田字幕作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。

  

現在洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体戸田翻訳者待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフ聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身字幕翻訳質的向上のために翻訳者待遇改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道言い訳を垂れ流している場合ではない。

 

さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである

2016-11-02

からない人

どの学校にも教員採用試験に受からなかったが教壇に立っている講師がいる。

彼(彼女)らは毎年当然教員採用試験を受ける訳だが、私と同僚は、密かに誰が受かるか、受からいかを予想し合う。

そしてその予想はだいたい当たる。

からない人の共通点は、「勉強をしていない」ということ。

身銭を切って研鑽を積まず、ただ漫然と授業や業務をこなす。

それじゃ受かる筈がない。

研修会の参加を呼びかけてみても、「忙しい」という理由で参加しようとしない。

主任をやって講師よりもはるか仕事が多い人間が参加しているというのにね。

採用試験担当者ってよく見てるんだなと毎年感じる。

今年も予想的中率100%でした。

2016-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20161018235335

おま俺増田

プチプラでここまでやれるってのを見せてやるぜ」

と塗りにこだわった時期があり、

しかプチプラと高級品の違いくらいは理解しとかないとな」

と高めのコスメを買うことにこだわった時期があり。

いまだ研鑽最中ですわ。

けど何でもこだわるとけっこう楽しいよね。

2016-10-13

学歴コンプレックスとは似て非なる何か

大卒の人が大卒は正しいと喚く記事を読んで、学歴コンプレックスっていうコメントを見たわけだけど、これって学歴コンプレックスとは違う何かじゃないかなあ。

抽象的なはなしだけど、多分その記事の筆者は(そして多くの人は)「幸せが確定するチケット」を求めていて、この20年位、それは大卒肩書だと思われていたし、購入者もそう信じていたのではないかな。

彼が記事の中で肯定しようとしたのは「大学卒業資格人生幸福にする」ということそのものではなくて、「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」ということなのだとおもう。

彼が守ろうとしたのはは「大学卒業資格人生幸福にする」という事実ではない。もちろん「幸福」ってのは主観的ものなので、統計一刀両断にはできないんだけど、経済的な側面で言えば、大卒資格者のほうが高卒資格者よりも、生涯賃金が大きくなるというデータが有るのでそれですむ。示す必要すらなくて、彼自身がその統計を見て「そうだな」と思えばそれで済むので、そもそも記事を書く動機にはなりえない。

そういう経済面に限れば、大学卒業資格というものが、100%確定ではないにせよ確率論的にはある程度効果のあるチケットだったっていうのは有る。しかしそれは同時に、「確率論的」「ある程度効果のある」にすぎないわけでもある。「それを購入すれば購入者は確定した幸福保証される」わけではない。効果の程は購入者によって程度の差がある。

(そもそも大学というのは研究教育機関なわけで、そこに「幸せ」なんて主観的な、しかチケット一枚で生涯を保証するようなものを求められても、大学側は「知らんがな、困るがな」でしかない。この件で大学が悪いわけではない)

筆者が守りたかったのは、「俺は大学を出て幸福だ」という以上の、もっと広範な「大卒チケットを購入した人間幸福になれる」という「世界観」だったのではないか。それはすなわち「過去自分が行ったチケット購入判断は間違っていない」という保障でも有る。もうちょっと踏み込むと、「攻略法Xを実践すれば人間幸福になれる」みたいな思想なんだとおもう。そして、これは、すごくわかる。

人間は日々を生きる上で脳みそ空っぽで生きるのは難しい。どうすればうまくいくか考えちゃうし、試行錯誤ちゃうし、うまく行けば嬉しいし、失敗すればなにが悪かったか考えてしまう。「セカイには攻略法が有るはずだ」って思想人類進歩において巨大なアドバンテージだった。それは、自然科学分野においてはおおむね正しい。背景には物理法則があって、同じ入力には、同じ出力が返ってくる。技術研鑽職人的な人生においても、概ね正しい。そういう態度で経験を扱えば、一定の知見が得られる。

から攻略法Xを実践すれば人間幸福になれる」みたいな思想はすごくわかるし、自分点検しても、この類型は形を変えていくつも発見できる。

でも実際問題、本当にこれが正しいかって言うと、ぜんぜんそんなことはない。人生という関数入力が同じでもその個人ごとに出力がぜんぜん違うようだ。そもそも「同じ入力をする」ということ自体人知では制御できないほど難しい。双子なのにぜんぜん違う人格になったり将来を迎えたりするわけで。人生という巨大関数はすくなくともワンチケットフリーパスになるほどちょろいものではない。信用できるデバッガもない。

でも、その事実はかなり痛みを伴う。「人生攻略法がない」というのは(もちろん確率論的にだが)「どんなに頑張っても不幸にしかなれない人間存在する」ということを意味するからだ。

(※もちろんこれは一部宇宙事実と異なります瞑想ジョギング野菜はすべての人生攻略します。Yes、ぶくまますたー!)

そんなわけで、件の記事はなんだか悲鳴のようにも聞こえた。「この世界攻略法は有るよ、ぼくらが幸せになれるチケット実在するよ! ボクの過去努力コスト支払いは間違ってなんかない! なぜならボクはいまそのチケット暮らしいるからだ!」――あの記事で筆者が説得したかったのは、誰より筆者自身だったのではないかと思う。

同様の光景はあちこちで見ることが出来て、それが先鋭化すると、論理が逆流を始め「(大卒資格幸福チケットであるという)世界観を守るために、高卒下の人間は不幸でないとならない」な方向に拗れてしまう(連中は全員DQNみたいな発言)。そうなると地獄二次生産だ。だがどちらにせよ、それは学歴コンプレックスと言われているものとは、隣接しているけれど、もっと何か違うものなのじゃないかと思う。

2016-09-30

努力する主人公も売れている。

川上量生氏が、ラノベ主人公努力しちゃダメなんです、と発言した件が話題に上がっている。

いやちゃんと努力してるじゃねーかなに見てんだ、という意見もある。

概ねその意見には同意する。というのもある作品が人気だからだ。

落第騎士の英雄譚」というアニメ化もされた人気作なのだ

主人公は魔力量が低すぎて技の一つも満足に出せない。

彼が使えるのは、ある基本技を極限まで高めた必殺技のみ。

それを会得するまでにもかなりの修行を行ってきたようだ。

  

1巻はその必殺技を会得した状態スタートしている。

その後も研鑽を積んでいる描写もちゃんとある

  

主人公がくっそ弱い状態からまるマンガやラノベもあるのだろうし、そいつが強くなっていく

過程を見せていくことも一つの演出方法だと思う。

これは読者に「報酬を得る快感」をもたらす形だ。

灰と幻想のグリムガル主人公たちがそのパターンで、この作品アニメ化されて人気だ。

  

読者を楽しませるための一つの方法が「俺TUEEEEであるが、

初期からチート状態で始まり強敵もその力でなぎ倒していく。

この演出方法は「必殺仕事人」と同じ種類で、つまり「爽快感」が売りになっている。

  

ラノベ読者が爽快感カタルシスを売りにする作品を読みたがる傾向にある、というならわかる。

だけど上述の作品たちも売れているのならば、努力しない主人公=人気作とはならない。

  

ようは書き方の問題で、延々と練習や訓練を描いたところで楽しくもなんともないわけ。

その後の成果や発展があるからこそ人間努力する。

手っ取り早く結果を体感したいという欲求はどの物語もついて回ると思う。

先鋭化された一つの答えが、努力を極限まで省いた作り方、なのだろう。

  

だけどやっぱり努力する主人公もかっこいいわけで、消えることはないと思っている。

2016-09-18

不意に何か思い出そうとするが思い出せない。

何か大きな夢や希望があって、そこに向かって日々研鑽を続けていたはずなのだが。

頭の中に何もビジョンが浮かばない。

私はどこへ行こうとしていたのだろうか。

2016-08-30

なぜ日本エンジニア給与評価やりがい世界ワースト

http://b.hatena.ne.jp/entry/paiza.hatenablog.com/entry/2016/08/29/%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AF%E7%B5%A6%E4%B8%8E%E3%82%82%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%82%82%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%82


海外で働いていて世界各国のエンジニアとかかわりがある立場としてこのエントリーが余りにも酷すぎるので書く。


エンジニアスキルについて


まりにも突っ込みどころが多過ぎる無いようだが、まずこのブログ比較されている8カ国に関して

仕事を通じて感じたエンジニア技術力について記述する。


勉強している人が最も多いと言うインドネシアだが一番エンジニアの質が悪い。

全くこちらの支持要望も受け付けず問題解決スキルのなさからインドネシア国内解決できない事もしばしば

さらにお客に通知なしに勝手メンテナンスを始めたりする。

インドネシア人口ピラミッドを見て頂くと分かるが

自分の年齢も分から適当に切りのいい数字で俺の年齢はこのくらいだと答えるような連中である


次にベトナムタイインドネシアほどではないがエンジニアレベルは低い。


中国はそれなりの技術力がある。がそんなに高くはない。優秀なのはアメリカに行く。


アメリカはばらつきが多い、世界中からトップエンジニアが集まる国だがトップ以外は士気も低くレベルも高くはない。

下位・中位のエンジニア世界帝国民としての横暴さがあるエンジニアも多い。


インドITスキルと言うよりコミュニケーション能力発展途上国である。全くこっちの要望を聞かず

自分の思った通りに勝手物事を進めようとする。クラスに数人はいKY人口の半分以上を占めている。


韓国日本、この二国のレベル世界的に見ても高い。サービス精神のよさも考えれば世界トップレベルである


技術力を表すと

インドネシアベトナムタイインドアメリカ中位・下位<中国韓国日本<<<<アメリカ上位


日頃の自己研鑽の程度も各国のITの標準レベルもめちゃくちゃである

日本韓国データエクセル関数を使うレベルまでITエンジニアに含めてるのではないだろうか?

首を賭けても良いが日本韓国インドネシアベトナムタイインドより劣るなんて事はあり得ない。

トップレベルエンジニアは別として中国アメリカにも劣るわけが無い。


●なぜ日韓エンジニアはむくわれないか

簡単である。それは文系の連中が足を引っ張ってるからだ。彼らはコミュニケーション

錦の御旗に理系エンジニアをこきおろしエンジニアから搾取する構造日韓では出来上がっている。

エンジニアなんてたいした事無い。カスだ。いくらでも代わりが居る。」

といってエンジニアを扱下ろし自信を喪失させ、奴隷のように使っているのだ。

だが実際のところ彼らが行っているのはコミュニケーションではなく派閥争いや会社への忠誠心を示す儀式である

日本文系コミュニケーション能力の無い奴が非常に多く、飲み会などを強制したりする。


そして彼らの政策の失敗による尻拭いはエンジニア仕事なのだ。報われない仕事である


●ではどうすべきか?

日本短期的には経済が持ち直すかもしれないがこれからもどんどん悪くなって行くのは確実だ。

どうすべきはあなたのおかれている立場によるだろう。

NTTKDDIやその他メーカ大企業IT子会社に「正社員」で勤めている人に取っては

そのままそこに残る事が必ずしも悪い事ではない、日本福祉はまだまだ手厚いし

それなりの企業に勤めていれば様々な利益がある。また日常生活で使えるサービスの質も高い。

年金危機が叫ばれているが特権階級派遣等の非正規から搾取大企業正社員優遇を受け続けれる可能性は高い。

さら日本は衰退しているとはいっても最大の勝ち馬である英米に乗っかっている。(植民地とも言うが)

急に衰退するとは考えるのは早計であり、30年、40年持つ事も多い。


派遣契約などの非正規、もしくは中小企業勤務で20代なら日本に留まるのは馬鹿だ。

あなた日本でまともな生活をおくれる可能性は5%も無いだろう。

これも首を賭けても良いが政府大企業あなた生活を良くしようとは必ずしない。

いくらあなた努力して結果を出したところでこのブログのように、「おまえは努力不足だ。カスだ。代わりはいくらでも居る。」

と自信を失わせてゴミのように使われるだけである。早々に日本を飛び出した方が良い。

もちろん海外生活は楽ではない。生活の質は低いし、食事は不健康医療費バカ高く大変に感じる事も多い。

だが日本奴隷生活を続けて朽ち果てるよりはマシではないだろうか?

恐らくあなた40代を迎えるまでに状況は改善しない。その時仮に状況が改善しててもどうしようも無い。

私は30中盤だが知人の30%ぐらいは派遣契約中小企業勤務であり、彼らは高齢独身精神病である


海外に飛び出すときの注意

メリット

日本人同士の嫌な付き合いか解放される。

仕事に注力できる。へんないいがかりを付けられる事が減る。

自分キャリアを選べる。

デメリット

食事ゴミ

医療ぼったくり

日本帰国できない可能性大。

【注意する事】

外食は極力しないこと。アメリカ等の外食麻薬とほぼ等しい。30代で重大な病気になる事も多い。

運動を心がけること。体は資本である

生活が落ち着いても手を抜いて勉強をやめない事。外国人弱者である。常に研鑽を忘れてはいけない。

タイプの女が居る国・地域選び1年以内には結婚相手を捜し始める事。

中国人女と結婚するときファザコンでないか確認する事。

韓国人女と結婚するときケチ頑固でないか確認する事。

日本人女と結婚するとき陰険でないか確認する事。


インドネシア人ピラミッドhttp://togetter.com/li/988713

2016-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20160729142948

プロとしての技術がひととおり身につく」のが1万時間であって、一流であっても二流であっても三流であっても1万時間だよ。

プロとしての技術がひととおり身につく」の後にも研鑽は続くし、プロの中での腕の差はその研鑽や才能に影響される。

2016-07-14

2016年・夏アニメの第1話 感想まとめ

なるべく放送順。原作はすべて未見で事前情報ほぼなし。

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タブー・タトゥー

あらすじ:特殊能力持ちの人たちが戦うっぽい。

貶すだけで終わらしたくないので5分ほど考えたがよいところが思い当たらない。原作が11巻出ているのが不思議ですらある。話の展開がよいのだろうか、とも思ったが続きを見る気がしない。シリアスギャグ唐突に挟み込まれるわざとらしく古くさい「萌えイメージキャラクター感情の起伏、背景のトーンとキャラのやりとり、あらゆる点がちぐはぐな感じ。opやedを見る限り、なんかやたらに露出度の高いチャンネーが多いのも個人的に気に食わない。あと主人公髪型昭和フォークシンガーみたい。いわゆる「中二」ぽいのは大好物だけど「かっこいい」のが前提だから…。

甘々と稲妻

あらすじ:お父さんと娘と女子高生うまい飯を食うっぽい。

上記「タブー・タトゥー」と続けて見たんだけど、開始10秒で冗談じゃなく、こんなに違うものかと驚いた。ちょっとした描写に神経が行き届いており、見ていて気持ちがよい。「ちょっとした描写」を丁寧に積み重ねることが、この作品にとってよい方法であることを制作側がはっきり意識しているのだと思う。キャラクターもよい。微妙に力の抜けたデザインもよいし、演技の方向性が第1話にしてまとまっており、トーンが統一されているのがすごい。モブ(お父さんの同僚)ですら! もう1回見る。もちろん視聴継続。あ、一点気になることがあった。「手作りの飯」を持ち上げるために「コンビニ弁当」を貶めているところはちょっと気になる。やむなしか。

「NEW GAME!」

あらすじ:みんなでゲームをつくるぞい。

最近、たまにある「仕事モノ」。明らかに「謎部活モノ」の系譜である舞台を「仕事」にすることで「みんなが気になるあの現場実体は?」みたいな小ネタで興味を引けるのかなーとか思ったけどそんなことはどうでもいい。なんというか今の日本萌えアニメのド直球、ドノーマルはここだ、という感じのアニメ普通を極めた感がある。新しさはないものの極めているだけに出来はよい。しかしここまでのレベルでなければもはや「普通」にもなれないのだ、という意味で業が深い。原作見てないけどアニメ版作品としての品質は段違いなんではなかろうか。とりあえず2話までは見てみようと思います

サーヴァンプ

あらすじ:イケメン吸血鬼が戦うぽい。

いかにも腐ったお姉さん方が喜びそうな雰囲気がすごくて二等身キャララバストみたいなのがじゃんじゃん出る未来がありありと見えたと思ったら翌日まさしくゲーセンで大プッシュされておりさすがえげつないと思った。こちらこそ「中二」作品本命というかベッタベタながらキャラの立ったキャラ、まじめとアホのメリハリもしっかりしていてだいぶ見やすい。あと音楽川井憲次で驚いた。役者もそろっており、手堅くまとめてきた感がある。グッズを売らなきゃいけないんだね…。お兄さんが変な演技をするのが好きな人なら見たらよいと思う。自分はもういいです。

この美術部には問題がある!

あらすじ:美術部で片思いするっぽい。

部活モノ日常系かと思いきや片思いする女子主人公のまっとうなラブコメだった。部長がぐうたらという設定や、その風体あいまってどこか昔懐かしいアニメっぽさ(「あ~る」とかあそこらへん)を感じる。そのうえで女子に慕われる男子は「二次元大好き」と言ってはばからない今風(?)な人物という設定のミスマッチちょっと楽しい。あと女の子がイキイキと動いているのでよいのではないでしょうか。第1話にしてちょっとした山場をちゃんと持ってきたのはすごいなーと思いました。ラブコメ全然見ないけど個人的には「デンキ街の本屋さん」の方がアホっぽくて好き。それはそうと男子生徒が描く「理想二次嫁」のセンスが壊滅的では。

「魔装学園HxH」

あらすじ:ちちくりあって戦うぽい。

なんかそういうのがあるっていうのは聞いてたんですよ。なんかそういうエロバカ枠みたいのがアニメにはあると。「これか~なるほど~」てなった。「セーフティエフェクト※」じゃねぇわ。ちょっとおもしろかったです。よい経験になりました。ありがとうございました。

※際どい部分を隠すための要するにボカシ処理なんだけど妙にデザインが凝っててそれを「セーフティエフェクト」と言い張っている。

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン

あらすじ:若者頭角を現すっぽい。

絵がとにかくすこぶるダサい時代に取り残されている感がある。21世紀アニメと思えない。銀英伝でも始まったのかと思った。なんとなくNHKっぽい空気がある。それで「うっわー」と思いながら見てたんだけど、なんか見ているうちに話がおもしろいような気がしてきて次回も予約してしまった。謎。あと主題歌が「天鏡のアルデラミン」ていうんですよ。「作品と同じタイトル主題歌に付ける」とか、そもそもタイトルの「ねじ巻き~」ていうセンスとか、やっぱり昭和時代にお蔵入りした企画かなんかが四半世紀を経て平成も終わりそうな今、やっと日の目を見たんでは。

91Days

あらすじ:怒って酒を売るっぽい。

復讐譚とのこと。終始重々しく暗い画が続くがきれいである。第1回のみと思われるopもかっちょよかったが次回からは凛としてる人の曲になるんだろう。ずっとこれで洋画風を貫いてもよかったのに。復讐燃える主人公とトンチの得意な友人、という2人はエレンアルミンぽさある。主人公境遇もそこはかとなく似ていなくもない。アレをリアル世界に置き換えたらこうなりましたみたいな感じだろうか。それはそうと何もかもが淡々としており、主人公が急に巨人になるとか実はみんな巨人でしたとかヒロインの腹筋がバキバキ割れてるとか、アニメもっとはっちゃけてほしい自分としてはここまでというところ。

タイムトラベル少女

あらすじ:昔の偉人に会うっぽい。

なんだこれ。文科省ご推薦アニメかなんかか。Eテレで午前中にやってる知育番組と言われたら信じるレベル(AEDの使い方も教えてくれるよ!)で、そう思うとキャスティングも「とりあえず金はあるから!」って(微妙に旬の過ぎた感のある)有名どころを適当につまんだ感じに見えてくる。タイムトラベルしたのは制作スタッフなのではないかと思える90年代ぽい絵柄や演出(目がハートになるとかマジかよ)をなんで今!? 誰が? どうして? としか思えず個人的アニメ枠の今季暫定No.1を思うがままにしています

一人之下 the outcast

あらすじ:ゾンビキョンシーです。

小森霧絶望先生)みたいのが飛び回りながら包丁ゾンビ無双をする様が見たい、ぜひ見たい、という方がおられましたら見るとよいと思いますが第1話だけでは世界観あんまりよくわからなかったのでおすすめかと言われると何とも言えない。原作制作中国スタッフだそうで、絵柄も日本アニメアメコミ中間といった感じで珍しくおもしろかった。「へー、ゾンビものなんだー」と思ってたら「キョンシー」の一言で我に返る。edは恐らく日本人制作で非常にわかやす日本人(のおっさん)の萌えが溢れており本編とのテンションの差が愉快ではある。

クオリディア・コード

あらすじ:県を背負って戦うぽい。

「ぼくらの」が好きなんだけど、鬼頭莫宏の冷たい目線で「ベタロボットものを描いたらこうなりました」っていう。思えばエヴァだってある種の「リアル」を打ち出した作品だけども、「ぼくらの」もっとずっと「死」が身近でウワワと思ったものです。翻って本作は「子供戦争に駆り出される世界」を描いているんだけれども、そこに「死」のにおいは一切なく、しかしそれが「あえて」であって少しずつ表面化してゆくのならおもしろくなるかもと思いました。何しろあのお姉ちゃんの歌はファンタジック能力を装いながらあからさまに戦意高揚だし、千葉神奈川東京は陸・海・空軍だし、また学生服とは即ち軍服であるダブステップ(今更感もあるが)をbgmに敵をブッ殺しまくっている少年少女を見ていたら、なんだかアメリカ軍人は分厚いヘルメットの中で大音量メタルを聴きながら作戦遂行している、みたいな話を思い出したりして。果たして「9条改憲」だとかいった話が取りざたされる昨今、この作品が放映されているのは偶然なのかそうでないのか。個人的には、より陰惨な展開になることを期待しています

アンジュ・ヴィエルジュ

あらすじ:世界の滅亡を防ぐっぽい。

風呂アニメ。本編24分(op・ed含む)のうち、実に12分(思わず計った)にも渡り風呂に入っている。しかも視聴者を飽きさせないように大浴場、露天風呂サウナ、打たせ湯と種類も豊富日本アニメ界が過去数十年に渡り研鑽を重ねてきた「謎の湯けむり」「謎の光」といったセーフティエフェクト(覚えた)の髄を見た気がする。次回以降もぜひこのテンションでやっていただきたいと思います。見ないけど。片翼のキャラの背後に広がる雲が、失われた翼のように見えるカットはきれいでした。

あまんちゅ!

あらすじ:海に潜るっぽい。

「ARIA」原作アニメも割と好きで、こちらの作品に於きましても「うぴゃー」だかなんだか、あーいつものって感じ。のほほんとした空気をまといながらも見る人を相当に選ぶソリッドな作風であり「恥ずかしい台詞禁止」ってこっちの台詞だわ、といった向きもあるのだが、それも含めて海のように広い心で見ることができれば平和のもの先生の言葉に体の力が抜けてしまったり、ぴかりかわいい! とかツイッターに書いたりすることになる。同じ画面で(各キャラごとに用意されている)デフォルメの顔と素の顔が共存するあたりからも、そういった「差」を乗り越えて全部まるっと母なる海のように受け入れるぞ! という世界観が快い。ちくしょう! なんだかくやしい! と思いながら継続します。ところで勝手に「海女」の話と思ってたけど、どちらかというと「スキューバダイビング」の話なんだろうか。

モブサイコ100

あらすじ:霊を清めるっぽい。

おっしゃれー。原作の人は相当に絵が下手だったような気がするんだけど、下手な絵故の「空白」がたっぷりあってそこにもうアニメーション可能性がみっちみちに詰め込まれ状態である。話がどうとかは割とどうでもよくて「わーこんな絵が! 今度はこんな絵が!」といった楽しみ方ができます。つくってる方も楽しいんじゃなかろうか。個人的にはハマらなかったけど。

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以上、2016年・夏期アニメ14本の第1話を見た感想でした。

視聴継続は「甘々と稲妻」「天鏡のアルデラミン」「NEW GAME!」「あまんちゅ!」の4本。

今までアニメ新番組の第1話を全部見る、ていうのやったことなくて、

さすがに全作品は無理と思ってできる範囲でやってみたが大変に疲れた

それにしても、これだけの数と品質アニメが毎週無料放送されているとは、

なんて贅沢なことだろうと思いました。日本人でよかったね! おわり。

2016-07-13

夢って何だろう

「いくつになっても夢を抱き続けていたい」「年をとっても夢を語りたい」という台詞をふと思い浮かべた。決して若いとは言えない年齢だが「事業としてこうしたことを実現させたいんだ」という人を見るにつけ、「この人はすごいなあ」と思うようになったのはいからだろうか。

さいころは学者になるのが夢だと文集に書いてあった。“よくわからない薬品で遊んでボカン!”といった非日常的な世界に憧れていたからだろうか、Dr.スランプアラレちゃん則巻千兵衛ポケットモンスターオーキド博士のように、小さいころに見ていたアニメ世界の中にいたコミカルで気さくな学者キャラクターが好きだったからだろうか。当時なぜそうなりたかったのかという答えについて、今や断片的な記憶しか持ち合わせていない。

また、その夢を追いかけることはできただろうか。いわゆる理系学者に憧れていたが、高校では理科よりも歴史が得意だったという理由から文系選択した。そんな理由大学に入ったものの「文科系学問ってあまり面白くないな」と思い、理転をした。(幸か不幸か、いわゆる文理融合と呼ばれる大学にいたので、退学とか仮面浪人という選択肢は取らずに済んだ。)選択肢はいくつかあったわけだけど、その中でも分野的にはコンピューターが得意だなと思って、情報系に転向した。夢や目的よりも、ネガティブ理由だったりスキルとしてこっちのほうが適正があるなといった理由自分の進路を決めてきたので、夢は追いかけられていないのだろう。

というか、そもそも夢って何だろう。夢を実現することをゴールとするならば、それに向かって努力をするというレールができる。それを研鑽していけば、夢を追いかけるということになるんじゃないか。つまり夢を抱くということは、ゴールを設定するということになるのだろう。仮に夢が「宇宙飛行士になりたい」というものだったらそれに相応した勉強をして、研究成果を出すことが夢を抱き、夢を追いかけることになる。そんな単純な論理だと思う。

だけど今の自分にはそのゴールが何なのかがわからない。得意な分野・必要とされる分野で求められる事を遂行してここまで生きてきた。いわば、夢の抱き方、ゴールの設定の方法がわからないのだ。

たぶんそれなりに評価されて生きてきたんだと思う。だから夢みたいな確固とした目標がなくても、なんだかんだ生きていけたんだと思う。だけど、いま後ろを振り返ってみると、何も残っていないような気がした。ステージとしてどんどん高いところには立てていると思うんだけど、まっすぐというよりはクネクネした道を通ってきていて、正直この先どうなるかもはっきりとはわからない。

夢がなくても生きてはいける。だけど、夢を抱いていたらどんな生き方になっていたのだろうか。この目で反実仮想世界が見れるなら、見てみたいものだ。

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160630145118

最高例を持ち出すのは卑怯かも知れないが。

エンジニア年収4ケタってどうやったらなれるの?稼いでる人に聞いてきた

https://codeiq.jp/magazine/2016/06/42239/

こういう例は、一般公務員には無いから。ダメSIじゃなくて、ちゃんと仕事が身に付くいい会社に入って自分研鑽して自分を高く売れる人なら、公務員より夢があるし、世界に出ていけるチャンスもあるし、プログラマ悪くないと思うけどね。

SI界の最底辺職業という意味でのプログラマなら、夢が無いにも程があると思うが。その中でも頭角を現せる人もいるから、あとは本人次第って所もあるだろうけど。

2016-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20160421025800

増田は何か勘違いをしている。

どうも増田は①「二次元さえあれば生きていける」などという考え方は誤りで、②「世間が求める”普通”を追い求めることこそ重要である」という考えが正解であると思っているように見受けられる。

しかし、それは間違いではないか。①②両方とも正しいのではないか。

若いうちに恋人を作り、結婚し、子育てをするという、いわゆる”普通”の生き方というのは、日本民法が定める婚姻制度と、それを基礎とした相続制度税制度が作り上げた一つのモデルにすぎない。

そのため、このモデルというのは明治以降の代物にすぎず(恋愛結婚まで含めれば戦後の代物というべきかもしれない)、別に日本伝統のものというわけではないし、このモデルに従ったとき問題点も近年噴出している。これは田舎での離婚率・家庭内別居率の高さ、近時の芸能人による不倫報道を見れば明らかだろう。

増田流に2chコピペから考えれば、「結婚人生墓場コピペなんかもこの証左となるかもしれない。)

結局、①も②も生き方として良い点もあるし、悪い点もあるというとで、どちらが正解というのもはない。

(この点を勘違いして、②が正解であるとの固定観念に陥ると、いざ結婚したのちに、今度は「普通人生がいいと思っていた」みたいな増田を書くことにもなりかねない。)

それを踏まえて、今回増田は、これまで消費してきた二次元コンテンツの廃棄を通して、価値観が①から②へと変化したにすぎない。

増田二次元コンテンツの消費を通して成長ないし変化したのだ。

今回の件で増田が②の生き方をよしとするなら、それに応じた努力をすればいい。さしあたっては、美容院に行く、服を買う、出会いの場を作る、というような方途が考えられるだろう。幸い、これらの行為は全てインターネットを通して調査・実行することができる。昔に比べればハードルは低い。

エロゲーという表現形態はどうしても一段低く見られがちだが、その基礎にはクリエイターたちの必死努力研鑽がある。その消費によって得られた体験は、その努力研鑽に応じた素晴しいものがあるはずだ。

自らの人生を軽々しく否定すべきでない。価値観が変わったなら、それに応じた努力をこれからすればいいだけだ。

虚しくなるだろうけれどもビジネス観点で話をしよう

http://anond.hatelabo.jp/20160421102122

 

なぜ俺ツエー系の異世界生モノラノベ

Fランクだけど限定的にはSSランクのようなラノベ売れ筋なのか考えたことは増田くんはあるかい

 

答えは簡単さ。

それはラノベ読者が『弱者』だからだよ。

弱者目的のために己を律し研鑽を積むこともできず、

かといって諦めるという合理的選択すら選ぶことのできない存在だ。

文学書でもなくSF作品でもなく推理小説でもなく絵本でもなく自己啓発書でもなくゴシップ誌や新聞でもない

ライトノベルを愛読する彼らの心の根底にあるもの、それは『満たされることのない承認欲求』さ。

その欲望を埋めるためにライトノベルはあり、

彼らの灰色学生生活命綱として役目を果たしてきた…ま、そんなところかな。

 

なぜ売れ筋ライトノベルの購読層が中学生から高校生に留まらず、

サラリーマン男性中年層にまで及ぶのかというと、

結局のところ弱者はどこまで行っても弱者

悲しいかな…学校というコミュニティを抜けても今度は会社というコミュニティ

満たされない承認欲求自分努力をしない欲望を満たすためにライトノベルを頼るというわけさ。

 

消費者である彼ら弱者要望に応えるために作品が似たり寄ったりになることは

水が高いところから低いところに落ちるに等しく自然であり、

君の嫌う根拠のない優位性を前面に出した作品ビジネス的な価値を獲得するのさ。

 

どうだい?

増田くんにも、少しは見えてきたんじゃないのかなあ…?

2016-04-04

人間が成長しないのに対してテクノロジー進歩し続ける理由

人間死ぬ

テクノロジーは死なない

人間いくら研鑽を積んだところで個人の能力の最高値は30歳前後まで

現役でいられるのはせいぜい60年

 

まり人間は60年ごとに成長をリセットされる

死んだら赤子から作り直しである

賢くなったと例を挙げられるものは全て学問であって人間のものではない

必ず死ぬからこそ流行は繰り返し戦争は繰り返される

幼年期に終わり無し

2016-03-12

武内駿輔くんって、ハイパーメリトクラシー体現者って感じだよな。

声楽・演技・発声といったコアスキルに、落ち着いた好感の持てる容姿人格が備わってて

親御さんの教育も行き届いてるし大人びてるのに研鑽を欠かさない。

あい新人類の下でなら、地面を這いつくばってゴミのように生きる事も甘んじざるを得ないよ…。

2016-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20160307112651

乳袋批判する奴って救い難い馬鹿だなと思うのは、絵書きが服飾なんかの知識を前提で持ってることを想像もしてないからだ。立体裁断とかダーツとか調べてるんだぜ。

何故そこが論点になるのかわからないが

服飾どころか人体構造の把握すら怪しいまま絵を描いてる奴なんか五万と居る

その上で乳袋を書いてる。理由はその方がエロく受けとられるからもっと言えば、見る人のレベルに合わせてるから視聴者の多い大衆作品ハッピーエンドに集約されてくようなもんだ。

意味わからん

別に絵でエロを追及する時に「服飾の知識を前提でもってるんや!」ってエクスキューズは要らんと思うし、そのエクスキューズで何かの説明になるとも思えない

乳袋批判するようなレベルの低い奴には、逆に乳袋くらいのものを見せないと伝わらないのよ。鈍感で馬鹿から

ここまで読んだ限りではお前が馬鹿であるように思える

主張の論理が全く支離滅裂から

(断っとくが俺は乳袋批判派などでは無いぞ)

漫画絵だろうがなんだろうが、絵書きなんて本当はもっと繊細な部分にエロスを感じてる。エロスの引き出しを沢山持っている。でもそういうもの普通の人は鈍感なんだ。書いてもわからないんだ。だから乳袋を書いてあげてるんだ。さも乳袋リアルに見えるように研鑽を重ねてるんだ。

んなこたあないな

絵が上手くて服飾に興味ある人は乳袋あんま描かない

非道徳的だからじゃなくて面白くないから

俺が描くにしても胸のトップから布が落ちる様子を生かして描きたいね

ただ落ちるだけだとオバQから工夫がいるんだけどその工夫が絵の楽しいとこだろ

なのに気取った風な奴がごちゃごちゃ理由をつけて乳袋批判する。大衆作品ハッピーエンド批判して通ぶってる奴と同じくらいに頭が悪いことになぜ気づかないんだ。本当恥ずかしいことだぜ。

ここだけ切り抜けば賛成なんだが

その前段までのお前の話と全然繋がってない

大衆作品低俗さや安直さを批判されるいわれは無い」これだけならわかる、よくわかるよ

でもお前のエクスキューズ、「その下敷きに服飾知識や繊細な感性があるのだ」っていうのはむしろ高尚なるものへの媚だろ、権威主義だろ

低俗乳袋を恥ずかしいと思ってるのって実はお前じゃん

そういう前提を知りもしないで自分の浅い知識と印象だけで決めつける奴、そんな奴らが漫画アニメにはこだわりがあってーとかほざいてたりするの、本当に腹が立つ。デフォルメすら理解できてないのに口出してくるとか、救えなさすぎる。

語り口だけである程度相手レベルがわかるんだけど

お前はそれほど絵に関する造詣深くないな

あ、あとこいつは死ぬほどの馬鹿

乳袋でもいいじゃんと思う理由http://anond.hatelabo.jp/20160305000124

もう一生漫画とか見ないで。お願い。

ウン、死ぬほどのバカっつーかなに言ってんのかわかんねーな

別にお願いや命令する必要はないけど

「お前が読まなきゃ解決だよ」としかいいようが無い

ここだけは意見合うな

乳袋への態度でわかるその人のレベル

乳袋批判する奴って救い難い馬鹿だなと思うのは、絵書きが服飾なんかの知識を前提で持ってることを想像もしてないからだ。立体裁断とかダーツとか調べてるんだぜ。

その上で乳袋を書いてる。理由はその方がエロく受けとられるからもっと言えば、見る人のレベルに合わせてるから視聴者の多い大衆作品ハッピーエンドに集約されてくようなもんだ。

乳袋批判するようなレベルの低い奴には、逆に乳袋くらいのものを見せないと伝わらないのよ。鈍感で馬鹿から

漫画絵だろうがなんだろうが、絵書きなんて本当はもっと繊細な部分にエロスを感じてる。エロスの引き出しを沢山持っている。でもそういうもの普通の人は鈍感なんだ。書いてもわからないんだ。だから乳袋を書いてあげてるんだ。さも乳袋リアルに見えるように研鑽を重ねてるんだ。

なのに気取った風な奴がごちゃごちゃ理由をつけて乳袋批判する。大衆作品ハッピーエンド批判して通ぶってる奴と同じくらいに頭が悪いことになぜ気づかないんだ。本当恥ずかしいことだぜ。

そういう前提を知りもしないで自分の浅い知識と印象だけで決めつける奴、そんな奴らが漫画アニメにはこだわりがあってーとかほざいてたりするの、本当に腹が立つ。デフォルメすら理解できてないのに口出してくるとか、救えなさすぎる。

あ、あとこいつは死ぬほどの馬鹿

乳袋でもいいじゃんと思う理由http://anond.hatelabo.jp/20160305000124

もう一生漫画とか見ないで。お願い。

2016-03-03

ワーキングクラス諦観

労働者階級の子供は芸能人にもサッカー選手にもなれない時代

http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20150226-00043362/

日本のことかと思った。増田の住む中核市周辺では、ここの所フットサルコートとそれに付随するスクールものすごい勢いで増えている。

経済力のある保護者達は公文式語学教室と同列に各スクールの育成について熱心に情報交換を行い、4種(小学生)強豪チームのあの子はどこのスクールだったとか、今3種(中学生)Jリーグジュニアユースにはあのチームから行っただの育成シーンにおいては、かなりマニアックな展開を呈している。

昔ながらの小学校に1つずつあった少年団チームは、各スクール運営されるNPO法人格のクラブチームやその市の最強チームに、主だった選手たちが集まるので今や複数小学校区で1つのチームをなんとか維持し、ようよう8人制にエントリーできるかどうかくらいの縮小や、チーム統合でしのいでいる状況。JFAを頂点とする協会組織は、くまなく草の根にも広がっていてこれは功績だと思うのだが、市内の各チーム指導者も割と細かく情報交換や指導技術研鑽を行っている。

しかしだ、少年団チームには、専任指導者を置けるところがほぼ無い。月5千円以下の会費で細々やってるチームの財政的な理由が大きいのだ。当たり前のことだが、「増田のお父さん」達が集まって細々運営してるチームだから。いわんや、指導の内容も、よほどアツい、競技経験のあるコーチが在籍しない限り推して知るべしの内容。週末や祝日日中大会や対外試合が入れば、練習はお休み

一方で強豪チームや、NPOクラブはそれなりのコストをかけながら、競技経験のある人材を確保し、平日の日中、夜間を練習時間に宛て、休日地方遠征など充実した育成内容。同じ年の子どもで、こんなに違うのかと愕然とさせられたこともしばしば。もちろん、それなりの技術を持っていなければ試合にも出られない選手層の厚さがあるので、それなりのスクールに通わせられる世帯収入可処分所得のあるご家庭がそこに行ける資格を持てる。選手本人の気持ちや、持って生まれた才能、たゆまない努力、これを大切にできる環境と言う意味を含めて。

レベルの高いサッカーをするチームにはより選手が集まる。スタメンを確保するために、スクールに通って更に技術を高めないと。日本代表に、プレミアへ。リーガへ。子どもが描く夢のために、経済力のある保護者たちは力の限り応援する。否定しない。どんどんやってくれ。指導者ホント良い人ばかりで羨ましい。オレもワールドカップを掲げる日本(男子)を見たい!!

さて、増田の子所属する少年団も、いよいよ学年で1チーム作るのが厳しく最近は2学年合同で毎週活動している。こちらは、以下のご家庭から選手構成されている。基本的には、競技レベルでの選手育成までは考えていない。

①→身体機能発達を促したい(ダイエット、足が遅い、全身運動etc)

②→中学受験前提の、高学年時は休部見込みのレクリエーション

③→学校休日も両親勤務あり、体よく預かってくれそうなので

④→よく分かっていないけど、地元サッカーチームで一番近かった

まさに玉石混淆。ここがお父さんコーチの楽しみ、楽しさではあるのだけど。

ここにサッカーというスポーツ面白さを伝える醍醐味があるわけで、だからハマってるんだけど。しかし、ごくたまに、1学年に1人か2人は「玉」が。当然のように高学年時には上記のクラブチームステップアップしていくわけだけど、ここでもワーキングクラスかそうでないかで展開が違う。

結論:金持ってなけりゃ少年サッカーは勝てない。

(小さなローカル大会や、フットサル大会なら、可能性くらいはある)

さっきの、①~③に該当するご家庭の選手たち、勝てないけど上手くはなれないかも知れないけど、楽しそうに通ってきてくれてる。この子たちは日本代表にはなれないと思う。10年後、20年後にまたチームの父親コーチに戻ってきてくれるくらいが良いトコだろう。それですらたぶん、「良かった例」。

混雑するターミナル駅の夜。某Jリーグ下部組織のバッグを背負った高学年の選手たちがくたびれた大人の列を無視してかきわけバスに乗り込む。大人たちも、もうこのチームの選手たちの振る舞いには諦めて声もかけない。それとも、おらが街のJチームを応援する気持ちなのかな?そのわりには視線は冷たいけど。彼らは座席を確保して、周囲を無視したような振る舞いで過ごしている。そうだね、あんたたち勝ち組だもんね、将来のJリーガー日本代表だもんね。特別扱いは当たり前だよね。嘆息

貧困、とまでは行かないにしても、L系ワーキングクラス連鎖諦観している。

2016-01-15

ほとんどの女性フェラチオが下手。

真摯姿勢プロでも下手。

フェラとはこんなもんだと思って気にしてなかったが、

一度すごく上手い人に会ったせいで他が下手だったのだとわかった。

ほとんどの人は、経験がどれだけあってもフィードバックがないんだと思う。

結局異性の性感は口頭で何度も教えてもらわないとまったくわからないということだ。

自分含めほとんどの人間は大してセックスが上達しないまま人生を終えるんだろう。


まり

コミュニケーション能力が高くて勤勉な同性愛者のテクはすごいんだろうなと。

それで、同性愛者とやっててみたいというよりは、

自分が生まれ変わったら同性愛者のセックスモンスターになってみたいなあと思う。

その際は男でも女でもいい。

容姿が良くコミュ力があり経験を積み、研鑽研鑽を重ねてすごいテクを身に着けるのは楽しいだろうな。

同性愛者でもノンケでもかまわずテクニックサービス精神で喘がせまくるのはきっと楽しい

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