はてなキーワード: 天鏡のアルデラミンとは
ご存知のとおりラノベではここ十年ほど戦記ファンタジーが流行しているんだが、
おまえらは「最近のラノベは異世界転生ばっかりで飽きた」って文句ばっかりだから、
俺がオススメの(転生しない)戦記ファンタジーを選んでみたぜ。
アニメ化された有名作品はもちろん既読だろうから除外しとくな。
https://www.amazon.co.jp/dp/4040726995
数年後に迫るという魔王の再臨に向けて
人類が団結しようとして全く団結できない話。
未来予知の能力を使って絶望的なピンチを何とか切り抜けていくという、
やりなおし・死に戻り系の側面がある。
地味な主人公、好きだろ?
めちゃくちゃ面白いんで読んでくれよな。
https://www.amazon.co.jp/dp/4797387394
各地を転戦しながら豪傑・智将をばったばったとなぎ倒して仲間にしていく話。
一度はドン底まで落ちた妾腹の皇子があれよという間にのし上がる。
https://www.amazon.co.jp/dp/4797397039
怠惰な王子が面倒事を避けようと「ほどほどの成功」を画策するも、
有能すぎて予想を上回る大成功を収めてしまい「どうしてこうなった」という話。
全体としてはコメディ色が強いけど、
主人公からふと漏れる「こいつヤベェ奴じゃん…」感がめちゃくちゃ楽しいぞ。
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歴戦の傭兵ながら常に敗北しているという謎めいた男を主役にした話。
「いったい常敗将軍は何を考えているのか?」という謎解きを、
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兄は帝国へ赴いて英雄となり、弟は周辺諸国を征服して王となる、という話。
作者がやりたい放題に好きなものを詰め込んでる最高の作品なんだ。
以上だ!
どれか一つって言うなら『ファイフステル・サーガ』をオススメするぜ!
よろしくな!
ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。
――恋人や能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人と能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。
そうです。今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学の世界でもそうなってきていると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html
カドカワのトップのくせして、この理解はまじで浅すぎやしませんか?
本当にいい作品を送り出す気があるのかと、100回は問いたくなる適当な物言いにイラッと来た。
そもそも、最初からチートを持って最強になることを「俺tueee」と揶揄されていたりするのはここ数年だけで、ジャンプなら北斗の拳やるろうに剣心、バスタードにBOY、過去の作品をあげればきりがない。みんな大好きガンダムのアムロ君だって、最初からワンランク上の人種だったわけですよ(あぁ、若い子的にはコーディネイターのキラ・ヤマト君の方が)。最強主人公が昔から愛され続けているのは明らかだ。
「努力に対して気後れする」というのは、どう考えても浅すぎる考えなので、ただのサラリーマンのオタクである俺が、超主観的にけれどkawangoよりはまともに、「最近のラノベ」っていうのを推論してやろうと思う。
ちなみに、全て根拠のない仮説だから、定量データ大好きなコンサルマンは読まなくていいぞ。己の中のロジックで書き殴っているだけだ。
正直こんなことすること自体、市場に対しての傲慢であることは理解したうえでだが、「カドカワのトップの発言」に怒りしか沸かないため、久しぶりに筆を取る。
努力云々が拒否されているかは正直わからん。少なくとも言えるのは、将棋の天才が努力する「りゅうおうのおしごと!」は最近のラノベではピカイチで面白いってことだ。そして、幼少期からガチで人生を変えようと努力を重ねて、家族を守るために死にものぐるいになる「無職転生」もまた名作であることを俺は支持する。
俺が言いたいのは、自己投影は「努力できる立派な人物」にしづらいのではなく、「異世界転生」にしやすい、ということである。しやすいなんて言葉も生ぬるいくらいに「ファンタジーに自己投影出来る現代最強の装置」と言っても過言ではない。
ファンタジーという題材自体、本来は自己投影には不向きなものだ。なぜなら、今の自分と照らし合わせて「そこにいる」ことを想像することが難しいから、ということは理解できるだろう。
我々が住んでいる現代、つまり「高層ビルが屹立し、夜も煌々と電気の光が輝き、インターネットで交流を重ねる世界」と「石畳を馬車が走り、騎士団が剣を振りかざし、魔法が世界の理である世界」では、あまりにも違いが大きすぎる。そこで生まれ育った主人公に感情移入するのは、本来はしづらいもののはずだ。
ただし「異世界転生」は違う。
自分が今いる現代、と、異世界であるファンタジー世界が、まずつながるところからスタートする。たったこれだけ、これだけで高水準の自己投影を得ることが出来る。
それは突然足元に現れる魔法陣か、はたまた気づいたら目の前に迫りくるトラックなのか。きっかけはどちらでも良い。今の自分が、異世界に行けるという想像力をカジュアルに補間してくれるのが「異世界転生」である。
何故か。
第一に、主人公がまんま現代に存在してそうな、ふつ~~うな人物であることが重要だ。もちろん最初から古武術をマスターして、スキルを盗む能力を授かるような人外主人公もいたりするが、基本は自分を重ね合わせられる主人公である。高校生、帰宅部で友人は少ないが仲の良い親友もいる。進学はどうしようと悩む2年生。趣味はラノベ。ほら、想像しやすいだろう。
第二に、異世界転生ってほんとにあるかもしれないだろ?という、諧謔が含まれるちょっとした夢である。死後の世界なんて誰もわからんし、宇宙にある元素だってまだわからん。もしかしたらマナを利用した魔法陣は発生するかもしれないし、事故で死亡したあとには神様がスキルを選ばせてくれるかもしれない。
「異世界転生」なんてねーよ、と鼻で笑うことは可能だが、誰もそれを証明することは出来ないのである。だからこそ、現代と異世界のつながりを、「ないな」と思いつつも受け入れることが出来ているのだと、俺は考えている。
重要なことだからもう一度言うけど、「現代」と「異世界」をカジュアルにつなげる「異世界転生」は紛うことなき物語の発明である。最初にトラック走らせた人には3,000ガバスあげたい。
「異世界転生」がすごいものであることは説明した通りだ。かくいう俺も、毎日仕事帰りにはブックマーク登録しているなろう作品を消化しつつ、健気にスコップしたりもしている。本屋の棚にならぶラノベも、以前よりも増えたなと感じることはある。実数はしらん。マーケティング大好きくん調べてください。けれども、これは現代の若者云々のような下らない推論なんかによるものではなく、あくまでブームの1つだと俺は考えている。
ところで、俺は30代前半のおっさんだったりするわけだが、中学生にはじめてブギーポップを読んでこの世界に足を踏み入れた。かどちんの作品は今でも全部読んでいるけど、ハートレスレッドが俺は大好きなんだ。あの頃は「セカイ系」なるものが流行っていて、なんだか薄暗いイメージの作品が人気を集めていた。細かいこたぁいいんだよ!と言わんばかりに、世界観設定などをあえて曖昧にして、読者に考えを委ねるような作品だ。正直俺はTVアニメ版エヴァンゲリオンが嫌いである。新劇場版は好きだぞ。
まぁつまり、今とは確実に違った主流だったと考えてよいだろう。
オタクの狭い世界でいうとその後に泣きゲーがメインストリームを走り、鍵と葉をプレイしないオタクはオタクに非ず、と総括しはじめるオタクもいたハードな時代だった。その後はいわゆる「新伝奇(この言葉あんまり好きじゃないんだけどな)」と呼ばれる作品がにわかに注目を集め、PCゲーでは月姫・Fate、ラノベでは戯言シリーズ、禁書、シャナが生まれていった。まだ少し薄暗さやきな臭さみたいなものが世界に漂いつつも「物語を曖昧にしない設定」が練られた作品が多かったイメージだ。そんな中、生まれでたゼロの使い魔は最先端だったんだろう、異世界転生の走りだった。お悔やみ申し上げます。
物語のムーブメントはここでもまた変わっていたわけだ。時代時代においてムーブメントはあり、「異世界転生」もその系譜の1つであると考えても不自然ではないだろう。美味しいものがあれば、それを食べ続けたいと思うのは至極当然の話しだ。最高の自己投影が出来る「異世界転生」をひたすらむさぼるのも、ただの欲求の発露だろう。
人間は成功体験にもとづき、欲望を繰り返し続ける生き物らしい。ソーシャルゲームの初期ガチャでURが引けるのは、その辺の心理をゲームに応用している可能性があるから気をつけるといいぞ。俺はFGOに毎月1万円課金している微課金兵だから、安心していい。
1つ面白いものを引き当ててしまったら、次に何かが来るまで、同じ成功体験を求めて同じものを摂取する。それは俺が辿ってきたオタク人生を照らし合わせてみても、超主観的に正しいと主張させていただく。
正直「異世界転生」は飽きてきたんだけどな。
最後にこれも超主観的な仮説だ。
エロゲisコンテンツの頂点。SF小説isオタクの原書。ラノベis心のフレンド。最高の1冊は「天冥の標」と豪語する俺だが、最近はコンテンツの摂取にカロリーが高すぎて億劫になってきてしまった。
昔のエロゲと言えば、長いプレイ時間を経て没入感が高まり、最高のカタルシスを最後の最後にぶちかまされる、そんな作品に90点が付いたものである。ゲームもそうだ。長時間プレイするRPGは食指が伸びない、仮に触れたとしても10時間でギブアップ。本気でコンテンツと向き合うのに気力が必要なのだ。
なぜかと考えてみると、コンテンツとの向き合い方が昔と大きく変わってきてしまったことに気づく。
例えば、インターネット。不覚にも、kawangoのdwagnoが作り上げた「ニコニコ動画」は短尺でコンテンツを楽しめる世界観を作り上げた。1本5分~15分程度のユーザークリエイティブな動画が数多く投稿され、それをつまみ食いする時代が2007年くらいから始まった。当時はアイマスのXBOX版プレイ動画をただただ見ていた記憶がある。その後に初音ミクや東方、まぁニコ動周りは色々とブームが起こっただろう。id3万番台の古参だからたくさん見てきたけど、今はたまにはてブに上がる動画を見るだけである。
アニメでいえば10分尺が増えてきた。ややもすれば5分。手軽に見れる極致と言って良いだろう。あいまいみーの作品構成は完璧だった。神アニメと言って良い。
デバイスはスマホ利用がメインユースである。スキマ時間にいじって、Twitterを見たり、ソシャゲのスタミナ消費したり(最近スタミナ系減ったね)、もちろんニコ動やYoutubeで商品宣伝見たりするのも楽しいだろう。若い子ならsnowとかsnapchatとかもあるな。comicoのリライフが地味に好きだから、毎週土曜日の更新が楽しみだったりするよ。
それが気づくとスキマ時間だけじゃなく、家に帰っても弄っていたりする。これを読んでいる皆もそういうことが何度もあったはずだ。
そうやって俺たちは、気づけば「カジュアルに消費できるコンテンツ」ばかりを楽しみ、それに慣れてしまった。「うわ、これ疲れそう」なんて言いながら積んでいるコンテンツ、皆はないだろうか?俺はある。たくさんある。以前は何を差し置いても、翌日の仕事に差し支えたとしても、徹夜してでも、読む。プレイする。そんなコンテンツが、いまや時間のある時に消費するかと積み積み。
もちろん時間があればいい。気力を振り絞って得られるカタルシスが最高であれば、なお良しだ。ラノベ読んでてよかった、エロゲやっててよかった、この年になっても年1くらいで感じる瞬間だ。
でも、その時間はいつの間にか、生活を縛るカジュアルコンテンツに侵食されてしまっているのが現実である。カロリー計算をした瞬間に、さすがにラーメン二郎は無理、と避けてしまうのは年を取ったからではなく、現代の生活をカジュアルコンテンツに束縛されているからだと俺は考えている。
そんな中、最近のライトノベルやなろう小説には、カロリーに優しいコンテンツが多い。それが「安定して人気の出る作品」であるというのが持論である。(爆発的ヒットではなく、一定数さばけるという意味である)
ポイントは2点である。「期待値を裏切らない」「スキマ時間に読める」
小説はそもそもコンテンツとして消費にかかる時間が長い。ハズレを引いてしまった時の時間的損失は読み手にとってつきまとう課題である。それを解決しているのが、昨今のラノベのパッケージであると理解している。
表紙、タイトル、帯、あらすじで、中身を想像出来る。そしてそれが期待値とずれないことが重要である。大ドンデン返しみたいな疲れるものはいらない。想像した快楽を得られ、時間というコストに対して最大限のパフォーマンスを出したいのだから。なろうの作品を読む前にタグをチェックして「ハーレム」を探しているそこの君。君だよ君。
そして、ここまで何度も述べているように、カジュアルに読み進められるパッケージとして、なろうの形式は最適化されている。1話あたり5,000~10,000文字の文量は便所でうんこしながらでも読めるだろう。通勤中であれば、2,3話読むことも出来る。区切りもつけやすい。はてブで糞みたいなエントリーを読むのと同じユーザー体験で、自分が好む小説を摂取できるのだ。そりゃあ楽な方楽な方に行きたくなるのが人というものだ。
kawangoの話はラノベのくだりだけはまじで許せなかったが、大筋同意できる意見も書かれている。
つまり、ユーザーが自分の好むメディア、自分に都合のよい物語を選び始めているということです。もちろん昔から、人々は基本的に自分にとって心地よいメディアを選んできたわけですが、まだ選択肢が少なかった。ところが今は、どんどんパーソナライズ化が進んできて、自分が信じたい情報、接したい情報だけが集まってくるようにするということが、ネットを通じてできるようになったということです。
心地よい作品を得たい、これは今に始まった話ではなく昔からそうだ。それを加速したのはネットであり、生活リズムによるものだと俺は考えている。
ジョブスのせいでエロゲをまともに出来なくなったから、あいつは地獄に行けばいいと思う。まぁiPhone7は買ったけどな。
そうは言っても、先にも述べた通り、コンテンツのムーブメントはいつか終わりがくると俺は思っている。あれだけ若いオタクの間で跳梁跋扈した東方ですら空気になりかけ、俺が大好きだったKeyだっていたるんが退社するんだ。時代は流れていく。それはもう人の手では止められるものではない。
ブギーポップではじめて感じたライトノベルという時代の到来。雫、痕、ToHeartからはじまったビジュアルノベルの胎動。なろうで形作られた異世界への特異点。
生まれ、壊され、生まれ、壊され。その繰り返しの中で、コンテンツは洗練されて進化を続けてきたのだから、今を変えていくのは強烈な快感を与える新しいコンテンツでしかない。
オタクコンテンツのトップランナーであるカドカワもといKADOKAWAが、それを担わずして誰が全うするというのか。「努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れする」だって?まじで言ってんのかあんたは?
そんな下らない仮説を振りかざして、閉じたコンテンツの世界を作り上げるのがあんたらのやりたかったことなのか?違うだろう?
今のライトノベルには面白い作品がたくさんあるぞ。エイルン・ラストコード読んだか?ライトノベルで熱血ロボットとか新しすぎだろ。最高にアガる作品だぞ。正直アニメは微妙だったけど、天鏡のアルデラミンも読んでて震えるわ。風呂敷たたみ始めるの早すぎてちょっとおっちゃん心配だけどな。
あんたの会社の社員はめっちゃチャレンジしてるんだぞ。わかってんのか?
にも関わらず、トップのあんたがその斜に構えた態度でいるとか、作り手とユーザー舐めすぎだろう。看板背負っていることを、どうか自覚してほしい。一度御社のラインナップを洗ってみて、いかに自分の認識がおぽんちなのかを理解してくれ。ラノベは多様性があって素晴らしいものだぞ。
俺はあんたが作ったニコニコ動画という世界にはじめて触れた時、新しい時代の到来を感じたんだ。実際に、2000年台後半はニコ動の時代だった。コンテンツのあり方を変えた1つの要因だったことは確かだろう。
サービスでもいい、コンテンツでもいい、もう一度それを作り出すくらいの気概を俺たちユーザーに見せ続けて欲しい。閉じこもった推論だけ振りかざしていたら、そこに未来はなくなってしまうんだから。
どうか。期待しています。
天鏡のアルデラミンの十巻を読んだ。前巻までの重々しい雰囲気から希望の持てる明るい展開になったのが印象的だった。
物語の分配としては二部構成というか、前半の戦闘場面と後半の人間模様とでがらりと空気感が変わる展開になっていた。前半については今まで辛酸を嘗めさせられてきた相手に一泡どころか二泡三泡吹かせることができた一方で、ちょっとばかしイクタのチートっぷりが悪い具合に露見してしまったように思った。それまで追い詰められていたから爽快感のある快進撃が見られるのは満足ではあるんだけれど、一応相手がとても強いライバルポジションの軍師なんだから万能感を全面に出しすぎてはいけなかったんじゃないかなって思った。
展開的に仕方がないっていうのが一番の要因で、イクタという存在の全編通しての立ち位置にも要因はあるんだろうけど、ちょっとあっさりしすぎてたかな。確かに最強の助っ人が来たのに重苦しい雰囲気のままだと読んでいて辛かったのかもしれない。内容的にも簡単な戦闘ではなかったのだけれど、安心感がありすぎたように感じた。
さて後半部分。賛否両論の顛末を迎えるわけだけど、個人的にはあれはあれでよかったかなあって思う。ハッピーエンドが好きなこともあるけど、心底つらい状況においては一定の救いがなければならないと思う。その点、七巻は救いがなさすぎたわけなんだけど、前回あんだけどん底に突き落とされたんだから今回こそは報われて欲しかった。
ただまあ簡単に懐に戻し過ぎかなとは思う。もちろんみんな葛藤しているし、人間らしい葛藤をわかりやすく表現してくれてるキャラクターもいるんだけど、元の位置に戻りすぎているきらいはあったかな。手酷い裏切りに対してあまりにも優しすぎるし、受け止めるのが早過ぎる。物分りが良すぎる人物ばかりなのが残念ではあった。
物語もまた新たな展開を見せそうで、これから世界の謎や精霊の不思議に迫っていきそう。楽しみです。見てないけどアニメも頑張れ。
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「タブー・タトゥー」
あらすじ:特殊能力持ちの人たちが戦うっぽい。
貶すだけで終わらしたくないので5分ほど考えたがよいところが思い当たらない。原作が11巻出ているのが不思議ですらある。話の展開がよいのだろうか、とも思ったが続きを見る気がしない。シリアスとギャグ、唐突に挟み込まれるわざとらしく古くさい「萌え」イメージ、キャラクターの感情の起伏、背景のトーンとキャラのやりとり、あらゆる点がちぐはぐな感じ。opやedを見る限り、なんかやたらに露出度の高いチャンネーが多いのも個人的に気に食わない。あと主人公の髪型が昭和のフォークシンガーみたい。いわゆる「中二」ぽいのは大好物だけど「かっこいい」のが前提だから…。
「甘々と稲妻」
上記「タブー・タトゥー」と続けて見たんだけど、開始10秒で冗談じゃなく、こんなに違うものかと驚いた。ちょっとした描写に神経が行き届いており、見ていて気持ちがよい。「ちょっとした描写」を丁寧に積み重ねることが、この作品にとってよい方法であることを制作側がはっきり意識しているのだと思う。キャラクターもよい。微妙に力の抜けたデザインもよいし、演技の方向性が第1話にしてまとまっており、トーンが統一されているのがすごい。モブ(お父さんの同僚)ですら! もう1回見る。もちろん視聴継続。あ、一点気になることがあった。「手作りの飯」を持ち上げるために「コンビニ弁当」を貶めているところはちょっと気になる。やむなしか。
「NEW GAME!」
あらすじ:みんなでゲームをつくるぞい。
最近、たまにある「仕事モノ」。明らかに「謎部活モノ」の系譜であるが舞台を「仕事」にすることで「みんなが気になるあの現場の実体は?」みたいな小ネタで興味を引けるのかなーとか思ったけどそんなことはどうでもいい。なんというか今の日本の萌えアニメのド直球、ドノーマルはここだ、という感じのアニメ。普通を極めた感がある。新しさはないものの極めているだけに出来はよい。しかしここまでのレベルでなければもはや「普通」にもなれないのだ、という意味で業が深い。原作見てないけどアニメ版は作品としての品質は段違いなんではなかろうか。とりあえず2話までは見てみようと思います。
「サーヴァンプ」
いかにも腐ったお姉さん方が喜びそうな雰囲気がすごくて二等身キャラのラバストみたいなのがじゃんじゃん出る未来がありありと見えたと思ったら翌日まさしくゲーセンで大プッシュされておりさすがえげつないと思った。こちらこそ「中二」作品の本命というかベッタベタながらキャラの立ったキャラ、まじめとアホのメリハリもしっかりしていてだいぶ見やすい。あと音楽が川井憲次で驚いた。役者もそろっており、手堅くまとめてきた感がある。グッズを売らなきゃいけないんだね…。お兄さんが変な演技をするのが好きな人なら見たらよいと思う。自分はもういいです。
部活モノ日常系かと思いきや片思いする女子が主人公のまっとうなラブコメだった。部長がぐうたらという設定や、その風体もあいまってどこか昔懐かしいアニメっぽさ(「あ~る」とかあそこらへん)を感じる。そのうえで女子に慕われる男子は「二次元大好き」と言ってはばからない今風(?)な人物という設定のミスマッチがちょっと楽しい。あと女の子がイキイキと動いているのでよいのではないでしょうか。第1話にしてちょっとした山場をちゃんと持ってきたのはすごいなーと思いました。ラブコメ全然見ないけど個人的には「デンキ街の本屋さん」の方がアホっぽくて好き。それはそうと男子生徒が描く「理想の二次嫁」のセンスが壊滅的では。
「魔装学園HxH」
あらすじ:ちちくりあって戦うぽい。
なんかそういうのがあるっていうのは聞いてたんですよ。なんかそういうエロバカ枠みたいのがアニメにはあると。「これか~なるほど~」てなった。「セーフティエフェクト※」じゃねぇわ。ちょっとおもしろかったです。よい経験になりました。ありがとうございました。
※際どい部分を隠すための要するにボカシ処理なんだけど妙にデザインが凝っててそれを「セーフティエフェクト」と言い張っている。
絵がとにかくすこぶるダサい。時代に取り残されている感がある。21世紀のアニメと思えない。銀英伝でも始まったのかと思った。なんとなくNHKっぽい空気がある。それで「うっわー」と思いながら見てたんだけど、なんか見ているうちに話がおもしろいような気がしてきて次回も予約してしまった。謎。あと主題歌が「天鏡のアルデラミン」ていうんですよ。「作品と同じタイトルを主題歌に付ける」とか、そもそもタイトルの「ねじ巻き~」ていうセンスとか、やっぱり昭和の時代にお蔵入りした企画かなんかが四半世紀を経て平成も終わりそうな今、やっと日の目を見たんでは。
「91Days」
あらすじ:怒って酒を売るっぽい。
復讐譚とのこと。終始重々しく暗い画が続くがきれいである。第1回のみと思われるopもかっちょよかったが次回からは凛としてる人の曲になるんだろう。ずっとこれで洋画風を貫いてもよかったのに。復讐に燃える主人公とトンチの得意な友人、という2人はエレンとアルミンぽさある。主人公の境遇もそこはかとなく似ていなくもない。アレをリアル世界に置き換えたらこうなりましたみたいな感じだろうか。それはそうと何もかもが淡々としており、主人公が急に巨人になるとか実はみんな巨人でしたとかヒロインの腹筋がバキバキに割れてるとか、アニメはもっとはっちゃけてほしい自分としてはここまでというところ。
あらすじ:昔の偉人に会うっぽい。
なんだこれ。文科省ご推薦アニメかなんかか。Eテレで午前中にやってる知育番組と言われたら信じるレベル(AEDの使い方も教えてくれるよ!)で、そう思うとキャスティングも「とりあえず金はあるから!」って(微妙に旬の過ぎた感のある)有名どころを適当につまんだ感じに見えてくる。タイムトラベルしたのは制作スタッフなのではないかと思える90年代ぽい絵柄や演出(目がハートになるとかマジかよ)をなんで今!? 誰が? どうして? としか思えず個人的謎アニメ枠の今季暫定No.1を思うがままにしています。
小森霧(絶望先生)みたいのが飛び回りながら包丁でゾンビ無双をする様が見たい、ぜひ見たい、という方がおられましたら見るとよいと思いますが第1話だけでは世界観があんまりよくわからなかったのでおすすめかと言われると何とも言えない。原作や制作は中国スタッフだそうで、絵柄も日本のアニメとアメコミの中間といった感じで珍しくおもしろかった。「へー、ゾンビものなんだー」と思ってたら「キョンシー」の一言で我に返る。edは恐らく日本人制作で非常にわかりやすい日本人(のおっさん)の萌えが溢れており本編とのテンションの差が愉快ではある。
あらすじ:県を背負って戦うぽい。
「ぼくらの」が好きなんだけど、鬼頭莫宏の冷たい目線で「ベタなロボットものを描いたらこうなりました」っていう。思えばエヴァだってある種の「リアル」を打ち出した作品だけども、「ぼくらの」はもっとずっと「死」が身近でウワワと思ったものです。翻って本作は「子供が戦争に駆り出される世界」を描いているんだけれども、そこに「死」のにおいは一切なく、しかしそれが「あえて」であって少しずつ表面化してゆくのならおもしろくなるかもと思いました。何しろあのお姉ちゃんの歌はファンタジックな能力を装いながらあからさまに戦意高揚だし、千葉・神奈川・東京は陸・海・空軍だし、また学生服とは即ち軍服である。ダブステップ(今更感もあるが)をbgmに敵をブッ殺しまくっている少年少女を見ていたら、なんだかアメリカの軍人は分厚いヘルメットの中で大音量のメタルを聴きながら作戦遂行している、みたいな話を思い出したりして。果たして「9条改憲」だとかいった話が取りざたされる昨今、この作品が放映されているのは偶然なのかそうでないのか。個人的には、より陰惨な展開になることを期待しています。
あらすじ:世界の滅亡を防ぐっぽい。
風呂アニメ。本編24分(op・ed含む)のうち、実に12分(思わず計った)にも渡り風呂に入っている。しかも視聴者を飽きさせないように大浴場、露天風呂、サウナ、打たせ湯と種類も豊富。日本アニメ界が過去数十年に渡り研鑽を重ねてきた「謎の湯けむり」「謎の光」といったセーフティエフェクト(覚えた)の髄を見た気がする。次回以降もぜひこのテンションでやっていただきたいと思います。見ないけど。片翼のキャラの背後に広がる雲が、失われた翼のように見えるカットはきれいでした。
「あまんちゅ!」
あらすじ:海に潜るっぽい。
「ARIA」は原作もアニメも割と好きで、こちらの作品に於きましても「うぴゃー」だかなんだか、あーいつものって感じ。のほほんとした空気をまといながらも見る人を相当に選ぶソリッドな作風であり「恥ずかしい台詞禁止」ってこっちの台詞だわ、といった向きもあるのだが、それも含めて海のように広い心で見ることができれば平和そのもの。先生の言葉に体の力が抜けてしまったり、ぴかりかわいい! とかツイッターに書いたりすることになる。同じ画面で(各キャラごとに用意されている)デフォルメの顔と素の顔が共存するあたりからも、そういった「差」を乗り越えて全部まるっと母なる海のように受け入れるぞ! という世界観が快い。ちくしょう! なんだかくやしい! と思いながら継続します。ところで勝手に「海女」の話と思ってたけど、どちらかというと「スキューバダイビング」の話なんだろうか。
「モブサイコ100」
あらすじ:霊を清めるっぽい。
おっしゃれー。原作の人は相当に絵が下手だったような気がするんだけど、下手な絵故の「空白」がたっぷりあってそこにもうアニメーションの可能性がみっちみちに詰め込まれた状態である。話がどうとかは割とどうでもよくて「わーこんな絵が! 今度はこんな絵が!」といった楽しみ方ができます。つくってる方も楽しいんじゃなかろうか。個人的にはハマらなかったけど。
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以上、2016年・夏期アニメ14本の第1話を見た感想でした。
視聴継続は「甘々と稲妻」「天鏡のアルデラミン」「NEW GAME!」「あまんちゅ!」の4本。
今までアニメ新番組の第1話を全部見る、ていうのやったことなくて、
さすがに全作品は無理と思ってできる範囲でやってみたが大変に疲れた。
それにしても、これだけの数と品質のアニメが毎週無料で放送されているとは、
なんて贅沢なことだろうと思いました。日本人でよかったね! おわり。
天鏡のアルデラミンの八巻と九巻を読んだ。一部完結時の流れを組んでるからか、比較的重たい話が続いていた。でも九巻の終わりで少し光が差してきたのでほっとした。
八巻は前巻から二年経った状況と人物紹介が主な内容だったので、あんまり内面に踏み込むことのもなく平坦な物語になっていた印象。とは言え個人的にライトノベルの理想形とでも云うべき読みやすさと物語を併せ持っていたので、可もなく不可もなく優等生な小説になっていたと思う。ただ、眠れる子が彼女だったのには少々閉口したなあ。内容的に主人公一行は随分とつらい目にあっているのに、ここに来てまたそれかああって感じ。暗澹たる気持ちになった。始めにも書いたけど、重たいムードで進む内容だったから一層堪えた。
重たい雰囲気は九巻になると更に顕著で、状況がどんどんどんどん悪くなっていく。立花の勇者を読んでた時もそうだったけど、主人公サイドが敵の術中に嵌っているのに気が付かないまま事態が悪化していく様子が描かれると、サビを噛んでるような気分になる。敵方の意図が描写されつつ、作中の登場人物が認識できずに窮地に陥るパターンは、自分には合わないんだと思う。はじめてのおつかいとか、目に見えてトラブルにあるのが分かっているのに見守ることしかできないのって、苦痛に感じてしまうんだなあ。後々のカタルシスのためだとは理解しつつもどうしても苦手だ。
登場人物の思いがそれぞれにちゃんと描かれていてよかった。みんな重荷を背負いながら歩いている感じで、大変だなあって思う。争いなんて無いほうがいいよ、やっぱり。平和が一番。ラブアンドピース。狐は許さないけどね。
とにもかくにもイクタくん頑張れ。まじ頑張れ。九巻の終わりがとっても熱くて、感動的で、十巻への期待が高まる内容でした。親父たちが本当に格好いい。