はてなキーワード: 畜産動物とは
畜産動物に対して失礼と感じるとは変わった人ですね
世界の賃金は上がり続けている。例えばオーストラリアの平均年収は1200万円。日本の1%未満と言われる上位富裕層が普通なのだ。
俺たちが収めた税金は、A国とかC国とかK国だけでなく、様々な国へ支援として流れている。
国家予算だけでなく、インフラもそうだ。例えば石炭・ガス・ウランを海外から買い続けている。
施設管理や維持も外注している。わかりやすく言えば原発の管理をイスラエルの会社に外注したり、水道管理をフランスの会社に買収されたり、農業種苗を種苗メーカーから購入することが課せられたり。畜産動物の餌に余っている国内米を利用を指導するのではなく、輸入穀物利用を野放しにしたり。
国内に増えた99%の貧困層と結婚したくないのは男女共に同じ。というか、これだけ災害や失業が増えてる時代に、一馬力家庭や、世帯年収を下げるようなパートナー選びは昔と違ってできないと思う。
単純に、一方が失業したら解散しかねない家庭なら、子供の養育を考えて「無理だ」と思うのは仕方ないことなのではないかと思う。
「作りたい女と食べたい女」なる漫画があり、女性同士の関係性をフラットに描いとるってことで人気らしい
いわゆる「百合」みてえな装飾過剰な感じがなく、自然体で、社会問題なんかにも触れつつ、説教くさくもないくらいのライン
ええんちゃいまっか、と思う(何様?)
「食べたい女」にあたる人がけっこうデカいというか、ゴツいのもいい
それでべつに豪放磊落・食うことしか頭にない!みたいなキャラ付けでもなく、わりと普通の人なのもいい
で、そんなポリティカルにコレクトな作品なわけですが、ある方向性からは攻撃可能みたいなんですね
否定してないというか、バリバリ肉とか魚とか卵なんかを食いまくっている
そこにケチがつくわけだあ!
女性に対する抑圧を描いていますが、動物に対する抑圧についてはどうお考えですか?
男性中心の社会によって女性は搾取されていますが、それはそれとして、人間中心の社会によって畜産動物が搾取されているのも事実ですよね?
人間への搾取はダメだが、動物はいくら苦しめてもオーケー、ということですか?それは種差別ではないですか?
すげーよいまの世の中
本当にすごい
一人暮らしなので、自炊は完全菜食・人との食事は例外にしてる。
(人に気を遣わせると悪いので公言はしてない)
こんなご時世なので職場でも人と距離を取って食事をするし、外食も減ったのでヴィーガン寄りの生活はやりやすいなという感想。
私のようなフレキシタリアン(時々動物性の食品も食べる人)を馬鹿にする人も結構多いけど、長い目で考えたらこういう人を1人でも増やした方が肉食派にも確実にメリットがあると思う。
むしろ肉食派こそじゃんじゃんヴィーガンを持て囃したほうが賢いのかも知れない、環境問題は食に対するこだわりに関わらず皆等しく影響を受けるし。
声高に他人に強制するタイプのヴィーガンは自分も嫌いだけど、ヴィーガンになる理由が『動物かわいそう』でもいいんじゃない?とは思う。
”寄り”の生活をしているから分かるけど、例外のない完全菜食は本当に修行だと思うので、どんな理由であれ貫いている人のストイックさは尊敬に値する。
(ちなみに私が畜産動物に対しては初めて軽くショックを受けたのは、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』だけど、彼もこの本を書く経緯でヴィーガンになったと聞いて納得した)
私がヴィーガン寄りの生活を送るようになったのはアニマルライツでも環境問題でもなくて、元々肉があまり好きではなかったので、肉抜きで健康的維持できるなら最高じゃん、試してみようと思ったことがきっかけ。
あと、ドキュメンタリー映画の『ゲームチェンジャー: スポーツ栄養学の真実』を見たから
※肉食と菜食で男のアレの固さと維持する時間が変化するのかって実験は色々と面白かったので見てほしい
ただ人と暮らすようになったらどうすっかなと考えてはいるけど、その予定も今のところないのでしばらくこの生活を送るつもり。
そういえば先日モスの動物性原料不使用のグリーンバーガーを食べてみたら驚くほど美味しかった。企業努力すごい。こっちもオススメ
私は食肉を受け入れない。人が肉を食べるため他の生命を奪うことを悪と考えるというよりも、私たちが食卓で口にする肉を生産する過程において他の生き物の尊厳が十分に守られていないことを問題視するというスタンスにおいてである。詳しくはアニマルライツとかそのへんのキーワードでググってくれ。
赤十字が宇崎ちゃんをキャンペーンに使うことがダメだ、と考える方々には、同じ論理を持って今すぐ公共の食堂に並ぶ肉類を全て消し去る運動にも同意をいただきたい。
私は肉を見るのも嫌だ。肉を食べることは自然の摂理、などと考えているのは理性の伴わない野蛮人の思考である。役所や病院の食堂においても平然と肉が並ぶこの社会は、食肉自体があたかも問題のないことであるように人々に刷り込んでしまう。テレビをつければグルメ番組、街を歩けば鉄板で焼かれた肉をデカデカと掲げた広告、レストランや食堂には多種多様な肉類のメニュー。
女性の権利と畜産動物を一緒にするな、ですって?あなたはなぜ人類が畜産動物より高等で尊重されるべきものだと考えているのか。それこそがまさに私が先述した刷り込みの結果でないか。そして私のように畜産動物の権利が迫害されることに心を痛める人間の思いは尊重される必要がない、との考えであるのか。もしそうお思いであれば、私にはその考え方が女性の権利の議論においてあなた方が批判しているものと同じであるように感じられる。
なお一言断っておくと私は赤十字が宇崎ちゃんを使ったことが社会的に許容されない、とは見ていない。かつ食肉に関して、社会的な規制を実施すべきであるとも考えていない。(私が思想として食肉に反対していることは変わりない)
多様性のある社会とは皆が同じように他者のことを分かり合える社会のことではない。仮に自分が許せないものが社会に存在したとしても、それが他者にとって重要な意味を持つものであるならば、それを拒絶せず存在を許容することである。ただし、それが許せないということを主張する権利はある。そしてそれに反論をする権利があることも。異をとなえ流相手にレッテルを貼り耳を塞ぐ事は理性の敗北であると思う。
最近、ヴィーガンに対するアンチを目にするようになったけど、あんなにヴィーガンへの敵対意識をたぎらせる心意気がどこから来ているのか気になる。
私はヴィーガンではないけど、彼らの主張に賛同できる部分もある。例えば、過酷な工場畜産など行っている場合は、よりストレスのかからない畜産へとシフトすべきだとは思う。その後、畜産動物を廃滅するか否かというのは議論が多分にあるのでそちらを参照していただきたい。彼らの主張のうちにもちろん一貫していない部分もあるが、そうした部分をあげつらって、賛同できるであろう主張もないがしろにしてしまうのは建設的ではない。
単純にヴィーガンの非一貫性をからかって遊びたいだけなのか、それ以上の何かがあるのか知りたい。
日米欧、欧の中でも各国違う仕組みでシステムがまわっているのを見るけど、
なかでも日本は本当にうまく回っていない感は外から見ていても感じる。とても日本社会的な特徴がよく出ているかなとも思う。
財務省は、高齢者サポート以外の予算を一生懸命締め付けるための因縁を各省庁につけて回っているんだけど、
文科省はグローバル化とか大学改革とか、それを実施するためのお金として削られる分を取り返そうとしている。
財務省はそこに根拠を求めるから、文科省が偉い教授陣に提案とかグローバル化のロードマップとかの作成をお願いする。
すると、
> もっと偉い教授陣が集まる教授会で何が議論されているかと思えば、やれ大学改革だ、グローバル化だ、
> 大学院授業の実質化だ、オープンコースウェアだ、アクティブラーニングだ、学位プログラム化だ、
> 単位互換制度だ、デュアルディグリーだと、文科省の顔色をうかがいながら、
みたいな現象が起きる。
ただ、大学運営の方針を決めたり戦略を作ったりすること自体は世界中のどこでもやってる。
ここで、日本で一番特徴的だなと感じるのは、年功が高い人というか総合力を重視する規範がものすごく強くて、
そういったロードマップ作成を、年功の高い人だけでやろうとすること。
だいたい良い人材が腐らなければ、年々研鑽していくこともあって、
年功が高い人の方が(その組織委内での)総合力が高くなるのは当然の帰結だけど、
それでもある一点で評価すると年功の低い人でも年功の高い人を圧倒することは当然ある。
「他はだめだめなんだけど、ここは素晴らしい」という人材がいたとき、
「あいつは未だ未だ」「こういうところが足りてない」など、"欠点がない"ことを資質として求めちゃう。
結局、戦略策定とか高尚とされるお仕事は年功高い人がとるので、大学の業務リソースは変わらない中、よそ者とか若い人に、
> 生産性の低い学生(留学生含む)を手厚く面倒みながら、自分は事務書類に追われ、試験監督したり、
> クラス連絡会とかオリエンテーションとか企画して、引きこもりで出てこない学生の両親に電話相談したり、
> 大学説明会、オープンキャンパス、市民講座とかに駆り出され、はては高校訪問などの営業まで
してもらわないといけない体制が出来上がる。
長期戦略を作る方の話に戻ると、年功が高い人になると、人生の"あがり"が見えている人が自然多くて、
「10年後なんて俺には関係ない話」と口にしちゃう人がマジでいるし、
戦略策定も"欠点がないように"実施項目は並べるんだけど達成目標の議論は避ける。
「ベンチャー活用」とか実施項目は踊るけど、その帰結については書いてないでしょ?
年功高い人の会議でも同様の議論(↓)があって、これまで前述のことは本当に陳腐だと感じられるかもしれないけど、
結局のところ、地方は結局「若者」を排除して自ら衰退するですね。
さらにこういったものを作る有識者会議だと「高度な日本の技術を輸出」とか、
日本に本当に有意性があるかどうか不明なことが世界を圧倒しており、
しかも世界がそれを欲しがっているというクールジャパン前提の実行計画が立つ。
他方で、極端な例を挙げると欧州小国だと官僚組織の部長(局長の次席)に30歳ちょっとで就くことがあったりして、
そういう人にうまく仕事をさせて、組織の利益にしようという目標意識も運営側に強い。
欧米だと博士課程の学生に勤続年数5-6年のサラリーマンと同じ年収を渡して仕事をしてもらうのもよく聞く話ですよね。
日本だったら、そんな社会経験ない人に良く任せるなーって感じするよね。
でも、欧米の友人もP300くらいの研究提案書(ロードマップ)なんて作ってポジション取りに行ってるし、
日本の外の方がベジタリアンに対する理解はあるよ。行ったことある国でしか説明できないけど、カナダとかベジタリアン向けの食事が用意されているし、ベジタリアンレストラン(チャイナタウンなら素食って呼び方をする。)も多い。
日本でベジタリアンになるのはコストでも時間的な意味でもすごく難しいことだけれども、NPO法人なんかもあるみたいだしチェックしてみることをオススメする。
畜産については、日本や北米の超工業的で動物に苦痛を与えうるやり方は欧州をはじめとする国々から批判されることも多いと聞いた。実際に北欧の食肉加工場と南米の食肉加工場だと衛生さも動物の飼育から屠殺までの苦痛も(あくまで人間からみた尺度だけど)北欧の映像の方がよい(あるいは軽い)。北米の食肉事情については映画「フード・インク」が詳しくやってくれていると思う。(作られた動機が「息子が肉食べたら食中毒おこして亡くなった」ってことなので、大分プロパガンダ的要素も入ってると思うのでそこは留意しておいたほうがいい。あとは血が出るから苦手な人は見ないほうがいいかも)
そして、日本で捌かれる畜産動物はまだ衛生的な環境で、苦痛もなるべくないように考慮されている方だから、一度お近くの食肉加工場に見学に行かれてみてはどうかなと思う。ちょっと勇気いるけど。
動物の福祉では、これは一説に過ぎないけれど、日本人が好む「霜降り」は実はかなり牛に負担を掛けているということで、動物の健康を考えるならば、日本の穀物牛よりもオセアニア産の牧草牛のほうが良いらしい。
血が苦手な人、動物との初めてのふれあいがペットの人はかなり苦しいけれども、畜産動物はペットとは違うのでどうしても工業的になってしまうのはしょうがないにせよ、パック肉しか目にしない今日だからこそ一度捌かれ方を知りたいと思う。