はてなキーワード: 企業家とは
最近なんちゃらのなんちゃら歳以下のなんちゃら人に選ばれたらしい新進気鋭の企業家が進めているネットを使った教育系サービスがあるけど、あれはもう終わりだ。
まず、企業の頼みの綱である学生バイトの時給を3分の1削った。
別に削りたきゃ削ればいいが、雇っている相手は、東大(医学科までいる)東工大、早慶、全国の有名私立に国公立医学部の生徒だらけだ。
そんなやつらの中に、時給600円で働いても良いよってやつがいるならいいが、俺はごめんだ。
あと、最近給与振り込み先を強制的にイオ○銀行に変えさせやがったが
その口座設立へのリンクをクレカも勝手についてくるアフィリエイトにする時点でこの会社の程度が知れる。
沈む船からは俺は逃げる。
「福島のかわいそうなわんちゃん猫ちゃんのためにご寄付をおねがいします」という訴えを、東京近辺に住んでいる人なら駅前等で聞いたことがあるだろう。あれは、青年協議会という熊本のNPOが行っている事業だ。すこし調べてみたが、巧妙に仕組みを作っているNPOだったので共有したい。情報は彼らのホームページおよび内閣府で開示されている彼らの公式情報による。
NPO法人の目的を定める、定款という書類がある。彼らの定款にも、9項目にわたり幅広い項目が目的として入っているが、動物や犬猫に関するものはない。そもそも、なぜ「青年協議会」が犬猫の保護に対する寄付を求めているのか?事業報告書に答えがある
ニートや引きこもり、法務省からの紹介者などを積極的に雇用し、地域の清掃活動や街頭募金活動を通じて感謝の心を学ぶことにより豊かな人格形成を図る
そもそも募金を行うことそのものが目的で、募金で犬猫を救うことが目的ではないのだ。募金を訴えている人たちはニートや引きこもりで、給与をもらいながら働いているのだ。NPOの目的を達成するためのなんと上手な戦略か。私みたいなニートを雇用するために寄付をください、と言っても誰も寄付してくれないから、戦略的に寄付の対象を選んだ結果が福島の犬猫なのだろう。
公式サイトにスタッフの誓いというものがある。さすがニート再教育のための誓いだけあってよくできている。
http://seinen-kyougikai.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/stuff_tikai.pdf
このあたりをきちんと理解すれば、社会でブラック企業に当たったとしても耐えられるだけの心の強さが身につくだろう。
㉒ 今日も一日、名前も知らない誰かのために、名前も知らない誰かに頭を下げ、東北復興の窓口に自分がなるために、街頭募金活動を頑張ります。
上記の組み合わせは実に味わい深い。街頭募金活動は企業家として意識を持って行わなければならないのだ。
その企業家精神を実践しているのが青年協議会だ。少し詳しく見てみよう。
企業家たるもの、資本の有効活用は必ず意識しなければならない。寄付されたお金をそのまま使うなんてもってのほかだ。寄付されたお金は、さらに増やしてから使わなければならない。彼らは、NPOにしかできないやり方で、企業家精神を実践している。それを図解したのが以下のURLにある。
http://seinen-kyougikai.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/tikai.pdf
彼らは、いったん受け取ったお金でアルバイトを雇い、そのアルバイトがさらに寄付を求めることで、寄付されたお金を3倍に増やしている。その結果多くのお金を使う効果的な社会貢献ができているのだ。なんと巧妙な仕組みなのか。
2015年度事業報告書によると、彼らの収入の6567万円のなかで、NPO事業支出に使っているのは3440万円で最大だ。ただ、詳細は明らかにしないことにしたらしく、監督省庁から「内訳(支払機付近であれば支払先も)を提出するように依頼するも、提出なし」との注記を受けている。企業家たるもの自らの企業秘密を明かすわけにはいかないので、お上の圧力に負けず秘密保持を徹底するその態度は素晴らしい。
ただ、2014年度の事業報告では、圧力をかわしきれなかったのか、寄付金の内訳が事業報告書に添付してある。そのなかで最も多い441万円の寄付が「助成金コンサル事業」に使われている。他の寄付金の宛先が「相馬会(福島)」「猫のマリア」等であるのと対照的だ。助成金コンサル事業が何を示しているのかは秘密保護を徹底している以上当然明らかではないが、企業家精神を実践する青年協議会がただ単純にコンサルのために貴重な寄付金を払うこともあるまい。
ここは筆者の完全な憶測になるが、寄付金を払っているNPOに対して、助成金のコンサルを抱き合わせで紹介しているのではないか。そのコンサルにかかる費用についても寄付で賄えば、NPOにとっては無料でコンサルを受けることができてハッピーで、青年協議会は、関係するコンサルへの支払いが寄付金と会計上計上できてハッピーという、みんなが喜ぶ仕組みを構築していると考えるとしっくりくる。NPO法人は、2/3以上の役員が役員報酬を受け取ってはならない、という制約があり、せっかく稼いだ寄付金をそのまま役員報酬として支払うことができないのだ。もちろん、役員かつ常勤の職員として雇用することはできるが、その場合はタイムシートだとか兼業禁止だとかうるさいことを言われる。その点、コンサルタントであれば柔軟な支払が可能だ。頭の固い役人や理解のない第三者にいちゃもんをつけられないよう、念のため2015年では寄付金の内訳を公開しないことにしたのではないか。もちろん、まったく違うより巧妙な仕組みを考えている可能性もある。増田諸賢のトラックバックを待ちたい。
素直に寄付金を事業に使うごく普通のNPOが圧倒的多数の中、青年協議会のクリエイティブでイノベーティブな社会貢献は、「福島のかわいそうなわんちゃん猫ちゃんのためにご寄付をおねがいします」という言葉で想像されるものよりずっと幅広く豊かなものであった。彼らの革新性が、それにふさわしい社会の認知を得ることを望みたい。
https://www.npo-homepage.go.jp/Portal/corpDetail!show.action?no=043000212
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
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変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
同じく東京から大阪に引っ越した人間から、大阪の良い、悪いと思ったところを
大大阪の時代の名残を感じるような綺麗なインフラ、立派なインフラが多くある。
志のある企業家が多く、なおかつお金があったから出来たことなのかもしれない。
そして安い(ビール大瓶330円~350円、1000円あれば飲んでつまんで十分)
これなら週3ペースで一杯飲んで帰れる
もちろん、しっかりしたお店は高いし、そこはそこでしっかりとした物が出てくる。
紀州や北陸、瀬戸内などの美味しい魚が新鮮な状態で入ってくる。
鯛は寿司や刺身からあら炊きまで、東京では食べたことがないような美味しさが味わえる。
梅田や難波に集中しているので、東京の時のようにあちらこちらの街に行かなくても十分買い物が出来る。
そして人も多すぎないので、ゆっくりと商品を選ぶことができる。
東京ではとても手が出ない立地のマンションでも、他の人よりもちょっと稼いでいる庶民であれば十分に買える。
これは本当につらい。特に歩きたばこが当たり前のように行われているので
駅のトイレなんかも汚いんだけど、古いというわけではなく汚いという印象。
清掃業者にあまりやる気がない&まともにきれいにしようとしていないという雰囲気だけども、
これは清掃利権云々があるから業者も変えられないのかと疑ってしまう。
とは言え、快適な住環境を求める層は阪神間や北摂の郊外に住んでいるので
そこで緑豊かな環境を享受しているからあまり問題ではないのかもしれない。
湯量も少ないところが多いので、なかなかかけ流しにお目に掛かれない。
まぁ、東京の油っこいモール泉も嫌いなので、どっこいどっこいか。
日本の労働環境について初めてネットでセンセーションを起こした海外ニート氏であるが
彼の「シンガポール天国だぜ!」にだまされて被害にあった人も少なからず居ると思う。
間違ったシンガポール感をもってシンガポールに来る人が居るといけないのでシンガポールのリアルを書いておく。
まずは悪いところからいってみよう。
ちなみに1SGDは大体90円ぐらい。
★悪いところ
●家賃が高い
ワンユニット借りる場合は3000SGDぐらいする。一部屋の間借りでも700SGDぐらいから、日本みたいに安いアパートはない。
さらに一人暮らし用のアパートもない。駐在員でもない限り間借りが必須である。もちろん知らない人と同居するので
さまざまなトラブルに見舞われかなりの人が1年で住居を変わるが、替わった先でもトラブルに見舞われる。
●住環境が悪い
金融外資のエリートや上場企業の駐在員の住むコンドミニアムならともかく、一般人が住むような場所だ日本に比べて
機能性の悪い汚いHDBと言うぼろいアパートしかない。せめて安ければいいが前述の通り高い。
やたらと緑が多く、一般の住環境まで侵食している。住居の近くに店も少なく。都会に住んでいながら田舎以上の
不便さを感じる。都市は歩いてもしくは自転車で移動できないように設計されており、歩道スペースがつぶされて
芝生が植えられている。東・東南アジアの中で駐在員待遇で単身赴任するなら選びたくない都市に入ると思う。
●車が高い
車の値段は日本とほとんど変わらないが、同じ程度の税金を払う必要があり約二倍になる。
●食事がひどい
アメリカなどに次ぐひどさである。3から4SGDで食べることはできるが高カロリー・低栄養価の酷い食事で1年以内に体調不良につながる。
栄養不足からか女でも脱毛が酷く禿げた女がやたらと多い。健康な食事を食べたければ金融街にでも行って20SGD以上は出す必要がある。
自炊しようとしても賃貸は自炊さえ禁じられているようなところが殆どである。
●女がデブ、化粧もしない
上記の理由により女がデブである。化粧もしない女も多い。たまにかわいい女もいるが日本や他国のほうが圧倒的に可愛い率は高い。
永住権という名前のVISAは存在するが、実は長期滞在VISAである。時々更新されないことがある。
長期滞在VISAに過ぎないのに2世目からは兵役に行かなくてはいけない。
シンガポールにはキチガイがいない。少しでもおかしな人間は発達障害のレッテルを貼られ幼い段階で社会から阻害される。
街にはDQNが存在せず、最もやばいやつでもいきがってる勘違い君ぐらいのやばさしかない。
DQNなんて必要ないと思われるかもしれないが優れた企業家や芸術家はどこか頭のいかれたやつが多い、たとえばジョブスなんかは
ドラッグやりまくりだが、あれだけの大企業を作り上げた。シンガポールはDQNを排除しているので優れた町並みを作れる奴がいないのである。
上記の理由とほぼ同じ、文化を担うようなやつは必要とされない。
●実は町は汚い
綺麗というのはいわゆる観光客が多いところだけである。シンガポールがごみの投棄にやたらと煩いのは投棄するやつが異様に多く制御できないからである。
●軽犯罪は多い
次はいいところいってみようか
★いいところ
徹底的に管理された道路状況により、朝の通勤ラッシュでさえ渋滞が発生することは少ない。
●タクシーが安い
大体15SGDから20SGDぐらいでいきたい所にいける
●重大犯罪は少ない
ほかのアジア諸国と比べて給与相場は高い。NUS等の(日本のMARCH・宮廷下位に相当)上位学部を卒業すれば新卒で4000SGD貰える。
●労働環境がいい
体調不良には病休があり有給休暇とまた別に存在する。有給休暇もしっかり消化できる。転職しても裏切り者扱いされない。変な派閥圧力が少ない。
まとめ
シンガポールがすごい所と思ってくるとイライラする。物価の高い発展途上国と言うのが正しい認識だ。駐在員待遇なら香港あたりに住んだほうが
よっぽどいいだろう。シンガポールに来るのは基本的に駐在員以外では2流人材。1流の人材はもっといい所へ行くし、3流の外国人は(まともな待遇では)入国できない。
ほかのアジアの首都より生活サービス全般に質は低いが労働環境はアジアではいい。2流の人材が必死で働けば普通の待遇は用意される。
2013年の暮れ頃から?アメリカで始まった「ALSアイスバケツチャレンジ」がついに日本にまで押し寄せて、ご覧の通り大流行になっている。
Ice Bucket Challenge - The ALS Association http://www.alsa.org/fight-als/ice-bucket-challenge.html
アイス・バケツ・チャレンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/アイス・バケツ・チャレンジ
マー君も氷水かぶるチャリティー参加 次に「ももクロ全員」ら指名 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/21/kiji/K20140821008788720.html
「氷水チャレンジ」大流行に冷ややかな声 「意味がわからん」「強制性が嫌な感じ」… http://www.j-cast.com/2014/08/21213686.html
氷水をかぶるALS支援運動にモヤモヤしている人が少しスッキリするための図 http://topisyu.hatenablog.com/entry/icebucketchallenge
ネットの記事を見ていると、有名企業家やスポーツ選手、タレントなんかが次々と参加して大盛り上がりな一方で、批判的な意見も結構目立っている。「売名だ」「氷水をかぶる意味が分からない」「強制的にやらせるのがおかしい」「悪ふざけしているだけでALSの理解は深まらない」というのが主なものだろうか。「飽きちゃった」というのもある。それに対しては、↑の4つ目のブログでも書かれているようにかなりの額の寄付金が集まったようで、「どんな形でも寄付金が集まったのはいいことだ」という反論がなされている。
ひとまず、仕掛けたALS Associationとしては大成功ということになるだろう。ALS、日本語で筋萎縮性側索硬化症のことを単に「体が動かなくなる病気」くらいにしか思っていない人も多いかもしれないが、少なくとも今回のキャンペーンで知名度が上がったことは確かだろう。
有名人の患者では↑のブログに挙げられたホーキング博士、日本人では徳州会病院の理事長の徳田虎雄氏が有名だろうか。簡単に説明すると、ALSは神経領域の疾患で、有病率は10人弱/10万人。患者の約90%は孤発性で残りは常染色体優性遺伝が指摘されている。症状は、まず指先を使う作業がしにくくなり、躓いたり物の重さを感じることが多くなってきて、発症から1〜2年で筋肉も落ちて腕や脚も使いづらくなり、さらに2年程度で嚥下障害、構音障害(うまく離せない)が出てくる。発症から3〜5年で呼吸筋も動かなくなり、人工呼吸器なしで生きられなくなる。根治療法は今のところ存在せず、進行を遅らせる薬物がある程度で他はリハビリくらいしか手立てがない。人工呼吸器を付けずに死を選ぶ患者さんも多い。先に述べた徳田虎雄氏は、眼の筋肉を使ってだろうか、文字盤を使ってコミュニケーションをとりながら業務を遂行しているという。(Wikipedia「徳田虎雄」)
このような難病はもちろん研究に金がかかるわけで、ALS Association も日本ALS協会も寄付金集めに必死になっている。そこで今回の「アイス・バケツ・チャレンジ」を仕掛けて今のところ大成功を収めつつあるわけだが、ネットで言われているような批判もあるし、どうも周りを見てもすっきりしていない人が多いようだ。もやもやと思ったこと、この運動の問題点を挙げてみたいと思う。
まず断っておきたい。この記事は「アイス・バケツ・チャレンジ」に参加して氷水をかぶったり、少なくない額を寄付に回したりした個々人の善意を非難する意図は全くない。その寄付金は、ALS Association に寄付されようと日本ALS協会に寄付されようと、ALSの患者やALS研究に携わる医療者に役立てられるはずである。その勇気ある善意と善行に感謝の意を示しておきたい。ありがとうございます。
それを差し置いても、今回のキャンペーンにはシステムの上でも、関わった人の心情面でも、そして今後の募金活動に関わる点でも、問題があるように思えてならない。それを述べてみたい。
・チェーンメール性を帯びていること
インターネット上からこの運動を眺める人の持つ最大の違和感はこれではないだろうか? チェーンメールが(特にインターネット利用者の間で)忌み嫌われてきた歴史を考えると、「指名されたら氷水をかぶって3人を指名」という増殖のさせ方が、ネット民に歓迎されることは考えづらい。寄付や氷水といった内容に関係なく、このチェーンメール性だけで違和感を持つ人も少なくないのではないか。
「頭から氷水」は「飽きちゃったので」 「100ドル寄附」を選んだサイバーエージェント藤田社長 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1408/20/news117.html
サイバーエージェントの社長は上記のように「指名」をせずに寄附を選んでいるが、インターネットに関わる人間としてチェーンメールのようなものに荷担するのに抵抗があったのではないか、と個人的に感じている。
もとから募金活動や寄付活動に積極的に関わってきた人からすれば、この点は面白くないのではないか。指名された瞬間、その人は「寄附する」か「氷水をかぶった動画を公開する」ことを求められる。いくら強制的でないとはいえ、前の人に動画で指名された以上、何もアクションを起こさなければ「寄附をしない冷酷な人間」か「ギャグに乗れないツマラナイ人」というレッテルが貼られるかもしれない。そうした不安を感じない人はいないだろう。つまるところどちらかの選択肢に決めるしかないのだが、そこに「善意からの寄附」という自由意志ではないものが紛れ込んでしまうことは確かである。
また寄附というのは、特に日本では、パブリックに行うものではないという風潮があった。赤い羽根共同募金をはじめとした募金活動に、こっそりとお金を投じた経験を持つ人も少なくないだろうし、Wikipediaのジミー・ウェールズの熱意に押されて無名で1000円を払った人もいるだろう。これもあくまで心理的な問題だが、「寄附をして善行を積んでいます/運動の手助けとして氷水をかぶります」ということを自分から公開することに、そしてそういった人に抵抗を感じているのではないか。
最も大きな問題として考えられているのは、この「公開善行」キャンペーンは、関係者の善意を枯渇させるのではないか、ということである。氷水動画を公開して、少なくない金額を寄附に回せば「善行を積んだ」という気持ちは満たされるし、「善行を積んだ人間」という表示をすることができる。今回の運動で、世界中に「氷水をかぶって多額の寄附をした善人」が大量発生した。それはいいのだが、そう言う人は、そして「少しばかり強制性を感じながらも運動に乗って寄附をした」人は、次に善意からの寄附を求められた時、同じように寄附をするだろうか?私は、個人的には、しないのではないかと思う。「この前寄附したから」でもいいし、「強制的にやらされて不愉快だったから」でもいい、理由はどうあれ、今回の「公開寄附」に参加した人は、これまでのような匿名の募金には参加する見込みが下がるのではないか、と思うのである。↑のブログ記事で赤い羽根共同募金の募金額について触れられているが、今年度、これ以降の他の募金活動がどのような実績を出すか、かなり気になっている。もし今回の運動の結果、日本全体でのその他の活動も合わせた寄付金の額が変わらなかったら、そしてもしくは下がりでもしたら、今回の運動は成功だったと言えるだろうか。少なくともALS Association 関係者にとってはそうだろう。しかし、もし「善意の総量はかわらず、使いすぎれば枯渇する」のが正しいとすれば、今回の運動は限りあるパイの配分を変えただけで、無意味である。
話題になってるんで読んでみると、すごい(頭の悪い)文章ですね。
企業家ってなにと思って調べてみると、「起業家」と同義みたいですね。そういう意味で使ってるのかな。
よく耳にする「憲法9条」。
憲法を「よく耳にする」でまとめる程度の脳みそをお持ちの方が書いてる文章のようです。
この一文は非常に曖昧。「戦争を謳い、武器放棄を謳う」とも解釈することができる。まぁしないか。にしても、読み返したとは思えない一文。
ノミネートって誰かが推薦すればいいんでしょ?
ちょっ笑。最低限、どの番組での発言かくらい書きましょうよ。
これは戦争に他なりません。
すばらしい!ここから武器輸出の話題になってます。なんの前触れもなく!
この方、接続詞の使い方がめちゃくちゃな上に、接続詞を使う必要がある所で使っていません。
「うちら、自分たちは戦争しない憲法だけど、武器は売っちゃうもんね~!」
これもおかしいと思いませんか?
おかしいんです。
なぜおかしいのかを書くように。
ご自身の文章がおかしいと思いませんか?
可笑しいんです。
こんなに強引な「だから」は見たことがない。
その後の2例も、実例を出せ。
世論の反対は少ないです。
やべえよあのブログ。20代半ばの痛々しさが端的に表現されている。
30代に入ると「あーあったよねえ」って思う系の書き方。そしてものすごく恥ずかしい。
・社会人として少し余裕がでてくる年齢だからか、いろんな人にボクチンの経験と自分の意見が言いたい!という気合が感じられる。
・経営者になったことが嬉しくて嬉しくてしょうがないので、経営者、起業家、企業家という言葉が多い(でも例えば父親の立場では書けない)
・家族等の”誰かのため”ではなく”自分のため”に仕事をしている感があふれているので、やっぱり結論が小さいんだよなー。
・意見は原則論的で筋は通っているように見えるんだけど、実は筋しか通ってない。
・後半になってくるに従って興奮してくるのか、文章の勢いがどんどん気持ち悪くなる。(多分勃起してる)
って下の記事を読んで思った。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131218/1387384044
そんな彼のたまらん名言。これはいいブツでさあ。痛々しさマニア垂涎の品です。
・だってそれって目の前のサラリーしか見えてないってことじゃないですか?
・本来仕事って、例えばよくわからんデータ入力作業とかだったらマクロ組んで早く終わらせましたんでもう帰ります、とか、そういう仕組みをつくった人間の方が高い給料もらうべきであって
・気がつけるニーズとか手に入るネットワークって結構あると思うんです。
の後の一連の文章のグルーブ感。本の作者が言ってるつもりで書き始めたのに興奮が抑えられなくて途中から自分の意見とカウパーが出まくっているところがポイント。
・ぼくは、新卒では会社にはいってとっても「いい経験」をさせてもらって、とっとと会社を辞めてしまって会社をつくってしまいました。
うふふふふ。
読みなおす度に味が出てくるーーーー!
いいなあこの26歳いいなあ。
維新の会は最低賃金を撤廃し、足りない分を国が出すと言っている。
だが、ある国でこれと同じことを行い、財政の悪化と勤労意欲の低下を招いてしまった
1795年に始まるスピーナムランド制度は、物価連動制の院外救貧制度である。パンの価格に下限収入を連動させ、働いていても下限収入を下回る家庭には救貧手当が支給された。これはフランス革命の影響から物価が高騰するいっぽう、収入は増えず困窮する農民・市民が続出したためである。バークシャー州スピーナムランド村の治安判事は貧民の窮状を見かねて、対策を協議した。その結果、ギルバート法の院外救済の制度を拡大解釈し、パンの価格をもとに基本生活費を算出した。この基本生活費に収入が届かない家庭には、その差額分を補填した。
博愛精神から生まれたこの制度は、思わぬ副作用をもたらした。安い賃金でも差額を救貧費で埋めてくれるため、企業家たちが労働者の給与を切り下げだしたのである。救貧税は膨れ上がり、1810年ごろには当初の3倍以上に急増した。救貧税を負担していた農民は重税に耐えきれず貧民化し、いっぽうで貧民は働いても働かなくても収入がかわらず、勤労意欲を削ぐという事態まで引き起こした。
過去の過ちをまた繰り返してどうするんだよ
ちなみに維新の会がこの政策を実施し、企業が全く給料を支払わない場合に国が支払う総額は
となる。その総額なんと7兆円弱。(900円だと、9兆円弱必要)
#追記
金額が間違っているので訂正
先週の水曜日、1年くらい会っていた男と別れた。身分違いだった。遊ばれていただけだが、私は確かに恋をしていた。既に2回くらい泣いて諦めてたつもりだったのに、今は「基本的な生活」ができなくて昼職をなんとか遣り過ごすのがやっと。会っていた期間・今までの生き方に対して後悔がたくさんある。
「失恋からの立ち直り方」などを読むと、失恋直後は泣いて愚痴れ美味いもの食えあとは時間が解決すると書いてあるが、いくつかの事情が重なり誰にも(カウンセラー等の秘密厳守してくれる人にしか)ありのままを話せないので、増田に吐き出すことにした。半生、風俗、恋愛が絡んだゲロなので脈絡がなかったり長すぎたりあなたのモラルやポリシーに反したりは目を瞑って欲しい。胃の上と心臓がぐるぐるして気持ち悪いままあまり食べられず、呼吸が浅くて、吐き出さないとこれがずっと続きそうで。
世の紳士たち、遊びを仕掛けて本気になられて面倒になって棄てるなら、いいタイミングを選んでください。そもそもきちんと予防線を張ってください。それが上手にできないなら風俗の場合は最初から時間内だけの遊びにしてください。野暮でも関係の確認は明確に。気まぐれな優しさは凶器です。空っぽの人形に心を植えて、外界に連れ出して置いて去るようなのはやめてください。源氏名の鎧が外骨格なこともあるんです。剥がすなら覚悟をもってください。
要は失格風俗嬢が院生に遊ばれただけの話。
企業家家系で、家柄は武士とか軍人の流れとは聞いた気がするが、家を継ぐだの良家だのとは現在は無縁。
兄弟は上と下にひとりずつ。下が障がい者(突然変異系)で心臓の手術などのため私は早い頃からあまり構って貰えなかった。父方祖父母宅に預けられた時に言われた「ジュースを欲しがるなんて図々しい」は幼心にも傷ついた。幼児だからわからないなどと侮るなかれ。迷惑をかけてはいけないと過剰に思う癖がついてこれまでもたくさんの失敗をした。
小学生の頃に両親が離婚。風俗嬢にありがちな母子家庭育ち。母が会社をやっているので経済的困窮はなかった。片親家庭の毒は、なにも経済的なことだけではないと思う。男女観は多少であろうが歪む。私の場合は自分の女性性を受け入れ「女性」になるのが遅れた。「ちゃんとした恋」の経験値が足りなかった。
上の兄弟は国立最高峰の大学を卒業直後にかなりの年上と結婚。母は子が全員成人した頃にやっと死別独身(成人子あり)のパートナーをつくって入籍せずに一緒に住んでいる。
女子中高を経て、音楽大学へ。多少はみ出してはいたが結構な真面目ちゃんだった。同級生みたいにもう少しちゃらちゃらして男を見る目を養えばよかった。大学は奨学金(自立を促すため)と親の資金で。大学の頃にはすこし恋もしたしすこし病みもした。処女喪失は20歳を越えてから当時の彼氏と。特に感動もなかった。卒業してもまず食えないので事務で零細企業に就職。稽古には現在も通っていて、欧州への留学を希望しており貯金中。
昼職の正社員で留学のため真面目に順調に貯金をしていたが当時勤めていた会社が傾き、会社自体を整理することになって放り出される形で無職になった。初めは社員の求人に応募してみたり派遣で働いてみたりしていた。しかし景気的時期的になかなか厳しく、月末月初のみの事務アルバイトをしながら、貯金の進まなさに焦りを感じ時給の高さでホステスに応募。お酒が弱くてあまり売れず。もう数年若ければキャバクラでジュースでも稼げたのだろうが、もう20代中盤に差し掛かっていたので。派遣ホステスなども数回やったしお化粧おしゃべりは多少うまくなったのだが毎晩お酒を飲んで煙草に曝される生活に1ヶ月で無理を感じた。ほんの短期間だけ肉体接触なしの愛人ごっこみたいなこともして自分には向かないことを確認した。
ある日アフターののち始発待ち早朝のネットカフェで、最高に疲れた頭で風俗店の求人を調べた。何の職種がどこまでやるのか等を調べメンズエステ(マッサージ)までが私の限界と認識。求人と営業HPとの齟齬が少ない感じのところに投げやりに応募、後日面接へ。この時の私は疲れていろんなことが麻痺していたのだと思う。貞操観念は大人になるまでは強すぎるほどだったのに。講習で服を脱いだとき、堕ちたなーと乾いた笑いが出た。私大出して貰ってさらに留学資金なんて言えない、とか思ってたけど、風俗にまで行けるならまず親に言えばいいのに。足りなければ奨学金とか片っ端から応募すればいいのに。留学はどうしてもしたかったが、親に頼ったり甘えたりするのは怖かった。失恋後に母の胸を借りて泣いた時にやっと頼っていいのかなという気になれた。
斯くして私は去年の秋に渋谷の老舗店のホテルエステ嬢になった。たまたま新人ラッシュ期で店プッシュは分散、若い子巧い子(ヘルス上がりとか)に流れて新人期間でも本当に売れなかった。新人キラー(表立って言わないだけでみんなやってるよと過剰サービスを要求したり、押さえつけて入れてしまおうなどとする)だけは初めの1ヶ月間によく付き戸惑ったが対処法を身を持って会得。入店から一度も事故ったことはない。店側も私がこんなに続く(現在勤続1年と3ヶ月くらい)と思わなかっただろう。サービス内容はオイルマッサージとトップレスでの手コキ。パンツを脱ぐことも、キスもフェラもない。トップレスも初めは抵抗があったが、とりあえず粘膜ではなく皮膚だからと考えて慣れた。売れなかったので、何か武器があればいいかとマッサージを勉強した。リンパと筋肉ほぐしとツボ。開業の予定はないがマッサージスクールのショートクラスのディプロマも取得。
風俗にもいろいろあるけど、時間貸しの菩薩と思うに至った。精神的に受け入れて貰うのを飛び越えて膣に執着する男性が理解できない。
金銭感覚と貞操観念の狂いにはとても神経質になっていて、ストッパーに今も月末月初の昼職は続けている。事務の期間以外は結構な鬼出勤かつオープンラストなどもしていた。待機時間で譜読みや勉強ができるのはメリットだった。風俗の給料はとりあえずまず奨学金を返して、留学貯金の続き。日払いなので千円札しか使わない。万札・五千円札はやむを得ない場合のみ。清算時になるべく大きいのに両替する。お給料がキリのいい数字の時は何も買えない。万札が財布に3枚以上溜まったらすぐ口座へ。数字が増えていくのが幸せ。
恋人なんて嗜好品だと思っていた。あったら幸せだけどなくても死なない。留学(希望期間が長いので)できるようになったら置いてくか待って貰うかだから現状すぐは結婚とか考えられなかった。興信所での調査が必要な良家に嫁ぐなどは片親、障がい者家族、年齢的にないと踏んでいた。むしろ風俗に入った時点で、まともな普通な結婚は9割諦めていた。自分が結構放っとかれて(習い事だけはいろいろやった)育ったからちゃんと子供を育てられる自信があまりないし、留学できて行って帰って結婚出産したら高齢出産に片足ひっかかりそうだし、子供も積極的には望んでいない。
嫁が妊娠してセックスできないからと来店した客の「ここは最後まで手でなでなでしてるだけだから後ろめたくない、やましくない」説をとって、風俗嬢だけど別にたいそうなことやってるわけじゃないと表層では思うようにしていたが世間的には賎業なのも知っていた。
自分は自分の人生を生きなきゃいけないから、何かによってブレーキがかかるならそれは天秤にかけて本当に要るか考えるべきと思っていた。ぐらつくほどの恋なんてしたことなかった。
奴が来店したのは12月の頭だった。フリー一見はインパクトがなければ正直2ヶ月くらいしか覚えていられないから、その前にも来ていたかは定かでない。うちの店はメール交換を推奨しており(トラブルの種にならないのか疑問)、新人期間が終わる頃でもっと指名を作りたかった私は客の一人としてあまり深く考えずにサブ携帯のアドレスを交換した。そう頻繁でもないペースで他愛ないメールをし(メアド蒔きすぎて客とのメール自体めんどくさくて私があまり返信しなかったから。でも奴はたくさんメールをくれたし、待ってくれたし、返信を喜んでくれた)、そう頻繁でもないペースで来店し、私が中抜け(で稽古へ)から戻るのが遅れた時に奴が40分待ってくれたこともあった。「外で会いたい」と言われた時には「出勤時間を削って会うならお小遣い貰わないと無理w」とか冗談で断ってたな。2歳サバ読んでたから奴をオッサン扱い。実際外で会う気なんてなかった。事務の期間は事務が忙しいからって断れるし。風俗関係の人は風俗の期間だけにしたいし、その風俗の期間は休みを入れてなかったし。
奴はアカポスを目指す年上の院生(D2)で、数駅のところに奴の所属する研究室はあった。別にイケメンではない。実家暮らしでスポーツ好きで男子校育ちで男性の多い専攻。風俗に来れる程度の収入は得ていた模様。結婚とかせっつかれ始めてると言っていた。結婚したい、ではなく結婚しなきゃ、のような口振りで。
やることはやってたけど(プレイの範囲で)気持ちはちょっとずつ惹かれ始めていた。女とか風俗嬢とかそういう「枠」じゃなくて「私自身」を見てくれた気がしたから。褒められ慣れてなくて、客に「かわいい」とか言われても「ありがとうございますぅー」だの「そんなことないですよぉー」だの「えへっ知ってるw」だのとしか言えず、どうせその場限りの口先だけだって知ってるからスルーできたのだが、奴に言われて嬉しくてどうしていいかわからなくて「ポーカーフェイス頑張っても口角がちょっと上がるよね」などと指摘された時なんてエンドルフィンどばーであった。喪女か。
1月の末、ラストまで勤務後に出張帰りの奴と初めて外で会った。出勤を削らなければ私は機会損失ないからと思って。「好き」だとか「付き合おう」だとか「セフレでよろしく」だとかそういう言葉は出なかった。こちらからは出せなかった。その後食事だったりプラネタリウムデートだったり映画デートだったり普通のデートもしたが、ホテルにも行った。奴が非常に疲れている時や隙間時間で会った時にはホテルだけの場合もあった。マッサージとお昼寝だけもあった。1日一緒にいても全然窮屈じゃなかった。デートの日は必ず店を休んだ。「忙しくても何日に会えるって思ったら頑張れる」と言ってくれて、私もどんな痛客相手でも中断は決してしないでプレイタイム内は頑張れた(その後はもちろんNGをかける)。会って2回目くらいで本当の年齢のことも言った。初めの頃はほんとにバカップルみたいだった。メールに書いた話題のフックは漏れなくキャッチしてくれた。遊びならちゃんとそういう感じにしてくれればいいのに、本当に大切にしてくれた。
処女じゃないし、経験人数は片手で余裕で足りるが、ちょっといい雰囲気になるくらいなら数人いた。今までのはこちらからはそんなに本気で好きじゃなかったのかもしれないと思った。好きな人とのセックスがこんなに気持ちいいものとは思わなかった。ぞくぞくして痺れて溶ける感じ。濡れにくくて苦労はしたが。本当にかたちとか大きさじゃない。店に入ってから持ち前の「興味を持ったら調べる、やってみる」気質で手技だけはあったしananの特集等でフェラチオのイメトレもできていたから、申告人数より実際はもっと経験豊富と思われたかもしれない。
4月にはD3になるし論文の準備だったり学会だったりで忙しいだろうし、あまり構って構ってとは言わなかった。2月に一度だけ「この間会ったばっかりなのにもう会いたくなってる」と言って予定を調整して貰ったくらい。あとは相手からの予定打診待ち。3月頃にメールが1ヶ月開いて、次に会った時に「自然消滅狙いだけはやめてね。すっぱり切ってくれないと待つつもりなくても待てちゃうタイプだから」と頼んだ。誕生日には奴の利用店のプリペイドカードを負担に思われない程度にチャージして贈った。
会えば優しかったしいろんなことを話した。メールが途切れたら2週間くらいしてこちらからネタメールを送った。モテ期3回が三重解だったり虚解だったりするやつとか、バストカップ別褒め方一覧とか。追撃せず、返信や会うことは求めず、相手の都合でよかった。「飽きちゃったのかと思った」「飽きないけど、将来がないからねー」とかいう会話もあった。婚活市場で優良物件すぎて以前年上の女性にギラギラされたことがあって苦手、と聞いていたからこちらからは押せなかった。エイプリルフールに「あのねあのね!だいっきらい!あと処女です!」とか、満月にかこつけて「月がきれいだよー」くらいしか言えなかった。たぶん通じてないけど。漱石だよ。
半年もするとだんだん雑談メールが減って、近況つきだが予定打診メールの率が高くなった。会うペースも下がって月に1度くらいになった。忙しいならしょうがないし全然待てた。だが徐々にキスも減った。手もこちらから繋がなければ繋がなくてそのうちに遠慮した。うざいと思われたくなくて常に半身ほど引いていたが、もし言われれば即風俗あがって付いていきたい程度には好きだった。
明確な言葉なく付き合うカップルっているとは思うが、セフレっていう関係がこの世に存在する以上は関係の定義なり宣言なりが必要だと思う。それがないってことは明確に気持ちがあるわけではない、所詮は都合のいい女だということに2回ほど泣いて「何もなくて終わるより何かあって終わった方がいいと思って外で会ったんだから」と思った。より迷惑をかけちゃいけないと思って近づけなくなった。
9月に会ってから途中で奴の多忙による予定変更を経て2ヶ月ぶりに会った。予定変更への返信に「充電は既に切れてるけどまー死なないから私のことは忘れてていいよ」と書いてから2週間後。稽古の後に奴の乗り換えの都合上いつもの新宿へ。風邪気味の奴と西口で待ち合わせアルタ裏から出て歌舞伎町のホテルまで歩いた。バリアンじゃなくてそこそこきれいで割券使えるところ。普通に入ってコートとか脱いで普通に座って。
「真剣な話があります」ひとつは奴の今後の進退に関することなど。もうひとつは「今日で最後にしましょう」。
なんとなくそんな気はしてました。「えっしてた?」
しかしなんでまた。「結婚もしないのにこういうことしてるのが負担」
そう思うに至ったきっかけとかあるの?「論文の審査とかだよね」「あとー…○歳になっちゃったし、見合いとかするかもしれないし」「他に女の人がいるとかそういうのじゃないけど」「結婚できないじゃん?」「結婚しない相手と中途半端に付き合うのはやめる」
ていうか付き合ってないじゃん?セフレとか付き合うとか関係の定義なり宣言なりをしてないし最初から中途半端だったよ。「最初から中途半端、かぁ」
……………。(言いたいこと終わり?)
「泣かそうとしてる?」泣かしたって面白くないじゃない。
「なんか女々しいな、俺…」
………………………………………。
うん。でも。それなりに楽しかったよ。「それなり?俺は」だってちゃんと好きになっちゃいけないって思ってたから。「なんか…すごいなそうやって」
ていうかそれでも結構好きだった。でも迷惑だよね、と思って。2回くらいちゃんと泣いて割り切ってたよ。「そう言われちゃうと…」
最後に、します?「男が最後にやらせてっていうのはあるけどそっちから言うんかいw」
云々、奴にとってはあっけなさ過ぎて拍子抜けだったかもしれない。セックスはしなかった。泣けず、縋れず、意思表示もできず最後まで強がってしまった。でも最後になってやっと好きって言えた。以前一緒に見た映画の前作DVDを私が持っており双方ともに途中までは見たとのことで最後の1/3くらいをベッドで(離れて)ごろごろしながらエンドロールとメイキングまで観て、「じゃあ、出ようか」。「明日の朝喉痛くならないでね」(風邪だから)。
歌舞伎町から新宿駅まで歩く。奴の左耳、好きだったけど見納めかあ。最後にぎゅーってだけしてって言えばよかったな。駅で埼京線に乗る奴に改札の手前で「友人のバーでべろんべろんになってから帰るから!」と言って別れ、ウコンとカシミヤティッシュ持参で行った友人のバーで実際べろんべろんになって泣いて数年ぶりに記憶を飛ばし、隣席のオッサンにも迷惑をかけ便器を抱えおそらくタクシーで帰宅、風呂場でもトイレでも吐きまくって喉の痛い翌朝を迎えた。翌日の昼職は体調不良で休んで、夜になって迷惑かなと思いながら奴に最後のメールをした。
風邪大丈夫?お大事にね。留学資金を結婚資金にまわしてついて行っちゃいたい程度には好きだった。元風俗嬢とか嫁にいらないだろうけど。家は成金だし躾はなってないし。
昨日は女優だったでしょ?飲んで潰れて別の意味で喉の痛い朝を迎えると思えないくらい。
私をここまでしたんだからいい嫁見つけてちゃんと偉いセンセーになってよね。楽しかった。ありがと。
もちろん返信はなし。
何をやっていても涙が勝手にぼたぼた出てくる。過呼吸にも数度なった。職場のトイレで声を出して泣いた。事務の速度が1/3くらいになった。気を張ってる何か作業中はいいが途切れた時に何度でもフラッシュバック。何をしてても奴を連想する。母の胸を借り、恋愛論・男女論を泣きながら交わした。元客だったと打ち明けた風俗の同僚にもLINEを占領して慰めて貰いながら画面がぼやけた。夢に見た。魘されて数時間ごとに目が覚めた。日付の感覚がわからない。食事がとれない。食べても吐く。食べなくても吐き気。涙で流れるから化粧は一週間できなかった。男性に優しくされても泣いた。毛の処理や洗濯や基本的な生活ができなくなった。稽古に遅刻もしたし、演奏もできなかった。デパスを調達した。
奴に会えると思うから嫌なことでも頑張れた。これから何をご褒美に生きればいいのやら。そうまでして行く留学に意味はあるのか。
時間が解決する、いつかは忘れられると言われてもその時間を過ごす自信がない。
依存してたつもりはないけど、ガソリンが切れた。
ひたすらに楽天のメルマガがうざい。iPhoneでgmailとyahooのメールも未読有で出るから。放っといて欲しい。
奴のコミュニケーションスキルに不安はないので、若くて可愛いくて心の広い良家の令嬢と結婚して子供も作って幸せな家庭を築き出世していくんだろうとは思うものの、容姿体質(体質については私は許容できるが遺伝する内容)で弾かれまくったすえにやっとした見合い結婚で失敗して即効離婚してしまえとか、学歴に寄ってきた見合い女とくっついて有期雇用っぷりに幻滅されろとか、ポスドクで長ーく放浪して嫁に愛想尽かされろとか、助教で燻って65歳を迎えろとか、とっととインポになればいいとか、早くはげろとか、奴の幸せはまだ願えない。論文全然通らなくて心が折れてすごい凋落すればいいのにと思ってしまう。私のいないところで幸せになる奴を許せない。英語もできるから海外にも行けるし給料でてるし専攻的にも研究室的にも可能性は低いだろうけど。いま学位とれそうなところでその年齢で見合いとか早くない?とも思うがそれは体のいい理由なのでしょう。直接会って別れてくれただけまだ誠実なのかもしれない。パフォーマンスの低下した状態で考えているのでまだ頭の中はぐるぐるしているけど、風俗に入らなければ奴に会わなかったが、風俗女だから奴と本気で向き合う資格がなかったという循環参照みたいなところで行き詰る。
正直未練はまだあるしまともな生活はリハビリ中だけど、今日泣きながらこれを書いていて少しだけ吹っ切れた。結局遊ばれてたんだよね、と客観的に見られた。きっと恋をして何でもできそうな浮かれた気持ちと、すごくすごく幸せだった約1年と、別れて得た絶望とは自分の演奏に活かさなくてはいけないんだと思う。燃えるよりも灼けるように好きになれる人を運命がほんの短いあいだ貸してくれたと思うよりない。間違いなく、スイッチを切り替え私を「融かして」くれたのは彼だった。ここで討ち死にしたら負け。
2月にオーディションが2部門ある。受かれば履歴書に書けて2年くらい拘束。去年は「本気で行って落ちたらベッドで慰めてあげるから楽しんでおいでー」などと言ってくれた人がもういないので、ふたつとも落ちたらすぐに欧州へ飛ぶ準備を始めようと思う。目標額到達まで単独だともうしばらくあったけど、今回母に泣きついでに留学のことを直訴したら(当然風俗のことは言えなかったがアルバイトを掛け持ちしているとは言ってある)私の貯金と同額までは用意してくれることになったので、タイミング的には来年の秋頃から。奨学金にも応募してみる。
風俗は来年春か夏までにあがる。私に刻まれた風俗嬢の過去は変わらないが欧州に行って帰って来る頃には従業員名簿も破棄されている。
言っても言わなくても結局終わるなら、好きって思ったら言ったほうがいい。
欲しいものは欲しいって言う。だめかどうか決めるのは相手。
初動は早いほうがいい。
フィクション?そうだったらいいのに。それか1年前に時間巻き戻したい。
若者が大人しい事について、世代間の話がよく言われている。
まず第一に、若者の数が圧倒的に少ない。数は力だ。アラブの春も、若者の数が多いから成しえた。日本で例え、若者の意見を反映した議員が選挙に出たところで、そして全若者がその議員へ投票したところで、当選しないだろう。その事を知って、立候補する候補者はいない。初めから勝負の土台にすら立てない。
ウォール街のデモは、若者の力があるから行われている。アメリカは若者の力で作られた国だ。大学生に力があり、権威がある。大人も手を貸す。皆が皆ではないが、才能を評価する。アイデアを評価する。情熱を評価する。世界的な企業家も大学から生まれ、政治家も若い。
日本はどうか。
大人は誰も手を貸さない。耳を傾けようともしない。日本の大人が若者に行って来た事は、今も昔も自分たちの都合の良い道へ引きずり込もうとする事だけだ。善意もある。大人の世代の成功経験を踏んだ上での助言のつもりの人もいるだろう。しかし、それは今の時代に通用するだろうか。その時、あなたは上手くやれたかもしれない。しかし、今はどうだ。 今からそれが通用すると思うか。あなたの会社では通用するかもしれない。では、あなたの会社はこれからの世界に通用するのか。内需。日本の老人だけをマーケットにしていないか。そんな老人の戯言について行く若者はいるだろうか。いる。けれど、それは本心からでは無い。力のある老人の前に、手も足も出ずただついて行かざるを得ない奴隷のように覇気のない若者が跡を絶たない。
老人が求めている事と、若者が求めている事は違う。老人はいい。お山の大将を気取って年少者をバカにして、外圧に耳を塞いでいても高度成長期の蓄えであと数年は安泰だろう。そして数年後は死ぬだけだ。残された人間の事など当然知る由も無い。日本人の子孫繁栄なんて考えるわけもない。大和民族が滅ぶより、明日の我が身、死ぬまでの蓄えが大事だ。
若者の諦めは、自分たちの力の無さから来ている。同世代の数を増やす事は出来ない。頭の凝り固まった老人が明日の未来に力を貸すこともない。突然大富豪になる事も出来なければ、先導者になる事も出来ない。
もともと若者は老人に力で劣る。経験の差、劣らなけらば、成長を重ねなければ年を重ねる意味が無い。
今の老人は若返ろうと必死だ。年相応を知らない。若かりし頃の幻影ばかりを追っている。 その姿は醜く、見るに堪えない。そしてその若さにも隔絶がある。彼らの若さとは、彼らの若かった頃であり、今の若者とは全く別物だ。理解はない。
知識で負け、経験で負け、人数で負け、さらに若さでもある意味負けている。団塊の老人の血気盛んさは、金と体力と自信の余裕があってのことか、今の若者に勝る。若者は、勝機の無い勝負を挑むような気が狂ったことはしない。
それは、大人が教えた「大人しさ」でもある。
かく言う自分も若者の代表のような口ぶりをして、来年で30になる。もう若くはない。今の大学生はおろか、中高生の文化や考えていることなど全く知らない。自分は酒鬼薔薇と同い年だ。ネオむぎはいっこ下だ。そういう世代だったからよくわかるのは、この隔絶こそが問題の本質であり、無理解の原因である。大人は大人の世界を作る。分かる者どうしだけで心地良い世界をつくり、子どもが大人の仲間入りをしようとすれば洗礼を浴びせる。そして、昔はそれでも大人の世界に入らざるを得なかったのが、今は入る隙間すらなくなった。はみ出された若者は、力のない若者同士だけでやっているから、大きなことが出来ない。もう、この垣根は早いうちから崩さなければならない。
日本国外に財が出て行っても
「戻ってくれば」(要するに、日本国のサービスを諸外国も購入してくれるなら)
そうやって世界全体が潤うのは賛成だけどね。
経済はグローバルな存在になってしまったんだと考えるほうがいいかも。
(ゲームの存在が、世界を豊かにしているかといった面は別として)
日本人の多くが、海外の人たちに魅力ある物やサービスを提供できるかにかかってるわけだ。
人口は減少気味なんだし、地域密着型の商売だけで経済は回らないと思う。移民を受け入れたくないとしたら、なおのこと。
そして今は円高でもあり、海外へ円が出ていくのもある意味よかろうて。
>社長やら関係者やらの言動を見る限り、せいぜい残り2年か3年で市場そのものを使い潰す気満々なんだよね。
むしろ、こっちが気になるん?俺はそう。
最近の「企業家」って、おしなべて小魚っぽいというかセコイと思う。
世間の需要を満たしたり、自分が実現したい夢を叶えるためではなくて
「金」が先だもんね。
精神構造の根はバブルオヤジとそっくり。まだIPOとか狙ってるのかな?
中身じゃなくて、箱や封筒・溶剤ばっかり集めてどうすんの?と思う。
エンジニアとか全く詳しくない俺でも
タレント業(ツイッターやブログでうざくいろんなとこでしゃばって「企業家ぶる」こと)や
SEO的な手段にばかり邁進して
作るものがゴミ、てか作る能力ゼロだろ、みたいな奴は見かける。
「アイデアとパワーがある若い連中」はそういうアホみたいな「頑張ってる」っていう評価や保護は必要としてないと思うんだ。
根本的に作る能力が無い、タレント業の連中ほど、「頑張ってる」っていう駄サイクル的な評価と保護を好むし欲する。
出し抜きはしない。
能力ない奴がどれだけ口先で目立っても、良質なサービス作って世にはばかることは無いから。
ただ彼等無能と彼等を保護したがる君のようなバカが世に何を生み出すかと言うと
大量のクズサービスと、それを目立たせようとするスパムSEO行為、
ゲイツやジョブスぐらい才能ある人がやってるなら何もいわねーよwww
ゴミ撒き散らさないでおとなしくしててくれ。
まず以下の2点を覚えてね。
ていうか、こんな記事読んでも稼げないからね。
あんまり期待しないでね
1 利益は絶対に売上を超えない
当然です。
100万の売上だったら利益は100万円以下
どんなにあがいても100万円以下
当然です。
売上を増やせなかったら、コストを削る。
マジで削る。
ここから本論
まず稼ぐためには何かを売らないといけません。
んで、何を売るの?
1 サービス
2 モノ
まず、1のサービスを売って稼ぐのはまずは諦めよう。
じゃあ、稼ごうと思ったらモノを売るのが良いよね。
んで、モノを「作ったら」結局1と同じ。
だから、そんな自前で売れるモノなんて貴方が作れないでしょ?
ということで、結局ヨソから仕入れることが必要になる。
それでは、ここまでおさらいということで、チャートで説明するよ!
1 まず仕入れる
2 仕入れたモノを売る(売上をつくる)
3 売上が減らないようにコストを削る
これで、とりあえず利益ができた(やったー!)
だけど、問題がある。それが以下である。
1 需要は?
2 供給は?
結局利潤は需要と供給の歪みから生まれるのであって、その歪みが稼ぐチャンス利潤機会なのですが、
その利潤機会を見つけるためにまずは需要を見つけようってわけです。
どうやって見つけるかって?
1 仕入ルート
2 販売ルート
仕入ができないとモノが売れない。
販売ができないとモノが売れない。
それでは、ここまでおさらいということで、チャートで説明するよ!
1 需要を見つける
2 仕入れルートを作る
3 販売ルートを作る
結局、稼ぐためには需要と供給の歪みを仕入れルートおよび販売ルートでつなぐことで解消することができるのです。
需要と供給の歪みを解消した人には、キャッシュというご褒美がありますよ(やったー)
おわりに
結局稼ぐためには、まず需要が大切で、これを明確にしないとダメ。
無駄に供給をガンガンしても需要予測が明確でないと本当に無駄金になりますぜ。
そして、需要があっても供給ルートが貧弱だと、またはボトルネックばかりだとしんどいし、疲れるよ。
ということで、まずは需要を見つける。
おわり
ベーシック・インカムの精神そのものには、私は反対の立場じゃないんだけど、どうしようもなく疑問なんで答えて欲しい。
BIの導入に伴う問題点として、税収の絶対量についてはこの際論じない。それ言えばキリがないので。「国債の自己引き受けで余裕さ、地球の自転が止まらないように輪転機も永劫を輪廻するのさ」という前提を置いておく。お予算の問題は、無いものとしての議論。
その上で、まぁBIを導入したとする。日本の人口一億2000万人×10万(仮にね)×12ヶ月のカネがマーケットに流れていく。すると、まぁ需要は喚起されるよね、間違いなく。みんながどんどんお金を使い、市場はマネーで潤いこの世の楽園となる・・・んだろうか?
疑問は二点ある。
一点目は「喚起された需要が果たして国内に向かうのか?」ということ。我々の消費生活は、多くの場合輸入に依存している。中国産製品、例えば100均ショップにある小物類のお値段は、つめ切り一つにしても国内生産のものの四分の一とかそんなものだ。現時点でも、高品質・高価格帯を除けば国内生産品はほとんど壊滅に近い惨状にあると言っていいと思う。これは、皆さんが周囲を見渡せば容易に理解されることだ。メイドイン・ジャパンのチェアで増田を嗜むブルジョワ御仁がどれだけいるか?
すると、国内のマーケットに供給されたマネーは個人の消費性向の問題として、国内を潤わせることなく海外へと流出していくのではないか?インドの綿製品が流れ込んだイギリス状態になる気がするのは私だけかな。
例えば、日本銀行は最近になって通称「成長基盤オペ」と呼ばれる金融政策を打ち出している。これは、銀行にどれだけカネを供給してもマーケットに出て行かないことに業を煮やした白川さんが、「じゃあピンポイントでヒモつきのカネをブチこんでやるよ!」という、局所療法に出たわけだ。これは、理解しやすい。しかし、それに対して全く逆の効果を持つのがBIではないか。
確かに、総量緩和による政策は果てしないマネーを預金に積もらせただけで、観念的バベルの塔を築く以外にはほとんどなんの効力ももたらさなかった。しかしまた、同様にグローバル化の世界において民衆にカネをばらまくことは、海に向かって魚を放流すること以上の意味を持ちえるのだろうか。もちろん、マグロが近海を泳ぐようになるならいい。しかし、そのイワシは大方が真っ直ぐ中国に向かってしまうのではないか?
もちろん、魚を囲う「網」になり得る可能性は存在する。マネー総量の爆発的な増加による円安傾向、並びに通貨価値の下落(これを、通貨信認の毀損と呼ぶことも出来るが、それはめんどくさい議論になるので後述。また、「バーナンキの背理法は間違っている」という可能性も排除する。)これが天然の関税として作用する可能性はないか?
円の価値が思いっきり落ちて1ドル150円になったとする。確かに輸出産業は活況を呈するだろう。しかしその一方、我々の消費傾向が国内回帰する可能性はあるか?私は難しいと思う。仮に、中国産製品の値段が二倍になったところで、それでも我々はメイドイン・チャイナの椅子に座り、メイドイン・チャイナのつめ切りを使うのではないか。
この段階で、議論はフィフティ・フィフティだ。どっちに転がる可能性もある。輸出と輸入は美しいバランスを保ち、冷戦構造のような調和ある対立を得るかもしれない。しかし、BIの性質そのものがメイドイン・チャイナを強力に後押しする可能性を考慮して欲しい。というのも、こういうことだ。労働価値というのは、A・スミスの慧眼が予見したとおり通常市場における神の見えざる手で決定付けられている。それに対して、半ばマルクス的な色合いを持つ「最低賃金」や「基本的人権」の観念、ひいては労働法規がその下限を決定付ける。翻ってこのBIの制度、これはかなり強力に労働単価を引き上げる効果を持つのではないか。
平たく言えばこういうことだ。働かなくても食える世界で、時給640円で働く労働者は存在し得るか?ということ。これは、人間の性質に関わる議論なので、ソヴィエト連邦の国家運営がうまくいくかどうかと同じくらい「やってみないとわからない」。しかし、偉大なるレーニンやサン・シモンに敬意を払った上のこととしても、私は多分ダメだろうと思う。いや、ダメだろ?BIには、鎖国、ないしは強力な関税政策が必要になる。
そして、更なる恐怖がBIには待っている。これが疑問の二点目だ。それは、わが国の根本的性質に深く関わっている。
それは、わが国は「カロリーベースですら食料が自給出来るか微妙」ということ。そして、更に絶望的なるもう一点。「資源がありません」ということ。円高になればなっただけ、輸入コストは増大する。これに更に追い討ちをかけたのが先日の震災だ。原子力抜きで、エネルギーの自給が果たして出来るのか?1ドル150円になれば単純計算でガソリン1リットル300円くらいだろうか。さて、果たしてこれはどうなる?
企業家にとっては恐ろしい未来が待っている。労働単価は高止まりし、原料費は高騰する。こうなると、「円建てで取引するのがそもそも間違ってんじゃないか」という思考に陥る可能性すらある。折角需要が喚起され、天然の関税障壁に守られたかに思えた国内生産品も価格競争力を持つことが全く出来ない。
そして追加的な怖さはこれだ。確かに、私もバーナンキの背理法は間違っていないだろう、と思う。確かに、マネーの総量が経済に影響を「与えない」と仮定するなら、世界はすぐに楽園になるだろう。なるほど、どこかで必ず飽和点は訪れ、円高は終わりを告げる。問題は、緩やかに落ちるかキリモミ落下して地面に突き刺さるか、だ。確かに円は高い、しかしわが国の財務状況は決して明るい未来を指し示してるとは言えない。つまるところ、通貨バブル、国債バブル(私は現在の状況をそう認識しているが、これには異論があるかもしれない。むしろ、通貨の絶対価値とはスイスフランによって計測されるべきである、という考え方に対しては一理を認めるしかない)が大爆発するリスクはどうだろうか。BI,とはベーシックなインカムである。それは、やはりベーシックなインカムと呼びえるだけのキャッシュフローでなければいけない。しかし、それだけのマネーを市場に放った結果について、我々は誰も知りえない。バーナンキの背理法は「リフレ政策の効力を約束した」わけではない。むしろ、「長期的に人は必ず死ぬ」といったニュアンスに近い。老衰で死ぬか、腹下しで死ぬか、爆散して骨も残らないか、誰にもわからない。
しかし、これは端的に私の知識不足、ないしは知能・理性の絶望的不足に根ざしている可能性も否定できない。
私は、BIの精神性を否定しない。むしろ高く評価するし、すばらしいと思う。ここがウクライナだったり、あるいはアルゼンチンであるなら、是非にもやるべきだと思う。また、日本が産油国であればもっといい。しかし、そうではない。
ベーシックインカム論者の反論を求む。
あ、ごめん。労働単価の高止まりの根拠として、「BIは高税率が回避できない」ってのがあった。多少働いても、まぁかなり少なめに見積もっても半分は税金で持ってかれる。厳密に計算したわけじゃないけど、「どんなに少なくても」それくらいは要る。労働意欲の喚起はかなり難しいだろうと思うよ。