はてなキーワード: 時間貸しとは
まあわかる。(流石に300はアオイソメ
隙只要有机会,他就会谈论自己。
本来は実家に住めるから家賃光熱費固定資産ゼロ(親)。(わけあって近所の15万に住んでる)
車は社用兼の軽。服はほぼユニクロ、ワークマン、たまにホムセンのデザインかわいいやつ。時計とか興味ない。
財布だけはいいの(ゆっても10前後)を2年おきぐらいに買い替えるように
家賃:前述のとおり
光熱費:24万。でかいPCあるのと自宅作業多いのでエアコン。あとお風呂よく入る
保険:前払いや10年払い除いたら12万で一緒。独り身で貯金あるとちょっとでいいよね
ファッション:毎月0~5万ぐらい。たまに2万ぐらいのカバンとか買ったりの程度。
雑費:ホムセンかニトリかスーパーで適当に買っててわからん。使いすぎてることはないはず。100均品質が怪しく思えていかなくなった。
そんなに大差ない。
スイッチは転売落ち着いた頃に買った初代が現役。コントローラ(ひも付きのホリコン)こないだ買い換えた。無線は充電めんどくて。
他の用途でも性能居るから、PCはよいのを買うようにしてる。といっても5年に1回30~50万
ソフトは年に5~10万ぐらい?
安い時にとりあえず買って積む。二か月に1回、1~3万ぐらいな感じ
自炊が多く、週3~5ぐらいスーパー行ってる。毎回の会計が3000~4000ぐらいなる。
半分ぐらい酒の気がする。あとはよい食材とか値段見ずに買ったり、すべての料理を胡麻風味油かエクストラバージンオリーブ油でやってるからみたいなの
安くて3万。たまにその10倍。
性欲のために生きてるなぁ(ガルバじゃなくてそっち系でちゃんと)。
広い意味での見栄みたいなものが無いと、独り身でお金減らないのは共感する。
性欲強すぎるから、そっちであっちゅうまに浪費できてしまうけど。けど上限はなんとなく見えてる。
2020年12月にハワイに入るためにやる必要があったことのメモ。
2020年1月に仕事の都合で米国に行ってしまった恋人に会いに行く4月のチケットを購入したのは1月3週目のこと。その前週から中国で感染症が流行っているニュースが入りあれよあれよという間に予約したフライトが飛行しない事になり、日程変更の為にサポートに問い合わせどつながらず、アメリカのサポート経由で別の日のチケットを手に入れたのも束の間、出発18日前の3月26日よりハワイ州への入境が完全制限され、フライトも欠航が決行。
一晩失意で枕を涙で濡らしているのを、どこ吹く風の恋人に慰められつつ、在宅勤務でほとんど家に出ることないまま様子を見続けてやってきた秋9月の末。フライト自体はほとんどない状態、にも関わらず収束することを願って12月のチケットをゲット。この予約した羽田便も11月になる前の週にはキャンセルされたけれど、入境後の行動規制が出発72時間前に取得したPCR検査の陰性証明書を所持している人には免除され成田便は飛ばすことが分かったので、急いでハワイアンに電話して飛ぶ予定の便に切り替えました。
あとは12月に無事に飛ぶのを待つばかり。感染者数も抑えられてきているのでこのまま収束を超期待。(ここまでが10月末)
出国というか搭乗のためにPCR検査の陰性証明書が必要なのだけど、ハワイで14日間の自宅退避を免除するには別途指定機関で発行されたPCRの陰性証明書が取得が必要。
https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/certificate/
他の診断やってないんじゃないかって位小さなクリニックで、取得。ハワイの他、グアムと中国入国の両方の証明書を発行していた。ビジネス?
ハワイ・グアムが大体26000円で中国用のが30000円を超えていたと思う。
来客も英語を話す人か中国語を話す人で(勿論日本語も)受付の人はどうやら中国語と英語と日本語がわかる様子だった。
出発前々日の午後に仕事を早退して検査して、出発前日の終業後に発行された証明書を取りに来るスタイル。
三密をここ14日間避けていたか、外食14日していないか、狭い空間で人と話したりしていないか。等。リモート勤務で友達の存在すら危ぶまれているので楽勝。
検査にはパスポートとフライト番号、保険証を持っていけばOK。
次の日に受け取った陰性証明書は、前日の検査結果から陰性を証明する、と医者の手によって書かれたハワイ州の規定の紙が用意されていて、自筆で名前と住所と生年月日と出発日・フライト名を書く感じ。
出発日欄を間違えて生年月日で書きかけて、書き損じで再発行手数料500円が追加で取られた。
ハワイに来る人は前日の健康情報を所定のデータベースに登録する作業が義務付けられています。
https://travel.hawaii.gov/#/trip
オアフ島だけでいいかと思いきや、オアフから尋ねる離島までの間の登録も別途必要だった。
登録する来島理由について、再移住、トランジット、観光、友人・家族への来訪、エッセンシャルワーカー、航空機の乗務員、とあって、この場合は友人家族への来訪を選択。
ステイ先に、ホテル、ホステル、コンドミニアム、自宅、時間貸しスペース、B&B、友人親戚宅、の他にキャンプサイト・ビーチやシェアルームと言う選択肢があって、この状況下でビーチとかキャンプサイト選ぶ人いるのかなとか疑問に思ったり。
健康情報の登録では熱はないか、解熱剤は飲んでいないか、インフルエンザの予防接種は打ったか、どこか別の国から移動した14日間の自宅待機期間ではないか、14日の間にハワイ州以外の自国ではない所に旅行していないか、などの登録が必要。
フライトごとにこの健康情報の登録は必要。サイトにはPCR検査の文書も登録できる場所があって、ハワイ州認定の陰性証明書をpdfにしてアップロードされていると到着時に空港を出る時の手続き項目が減って非常に簡単に出られます。
これが終わるとQRコードが飛んでくるので、入国後空港から出る時の手続きで、パスポートと一緒に見せればよい様子。
これは通常のアメリカ入国でも必要。ちょうどパスポートを切り替えてESTAの登録も切れてしまってたので、再登録。
SNSの登録箇所が以前はTwitterとFacebookだったのに、LinkedInとInstagram が追加されてた。
当然この手の情報はどれも持っていないので登録していません。はてなは無かった。
ESTA登録後の初回は有人の審査も必要になるとかで、結局有人の入国審査もやりました。
どんなに万全を期しても罹ったら現地の医療機関を使わざる負えずなにかあった時の医療費が怖いのでとりあえず3000万まで保証してくれる会社のにしました。結構高いです。4500円。
※やらなきゃいけないことの詳細は
ここ(https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/)に全部書いてあった。
家の冷蔵庫の中身を減らして、残りは帰国後14日間外出しない間に食べられるものを残し、不織布のマスク(VFE99%)の上に布マスク(中に不織布フィルターが入れられる物)を重ね付けて出発。当初の予想も外れて東京の新規感染者数は増え続け、この日は250人弱。
この時期にわざわざハワイへ向かいたい人は、現地で生活がある極限状態の日本人の買い出しかビジネスか家族がいるかで持ち込み荷物の多さを感じるような人ばかりかと思いきや、小さなスーツケースで必要最小限の装備のカップルや、地方から出てきてホノルルで何をして遊ぶという話で盛り上がっている親子連れや、ゴルフに行く様子の人もいて、不要不急の出国をカジュアルに実行する為にPCR検査をする人が居るのに本当にびっくりした。私も引きこもる予定だけど、不要不急の出国者側の人間なんだろうなってここで気づいた。
空港はこのハワイ便に乗る人と他の便待ちの人がいるくらいで、全く人がいなかった。旅行代理店のエリアの座席のところは前の方に空港職員の人がお弁当広げて食べている位、誰も居なかった。三密は全く無いけどレストラン街もほぼしまってて(土産屋もしまっている)いつも入るお店もやってない。出国手続きをした先の免税店もレストランも一切閉まっており、自販機で買った乳酸菌飲料の糖分でかろうじて空腹感をごまかす。おにぎりを食べている集団に羨ましくなりながら、搭乗待ちの間に携帯にアメリカのeSIMを設定したりしてた。
もともと間引きでの座席の提供。大体半分くらいは予約不可席で選べなくなっています。隣の四人席には人が一人しかいなく、気がついたら4席使って横たわって寝てた。
当初は機内食は食べるのをやめようと思ってたけど、機内の空気の循環は良いことや、空腹でおかしくなりそうだったので、ありがたく与えられた糧をいただく。
食後は、前の席にいる老人夫婦(多分片方別の席)がたまに咳をする(喘息っぽい音)上に時折マスクを外す。読書灯つけっぱなしで席移動して寝る、など普通に迷惑な人達なので映画を見て過ごす。目の前の座席が咳したあたりで、ダブルマスクの上にプラスチックのフェースカバーを付けてた。流石に読書灯つけっぱなしで移動されたのが鬱陶しかったので注意したら、装着してたマスクを外して謝ろうとし始めた。やめてほしい。
オアフ島から別の島に移らないといけないので乗り換え。入国審査と入境時健康検査(熱はないか、喉は痛くないか、などの口頭アンケートとQRコードの提出)してから一旦国際線ターミナルを出て国内線へ。米国人もマスクしているし、地面にはこれでもかというほどキープディスタンスを守らせるためのシールが貼られていた。時期をずらしてバカンスにきてたっぽい米国内の人がちらほら居た。結構普通に国内を動いているメリケン。
国内線の搭乗検査で身分証明書(旅券)とマスク外して顔を見せるなどをして無事次の便に。食事をしようと思ったけれどホノルル空港内の飲食店はほとんど動いておらず、BURGER KINGもこの日はやってなくて、スタバでカロリー高そうな飲み物を頼んだ。土産物屋は一軒のみ営業してたけど、ほとんどお客さんは入っておらず。
離島到着。軍服着た人に囲まれながら、再度事前登録のQRコード見せて健康状態のアンケートを受けて、やっと空港の外へ!
あーよかった。きてよかった。生きててよかった!
1年ぶりに会う恋人に狂喜乱舞エキサイティングしつつ、恋人の家で居候。しあわせ。恋人とのご飯。しあわせ。
最初数日間は様子を見ていたけれど特にコロナの初期症状もないので、たまにスーパーに買い物に行ったり散歩に行ったりドライブして海を見たりしてました。
一回だけガラガラの店内でご飯食べた以外は周りの人と距離非常に保たれたアウトドアか家でご飯。飛沫感染リスクかなり低め。
それ以外は延々と仕事する恋人の後ろでゲームしたりお茶のんだり仕事のメール読んだりしてた。完全に邪魔してた。休暇とってよかった。
(後編 anond:20201231031222 に続く)
なら相方からの2時間の説教、奥さん(当時婚約者)の代理だったのかもね。
説教がなければそのまま風俗トークラジオで売ってくつもりだったんだろうか。そりゃ妻子の存在を表に出せないわな…。
「コロナ明けは貧乏な素人男子大学生がホストクラブとかにでてくるからそれを楽しみに生きろ」
やっぱり性別にかかわらずモテ金持ちが同性非モテ貧乏人にいっていいセリフではないよね。
「同性ならではの同情」より女衒、今でいう風俗案内所とか客引きみたいな裏がありそうなあくどさを感じるのが普通の感覚だと思うんだけどな。
(なお実在のゴージャス姉妹芸能人は絶対そういうことをいいません。ひきあいにだしてすみません)
前澤社長の個人情報ひきかえに100万配りますといい、有名人が犯罪のオープナー行為とか他人が堕落する方向に加担するのは無意識なだけに罪深い。
やっぱり自分は時間貸しじゃない女性の人生を買えたんだ。おめでとう。
若い人は一人まるごとの人生なんて買えない背負えない、なんなら自分一人だけでも生きていけないから苦しんでるんだけど。
同年代からみると岡村って一時期すごくモテてる男だったのにいつのまにか非モテ、貧乏人の代弁者になった。
うつ病、***と思うようにならないのがつらいのはわかるけど、それと若い人の悩みをいっしょにして悩んでるフリでいつまでも売ってちゃいけないとおもうよ。
もうちょっと実用的なことをおしえてあげてほしかった。寄付ならオレがよしもとなり私立○○芸術大学に年収の半分くらいやってやるから、みんな授業費気にせず学びにこいとか、釣りも自炊も意外と簡単でたのしいぞとか。(よしもとの脱税ってなおったんだっけ?あれ違う事務所だっけ?)
それが、風俗に金落とすから可愛がられる方法を学びにこい、女が*******りなら日本がよくなるってか。どうせ*****************ってあそびにいっちゃうくせにね。
お盆の暇に任せてミシンをチェックしてる人もいるかと思いますが、業界人ならどれを選ぶかという視点で選びます
続編はこちら
・https://anond.hatelabo.jp/20200814172821
・https://anond.hatelabo.jp/20200814172907
・ジグザグ縫いはほとんど使わない
・ミシンを使う人ほど複数台持ちで最終的にメイン機はプロユースっぽいものになっていく
・普通のミシンならBrother, Juki, Janome
ミシンは樹脂外装がついているものがほとんどだけど、中にアルミダイキャストのアームと呼ばれる部品が入っていてこれが何しろ大切。アームレスミシンは文字通りアームがなく、安く軽く使えるのでエントリーユーザーにはおすすめと謳われるが樹脂と金属では寸法精度が違いすぎるので絶対に避けるべし
・押さえが沢山ついているもの
どうせほぼ使わないので余計なものは少ない方がいい。あとから欲しくなってきたら買い足す方が断然安い
・入門機
入門機は例えるならば100均の工具だと思った方がいい。あっという間にゴミになるので環境にも悪く、初めは使えなくはないが、すぐにガタが来て結果安物買いの銭失いとなる。(各社がシェア争いのために仕方なく作っている側面がある)
「いきなり高いのを買うのは思い切れない」という人はレンタルミシンやfabカフェっぽいところで時間貸ししているので、それをしばらく使って守るのがおすすめ。余程使わないと入門機の金額に届かないので入門機を買うくらいならその方が良い
・重い物を買う
ミシン屋ではいろいろ言われるだろうがミシンを運ぶ機会なんて滅多にない。土台が安定しているに越したことはない
メカ系の製品はミシンに限らず部品が少なければ少ないほど壊れにくい。
例えば電動糸通しなんかは魅力的だが割と壊れやすく、慣れれば普通に通すのと大して変わらない
・安いものにする
同じようなスペックで各社から出ている場合、実力的には五十歩百歩なので安ければそれでOK
・メーカーを揃える
既に持っている/親しい人ミシンを持っている人はその人たちと同じ物を買うのが何かと安心(だが別に何処も変わらないといえば変わらないので無理にこだわる必要は全くない)
・Janomeなら780DX
・今ならメルカリとかでリセールもいいので思い切って買ってしまっても案外後悔は少ないのがこの3機種
・アルファベットとカタカナくらいまで入っていればほぼ問題ないので、それが入っている最低限のものでOK
縫い模様の数が多いものほどNGだと思った方が良い、基本の縫いは全て職業用高速直線縫いミシンに任せる
・元も子もないけど、どハマりしない限りどうせ使わなくなるミシンだと思うので一番安いやつでOK
・ロックミシンを買う
ベビーロックの中級くらいのものが長く使えて値段とのバランスも取れている
ロックミシンや環縫いが何かわからない人はとりあえず一台職業用高速直線縫いミシンを買って、必要になった時に調べればOK
少しコメントをいただいたみたいでうれしかったです。ちょっとだけきれいに整えて追記します。
前提を書いてなかったんですが、ある程度ミシンを趣味として使って行きたい人向けに書いています。
ミシンメーカーは販路をうまく握れていないところが多いので、スペックを比較するのにも一苦労で、自分が本当に欲しいミシンに辿り着けないことが多いので、これがその一助になれば。
友人に向けた個人的な買い方指南書のつもりで書いています。(名前が違っていても中身はほとんど同じ、というミシンがかなり多く、ネットの口コミもプロから見ると思い込みが強くて当てにならないものが目立つので、)
そうでなければこんな高価な10万前後するものではなく、3万~6万くらいのもので気に入ったデザインのものにすればいいと思います。(迷ったら重いものを)
また、雑巾は買って、裾上げはテープや街の仕立て屋に出す方がミシンを買うより圧倒的に楽で安いです。特段の事情がなければそれでいいと私は思います。
実は私たちがイメージしているミシンメーカーとしてのsingerは存在していません。今は米国でライセンス管理会社として存在しており、日本では株式会社ハッピージャパンが作っています。monamiなどの名作もありましたが、今回はきちんと使えるミシンということで職業用高速直線縫いミシンを選定した関係上、省きました。singerからも出ていますが、中身はJanomeのOEMなのでそれなら本家を買うべきです(これはベビーロックの職業用も同じ)。
デニムがxx枚縫えますと謳っている機種は多いのですが、これは半分本当で半分嘘です。
というのも、その写真の多くではデニム地が折り返されていません。デニム地の面倒なのはここにあります。5枚平に縫うのと2回折り返して縫うのとでは実は後者の方が難易度が高く、目飛びと言って縫い目が一つ飛ばしになってしまっているような状態になりやすいです。
また、Aisinでデニム特化っぽいミシンもありますが、職業用高速直線縫いミシンに比べたら全くの力不足です。
どれもフットコントローラがついているので意外に使い勝手は何とかなるものです。
たしか、Janomeの780DXはフットコントローラの最大出力を手元のスライダーで操作できた気がする・・・のでそれがおすすめです。(確かではないので買う時に確認してください)
確かにそういう方法もありますが、応急処置的です。ここのところはロックミシンが借りられるところで処理するというのがコスパは良さそうです。
確かにこれは無駄っぽいですが、保育園/幼稚園/小学校でネームを入れたいという親御さんはとても多いので載せました。
ここの部分にかんしてはレンタルなどで凌ぐのも手ですね。
レンタルはユザワヤさんがやってますね、専業なのでメンテナンスとか考えたらここがいいのかな?という気がします。(レンタル使ったことないので知りませんが)
https://www.yuzawaya.shop/html/page11.html
他にレンタルスペースというのもありまして、僕が知っているのは以下の2軒です。
coromoza:ここはガチ勢がプロユースのものを使いにくる場所というイメージ、ややストイック
bobinage:Janomeがやっているお店なのでJanomeしか触れませんがcoromozaよりは入りやすいです
https://www5.janome.co.jp/bobinage/
足踏み式というのはかなり古い機種のことですよね。
今も作っているメーカーはないような気がするので簡単に手に入るものではありませんが、電気を使ってないものはメンテナンスすれば一生使えるといわれています。
一箇所ネックがあるとすればミシンベルトですが、Janomeが今も作っていた気がします、、がよくわかりません。
調べたらサードパーティでも出ているようなので当面は使えそうですね。
具体的にいうと以下の機種です。
・Janome:JA525、IJ521など
簡単な見分け型として、5kgを切っていたら少し怪しいですね。2kg前後のものはほぼ間違いなくアームレスです。
ちなみに、ブコメで触れられているアックスヤマザキのものはアームレスです。https://item.rakuten.co.jp/axe/mm-10/
日本の人口の数割が住んでて、高価なドローンを購入できる客層がうじゃうじゃ居る東京で飛ばせる所が片手で数えられる程度しかないんじゃ無理でしょ
その場所も時間貸しで価格はボッタクリじゃ誰もやらないよ。まだジョギングしてた方がマシ
車で郊外まで行ければ良いけど、都心からだと高速で行くレベルだし、結局自家用車を持ってて、高速代出せて、ガス代出せる上に数万以上のドローンとバッテリーと各種パーツを買える人だけが楽しめる趣味になっちゃった
自宅内で飛ばすんじゃ飽きるし、200g以下とかゴミだし、せめて川沿いくらいで飛ばせればな~これから始める人はちゃんと調べろよ。あと松戸の矢切は多すぎてドローン銀座になってる
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日本でプログラムを作ってもらおうとするとめちゃめちゃお金がかかる。
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[まず中抜きされている分高くなる]
まず中抜きが多すぎるんじゃないっていうのはよく言われているけど、それはそのとおりだと思う。
少し話はずれるけど、一次請け辺りにいる人達はそもそも優秀な人が多いんじゃないかとは思う。
だけど下請けに仕事を発注することを何十年もやっていれば、それは無能集団にならざるを得ないよね。かわいそうだけど。
そういう人達にお金を一番払っているのだから、無駄にソフトウエアが高くなるのは当然。
客はこの役立たずたちの生活のために、多めに料金を払っている。
元請は調整役なんだから必要だよって思う人もいるかもしれないけど、実際にはそれすらも下請けにやらせているところがたくさんあるし元請の役割って、仕事を受注するためのブランドだったり看板でしかないこともある。
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[くそみたいなプログラマーが時間をかけて作るからもっと高くなる]
それでもって、不当な扱いを受けている下請けのプログラマーがかわいそうって話になるけど、本当にかわいそうなのはお客だ。
まず日本では適正のないものを大量に雇っている。ベテランとか言われている中にもまともにプログラミングできないやつらはたくさんいる。
そもそも勉強する気がないのが大半なので、経験則でくそみたいなプログラムを書く人間が80%くらい。
そういう人間ばかりのプロジェクトは、1ヶ月くらいで終わりそうなものを何年もかけてつくることすらある。
そういうやつは居てもいなくても良いんだけど、っていうか居ないほうがいいんだけど、会社的は居たほうがメリットがある。
なぜかというと、プログラマーを売るときはスキルに関係なくある程度の値段で時間貸しできるから。
できるやつ1人にできないやつ5人くらいをつけて、客先に送りつけても6人分の料金をふんだくることができる。これは普通に行われている。
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つまりはお客は、
プライドだけ高い元エリートくそじじい(今は役立たず)にたくさん中抜きされるお金を支払わされて
さらにまったく必要とされていないたくさんのプログラマー分の給料までも支払わされているってことになる。
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わたしはSI下請けプログラマーなので、自分が一番かわいそうな立場なんだといつも思っていたけど、よく考えてみればこんな業界に発注せざるをえないお客さんたちも結構かわいそうだよなあと思う。
ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。
小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。
小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は本当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。
最初のぼくのビジネスは、自販機の小銭と落ちている空き瓶をあつめることだった。今はどうかしらないがその頃、一本あたり10円で特定のビンを買い取ってくれる駄菓子屋があった。たとえば、コカコーラ。スプライト。
二週間後には町内の自販機地図をつくり、近所の子どもたち数名を組織化してビジネスを拡大した。上がりは折半だ。軌道に乗った矢先、浮浪者のボスに一喝されてそのビジネスはご破産となった。
次は自販機ビジネスの資本をもって、今でいう「せどり」に挑戦した。カメレオンクラブ、キャンプ、わんぱくこぞう、遊コン。情報化前夜の昭和末期。ゲームカセットの買取価格と販売価格が逆転している商品をしらみつぶしに探しては、他の店に売りとばした。これも仲のよい同級生を組織化した。仕入れの費用がない場合はぼくが肩代わりした。が、ただ、店舗が密集しているわけではなかったので、仕入れの問題であまりうまく行かなかった。そのうち同種のカセットの買取に制限つきはじめた。息の短い商売だった。
中学生になってやったのがパソコン通信のログ取得代行する、というサービスだった。今思うととこれは犯罪だったかもしれない。Nifty-serveやPC-BANの規約はもう見れないので許してほしい。日夜マニアックな議論が繰り広げられる大手パソコン通信サイトのログをダウンロードしては草の根BBSで知り合ったおにーさん達に高値で売りつけた。ただのテキストが垂涎の情報となる時代があったのだ。
小さな商売としては、ビックリマンシールの仲買。発売日前に週刊少年ジャンプが並ぶ店を見つけて手に入れ時間貸し。CDのダビングを手伝ったりした。もちろん牛乳配達や新聞配達もやった。
最後にやったのはパチンコだった。本当はアルバイトをしたかった。が、中学生を雇ってくれる福祉的なビジネスマンを当時のぼくにみつけることはできなかった。ぼくの世代には一時期これで食べていた人が多いと思う。といってもぼくが中学生の頃なので、羽根物・権利物・フィーバー機など釘の甘い台をみつけては打ち止めにする。という同世代のパチスロプロより1つ前の世代だった。あからさまな中坊がパチンコ屋に来ても見て見ぬふりをしてくれる、牧歌的な時代だった。LUNA SEAが有線放送でよく流れていた。軍艦マーチももちろん流れていた。
そうしてぼくは晴れて16歳になり、まっとうに労働を金銭と交換し、またそれの再生産を繰りかえす立場となった。
ぼくはなるべくして中卒になった。1つも願書を出していない。
義務教育、学校に行く理由がまったくわからなかった。お金を稼ぐ事以外世界に意味がないと思っていた。だれも勉強をする理由を教えてくれなかった。貧乏な家の親、多くの市井の公立小学校の先生にはそれを子どもに説明する能力が、ない。ぼくも30をすぎてようやく勉強をする理由を先人の言葉を使って説明できるようになったくらいだから、無理もない。
高校へ通うには学費が多くかかると知った。これも進学しなかった理由の一つだ。さすがに15歳の僕にもわかる。母親の稼ぎだけで四人の年子が高校に行くのは不可能なことを。ぼくが行けても下の弟二人はきっと中卒だろう。
中学三年の担任は、進路相談でぼくが進学しないというと、とりあえずその場をなあなあで済ませた。その後、考えをあらためさせるべくぼく親友、山根を狩り出した。ぼくの説得を試みたのだ。まったく進学しない中卒は珍しかったらしい。無論、とりつくシマもなく断った。二人の目には、ぼくの事が、世界中を敵だと考え怯える、野生児のように見えたと思う。そんな目をぼくはしていた。
その後、労働でお金を稼ぐことより、お金を作る仕組みのほうに興味を捨てられなくて、自分で商売を始めるんだけど、それはまた別の話。
先週の水曜日、1年くらい会っていた男と別れた。身分違いだった。遊ばれていただけだが、私は確かに恋をしていた。既に2回くらい泣いて諦めてたつもりだったのに、今は「基本的な生活」ができなくて昼職をなんとか遣り過ごすのがやっと。会っていた期間・今までの生き方に対して後悔がたくさんある。
「失恋からの立ち直り方」などを読むと、失恋直後は泣いて愚痴れ美味いもの食えあとは時間が解決すると書いてあるが、いくつかの事情が重なり誰にも(カウンセラー等の秘密厳守してくれる人にしか)ありのままを話せないので、増田に吐き出すことにした。半生、風俗、恋愛が絡んだゲロなので脈絡がなかったり長すぎたりあなたのモラルやポリシーに反したりは目を瞑って欲しい。胃の上と心臓がぐるぐるして気持ち悪いままあまり食べられず、呼吸が浅くて、吐き出さないとこれがずっと続きそうで。
世の紳士たち、遊びを仕掛けて本気になられて面倒になって棄てるなら、いいタイミングを選んでください。そもそもきちんと予防線を張ってください。それが上手にできないなら風俗の場合は最初から時間内だけの遊びにしてください。野暮でも関係の確認は明確に。気まぐれな優しさは凶器です。空っぽの人形に心を植えて、外界に連れ出して置いて去るようなのはやめてください。源氏名の鎧が外骨格なこともあるんです。剥がすなら覚悟をもってください。
要は失格風俗嬢が院生に遊ばれただけの話。
企業家家系で、家柄は武士とか軍人の流れとは聞いた気がするが、家を継ぐだの良家だのとは現在は無縁。
兄弟は上と下にひとりずつ。下が障がい者(突然変異系)で心臓の手術などのため私は早い頃からあまり構って貰えなかった。父方祖父母宅に預けられた時に言われた「ジュースを欲しがるなんて図々しい」は幼心にも傷ついた。幼児だからわからないなどと侮るなかれ。迷惑をかけてはいけないと過剰に思う癖がついてこれまでもたくさんの失敗をした。
小学生の頃に両親が離婚。風俗嬢にありがちな母子家庭育ち。母が会社をやっているので経済的困窮はなかった。片親家庭の毒は、なにも経済的なことだけではないと思う。男女観は多少であろうが歪む。私の場合は自分の女性性を受け入れ「女性」になるのが遅れた。「ちゃんとした恋」の経験値が足りなかった。
上の兄弟は国立最高峰の大学を卒業直後にかなりの年上と結婚。母は子が全員成人した頃にやっと死別独身(成人子あり)のパートナーをつくって入籍せずに一緒に住んでいる。
女子中高を経て、音楽大学へ。多少はみ出してはいたが結構な真面目ちゃんだった。同級生みたいにもう少しちゃらちゃらして男を見る目を養えばよかった。大学は奨学金(自立を促すため)と親の資金で。大学の頃にはすこし恋もしたしすこし病みもした。処女喪失は20歳を越えてから当時の彼氏と。特に感動もなかった。卒業してもまず食えないので事務で零細企業に就職。稽古には現在も通っていて、欧州への留学を希望しており貯金中。
昼職の正社員で留学のため真面目に順調に貯金をしていたが当時勤めていた会社が傾き、会社自体を整理することになって放り出される形で無職になった。初めは社員の求人に応募してみたり派遣で働いてみたりしていた。しかし景気的時期的になかなか厳しく、月末月初のみの事務アルバイトをしながら、貯金の進まなさに焦りを感じ時給の高さでホステスに応募。お酒が弱くてあまり売れず。もう数年若ければキャバクラでジュースでも稼げたのだろうが、もう20代中盤に差し掛かっていたので。派遣ホステスなども数回やったしお化粧おしゃべりは多少うまくなったのだが毎晩お酒を飲んで煙草に曝される生活に1ヶ月で無理を感じた。ほんの短期間だけ肉体接触なしの愛人ごっこみたいなこともして自分には向かないことを確認した。
ある日アフターののち始発待ち早朝のネットカフェで、最高に疲れた頭で風俗店の求人を調べた。何の職種がどこまでやるのか等を調べメンズエステ(マッサージ)までが私の限界と認識。求人と営業HPとの齟齬が少ない感じのところに投げやりに応募、後日面接へ。この時の私は疲れていろんなことが麻痺していたのだと思う。貞操観念は大人になるまでは強すぎるほどだったのに。講習で服を脱いだとき、堕ちたなーと乾いた笑いが出た。私大出して貰ってさらに留学資金なんて言えない、とか思ってたけど、風俗にまで行けるならまず親に言えばいいのに。足りなければ奨学金とか片っ端から応募すればいいのに。留学はどうしてもしたかったが、親に頼ったり甘えたりするのは怖かった。失恋後に母の胸を借りて泣いた時にやっと頼っていいのかなという気になれた。
斯くして私は去年の秋に渋谷の老舗店のホテルエステ嬢になった。たまたま新人ラッシュ期で店プッシュは分散、若い子巧い子(ヘルス上がりとか)に流れて新人期間でも本当に売れなかった。新人キラー(表立って言わないだけでみんなやってるよと過剰サービスを要求したり、押さえつけて入れてしまおうなどとする)だけは初めの1ヶ月間によく付き戸惑ったが対処法を身を持って会得。入店から一度も事故ったことはない。店側も私がこんなに続く(現在勤続1年と3ヶ月くらい)と思わなかっただろう。サービス内容はオイルマッサージとトップレスでの手コキ。パンツを脱ぐことも、キスもフェラもない。トップレスも初めは抵抗があったが、とりあえず粘膜ではなく皮膚だからと考えて慣れた。売れなかったので、何か武器があればいいかとマッサージを勉強した。リンパと筋肉ほぐしとツボ。開業の予定はないがマッサージスクールのショートクラスのディプロマも取得。
風俗にもいろいろあるけど、時間貸しの菩薩と思うに至った。精神的に受け入れて貰うのを飛び越えて膣に執着する男性が理解できない。
金銭感覚と貞操観念の狂いにはとても神経質になっていて、ストッパーに今も月末月初の昼職は続けている。事務の期間以外は結構な鬼出勤かつオープンラストなどもしていた。待機時間で譜読みや勉強ができるのはメリットだった。風俗の給料はとりあえずまず奨学金を返して、留学貯金の続き。日払いなので千円札しか使わない。万札・五千円札はやむを得ない場合のみ。清算時になるべく大きいのに両替する。お給料がキリのいい数字の時は何も買えない。万札が財布に3枚以上溜まったらすぐ口座へ。数字が増えていくのが幸せ。
恋人なんて嗜好品だと思っていた。あったら幸せだけどなくても死なない。留学(希望期間が長いので)できるようになったら置いてくか待って貰うかだから現状すぐは結婚とか考えられなかった。興信所での調査が必要な良家に嫁ぐなどは片親、障がい者家族、年齢的にないと踏んでいた。むしろ風俗に入った時点で、まともな普通な結婚は9割諦めていた。自分が結構放っとかれて(習い事だけはいろいろやった)育ったからちゃんと子供を育てられる自信があまりないし、留学できて行って帰って結婚出産したら高齢出産に片足ひっかかりそうだし、子供も積極的には望んでいない。
嫁が妊娠してセックスできないからと来店した客の「ここは最後まで手でなでなでしてるだけだから後ろめたくない、やましくない」説をとって、風俗嬢だけど別にたいそうなことやってるわけじゃないと表層では思うようにしていたが世間的には賎業なのも知っていた。
自分は自分の人生を生きなきゃいけないから、何かによってブレーキがかかるならそれは天秤にかけて本当に要るか考えるべきと思っていた。ぐらつくほどの恋なんてしたことなかった。
奴が来店したのは12月の頭だった。フリー一見はインパクトがなければ正直2ヶ月くらいしか覚えていられないから、その前にも来ていたかは定かでない。うちの店はメール交換を推奨しており(トラブルの種にならないのか疑問)、新人期間が終わる頃でもっと指名を作りたかった私は客の一人としてあまり深く考えずにサブ携帯のアドレスを交換した。そう頻繁でもないペースで他愛ないメールをし(メアド蒔きすぎて客とのメール自体めんどくさくて私があまり返信しなかったから。でも奴はたくさんメールをくれたし、待ってくれたし、返信を喜んでくれた)、そう頻繁でもないペースで来店し、私が中抜け(で稽古へ)から戻るのが遅れた時に奴が40分待ってくれたこともあった。「外で会いたい」と言われた時には「出勤時間を削って会うならお小遣い貰わないと無理w」とか冗談で断ってたな。2歳サバ読んでたから奴をオッサン扱い。実際外で会う気なんてなかった。事務の期間は事務が忙しいからって断れるし。風俗関係の人は風俗の期間だけにしたいし、その風俗の期間は休みを入れてなかったし。
奴はアカポスを目指す年上の院生(D2)で、数駅のところに奴の所属する研究室はあった。別にイケメンではない。実家暮らしでスポーツ好きで男子校育ちで男性の多い専攻。風俗に来れる程度の収入は得ていた模様。結婚とかせっつかれ始めてると言っていた。結婚したい、ではなく結婚しなきゃ、のような口振りで。
やることはやってたけど(プレイの範囲で)気持ちはちょっとずつ惹かれ始めていた。女とか風俗嬢とかそういう「枠」じゃなくて「私自身」を見てくれた気がしたから。褒められ慣れてなくて、客に「かわいい」とか言われても「ありがとうございますぅー」だの「そんなことないですよぉー」だの「えへっ知ってるw」だのとしか言えず、どうせその場限りの口先だけだって知ってるからスルーできたのだが、奴に言われて嬉しくてどうしていいかわからなくて「ポーカーフェイス頑張っても口角がちょっと上がるよね」などと指摘された時なんてエンドルフィンどばーであった。喪女か。
1月の末、ラストまで勤務後に出張帰りの奴と初めて外で会った。出勤を削らなければ私は機会損失ないからと思って。「好き」だとか「付き合おう」だとか「セフレでよろしく」だとかそういう言葉は出なかった。こちらからは出せなかった。その後食事だったりプラネタリウムデートだったり映画デートだったり普通のデートもしたが、ホテルにも行った。奴が非常に疲れている時や隙間時間で会った時にはホテルだけの場合もあった。マッサージとお昼寝だけもあった。1日一緒にいても全然窮屈じゃなかった。デートの日は必ず店を休んだ。「忙しくても何日に会えるって思ったら頑張れる」と言ってくれて、私もどんな痛客相手でも中断は決してしないでプレイタイム内は頑張れた(その後はもちろんNGをかける)。会って2回目くらいで本当の年齢のことも言った。初めの頃はほんとにバカップルみたいだった。メールに書いた話題のフックは漏れなくキャッチしてくれた。遊びならちゃんとそういう感じにしてくれればいいのに、本当に大切にしてくれた。
処女じゃないし、経験人数は片手で余裕で足りるが、ちょっといい雰囲気になるくらいなら数人いた。今までのはこちらからはそんなに本気で好きじゃなかったのかもしれないと思った。好きな人とのセックスがこんなに気持ちいいものとは思わなかった。ぞくぞくして痺れて溶ける感じ。濡れにくくて苦労はしたが。本当にかたちとか大きさじゃない。店に入ってから持ち前の「興味を持ったら調べる、やってみる」気質で手技だけはあったしananの特集等でフェラチオのイメトレもできていたから、申告人数より実際はもっと経験豊富と思われたかもしれない。
4月にはD3になるし論文の準備だったり学会だったりで忙しいだろうし、あまり構って構ってとは言わなかった。2月に一度だけ「この間会ったばっかりなのにもう会いたくなってる」と言って予定を調整して貰ったくらい。あとは相手からの予定打診待ち。3月頃にメールが1ヶ月開いて、次に会った時に「自然消滅狙いだけはやめてね。すっぱり切ってくれないと待つつもりなくても待てちゃうタイプだから」と頼んだ。誕生日には奴の利用店のプリペイドカードを負担に思われない程度にチャージして贈った。
会えば優しかったしいろんなことを話した。メールが途切れたら2週間くらいしてこちらからネタメールを送った。モテ期3回が三重解だったり虚解だったりするやつとか、バストカップ別褒め方一覧とか。追撃せず、返信や会うことは求めず、相手の都合でよかった。「飽きちゃったのかと思った」「飽きないけど、将来がないからねー」とかいう会話もあった。婚活市場で優良物件すぎて以前年上の女性にギラギラされたことがあって苦手、と聞いていたからこちらからは押せなかった。エイプリルフールに「あのねあのね!だいっきらい!あと処女です!」とか、満月にかこつけて「月がきれいだよー」くらいしか言えなかった。たぶん通じてないけど。漱石だよ。
半年もするとだんだん雑談メールが減って、近況つきだが予定打診メールの率が高くなった。会うペースも下がって月に1度くらいになった。忙しいならしょうがないし全然待てた。だが徐々にキスも減った。手もこちらから繋がなければ繋がなくてそのうちに遠慮した。うざいと思われたくなくて常に半身ほど引いていたが、もし言われれば即風俗あがって付いていきたい程度には好きだった。
明確な言葉なく付き合うカップルっているとは思うが、セフレっていう関係がこの世に存在する以上は関係の定義なり宣言なりが必要だと思う。それがないってことは明確に気持ちがあるわけではない、所詮は都合のいい女だということに2回ほど泣いて「何もなくて終わるより何かあって終わった方がいいと思って外で会ったんだから」と思った。より迷惑をかけちゃいけないと思って近づけなくなった。
9月に会ってから途中で奴の多忙による予定変更を経て2ヶ月ぶりに会った。予定変更への返信に「充電は既に切れてるけどまー死なないから私のことは忘れてていいよ」と書いてから2週間後。稽古の後に奴の乗り換えの都合上いつもの新宿へ。風邪気味の奴と西口で待ち合わせアルタ裏から出て歌舞伎町のホテルまで歩いた。バリアンじゃなくてそこそこきれいで割券使えるところ。普通に入ってコートとか脱いで普通に座って。
「真剣な話があります」ひとつは奴の今後の進退に関することなど。もうひとつは「今日で最後にしましょう」。
なんとなくそんな気はしてました。「えっしてた?」
しかしなんでまた。「結婚もしないのにこういうことしてるのが負担」
そう思うに至ったきっかけとかあるの?「論文の審査とかだよね」「あとー…○歳になっちゃったし、見合いとかするかもしれないし」「他に女の人がいるとかそういうのじゃないけど」「結婚できないじゃん?」「結婚しない相手と中途半端に付き合うのはやめる」
ていうか付き合ってないじゃん?セフレとか付き合うとか関係の定義なり宣言なりをしてないし最初から中途半端だったよ。「最初から中途半端、かぁ」
……………。(言いたいこと終わり?)
「泣かそうとしてる?」泣かしたって面白くないじゃない。
「なんか女々しいな、俺…」
………………………………………。
うん。でも。それなりに楽しかったよ。「それなり?俺は」だってちゃんと好きになっちゃいけないって思ってたから。「なんか…すごいなそうやって」
ていうかそれでも結構好きだった。でも迷惑だよね、と思って。2回くらいちゃんと泣いて割り切ってたよ。「そう言われちゃうと…」
最後に、します?「男が最後にやらせてっていうのはあるけどそっちから言うんかいw」
云々、奴にとってはあっけなさ過ぎて拍子抜けだったかもしれない。セックスはしなかった。泣けず、縋れず、意思表示もできず最後まで強がってしまった。でも最後になってやっと好きって言えた。以前一緒に見た映画の前作DVDを私が持っており双方ともに途中までは見たとのことで最後の1/3くらいをベッドで(離れて)ごろごろしながらエンドロールとメイキングまで観て、「じゃあ、出ようか」。「明日の朝喉痛くならないでね」(風邪だから)。
歌舞伎町から新宿駅まで歩く。奴の左耳、好きだったけど見納めかあ。最後にぎゅーってだけしてって言えばよかったな。駅で埼京線に乗る奴に改札の手前で「友人のバーでべろんべろんになってから帰るから!」と言って別れ、ウコンとカシミヤティッシュ持参で行った友人のバーで実際べろんべろんになって泣いて数年ぶりに記憶を飛ばし、隣席のオッサンにも迷惑をかけ便器を抱えおそらくタクシーで帰宅、風呂場でもトイレでも吐きまくって喉の痛い翌朝を迎えた。翌日の昼職は体調不良で休んで、夜になって迷惑かなと思いながら奴に最後のメールをした。
風邪大丈夫?お大事にね。留学資金を結婚資金にまわしてついて行っちゃいたい程度には好きだった。元風俗嬢とか嫁にいらないだろうけど。家は成金だし躾はなってないし。
昨日は女優だったでしょ?飲んで潰れて別の意味で喉の痛い朝を迎えると思えないくらい。
私をここまでしたんだからいい嫁見つけてちゃんと偉いセンセーになってよね。楽しかった。ありがと。
もちろん返信はなし。
何をやっていても涙が勝手にぼたぼた出てくる。過呼吸にも数度なった。職場のトイレで声を出して泣いた。事務の速度が1/3くらいになった。気を張ってる何か作業中はいいが途切れた時に何度でもフラッシュバック。何をしてても奴を連想する。母の胸を借り、恋愛論・男女論を泣きながら交わした。元客だったと打ち明けた風俗の同僚にもLINEを占領して慰めて貰いながら画面がぼやけた。夢に見た。魘されて数時間ごとに目が覚めた。日付の感覚がわからない。食事がとれない。食べても吐く。食べなくても吐き気。涙で流れるから化粧は一週間できなかった。男性に優しくされても泣いた。毛の処理や洗濯や基本的な生活ができなくなった。稽古に遅刻もしたし、演奏もできなかった。デパスを調達した。
奴に会えると思うから嫌なことでも頑張れた。これから何をご褒美に生きればいいのやら。そうまでして行く留学に意味はあるのか。
時間が解決する、いつかは忘れられると言われてもその時間を過ごす自信がない。
依存してたつもりはないけど、ガソリンが切れた。
ひたすらに楽天のメルマガがうざい。iPhoneでgmailとyahooのメールも未読有で出るから。放っといて欲しい。
奴のコミュニケーションスキルに不安はないので、若くて可愛いくて心の広い良家の令嬢と結婚して子供も作って幸せな家庭を築き出世していくんだろうとは思うものの、容姿体質(体質については私は許容できるが遺伝する内容)で弾かれまくったすえにやっとした見合い結婚で失敗して即効離婚してしまえとか、学歴に寄ってきた見合い女とくっついて有期雇用っぷりに幻滅されろとか、ポスドクで長ーく放浪して嫁に愛想尽かされろとか、助教で燻って65歳を迎えろとか、とっととインポになればいいとか、早くはげろとか、奴の幸せはまだ願えない。論文全然通らなくて心が折れてすごい凋落すればいいのにと思ってしまう。私のいないところで幸せになる奴を許せない。英語もできるから海外にも行けるし給料でてるし専攻的にも研究室的にも可能性は低いだろうけど。いま学位とれそうなところでその年齢で見合いとか早くない?とも思うがそれは体のいい理由なのでしょう。直接会って別れてくれただけまだ誠実なのかもしれない。パフォーマンスの低下した状態で考えているのでまだ頭の中はぐるぐるしているけど、風俗に入らなければ奴に会わなかったが、風俗女だから奴と本気で向き合う資格がなかったという循環参照みたいなところで行き詰る。
正直未練はまだあるしまともな生活はリハビリ中だけど、今日泣きながらこれを書いていて少しだけ吹っ切れた。結局遊ばれてたんだよね、と客観的に見られた。きっと恋をして何でもできそうな浮かれた気持ちと、すごくすごく幸せだった約1年と、別れて得た絶望とは自分の演奏に活かさなくてはいけないんだと思う。燃えるよりも灼けるように好きになれる人を運命がほんの短いあいだ貸してくれたと思うよりない。間違いなく、スイッチを切り替え私を「融かして」くれたのは彼だった。ここで討ち死にしたら負け。
2月にオーディションが2部門ある。受かれば履歴書に書けて2年くらい拘束。去年は「本気で行って落ちたらベッドで慰めてあげるから楽しんでおいでー」などと言ってくれた人がもういないので、ふたつとも落ちたらすぐに欧州へ飛ぶ準備を始めようと思う。目標額到達まで単独だともうしばらくあったけど、今回母に泣きついでに留学のことを直訴したら(当然風俗のことは言えなかったがアルバイトを掛け持ちしているとは言ってある)私の貯金と同額までは用意してくれることになったので、タイミング的には来年の秋頃から。奨学金にも応募してみる。
風俗は来年春か夏までにあがる。私に刻まれた風俗嬢の過去は変わらないが欧州に行って帰って来る頃には従業員名簿も破棄されている。
言っても言わなくても結局終わるなら、好きって思ったら言ったほうがいい。
欲しいものは欲しいって言う。だめかどうか決めるのは相手。
初動は早いほうがいい。
フィクション?そうだったらいいのに。それか1年前に時間巻き戻したい。
ありがとう。元増田★です。
http://anond.hatelabo.jp/20100726074435
なるほど。出来るだけオープンな空間にしたいと思っていたので、客の選び方は考えてなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20100726084136
出来ればコンビニに併設にしたいところなのだけれど(その部分は無人にしても目が届くから)、検索したところ大手フランチャイズのコンビニは独自のノウハウ以外の工夫は喜んでくれなさそう。
http://anond.hatelabo.jp/20100726090438
無法地帯にさせないためでも、会員制はちょっと二の足を踏む。ブラッと出かけたら仲間が居るといった空間にしたいんで。ただし、貸し切りは信用のおける知人のみにしたほうが、メリット(時間貸しで収入安定)とデメリット(犯罪の温床になる可能性)のバランスが取り易そう。
http://anond.hatelabo.jp/20100726085239
机を置く部分に、机一つずつ間仕切りできるようにしておけばいいかなと思った。炬燵が個室だと単なる仮眠場所になってしまいそうなんで。
客を選ぶ方法・案1、最初の半年はアルバイトを雇って「さくら」になってもらい、お店の雰囲気作りをする。それぞれ自分の好きなことをやりながら、時々、声を掛け合って話し合ったり、テーブルゲームを始めてみたり、TRPGのグループがいたり、何をしてもいいんだけども、他の人の楽しみを邪魔しないでね、的な雰囲気。
コンセプト・意図的にたまり場を作る。
場所の設計・8畳程度の畳掘ごたつ式座席(定員6名だが、詰めて座るれば12人でもOK)+6畳程度のフローリングの部屋に600ミリメートル×900ミリメートルの机8つと座り心地の良いイス8脚を用意。靴を脱いで上がる方式で靴箱にスリッパを用意。
営業時間・10時から22時(無人店舗・掃除のために1日3回巡回)
料金の徴収・靴箱の使用料を1回300円。ちょっとした外出にはサンダルを用意。(300円を払えば、10時から22時まで滞在可能ということ)
1日の売り上げ・満席で16×300=4800円。5回転すれば24000円。12時間貸し切り料金12000円。24時間貸し切り料金24000円(ふとん6組、台所使用)
守ってもらいたいこと・持ち込んだ物は持ち帰る。(飲食物の持ち込みは自由だが、ゴミは各自持ち帰ってくれってこと)
いくら用意すれば、こんな感じの店を始められるかなあと検討中。
http://anond.hatelabo.jp/20100518115813
それは一般的にASP(≒SaaS)とかPaaSとかIaaSとか呼ばれるサービス形態で、クラウドの説明としてはちょっと違います。
だけど、クラウドコンピューティングの代表格としてそういう「ネット上の超強力コンピュータを使いたいときだけちょっと貸してもらうサービス」が流行しているので、たしかにそう思えなくもない。
多義的な感じになってしまった「クラウド」を理解するために、ルーツから追ってみましょう。
まず最初に、インターネットは2点間の通信をするための道具であることを思い起こしましょう。国際電話網と同じです。A地点から、B地点を指定して通信するもの。
Webサイトでサービスを受けるときには、ドメイン名をかぶせたURLを使うので実際のIPアドレスは意識しませんが、それでもA-B間の通信であるのは基本でした。
しかしGoogleだAmazonだといった超大規模サービスになると、もうどれだけ強力なサーバにどれだけ太い回線でもリクエストを裁ききれるわけありません。世界中にサーバを置き、同じ「google.com」でもたくさんある中の最寄りのサーバに導かれてそこでリクエスト受け付けてもらうのが当たり前になります。
すると、「google.comサーバと通信する」という意味は薄れます。どれでもいいからgoogle.comの用意しているサーバに要求を処理してもらう……どういう構成かは知らないけどgoogle.comというサービスに要求を処理してもらう、と言う状態になります。
こうなるともはやA-B地点の通信の意味はなくなり、A-(構成はよくわからない分散したサービス)という関係になりました。この「(構成はよくわからない分散したサービス)」が「雲(クラウド)」です。
その後、GoogleもAmazonも、自社で構築した分散サーバ群を外部に提供し始めました。これを利用すれば誰でも、世界中に分散したサーバでクラウドなWebアプリケーションを提供できるようになります。
GAEもAWSも、「クラウドなWebアプリケーションを実現するサーバ群を利用させてくれるサービス」で、これを極端に略して「クラウド」などと呼ぶことがあります(ニフティクラウドとか)。でもこれらサーバの時間貸しは最初に書いたとおり、あくまでIaaSやPaaSであるわけです。