ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は、差別や偏見の表現を避けて、マイノリティへの配慮を促すための概念です。しかし、この主張では、ポリコレに対する批判が「差別を書くことで得られるカタルシスがなくなったから」と述べられており、ポリコレの本質を誤解しているように見えます。ポリコレの目的は差別の再現ではなく、差別の解消です。
差別的な状況の描写が少ないことを批判していますが、それ自体が差別とされる場合もあるため、制約があるのは理解できます。しかし、フィクションで描かれる設定がすべて現実に準じる必要があると考えることもまた極端です。多様な設定が存在することが、フィクションの豊かさを支えているとも言えます。
作品が差別のない理想郷を描くことに不満を示していますが、これには創作の自由の問題が関わります。フィクションは必ずしも現実に忠実である必要はなく、理想郷や差別のない世界を描くこと自体も創作の一形態です。理想郷を描くことで、新しい視点や価値観を提供することもフィクションの目的の一つです。
「ムーンライト」や「マッドマックス 怒りのデス・ロード」などの作品が評価される理由として差別描写の存在を挙げていますが、差別が描かれていない作品に対する否定的な評価の基準が曖昧です。作品が必ずしも差別を描くことで成り立つ必要はなく、さまざまな物語の形が存在し得ることを考慮するべきでしょう。
悪を描くこと自体が許されないと感じているようですが、実際には悪役を描くことが禁じられているわけではなく、問題は差別や偏見に結びつく描写が不適切である場合に批判を受ける点です。悪役を描く際に、人権や倫理的な視点を考慮することは重要です。
個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー 最近のポリコレには差別がない、要はカタルシスがない ...
この主張にはいくつかの矛盾点や注意点があります。 1. ポリコレの目的とカタルシスの混同: ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は、差別や偏見の表現を避けて、マイノリティへ...