はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは
リベラルっていうか今は無きsenbuuさんみたいな人のことね
https://b.hatena.ne.jp/q/%2Fcomment%2Fsenbuu%2F?target=text
これもネトウヨや冷笑家や表現の自由戦士様らが忌み嫌うポリティカル・コレクトネス(用語におけるUD)の仲間だよ。
けど、カラーUDに関しては理解あるコメントが多いのね。 反差別 どこからでもウヨ叩き
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4713830574221212418/comment/senbuu
誰か知らんが、青識亜論みたいな奴じゃね? ネットでモラルに反することをしていたなら、それはネトウヨと呼ばれてしかるべき奴だ。
ネトウヨか否かは思想の左右でなくモラルの上下で決まるというのが、わが考え。 ウヨがひどい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4723133952227195746/comment/senbuu
「サンドイッチ」を使えばサンドイッチについて語っている増田を見つけられるし、「ポリティカル・コレクトネス」を使えばポリティカル・コレクトネスについて語っている増田を見つけられるところなんだよね
「おはようございます」を使えば「おはようございます」って言う人に出会えて「おはようございます」って返すことができるし
「徳川慶喜」を使えば徳川慶喜に関心のある増田に出会えるんだよ。すごいよね。徳川慶喜について考えることなんて人生で2回くらいしかないのに
「神林長平」を含む日記をみるとこの人はSF小説が好きなんだな~!って増田に出会えるし
たまに史上初のキーワードを書いてしまい前人未踏の気分を味わえるところもいいよね。「鈴木亜久里」を含む日記や「セトルメント」を含む日記のようにね
この考え自体は自分は好きだ。不当な差別は無くなるべきであり、どんな人間であっても幸せに生きる権利がある。
私もそう思う。私は、個人的には、自分の周りの人間もそうでない他人も、皆幸せに生きてほしいと思う。
そして自分も善良で正しい人間としてありたいと思う。そこで問題が発生する。
まず、いわゆる「弱者」について考えてみる。
大学や特定の役職などで増やされる女性やLGBTの割合。それは良いことだ。彼らにもその役職に立つチャンスを用意するべきだ。
しかしポストの数には限界がある。切り捨てられる男性が出てくる。
私は女性やLGBTはもちろん、男性も幸せに生きてほしいと願っている。
さて。ではもし、自分が社会的に成功して何らかのポストを得たら。
自分の中で疑問が出てくるだろう。「なぜそのポストを恵まれない他人に提供して降りることをしない?それが正しいと思っているのに。」
現時点でポストを他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。
とにかく。
私には両親がいる。ならば、孤児院の子供たちと変わってあげるべきだったのではないか。
私には多少貯金できるほどの経済的余裕がある。ならば、貧困で苦しんでいる人達にその金を渡すべきではないのか。
私は食べるものに困らない程度の環境で暮らせている。ならば、食うに困って衰弱している人達にその食べ物を渡すべきではないのか。
私は比較的安全で豊かな国で暮らしている。ならば、そうでない国の人と変わってあげるべきではないのか。
この社会は搾取される人間がいることで成り立っている。ならば、少しでも彼らの負担が軽くなるように、自分はいなくなるべきではないのか。
ポストや金はもちろん、食料や資源は限られている。ならば、少しでも多くの人に行き渡るように、自分はいなくなるべきではないのか。
現時点でポストを他人に譲らない人についてはとくに批判しない。自分の考えを他人にも強要するのは正しくない。
文化の違いや考え方の違い。知能の差。これらを無視して一方的に定義するのが本当の正義か。
長くなってしまったのでここで終わらせよう。
他の生命を喰らうことでしか生きられず、他人の上に立つことでしか生きられず、搾取される他人がいることで成り立っている社会でしか生きられない我々にとって、本当に正しい世界を作ることなんて、はたしてできるのか。
ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の観点から芸能タレントに対する性加害問題を考察すると、以下のような視点が考えられます。
1. 被害者の声を重視:ポリコレでは被害者の声を尊重し、彼らが自身の体験を話すスペースを保障することが重要視されます。これにより、被害者が社会から孤立することを防ぐことができます。
2. 性暴力を容認しない:性加害は明確に否定され、加害者は社会的、法的に厳しく対処されるべきです。また、被害者の性別や立場に関わらず、性加害を受けた人々全てが同様の保護を受けるべきという視点も重要です。
3. 加害者への対応:加害者が芸能人である場合、その行為が大衆によって容認されることはなく、逆に彼らの行為によって他人を傷つける可能性があることを社会全体で認識することが求められます。
4. 職場の安全性:芸能界やその他の業界では、職場でのセクシャルハラスメントや性暴力を防ぐための明確なガイドラインや規定が必要です。これは職場の安全と尊厳を保つための基本的な要件であり、ポリティカル・コレクトネスの観点からも重要となります。
5. 社会的責任:メディアは、性暴力の問題について正確に報道し、公衆の誤解を解く役割を果たすべきです。これにより、社会全体の性暴力に対する認識と理解を深めることができます。
以上のように、ポリコレの観点からは、芸能タレントに対する性加害問題に対して厳格に対処し、被害者の保護と社会全体の理解を深めるための努力が求められます。
私は今漫画業界の末席にいて、且つ今の日本の漫画業界のあり方は好きなほうです。
だから外圧に感じる外国からの意見というのは煩わしく感じているし過ぎた意見は文化衝突で
それにあまりちゃんと知識もないのでいろいろ間違ってたら申し訳ないです。
今回はそんな自分のしごとである漫画とポリコレについての話というか、愚痴です。
上記の通りそういう立場ではありますが私はポリティカル・コレクトネスの考えは支持する立場でいます。
だからポリティカルコレクトネスを腐しすぎるオタクは私も大嫌いです
今は変革の過渡期であり厳しいのも当然でそれでも私達の次世代の子どもたちが差別や偏見に苦しまないために
自分の愛してたものをあえて手放す時期なのかもなとも考え直したりもしました。
だけど今その考えがかなり揺らいでいます。
海外や国内の、アメリカなどに精通している方からは日本の漫画は海外に比べて
ポリティカル・コレクトネスの意識もエンパワメントもエクイティも欠いてるというのは本当散々言われ続けたことです。
(これに関しては半分その通りでなぜなら日本の漫画は消費者第一主義だからです。
読者の読みたいものを描くのが仕事です。千差万別有り人権を無視したようなポルノから
フェミニズムやエンパワメントなどを主題とした漫画もあり一括りで言えない部分があります。
そしてどれだけ過激に思える漫画でも配慮というのは確実にされていますしチェックは入ります。
その作品がどれだけポリコレに配慮するか、エンパワメントを含むかなどは作者個人の思想によると
いったところが大きくほとんどの編集部は作家の思想を尊重してくれます。)
それだけ海外から日本の漫画は遅れていて海外の常識や思想をアップデートしなければ
取り残されて業界は死んでいくし次世代の子どもたちに禍根も残していくのではとおもうところもありました。
でも結果がこれで、結局海外が標榜する政治的配慮に日本は入ってないんだなとわかりました。
本来ならこれを打ち壊すための考えがポリティカル・コレクトネスなんだけど
これのために愛してる物を手放そうとしてたのにこんなんじゃまるで
搾取されてるのに気づかずに権力者に阿ってるみたいで馬鹿みたいだなと思ったし
結局これはただのムーブメントでしかなくてこれに乗って次世代の子達は本当に幸せになれるのかなって
疑問を抱くようになってしまった
ミームつくったり乗っかってはしゃいでるのはアメリカ人全体じゃなくて馬鹿でポリコレに無頓着な人種差別的人間かもしれないけど
多様性やエンパワメントとフェミニズム、それにトキシック・マスキュリニティからの解放の点で
褒めそやれてた映画の広報の人間はそれに見合うきっとそれなりの大学をでた教養ある人間なんじゃないんですか?
そんなひとって国の代表的存在だと思うけどそんな人があの意識なら海外にとって
虐殺行為って多様性の否定よりずっと罪が軽いんだなと思ったしそんな国から発祥した考えに私は説得力も感じられなくなりました。
爆弾の下には惨たらしく亡くなる方がいるって戦争たくさんしてる国だったら容易に
向こうの言う正義って本質はからっぽなんだなってガッカリしてもいいじゃんという気持ちです
バービーが無邪気にはしゃいだピンクのキノコ雲の下には無差別に殺害された
日本人の子どもたちの命はバービーにとって羽より軽いんだなあと思いました。
それでもポリティカル・コレクトネスについてはこれからも必要だと思っていますし
そしてオタク共は皆人権意識が低くてポリコレが嫌いって思ってる他人を見下す意識高い人間も嫌い
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
最近よく見ている映画レビューサイト『シネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。
※人物像
・小さい頃から“ゲームっ子”だったゆえにアニメや漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。
・子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認
・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。
・個人的な話になってしまいますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟の比較…みたいなことが自然とできてしまったり
・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯事
・地球環境問題というのは嘲笑われやすいトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間は地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的な活動だとみなしてくる。全然その問題の本質を理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます。
・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである。
※自己紹介
…映画を愛する映画ライター(雑草)。洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、ドラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点で映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般、ジェンダー、セクシュアリティ、自然環境、野生動物など。ライター:取材&仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。
※環境問題について
・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類を絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任を自覚できない
・少しでも多くの人がこの問題に当事者意識を持つということ。私もあなたも中立ではありません。人間である以上、もう問題の加害者です
※Z世代について
・Z世代の子どもの方が真面目にネット規制を支持していると思う
・SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10代
・フェミニズム的な“正しさ”がブレることなく存在し昨今の定番であるZ世代に通用するキャラクター性に更新されている
・これがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた
・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGsの目標のひとつである「ジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチわからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう
・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代的感覚
・残酷描写やエロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派」である
・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない
・でも、映画は芸術だからこそ、ときに政治的な視点で批評するのも大いに結構
・
おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外で暮らしたいと正直思っている
・洋ゲーの最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い
・同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除
・そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの
・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない
・いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティな加害者的側面を自覚しよう
・ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本のメディアの態度でもある
・多くの女性は不本意ではあるけど男性の評価を気にしながら生きている
・「歌舞伎」とアニメ・漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性が排除されがちでオタクの世界も男性中心的
・と高身長な女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやすい女性像ではないので男性オタクからも白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想(ネタバレ)…歌劇に生きる現代の少女を描く より
・女性がファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全なファンダムの居場所が用意されていなかったりする。
理想的な男性の振る舞いは女性のファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い
・日本も先進国の中でははるかに女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ
・。本作でも女性キャラの扱いから脱臭できないほどに男性目線主体の匂いを感じる
・日本でもAIの無自覚なジェンダーロールによる女性差別が問題視されている
・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質
・本は実名を出さなくても政治ネタを映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしまう
・日本は2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長を絶対主とする規律があり、従属と調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さない
・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理は場合によってはヤバイ!
・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性は美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます。
・ヒロイズムな着地になってしまいます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品のトーンは偏向するもの
・シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢が不安になるたびにガソリンや灯油価格を心配する。そんな国がこの日本
・ジェンダー構造には無関心で自身の男性特権を自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的なホモソーシャル
・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している
・軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事を解決できるわけじゃないという教訓
・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである
・上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン
・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ
・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある
・そして日本のインターネット界隈もSNSやまとめサイトを中心にしてインセルの巣窟になってしまっている動かぬ現実がある
・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル
長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。
レイプマンは今よんだらポリティカル・コレクトネス信者に撲殺されるやで~
まず戦うためのリングを用意し、相撲やボクシングみたいな格闘技で殴り合いをして、最後に立ってた方が全て正義って感じにしたらいいんじゃないかと
「決闘罪」、これがダメだ、国が決闘を殺人にならないレベルで許可して、殴り合う為の場をちゃんと用意してくれたらいいのに
言葉での解決は最早不可能なら、だからお互いの拳に怒りと自分の正義を乗せて殴り合い、最後に立っていた者が勝者として正義になる
これでいろんな対立は解決するよ、男女間だの自民民主だの、新興宗教は正義か悪かだの、LGBTやポリティカル・コレクトネスの配慮だの、国家間のいがみ合いだの
そして生放送しろ、「赤コーナー!フェミニスト連合代表、○○山○○子!チャンピオン防衛戦です!」「対して青コーナー!ネット論客、○○川○○太郎!レスバトルではなく己の拳でのバトルを望み、ついに顔出し参戦!」ってアツいコールもつけろ
論戦から発展した拳のぶつけ合いでお互いを出しあい、思いを拳に乗せてクロスカウンター、勝者にベルトではなく国が認めた「正義の権利」を与える事で丸く収まる