はてなキーワード: 2月とは
もうすぐ離れる人を好きになってしまった。
いや、正確に言えば昨年の夏あたりからいいなとは思っていた。
現在、理系学部4年。私も相手も学部卒で地元就職のため、月末にはさよなら。
各々旅行に行ったり引っ越しの準備をしたりするから、何もしなければ次に会うのは卒業式。
自他共に認める優柔不断である私だから無理もないのだが、何故ここまで引っ張ったのかというと、研究室内恋愛のリスク(笑)と、気になっている異性が他にもう1人いたからだ。
前者の研究室内恋愛については賛否両論ある。でも今気づいたのは、そもそも付き合える前提でリスク考えてるのおかしすぎないか自分?
まあぶっちゃけそんなものは建前で、私がここまで悩んだ原因は後者だ。
これがアイドルグループの選抜であれば「次のシングルはWセンターでいきます」で解決だろうが、私は秋○康ではない。
かといって具体的な行動をするわけでもなく、あっちでもないこっちでもないと思いあぐねていたら後期が始まり年が明け、2月も終盤に差し掛かり、研究室におけるほぼ全てのタスクを終えようとしていた。
そして「終わり」が見えてくると同時に目の前のもやが晴れたように、明確に好きだという感情が湧いてきた。
教授からの無理難題や進まない研究に対して共同で乗り越えてきたこと、何てことない日々の会話、時々盛り上がる趣味の話題。当たり前のようにあったそれらは、今の私にとっては必要不可欠なものになっていた。そうだ、私は諦めも切り替えも悪いんだった。私がプロデューサーだったら新曲のセンターを決める前にグループが解散してしまう。
私自身、学生生活最後の最後でこんな青春めいた魔法的なものに襲われることになるとは思わなかった。
論文の提出・発表も済ませたことによる若干の燃え尽き感も相まって、この1週間ほど宙に浮いているような感覚だ。
特にこの週末はかつてないほど冷静さを欠いていたので、頼れる友人達に連絡しまくって現状を相談した。まあ、皆「行っとけ」って言うよね。何事においても攻めにいかない私を知っている人間ばかりだから当然か。
そういえば研究の進捗が悪いとき、教授から「結果を待つな。解決のために自分から動け。」と口酸っぱく言われていたが、実は研究に対する姿勢のみならず私の生き方に対する指摘だったのだろうか。
さて、この遅れてきた青春がどのような結果になろうが、1年も経たないうちに(少なくとも私の中では)懐かしい昔話になることは明確であろうから勝負に出るべきか、
それとも、人生23年目にして初めて、人を好きに「なる」経験をくれたあなたに感謝しながら、残りの休みを静かに過ごすべきか、もう少しだけ考えてみようと思う。
民主政権下で公文書の改竄事件があったという記録を引っ張り出してきて、アノニマスポストやら保守速報といったいつもの連中が「ブーメランwwwwww」と囃し立てている。
これらの悪質まとめサイトの言うことを真に受けるのは馬鹿のすることだが、公文書の改竄問題があったのは事実だ。
とはいえ、「同じ公文書改竄なんだから同じ対応をすればいい」なんて雑な考え方で良いわけがない。
といった点に検討を加えようと思う。もっとも、門外漢の私には知り得ない部分も多いので、想像が入り込んでしまうのはご容赦願いたい。
なお、現状、私は財務局の改竄はあったものだと思っている(厚生局の改竄は厚生省が認めているため確定している)ので、その前提に立って話をすすめる。
どうやら今日には政権側の調査結果が出てくるようなので、私のこのコタツ検証記事が妄言だったと確定するような、改竄がなかったことの確実な証拠を持ってきて欲しいものである。
さて、近畿財務局の改竄問題は連日騒がれているのでともかく、東北厚生局の改竄問題はネットの海を探してもなかなか出てこない。大半が右派系悪質ブログの記事に埋められている。
A: https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2901L_Z20C10A6CR0000/
が見つかった。
上の日経の記事は2007年に行われ、2010年に発覚した改竄、
下の毎日の記事は2010年に行われた改竄問題が取り上げられている。
つまり、東北厚生局は2007年と2010年に二回改竄をやらかしており、そのうちの一回が民主政権下だったということだ。
さて、この2つの改竄問題だが、どちらも「福島県郡山市の医療専門学校」に関するものだ。調べればすぐにどこか分かることだが、まあ学校名はこの際関係ないので触れないでおこう。
ちなみに、どちらも初報を飛ばしたのが毎日新聞のようだが、記事が残っていない。当時の記事が残っている日経が神に見えるぞファッキン毎日。
と思ったらこんな記事も見つけた。おそらく毎日新聞の当時の記事のコピーであろう。……まあ、コピペされた記事が改竄されてない保証はないが。
C: http://jcs2b5lboa.jugem.jp/?eid=57
Cの記事がこの中では一番古いもので、2010年6月15日付だ。これを受けて、厚労省が事実を認めた記事がAで、日付は2010年6月29日となっている。
Bの記事は2010年10月24日のもの。初報は20日だったようだが、残っていない。これを事件2とする。
以前(2004年ごろ?)から、問題の医療専門学校で授業時間の不足が学生や教員から指摘されていた。
再三の指摘を受けて、東北厚生局が2006年11月に調査を実施。
卒業生の男性が2007年6月に開示請求を行う。同年8月に開示。
一部黒塗りの資料が開示されたため、男性は2010年4月に再度の開示請求。いつ頃開示されたのかは定かでないが、おそらくニュースになる直前だろう。改めて開示された文章に、2007年の開示請求時にはなかった文章が存在するのが発覚した。
つまり、黒塗りではなく文章が消されていたものが、再度の請求では存在したため、2007年の公開文書に改竄があったことが発覚したという事件だ。
問題の医療専門学校を解雇され、不当解雇だと裁判を起こしている教員が2010年7月8日に東北厚生局へ資料請求
30日の決定期間延長後開示されず、教員が東北厚生局へ問い合わせを行う
東北厚生局からは「記載に間違いが見つかったので学校に訂正を求めている」と回答がある
2010年10月22日に東北厚生局から「先に開示した行政文書の一部に誤りがあった。改めて開示すべき文書を郵送する」との伝言があった。
「記載に間違いが見つかったので学校に訂正を求めている」って、「今改変してます」って言っちゃったのか……
そりゃバレるよ。バレない方がおかしいよ。
それはともあれ、事件1と事件2だが、共に同じ医療専門学校に関する資料であり、また改変箇所も授業時間の水増しなど共通する点が非常に多い。
つまりここから当然のごとく導かれる結論として、東北厚生局と問題の医療専門学校はズブズブの癒着関係であったと言えよう。
2007年の事件1と、2010年の事件2は地続きの事件なのである。
事件1は民主政権下で発覚したとは言え、改竄が行われたのは2007年8月。2007年9月に自民党総裁選が行われていて、福田康夫が新しく自民党総裁、総理大臣となった。改竄が行われたのはそれよりも前なので、その当時の総理大臣は、安倍晋三である。あれ?
改竄が行われた資料の調査が行われたのは2006年11月なので、その当時の総理大臣は……やっぱり安倍晋三である。
まあ、東北厚生局が安倍晋三の一声で動くって訳でも無いだろうし、安倍晋三が東北地方の学校と癒着しているなんて証拠もないので、この件に関してはなんとも言えないだろう。
とは言え、東北厚生局と問題の医療専門学校が癒着関係にあったことに関しては、橋本龍太郎の自社さ連立政権以来10年以上政権与党であった自民党に重大な責任があると言えよう。問題の医療専門学校を運営する学校法人の設立が1998年なので、癒着関係がそれより前から存在したこともない。
民主政権下で起きた行政による事件である以上、当時の民主党に責任がないとは言えない。
とは言え、民主政権に関しては、
1. そもそも東北厚生局と問題の医療専門学校の癒着が、自民党政権時代に培われた物であった
2. 民主政権が発足してから1年しか経っていない時点での出来事であった
という点を勘案すると、自民党時代の負の遺産を負わされた事件であったように見える。
民主党に落ち度があるとすれば、2010年6月の事件を受けて東北厚生局をきちんと内部調査し、不正を厳しく罰すべきだったということだろう。
この点に関しては擁護のしようがない。当時の民主党は手ぬるかった。政権担当能力に欠けていた。
しかしながら、上記の検証から、当時の東北厚生局の問題には、民主党政権の者が関わっている可能性は低く、それこそ官僚の独断、暴走であった可能性が高い。
森友学園の問題が報じられたのが2017年2月。1年と少し前だ。1年以上もやっているのかこれ……。
問題とされた点に関しては、いまさら振り返るのも面倒であるが、国有地の売却価格が評価額の14%であった、といった報道がなされた。
それ以来、「国会空転」「モリカケしかできない」などと揶揄されながら野党は政権批判を続け、途中で解散総選挙があったりなんだかんだで、今に至る。
政権の対応は徹頭徹尾「指摘には当たらない」「そのようなものは存在しない」といった話であったが、無いとされていた資料が途中から出てきたりもした。
改竄を行った主犯は誰なのか、また改竄が行われていたとして、森友学園を「特例」扱いしたのは誰なのか、と言った点に関しては今後の調査を待たねばならないが、この件に関して、現時点でも明確に分かる現政権の落ち度は、まさに「指摘には当たらない」で貫き通したことである。
疑惑が発生してから、現政権は調査の協力を拒み続けてきた。朝日新聞が掴めたネタを、真面目に調査して政権が掴めない訳がない。つまり、この一年間「国会空転」させ、「モリカケしか」やらない状態になったのは、正しく現政権の責任であり、重大な問題であると言える。
また、「指摘には当たらない」で矛先を逸し続けた戦略は、選挙結果に大きく影響を与えていると言える。
野党の主張を「言いがかり」とし、無能な野党 vs 有能な政権 を演出してきたが、蓋を開けて見れば言いがかりではなく、しかも政権が調査に協力すればもっと早く決着が付いていたということになる。野党が総辞職を求めるのには、一定の理があると私は思う。
1995年の話。
当時YAMAHA音楽学校主催のTEEN'S MUSIC FESTIVALという10代対象の音楽コンテストがあった。
バンドブームだったこともあって当時のイケてる高校生はバンドをやっていたし、実際高校生バンドがデビューしたりもしていた。このコンテスト自体は1人でもバンドでもいいし自作曲でもカバーでも自由、とにかく10代のみ参加可能というものであった。
高校卒業を目前にした2月、同級生が出るということでそのコンテストの地方大会を観に行ったところ、なんとそのバンドが地方大会1位を取り、春に行われる全国大会に出場するという。
全国大会はラジオで生放送され、編集されたものが(たしかNHKBSあたりで)放映もされるとのことで、ラジオも聴いたし番組もVHSに録った。
そして繰り返し観た。
知っている人が頑張っているからというのもあったし、実はその美形でギターが上手い同級生に憧れの気持ちがあったからというのもある。しかしそれ以上に、全国から集まった地区代表の舞台に魅せられたのが大きかった。
繰り返し観たのでいまだに覚えている。グランジっぽい衣装を着て、「マニラの熱い夜を忘れないぜ」という歌詞の曲を歌うバンド(10代が書く詩とは思えない)だとか、女性だけのバンドは当時何て呼ばれてたんだったろう?とにかく女の子ばかりのバンドで、ものすごくしっとりした全編英語の歌詞の曲を歌う妙にエロい感じのボーカルの子だとか、完全に素人であり10代であるにもかかわらずものすごい熱量と完成度の高さがあった。
全国大会に出た同級生は、結局なんの賞にも入らずに終わった。優勝したのは2人組の女の子で、1人はピアノを弾き1人は歌っていた。歌っている子が曲を作っていたようで、それが高く評価されたようだった。私にとっては彼女の声がとても魅力的で、少し鼻にかかっているけれどとても聞き取りやすく、曲の雰囲気に合った可愛い声だった。オーバーオールを着て、当時流行っていた髪をまとめたところに太めのターバンを巻くといったヘアスタイルだったと思う。
そして舞台の上で、軽くリズムを取りながら歌う様子は優勝者の貫録すらあった。タイトルは「あいつをふりむかせる方法」
aikoがデビューした瞬間は知らないが、花火という曲を初めて聴いた時のデジャヴ感は衝撃的であった。しかしそのコンテストの際、2人組のユニット名が「aiko」だったので、ろくにネットも使えない時代であったがすぐにふたつが自分の中で結びついた。aikoがTEEN'S MUSIC FESTIVALでデビューのきっかけを得たというのがaikoファンにとってどのくらい周知されているのかはわからないが、もしあの当時の番組を観ることができるものがあるのなら是非教えてほしい。もう一度通して観たい。
そしてそれからさらに後、前述の英語歌詞をエロく歌うボーカルの子が椎名林檎であることに急に気づいた。just missed the trainを歌っていたのだが、今思えば10代とは思えない雰囲気であった。
今思えば自分が知らないだけで、あの時あのステージにいた人で今も音楽活動をしている人がもっといるんじゃないか。いまだに地元で音楽活動を続けている元憧れの同級生のように。
どうも、しくじり先生の18卒女です。
・中堅大文系
そう、就活解禁日の2017年3月から翌年2月末まで内定が貰えませんでした!
という訳でこれから就活をする皆さんへ、私のようなしくじりを犯さないように、アドバイスしていきたいと思います。
大企業を受ける気が無いなら、使わなくて良いです。
特に私のような、希望職種・業界の無い人間には使いこなせません。
得られる情報が膨大なので、情報を精査するのはかなり難しいと思います。
あとタッチ1つで沢山エントリー出来るので、選考にエントリーしている意識が薄くなり、企業研究や志望動機の作成が疎かになりがちです。
適当にフィーリングでエントリーして説明会へ行き、「残業が100時間ある社員もいますが、本人はやりがいがあると言っています」と言われ即帰宅、なんて事もよくありました。
もし、絶対に大企業じゃなきゃ嫌だ、というこだわりが無いなら、就活エージェントをおすすめします。
自分の希望条件(勤務地、残業時間等)に合った求人を紹介してくれるので、多少マシになります。
私はそれを鵜呑みにし過ぎて、事前に教えられた事しか対策せずに爆死しましたが。
でも、自分についた担当がちょっとでも合わないと感じたら、すぐチェンジして下さい。
そして、就活エージェントは最低2社くらい同時に使った方が良いです。
ただ、12月過ぎてから入る求人は希望条件ガン無視の求人(地方転勤、深夜工場勤務等)しか無いので、この時点で内定を貰えていない人は、エージェントと縁を切ってください。
中小企業のみや既卒向けといった、よりニッチなサイトに切り替える事をおすすめします。
■しくじりその2「コミュ力が無い 」
前述した通り私には大学の友人がいません。
アルバイトも接客業ではなく、1人でコツコツやるオフィスワークでした。
無理でしょう。
面接後の就活エージェントからのフィードバックでは「話し方が子供っぽい」「自己主張が強い感じがする」「馴れ馴れしい」と散々でした。
レジ打ちでもファミレスのホールでも、何か「初対面の人と話す機会」のあるアルバイトを短くても良いからやるべきだったな、と今は感じます。
そういった経験の無い人は、とりあえずNHKアナウンサーの話し方を意識してみてください。
多少はマシになります。
雰囲気とか。
就職指導課で面接指導を受けられますが、それを申し出るコミュ力すら無いんですよね。
大学指定の履歴書を貰いに就職指導課に入る事自体、緊張していつも吐きそうでした。
■しくじりその3「面接で話す事が無い」
あと「大学には友達が何人いますか、またその友達からあなたはどんな風に思われていますか」という質問が来たら終わりです。
それを怠った同志達よ、地獄へようこそ。
対策は無いです。
このように、なんだかんだやらかしながらも、今は無事2社から内定を頂き(SE職、事務職)、親もヤケ酒から解放されました。
「売り手市場」なんて言いますが、中堅大やMARCHクラスでも、なかなか内定が取れず、そのまま就活を諦めてしまった人もいます。
とにかく、もし就活が上手くいかなくても悲観するのは良くないです。
自暴自棄になり過ぎない事。
大丈夫、お祈りしてきた企業はあなたのいるべき場所じゃなかっただけ。
それでは、皆さん、頑張ってください。
過去に戻れるなら絶対にしないことや言わないこと、誰かにもう一度会えるならその人に言いたいことや聞きたいこと、許しが貰えなくても知りたいこと。この世の中、後悔が多い。
私だって、いくつもある。
2014年2月。まだ大学生の私は留学で東京にいた。日本語が下手くそで、ギリギリ会話ができるレベルだった。友達がほとんどいないせいで、どこに行っても大体一人だった。あの日もそうだった。
好きなアニメは大きなイベントが東京にあったので、本を買いに行った。緊張で誰にも声を掛けられなかったが、楽しい一日だった。本がたくさん買えて、それを読むのを楽しみながら、帰りの準備も始めたが、せっかくだから、もう少し歩き回ろうと思った。最後の一巡りだったから、もう何も買わないと思ったが、あるスペースでとても興味深い同人誌を見つけた。
普通なら、作者さんに声を掛けないのに、表紙の絵が素敵で、ぱらぱらと見た内容も面白そうだったので、ちょっと勇気を出してテーブルの後ろの2人の女性に話しかけた。
怖かった。人見知りだし、自分の日本語もダメだったし、伝えたいことさえ知らなかった。しかし、その2人の女性はとても優しくて、私が外国から来たことを知ったら様々な質問も聞いてくれた。片言の日本語で何とか会話できて、泣くほど嬉しかった。つまらない私とこんなに丁寧に話してくれるとは、信じられなかった。
“名前”は「かん」と「くもこ」と教えてくれて、また話したいと言ったら、メールの連絡先も教えてくれた。LINEやツイッターがないから、ここにメールを送ってくださいと。
帰ったら、一生懸命日本語でメールを書いて、送った。礼儀上「いつでもメールしてね」と言ってくれたと思ったので、本当に返事が来るとは期待してなかった。でも翌日、返信が来た。
まさか、と思いながら読んで、ずっとニヤニヤして、笑いが止まらなかった。
なんと優しいメールだったことか。丁寧に書いてくれた言葉があまりにも素敵で、嬉しかった。
そのメールから、かんさんとくもこさんと話がたくさんできた。大阪に住んでいるのに、その日はわざわざ東京まで来て、イベントに参加した。実は大阪もその日、同じようなイベントがあったが、それを知らなかったせいで東京に来てしまった。しかし、それは多分運命だった。知っていたら、東京にも来なくて、私達は会わなかっただろう。
私より8歳年上の彼女達は私にとって、もう2人の姉のようだった。
2月の出会いからずっとやり取りをして、私がアメリカに帰ってしまう8月の前にはたくさん遊んだ。旅行も一緒に行って、私も何回も大阪を訪ねることをした。
偶然会った人とこんなに大切で親しい友人になれるなんて、今まで期待したこともなくて、本当に幸せだった。
私の文句や弱音を聞いたり、落ち込んでいる時は優しく応援したり、困っている時はできる限り手伝ったりしてくれた。出会ったころからずっと、そしてアメリカに帰った後でもそうだった。ずっとそのままでいられると信じていた。
お別れは切なくて、辛かった。私がいつかまた日本に戻りたいと分かったかんさんとくもこさんは「これは最後じゃないから、また日本に会える日まで頑張ってね」と言ってくれた。
うん。分かった。頑張るから、待っててください。
大学から卒業した1年間後。色々な事があったが、奇跡的に日本で仕事ができた。今回は大学生の頃とは違って、東京ではないけれど自分の夢を叶えた。また日本に戻れた。
離れても応援しながら待っていてくれたかんさんとくもこさんとは10月にまた会えた。良かった…。2年が経っていたが、何も変わらなかった。3人で気軽に話したり、笑ったり、泣いたりできた。
短い一日だったが、また会えて幸せだった。
九州に旅行に行きたいとかんさんとくもこさんに伝え、私のわがままで春休みに2泊3日で行った。でもその時は私達3人だけではなくて、くもこさんの同僚とその同僚の友人も一緒に5人で行った。私はその2人を知らなかったので、彼女達と上手くやっていけるか心配していたが、かんさんは「私とくもこさんもいるから、大丈夫ですよ!」と安心させてくれた。
大丈夫だと思った。かんさんとくもこさんがいれば、何とかなると。でもそうはならなかった。
知らない2人と性格が合わなかったし、四六時中日本語しか使えなくて言いたいことも上手く伝えられなかったし、4人の会話にもほとんど参加できなかったし、ストレスが溜まった。時間が経てば経つほど、イライラしてきた。私は機嫌が明らかに悪くて、本当に子供のようにわがままだった。
楽しい旅行のはずだったのに、最後の日、私はほとんど何も話さなかった。誰にも声を掛けこなかった。私をほっといた方がいいと思ってくれたのかもしれない。かんさんとくもこさんに「大丈夫ですか?」と聞かれた時に、「大丈夫です」としか答えられなかった。あの時、嘘をつくことしかできなかった。だって、くもこさんの友人が好きじゃないなんて言えなかった…。
帰りの新幹線の中で、4人の向こう側で一人で座りながら、寝るふりをした。私の態度はひどくて、わがままで、バカみたいだって、誰よりも分かっていたのに、気持ちが切り替えられなかった。その時、その気持ちを全部解き放てばよかったのに…。
皆さんと別れた後、かんさんとくもこさんに謝りたかった。東京に戻る前に、もう一度会って、面と向かって謝りたかった。しかし、「ごめん、今週末は忙しいからちょっと難しいです。○○さんがまた大阪に来るときにご飯を食べに行こうね?」と断られて、会えなかった。
あの時は知らなかったけど、それはかんさんとくもこさんからの最後の連絡だった。
春休みが終わり、仕事に戻った。罪悪感で4月の下旬までかんさんとくもこさんに連絡していなかったが、その時彼女達はちょうど引っ越し中だと分かった。何もなかったふりして、気軽なメールを送ったが、返事がなかった。もしかしたら忙しいせいでメールを書く時間がないのだろうと思ったので、気にしなかった。
でもまたメールしても連絡が来くて、違和感を感じた。やっぱり。その時のことを怒っているだろう。
いても立ってもいられなくて、謝りのメールをちゃんと書いて送ったが、返信がなかった。
何回も、何回も送ってみたが無駄だった。
なぜ?それを知りたい。いつも優しくて、親切なかんさんとくもこさんはなぜいきなり消えてしまったのか?私はあの時、そんなにひどいことをしてしまったのか?何をしてしまったのか?私達の3年間の友情が壊れた罪は何だったのか?ねぇ…。一度だけでもいいから、また連絡してその理由を教えてくれませんか?
本当に大阪にかんさんとくもこさんを探しに行きたかったが、新しい住所も知らなくて、メールの連絡先しかしらなかったせいで、何もできなかった。
今回こそ、最後のメールを送ろうと思った。そうしたら、やっと解き放てるだろうと信じていた。送ったら、諦める。
その嘘は誰のためについたのだろう?
1月の下旬、ふと思い付いた。手紙は前の住所に送っても、郵便局は新しい住所に転送してくれるはずだ。私のバカ!なんで今まで思い付かなかったの!早く思い付いたらよかったのに!
一生懸命手紙を書いた。一年間の気持ちをできるだけ込めて、謝りの手紙だった。ちゃんとかんさんとくもこさんのところまで届くのか、返却されてしまうか、不安でいっぱいで手紙を送った。
一ヵ月が経ち、その手紙は戻ってこなかったが、返事もない。
実は何かトラブルがあって、かんさんとくもこさんが私のメールを貰わなかったとか、ずっと私のことを待っていてくれたとか、そう言いたい。でも私がそれをどのように信じたくても嘘なので、言えない。
1月の下旬に他に思い付いたことが一つ。かんさんとくもこさんの電話番号を知っている。しかし、それを知っても役に立てないだろう?
本当に私のことが嫌いにならば、こんなにしつこく連絡したら、迷惑だし困らせてしまう。そもそも電話を掛ける自信がない。
あぁ、もしかしてひどい事故に巻き込まられたら、それを言い訳にしてかんさんとくもこさんに連絡できるなんてひどい考えも何度もした。
私は本当に、本当に情けない。かんさんとくもこさんが恋しくて、会いたくてしかたがない。
朝5時半に起床し、ぎゅうぎゅうのりんかい線に乗って会場へ向かい、9時から設営、10時から販売開始。買いに来てくれる人のために早い時間に撤収せず15時の閉会時までいたいという希望で、撤収時には既に宅配搬出は長蛇の列で会場を後にできたのは17時を過ぎた頃だった。(14時には人もまばらだったので、正直、込み合う前に宅配便を出し、14時半には撤収したかった)
以前一度、数か月前に頼まれた時は、交通費として2000円程度のお礼をしてくれた記憶がある。イベント終了後にコンビニでコーヒーを奢ってくれた。
今回は2月のイベントだけれど春コミ以上の規模だったようで、とても混雑していて忙しかった。大手だけあってお客さんも途切れず来るので立ちっぱなしで販売をするのだけど、一瞬でも椅子に座れたのはお昼になってからだった。
結論から先に言うと、本日、拘束8時間程度で大手壁サークル相応の人数を捌き、持つと手が痺れるような段ボールを休み休み手持ちで隣のホールまで運び、1円もお礼はしてもらえなかった。
まず大前提として私自身はこの日のイベントに全く用事がなかった。
完全に売り子のためだけに出向いたわけです。
ゆえに、サークル入場チケットをあげるんだから、あなたにもメリットはあるでしょう?というケースでもない。売り子で行くならついでにふらっと見て回ろうかな?程度のものはあったけれど、それも14時過ぎにトイレに出たついでに20分ほど。何一つ買い物はしていない。
私自身の考える常識的な「売り子への謝礼」の範囲はこんなところ。
1)元々買い物の予定があり一般参加の予定だった→サークル入場チケット
「売り子へのお礼」で検索してみると、そんなに図々しいとも的外れでもないと思っている。
今回は、依頼してきた友人(?)との持ちつ持たれつの部分を加味して、私自身は交通費だけもらえたらOKという気持ちで引き受けたつもりだった。前回も「交通費は払います」と言ってもらえた記憶があったので、条件としてこちらからハッキリは言い出せなかったのだけど。
・・・当り前じゃないの?
飲食については、家に居ようがどこに居ようが腹は空くしお金はかかるわけだから自己負担でもかまわない。売り子をするために朝から300円弱のレッドブルを買い、コンビニでちょっと割高な軽食や飲み物を買う羽目にはなるけれど、全部出せとまでは思わない。
だが、交通費は?
しつこいけれど、元々自分自身に買い物の予定があったのなら、支払われなくてもいいかもしれないが、今回のケースは、交通費をスルーされたことだけはどうしても納得がいかない。
ウチからビッグサイトまでの区間は定期利用もないので、往復で2000円弱かかる。
売り子で時間と労働を提供して、日雇いバイトほどの謝礼をくれとは言わないけれど、何故、こちらの財布がマイナスになるの?そこだけはおかしくないか?
私も、その友人(?)には頼み事をすることがあるけれど、かかった費用は当然、すべてこちらできちんと支払いをしているわけで。
手間や労働の部分がお互いに「持ちつ持たれつ」な部分になるんじゃないの?
今日はいつものイベントの2倍~3倍近い、数十万円の売り上げがあった。
赤字だったわけでもない。
当初、アフターで美味しいものを食べて帰ろうという話だったのだけど、早く帰宅して仕事の続きをしなくてはならないということでそれもなくなって、帰りにまたコーヒーだけを奢ってもらった。
交通費としてたった2000円程度を実費でもらえていたら、次も気持ちよく引き受けることができたけれど、もう頼まれても絶対に売り子には行かないと思う。やんわりと断るだろう。
ただ、これを本人に言うつもりもない。
自分が他者から受ける扱いというのは、紛れもない「正味の自分の価値」であって、友人(?)が、私に対してこのような扱いでよいだろうと思うのなら、彼女にとって私はそれだけの価値の人間ということだ。
これは、卑屈になって言っているのではなくて、当たり前すぎる世の条理だ。
むしろ私自身「息をしているだけで友達が当然のようにずっと友達のままでいてくれると思っている人種」が嫌いだ。嫌いというよりは、この人バカなのかな?という目で見てしまう。相手にとっての自分の価値を客観的に正確に把握できていないような人は、だいたい人生に失敗しているから。(これについては別のエントリーで書くと思うけれど)
めちゃくちゃ疲れたし、月曜日も朝から仕事だと思うと、日曜を丸一日他人のために使って、何のためにこんなにクタクタなのかと思う。
ついでに言えば、友人(?)が描いているジャンルのことは全く知らないので、本は一冊もらったものの、私にとっては特別な価値があるわけでもない。彼女にはファンや信者もいるから、その人たちからすると、売り子でもなんでもお近づきになれるだけでありがたいことじゃないですか!!ということなのかもしれないけれど。
無いわ~。
うん、無いわ。
更に付け加えると、売り子の他に買い子も頼んでいたのだけど、買い子さんにはきちんと「今日はよろしくお願いします」と言って、ラッピングされたお菓子をお礼として渡してたんだよね。
ツイッターでもお隣のサークルさんやらにお礼や挨拶のリプを飛ばしたり「来てくれた人ありがとう」って各方面に感謝のツイートをしているんだけど、私に対してもたった一言「〇〇さん今日は売り子ありがとう」ってつぶやいてくれていたら、交通費すらもなくても、感情的にはまだ違ったかもしれないかな。
韓国に行ったことも整形したことも誰にも話せず、一人暮らしの家で寂しくダウンタイムを過ごしているので色々吐かせてください。
小さな頃から顔がコンプレックスでした。厚ぼったい一重の目に、エラ張り顔というメイクでは誤魔化しの効かないブスの典型です。
絶対に整形しようと、高校生の頃からTwitterで「整形垢」を作って情報収集、様々な手段(割愛)での資金集めをしてきました。
大学生になり、親元をはなれ一人暮らしを始めたのでやっと整形できる!とまず埋没手術(ふたえ手術)をしました。
それだけで印象がグッと変わり、アイメイクは楽しくなるし男性に今までされたことのない優しい態度を取られ、
「顔が標準以上の子は、こんな思いを毎日していたのか・・・」と新しい世界を見ることができました。
彼氏もできて、初エッチもしました。ブスの頃は一生処女なんだろうなと思ってたのに。
埋没手術は5万。5万円でこんなに世界が変わるなんて、なんてコスパがいいんだろう。
二重になって目はある程度ぱっちりしましたが、次は蒙古襞のせいで垢抜けないことに気づき始めました。
それから、ずっとコンプレックスだったエラの悩みに終止符を打ちたいと、次は目頭切開とエラ削りをすることに。
Twitterには整形垢界隈というものがあり、整形の情報や症例、経過写真の情報を容易く得ることができます。
調べていると、韓国は料金が日本より安い(相場が日本の1/3くらい!)上に技術も良く、日本語対応している病院も多かったので
不安はありましたが春休みに韓国に行くことを決めました。2月の中旬に行ってきて、いまはやっと腫れが落ち着いてきたくらいです。
整形までにやったことは
1)病院選び
2)予約
3)渡韓準備
です。
まず病院選びは、Twitterの症例と病院のHPが載せている情報をみて、自分の希望を叶えてくれそうな病院を探しました。
整形垢界隈には韓国の病院のトレンドがあり、その時評判が良かった病院を全て調べまくって「とにかくナチュラルに垢抜けたい」希望にあっているところを探しました。
ちなみに目頭切開は高須クリニックだと25万。韓国だと3-5万です。技術は個人の感じ方によりますが、韓国でしか採用していない高度な技術や施術方法があることを考えると韓国の方が上かなと思います。
予約はカカオトークかLINE@で。私は日本語対応していない病院を選んだので、予約はカカオトークでGoogle翻訳を片手に韓国語で行いました。
また、日本語が十分にできる先生がいない病院を選んだため、渡韓期間は通訳さんを同行させる必要がありました。現地でついてきてくれる通訳さんの予約も。
渡韓準備として、きちんと希望の目の形が伝わるようにオーダーシートを自作しました。
この目にはなりたくない、この目に近づきたい・・というイメージを紙に印刷してカウンセリングの時に見せる用です。
友達や家族には「韓国に高校の友達と旅行行ってくる!」と伝えアリバイ工作。
ダウンタイム中に人に会いたくなかったので、旅行の後はすぐリゾートバイトで軽井沢に住み込みしてくる設定にしました。
滞在期間中は街で会った韓国人のお兄さんに「君が行こうとしている病院、韓国では評判悪いからこっちの病院行きなよ!」と話しかけられ結局悪質な回し者だった・・という事件があったり色々大変でしたが、なんとか目と顔を腫らしながら帰国できました。
ちなみに高須では100万円以上するエラ削り、韓国では安いところだと15万くらいでできます。繰り返しますが品質が悪いわけじゃないです。
就活も結局顔見られるし、今やって良かった。
「どうして人って自分が理解できないことに対して寛容になれないんだろうね」
会社をサボろうと思ったわけじゃなかった。今日だけは一人になりたいと思った。自分の割り振られている仕事はこっそりやっておくつもりだった。なんだけど、昼すぎには東京駅から広島行きの新幹線に乗っていた。大学生のときはこんな簡単に乗れなかったのに。少しだけ大人になった気がした。
なんで京都だったのだろう。多分、その意味は無意識の自分にはわかっていて、意識の自分にはわかっていない。思えばいつもそうだ。いつも無意識の自分は答えを出している。懐疑的な僕だけが、無意識に出した答えを理解できずに苦しんでいる。無意識の僕は僕よりも僕のことを理解している。なんでなんだろう。僕はいつも僕に負けている。
京都についたらとりあえず清水寺に行こうとだけ決めていた。京都駅から歩くと30分以上かかってしまうけど、歩いていきたかった。ただ歩きたい時もある。その時はそういう気分だったのだ。
タカは、「清水寺に日本人が全然いない」と驚いた様子の僕に向かってそう言った。京都についた時、一応連絡しておいたほうが良いだろうと思って連絡を入れたところ、
タカから「急にどうした?」と返信が来たので、「確かに急だったわ。なんか一人になりたくて」と言った。するとタカは何かを察したように
「19時から会おうよ。なんか食べたいものある?」と聞いてきた。僕が「お好み焼きかもんじゃ」と注文したら、「もんじゃは東京の食べ物やからw」と笑われてしまった。
もんじゃは東京の食べ物なのか。もんじゃとかお好み焼きとかはなんとなく関西発の食べ物なイメージがある。本場のお好み焼きはやっぱり広島なのかな。よくわからないけど、関西に来たら食べるべきものってその辺なんだろうなって思っていたのに。
タカは呆れた顔で「今更?」とだけ答えた。
「そんなことはわかっているんだけど、なんかほら、そういうことじゃなくてさ。向いていないことなんて百も承知だったよ。だけど自分はそれが自分の課題だと思っていたから。克服すべきものだと思ってた。昔から社会性のなさで怒られてばっかりだったし、大学入ってからもそれは変わらず指摘を受けるばかりだったから」
「りゅーちゃんにそれは無理だと思ってたよw」
僕もそう思っていた。だけどそれでもきっと何かを変えるためには、多種多様な方々と協働することが求められるのだと。そう考えた時、社会性のなさは致命的だと思った。
「・・・まぁ確かに、いまこうしてここにいる時点で克服できるとは言い難いね。笑 タカはどうなの?こうして今自分の事業やってるわけだけど。俺と似たような課題感じていたわけでしょ?」
「もちろん全くできないよね。絶対無理!ってわかってたから半年で辞めるつもりだったしね〜。
ただ私の場合は成功体験があったからさ。大学時代に。それでイケる実感があったよね。まあ、最低限のお金さえ回っていれば潰れることはないしね。」
僕は店員さんが焼いてくれたお好み焼きに青のりをかけてから、ヘラで4等分にした。
「絶対無理かあ。それ、いいね。俺も決め切れたら少しは楽だったのかもしれん。だけどやっぱ、難しいわ。」
「なにがあったの?」
お店を出てから、「これからどうするつもりなの?」と聞かれたので
「漫画喫茶に泊まるつもりだよ。あ、それか温泉の付いているホテルとか、今から入れないかな?」と言った。
「明日みんなで温泉いくよ。学生の子達連れて合宿すんのよ。宿泊費とか食事代とかはうちで持つから、メンターやってくれない?明日には帰るつもりなんだっけ、帰るの明後日になっちゃうけど。」
すごい魅力的だった。でも急に押しかけてそこまでしてもらうのは申し訳ないと思ったので、
「いやさすがにおれなんかがメンターとか、大丈夫か?これ・・・なんかみんなきまずくしちゃいそう。。」気を遣ってみたのだが、
「なにさっきからうるさいわ!こういうのは流れで行くもんだろ!そういう旅なんじゃないの?今回は!」と怒られてしまった。
こんだけ勢いのある感じなら、確かにスパパーンと会社を辞めて事業を興すくらい容易いんだろうなと僕は思った。今日はタカの家に居候させてもらうとして、合宿に参加させてもらうことにした。
「自分のやりたいことを実現するためだったら、政治的な動きだっていやだと思うことないって言ってる人がいてね。その人の気持ちがよくわかる。今京都の行政トップの人たちとお話する機会あるけど、そういう人たちの理解をいただくのとかって、自分の事業のためだったら苦じゃないよ」
いつから僕は人から好かれることが苦手だと思うようになったのだろう。いつのまにか、目上の人はみんな自分のことをいけ好かないやつだと思っていて、余計なことを口走るくらいなら、会話せず穏便に済ますほうがいいと思うようになった。みんなから気に入られて、それでコトがうまく進むのなら、どんなに生きやすいだろうか。
自分は人からどう見られているかに対して無頓着なままだった。ものすごくくだらないことだと思っていたし、気にしても仕方がないに決まっていると思っていた。みんなが意識せずに行っていることを全くしてこなかったからか、まわりからどう思われているのかを意識することがまるでできないらしい。それに今だって、心底どうでもいいと思っている。自分の価値を人に決めさせてしまって良いのだろうか。それは僕に対して最も無礼な態度に思う。
でも多分、こんな僕だけど目上の方々は僕が苦手だと思っているほどには僕のことを苦手としていないのだろう。きっと僕が歩み寄り方を知らないだけで。
奥嵐山から望む京都の景色はとても奥ゆかしくて、いつまでも眺めていられた。奥嵐山にはちょっとした小屋があって、ベランダみたいなところから景観を味わうことができる。ボケーっとした顔で座布団の敷かれたベンチに座っていると、住職のおっさんが僕の隣に座り、京都のことや奥嵐山のことについていろいろ教えてくれた。四条にある木造カフェでブレンドにウィスキーを入れて飲むとか、でもおっさんはウィスキーを水割りにしてそのまま飲むとか。ブラタモリで紹介されたとか、夏目漱石がここで昼寝して帰ったとか。14時になった時、僕の隣で法螺貝を吹いてくれた。宗派によって吹き方が違うらしいのだけど、どこがどう違うのかまではわかりそうになかった。
「比叡山に行きたいの?今が一番のチャンスだね。本場の比叡山を体験できますよ。」住職のおっさんは言った。
「本場ですか?本場というと・・・」
「修行僧が登った比叡山だよ。2月は寒いし、ロープウェイが動いていないからね。バスも出てるけど、歩いて登るんだ。修行になるよ。」
「それは過酷ですね・・・いまから行くと登り切れなさそう。」僕は残念に思った。
これは無意識の僕と意識の僕が対話をするための旅なのだから、もっと旅らしいことをしていいのかなって思った。さすがに歩いて登るわけにもいかないから、ひとまず夜行バスの予約をして、そこから京都駅でレンタカーを借りて比叡山を登ることにした。
「これからどうするつもりなの?」僕は言った。
比叡山の頂上から見える夕暮れの景色の美しさに言葉が出なかった。奈良まで続く京を一望できた。この景色がまさに権力の象徴しているように感じた。僕はこの平地に思いを馳せた当時の人々のことを思った。ある人は太平を願い、ある人は戦乱を望んだ。比叡山を焼き討ちするくらいの器量は僕にはないだろうな。僕は彼の方がバグっていることに少しだけホッとした。「それよりはいくらか、だいぶマシだよな。」
京の反対側の景色も好んだ。どこまでも山脈の続くような予感が僕の想像の世界を掻き立てた。さらにすぐそこに琵琶湖があって。つくづく京都はいいところだなって思った。この景色をいつでも見られるなんて。
これから東京に帰る。そう思った時、 タカの家のドアを開けた6階からの景色を見て、「うわ、すごいねこれ、タカにとっては見慣れた景色かもしれないけど、俺にとってはすごい貴重なものだよ」と言ったことを思い出した。
タカは「知ってるよ」と満足げに笑った。
タカの部屋には今だに世界史の教科書や政治経済の用語集が置いてあって、僕たちはそれを手にとって、
「うわあ、いまやったらすげえ理解できるのに。。東インド会社とかって、もう、そりゃそうするよね・・・」
「政治経済もやってたの?あれ、二次試験って、文系2科目? うわ、すごい、ケインズの説明。みてこれ。この一文にケインズ政策とその課題点書いちゃってるよ。」
と盛り上がっていた。
知らないものに対して関心を持つことは難しい。僕は勉強が苦手で、覚えなければならないことを覚えることができなかった。そんなことよりも日本史のwhyを解き明かして行くのが好きだったのだ。
「なぜこの絶望的な状況下で戦争に踏み切ったのか。教科書では陸軍の勢いって書いてあるけど、それだけで本当に説明つくのかな?」
いまだからわかることが受験時の記憶から解き明かされるのが面白い。アームストロング砲を答えとして書かせる大学があって、当時は「なんだこの重箱クソ問題」と思っていたが、その答えを書かせることで戊辰戦争の真意を解き明かすきっかけになっていることに後から気づくことがあるといったように。
「いや、そっちじゃなくて。辞めちゃいなよ。リクルート」
2月からSo-netとネット契約をしたところ、後述のとおり回線工事費について疑義のやり取りを行いました。
最終的には質問に対する回答を拒否されてしまったため、こちらの何がいけなかったのか後学のためと、
今後新たにネット回線を契約される方の参考のため、サポートデスクとやり取りしたメールの内容を貼り付けます。
将棋の感想戦のようなつもりで「ここはこう対応すると良かった」「この主張は無理筋だ」など意見や感想があればお願いします。
人名・問い合わせ番号以外は原文のままです
(サポートデスク担当者名は「厨二病ネームメーカー」を通したものです)。
https://shindanmaker.com/509920
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2018/1/29付で So-net 光コラボレーションを申し込んだ増田と申します。
以前、2/12に工事費用の疑義を電話にて問い合わせを致しました。事情は、以下のとおりです。
■1/29か30の夕方
こちらから「もともと別プロバイダでフレッツ光の回線を使用していた。光コンセントもあるため、工事は不要ではないか?」と質問したが、
「光コラボレーションからの転用でなければ工事が必要」と回答。
■2/11
このとき光ケーブルの引き込み等の工事はなく、ONUの設置だけ行った。作業は10分程度で終了。
作業員の方に「今回、何か事業者でなければできない作業があったのか?」と質問したところ、
「特になく、無派遣工事で済む範囲である」と回答。(もし無派遣工事で済むのなら、互いに楽で済む、とも)
■2/12
工事費用24,000円+休日工事の場合の3,000円で全27,000円の費用が発生するようだが、
上記の経緯のとおり、不要な派遣工事にその金額が発生することは不適当ではないか、との旨を伝える。
今回はどの工事(派遣+工事あり・派遣+工事なし・派遣なし)に該当するものなのかを質問。
請求関係担当の 禁忌の帳《パンドラ》様から「どの工事に該当するかはこちらでは分からないため、請求月にマイページで確認して下さい」と案内いただくが、
費用が確定してからでは遅いので請求月より前に教えていただきたい、と要望を伝える。
契約関係担当の 純愛の薔薇を育てし者《ラブリー・ガーデナー》様に代わっていただき、「作業業者から実施報告の確認が取れ次第、改めてご連絡します」と案内いただく。
■2/17
純愛の薔薇を育てし者《ラブリー・ガーデナー》様より連絡あり。
「作業事業者の報告ではやはり『派遣+工事あり』の区分になっているため、27,000円の費用が発生します」と案内いただく。
当方としては「工事は行っていないし、そもそも派遣の必要がなかった」という認識なので、
そのような工事を行ったか・派遣の必要があったのかを改めて確認したい旨を伝える。
「詳細は事業者でなければ分からないため、明日(以降?)事業者より連絡をするように伝えます」と回答いただく。
※「明日」であったか「明日以降」であったかは失念致しました。
以上が経緯となります。
*工事日程調整のときに工事不要ではないかという提案をしたにもかかわらず、
不要な派遣を行い工事もしていないのであれば「派遣+工事あり」の工事費用が発生することは不当である
*もし「派遣+工事あり」の費用が発生するのであれば、その根拠を説明いただきたい
となります。
電話だけでは伝わりきらない部分があると思い、メールで問い合わせを致しました。
※本クレームはサポートご担当者様に対するものではなく、不明瞭な工事費用の規定とその調整に対するものです。
電話対応いただいた 禁忌の帳《パンドラ》様、 純愛の薔薇を育てし者《ラブリー・ガーデナー》様には
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増田様
平素はSo-netをご利用いただきまして、ありがとうございます。
So-net サポートデスク 真心泥棒《ハートブレイカー》です。
連絡手配を承っておりましたが、NTTにて確認を行ったところ、
回答がございました。
※ 土日祝日の追加工事費3,000円(税抜)は別途発生します。
その他ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
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So-net サポートデスク 真心泥棒《ハートブレイカー》様
早急なご回答ありがとうございました。
> 工事内容としては、MDFとお客さまのお部屋の配線を繋ぐ、
先のメールでも申し上げましたが、作業員の方はONUを設置しただけであり、
この「屋内配線の新設工事」は行っていない、というのが当方の認識です。
ゆえに、この「工事」は具体的にはどういう作業のことを指すのか問い合わせたところ
作業内容は事業者でなければ分からないので事業者から連絡いただく、という経緯でした。
以上、引き続きご回答をお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
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増田様
So-net サポートデスク 終焉の幻想《ファイナルファンタジア》です。
できない」、「So-netからお客さまへ作業内容を伝えてほしい」
との回答がまいりました。
弊社よりご回答させていただいております。
以上、よろしくお願いいたします。
その他ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
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2/25 ▲増田
So-net サポートデスク 終焉の幻想《ファイナルファンタジア》様
増田です。
ご回答ありがとうございました。
> 特別な工事は行っておりませんが、MDFとお客さまの部屋の
当集合住宅では既に光回線が開通していて、今回こちらはプロバイダを変更するだけであり撤去工事も行っていないので、
また、作業時間としても「配線をつなぐ」作業は行っていないと認識しています。
(もしかすると「配線の確認」はされたのかもしれませんが、「配線をつなぐ」ではありません。)
「配線接続の面での新設工事は不要であったはず」というこちらの認識が誤りであれば、
ご教示いただければ幸甚です。
以上、よろしくお願いいたします。
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増田様
So-net サポートデスク 終焉の幻想《ファイナルファンタジア》です。
事業者へ確認した内容として、MDFとお客さまのお部屋までの線が
はずれていたため、「配線をつなぐ」作業を行っていることことで
ございます。
以上、よろしくお願いいたします。
その他ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
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2/25 ▲増田
So-net サポートデスク 終焉の幻想《ファイナルファンタジア》様
増田です。
早急なご対応ありがとうございます。
> 作業内容につきまして、改めてご案内をさせていただきます。
何卒よろしくお願いいたします。
> 事業者へ確認した内容として、MDFとお客さまのお部屋までの線が
> はずれていたため、「配線をつなぐ」作業を行っていることことで
> ございます。
前プロバイダ契約終了日(ネット回線が使えていた日)から工事日までの10日間で
線が外れることがありますでしょうか…
もし外れていた線があったとすれば、一室空き部屋があるので、その部屋への線だったのではないかと思われますが…
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増田様
So-net サポートデスク 暗号化された恋《コードネーム・ラブ》です。
お問い合わせの件について、ご案内いたします。
「So-net 光 コラボレーション」新設のご利用にあたり、
行っております。
ご回答が変わることはないため、返答ができかねます。
So-netとしてご案内できることは以上となるのですが、今後も
2018年3月~5月分の「So-net 光 コラボレーション」の月額料金を
負担ということであればご提案可能なのですが、いかがでしょうか。
上記ご提案にご了承いただけます場合は、お手数ではございますが、
2018年2月末日までに、お問い合わせ番号[*********]を添えて、
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
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2/26 ▲増田
So-net サポートデスク 暗号化された恋《コードネーム・ラブ》様
増田です。
ご返信ありがとうございます。
> 「So-net 光 コラボレーション」新設のご利用にあたり、
> 必要な工事『MDFとお客さまの部屋の配線をつなぐ』作業を
> 行っております。
先に申し上げましたが、工事日の10日前までフレッツ光回線を使用しており、その間撤去工事も行っていないため、
今回、フレッツ光で使用する線とは異なる線をつないだということでしょうか。★
もしつないだとしたら、それは何のための配線なのでしょうか。★
そのご説明がない限り「配線をつないだ」「必要な工事」と仰られても、納得致しかねます。
なお、フレッツ光から光コラボレーションの「転用」は工事不要とSo-netのページにも明記されています。
https://www.so-net.ne.jp/access/hikari/collabo/diversion.html
「新設」か「転用」かは事務手続き上の違いでしかない訳ですが、
同じフレッツ光を使用していても「転用」の場合は工事不要であるのに対して
総じてみると、「新設」ユーザに対しては、工事が本当に必要か不要かはさて置き、
一律で「派遣あり+配線あり」の工事を課している、と解釈するほかありません。
もしここでこれ以上の回答を頂けないというのであれば、
> So-netとしてご案内できることは以上となるのですが、今後も
> 継続してご利用いただけるとして、今回は私の権限でご利用月
> 2018年3月~5月分の「So-net 光 コラボレーション」の月額料金を
> 負担ということであればご提案可能なのですが、いかがでしょうか。
> 上記ご提案にご了承いただけます場合は、お手数ではございますが、
> 2018年2月末日までに、お問い合わせ番号[*********]を添えて、
せっかくのご提案ですが、既に2月末であり連絡を頂いた時点で「2月末日まで」というと残り3日しかなく、
取り急ぎ、上記★のご回答を頂ければ幸いです。
以上、よろしくお願いいたします。
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これ以降、現在に至るまで回答がありません。残念です…。
数日前、母親に2月末いっぱいで期限が切れる(つまり今日まで)のヤマダ電機500円割引券を貰った。
インターネット大好き人間の俺からしてみれば、他の評判いい業者にヤマダより安い値段で頼めんじゃねーのとは思ったが、ネットに疎い母親にとっては近所であることと困ったらちょくで相談できるという点ではヤマダ電機を選択するのも仕方ないか(店舗に行ったところでトラブル対応がしっかりしているかどうかはわかんないけど)と思った。
で、そのときにもらった割引券、これが曲者だった。どうやら500円の割引券が数枚の束になっており、それぞれ使用できる月が異なっているらしい。加えてこういった割引券の常らしく500円以上買い物しないと使えなかったり、一部対象外の品があったりする。
聞けば母は貰ったはいいものの特に買い物する用事が無く腐らせたままになっていたとのことだった。
俺も基本的に電気屋においてあるようなものはネットで買ってしまう人種なので、特に欲しいものもなかったのだが、500円というのは絶妙な額で、俺のようにケチな人間には使わないともったいなく感じるには十分な金額だ。
そんなわけで、一昨日ヤマダ電機に行ってきた。案の定、電池みたいな消耗品も、家電も何も特に必要なものがなかったので困ったが、流石はヤマダ電機、半端じゃなかった。
最近のヤマダ電機は、店舗によっては食料品関係も結構充実している。また、俺が寄ったところは化粧品や文具もでかいスーパーほどには揃っていた。俺はその中から買うのを忘れていたシェービングフォームなどの化粧品を手に取る。値段はやる気のないドラッグストアよりは安いかといった程度か。
その他取り留めのない化粧品類を買い、会計は1500円弱。よーしこれで条件は満たしたたぞと券を出したら店員より無慈悲な一言。「すみませんこの券は一点が500円以上の商品でないと使えないんです」
は?合計金額じゃなくて500円以上のもの買わなきゃいけないの?頭が真っ白になった俺に店員のおばさんがこれもう期限切れますけど大丈夫ですか?と無慈悲な追い打ちをかけてくる。うるせえ俺は想定外の自体に弱いんだよと思いながらも「まあ…日がないですからね」と謎の返事。今更やっぱ500円以上のモン探してきやすとも言えず、割引できなかったことなんて全然気にしてないぜっていう涼やかな顔で退店したが、それは誰が見てもまぎれもなく俺の敗北だった。
だがまだ試合終了の笛は鳴っていない。俺はこれから再びヤマダ電機に向かうのだ。買うものも決まっていないし閉店時間は九時。絶望的な状況だが500円のため、俺は再び死地へと赴くのだが一体何を買えばいいのでしょうか。
2月の風の強い日なのに風鈴の音が聞こえてはらわたが煮えくり返る。
右隣は縁側に、左隣は玄関に風鈴をそれぞれ2つづつつけている。それもこの時期に、だ。
秋も冬も春ものべつ幕なく風鈴の音を聞かされたら気が狂いそうになる。
これらのマナーを守らない風鈴愛好家のせいで、最早風鈴はバカ発見器に成り下がった感が強い。
風鈴をつけっぱなしの家を見ると「あの家の人たちはかわいそうな人しかいないんだな」と憐憫のまなざしを向けてしまう。
事務所にいる、
ダフトパンクのロボットのかぶっているヘルメットのようなメイクをしている女の子。
すてき。
本当にギンギラギンでさりげない輝きなのよ
私も春の新色リップ欲しいわっ!
3学期の始まりに
行く、逃げる、去る!
言ってたりしてたけど、
今考えたら、
その校長先生もいかにも良いことを言ってるかのような感じのことを言う内容を考えるのは
大変そうよね。
まあそれはさておき、
共催後の二月を思いっ切り楽しみましょう!
良い意味で玉子液が全パンに中途半端に染み込みきらないうちに焼いてるこのチープさ加減が
なにこれ140円とは思えないクオリティ!
気に入ったわっ!
明日もリピよ。
だいぶ暖かくなってきたと思ってもまだ水が冷たいので
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
id:BigHopeClasic です。
ホッテントリ入りした以下の記事は、両角友佑というカーラーの知性を示すものとして、さらに幅広く読まれてほしいと思います。
両角友佑が語るカーリング界のリアル「今の強化方法には限界がきている」
https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi
ただ、この記事を読む上で注意しなければならないのは、「両角とSC軽井沢の利害」と「日本カーリング界の利害」が微妙な重なり方をしていて、その切り分けを読む側が慎重にしなければならないというところにあります。この2つの利害は、かなりオーバーラップしているのですが、しかし完全に同一ではなく、そこを見誤ると、過度に両角とSC軽井沢に平衡を傾けてしまうことになります。そのことについて、補助線を引いてみたく書きました。
ブックマークコメントを読むと、多くの方が今年の日本選手権の開催日程と世界選手権の代表選考に疑問を感じたようです。このインタビューだけを読めば無理もないと思います。しかしこれが、非合理的で理不尽な決定なのかというと、むしろこれはかえって優れて合理的な選択なのです’(ただし、最後に書きますが「合理的に過ぎた」面が出てしまいました)。
私はカーリングについては素人なのですが、素人なりに日本カーリング協会(JCA)の運営に思うところがないわけではありません。高田明会長が関与していたらずいぶん違うだろうな、などということを夢想する程度には、コンテンツの魅力をフルに活用しきれていないとは思います。が、理想とは程遠く至らないところもありながら、少なくとも非競技者の目から見ては、決定的に落第の運営とまでは思っていません(知り得る情報が少なすぎるということはあります)。
で、日本選手権の日程と世界選手権の代表選考に関する話になります。過去3回の五輪年の日本選手権は、2006年、2010年、2014年と五輪後の熱が冷めやらぬ3月上旬に開催されており、五輪代表がそのまま参加していました(世界選手権の代表選考については、年によって異なります)。それをなぜ今回「五輪前に日本選手権を開催し、そこに五輪代表を参加させない」かたちに変えたのか。
まず、五輪代表と世界選手権代表が異なることについては、今年の場合でも決して珍しくはなく、むしろ例を多く見ます。次に、五輪の前に国内選手権を開催し、五輪代表をそこに参加させないという例については、カナダがその方式を採用しました。カナダは昨年12月に五輪代表選考会を行って、五輪代表チームは五輪に集中させカナダ選手権への出場を免除、カナダ選手権を五輪直前の1月末から2月に開催し、その優勝チームを世界選手権に派遣します。したがって、他にも例がある、という点では、異なことをしているわけではない、ということになります。
もちろん、世界一のカーリング大国であるカナダの猿真似だからいいのだ、という単純な話でもありません。五輪代表と世界選手権代表を分ける、という点には「より多くのチームに世界最高レベルの大会の経験を積ませる」という意味があり、日本選手権の開催時期を前倒しにするのは、「世界選手権への参加の準備に十分な時間をかける」という意味があります。
カーリングの世界選手権は毎年3月下旬に開催されますが、開催年によってその意味が全く異なります。具体的には、五輪出場権を争う「五輪前年と前前年の大会」と、それがかからない「五輪開催年とその翌年」にわかれます。前者は、その時点で国内最強のチームを派遣して、しゃにむに五輪の参加権を勝ち取りに行く大会です。他方後者は、名誉と実績という点を除けば「強化のために消費できる」大会です。国内2番手以下のチームを派遣するタイミングとしてはベストです。
そうは言っても、その世界選手権の代表選考会に五輪代表チームがいれば、そこはそれなりの確率で五輪代表チームが勝ちます。もちろん五輪代表チームを除く最上位チームを派遣する、でも構わないのですが、それはそれで差し障りもありそうです。また、五輪代表チームを除いてできた日本選手権の出場1枠を他のチームに割り振る、というのも、強化の点では意味があります。なにより、3月上旬に開催して優勝して、さあ半月後に世界選手権開催地のカナダやアメリカやヨーロッパに行ってください、となっても、みんなアマチュアですからね、そう簡単にスケジュールの都合がつくわけでもありません。五輪代表チームを除いても有力チームは準備もできるかもしれませんが、そこは一発勝負、伏兵が勝つ可能性だってあります。
というわけで、この判断自体は極めて合理的なもので、異論を挟む余地は本来ありません。あえて難じるとすれば、合理的に過ぎたことでしょうか。
今回の盛り上がり方は、単純に男女が両方出場して、かつ成績を上げて露出が増えた、という要素以上のものがありました。現場を取材する記者の記事が良質化し、それがSNSで強力に拡散する、という点がそれを強力に後押しし、より本質的な情報が多くの人に届けられたといえるでしょう。
その効果として、まさに今、このタイミングで、国内でのSC軽井沢の試合の機会を作ることは、パブリシティという観点からはこれ以上のものはなく、その機会をみすみす喪失しているように見えるからです。
さて、ここで、現状分配しうるすべてのリソースをSC軽井沢に集中させていいのか、という、悩ましい、正解の見えない問題が発生します。
今このタイミングで国内での露出機会があったとき、その果実のほとんどはSC軽井沢が持っていくことになります。それは、来季以降の活動が今の段階では確定的ではないというSC軽井沢にとっては、この上もない利益となるでしょう(2006年、2010年の日本選手権で、3位の常呂中学校(robins)、2位の常呂高校(WINS)がメディアの注目を集めた、という事実はあります。しかしそれは、彼女たちのプレイレベルと残した結果に加えて、彼女たちが女子中学生、女子高校生だったという付加的な価値も大きく寄与していました)。
誤解を避けるために言うと、両角が自己の利益だけを目的にこの発言をしたとは、私は毛の先ほども考えていません。彼は心底日本のカーリングの全体利益を考えてこの発言をしているのであり、そして言っている内容は正しいと思っています。ただ、悩ましいのは、この問題、正解が一つではなく、そしてその較量が難しいということで、そのことを心に留めないといけないということです。
部外者が立ち入れるのはここまでになります。日本選手権がない代わりに、3月14日から18日まで、青森市では日本ミックスダブルスカーリング選手権が行われます。今回の五輪から始まったこの種目、残念ながら日本は国際実績が足りず出場を逃しましたが、次の北京五輪への出場を目指して強化に入っています。この大会には、各地の予選を勝ち上がってきたペアのほか、強化委員会の推薦指定枠で日本代表から両角友佑ー吉田夕梨花、山口剛史ー藤沢五月、清水徹郎ー吉田知那美の3ペアが出場します。
推薦指定枠は昨年から導入され、早速初回で阿部晋也-小笠原歩組が優勝しています。即席の代表ペアと勝ち上がってきたペアのどちらが上に行くか、それも含めて興味深いところです。
どんなに疲れてて身体が眠りを欲していても布団に入って1,2時間寝付けないなんてのはザラで、というかそれ自体は1年以上前からだったので睡眠薬の個人輸入でどうにかしていた。別に毎日薬がないと全く眠れないわけじゃない、せいぜい月の1/4〜1/3だったので不眠症ですらなかっただろう。
ところが昨年の夏くらいから月の半分以上は薬が必要になって、一回一錠の規定量のはずが二錠三錠と飲んでも眠れない。なんとか意識を失えたとしても3時間後くらいには必ず目を覚ました。薬を使わない日は昼寝みたいな量の睡眠を何回か小分けにして取る感じだった。ODなんてしないし、不眠症で苦しんでる人はもっと酷いものなのだろうし、ただ何となく体調が優れない毎日だった。
秋からは食事が摂れなくなった。元から一人前を食べるのがやっとなくらいの少食ではあったが、いつのまにかその半分も一度に食べられなくなっていた。少し食べただけですぐ胃が張るし、食後数時間胃が痛み続けるのだ。最初は胃が荒れていたりなんだり、物理的にどうにかなっているものだと思っていた。
その頃から学業以外に常に3つは並行して抱えていた個人的な締め切りをキャンセルしたり、新規で何も入れなくなった。回らなくなったのだ。手帳を開く回数が激減した。そのうち学業の方の締め切りもいつも直前まで苦しむようになった。アイデア出しの時間が一番苦痛で、手を動かし始めるまでにものすごい気力が必要だった。
1月に入って内視鏡の予約をした。人気の病院だったからか、1月頭に行っても取れたのは1月末の予約だった。医者に症状を伝えても「見てみないとわかりません」としか言われず、胃腸薬も出なかった。
1月中ば、それまで申し訳程度には食べられていた普通の食事がまったく摂れなくなった。ツイッターで流れてくる食べ物の写真も、春先は美味しく食べていた学食のランチセットも、みんなプラスチックの食品サンプルに見える。スーパーの食品売り場に行くと何を買っていいのかわからなくてその場にいられない。冷蔵庫の引き出しを上から下まで開けては何も取り出さずに閉じる。温めるだけのチルド食品を手に取ると、心臓がドキドキして息が苦しくなって立っていられなくなる。そういえばこの少し前から、外出先でパニック発作みたいなのが出るようになっていた。43キロくらいはあった体重が、そろそろ40キロを切りそうになっていた。
1月末から2月半ばにかけて、あちこちの病院にたくさん行った。内視鏡は何も問題なかった。最終的に行った心療内科の先生に、「お母さんがストレスの原因なのかもしれない」と言われた。心療内科に行くのは私の希望で、母には散々反対されて罵倒されて、挙句ついてきて診察室で勝手に喋り倒していた。
ずっと原因がわからないつもりでいたが、ずっと母の声を聞くたびに身が竦んでお腹のあたりに変な力が入って何も言えなくなっていた。何かを言えば「反抗期」「口答えばかり」「誰の金で生活してるんだ」と言われた。事実だったし、22にもなって実家暮らし、親の金で日々の食事をして親の金で学校に行っている人間には何もいう権利が無いものと思っていた。人に愚痴を言ったところで「何を甘えたことを言っているんだ」と返されるのが関の山だと。恥ずかしかったから誰にも言えなかった。
先生からの勧めで、今は祖父母の家に居候という形になっている。2週間くらい母には会っていない。個人輸入ではなく処方箋で貰った睡眠薬を飲み始めたり、最初だからなのかなにも効果が出なさそうな量の抗うつ剤を処方されたり、パニック発作用の抗不安薬が規定量の半分で処方されてたせいで全然効いてくれなかったり色々あった。あまり薬は出したがらない先生らしい。
日中は何もしていない。というか、何もできない。勉強はもちろん、本も読めないしゲームもうまくできない。絵を描こうとペンを握る気にもなれない。ネットサーフィンのやり方も忘れたのでパソコンもずっと開けていない。
何もしない毎日が苦痛過ぎるので来月からバイトをしようと思うと友達に相談したら、普段なんでも応援してくれる子が強い口調で止めてきた。話を聞くのが上手い子で、愚痴を聞いてなんて話始めじゃなくてもいつのまにか自分の話を聞いて貰っていた。母の話をした時は、それは世間ではモラハラと呼ばれるなんて言われた。
療養中なんだから療養しろと言われて、たしかにそうすべきだと思ったし、どうしてそんなに「何もしない」が苦痛なのか改めて考える機会になった。
お金が必要だから?確かに貯金は減る一方だが、新学期からまったく生活できないほどではない。やりたい仕事だった?仕事なんて本当は何もやりたくない。誰かにバイトしろと言われた?誰も何も言っていない。
そうだ、誰も何も言っていないのだ。
「いつまでうちにいるの?」「やることないの?暇なの?」「時間を無駄にしてるね」「家にいるだけで何もしない金食い虫」「お前がいる分光熱費も食費もかさむんだ」「寝てばかりいて治す気がないんだろう」
常に誰かに背を追い立てられている気がしていた。祖母も、祖父も、何も言っていない。私の頭の中の誰かが言っていることだった。
4年生の2月。あと1か月後には卒業を控えているこの時期に卒業延期が決まったらしい。
どうにも私の彼氏はツメの甘いところがあるので、なんとなくまずい予感はしていた。
聞くところによると専門科目の授業内テストを落としたらしい。
内定は下りているが辞退になる。もったいないな、というのが一番の気持ち。
公務員をずっと志願していて、公務員一本で就活して受かったのであった。
4月から公務員なのであれば、このまま上手いこといくなら3年内に同棲して結婚~なんてことをぼんやりと考えていた。
だけども実際はこれである。
試験はおそらく受けなおしとなる。
激しく落ち込む彼氏の横で能天気に笑いとばしているものの。実際好ましくはない。
けどまぁ仕方ないよなぁ。
無理だとわかったその足でわたしに 別れてもいい、とくるのだから、なんとなく放っておけない。
卒業延期のお金はわたしの財布からでないし、彼氏の親がそこそこ裕福なことも知っている。
わたしは奨学金を借りているけども彼氏は推薦で入って学費も半額に抑えられている。
自分で学費を出せ、と言われたらしいので身内からお金を借りて半年間バイトしながら通うことになるのだろう。
わたしだって全然優秀でないし、単位も卒業論文もギリギリだし、発表のパワーポイントは目下作成中だ。
卒業できない、とわかった彼氏は落ち込んでいて、最悪高卒で適当な会社で、なんてことを呟いていたので怒ってしまった。
怒るというか、悲しくなるというか。
夢だったくせにそんなことを言うもんじゃないだろうと思った。
頑張ってくれ、彼氏。
妹に自業自得だと笑われても、親ががっかりしても、祖父母が落ち込んでも。
私は他人なので。
今は能天気でいようと思う。
頑張れ彼氏。
資格とか取って、少しなら美味しいものも食べれるくらいには稼ぐよ。
JKだけの町、真面目に考えてみたけどどうやって町長を選出するんだろう。
いや、候補者はいいのよ。ヨソの自治体に住民票があっても公職選挙には出られると思う。町役場の職員も別の自治体の人で構わないはず。でも住民の多く(高1・高2の全員と、高3のうち選挙当日に誕生日を迎えていない者)が選挙権を持っていない状況だよね? 一部の住民だけが選挙権を持っている選挙、すげーいびつになりそうな。普選運動が起きそう。
選挙を何月にするかも大きな問題。たとえば3月31日に執行する場合と4月1日に執行する場合を考えてみると、3月31日執行の町長選挙では4月1日生まれを除いたほぼ全ての高3生に選挙権があるけど、4月1日執行だと1人も選挙権を持っている人がいなくなると思う。新高3で一番初めに18歳になるのは4月2日生まれの人たちなので。あれ? ということは4月1日生まれのJKには永遠にJK町での選挙権がないのか? かわいそう。
高校3年生のあいだで2つの派閥があり、1つの派閥の構成員の多くが5月や6月生まれで、もう1つの派閥が11月や12月生まれで占められていたりすると、選挙の実施日程から既に揉め事の種になりそうな。前者の派閥は当然7月あたりに選挙を実施することを要求するし、後者は年明けの実施を要求する。
それと、この構造だと(生徒会選挙とかと違って)高1や高2の要求を汲み上げるインセンティヴがなくなるので、ひたすら受験対策や就職対策に予算をばらまくのが選挙の必勝法になるはず。そうなったときに、学年のあいだで深刻な対立が起こりそう。
気になるのは、JKは単一の学校の生徒なのか、それとも複数の学校の生徒なのか、という点。前者だとしたら、当然その学校では生徒会選挙なども実施されているはずなので、学外の権力者である町長と学内の権力者である生徒会長のあいだで権力闘争が起きて町政が麻痺しそう。先程述べたように、町長が選挙の勝利だけを優先してひたすら高3生のみを優遇する施策を打ち出した場合、対抗して生徒会長選挙では高1・高2が結託して下級生候補を当選させようとするのは自然な流れだと思う。仮に複数の学校の生徒だとしても、複数の生徒会長が同盟を組めば同じ結果になるはず。そうか、これが町長にとって全学年を公平に処遇するインセンティヴになるんだな。生徒会選挙のおかげで権力の均衡が保たれている状態になるわけか……
(生徒会選挙には、生徒会長のみを選出し残りの役員を会長が任命する形式と、生徒会長とその他の役員がそれぞれ選挙される形式があると思うんだけど、どちらにせよ下級生が選挙連合を組めば下級生が執行部を独占できるよね)
そして町議会をどうするのかだけど、そもそも首長と違って議員は当該自治体の住民であることが必要であり、被選挙権が25歳以上に限定されているので、JK町では議会を設置できない。町村総会を置くしかないと思うけど、町村総会を置いたとしても18歳以上じゃないと参加できないので、やっぱり一部の生徒に政治的パワーが集中しそうな。4月生まれや5月生まれは年度末まで町村総会への参加ができるけど、2月生まれや3月生まれはJK町から出ていく直前になってようやく参加権を得るわけで。ただ年度末が近づけば近づくほど4月・5月生まれの人口比が少なくなってくるので、自分たちがマイノリティになった時のことを思えばあんまりムチャクチャなことはできないという抑止力は働くはずだけど……。しかし後輩たちからすると自分たちの要望を町政に反映させるためには2月・3月生まれの3年生よりも4月・5月生まれの3年生に話を通した方がやりやすいわけで、後輩への影響力という点で学年内に不均衡が生まれそうだけど、そこは生徒会という対抗権力が是正すればいいわけか。JK町、なんかうまく権力分立できてるような気がしてきた。
……って気づいたけど、JK町には「A校(とB校とC校……)の生徒全員」じゃなくて「A校(とB校とC校……)の生徒の一部」しか居住していない可能性があるのか。その場合、高校が町内にあるにせよ町外にあるにせよ、町長と4月・5月生まれの高3生に権力が集中しそう。
もし高校が町外にあるなら、生徒会は町外の団体ということになるので町政には無関係になり、町長や町村総会の権力を掣肘する者がいなくなって、結果として高3生のみが優遇され、さらにその中でも4月・5月生まれの生徒に町政の権力が集中するということになりそう。
高校が町内にあるとすると、分断工作がしやすくなる。生徒会は確かに町内の団体ではあるのだけれど、非町民生徒も参加しているので、人口比にもよるけど非町民と高3生の町民を優遇すれば簡単に多数派を形成できると思う。どちらも単独では多数派を形成できない場合は町長が介入しやすくなるし、町村総会を掌握している高3生は校内では学年の平等を謳うしかないかもしれないけど町内で独裁的権力を行使できる可能性が強まりそう。なぜなら非町民の下級生にとって、町民下級生と連帯して高3生に対峙するインセンティヴがないからだ。結果として町民下級生がひたすら冷遇される構図に。
「JK町にはA校の全員と、B校とC校の一部の生徒が通っている」場合、それぞれの学校の生徒会が性格の違ったものになってくるはずなので(A校では下級生が執行部を掌握しているけど、他の学校では普通に高3生が執行部入りしているとか起こり得る)、結果として生徒会どうしの連帯がしづらくなり分断統治されそう。
JK町の政治に透明性や公平性をもたらすためには、単に「JKばかりが町に住んでいる」だけでは不十分で、「ある高校(群)の生徒全員がJK町に居住している」ことが必要だということになるのだろうか。
kido_ari 漫画やアニメじゃないんだから、生徒会にそんなに権限はないのでは。意外と増田の話を全部無視して若くてかわいい町長が当選しそう。
被選挙権が25歳以上なので、ふつうのJKは町長になれないんですよ。スロウスタートでも無理です。JKだけが住む町という設定上、必然的に町外に在住する人間が町長にならざるを得ません(議員と違って町長は住民じゃなくてもよかったはず。もちろん、25歳を過ぎた人間でも高校に入学できますので、町長を町民から出すために一定数そういう人たちが入学してくるというのならJKから町長を出せますが、元増田が望んでるJKってそういう意味じゃないですよね)。
生徒会に権限がなくても、生徒総会で下級生が多数派を占めていることには変わりないので、割と民主的正統性をもって町の行政権力と対峙できるかと思います。ただ学校の運営に関しては教師たち、ひいては校長に最終的決定権があるはずなので、そこは弱いですね。なんか本国からの総督によって統治される植民地の議会みたいな感じ。しかし小中学校と違って高校は都道府県の管轄下にあるはずなので、町長に首根っこを握られているということにはならないと思います。