はてなキーワード: ケアとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141106095500
大したことではなかったという自己防衛かねぇ。
そこはかとなく薫るメンヘラ臭が芳しい。
↑こういうことを言う人がリアルでいたんだよ。自分にとっては、犯人よりもそういう人の方に百倍腹が立った。
被害に遭った後もケロッとしていたら、周囲の人に「傷ついていないふりをしているのね。無理しなくていいんだよ」と言われた。こちらは普通に生活しているのに、「普通の生活を送ることによって強がるほど増田は壊れてしまった」と、カウンセリングをすすめられた。付き合っていた彼氏は、友達に「レイプされても普通にしているなんて増田は明らかに重症だ。いつ自殺してもおかしくないのでそばにいてあげて」と言われ、「ハァ?」と思ったらしい。
彼ら彼女らは、私がふさぎ込んで社会生活を送れなくなることを望んでいたのだろうか。手首でも切ってやれば満足だったのだろうか。
「レイプ被害者は傷ついていないとおかしい」という「常識」がはびこっていると、「善人」が被害者に迷惑をかけまくっている。何度も何度も「善人」に「傷ついていないふりをしている」と言われれば、「自分の心の底では確かにそうなのかもしれない」と思い込んで本当におかしくなってしまう人だっているかもしれない。
レイプは心の殺人?死なねえよ。勝手に死んだことにするんじゃねえよ。死んでも死んでやらねえよ。
もちろんずっと苦しむ人だっているよ。でもそれは他の犯罪だって同じだよ。ひったくりに遭った恐怖で会社を長く休んでいた男性もいたよ。そういうのは個別の状況によるんだから、個別の事案としてちゃんとケアしていけばいい。
「レイプは凶悪犯罪」ということには反対でも賛成でもない。法律のバランスってのは難しいもんだ。でも、この世、少なくとも日本にはびこる「『心の殺人だから』『女性の尊厳を奪うから』レイプは凶悪犯罪」という意見にはノーと言いたい。
↑この増田も「レイプで心を殺された女性が無理して書いている!ここまで増田を壊した犯人を死刑に!」って言われちゃうのかなw
ブコメ読んだけど、なんで「レイプの抑止」と「レイプ被害者は一生物の傷を負った再起不能なメンヘラだという思い込み」がセットにされているんだろう。私をレイプ犯肯定者扱いしてるブコメまであるし。
窃盗の被害者が全員「こんな大金を盗まれて人生オワタ!もう自殺するしかない!」って言わなくても、窃盗は財産権の侵害だから罰せられる。それは十分窃盗への抑止になっているよね?「大金を盗まれたけど、今まで以上に稼いで人生挽回してやったわw」っていう人がいたら、それは窃盗を肯定したことになるの?ならないよね?
レイプだって、「他人の身体の自由を侵害し、デリケートな臓器にリスクを負わせる行為だから罰します」てことでいいじゃない。レイプしたくなった人も99.99%はそれで十分思いとどまっているはずだよ。
昨晩 http://anond.hatelabo.jp/20141031023954 を書きました。
まさか反響があるとは思っていなかったのですが、トラックバック・コメント・ブックマーク頂き有り難うございました。
「私は障害者なんだ」と念じながら生きなくてもいいんじゃないかな…っていう私個人の意見です。
おそらく少数派だと思います。それでも伝えたくて。
大勢の方がご覧になった時、なにかしら批判のご意見が出てくるのは、もっともなことだと思います。
もしいやな気持ちになった人がいらしたら、ごめんなさいと言いたいです。
同じような悩みを持つ方にコメントしたい、でも私は専門家じゃない…個人的な経験や考え方を伝えることしか出来ない。
約10年分の葛藤や経験を、一晩でまとめるのは結構たいへんでした。
時間を割いてコメントを書いてくださったみなさんに、心からありがとうと言いたいです。
Ta-nishiさん
事実そう。「いまの社会」に向いてない特性持って産まれて困ってる人を「障害」ということにした概念が発達障害。「病気」じゃないけど困ってる/苦しいことに変わりないので援助が必要 http://goo.gl/lSxOzB http://goo.gl/wC8zui
同じような意見を持っている方がいらっしゃるとわかって、安心しました。
豫風@ty_retainさん
不快にさせてごめんなさい。
あなたがなぜここまで、私個人の日記へ憤りを感じられたのか、理由を教えてもらえたら嬉しいなと思います。
私はプロでも専門家でも無いので、至らぬ表現があったと思います。
豫風@ty_retainさんが感じられたことも、教えて欲しいです。
(ネット上ではクソって言葉をよく目にしますが、実際に自分へむけられると、かなり辛いものですね。)
black_grassさん
分裂病もそうだけど、古代から人類は、一定数出現する「特異な人間は集団から疎外する」が生存の最適解だったから、適者である現代人にはその振る舞いが染み付いている。だから個人事業やったほうがいいよ。
はい。
http://anond.hatelabo.jp/20141031023954
それ、君の中だけのイメージにすぎないから。それなりに膨大な蓄積があって定義がある程度定まってる用語なんで、「俺はこれを障害とは認めん」とか勝手に言われても困るっつうか。
ご指摘ありがとうございます。仰るとおりだと思います。
私はずっと「障害」って、一体なんなんだろうなぁ~って、ずっとモヤモヤ考えてたんです。
その結果感じた持論を「個人的なつぶやき」として表明したので、社会一般の定義とはずれていると思います。
無限の可能性を秘めているかもしれないのに、「障害」という枠に囚われてほしくなくて…
その気持をどうにか伝えられんか、と、脳内でもがきながら書きました。
以下話が脱線するかも知れませんが、発達障害という言葉に違和感を感じる理由を書きます。
私は20歳近くまで典型的なアスペルガー症候群当事者として生きてきました。
でも、あることがきっかけで「もう苦しみたくない!人生を変えてやる!!!」と誓ったんです。
得手不得手を分析したり、苦手な分野は改善の方法を模索をしたりして、「常識」に馴染んでいくことに精一杯努めました。
そして「もし、家族がきれい好きで家庭内の不和がなければ、私は子供の頃から常識を身につけてこられたのではないか?」
と思えるようなことも多々発見出来ました。
発達の特性や偏り・認知のゆがみに関しては、幼少期の経験や、今後の努力次第で改善できることもあると思うのです。
「障害だから」と決めつけて、早々と諦めてしまうのはもったいない気がします。
(でももし、私が自分の「ズレ」を直せることに気付けなかったら、今でも問題の原因を「障害」とし、改善努力もしていないことでしょう。)
http://anond.hatelabo.jp/20141031155449
ならないだろ。
なんでもかんでも病気にする精神科の医者どもの方が異常者だよ。
こんな異常者あいてにしてるから、頭おかしくなるのにきずけよ。
精神科の糞どもを相手にするな。楽しく生きてる奴を参考にしろ。それからそいつらの行動パターンを解析しろ。
俺なんておまえ以上に問題多かったけど何とかなってるよ。
私がうまく言えなかったことを、この方は全てまとめて叫んでくださいました。
泣きそうになりました。
投稿した時の自信はどこへやら、ツイッターでクソとか言われてしょんぼり、自信がなくなってたんです。
今後も賛否両論頂くかもしれませんが、思い切って書き込んで良かったと思います。
みなさんありがとうございました。
kukkyさん
そうですね。
今の私は正に「自分の変なトコロ」と「折り合いをつけて付き合って」いるという表現がぴったりきました。
しかしそれを自分ひとりで試行錯誤するのは時間がかかりすぎます。
困ったときに、ケアや支援を与えてくれるところが、今後増えてくれたらいいなと思います。
serioさん
この人が精神科と薬で良くならずに苦しんだという経験は分かるけれど、だからといって精神科や薬を全否定するのは疑問。薬のおかげで楽になれた、症状が改善したという人もいるので症状次第。決めつけない方が良い。
そうですね。薬が良い悪いと、一言では決めつけられないと思います。
化学物質は使い方ひとつで薬にも毒にもなりますから、医師が的確な指示を出してくれれば、全く問題無いと思います。
発達障害で苦しみ鬱となった人への対症療法として向精神薬を処方するのも間違いではないと思います。
また向精神薬のたぐいは麻薬と紙一重、諸刃の剣であるとも思っています。
根本を見直してなにかを改善できたら、危険な薬に頼らず済むこともありうるのではないかな、私はつぶやきたいです。
camellowさん
否定的なトラバ、ブコメもあるけれどなんでだろう。気の持ちようや日々の注意で生活は改善するよって話だろうに。もしや、コメントしてるみなさんも○○障害ですっていう壮大な仕掛けか?
予想はしてたけど、実際の批判を目にして、ちょっぴりしょんぼり(´・ω・`)していたところでした(笑)
camellowさんのコメントで気持ちが楽になりました。
aflat_1000dai4さん
あわわ…
なんか、ごめんなさい。
上に書きましたように、未熟者のひとりごととして受け流してやってください。
p_interさん
何も問題がない人もそうでない人も、生活習慣や思い込みを改めていくことが、より良く生きるためには大切なことだと日々痛感しています。
narukamiさん
タイトルにいらっと来たけど最初に思ったような内容ではなかった/心理士が行動指導をしてくれる場合がないわけではない。ほんと病院によるだろうが
なんかイラッとくるタイトルだなと、私もあとで読み返して思いました(苦笑)
通院していた頃は、行動指導に長けたスタッフさんが、日本各所にいらしたらいいのになぁ~と、思っていました。
カウンセリングで過去のトラウマを吐き出して心を楽にしたり、認知行動療法で自分を分析したりしていくことも大事なのですが、過ちを繰り返さずに人生をより良くしていくためには、それだけではすこし足りない気がしています。
SndOpさん
「この人のコメントかっこいい」と思いました
zeromoon0さん
悪気はないんだろうけど、「作者さん」の連発で「創作の釣り乙」と言いまくってるみたいだ。「筆者」か「著者」を使ってあげよう。
仰るとおり悪気ない連発で相済みません(^^;)
たしかに「筆者・著者」が適切ですね!今後機会があれば気をつけます。
nenesan0102さん
自宅で事務作業、レッスンは公民館や個人宅、という感じで細々と働き、どうにか暮らしています。
学生時代に目指した進路とは、まったく方向が違いますが、天職だと思います。
(ヨガの「八支則」という理念を知らなければ、私はまだ人生の路頭に迷ったままかもしれません)
「なんだ、結局はふつうに接客業やれてるじゃん」と思われるかもしれませんが、私の場合はちょっと特殊なんです。
まず、私は一人で教室を運営していますので、上司や同僚にあたる人がいません。
「自分のペースで働ける」ことはとてもありがたいことです。
レッスン中は、もちろん接客を頑張ります。
が、レッスンの時間は決まっているので「ここまで頑張ればいい」という安心感が有ります。
1日じゅうぶっつづけでレッスンするわけではないので、他のお仕事に比べたら、人と交流すべき時間はずっと少ないと思います。
また「日常会話が苦手」な私ですが、「ヨガに関する話題」ならすらすらと話せます。
私だけの特性かもしれませんが、それができれば「先生」として接客対応が可能になることがわかりました。
ヨガの話から、健康や悩みの話に発展したり、なんでもない冗談話になったり、「普通の」会話ができるんです。
大好きなヨガの知識と経験が、とても力強い支えになってくれています。
そして、レッスンが終われば家に帰れる。
経理や事務は、自分にとって過ごしやすい環境でやれるのも嬉しいです。
照明の色や強さを調整したり、音楽をながしたり、タイマーで時間を区切ったりして、苦手な作業でも楽しめるように工夫します。
ヨガを始めたきっかけは、「向精神薬に頼りたくない」「体力をつけたい」といった理由からです。
それが今では、生徒さんに喜んでいただきながら、私も社会とつながるための存在になってくれた。
本当に有難いと感じています。
http://anond.hatelabo.jp/20141023160653
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653
増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメも Twitter での言及も。
せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。
数々のコメントの内容の前に。
そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分が担任の経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。
自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署で仕事をしており、次年度の分掌として学級担任を希望しているという次第。
また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である分不安も大きいが自身の教員としての力量形成・キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学を卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。
で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。
学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。
これも高校の範囲でしか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である。
例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である小中学校は、公立校には基本的に地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校は学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。
柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域の中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較的生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供の幼児教育・初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHD,LD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供の教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間で教育格差が生まれるのは必然である。
そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。
そんな中で、高校教員の自分が言うのもなんだが小中学校の教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任がほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成も高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引きの通報が入ったりする。
まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校で自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。
思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます。
コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。
まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。
以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別な教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。
単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員は必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。
特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。
甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。
自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力、関係形成能力、客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団は必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10人前後の部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用な集団に属するのが良いと思う。
http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html
記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。
通信制高校も全日制高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。
まず通信制や全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。
あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導やカウンセリング、自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。
目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である。
教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校で高校生活を送り卒業することを希望したと判断し教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。
突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強の学習だけが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全に学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることなく教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。
そうだと思ってやっています。教科指導、生活指導、進路指導、全て教員の仕事です。
結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。
まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員の経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通の学校だけでなく、工農商の実業高校、定時制や単位制高校、進学校など様々な環境の学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初の経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。
ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外、田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員はわがままを言う。都心部、通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。
またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間と仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。
※個人の感想です
教育困難校は本当に、高校生とはいえその時その時の刹那的な感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。
高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験で因数分解や三角比の問題を解くことが就職につながる。
そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分で判断し学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。
感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。
そうなると学校の経営は破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業・就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供の自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校は存在する。
繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。
皆様の生活があり自分の仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります。仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます。
はてなブックマーク - 財務省 35人学級を40人に戻すべき NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20141023/k10015624931000.html
常勤講師時代を含め、全日制・下の上レベル40人、夜間定時制20人、全日制底辺校35人と授業経験がある。教科は数学。
もっと細かく言うと40人クラスから進学希望者の抜けた学習意欲の少ない30人とか、定時制の30人にTTで授業とか、底辺校35人のさらに習熟度下位の15人とか、内容は様々だ。学級自体の人数編成が違うのは都道府県をまたいでいるからだろう。
あなたは「いま勤務時間じゃねーのか」と突っ込むかもしれないが、年休である。
先に断っておくが、ここに書くのは上記のような比較的学力の低く様々な事情を抱えた生徒のいる高校についてである。小中学校や中堅以上の進学校ではまた別の問題があるのかもしれない。自分はまだ経験不足なので見たままのことしか話せない。
記事に対し「5人くらい変わらないだろう」ってコメントもあるけどまったくそんなことない。
まず環境説明だけど、だいたい教室の中には数人ほど、集中できていない様子の生徒や、机の下で携帯を触ろうとする生徒がちらほらいて、そんな彼らにすぐに注意・指導ができるように気を配りながら授業を行っている。そんな中には授業どころではない問題を抱える生徒も少なくない。なんというか高校生とはいえ中学校4年生みたいな幼さの子もたくさんいて、友達同士でのいざこざで情緒不安定になり机に突っ伏し、起こすと泣き出して教室を出て行くなんてこともままある。
はてなの高学歴諸氏にはイメージできないかもしれない。自分も高校教員になって面食らったものだった。高校ってこんなに幼い集団で、教員がそこに介入していたかなと。
そしてそんな学校では授業時間であれ、教科の指導内容以上に生徒掌握が大事だ。まず勉強しようという姿勢がなければ授業はただの音声でしかないし、そういった部分からどんどん授業はほつれていく。
そんな中で授業をする上で、5人の違いというのは本当に大きい。そこには色々論点はあるだろうがシンプルな2点から言いたい。
まず教員側として、数人の違いで生徒へのケアの可動域ががらっと変わる。5人少ないだけでこちらの目はかなり行き届くようになるし生徒の反応もこちらに届きやすい。これは人数なんかで変わらんだろうとは言わせない。なら教壇に立ってみろ。
もう一つは生徒の様子の変化だ。特に持続的な集中力に欠ける生徒、情緒の安定しない生徒は、教室内の環境に大きな影響を受ける。
今なんてまさにその時期だが、例えば文化祭の準備でもめてクラス内に少し不穏な空気が流れると、関係のない授業中にも教室にいるのが辛くなって保健室に行く生徒がいたりする。それでもその生徒も習熟度別科目で教室内の人数が減ると教室に戻れたりするのである。他にも生活全般に問題がありよく教員と問題を起こす生徒も、35人の教室では授業を受けられなくても30人の教室では筆記用具を持って授業に取り組んでいたりするのだ。
そんな変化が、特に低学力な生徒や、家庭環境に不和を抱える生徒の多く集まるような学校では顕著に現れるのである。
もちろん、だからといって人数が少ない方が生徒が受ける負担が減るとは限らないかもしれない。けれどそこに対しケアが行き届きやすくなるのならそちらの方がいいだろう。
以上。これはただのぼやきだが異動したい。ずっと学力の低い高校で中学校数学から数学Ⅰ、就職試験対策の算数をやってきたけど、そろそろもっと数学の話をしたい。
追伸
良いっていう言葉それ自体が、人によって意味が違うから単純ではないんだけど、技術の問題だけどなく、相性もあるし、値段もあるし。
①診断能力が高い人
歯科の問題点として、術者の力量が分かりにくいということがある。レストランみたいに三ツ星とかミシュランガイドがあれば良いんだけどね…
もし自分が患者として選ぶなら、専門医や自由診療を行うDrを複数ピックアップし、そこから選びます。
診断能力が高いかどうかはどう見るか。
一般開業医でこれは本当に区別がつかない。複数Drが居ると誰にあたるかもわからない。
なので、専門医、専門医療機関(大学病院等)が安定していると思う。専門医至上主義ではないけど。平均点が高いので。
もう少し詳しく説明すると
①診断を誤るということは、ゴールが間違ったままスタートすることなので長期的には失敗する。
診断に100%はあり得なくて、落ちない飛行機が無いのと同じで、どんな名医も必ず誤診をする。ただ、その可能性はぐっと下がる。小さな間違いを積み重ね、誤診に至る。診断能力の高い人は、それぞれのステップの精度が高いので、最終的に誤診をしづらい。
②間違いそうな時、間違った後に上手く乗り越えられるかどうか。
人によって治療の難易度がやたら高い難症例みたいなのはあって、専門医でも上手くいかない時はある。でも、ダメになりそうな時に上手く回避できたり、仮にダメだった後のケアも含めてサポートしてくれるのが専門医だと思っている
③専門医でなくても、一般開業医で解決できるものであれば良い。
但し、専門医への紹介が妥当とされるケースでは、患者自身が自分の問題が何かは分からないことが多いので、一般開業医が診断を行い適切に紹介がされるのが理想的ではある。
現実問題として、大学病院に沢山人が流れるんだけど、例えば風邪で大学病院に大量の患者が来たらどうなるか。誰が考えても分かると思うし、もすこし適切な振り分けのシステムがあっても良いと思う。
前から気になっていたんだが、こういう人間ってどれくらいいるんだろうか。
同じようにこじらせた人も多いんじゃないかと気になった。
今年で30、来月には31だ。
独身、彼女いない歴=年齢。モテ期は幼稚園の時に1回あった(ような気がする)。
無職・・・ではない。一人暮らしでも今はなんとかメシは食えてる。
酒は飲むようになったが、他にこれといって金をつぎ込む趣味もなく、地味な生活。
遥か上空から細長い鉄の塊が飛んでくる。
1枚は槍に変え、1枚は宙に浮かせ、1枚は懐に仕舞う。
敵が降りてくる。けむくじゃらの悪魔。俺に向かって炎を吐く。
その間に俺は槍を手に取り、敵に向け
・・・と、青信号だ。俺は交差点の中央をにらみながら歩き出す。
概ねこんな感じ。
電車に乗ればライフルを取り出し、あるいは時々天使(女の子)を呼び出す。
パターンは少しずつ変わっているが、大体何かの影響だ。
時にはゲームのボスをそのまま登場させもする。オリジナリティも糞もない。
冷静に考えるまでもなく、この癖は弊害が大きい。
妄想の中ではヒーローだしヒロインもいるから、身だしなみも全然気を使わない。
独り言も最近増えた。そのうち素でブツブツ呪文唱えださないか心配だ。
今更治せるとは思えないが、このまま続くとも思わない。
同じようにこじらせた人はどれくらいいるんだろうか。
こじらせていた人はどう脱出したんだろうか。
別に、はてな民に相談したいと言うわけじゃないが、自分の頭を整理する為にメモ。
何回かデートして、キスも済ませて、ようやく僕のアパートでいい雰囲気でベッドインと言うところまでこぎ着けたところで、ズッコケた。
彼女とベッドの上で服を着たままイチャイチャスキンシップをしていると、彼女が急に真っ青な顔になってトイレに駆け込んだんだ。
吐いたと言えば、吐いたような感じだったが、胃液しか出てなかった。
なんとか、背中をさすったり、白湯をあげたりして、落ち着かせた。
どうも、彼女が言うには、僕とイチャイチャしている時に、昔のイヤな思い出がよみがえったらしいんだ。
といっても、僕は大したことをしてない。
彼女が『自分の性感帯はニブいかも』的なことを言ったので、それを否定して、
「きみって、じゅうぶん鋭いと思う……」
と言っただけなんだ。(それを言った瞬間は、彼女の身体を触っていなかった)
その言葉が、昔のイヤな思い出を思い起こすセリフだったらしい。
とはいえ、男関係の思い出ではなく、同性の友達に関わる話だと言うんだ。
不正確な部分もあるかも知れない。
(イヤな思い出なんだから、話し辛かったんだろう)
彼女が高校生のとき、二人の親友(仮にA子とB子としよう)と一緒に合計3人で、自殺を図ったらしい。
結局、A子と彼女は命が助かった(つまり自殺未遂に終わった)が、B子は自殺して、帰らぬ人となったらしい。
で、このB子の口癖が『わたしって、じゅうぶん鋭いと思う……』だったらしいんだ。
自殺未遂直後、彼女は入院していたため、B子の御葬式にも立ち会えなかったらしく、
それもあってB子の死を受け入れられてないのだろう。
ま、気持ちはわからないでもないが、生き残ったことで永遠に十字架を背負う必要は無いと思う。
それに、彼女が言うには、自殺するときに使った薬(毒薬みたいなもの)は、
B子がメディケアで自作して、他の二人に渡したらしいんだ。そんなヤツに負い目を感じる必要は無いよなあ。フツー。
そのトラウマを忘れさせてあげる為にも、もう一度セックスに持ち込もうと、
『わたしはあなたの手がしていることに耐えられない』
って捨て台詞を吐いて、キレながら僕のアパートから出て行っちゃったんだ。
確かに、一発抜いた今の僕なら、デリカシーに欠けてたことは分かるけど、その時はどうしても堪えられなかったんだ。
う〜〜ん。どうやって謝ればいいんだろう。。。
ただただやりきれない。
駅に届け出て警察と相談して飼い主さんの登場を待った。1ヶ月経ち2ヶ月経ち3ヶ月経ち、でも駅にも警察にも保健所に動物愛護センターにも
どこにも問い合わせはなかった。
石の育ち方から少なくとも1年以上は放置されていたものだろうとの事だった。
これ以上石が育って尿道を塞いでしまったら腎不全になる恐れがある。
血液検査の結果、体の炎症を示す値も高かった。
ただ獣医師によると推定年齢が8~10歳であるし、やせ細ってしまっているので今すぐ全身麻酔を行う手術を行うのは躊躇われるとの事だった。
あと10日間で所有権が私にうつる事もあって、手術の日にちは11日後とし、それまで体重増加と体力作り(といっても朝晩散歩に行くぐらいだけど…)
に努めることになった。
手術の日が来た。朝ごはんは抜き。
病院までちょっと遠回りして行った。散歩が好きな子だった。短い脚をちょこちょこ一生懸命動かして歩く子だった。
術後、5日間は入院になると事前に説明されていた。しばらくお散歩に行けないからね、と、でも体に負担をかけないように抱っこをして公園を一周した。
手術は3時間に及んだそうだ。子宮の酷い腫れも発見され、予定していなかったが急きょ子宮を取る手術も行ったとのこと。
手術が終わり、麻酔からも覚めることが出来た。夜、面会に行った。元気だった。
入院1日目。面会に行くと尻尾をブンブン振って出迎えてくれた。元気だった。
入院2日目。面会に行くと後ろ足で立ち上がって出迎えてくれた。抱っこをせがみ、点滴の管が外れるほど動き回っていた。
エリザベスカラーをしていた。獣医師に訊いたら、くるくる回ってカテーテルを体に巻きつけてしまうので防止にエリザベスカラーを付けたとのこと。
入院3日目。少し元気がなかった。抱っこをするとずっしりと重く感じ、お腹はパンパンに腫れていた。
入院4日目。元気がなかった。あんなにフッサフッサと揺れていた尻尾がたらん、と垂れ下がっている。
それでも名前を呼んでアイコンタクトを取ると少しだけ尻尾を持ち上げてくれた。お腹はパンパンだった。
元気のなさが気になったが、翌日退院できるということもあって10分ほどの面会の後帰宅をした。
その日の夜、病院から電話があった。突然悲鳴をあげて倒れ呼吸が止まっている、蘇生処置をしているからすぐに来てほしいとのこと。
病院について診察室に駆け込んだ。そこには四肢を投げ出して横たわり、心臓マッサージを受ける姿があった。
名前を呼んだ。とにかく呼んだ。本当の名前はなんだろう、この子は置き去りにされるまで何と呼ばれていたんだろう。
本当の名前で呼びかけていたらひょっとしたら戻って来たのかもしれない。わかんないけど。そんなことを1夜明けた今思っている。
先生が心臓マッサージの手を少し止めるととたんに心電図の数値が乱れる。
心臓を動かす薬は全て入れたそうだ。
お尻に手を当ててみた。少しずつ体が冷たくなっていくのがわかった。
これはもうダメなんだなと思った。
先生は「これ以上はもう…」と口にした。20分間の蘇生処置。戻ってこれなかった。死んでしまった。
元気になったら家でお迎えをするか里親さんを探すかは決めかねていた。
だから私は彼女のママにはならなかった。だけどママになってあげればよかった。
亡骸に「ママだよ、私がママだよ」と声をかけてあげても、もう遅い。
一緒に暮らした間、自分の犬同然にケアをし可愛がったけれど、もっと早くに自分が里親になるという決断をしていればよかった。
そうしたらちょっとは頼もしかったのかもしれない。医学的には根拠のない発想なのかもしれないけれど。
前の飼い主がもっと早くに結石に気づいていれば、服薬で治療出来ただろう。
前の飼い主が避妊手術をしていれば、子宮の病気にならなかっただろう。
そうすれば今回の手術は必要なかった。身体に負担をかけることもなかった。
歯もボロボロだった。涙やけもよだれやけも酷かった。日常的にケアをされていなかったのは一目瞭然だった。
帰ってくるはずの日に旅立ってしまった。
どうしてこんな小さな体の、ただひたすらに一生懸命に生きている子がこんな運命を辿らないといけないのか。
手術を決断しなければよかったのか?もうちょっと経ってからの方がよかったのか?でも膀胱の中にあんな大きな石を抱えたまま
過ごさせるのか?
どうすればよかったのか、わからない。ただ、もう何もしてあげられなかった後悔だけがつきまとう。
全てはこれからだった。退院したら。元気になったら。そしたら。
痛い思いも怖い思いもせずに、おいしいものをたらふく食べて遊び回れますように。
切に願う。
全国にこんな思いをしている子は何百匹いるんだろう。
★テレビ東京「カンブリア宮殿」は、躍進している企業のトップに出演してもらい、躍進の秘密を語ってもらう、というスタイルの経済番組。
カンブリア宮殿に出演する、というのは、企業にとっては「テレビ東京(=日経グループ)に躍進を認めてもらった」と言う点で名誉な半面、
★個人的には、「カンブリア宮殿の出演要請を断った企業」の方が興味ある。
「カンブリア宮殿の出演要請を断った企業」の方にこそ、「とっておきのビジネスモデル」が眠ってるハズ。
逆に言えば、番組で紹介されるビジネスモデルは、「別に公開しても惜しくない」ビジネスモデル
★ビジネスモデルを真似されるリスクがあるのに、2~3割の企業が出演を了承する理由を考える。
☆まず一つ目は「人材確保」。カンブリア宮殿に出た、となると、ベンチャーや中小企業だと人材を集めやすくなる
ベンチャーや中小企業は資金集めに苦労。カンブリア宮殿で銀行融資や新規上場しやすくなるメリット
社長が野心家の場合、自分を売り込みたいからカンブリア宮殿に出るケースも。
あわよくば「名経営者」として他からスカウトされたり、政治家転身しやすくなる。つまり「自らの売名の場」として利用。
(そういえば、マクドナルドの原田氏もカンブリアに出演して、その後ベネッセに行ったなあ)
☆でも、たまに「こういうビジネスモデルが広まって欲しい」という善意から出演するケースもある。
数ヶ月前に放送された、東大病院辞めて地域包括ケア作りに奔走してる医師などはそのケース
★ということで、
「ベンチャー企業や中小企業がカンブリアに出演する理由」は、なんとなく判る。
しかし旭硝子とかトヨタとかブリジストンのような大企業がカンブリア宮殿に出演する理由がわからない。
あるいは、テレビ東京、いや日経から、「この週、出演してくれる企業が見つからないので、出演してくれませんか?」と要請され、
お付き合いで出ているのか?
これはまあ、仕方ない。
けれど、正社員と同じ仕事内容と量を熟していて給料も福利厚生も差別化されてたら
そりゃ誰だって憤りたくなる。
でも、そういうのをツイートしたり批判すると、日本では正社員にならなかったツケだと
さも当たり前のように批判する輩が続出する。
だったら何で正社員にならないのか、あるいはなれないのか。
日本社会は終身雇用制度が崩壊したにも拘らず未だに新卒一括採用という風潮が無くならない。
欧米では、派遣社員に対して正社員と同等か、あるいはそのスキルが正社員よりも上と認められれば破格の条件が約束されていると聞く。
エンジニアが日本で育たないのも、もしかしなくても日本だからだと言い切れる。
日本だけが新卒以外ゴミクズだとして派遣を認めないので、ますます優秀な派遣は行き場を無くしていくし、
にも拘らず年々非正規雇用が拡大の一途を辿っているのだから矛盾している。
どう考えても日本という国には派遣は建前上必要として、本音は使い捨ての風潮が残ってしまっている。
その前にだ。ずっとこのままの姿勢でいたらまずいんじゃないか、って自分の体なんだから自覚できるはずだ。
こうしたら凝らないだろうっていう姿勢を業務の中でも選択できるはずだ。
デスクワークの話に限定されるのかもしれないが、肩こりになる人っていうのは自分の身体性にあまりに無自覚なのではないか。
私は1日16時間くらい仕事と遊びでパソコンに向かうけれども、無論肩こりにならない。
肩こりにならないよう、自分なりの体勢や手(というか肘)の置き方を、大学~大学院~社会人にかけて築いてきたからだ。
そして自分がどの程度どの体勢でいたら肩こりになるかも知っている。繁忙期は気をつける。
最近、増田で非モテだったけど、脱喪したみたいなエントリーが流行っているよね。
それを見るにつけて思うのは、女のブスは甘えだよなぁ、ってこと。
なぜ甘えか。女性の容姿は、後天的な努力でどうとてでも出来る部分が大きいからだ。
女性の容姿における良し・悪しはメイク技術が大半を担っている。たとえば、『【化粧詐欺】女の化粧凄すぎワロタwwwww http://girlsvip-matome.com/acv/1008800641.html』とかを見てもわかるように、メイクや髪型のセットでかなりの部分がどうにかなる。
たとえば、顔の輪郭が悪いなら、上手く顔の輪郭をカバーできるような髪型にすればいい。目が小さいなら、アイプチをして、つけまつげをつけ、アイラインを引けばいい。多少の毛穴なら、ファンデーションで隠せる。特に、目に関しては、ほとんど「お絵かき」に近いくらい化粧で描画可能だろう。顔面というキャンパスに、カワイイ顔を描いていけばいいのだ。人間の印象、特に女性の印象は、目元が大きく影響する。これを化粧でいじくれるのだから、女性の容姿は努力次第でかなりどうとでもなるといえる。
もちろん、努力でどうにもならないものもある。たとえば、身長だ。だけど、問題ない。日本には「スタイルがいい女性が好き」という人もいれば「可愛くて守ってあげたい子が好き」みたいな需要も存在するからだ。低身長に生まれても、高身長に生まれても、どちらにもそれなりにそれを好む異性がいる。
つまり、顔に関しては、作画技術を磨けばいいのだし、生まれ持ったスタイルについては、それを好む異性を狙えばいい。だから、女性の非モテというのは、かなり努力不足、甘えによるものが大きいんじゃないだろうか。
一方で、男性はどうだろうか。
まず、化粧ができない。髪型の自由度が低い。これで、生まれ持った顔面をカバーできる度合いがかなり低くなる。もちろん、髪型をそれなりオシャレに変えることもできるだろう、眉毛をセットしてキリッとした印象に変えることのできるだろう。でも、足りないんだ。女性がメイク次第でコイキングからギャラドスくらいには進化するけれど、男性はキャタピラーがトランセルになるくらいのもの。「わるあがき」をしてレベルをあげても、僕らはギャラドスにはなれないんだ。
また、身長に関してもそうだ。男性は生まれ持ったスタイルで、モテ度が決まってしまう。低身長が好きという女性はあまり見たことがない。かなりハンサムでも、身長が170cmないと、実際に見た時にはかなり見劣りする(V6の岡田君くらいかっこ良ければ別だけども)
パイオツに関して、貧乳には貧乳好きというジャンルがあるけれど、チンコに関して粗チンが好きって人はあまり見たことがない。イケメンでも、粗チンの人はそれなりにコンプレックスを持って生きてるんじゃないだろうか。
もちろん、男性にもできる努力はある。デブなら痩せるべきだし、ガリなら筋トレをするべきだ。銭湯に行くとき、僕は男性の体を観察してしまうんだけど、十分痩せているのに、腹筋は割れていなくて、お腹がポコンと出ている。このくらいは直すべきだろう。お腹がっぽっこりでているのは、姿勢が悪いのがひとつ。姿勢が悪いのは、姿勢を支える脊柱起立筋が弱いから。もうひとつの原因は、腹横筋(腹筋の深層にあり、腹圧を高める=お腹を引き締めている 筋肉)が未発達だから。これを改善するには、スナッチグリップのデッドリフトが良い。脊柱起立筋、腹筋、腹横筋、広背筋を同時に鍛えることができるスグレモノのエクササイズで、これをやっているだけで、整った姿勢と、広い背中、引き締まった腹筋が手に入る。これに加えて、チンニング、ディップス、スクワットでもやっておけば、十分すぎる。
あと、思うのは、みなジムでは一生懸命トレーニングするのだけれど、その熱意を台所に向けていない。体をつくるのは栄養だ。君が食らっているものが、血となり肉となる。ダンベルに向ける熱意を、献立にも向けなければならない。筋肉が育つのは、ストレス(ウェイトトレーニング)への適応現象で、ヘビーなウェイトで負荷をかすことで、体が「この重さに対応できるようにならねば」と復讐を誓い、筋肉を育てようとする。だけど、あくまで筋トレとは「筋肉をつくらなければダメだぞ」という合図でしかない。設計図だけで、ビルはできない。材料が必要だ。均整のとれた体は、それをつくりあげる栄養素がなければ生まれない。たとえば、タンパク質。筋肉を育てるには、だいたい除脂肪体重×2.5〜3.3g程度のタンパク質をとる必要がある(腎臓に負担がかかると心配する人もいるかもしれないが、健康な人は大量のタンパク質をとっても問題ないと、FDAも厚労省もいっている)実験によって、タンパク質を2〜3時間おきにとるのがベストと示されている。タンパク質を1日に6〜8回に小分けにして、体重×2.5gとろう。(職場でプロテインを飲みにくいという人は、水筒に入れておけば、バレにくい。まぁ、1日3食でも、量さえ確保すれば、それなりの効果はあるから無理をする必要はない。)これで3ヶ月くらいトレーニングをすれば、君の体は見違えるほど変わってくるはずだ。
もっと結果を求めるなら、炭水化物にも気を配ろう。炭水化物を摂取した時に分泌されるインスリンは、最強のアナボリックホルモンだ。(テストステロンよりもはるかに強い)インスリンは、体の中にある栄養素を筋肉に届ける。その結果、筋肉が成長する。先ほど、筋肉が育つ過程を建築にたとえたけど、インスリンは現場に資材を運ぶトラックのようなもので、トラックが資材を運ばなければ建築(筋合成)なんてしようがない。炭水化物を、若い人なら体重×4g、オッサンでも3.5gはとりたいところだ。
だからといって、白米を食べればいいわけでもない。白米のような吸収されやすい炭水化物(高GI)は、すぐに血糖値をあげてしまう。いきなり高くなった血糖値に反応して、インスリンが大量に分泌され、血糖値を一気に下げる。すると、低血糖の状態になりやすくなるんだ。十分な栄養が行き渡っている(適性な血糖値に保たれている)時間が少なくなってしまう。これを防ぐには、低GIの炭水化物をとること。たとえば、オートミール、たとえばパスタ、たとえば玄米。食物繊維と一緒に取ると更によい。こういった食品はゆっくり吸収される。だから、長い時間にわたって、筋肉に十分な栄養が行き渡っている状態が続く。結果、筋トレの効率が飛躍的に高まるんだ。吸収の早い炭水化物(ブドウ糖、白米等)は、トレーニング中、トレーニング後、朝などのインスリン感受性が高い時にとるようにしよう。
筋トレをはじめたけれど、いまいち結果がでなくて、やめてしまったという男性はかなりいるだろう。男の子なら、誰でも一度は、ブルース・リーを夢見て、自宅のリビングで腕立て伏せをしてみる。でも、頑張って続けても、たいして体に変化が現れずにやめてしまう。俺には向いていないってね。だけど、献立を変えれば、体が変わる。週3回ジムに行き、献立に気を配りさえすれば、3ヶ月もしないうちに目でわかる結果が出てくるはずなんだ。だから、それまで頑張って欲しい。
まぁ、そのくらいの努力はするべきだろう。とはいっても、マッチョになったからといって、女性にモテるわけではないけれど…むしろ、腹筋を見せる(裸になっている、あるいは水着で海に行く)のフェーズまで持ち込めるなら、それはもう十分モテているんじゃないかと思うよ。マッチョになってもモテない、持てるようになるのはバーベルだけだ。だけど、バーベルを持ち上げることが自信につながる。それはきっといいことのはずだよ。
最後に、どんなにいい男でも、少しずつ魅力を蝕んでいくハゲについて触れなければならない。切れ長の、深い瞳をして、鼻筋は通り、身長は高く、筋骨隆々だとしても、禿げ上がっていると「ハゲた人」になってしまう。女性や一部の男性の中には、ハゲは努力不足(頭皮ケア・栄養不足)と勘違いしている人がいるけど、それは違う。ハゲは遺伝だ。遺伝なんだ。遺伝なんだよ。
DHT(ジヒドテストステロン)というホルモンが、頭皮にあるアンドロゲンレセプターと結びつくと、皮脂を大量に分泌することになる。その結果、頭皮の育毛サイクルが乱れ、ハゲが進行する。頭皮にあるアンドロゲンレセプターの数は、遺伝により決まっている。頭皮にアンドロゲンレセプターが少ない人は、たとえシャンプーを全くしなかったとしてもハゲない。(たとえば、作家の五木寛之はシャンプーがキライで、一ヶ月ん一回くらいしかシャンプーをしなかったが、フサフサだったというのは有名な話)DHTが頭皮のレセプターと結びつくのは、ある薬を飲めばブロックできるけれど、薬事法に触れるので、ここでは取り上げない。
でも、多くの男性は、そういうことも知らずに、せっせと亜鉛のサプリを飲み、スカルプDに無駄な金を払い、戦争で焼けた大地を慈しみ育むように懸命に頭皮マッサージをしているけれど、その結果、「まだ頭皮が消耗しているの?」とばかりに、どんどんと禿げ上がっていくんだ。これを「努力不足」と叩くのは可愛そうだよ。ちなみに、自分がハゲの遺伝子を持っているかどうかは、DNA検査で簡単に調べることができるから、気になっている人は調べてみるといいかもしれない。
書いているうちに、ブスとかそういうのはどうでも良くなってきました。男性でも女性でも、与えられたカードの中で最大限努力する人は素敵だと思うし、それを馬鹿にする人にはなりたくないものですね
子どもが「これが好き!」「これになりたい!」って言うと飛びついて、体壊すまで無理させる大人が多すぎ。
「頑張ってない自分に価値はないと思わないで!」とか、それ、早く言えよ。どうせ、子どもが誤解してるって気づいてたんだろ?きづいてたのに無視してた。その方が都合がいいから。
言外でメッセージ発しといて、「そんな言葉をかけた事実はない」って開き直る。これだよ。頑張る子どもの持つ不満感。
頑張らない子どもはいつまでも子どもで、傷つかないように苦しまないようにケアしてもらえる。
頑張る子どもは大人扱いされて、ギブアンドテイクみたいなものを求められる。
世のお父さんには、がんばった自分を癒す家庭が待ってるが、子どもにはそれがない。学校でがんばって、家でも頑張らなきゃいけない。
もう嫌だ。こんなに苦しまなきゃいけないなら死んでやる。
以下、私のスペックです。
・約10年くらい前に、いわゆる「リラクゼーション」と呼ばれる種類のお店に勤め始めた。
↓
・それから、チェーン店内を配置換えしながらも、約7,8年勤めた。
ちなみに私は「“お店の中”では劣等生」でした。
↓
・色んな事情があり(体力的な問題と、後は「女集団の諍いからくる争いから逃げた」のですはい)
約2年前にお店を辞めた。
↓
・それから半年くらい、整体の学校に通った。
↓
・卒業した後、約1年前に個人店を開業。
↓
・お店がもう少しで軌道に乗るか乗らないかというところで、現在かなり四苦八苦中。
以上、経歴。
スペックは、
ども、ブクマでは散々突っ込みかましてる本業個人店経営チャレンジなう(死語)な、整体師のオバサンです。
なんだか、
乳幼児の頚椎カイロの死亡事故
首ひねる独自マッサージ後乳児死亡 NPO代表任意聴取:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9631WYG96PTIL003.html
から、
国家資格(あはき法免許)取得者による整体師やリラクゼーションのお店への批判論
なぜ整体やカイロ、無免許マッサージは放置されているか。 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/716729
へと発展していったのを見て、
なんだかいろいろ考えてたことぶちまけたいなー、
と思ったので、
今までこの「リラクゼーション」と「整体」に身を置いてきた私から見た、いろいろなよしなし事を、まとめてみたいと思います。
とはいっても、反論とか言うんじゃなくて、自分が今まで知ってきた事見てきた事聞いてきた事感じてきた事をつらつらとまとめてみたものです。
あくまで参考に、という感じでとらえて頂けたらなぁ、と思います。
いやぁ書いてるうちにめっちゃ長文になってもた。ごめんなさい。
http://www.justsystems.com/jp/products/atok_ios/
昔は開発スタッフなんて表に出てこなかったんだ
製品の善し悪しに関係なく、作れば何となく開発者凄いみたいな雰囲気になってる。
市場に出回った製品で不具合が出たとしても、修正版を出せばよい。
修正できなくてもtwitterでごめんなさい、開発者も頑張っているんです。とのたまう
そんな文化はネトゲのユーザくらいしか持ち合わせてなかったんだ
今はほとんど全ての製品がDLC化し、いつでも取り替えが効くようになったし、
そのぶん、開発者との距離が近くなった。
距離がちかくなったぶん、開発サイドが世間に対して甘えだした。
そのていたらくの結果が糞アプリの氾濫。
よく犬を拾う。
拾った時は飼い主さんが探していないかその場所で1~2時間一緒に待ち、結局飼い主らしき人が見つからなかったら、
動物愛護センターに保護している旨の電話連絡をして、保健所にも同様の連絡をして、最寄の交番に届け出る。
交番で会計課の人に犬の写真を撮ってもらったら、保護する旨を了承してもらいそのまま動物病院へ。
動物病院ではマイクロチップが入っているかいないかの確認と、体重や推定年齢・健康状態を診てもらう。
マイクロチップが入っていればAIPOに照会するんだけど、今まで拾った犬でマイクロチップが入っていた子は一匹しかいない。
健康状態に問題がなければ取り敢えずノミダニ予防を行って、自宅に連れ帰る。
そして体重や推定年齢など獣医師から聞いたヒントになりそうな情報を伝えるために、動物愛護センターと保健所に再度電話連絡。
以前それらを伝えたところ「あ、そういう情報はいらないんで」と言われ、「でも飼い主さん照会のときのヒントになりませんか?」
と提案したんだけど、「書く項目がないんで、いいです」と言われてしまったため。
で、あとは飼い主さんが見つかるまで保護し続ける。
脱走などの「迷い犬」は大体1週間以内に飼い主さんから行政に照会があってお家が見つかり解決するんだけど、中には「捨て犬」もいて
そういう子は当然1週間経っても2週間経っても何の連絡もない。
1週間経って行政に照会が入っていない場合は、もしかして捨てられた?という嫌な予感を抱えつつ、探し方を知らない飼い主さんも
いるから…という動物愛護センターの方の言葉を励みにこちから飼い主さんを探す。
保護場所近隣の動物病院やグルーミングサロンへの照会と「犬保護してます」的な貼り紙の掲載依頼や犬の散歩をしている方への聞き込みを行う。
併せてSNSで犬を誤って逃がしてしまった人がいないか、探している人がいないかチェックする。
1ヶ月経って飼い主さんが見つからないときは、もう捨て犬色が濃厚になる。
だけど、迷い犬・捨て犬は落し物扱いであるから、3ヶ月経たないと所有権が私にうつらない。だからどう考えても捨て犬だろ、と思っても
1ヶ月の時点では里親を探すことは出来ない。(これは以前警察から指導されたこと)
だから3ヶ月間自宅で保護を続ける。私自身も犬を飼っているけれど、うちの犬はいっときのメンバー増加・卒業に慣れっこのようだ。
遊び好きの子には積極的にかまいに行き、緊張している子やちょっと人間不信の気が見られる子にはそっと寄り添う。犬同士のコミュニケーション能力すごい。
3ヶ月経ちついに飼い主が現れなかった時は捨て犬認定をして、動物病院で健康診断を受診後、里親を探す。
これまでに知人への打診はし尽してしまったので近隣動物病院への貼り紙とインターネット上での募集を行う。
ボロボロの状態で何日もさ迷っていた子、段ボールに入れられて公衆トイレに捨てられた子、足が3本しかない子、耳が聞こえない子、人間不信の子、基本は懐っこいけど人の手を異常に怖がる子、
クレートに入れられた状態で置き去りにされていた子(ちなみにこの子は火傷をしていて、クレートの中と回りにはロケット花火のカスがあった)など、特徴や詳細をちゃんと書いて募集する。
もちろん保護している3ヶ月の間に出来るだけのケアはしているけれど、肉体的ハンデはどうにもならないし、根深い心の傷は多少改善しましたぐらいに持っていけるのがやっとで、里親になった
方には相当の苦労があるだろうから。最初から情報開示して、それでもお迎え頂ける方を探す。
でも顔の可愛い子には多数の応募がある。むしろ健康で人懐っこいけど不器量な子にはほとんど応募がなかったり時間がかかったりする。
この間、小型犬でとても器量のいい子の里親を募集するに至った。小さくて美人さんだけれど心に傷を持つ子で結構な人間不信。私には大分懐いてくれたけど、散歩中など他人に目を
その子は色んな人のご協力で元の飼い主さんを探し当てることが出来たのだけれど、ずいぶんと犬の尊厳を無視した飼育環境だったようだ。度の行き過ぎた躾と称した暴力もあったみたい。
元の飼い主さんは飼育放棄を表明したのでそのまま私が保護をした。
不憫な目に遭ってきた可哀そうな小さな犬。里親に応募して下さった方はみなさんは言う。
「不憫でどうしても放っておけない」「愛情を知らずに育った子を包んであげたい」「行き場のない犬を引き取りたい」「可哀そうな犬を一匹でも救いたい」
複雑な子でもご理解を頂けて、とてもありがたい事だと思う。皆さん懐が深くて優しいなあと思う。
でも本当に行き場のない子は10歳以上のハイシニアだったり、たくさんの治療費がかかる病気を患っている子だったり、不器量な子なんだよね。特に最後。
かわいければそれだけで引く手数多。
トイレの成功率も高く、健康で人犬問わず誰にでもフレンドリーでも不器量な子は選んでもらえない。
動物愛護に関心があるんです可哀そうな子を幸せにしてあげたいんです、としきりにおっしゃる方に、保護して里親が決まらないまま1年が経った子もいますよ、と写真を見せると
一瞬引くんだよね。それでやんわりと拒否の姿勢を示してくる。そして私はそれにちょっと傷つく。可哀そうな子を幸せにしてあげたい…ってなんなんだろうなあと思う。
どんな犬でも里親さんが見つからなかった場合は家でお迎えすることも覚悟して保護をしているので、仮に里親さんが見つからなくても動物愛護センターに連れていったりはしないんだけど、
家にも面倒を見れる限界というものがあるので、出来れば多額の治療費が必要な重い病気を患っている子や、12、3歳以上の高齢犬をお迎えしたいと思う。
病気を持っている子や高齢の子は「普通の子」に比べて時間も手間もお金もかかるので、里親さんが決まりにくいし、環境の変化に耐えうるだけの体力がなかったりする子もいるので。
だから健康で十分家庭犬としてやっていける素質のある子は積極的に里親さんを探すのだけれど、顔のかわいい子は難しい心を持っていても、多少高齢でもたくさん応募がある。
だけど、不器量な子にはほとんどお話しはこない。とてもいい子なのに。
「誰かの大切な犬」なれない子。ただ不器量に生まれたばっかりに。