2014年10月24日の日記

2014-10-24

一昔前にメイドメイドって楽しんでた人間は今何してんだろうな

多分艦これやってると思う

10年後も10年後なみのそれっぽいことをやっているのだろう

めも

負け犬が得る物はあっても 負け犬から得る物はない

死ぬ事が自由で、好きに命を断てるなら、あるいは

救われる人もいるのだろうか

生きていることの理由づけは、究極的には「今生きているから」以外にはありえない

人間は、自分が生きている意義をを理屈から規定する事が出来ない

今生きているから生き続けるに過ぎない

それだけのこと

とあるイケメン俳優と私

テニミュきっかけに舞台をあれこれ観るようになった私は、数年前にひょんなことからテニミュキャスト以外の若手イケメン俳優を好きになりました。

彼は年が若い割に実力のある子でしたが、それほど舞台には出演せず人気もイマイチでした。

それでも私にとって彼は充分魅力的でした。2.5次元と言うフィルターを通さなくても彼自身が魅力的でした。

惚れ込んでしまってからは、せっせと花や手紙プレゼントを贈りました。

ツイッターブログにもリプやコメントを送り、握手会等のイベントで何度か話をするうちに顔も覚えてもらいました。

そんな彼も最近は割とメジャー作品に出演するようになり、周りにわざわざ勧めなくても「あの子いいよね」と言ってもらえるようになりつつあります

そうなってくると、自分古参ファンとして悪目立ちしていないだろうか、と逆に気になり出しました。

ツイッター等で新規ファンを取り込みつつ輪を広げていく人も世の中にはいると思いますが、私はそういうの向いてないですし。

そうしてしばらく悩んだ結果、別にネット上で周りに自分のことを誇示しなくてもいい、今まで頑張った結果ちゃんと彼にも覚えてもらえてるんだからそれで充分、という結論に達しました。

感想自分の思いは手紙に書けば伝えられるので。

というわけで、舞台には引き続き通っていますネット上の私は姿を消しました。

彼がツイッターでたまにやる「質問にリプします」タイムに即行質問する必死さもなくなって気が楽になりました。

さらに、今まではイベントで彼に会う度ドキドキしてハイテンションになっていたのですが、そういった緊張感もなくなりすっかり普通に話せるようになりました。

前ほど積極的に花やプレゼントも贈らなくなりましたが、このほうが長く好きでいられそうだと思っています

三人以上の会話が出来ない風土病

最近ようやく自分は三人以上の会話が出来ない風土病である事に気付いた

Aさんと自分が一緒に歩いてる

自分の知り合いのBさんと出会

AさんとBさんは初対面、自分が二人にそれぞれを紹介

盛り上がるAさんとBさん、自分蚊帳の外←今ここ

いっつもこんな感じだよ…

二人だけなら何とかなるが三人以上になると必ず余る

http://anond.hatelabo.jp/20141023210236

自然すぎ。ワロタ。こんなクセの強い関西弁関西人でも言わんわ。

以下に、訂正してみる。

_______________________________¥

どうでもええ事やねんけど~。

3か月前から仕事てへんねん。

からは、「おまえ、仕事せんと、いてまうどー」

って言われてるんやけど~、

ちゃうちゃう仕事てへんのは、自分勉強中やからやねん。」

って返したったで。

ほんま、東京で暮らすっちゅーのは楽とちゃうんやで~~。

___________________________

うん。自然になった。

職場でも、サークルでも、各種飲み会でもなんでもそうなんですが、どうも私は浮いてしまうことが殆どです。私は20代の男性ですが、同姓のみの場合でもよくあるのです。

話相手と1対1なら、まあ向こうも話せるのが私しかいないわけですから、一応会話になるのです。(沈黙も嫌だし、ひまつぶしや気を紛らわす意味しょうがなく話相手になってくれてるのかも知れません。)

ところが、3人になると、話は他の2人で盛り上がり、私はしょうがなく聞いて笑っているか、せいぜいあいづちを打つ程度の参加になってしまます。もちろん、少しは私に話を振ってくれたりするときもありますが。

ましてや、大勢での飲み会なんて辛い限りです。自分が話しに入れない時間が多過ぎます

ですが、初対面の人に話かけるのはむしろ得意な方かも知れません。最初話題の中心にいたとしても、徐々に私と話すより他の人と話す方が面白いことに気付いたのでしょうか。

同じような悩みを持ってる方いますよね?

浮きかねない状況の時、どのように対処していますか?ただ耐えるだけか話せる出番を待つのでしょうか。それとも、飲み会等は避けるのが無難でしょうか。

反対に、自分が浮くことはなくても浮いてる人を見るケースありますよね。

そのような人を見てどう思いますか?なかには優しい人がいて話しに入れるように話題を振ってくださる方もいらっしゃるようですが、大抵の方は無理して私のようなつまらない人間と話すより自分が話して楽しい人と話しますよね?

http://anond.hatelabo.jp/20141024031425


休憩が必要場合もあるし、で、しばらくしたら元気になる場合もある。

また、今までモチベーションにしていた目的に対して、

より質の高いモチベーションを見出さないといけない時に来ているのかもしれないね

ただ、これまで抱いていた目的は、それは捨てなくても良いんだけね。

暗くても口角が下がっていても、容姿がそれなりならば周りはガンガン話し掛けてきます

職場にも、常に話し掛ける側の人を見ています他人事ながら見ていて心が痛くなります。その人に誰も話し掛けません、常にその人は話しかける側です。結局のところ男性のみならず女性も、明るいブスよりも暗い美人が好きなんでよね。

私も頑張って他人積極的に話し掛けた事はあったけれど誰も話し掛けてはくれないので無駄努力はやめる事にしました。自分から話し掛けたり笑顔でうなずいたりしても、自分を安売りするだけで相手から却って軽く見られます

黙っていても人が寄ってくるのは美人だけです。そしてブスが自分から声をかけても痛々しいだけです。ブスに生まれた以上はおとなしくぼっちライフを満喫するのが一番傷付かない方法だと悟りました。

http://anond.hatelabo.jp/20141024205027

東京人口が多い故に鉄道会社がいくつも成立して、私自身その恩恵を被っているけど、

万が一の話を言い出したら、人が多い分それだけ通り魔スリに遭う可能性も高くなるわけだからね。

地下鉄サリン事件みたいなことも実際に起きてるし。

だってリスクとリターンを天秤にかけて生きてる。

リスクだけ気にして生きるのはつまらない人生だと思うね。

私は電車を使うし車も運転する。趣味登山もする。自分人生を豊かにするから

http://anond.hatelabo.jp/20141024205027

免許を取得=自動車日常的に交通手段として使う」ではないでしょう。

アクセルを踏むだけで大量殺人が行えるポテンシャルを持った鉄の塊を使うか使わないかという選択肢が生まれるだけで。

免許がなければその選択肢すらないこんな世の中じゃポ・・

プログラマーは、大変に、権力を欲しがっている人は多いけれど、

リスクを取る事も、忍耐することも、支える事も心にないようなメンタルで、ハッキリ言って成れるわけがない、と思う。

好きな事だけをしていたいし、技術以外の泥臭い他の仕事は無いがしろにするし、

ただ、自分自由にしたいという理由権力を欲しがっているだけでは、一生、無理だと思う。

つらいのは皆同じであるし、他の業種でも我慢して働いている、という人の気持ちが分からない。

自分たちが実は他の人よりも優遇されているのも理解してない。

無駄ものを作らせて、と怒るプログラマはいるが、給料があるだけマシとは考えもしないし、

10年間、無給でも、激務に耐えられるメンタルでもないから経営者には向かない。

まあ、もちろん、経営者でも支えることを考えない、ろくでもない人間はいるんだけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20141024220031

3年前に結婚しましたが、自分虐待されて育った(一時期、施設保護された)ので、

同じことを子供にもする可能性がないと言い切れないため、子供は産まないと決めている女です。

人生終わりそう

今月家賃の滞納があると家を追い出される

今月税金を払っていないと銀行差し押さえられる

共に払えない

銀行差し押さえられると(自分事業自営業で仕入れも出来ずに)売上がたたない

もう終わりだ

誰か俺を殺してくれないかな

http://anond.hatelabo.jp/20141024212344

なんだかもっともらしい理屈に見えるけど、こういう事言ってる人って自分は未婚だったり既婚でも子無しだったりするケースが多い。なぜなのか。元増田はどっちなのだろう?

同僚にアメリカ人(男。アニヲタ)がいるんだけど

英検一級TOEIC990越え留学経験ありの英語ペラペラなお局は無視されてて

英検四級片言喋りの若くて可愛い子にばっかり話し掛けてる

彼女の方も満更ではなさそうでいずれは国際結婚に至るかもしれん

英会話って英語力よりコミュ力より結局顔だよな…と思った

http://anond.hatelabo.jp/20141024183749

実は、劣等生ってなろうで連載してた頃は、はてなでは結構好意的な反応が多かったんだよね。

例:

http://b.hatena.ne.jp/entry/ncode.syosetu.com/n2569f/

http://d.hatena.ne.jp/pushol_imas/20101007/1286449396

それなのにアニメが始まってみると、(2chはともかく)はてなでも否定意見ばかりだったのは正直驚いた。

実際のところアニメBD/DVDはかなり(春アニメで五本の指に入るくらい)売れてるし、

アンチがつきやす作品だというだけで、ファンが少ないわけでは決してないと思うよ。

寄生獣元ネタマンガ

久しぶりに寄生獣読むと、いろいろ思い当たった。

田宮玲子の最後GANTZちびっこ星人の最後にそっくりだし、ミギ―が腕伸ばしてトラックに乗るとことかはワンピースルフィだし。

他にもいろいろあるんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20141024205027

大都市に住んでるなら免許いらないね

たまに免許ナイトは入れない会社とかあるけど、

そういう時と身分証にしか使ったことがない。

http://anond.hatelabo.jp/20141024174540

甘ったれた考えで、人間一人産んで育てようなんて考えるなってことですよ。

それなりの覚悟をして産めってこと。

屋上の先っちょまで追い込んで背中押しさんばかり?

この元増田、こんなとこで「母親退職願」なんてタイトルつけてポエティックなこと書けてるんだから、屋上までもあがってないでしょ。

甘ったれてるだけだよ。

子供子供産んで、自分の思い通りにならないからってイライラして虐待してるだけじゃん。

幼い子供は、圧倒的に「親」、とりわけ「母親」という生き物を絶対的存在としてみてるんだよ。

から、5歳児とかでも、外に助けを求めず餓死したるする子供がいるんでしょ。

母親の言いつけを守って、家の中で待ち続けてるからだよ。そのくらい、母親は「絶対」なんだよ。

その「母親」が大人になりきれてないから子供被害がいってるんでしょ。

なんでこんな馬鹿を甘やかしてるのかさっぱりわけわからない。

夫までもがクソ夫なのは不幸かもね。

でも、そんな男を選んでそんな男の子供を産んだのも、元増田本人だからね。

元増田ブコメとかのアドバイスに従って、旦那仕事休みの日に置手紙して羽を伸ばしに出かけて、帰ってみたら子供が瀕死でした、とかならないといいなと思うよ。

本気で元増田が鬱ってるなら、自分の親に頼ってみるなり、児童相談所系のところに頼ってみるなりすればいいよ。

何らかの助言はもらえるだろうし、ほんとに追い詰められてると判断されれば、しかるべき措置子供をいったん養護施設的なところで保護する、とか)がとられるだろうし。

免許って、とらなくても良くない?

今、AT免許を取るために教習所に通ってる。

もともと自分は乗り気ではなかったんだけど(車だけに)、親がうるさかったので仕方なく取ることにした。

でもさ、正直乗りたくないんだよね、車。

だってさ、自分がいつ事故加害者になるか分かったもんじゃないじゃん。




ちょっと前にもこんな事故があったでしょ。

交差点で仰向けの恰好でスケボーに乗ってた6歳男児、車にひかれ死亡

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1812970.html

こんなのさ、はっきりいって無理ゲーじゃん。

自分はこんな事故起こさないって自信を持って言える人、いないでしょ。


そりゃ確かに、上の例では運転手の責任は法的には問われないだろうよ。

でも問題はそこじゃない。事情はともかくとしても、人を一人殺したことに変わりはないんだから

寝る前に、轢いた時の音とか、ハンドルの感触とか、異変に気付いて車から飛び出た時に目に入った子供の無残な姿とか、蘇ってくるんだろうね。

そんな記憶背負いながら、人生送りたい?俺はごめんだね。




「さっきから車のデメリットばっか強調しやがる。車は人殺しマシーンである以前に交通手段なんだぞ?

たった一件の事故について知っただけでこんなセンチメンタルになりやがって。主語デカさだけは一丁前の増田だな。」だって

そりゃそうだね。何事もメリット/デメリット比較して考えるべきだ。

ところで、俺は東京に住んでるんだよね。だいたい行きたいところには電車バスで行けるんだよ。

今度オリンピックもあるらしいね。知ってた?

ごめん、話をそらすつもりはなかったんだ。

でも、東京暮らしてて「車欲しいなぁ」って思うこと、ほとんどないんだよ。

オリンピックが来たらさ、公共交通機関もっと充実するじゃん?

そしたらもっと車も要らなくなる。

車を使いたくなるのってどういう時なのか、よく分からないんだよ。

それでも一応、エントリに起こすためにちょっとは真面目に考えてみた。

車があると便利なタイミング

仕事で使うとき

俺、車を使うような仕事に就くつもりないんだよね。

仕事で車使うのって、トラックタクシーの運ちゃん以外だと、会社の営業とか広報とかくらいなんじゃないの?

よく知らないけど。

子供をどこかへ送り迎えするとき

俺、結婚できるのかなぁ。

つーわけで、俺の人生と車、特に縁がなさそうなんだよ。




しかもだよ。上で「メリット/デメリット比較してみよう」とか言ったけどさ。

「人を轢く」っていうリスク定量的評価するの、意味があると思う?

車を運転してて実際に人を轢く可能性は、確かにそこまで高くはない。

じゃあ人を実際に轢いた時の損害を算出してみようという段になって、君はその損害を数値化できる?

「車が壊れたから買い替えウン千万。あと慰謝料ウン百万」とかそういうことじゃなくて、精神的な苦痛の話だよ。

例えば彼女にフラれたとき苦痛を100として、人を轢き殺した時の苦痛はいくつだって即答できる?

俺にはできない。強いて言えば「∞に発散する」って答えると思うよ。

自動車を運転するの、どうよ?」っていう命題は、最悪の事態が発生したときの損害が大きすぎて、メリット/デメリット比較検討する意味がないと思わない?

どこかの原発でも、「確かにでかい津波来たらやべぇけどさ、そんなのありえなくね?マジこれほとんどノーチャンっしょ」っていう意思決定があったらしいね。あれと一緒。

おまけに、この「最悪の事態」は日本のどこかで日々起きてるんだよ。

車の運転に対する君の感情が、今のところポジティブものだったとしても、それは単に「運が良かった」だけでしょ?



こんなんだったら俺、免許とらなくても良くない?




勘違いしてほしくないんだけど、俺は車廃止論者ではないよ。

宅配とか送迎とかのために、車は使われ続けるだろうさ。

でも、狭い住宅街のただ中を車がビュンビュン走るっていうのは、ちょっと時代的過ぎると思わない?

今や駅にもホームドアが付いてるんだよ。自殺しようとでも思わない限りはそう簡単には電車に轢かれないよ。

じゃあ、君の家の前の道路はどう?歩道はある?ガードレールは?

高速道路とか幹線道路とかはそのまま残り続けてもいいよ。

でも、歩行者自動車の間を隔てるのが白線一本だなんて道路は、なくなった方が世のためだと思う。




実際に車を今バリバリ運転してる人は、ここに書いたようなこと、どうやって折り合いを付けたの?

明日、もし俺/私が人を轢き殺したら」って、考えたことない?



追記

勢いでバーっと書いたエントリから、少しミスリーディングになってしまった。

「都会暮らしの人には車は基本必要ないし、それ故に免許を取る必要性も俺はほとんど感じないけど、みんなはどう思う?」

って聞いてみたかっただけです。

家族や友人と話をする中で、「車の免許」というものに対する温度差を感じたので。

色々とグダグダ言いましたが、免許は取ります。もう金も払ったし通い始めちゃってるからそこは仕方ないね

車に対する自分見方が偏ったものなのか、はてな村民をバロメータ確認してみたかったので、レスポンスがもらえればまあそれでいいやと。

しかし、企業労働力雇用交通機関資金が、一極集中し過ぎている東京都のような

都会だけではなく、

「車が無ければマジで生活が出来ない」地域に産まれ育った人々のことも考えてみて欲しいのです。

もちろん、私の議論交通手段の発達した都会でしか成立しないのは重々承知の上です。

「都会においては、」歩行者を守れるもの白線一本しかないような危険道路はなくしてくれ、とでもすべきでしたね。




免許を取得=自動車日常的に交通手段として使う」ではないでしょう。

もっともです。

結論免許取得の有無になってしまったのは、単に私が「教習所めんどくせえ」と念じながらエントリを書き上げたからであって、

免許かい制度、この世からなくなれ」などと言うつもりはありません。




東京人口が多い故に鉄道会社がいくつも成立して、私自身その恩恵を被っているけど、

万が一の話を言い出したら、人が多い分それだけ通り魔スリに遭う可能性も高くなるわけだからね。


リスクなんてそこらじゅうにある、というのはその通りなのですが、

車の運転に関して言えば「都会住みならリスクへの対策が容易(運転を控えれば良いだけ)」かつ「『万が一』の事態が起きる可能性が比較的高い」ため、

特に気を払う意味があると感じます




通り魔に遭いたくなければ外出を控えなければならないし、スリに遭いたくなければ金品を持ち歩いてはいけない。

どちらもたいへん非現実的です。だから、実際に金品を持って外出する人は通り魔スリに遭う可能性についてはいわば妥協しているわけです。

ただ、都心の発達した交通網のおかげで「車を運転しない」という選択肢比較現実的であると私は思います



おまけに、種種の犯罪に巻き込まれ確率に比べて自動車による死亡事故を起こす確率はかなり高い。

例えば警察庁データ(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h24hanzaizyousei.pdf)を紐解いてみると、毎年事件に巻き込まれて亡くなる方の人数はおおむね500人前後

通り魔かいった「突然、偶発的に巻き込まれる恐れのある事件」のみならず、

怨恨殺人とか、金品狙いの強盗殺人とか、そういうものも含めてこの人数です。

それに比べて自動車事故による死亡者の人数は、2013年で4373人。(http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikokoutsu)

刑事事件に巻き込まれて亡くなる人数の約八倍です。

ニュース殺人事件報道がなされ、死亡者名前が一人読み上げられる裏で、

八名の方が自動車事故で亡くなっているわけです。

「そもそも、4373という数字自体が小さいではないか」と思われるかもしれませんが、

それでは、あなたの知り合いの中で、過去刑事事件もしくは自動車事故に巻き込まれて亡くなられた方はいませんか?

私にはいます。親戚が刑事事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。

そんな私にとっては、この数字他人事とは感じられません。

おまけに、車に乗らなければこのリスクは避けられる。

だったら、乗らない方が身のためだと思いません?

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

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