はてなキーワード: ケアとは
よく犬を拾う。
拾った時は飼い主さんが探していないかその場所で1~2時間一緒に待ち、結局飼い主らしき人が見つからなかったら、
動物愛護センターに保護している旨の電話連絡をして、保健所にも同様の連絡をして、最寄の交番に届け出る。
交番で会計課の人に犬の写真を撮ってもらったら、保護する旨を了承してもらいそのまま動物病院へ。
動物病院ではマイクロチップが入っているかいないかの確認と、体重や推定年齢・健康状態を診てもらう。
マイクロチップが入っていればAIPOに照会するんだけど、今まで拾った犬でマイクロチップが入っていた子は一匹しかいない。
健康状態に問題がなければ取り敢えずノミダニ予防を行って、自宅に連れ帰る。
そして体重や推定年齢など獣医師から聞いたヒントになりそうな情報を伝えるために、動物愛護センターと保健所に再度電話連絡。
以前それらを伝えたところ「あ、そういう情報はいらないんで」と言われ、「でも飼い主さん照会のときのヒントになりませんか?」
と提案したんだけど、「書く項目がないんで、いいです」と言われてしまったため。
で、あとは飼い主さんが見つかるまで保護し続ける。
脱走などの「迷い犬」は大体1週間以内に飼い主さんから行政に照会があってお家が見つかり解決するんだけど、中には「捨て犬」もいて
そういう子は当然1週間経っても2週間経っても何の連絡もない。
1週間経って行政に照会が入っていない場合は、もしかして捨てられた?という嫌な予感を抱えつつ、探し方を知らない飼い主さんも
いるから…という動物愛護センターの方の言葉を励みにこちから飼い主さんを探す。
保護場所近隣の動物病院やグルーミングサロンへの照会と「犬保護してます」的な貼り紙の掲載依頼や犬の散歩をしている方への聞き込みを行う。
併せてSNSで犬を誤って逃がしてしまった人がいないか、探している人がいないかチェックする。
1ヶ月経って飼い主さんが見つからないときは、もう捨て犬色が濃厚になる。
だけど、迷い犬・捨て犬は落し物扱いであるから、3ヶ月経たないと所有権が私にうつらない。だからどう考えても捨て犬だろ、と思っても
1ヶ月の時点では里親を探すことは出来ない。(これは以前警察から指導されたこと)
だから3ヶ月間自宅で保護を続ける。私自身も犬を飼っているけれど、うちの犬はいっときのメンバー増加・卒業に慣れっこのようだ。
遊び好きの子には積極的にかまいに行き、緊張している子やちょっと人間不信の気が見られる子にはそっと寄り添う。犬同士のコミュニケーション能力すごい。
3ヶ月経ちついに飼い主が現れなかった時は捨て犬認定をして、動物病院で健康診断を受診後、里親を探す。
これまでに知人への打診はし尽してしまったので近隣動物病院への貼り紙とインターネット上での募集を行う。
ボロボロの状態で何日もさ迷っていた子、段ボールに入れられて公衆トイレに捨てられた子、足が3本しかない子、耳が聞こえない子、人間不信の子、基本は懐っこいけど人の手を異常に怖がる子、
クレートに入れられた状態で置き去りにされていた子(ちなみにこの子は火傷をしていて、クレートの中と回りにはロケット花火のカスがあった)など、特徴や詳細をちゃんと書いて募集する。
もちろん保護している3ヶ月の間に出来るだけのケアはしているけれど、肉体的ハンデはどうにもならないし、根深い心の傷は多少改善しましたぐらいに持っていけるのがやっとで、里親になった
方には相当の苦労があるだろうから。最初から情報開示して、それでもお迎え頂ける方を探す。
でも顔の可愛い子には多数の応募がある。むしろ健康で人懐っこいけど不器量な子にはほとんど応募がなかったり時間がかかったりする。
この間、小型犬でとても器量のいい子の里親を募集するに至った。小さくて美人さんだけれど心に傷を持つ子で結構な人間不信。私には大分懐いてくれたけど、散歩中など他人に目を
その子は色んな人のご協力で元の飼い主さんを探し当てることが出来たのだけれど、ずいぶんと犬の尊厳を無視した飼育環境だったようだ。度の行き過ぎた躾と称した暴力もあったみたい。
元の飼い主さんは飼育放棄を表明したのでそのまま私が保護をした。
不憫な目に遭ってきた可哀そうな小さな犬。里親に応募して下さった方はみなさんは言う。
「不憫でどうしても放っておけない」「愛情を知らずに育った子を包んであげたい」「行き場のない犬を引き取りたい」「可哀そうな犬を一匹でも救いたい」
複雑な子でもご理解を頂けて、とてもありがたい事だと思う。皆さん懐が深くて優しいなあと思う。
でも本当に行き場のない子は10歳以上のハイシニアだったり、たくさんの治療費がかかる病気を患っている子だったり、不器量な子なんだよね。特に最後。
かわいければそれだけで引く手数多。
トイレの成功率も高く、健康で人犬問わず誰にでもフレンドリーでも不器量な子は選んでもらえない。
動物愛護に関心があるんです可哀そうな子を幸せにしてあげたいんです、としきりにおっしゃる方に、保護して里親が決まらないまま1年が経った子もいますよ、と写真を見せると
一瞬引くんだよね。それでやんわりと拒否の姿勢を示してくる。そして私はそれにちょっと傷つく。可哀そうな子を幸せにしてあげたい…ってなんなんだろうなあと思う。
どんな犬でも里親さんが見つからなかった場合は家でお迎えすることも覚悟して保護をしているので、仮に里親さんが見つからなくても動物愛護センターに連れていったりはしないんだけど、
家にも面倒を見れる限界というものがあるので、出来れば多額の治療費が必要な重い病気を患っている子や、12、3歳以上の高齢犬をお迎えしたいと思う。
病気を持っている子や高齢の子は「普通の子」に比べて時間も手間もお金もかかるので、里親さんが決まりにくいし、環境の変化に耐えうるだけの体力がなかったりする子もいるので。
だから健康で十分家庭犬としてやっていける素質のある子は積極的に里親さんを探すのだけれど、顔のかわいい子は難しい心を持っていても、多少高齢でもたくさん応募がある。
だけど、不器量な子にはほとんどお話しはこない。とてもいい子なのに。
「誰かの大切な犬」なれない子。ただ不器量に生まれたばっかりに。
そのジャンルでは割と強豪校で、某マイナー競技のマネージャーを、その部にいた友人に頼まれて、まぁ他にやりたいこともないしいいよーと引き受けた
部費獲得の折衝とか試合スケジュール、練習場所やスケジュールの確保連絡、備品管理、対外交渉もろもろ
あらかじめ決められた練習メニューのチェックや成果をメモして顧問やコーチ、部員と共有、練習試合やらのスコアリング、ぐらいが平常時のルーティン
夏と冬に合宿やるんだけど、その時は特別予算があって、その中で予算配分を顧問、部長・副部長と相談しながら決めて
マネージャーは私一人だったから、食材購入や調理は部員3人を当番制で手分けをしてやった。
何十人分ものごはんを色んなくだらないことをキャッキャと話しながら作るのは面白かったし、みんなそれぞれ色々な気持ちを持って取り組んでるのねとか
あの人とあの人はあんまり実は仲良くないのね、とか、恋バナとか、そういうのがとにかく楽しかった。
テーピングとかは手が届くところはみんな自分でやってたしやりにくい場所は男同士でやってたw
冷やす、道具を用意する、以上の医療行為、ケア行為は保険校医にお願いしにいってた。
大会期間中は運営補助もやったりするので、かなり忙しかったけど、他校のマネージャーと仲良くなって
練習試合やら別の大会やらで再開した時にキャーってなったりして、そういうのもすごく楽しかった。
最初はルールもあんまり分からなかったけど、色々勉強して、教えてもらってすごく面白くなった、スコア付けなきゃならないし必死。
マネージャーやったきっかけで、それまで運動音痴でスポーツは自分ではできそうにないと思ってたけど、色んな競技を見るのは大好きになった
それに趣味程度なら自分でもやってもいいかと思って、テニスを始めた(大学に入ってから、今でもやってる。あんまりうまくはならないけど)
3年のインター杯予選で負けて引退。1年生にマネージャーで入ってくれた子が居たのでその子に引き継いで
慌てて受験勉強のペースを速めて、がんばってがんばって、現役で志望大学に入れた。
色々な折衝やらなんやらで、マネージャー同士が仲良くなって、部活の引退後は、サッカー部のマネ、野球部のマネとつるんで行動してた、一緒の予備校の講習に行ったり
サッカー部マネは某有名私立大学、野球部マネは某有名国立大にそれぞれ合格
3人とも特に、部員とのロマンスもなく、普通に大学生になり、彼氏が出来たり別れたりしながら、一人はお母さんと主婦をやっている、一人は独身でばりばり働いてる。
私もまだ働いてる、バリバリかどうかは分からないけど。仕事は、色々大変だけど納得がいく仕事にはつけている。
「おにぎり握らせるなんて何の意味もない」って言いきっちゃうのが、心底理解できない。
少なくとも私は、高校生活がとっても楽しかったしマネージャーをやって後悔もしてない、失敗したとも思ったこともない、
むしろ自分が今まで見てこなかった新しい世界が見られて、すごく良い経験だと思ってた。今、楽しんでいるスポーツ趣味を得られたのは高校時代のマネージャー経験のおかげだってのもあるし
どんなことであれ「それを選択した結果、別の道が消失する」のなんて当たり前なのに、なんで「間違った道」だと決めつけるんだろう。
絶対の自信を持って押した企画が潰れかけている。
その名も
「上京倶楽部」
田舎に生まれてのんびり育ってのんびり生きている家庭的な女の子を、
それらは東京の女には望めない特徴。
だけど田舎に行けば、そういう女の子女の子した女はいくらでも見つかる。
そういう、ダイヤの原石をリクルートして東京につれてきて、仲介料を取る企画。
同時に、純情な田舎娘に駆逐され、未婚のままあぶれた東京の女を、深刻な嫁不足に悩む農村に送り込む、
「都落倶楽部」
も同時展開する。
身内には外国人男性と結婚して海外に行ったように見せかける情報工作サービスをつける。
年賀状やSNSには幸せいっぱいで勝ち組になった自分、を演出する写真を合成して投稿する。
そんな細い友好関係など、10年もすればどうせ疎遠になるのだから、それで十分だろう。
数十億、場合によっては数百億の利益が見込めるこの企画が上層部の無理解のために潰れかけている。
ポリティカル・コレクトネスがどうの、フェミニズムがどうの、話にならない。
人間には欲がある。
それを満たすために大金を払う。
そこにビジネスチャンスがある。
なにがおかしいんだ。
そんなに自信があるなら、自分で起業しろと、小馬鹿にするような口調で言われて腹が煮えくり返っている。
間違っているのは自分じゃない。
ここの反応を見て身の振り方を決める。
絶対当たるだろ?この企画!
追記2014/08/05 7:30
誤解があるようだが都落倶楽部のほうは上京倶楽部のおまけに過ぎない。
この企画がうまく動いて万人単位の
が高い流動性を持って東京に流入した場合、必然的に価値の暴落する
の廃棄場所を用意しようというだけだ。
もちろんそのまま東京で腐ってもらっても構わないが、
弱者切り捨てのようなことをやりたくないから、救済措置を用意しようというだけだ。
「そもそも男側の需要がない」
という意見はほぼ無いようなので、
もう一度だけかけあってみることにするか。
差別している人間と差別されている人間がいる。目撃者の俺たちは、差別している人間を非難して、差別されている人間を保護しようとする。そのときに俺たちは、差別している人間に対して「人間の屑!」とか「魂が腐ってる!」なんて暴言を吐いて、差別しているそいつを退散させる。そうやって、差別されている人間の安全を確保する。
でも、そうやって敗走させられた差別している人間も、実は好きで差別してたわけじゃなくて、例えばそいつの家庭環境が最悪(虐待を受けてるとか)だったり、一人では抱えきれないトラウマを持っていたり、そういうフラストレーションを、差別することで晴らしていたのかもしれない。
だから、差別していた側に対するケアってのも必要だと俺は思う。けど、それには順番がある。差別している人間と差別されている人間がぶつかっているとき、まず保護されるべきは差別されている側である。今、現に暴力が起きて、被害を受けている人間がいるのに、そいつを無視して、暴力をふるっている側をあやしに行くなんて考えられない。
考えてみてよ。みんなの家がホリ・トオルみたいに変態に侵入されて、そんでホリ・トオルはその変態を捕まえて警察を呼んだんだ。そしたら、やって来た警察はその変態に対して「大丈夫?むりやり捕まえるなんて酷いよね。まだ何も盗ってないのにね。大げさだよね。君も貧乏だからこんなことしちゃったんでしょ。じゃあ署でゆっくりとお話聞いてあげるから。お金もいくらか貸してあげるよ」って優しく言って、そんで被害者のホリ・トオルに対しては「少し乱暴が過ぎるんじゃないですか。そんなんだから泥棒に入られるんです。」とか冷たく言うの。
ムカつくよね。むっちゃムカつくよね。いや別に警察が変態をケアしたっていいんだよ?でも、ホリ・トオルの前でやるなよwww署に連れてってからやれよwww 目の前で犯人の味方されたホリ・トオルはどんな気持ちになるんだよ?
そこら辺の関係性・前後関係を、健常者って理解しないんだなぁ。ドロボーをなぐさめる前に、盗みに入られた家の人を処理するのが先でしょ、って話をすると、東浩紀的なおかしな相対化を用いて、「ドロボーも被害者も同時に処理しろ」いやむしろ、「ドロボーの気持ちを優先しろ」って言うんだよね。
オカシイオカシイw AくんがBくんをボコボコに殴ってて、そのとき俺は何故かBくんをはがいじめにして押さえて、「Aくんがこんなに怒ってる理由を考えろ!」とか言うか~www?オカシイオカシイw コントじゃねーかw
まぁはてなの知的水準もだいぶ落ちて、こういうこともいちいち説明しなきゃならなくなったんだよね。一般化っていうのはこういうことなんだよ。健常者は幸せ過ぎて何も考えない。考える必要ないもん。みんなはこれからも幸せに、加害者の味方をしてれば良いんだよ。
彼女のことが大好きだ。でも愛情深いタイプではなく鈍感で気も利かない人。
だからムカついたり、悲しかったりする時もあるけど彼女と過ごせる幸福のほうが勝ってしまって、まぁいいやと流してしまえる。
でも時々だけれど、その傷ついたことを思い出して暗い気持ちになってしまう。
あの時彼女は何もしてくれなかったじゃないか。あんなことを言ったじゃないか。自分ばかりが尽くしてるのでは?向こうは私に完全に冷めたんじゃないか?
これから悲しい気持ちがさらに溜まっていって耐えられなくなるんじゃないか?と悶々と考えてしまう。
どんな時にそれがおこるかというと、たとえば誕生日を忘れられた時、ささいな言い争いの後、そしてセックスの誘いにのってくれない時。
私はセックスは好きだしもっと楽しみたいと思っている。でも彼女はそうでもないらしい。
もっと頻繁に長い時間したいし、彼女にも私の手で気持ちよくなって欲しい。二人でしかできないことを積み上げてもっと幸せで独特な関係になりたい。
だからもっと魅力的な身体になろうと思ってトレーニングしてるし、口内のケアも欠かさない。美容にも熱心になった。
でも相変わらず私たち2人はロマンティックな雰囲気にはならない。
彼女は今日もぼんやりと過ごし私を日常の一部にしている。今朝はボサボサの頭であぐらをかきお茶漬けを食べていた。正直ちょっと可愛いと思ってしまったけど。
今まで何回か心療内科に通院したりカウンセリングを受けたりしたがなぜ医者やカウンセラーは驚くほど何もしてくれないのだろうか。大抵話を聞くだけ聞いてうなづいてるだけか、それらしい病名付けて薬出してるだけやんけ。
無能は言いすぎかもしれないがもうちょっとアドバイスなり現状の説明してくれてもいいんじゃないか。うつ傾向があるので軽い運動したり日光に当たるようにしましょうとか、食べ物はこういうのがいいですよとか、こういう経験が心の傷となって今の状況を引き起こしている可能性がありますとかなんかあるだろうよ。
追記
はてなってあんまり使い方が分からないんだけどどのトラックバックが誰と一緒とかも分かんないわけ?
なんか勝手に論破されたみたいになってるのも癪なんで書くけど、話を聞く、病名を付ける、薬を処方する以外に医者が精神に向けて出来ることってほぼないんじゃないのって話。精神科医に限らず医者なんてそんなものなのかもしれないし、別に誰を非難したいわけでもないけど、体と比べて精神とか脳ってのは本人がきちんとした情報を知るってことが大事だと思うから、もう少し病状説明なりケアなりしてもいいじゃないのって思っただけ。
それは「定量化できないリスクは幽霊みたいなもの」っていう発言?
LTCMが破綻する時代に、俺は「自分が認識できないリスクは幽霊だ」と言い切るほど
自分に自信は持ってないよ。もっとも、幽霊を気にしすぎたら投資は出来ないから
どこかで「ココから先の幽霊はいないものとする」と定義しなきゃならんのだけど。
それに、その幽霊わりとしょっちゅう現れて人殺すじゃないですか。
あんただって投資家なら幽霊と正面衝突して死んだ人、たくさん見てきたでしょ。
バッカじゃないの?
不確実性へのヘッジと、定量化出来るリスクへのヘッジを両方同時に行うだろ。
金融商品の選別、株、先物、為替等々に「ヘッジする」レイヤーと
それらのリスクには定量化できないものが含まれている、という前提に基づいた
テイクリスクの総量へのヘッジのレイヤーの二層でやるのが常識だろ。
「定量化されて評価されたリスク」と「定量化できない不可視のリスク」は
それぞれの立ち居地や資産額に応じたやり方で、同時に両方をケアしないと話にならないわけで。
どっちも見て投資するし、その前提に立つ以上
それとも、あんたは「全てのリスクは定量化出来る」って前提で投資行動を行うの?
それは緩慢な自殺だと思うけど。
リスクの定量化への努力は当然最大限でやるけど、それと同時に定量化の限界も認識して
その両方の感覚をバランスさせて投資に挑まないと死んじゃいますよ。
非正規って、単にApple Storeじゃないってだけだろ?
それ、正規もんだろ。
Apple Storeのが安かったら誰がそこ以外で買うんだよ(余程品切れとかでない限り)
Appleの店員は別に親切なわけじゃなくてそれしか売らないからそれに詳しくなるし
それを徹底的に売ろうとするだけ。
それからApple Storeは馬鹿みたいに人配置してるし。(あんなのやめて他に金かけろよ、ホント思う。何処の国でもAppleStoreの店員キモすぎ)
量販店の人は別にその1つ売ってるわけじゃないし、知識だってそれだけ覚えればよいわけじゃないし
ただそれだけの差。
保証とかなんて量販店とかのがさらに量販店の分の保証付けてくれる時だってあるし
アップルケアでの保証は普通にアップルストア持ってけば良いだけだし。
Apple Storeで買う意味は全くない。
そもそも、Appleとしても、Apple Storeは販売所、っていうよりも「展示場」の意味合いのが強いんだろうと思う。
あれだけ人を配置するしサンプルもやたら置いておくし。
だから、Apple Storeで話し聞いて、他で買う、っていうのはApple的にもなんら問題ない、というかそれで良いと思ってるんだと思うけど。
Macを買い換えようと思っている。
ほとんどの人は知っていると思うがAppleの店員はとても親切だ。
家電量販店で言うとヨドバシも比較的親身になって相談に乗ってくれるがその比じゃない。
質問があって店員がわからないと他の店員に聞いたり電話を使ったり
新しい機種を買おうと思ったら2,30分相手をしてくれることもざらだ。
値引きをしてくれないのだ。(Applestoreや客にもよるが自分のところは不可)
先週末実物を見にApplestoreに行くと案の定親切にどれがいいと薦めてくる店員。
ついつい買ってしまおうか悩む。
しかしふと冷静に考えると価格.comの最安と3万円の差があるのだ。
3万円あればApplecareに入ったりメモリ倍にしたりそもそもワンランク上のMacも買える。
Time Capsuleを買うのもいい。
Macユーザーがみな年収1000万プレーヤーというわけではない。
親切な店員には悪いが家に帰り、価格.comを開く。
仕方がないとポチろうとするがここでも悩む。
だからといって商品が届かないとかアフターケアが悪いといったことはないようなのだが
あれだけ親切な店員を無視してこういったグレーゾーンの店で買っていいのだろうか。
これが正しい選択なのだろうか。
どうすればいいんだろう、だれか決めてくれ
親戚の葬式に急遽出てきた。
儀式の中に織り込まれたさまざまな「作業」が、親族らの悼みの気持ちを緩和させていくところだ。
納棺前の遺体への処置、着替え、化粧、棺に収めて遺品や花での装飾。
こうした作業を通して、故人がどんどん目の前に存在するただの「遺体」そのものへと認知されていく。
特に花とかを飾る作業で集中していると、終わった頃には一種の満足感すら生まれてくる。
拾骨だってそうだ。焼けて崩れやすくなったいびつな骨を、わざわざ箸で箱に入れるとか普通に考えたら非効率すぎる。
それでも骨を崩さないように集中して繰り返し拾っていくうちに、人骨なんて普段絶対に目にしないショッキングなものを普通に見ていられるようになる。
これもまた終える頃には一種の達成感が生まれる。
葬式っていうのは故人への弔いと同時に、遺された人を故人を通してアフターケアする機会でもあるみたいだ。
確かに、病気の治療と患者の心理的ケアが車の両輪のごとく発展するのが一番だ。
けれども、現実には治療法の確立に注力するのが先で、どうしてもケアが後発するという順序になる以上、ないものねだりであることも理解できる。
一方で、なまじ癌が治せない時代を生きてきた、例えば自分の親とかが、同年代である近藤氏の言説に乗ってしまったら・・・とか想像すると他人事じゃ済まないんだよね。
「息子として、何も手を打たないまま死なれるのは嫌だ」とか泣いて頼むのか?なんて考えるとウヘァってなる。
それにしても近藤氏だけど、
氏の言説は、言うなれば19世紀の医療水準から全く進歩していないホメオパシーなどと、大して変わらないということか。
医者は間違いなく社会の上位数%には確実に入るレベルで頭良いはずなのに、氏に限っては過去の現場経験に囚われ過ぎているのかも。
そこは物事の発展の順番だよ
癌の治療法を多くの人が追及して、負担は大きいもののそれなりに意味のある治療が確立されてきたからこそ、その上で精神的な問題が発生する
現状精神ケアが疎かになってしまっているのは現実だが、ただ発展の順序として追いついてないだけだと俺は思っている
他の増田が書いているように、様々な治療と精神ケアを両立させる方向での研究もちゃんとされている
近藤誠のような言説はそれとは違って、癌治療法が確立する以前の、匙を投げるしか無かった時代のものだ
まああの人も大概じーさんだから仕方ないと言えば仕方ないが、「それもアリだよね」と見逃すには、現実との解離が大きすぎる
別に近藤氏の主張がケアになっているとは微塵も思わないけど、氏のような輩につけ込まれないよう患者の不安や不信を解消できてないのは事実だろうに。
ただでさえ癌の手術は侵襲度が高いのに、その後さらに抗がん剤で吐き気や脱毛が起きたり免疫機能や止血機能が低下したりとか、そこまでやったところで必ずしも見通しは明るくない。
そういうのが分かっていて、進んで治療を受ける奴がどこにいるんだよ?
負担も手間も半端無くかかる治療に対する「冗談じゃねえ勘弁してくれよ」という不安や不信への対処って、きちんと確立しているのか?