はてなキーワード: 骨粗しょう症とは
今後どう生きればいいのでしょうか。同じような方はいませんか。
20代前半の大学生の最後の一年に、生理痛が激痛で布団の中で悶えることしかできなくなって婦人科を受診しました。
私の生理歴(?)は、小4秋(ちなみに12月生まれ)で初潮がきて大学2年までは生理痛と無縁で、周期は±2日までのズレしかないほど正確でした。
エコーで少しチョコレート嚢胞が見え、治療としてピルを飲み始めました。
処女なので腸からエコーで見てもらいましたが何も見つかりませんでした。
ヤーズフレックスで2年間くらいは40~70日周期に伸ばせました。
今年に入ってから何故か20日足らずで生理がきてます。主治医に話しても経過観察しかないと言われます。
症状は以下の通りです。
・2週間に数日ほど排便痛あり
・2週間に1日ほど下痢(初婦人科受診の半年前くらいまでは下痢と無縁な人生でした)
・2週間に数日ほど腹痛
・PMS、PMDD(ピルでマシになっていますが酷いです。典型的症状に加え生理前は体温が37度以上となるため熱でうなされ睡眠不足となります)
20日足らずで生理がきていて各種症状がその度にあり、突発的に仕事を休むことが増えました(今日もそれです)。
生活習慣はきっちりしている方です。
子どもは要らないです。子ども好きですが自分の身体を引き継いだら可哀想です。
エコーで映らない以上はピルを続けるか偽閉経療法をするしかないと言われました。
母が更年期でハサミを取り出すヒステリーになった姿を見ていたこと、祖母が骨粗しょう症であることを考えると偽閉経療法の副作用がこわく避けたいところです。
そうするとピルを続けるしかないですが、仕事に支障が出ていて、仕事を辞めるべき?
でも親は貧乏で頼れないです。人と居ると気が休まらない性格なので結婚は選択肢にないです(容姿などの観点から不可能ではないと思います)。
セカンド・オピニオンをしてもエコーで映らないなら同じことしか言われないですよね?
職場で「サボりなのでは」と影で言われているみたいです。元気なときは元気なのでそう思われることは理解できます。まだ20代後半なのもあり。この年齢で原因不明の体調不良なんてキャリア終わってますよね。
ネットで検索しても大半は「ピル飲みましょう」。ピルで改善しないかつエコーで映らない場合は?
サプリメントは健康や美容に良いとされ、多くの人々が摂取しています。しかし、実際には効果が薄いものもあります。ここでは、本当は効果が薄いと言われているサプリメント10選を紹介します。
ビタミンCは、免疫力を高めたり、美肌効果があると言われています。しかし、実際には過剰摂取しても体内に吸収されず、効果が得られないことが多いとされています。また、ビタミンCは多くの食品に含まれているため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
コエンザイムQ10は、美肌効果や疲労回復に効果があると言われています。しかし、実際には効果が現れるまでには時間がかかる上、体内に吸収されにくいため、効果が薄いとされています。また、コエンザイムQ10は、肉や魚、堅果類など多くの食品に含まれているため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
カルシウムは、骨や歯に必要な栄養素です。しかし、実際には過剰摂取すると、逆に骨粗しょう症のリスクが高まることがあるため、正しい量を摂取することが重要です。また、カルシウムは牛乳や豆乳、チーズ、ヨーグルトなど多くの食品に含まれているため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
マルチビタミンサプリメントは、多くの種類のビタミンを含んでいるため、健康維持に良いとされています。しかし、実際には必要な量を超える場合もあり、また、体内で吸収されず排出されることもあるため、効果が薄いとされています。また、マルチビタミンサプリメントは、食品からバランスよく栄養素を摂取することができれば、特に必要性は低いとされています。
エキナセアは、風邪やインフルエンザの予防に効果があると言われていますが、実際には科学的に効果が証明されていません。一方で、エキナセアには免疫力を高める効果があるため、予防効果が期待できるとする研究もあります。また、エキナセアが副作用を引き起こす可能性もあるため、注意が必要です。例えば、蕁麻疹や呼吸困難などのアレルギー症状が現れることがあります。ただし、これらの副作用は通常軽度であり、重篤な副作用は報告されていません。さらに、エキナセアは抗炎症作用や抗菌作用があるため、喉の痛みや急性中耳炎など、他の病気にも効果があるとされています。つまり、エキナセアには風邪やインフルエンザの予防だけでなく、さまざまな病気に対して効果がある可能性があることが示唆されています。
グルコサミンは、関節痛の改善に効果があると言われています。しかし、実際には効果が現れるまでには時間がかかる上、個人差が大きいため、効果が薄いとされています。また、グルコサミンは、食品から摂取することもできるため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
プロバイオティクスは、腸内環境を整え、免疫力を高める効果があると言われています。しかし、実際には各人の腸内環境によって効果が異なるため、効果が薄いとされています。また、プロバイオティクスは、ヨーグルトやキムチ、納豆などの発酵食品からも摂取することができるため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
メラトニンは、睡眠改善に効果があると言われています。しかし、実際には効果が現れるまでには時間がかかる上、過剰摂取すると逆効果になることもあるため、注意が必要です。また、メラトニンは、バランスの良い食事や適度な運動、ストレスの軽減など、ライフスタイルの改善によっても改善できる場合があるため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
グリコサミノグリカンは、関節や軟骨の健康維持に効果があると言われています。しかし、実際には効果が現れるまでには時間がかかる上、個人差が大きいため、効果が薄いとされています。また、グリコサミノグリカンは、食品から摂取することもできるため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
フィッシュオイルは、健康維持や美肌効果があると言われています。しかし、実際には過剰摂取すると逆効果になることもあり、また、体内で吸収されず排出されることもあるため、効果が薄いとされています。また、フィッシュオイルは、サーモンやマグロ、イワシなどの青魚から摂取することもできるため、サプリメントで摂取する必要性も低いとされています。
以上、本当は効果が薄いと言われているサプリメント10選を紹介しました。健康や美容に良いとされるサプリメントですが、正しい量や摂取方法に注意することが大切です。また、サプリメントは食品やライフスタイルの改善の補助的な役割を持つものであるため、健康維持にはバランスの良い食事や適度な運動、ストレスの軽減など、総合的なアプローチが必要です。
日本共産党が民主主義的な変革を通じて、ゆくゆくは社会主義を目指している政党だというのは知っていた。
ソ連や中国の方向性に異を唱え、社会主義の前に、まずは民主主義の確立を目指すという意味では、共産党は憲法の擁護者であったし、自由と議会制民主主義の擁護者としてふるまっていると思っていた。
そういうことを知っていたつもりだったけれども、このたび、異論を許さない態度で党首公選制を訴えた党員を除名処分にするニュースはあまりにも自由や民主主義の考え方と乖離する、という違和感が強い。もちろん、50年代、60年代に、ブントからさまざまな新左翼党派が生まれた経緯を反省すると、党の結束重視、分派につながる動きへの警戒は理解できるものの、なんとなく民主主義を擁護している風の皮をかぶりながら、やっぱり統制好きな人たちなのか?という印象はぬぐえない。
そこで日本共産党綱領を民主主義というキーワードがどういう文脈で使われているかを改めて読み直してみた。
まとめると、以下の特徴が読み取れた。
・民主主義的な変革(革命)は専制政治や覇権主義との闘いである
・変革(革命)の担い手は労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生からなる統一戦線である。
民主主義は設計された所与のプラットフォームというより、【変革】により戦った【主体】が勝ち取る動的な運動と認識されている。その主体が定義されリスト化されており、その【統一】には社会構成員全員が含まれているわけではない、というのも注目に値する。はっきり書いてないが打倒されるべき悪しき存在の匂いがぷんぷんする。昔よりマイルドになったとはいえ、人民が戦って勝ち取るぞ的な歴史観がすごい。
綱領は最後に、現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容として、国の独立・安全保障・外交の分野から憲法と民主主義の分野、そして経済的民主主義の分野で目指すべき方向性を示している。
この中には安保破棄といったおなじみのものから、ジェンダー平等など最近になって共産党自身が認識を改めたものも含まれている。
経済的民主主義の分野においては、労働規制、食糧安保などが強調されているが、自由主義経済の擁護はやはり、というか、やっぱり記載がなかった。
憲法・民主主義の分野の記載で、もうひとつ特徴的だと思ったのは、民主政にとって、ある重要なメカニズムが全く記載されていないことだった。
ははあ、と腑に落ちたところがあった。なぜ民主政にとって、もっとも重要な概念が抜け落ちてしまうのか。
共産党の考え方では、民主主義は、戦いと表現されることから象徴されるように、そもそも主体的に、イデオロギーの進歩として達成されるべきものと認識されており、しかもそれは社会主義革命に至る途上の段階とされる。
民主主義が革命に向かう運動と理解され、この革命の担い手「主体」がキーワードになるんだな、と改めて気が付かされた。運動主体が【統一】されるべきである、という共産党員の自画像が、今回の件で、党外発言を攻撃とまで罵る背景にあるように思えた。
というのは、いわゆる自由主義社会においては、「主体」について全く異なる理解をしている。多様な主体のもとで、社会が進展するという考え方のほうが支配的だからだ。
広い意味でのリベラリズムでは、リバタリアニズムやレッセフェールなど完全放任まで幅があるものの、経済や社会の進歩は、特定のイデオロギーによって達成されるのではなく、優れたものが自然に選択されるという淘汰圧が客観的な社会のダイナミズムとして理解されている。
表現の自由についていえば、特定のイデオロギーの正しさは、歴史が自然に結果を出すものであって、教会や政府が真理として押し付けるものではない、というのがヨーロッパでもアメリカの政治体制でも共通の前提となっている。
そのような認識の下では、多数の目から一見すると正しくない言論や行い、考え方についても、その考えが社会に存在することを排除しないのが美徳となる。
差別的言論しかりであり、正しくないと思えるものが一定程度、社会に蔓延するのを認容する、というのは、長い目でみて、社会が進歩するための副産物と考える。
したがって、雑にまとめれば、自由主義社会の制度設計では、ブルジョアやプロレタリアートといったイデオロギー的な主体の覚醒は必要とされないし、イデオロギー的な主体の覚醒や人民の団結を呼びかけるような政治体制は、資本主義的な搾取構造以上に、暴力装置である、というのがリベラル側からみた共産主義の問題点といったところだろう。自由主義では、イデオロギー的に多様であっても、そして無自覚であっても成立し、発展しうる社会設計を構想しているのに対し、共産主義では、変革の主体が強く意識され、その主体が統一(戦線)されることが変革のキーだと考えられている。
民主という言葉が登場するたびに、それは専制によって奪われてきた歴史であり、覇権主義との闘いであり、それに抗い変革を進める担い手が強調される。
そして、ひとたび担い手に注目するやいなや、担い手の気づきというか覚醒が求められる。革命は待ってても自然には起こらないということだ。
これは共産主義独特の進歩史観だ。ここに、担い手を教育し、同じ価値観やイデオロギーを共有させようとする契機がある。
これは、党首公選制を唱えた者を破門する、という最近みられた動きと表裏一体ということになる。
綱領に言論の自由の記載が一行も存在しないのも納得である。言論の自由のもつ社会のダイナミズムを理解しつつ、イデオロギーを啓もうすることは自己矛盾だ。
というわけで、社会の変革にとって、イデオロギーに共鳴する主体醸成を重視するか、
それとも自由のダイナミズムを重視するか、ここに分かれ道がある、というありきたりな結論に至ってしまったな。
政治体制 | 言論自由 | 進歩史観 | プレイヤー |
---|---|---|---|
自由主義 | どちらかというと放置 | 蓋然的・客観的 | 多様性重視 |
共産主義 | どちらかというと統制的 | 必然的・主体的 | 一体性重視 |
みたいなイメージになった。
しかし、共産党の皆さんに是非、戦後の世界の歴史をもう一度振り返ってもらいたいと思うのは、
言論表現の自由がもたらす社会の不協和音、暴力という副産物をある程度社会が許容できたからこそ、社会運動が大きく広がった。
この運動はもちろん差別と闘う社会変革の主体抜きには語ることはできないが、過激な言論を民主主義の副産物とする社会のプラットフォームがあることによって、運動の価値が昇華された。
暴力性という点では労働権の暴力性(争議権)も社会改革の進展のかぎだ。今では自明性に埋没して疑いもしない労働者という言葉、実は【労働者の概念】とその暴力性は、革命の概念と地続きり、出自はもちろん自由主義ではありえない。
異なる出自をもつ二つの権利、争議権と言論の自由は、社会変革のダイナミズムに伴う暴力という意味では実は共通項だ。
他者危害原則が基本の社会において、なぜ規範からの逸脱という暴力、そして異端の存在を、広く多様性という価値を認めて、一定程度、許容する仕組みを自由主義社会は構想しているのだろうか?同一コミュニティに閉じている限りは進歩も進化もない、という、それはやはり、進化のプロセスに対する直感が働いているといわざるを得ないだろう。
争議権というのは、学校が停止したり電車を全面的に止めたりと経済に甚大な被害を与える超暴力的な行為を時に伴うが、そのような痛みを社会が許容することによって社会が改善することがある。自由主義社会はこうした社会変革に伴う暴力を一定のコントロールに置いたうえで社会の進歩を進めてきたといえる。
ちょっと余談になるが、日本での社会権の受容はGHQ改革に始まって、やや独特の経緯をたどって欧米とは異なる展開となった。
敗戦直後、それまでの動員される勤労者から主体的な労働者へ突然、主体の変換が起きた。その結果としての、労働者階級の過剰な希望、そして暴力に伴う社会的な混乱は、失望と社会秩序維持へのさらなる圧力を生み、やがて国労と新左翼だけが残った。そして秩序を乱す奴イコール、テロリスト、という空気が蔓延した。
日本は国労が新左翼と一緒になって調子に乗りすぎた結果、争議権は骨抜きになった。日本では社会秩序と暴力が明確に対立概念となり、争議はなれ合いとなり、労使協調という言葉に象徴されるように、労使間の秩序模索にすぎなくなった。ただ一方、ヨーロッパではそんなことはなく、社会権の潜在的なラディカリズムが広く受け入れられている。病院だろうが航空機だろうが、誰が困って死のうがストが決行される暴力性が顕在なのだ。なんなら革命で政府を転覆させるぜくらいの勢いで。
ともあれ、自由主義社会が社会主義的な発想でラディカルな主体の考え方を一部取り込んでいる、という動きは、自由主義VS社会主義と単純に括ることができないことを示している。
絵画にトマト投げみたいな環境急進主義しかり。ヨーロッパになぜあれほどラディカリズムがパフォーマンスを繰り広げられる余地があるかというと、そもそも自由主義社会は社会変革の萌芽を言論統制などによって政府の力で摘まない社会設計になっているからだ。彼らはヨーロッパのニュース上ではResistantと表現されてもテロリストと表現されることは少ない。それは「労働者」という主体を仮構したうえでの争議権の意義とパラレルなのだ。
なんなら、「LGBT」しかり、なのだ。共産党は実は、長い間、同性愛者を差別してきた歴史がある。かつては「労働者」という概念が主役で争議権という武器が社会変革上、最重要な部分だったので性的マイノリティに考えが及ばない時代だった。LBGTというイデオロギー的な主体の意義に気が付き、公式に考えを修正したのはつい3年前の2020年のことだという。
https://www.sankei.com/article/20210706-L4MJ2RSGZFLHJLGW2LWKXILBGI/
LGBTの存在に気が付き、こうした修正が可能になるのは、自由主義社会が、ラディカリズムも含めて、多様な言論を放置できる社会だからだ。そのくせ日本共産党がLGBTをあたかも自分たちの応援団かのように仲間に入れようとするのは、労働運動が退潮し、運動の屋台骨が骨粗しょう症のようになってしまった日本の文脈を思い起こすと、図々しいという気もする。皮肉なことにこの記事を執筆した元板橋区議の男性も、党本部から除名処分を受けている。
結局のところ、共産主義においては、社会変革のための主体を重視し、その統一をもとめるがゆえに、主体そのものの議論が決定論的なものになってしまい、議論されにくい。
その結果、主体自身の変革は阻害される、というジレンマというか自己矛盾をはらんでいるといえるだろう。社会を変革したがるくせにね。これはある意味自らの正義の禍々しさに苦悩するヒロイズムのジレンマだ。自由主義社会でダークヒーローのドラマや映画のプロットが西部劇の昔から最近ではジョーカーに至るまで一定の需要があるのは変革の萌芽は必ずしも正義によって見出されるものではないという世界観の違いに由来する。
でも、自由主義社会にいる日本共産党としても社会の変化にも気が付かざるを得ない。
その過程で、弱体化した【労働者】を補完するべく、新興の主体、LBGTグループを統一戦線の一員として、ちゃっかりと追加したりする、ということが起こったりするわけだ。
であれば、社会主義革命を目指す共産党においても、内なるノイズをある程度、コントロールしつつ許容し、社会変革への考え方をより確実にする、という方向性もありうるんじゃないだろうか。その結果、やっぱ内ゲバをコントロールできなくなって、この調子じゃ人を教育して主体構成を前提とした社会主義化って無理じゃね?となって解散するならそれもよしなんだよ。
今回の除名騒動を受けて、党内で議論すべきことは党内で、というのが統治の基本、という主張が共産党から強調されているようだ。
一見正論だが、しかし、俺はちょっと違うと思う。それは、つまり【寄り合い】だ。
なぜなら、そのようなガバナンスの考えこそが組織の硬直化を招来し、日本の労働運動が労使間の秩序模索に堕落した一因であるし、日本的組織風土に風穴があかない最も大きな要因だからだ。寄り合いといえば、かつて日本の農村漁村を調査した宮本常一は、寄り合いによる時間をかけた合議の意思決定を観察し、他者の信頼醸成のプロセスが共同体のしきたりにない、外部社会の新しい事柄の受容のキーとなっていることを見抜いた。宮本はまた、共同体を飛び出し、放浪の旅を経て戻ってくるようなアウトローの存在を外部の知識をもたらす【世間師】として共同体が受け入れる様子も描写している。寄り合い的なコミュニケーションにおいても、異物を内部化するプロセスはあるということだ。
民主主義という視点に戻ると、言論の価値、そして、争議という変革の手法が組織どころか社会に迷惑をかけることを前提に行われることの意味をもう一度振り返ってもらいたい。
私は16歳の時、うつ病の診断を受け、24歳で学習障害とADD(ADHDの他動の少ないやつ)と診断され、28歳で入院したとき双極二型と診断された、まぁ言ってしまうとメンタルヘルス系街道まっしぐらのひどい人生を送ってきた。
おばさんと呼ばれる年齢になり、つくづく「私は若い女の子をうまくやれるタイプじゃなかったんだな」と思う。
また話が飛んで申し訳ないが26歳で甲状腺機能低下症も軽度ながら発症し、そのせいかなんのせいかはわからないが30歳の時、早期閉経していることも告げられた。
私は過去の精神病的経歴から子どもを持つことはできないんだろうと感じていたから特にショックはなかった。でも骨粗しょう症予防のためホルモン剤で隔月で無理くり生理をおこしている。これがまた副作用もあって面倒なのだが、これ以上病気のデパートになるわけにはいかないので我慢である。
甲状腺機能低下症を発症しまだ診断を受けていないだけで多分もうすでに閉経していた私はどんどん太った。
24歳くらいまでは48㎏~52㎏というまぁ普通のMサイズなら着れるしお洒落も好きだしロリータ系服も趣味で着ていたので太り出したときは焦ったしなんとかならないものかと試行錯誤した。間食しないように、サラダを多めにしたメニュー、こんにゃく、豆腐メニュー…
いやー、痩せない。むしろなんでも食ったぶん太る。
それにイラついて過食してしまいやっぱり太る。もう太るしか選択肢がない。
服も入らなくなってくる。焦った。
こりゃキツい。焦った。
でも着実に肉は付いていき現在64㎏になった。完全なるデブである。お世辞にも普通の体型とは言えない。そこらの男の子より重い。20歳くらいまで会食恐怖気味でその頃は45㎏切っているときもあったことを考えるとヤバイ劇太りだ。
やったダイエットの試みは割愛するが努力むなしく着実に太った。努力が虚しくて食ったことも認める。だがまぁ病気もありどんどんとおばさん体型になったのだ。
残念であった。MILKやらEmily temple cuteやらJane Marpleで絵本のような可愛い服を大枚はたいて愛好し、どれだけ投資してきたか…悲しい……
しかたなくしまむらやユニクロやそこらのガバッとしたムームータイプのリネン系ワンピースを着ている。(リネン系の有名なブランドも利用するが、昔ほどひとつのブランドで揃えようという気概はもうない)
過去を知らない友人や同僚なんかからは私がそういうラブリーなブランド服をめちゃめちゃ持ってて若い頃はファッションモンスターといって差し支えない引くレベルにお洋服に投資していたなんて誰も気がつかないだろう。
今や私は早く来た中年太りのおばはんだ。
話はやっと本題に近づく。
なにをしても太るのでもう痩せる努力をやめた。ストレスためるより流れるままにデブっていけ!と一種の諦めがついたのだ。
喉が乾いたらコンビニでスポドリ飲むし、ミニストップでハロハロ食べたり。
自由だ。当たり前に着実に太るがストレスで過食することが減ったので、結局小デブが普通のデブになったくらいである。
自由だ……。年3回程度あったナンパされることもなくなったし、お洒落も限られるのでお洒落に対する興味は薄くなった。
でもなんか楽だ。デブになって「若い女の子」というカテゴリーから除外されてなんか楽だ。
「若い女の子」時代には男の人におごってもらえたり優しくしてもらえたり恋愛対象に見られたりそこそこ楽しいこともあったが、けっこうマジで気があってこれからも仲良くしたい…って願ってた同性からライバル視されてなんかうまくいかなくなったり、パート先のババアに目の敵にされたり、外見を着飾らないと生きてる意味を見失うくらいルッキズムに支配されていた。若い女の子マインドをデブることで手離さなければならなくなって、「若い女の子」って生き方やべーくらい窮屈じゃん…って思った。やべーよくやれてた。てゆうかやれてたのか?「若い女の子」うまくやれてなかったから病んでたのか?
じゃあ当然の流れなのか?
よくわからないが人生のステージがおばはんステージになったことに失望よりか、「もしかして私の人生おばはんステージの方が本番なのかもしれない!」って希望すらある。
いや~若い女の子はなるものじゃなくて鑑賞して圧倒されてんのが一番いいわ。
おっさんとガチの友情築けたりするんだろうか。それともおばはんステージなりの恋愛があるんだろうか。おばはんとして新しいおばはんの友達とかも出来たら嬉しい。
昔からの友達もゆっくりとおばはん化してくのか、それともカッコいいオンナ!とかミドルエイジ!とかマダム!とかになっていくのか。
病気も手伝って一足先におばはんステージに移行せざるを得なかったので低みの見物をさせていただこうと思う。
おばはん初心者ながら頑張っていく決意表明として書いてみた。年取ることは人によっては悪いことじゃないと今私は思っています。
『長生きしたいならウォーキングより自転車』という事実が260000人以上を対象とした大規模医学研究調査で明らかになっているようです。ちなみにジョギングよりも自転車利用のほうが長生きの傾向。
すべてのリスクを計算に入れた結果、この事実が浮かび上がった、という医学レポートですが所感を伺いたく存じます。
ジョギングでヒザを痛めた大統領に対して、大統領の健康を管理する一流の医師が大統領に勧めたのは『自転車』
https://i.imgur.com/0ZS4FcP.png
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20171205-00078904/
電動アシスト自転車も健康効果が大きいようですので、それも良い選択肢なようです。
ヒザは消耗品であり基本的に回復しない。自転車の活用はヒザを守りながら良質な有酸素運動を無理なく継続できるという意味で人々の健康寿命延伸に大きく貢献できるようです。
補足として
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20171205-00078904/
最新の研究ではサドルと接触する部分への影響は否定されている。
また「骨粗しょう症に関しては、何も運動しない人より自転車に乗る人のほうが遥かに良好である」とアメリカ・ミズーリ大学のパメラ・ヒントン博士も明言しています。
終戦記念日になるといつも母に地下の納骨堂へと連れて行かれた。
扉は銀行の地下金庫のように黒く重く、丸いハンドルがついており、
私はその部屋に入ることはもちろん、近づくことも嫌だった。
それでも母の命令は絶対で、私は泣く泣く納骨堂へ入らさせていた。
納骨堂に入ると母は嬉しそうにずらりとならんだ骨壷の一つを選び、
おもむろに蓋をあけて
「ほら、これが人骨だよ」と言って、
嫌がる私に骨を見せつけるのが大好きだった。
母はそこで人骨をポリポリとかじるように食べはじめた。
私はうれしそうな母が怖くてとにかく逃げ出したい一心だった。
小動物のように怯える私を眺めるのが母の喜びにだった。
ある時は父を教えてもらった。
もう、やめて……。何回も何回もお願いした。
ども、ブクマでは散々突っ込みかましてる本業個人店経営チャレンジなう(死語)な、整体師のオバサンです。
なんだか、
乳幼児の頚椎カイロの死亡事故
首ひねる独自マッサージ後乳児死亡 NPO代表任意聴取:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASG9631WYG96PTIL003.html
から、
国家資格(あはき法免許)取得者による整体師やリラクゼーションのお店への批判論
なぜ整体やカイロ、無免許マッサージは放置されているか。 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/716729
へと発展していったのを見て、
なんだかいろいろ考えてたことぶちまけたいなー、
と思ったので、
今までこの「リラクゼーション」と「整体」に身を置いてきた私から見た、いろいろなよしなし事を、まとめてみたいと思います。
とはいっても、反論とか言うんじゃなくて、自分が今まで知ってきた事見てきた事聞いてきた事感じてきた事をつらつらとまとめてみたものです。
あくまで参考に、という感じでとらえて頂けたらなぁ、と思います。
いやぁ書いてるうちにめっちゃ長文になってもた。ごめんなさい。
子宮筋腫の手術を受けるために、ホルモン剤で8か月にわたって月経を止めたことがある。
子宮筋腫は、できる原因はわかっていないが、女性として「あがる」と縮小していくことがわかっている。
その性質を活かして、数か月間「あがった」状態にして筋腫をなるべく小さくしてから手術に臨むのである。
通常女性は、10年ぐらいかけて少しずつあがっていく。その間に起こる負荷が更年期障害としてあらわれる。
今回は、10年かけるホルモンの変化を注射で一気に行うわけなので、割とわかりやすく症状があらわれた。
まず、胸から上だけ「急に」サウナに入れられたように暑くなる。のぼせとかホットフラッシュとかいう。これが15分に1回ぐらいの感覚で来る。
次に、朝起きると股関節が痛い、腕が痛い、肩が上がらない。というように身体の節々が痛み始める。捻挫のような、筋肉痛のような痛み。
※最初は、寝ている間にどこかぶつけたかな?と思い整骨院などに行ったのだが、「寝て起きて痛むなら捻挫ではなく神経痛」といわれ、これも更年期障害の一種と知る。
夜に眠れなくなる。もともと季節の変わり目には眠れなくなるタチではあったが、毎夜寝られなくなる。もしくは浅い。
常に情緒が不安定になる。もともと月経の周期でイライラ期や落ち込み期などが訪れていたが、そういうサイクルがなくなる。個人差あると思うが私はイライラ期で止まっていた。当時の日記を読み返すと、笑って済ませられるようなささいな事でもいちいち憎らしく感じている様子。
眠れないせいもあってか、集中力が落ち仕事の精度がダダ下がる。きのうやれていたことができなくなる。文字通り、衰えを実感する。
骨密度が減る。知らなかったのだが、骨粗しょう症の原因のひとつは女性ホルモンの減少だそう。治療末期には、標準ぎりぎりまで骨密度が落ちていた。お医者さんからは、治療終われば戻るよーと言われたのでそんなに心配してない。
更年期障害はウツ状態を引き起こすこともある。治療が進むと、これまで感じたことがないウツウツ感を感じ始めたので、長引けば危なかったかもしれない。
治療中、ずっと思っていたのは、
「世の中のおばさんって、元気そうに見えるけどたいへんなんだなー」
ということ。(小並感)
いやいや、徐々に徐々に、とはいえ、この身体の状態が年単位で続くなんて一大事ですよ。
365日、家族のために過ごす。朝だれよりも早く起きて朝ごはんを用意し、送り出しては洗濯掃除、パートに出かけたり、内職したり、夕方には晩御飯をつくり帰りを待つ。
それに更年期障害があらわれる年代は、ちょうど自分の子供が思春期で難しかったりするかもしれない。
これだけお母さんの身体には大変化が起こっているのに、子供はそれに気づかず「るせーばばあ!」とか言っちゃったりする。
当時の自分を思い返して母に申し訳なくなり、それとなく話をしたら「お母さんはぜんぜん更年期障害来なかったから別にー。むしろ今の君の辛さがわからなくてすまんねテヘ」って言われてちょっと肩すかし。
たまたまうちの母は恩着せがましくないお母さんだったけど、もし重い更年期障害が出て、辛いという言葉を外に出さなくちゃやってられないぐらい辛いお母さんだとしたら、きっと一番近くの子供とかに愚痴ってしまうのでしょうね。
その子供が難しい年ごろで、自分の悩みでいっぱいいっぱいの時に「お母さんだって辛いのよ!」なんて言われたら、子供は自分が誰からも見てもらえていないような気になってしまうのではないだろうか。なんて・・・。
さて、私も十数年後には疑似ではない本当の更年期障害が訪れるわけですが、それまでにやっとかなきゃならない事は、一にも二にも、身体づくりだと思っています。
気合とか覚悟なんて、実際の体調不良を前にしたらほんと無駄だった。体力づくりと、身体に入れる栄養のコントロール。あとは骨粗しょう症の予防(太陽にあたるとかいいらしいですけど)。
ちなみに、「あがって」よかった変化も実はある。
便秘がまったくなくなった。月経の周期で便秘しやすい時期があるのだが、サイクルがなくなることで、毎日かいちょう。
あとはこれは思い込みかもしれないけど歌舞伎や神社仏閣など、ご年配の方の趣味とするものをじんわりと堪能するようになった。空や草花の変化を心から美しいものに感じられるようになった。最近はあの時ほどにはじんわりと染み渡らない。
もし、冷房の効いた電車の中で、うちわでずっと顔を仰いでいるおばさんを見かけたら、そっと席を譲ってあげていただけませんか。
その方はたぶん、見た目よりもずっと辛い思いをしてます。
ねぎの健康効果
ねぎは、青い葉の部分の葉ねぎと、根の部分の根深ねぎでは栄養成分の含有量に若干差があり、葉ねぎの方が太陽に当たって育つ分、栄養が豊富である。
ねぎに含まれる主な栄養成分には、カロチン・ビタミンB群・葉酸などのビタミン、カルシウム・鉄・カリウムなどのミネラルが挙げられる。
カロチンは、活性酸素の働きを抑制する作用により、ガンを予防。 また免疫力を活性化し、風邪を予防する効果がある。 ビタミンCは、肌を若々しく保つ美容作用を持ち、葉酸はビタミンB12と協調して正常な赤血球を作り、成長を促進する。
カルシウムは、骨や歯を丈夫にする重要な成分で、骨粗しょう症予防に働く。 鉄は貧血を予防し、カリウムは高血圧を防ぐ効果がある。また、ねぎ特有の辛み成分『アリシン』は、根深ねぎに多く含まれ、食欲を増し、胃のもたれを防ぐ消化促進作用や、体を温め、冷え性を防ぐ血行促進作用がある。
さらにねぎは、昔から滋養強壮・鎮咳・去痰効果もあると言われており、様々な料理の薬味や具として用いられている万能野菜である。