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2017-12-15

anond:20171215153118

家族構成とかディズニーランド(ディズニーグッズを含む)との付き合い方次第だと思います。私の元上司40代前半の二児の父で、机の周りはディズニーグッズだらけでした。ただ、どこで見つけてきたのか、職場の机でも浮かない紺とか黒とかそんな色のものばかりだったので、そんなに気持ち悪い感じはなかったです。あと、お子さんたちが小さかったので、家族サービスのふりをして、親たちが楽しむためにディズニーランドやシーに行っていた節があります。確か夏休みフロリダディズニーランドまで遠征してました。

ただ、40代おっさんが一人でディズニーランドやシーに行って、カラフルなグッズを買い込んで職場の机に置いたりしていたらさすがに気持ち悪いと思います

2017-12-12

高級住宅街マダムが飼ってる犬の足はだいたい長い。



コン、コンコン

コロコロ


コンッ



コロコロコロ…


久しぶりに、「石を蹴りながら家まで帰れるか」という挑戦を、23歳の男が挑戦していた。彼はそこそこ貧乏地方で、生まれ東京の院に出て、バイトの帰りだった。


研究ばかりで滅多に着ないスーツに袖を通し、ネクタイが首元を締め付ける。

少し気持ちこそばゆい。まるでコスプレをしているかのような、そんな恥ずかしさ。

ちょっと格好をつけたくて2年前に買った、15万円の高級ブランドのバッグを振り回す。

ぶんぶんぶんぶん



札束で、人を殴る妄想をする。

価値を振り回す。

なんとなく、高い服を持っていると、少し強くなれた気がして、高い物を良く買った。

けれど、そんなカバンの値段も、もうとっくにどうても良くなってしまっていて。

生活からは、逃げられない。愛用していたリュックがほつれてから、あたらしいリュックを買うのが面倒になって、業務スーパーで買った87円のカップラーメンが、高級ブランドに詰め込まれていた。


逃げられない生活からは、逃げられない

小学生の手提げカバンのように、あの小学校3年生。

夏休み前の終業式の日と同じように。

カバンを肩から背中の後ろに回して帰路をたどる。たどる。


コンッ

コロコロコロ…


コンッ

コロコロコロ…



大きく石を蹴り上げる。

ガッ



ザザザーッ!



茂みに、石が迷い込む。



どこだどこだ。と、必死に石を探す。

午後7時の横浜市みなとみらいの、高級住宅街の近く。

街路樹の中にスーツのまま突っ込んで、必死に石を探す。




スーツが汚れてしまう。

カバンが傷ついてしまう。

一瞬頭によぎるが、どうでもいい。



ガサガサと草むらに突っ込み、何の価値もない石を、探した。

バカみたいだ。俺は何を必死に探してるんだろう。

あんもの、どうでもいいのに。

また汚れる。せっかく昨日洗濯したのに。

また、別の石をみつけて、蹴って帰ればいい。

でも、「あの石」じゃなきゃ、だめなんだ。

「あの石」じゃ、なきゃ。だめなんだ。





「ワンッ!」





後ろで犬が吼えた。

振り返ると、やけに足の長い犬。ドーベルマンか何かだろうか。

犬を連れている、品の良さそうな婦人が怪訝な目をして俺を見る。

田舎の生まれ自分が都会に出てきて最近気づいたことがある。

地方都市自分の家のまわりでは、当時ダックスフンド流行っていたこともあり、足の短い犬が多かった。

高級住宅街に住んでいるマダムが飼っている犬の足は大体長い。

高級住宅街に住んでいるマダムがつれている犬は大体3匹くらいいる。

高級住宅街に住んでいるマダムのかけているサングラスは大体でかい



このことから推察するに、ドバイ石油王は足の長さが2mくらいの犬を複数連れ、やたらデカサングラスをかけてると思われる。


「ワンッワンッ」

足の長い犬が俺を更に威嚇する。

マダムも怪訝な顔で俺を見る。

当然だ。大男が草むらを必死に漁っているのを見れば、マリファナでもやってんじゃないかと思うだろう。

俺は恥ずかしくなって、愛想笑いをして、軽く会釈した。



マダムは俺を一瞥し、リードを引っ張るとまた歩みを進める。


俺は少し恥ずかしくなって、それでも、あの石を探すことはやめられなくて、ガサガサと茂みを漁った。

似たような形の石が何個か落ちてる。見る。違う。見る。違う。


あっ…

「あった。」



声に出す必要のないことを声に出す。

少し赤みがかかった、ゴツゴツとした5cmくらいの石。

蹴っていくにつれて角が丸くなっていったから間違いない。

これが、俺の「あの石」だ。


道路に戻して、もう一度石を蹴りながら帰り道を歩く。

鈍くひかる黒の革靴に、少し傷がついていくのがわかった。



意味がない。

不審者だ。

何の生産性もない。


けど、やめられない。



コンッ

コロコロコロ…






コンッ

コロコロコロ…




石が転がることで刻む一定リズムが、何かの鼓動音みたいだな。とか、そんな妄想をする。


あの頃と同じように、あの頃と同じように振舞おうとする自分が、

すっかり大人になってしまって、それでも大人に染まりたくないと思う自分が、


自分特別だと思う、ひねくれた大学生みたいでなんだか嫌で。

それでもやめられなくて


流れていく時間や、義務や、役割。の、何かに抵抗するかのように、

石を蹴り続ける。

荒々しかった石の角は、少し丸くなっていた。




「ワンッ」



遠くでまた、あの足の長い犬の鳴き声が聞こえた。

高級住宅街に住む犬の足は、長い。

日本をでた。

日本からでて今世界旅行をしてる。25歳。会社は辞めた。

ヨーロッパの人に会うとだいたいバケーションで1ヶ月とって旅行をしている人が多い。働いてたとき夏休み有給をつけて9日間が限界だった。そのことを話すと大体「何のために生きてるの?働くため?」みたいなことを言われるわけだけど。

そんなこと言うとヨーロッパ経済が悪いとか、日本生活保障が手厚いとか言うけど最近日本ってデフレデフレで物は高くて給料は低いか若者が1人で生きてくのもしんどいし、どうせ働いて税金取られて年金も貰えなそうだし、自分で言うのもおかしいけど、まだ私は若いから日本って国に拘らなくてもいいんじゃない?って思ってる。

日本のご飯も温泉も、日本語も何もかも好きだけど衰退していく国にいつまでもしがみつくのはなぁ、なんて。

2017-12-11

anond:20171210190440

自分以外にもこんな感じの人いるんだな。つられて、つい自分語りをしたくなったよ。

自分はこの元増田より2−3年下だが、うちも両親中卒だ。おかげで高校入るくらいまで大学というものがどういうものかさえよくわかっていなかった。それどころか勉強を親に教わった記憶がない。

なにしろ小学校の高学年の頃には、勉強に関してははっきりと自分知識能力母親より上だと認識していた。親から勉強を教えてもらった記憶など、小学校以降ない。父親父親勉強のじゃまばかりしてくる。なにしろ家で勉強をしていると酔っ払った父親に家で勉強なんかするな目障りだと怒られる。

おかげで高校まではテスト前にちょっと復習するくらい(親が帰ってきたら止める)で、のびのびと過ごさせてもらった。

たまたま中学の成績が良かったので、ろくに勉強もせずともぎりぎり大学進学できる程度の高校に入れたのが僥倖だった。その高校公立で家から自転車で通える範囲だったのも幸運だった。貧乏な家だったので電車通学が必要だったり私立だったりしたら止められていただろう。

その高校に入って2年目くらいでようやく気がついた。このままじゃ面白そうな職、面白そうな仕事にはつけないぞと。世の中にある面白そうな仕事弁護士大企業エンジニア作家官僚パイロット建築家ーそういった物の多くは大学を出ていないとスタートラインにもたてないらしい。はずかしながら高校生の半ばまでそんなことさえ知らなかった。

そこから必死になって勉強した。勉強してないのは飯食ってる時間、眠っている時間部活時間くらい。それ以外は全部勉強にあてた。3年になって部活が終わってからは飯、勉強、飯、勉強、飯、勉強、寝る、の毎日。おかげで高3のころには県でも上位の成績を取れるようになっていた。

だが、それが父親には余計気に食わなかったらしい。親戚の話によると中学の頃まで父親の成績はけっこう良かったのだが、その父親(私の祖父)がアル中でろくに働かないせいで進学を諦め、中学をでるとすぐ働き出して弟妹達を高校まで行かせたそうだ。泣ける話だ。だがそのルサンチマンであたりちらされる子供にとってはとんでもない災難だ。

家で勉強しているのを見つかると怒鳴られる、酒をかけられる。夜中に泣いて家を飛び出したことも何度もある。毎日家に帰りたくないと思っていた。何ヶ月も父親と口を聞かないこともあった。そのうち不憫に思ったのか叔父や叔母が仲介に入ってくれて、物理的な嫌がらせは止まったが、それでも家で顔を合わせると「誰の金で食わせてもらっていると思っていやがる」などの嫌がらせ言葉が飛んでくる。3年の夏休み頃、一時的に成績が落ちたのを挽回しようと家で勉強していたら家業の手伝いをさせられた。たのむから勉強させてくれというと「お前が勉強するための金はどこから出ていると思っているんだ?」という答え。その後なるべく家では顔を合わせずにすむようにしつつ勉強を続け、成績ももどり、どうにか東大に入った。(嘘だろうって?そう思うんなら勝手にそう思ってろ。しょせん増田だ。)

高校最後一年くらいはこの家から早く出たいという気持ちが、将来ひとかどの人間になりたいと思いと同じくらい強くなっていた。家を出ることができて心の底からほっとした。東大に入ったことよりもそちらのほうが嬉しいくらいだった。その後大学院まで進学し、外資系就職し、今は海外からこの増田を読んでいる。

益田と同じように両親をうらんいるかときかれれば、恨んではいるが仕方がなかったことも理解していると応えるしかない。それは当時から同じだ。自分学歴コンプレックスから優秀な子供邪魔をし芽を摘む一歩手前まで行ったことは今でもゆるせないが、同時に、自分より劣る弟妹を高校に進学させるために中学を出て働き出したというエピソードには一人の人間として畏敬の念を抱かざるを得ない。

高校の時以降、親を頼ろうと思ったことなど一切ない。その点ではまったく恨んでなどいない。ただ、恵まれ同級生たちをみて、自分の親が彼らの親のようだったら、自分ももっと素直に育っていたのだろうか、同じように青春人生幸せを感じ取れたのだろうかとつい詮なきことを思い浮かべ悲しくなるくらいだ。高校をでてからはろくに実家にも帰らなかったが、初孫にあたる息子を連れて行った時は、本当に喜んでいた。その姿をみて毒気が抜かれた。自分が生まれた時もこんなふうに喜んでいたのだろうかなどとさえ思った。

その父親はその後病気になり後遺症で口さえ聞けなくなった。たまに一時帰国時に入院先に見舞いにいっても、言葉にならない声を出すばかり。ただ目には喜びがうかんでいる。子供の時には仲の良い親子だった。その頃の気分になっているのだろうか。それとも俺のことな無視して孫達に会えたことが嬉しいのか。話が聞けないので、それはわからない。

2017-12-07

ひとりでいたいだけなんだけど

なんだかんだとそれを許さな空気を作る人よ。

小中高大と経てきて人間関係揉めたことも反省することも多々あるわけで、

もう20代も半ばになれば人格は一通り形成されてる。

やれ飲み会だやれバスケ夏休み旅行行くぞ

いいんです、勝手にやってくれれば

来ないことを批判されて変わり者扱い

これは、わかるんです。

どっちでもいいなら行っとけよ、空気読めよ、ってこと。

でも残念なことにどっちでもよくない私は行きたくないのだ職場を出たらひたすらひとりでいたいのだ。

から、変わり者っていわれてきたし

自分でも十分自覚している

自分の中でずっと真剣に考えてきた結果、職場人間友達付き合いするつもりはない

飲み会は各科の歓送迎会仕事と思っていくようにしているけど同期の飲み会とかは極力回避したい

職場ではそれなりに普通にやりたいし、自分が言われて嫌なことは人に言わない、されて嫌なことはしない

機嫌や不調を表に出さず、いつもにこにこしているように。

ごく人間として当たり前のことだけ。(でもこれができない「大人」も普通にいるんだなぁ…)

でも私はそのルールを守ることだけで精一杯。

飲み会に行っても私はどうしても周囲の会話が聞き取れない、

周囲の話の流れがつかめない、

自分が言うべき返事を理解するのにずっと苦労してきたし、

学習して応用して…って時点ですでに無理があるでしょう

その場にいて自分の居場所がないという気持ちがどんどん強まって周囲の笑顔理解できず、自分笑顔は引きつる一方

ただただ時間の過ぎるのを待つだけ、

興味のあること以外に興味をもてないのは小さいときから

言葉の裏もまったく読めず

嘘を嘘と見抜けずマヌケなことをしてしまう(そして笑われる)

自閉症スペクトラムに片足つっこんでいるかもしれないけど、私がとても、とても鬱憤を溜めているのは、

空気が読めないイコール何も考えていないという一方的な決めつけ

なぜ?なぜ私が何も考えていないと思うの?

人を不快にさせ傷つけることを平気で言うその神経。

家にかえって悔しくて悔しくて何度も泣いているって一ミリも思い至らない

空気が読めない=何をいっても理解できない

そう思ってる馬鹿は死んでほしいと思ってしまうよ

そんなあなたにも大切な人がいるんでしょ?

なんで想像できないのかな…

私にも、大切な家族友達、先輩、後輩、いるんですよ。

だってちゃんと人を想ったり、傷つく心もあるんです。

その限られた人付き合いも、「普通からは外れているんだろうと思うよ

基本はひとりでいたいわけだから

考えても考えてもまったく言外のルールが分からいかアスペルガーなんでしょう

空気が読めなくて結構、私はそういう人間から、ってイキってるわけじゃなくて、

本当に分からないものは分からないし

もう、会話する気も起きない。

宇宙人って言われ続けるけど

からみれば、あなたたちの方が、宇宙人(これを言ったらまた笑われるんだろうけど)

言葉にしない「空気」を読み合えて一人前なら、

私は一生、一人前になれません

これまでわたしを許してくれた人たちは、きっと両者の境界に寛容な人々

定型アスペ境界

わたしは、誰のことも弾かないようにしたいと思ってるけれど、

あなたたちのような人間いつまでもは優しくあれません

わたしを許してくれる人達をせめて、大切にしたい

それでも、諦めている本心には変わりないんだけど。

この無力感

自閉症スペクトラムの人には、往々にしてあることだと思っている。

2017-12-03

リサーにいたアラサー女が思い出を書くよ。

小学校とき結構成績よくってクラスで1番だったんだよね。

でも、親が教育熱心でなく、中高公立で、大学早慶行けそうだったのに女だからって女子大

上に行くなって言われる人生ってストレスで、大学生活は目いっぱい羽を伸ばそうって思って。

そんな感じで大学入学手続きの3月4月。

毎日毎日大学の近くでサークル勧誘男子がたくさんいて。

いちばんイケてた男子のお誘いで新歓コンパ(当時はそんなのがあった)の毎日

最終的に某有名私立大学スポーツイベントサークルに落ち着くことになった。

男子はそこの大学の人ばかりで、女子女子大ばかり。

スポーツイベントは単なるネタで、活動のメインは飲み会。ほぼ毎週。

GW明けの飲み会で3年生の先輩から付き合おうって言われて2人で泊まり旅行に行った。

初めての彼氏。そのころから先輩と付き合う女子がぼちぼち出てきて、6月にはほぼすべての女子彼氏がいた。

そのころ、彼氏過去カノのことを聞いたりしたときにやや違和感があった。

異変が起きたのは夏だった。

夏休みに入って、先輩に振られた。たいした理由もなく喧嘩して、そのままもう付き合えないって。

私にとっては初めての男性だったし、夏は彼と海に行こうとか楽しみにしてたから凄いショック。

でも、夏休みサークル平常運転飲み会だらけ。

飲んで泣いているところで、別の2年生の先輩に慰められて、その日のうちに抱かれ、そのまま流れで付き合う。

ふと周りを見ると、夏休みに先輩から振られる1年生の子が次々に。

私と同じように、傷心の女の子を、別の先輩や同級生が慰めて、流れで付き合っちゃってた。

夏休みが明けて、またその2年生の彼氏に振られた。飲み会で(略)別の2年生の先輩と付き合うことになった。

だいたいみんな1年生の女の子は、そういう感じで付き合っては2~3か月で振られて、別の男子と付き合ってた。

そうやって何人かの男の子と付き合って、心が燃え尽きた女の子からサークルを抜けていく。

男の子と付き合ったこともない子が、大学でたった半年で2~3人の男子と付き合い、振られるのは精神的にきつい。

ちなみに1年生の男の子は、早々に彼女を見つけた男子サークルから抜けてくか、2か月ほどで別の子と付き合うサイクルに入る。

要は、このサークルは、男子計画的に何人かの女子シェアするシステムだった。

女子大の1年生を勧誘し、3年生の男子から優先的に手を付ける。

ずっと付き合う気にならなければその子を2年生→1年生と払い下げるシステム

どこかで男子が気に入って長く付き合う彼女にしたいと思ったらそうなる仕組み。

でも上位の男子から下位の男子に払い下げる際、女子のいろいろなことを話して、

下位の男子がどの女子に行くかドラフトみたいに調整してたらしいので、

まあ、普通感覚を持った男子なら、長く付き合う彼女にしたいとは思わない。

だって、話される内容はほとんど身体の特徴とか寝たときの反応とかだったらしいから。

そんなのを知られてる人を真面目な彼女にする男性は少ない…らしい。

男子のその辺の感覚っていまいち理解しがたいところもあるけど。

私は、3人目に付き合った男子と気が合って、長く付き合うことになったのでそのサークルに居残った。

世渡り上手くて高校まで運動部で、サークルの中でも顔の効く、いわゆるアルファメールですな。

なんだかんだで有名大学の男子と付き合うのは自慢だったし「上に行った」感がある。

その彼氏も1年生のつまみ食いとかしてて、牽制たかったってのもある。

結局その彼氏卒業までに20人近くの子関係があったはず。

私はそれまでの3人だけだったけど。

あ、ウソウソ彼氏浮気の仕返しに一年生をつまみ食いたことはある。3人ほど。

在学中に例の早稲田事件が起きて、彼氏とかは「早稲田のあの連中は合意なしでやるからダメなんだ」

って言ってたけど、本質的には変わらないじゃんって思いながら話を聞いてた。

実際、うちの大学の中では、うちのサークルは「やや危ないところ」って評判あったし。

結局そのサークルは4年生で引退して、就職して、大学時代のことはなかったように真面目に過ごし、仕事一筋。

うまく乗って、周りはエリートちゃんばかりの大企業総合職やってます

それで職場結婚しました。東大卒。クッソ真面目でいい感じの出世系。

と思って会社の同僚の東大卒に聞いたら、こっそり教えてくれました。

あいつが学生時代いたサークルって、ヤリサーなんだよ。

東大にもヤリサーってあったのか。まあいいけど。

部活動の歪み/ある特殊部活動顧問の嘆き

20年ほど前

大学をでて私立学校事務室就職する際に

「うちの学園では4大卒事務室でも教育職で取っている、君は教員免許はないが教育職で取る」といわれた

担当教授相談した所「それはいい!学校内での立場がまるで違うはずだし、給与もいいはずだ」といわれ、そういうもんかと思い就職した

一年目はよかったのだが二年目の校務分掌を決める際に校長から

「実はサッカー部顧問がいなくなりあいしまう、君やってもらえないか?」といわれた

「いや、サッカーどころか運動のようなものはやったことがない」

「でも、君は教育職として採用しているので部活動をやる義務があるんだ」

といわれ、やることになったもちろんそこからはおきまりコースだった

事務室は勤務時間が7:30から16:30と9:00から18:00を一週間ごとに変えるという勤務体系だったのだが僕は学校から離れたところにあるグラウンドに行かねばならないので7:30固定になり16:30になると急いでグラウンドに行った

そして18:30まで部活をやりその後残業という勤務になった。もちろん土日は部活動でなくなることが多くなり平均の月の休みは2日ほどになってしまった

教員はなんだかんだいって夏休み半日程度の部活動のことが多いが事務室はそういうことはない、部活がないとき事務室で通常業務部活があるとき夏休みでも残業になった

そこまではまだよい(よくはないが)、あるとき僕と同い年の同僚の給与と僕の給与比較するチャンスが有った

なんとその同僚のが高かったのだ!

これはなぜかというと教育はいくら残業をやっても残業代は出ず、基本給の4%のみ最初からついてくるという特例で、逆に事務職は勿論普通に残業代が出る

僕らは月に平均40時間ほど残業があった、そのため同年齢の高卒事務職の方が基本給は安いものの基本給にプラス30%ほど割増の残業代がつきトータルの月給はぼくより多かったのだ、ボーナスを含めたらどうなるかわからないが、これにはすべてのやる気を失ってしまった

なにしろ普段の日は僕のほうが部活の分、仕事が多少遅くなり帰宅時間自体は僕のがいつも遅く、しかも、土日は部活動休みがないのに、普通に休んでいる人のほうが給料が高いのだから精神的に参ってしまった

もちろん、このことを事務長にいい、校長に報告がいったらしかったが結局、部活をやめるのにその後4年かかった、僕より若い男性教員がなかなかはいらなかったからだ

このようなことは特殊な事例かも知れないが、とにかく部活動というのはいろいろな場面に歪みをうみだしている

2017-11-28

朝弱い私の半生【追記あり】

朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。

幼稚園時代

朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。

確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。

母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。

小学校時代

基本的に間に合わない、起きれない。

小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。

中学校時代

ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。

無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み冬休み部活練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。

高校時代

眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないか医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリン規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。

死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。

浪人時代

再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族から批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。

英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田慶応マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか

いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。

昔は大学卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。

もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器

志望校は、早稲田慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)

大学時代

受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。

サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルボーカルギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラス経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店バイトギターを習う。ボランティア読書会浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。

就活

大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。

まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。

結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。

自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか椅子に座ることが苦手だから事務職視野に入れなかった。

確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。

最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。

販売職時代

数年前炎上したブログに、「社会底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的ギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。

一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿愛嬌コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。

色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。

専業主婦時代

本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。

ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。

しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。

「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」

他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。

そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。

やっぱり私はダメなのかな。

そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。

保険屋時代

最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である

相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。

しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料お客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。

1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェ図書館時間を潰して、適当報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。

数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。

私は愛嬌保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。

この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。

今月、私は上司退職したいと申し出た。

最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。

私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。

はいだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。

私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。

ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那高収入から基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からいから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。

いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。

欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。

誰がこの増田を読んでいるかからないけど、読んでくれた人、ありがとう


【追記】

書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。

反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。

ありがとうございます普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます

元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について

まずは、ご意見ありがとうございます

あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。

匿名ダイアリーからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田醍醐味だと思います

知り合いには誰にも見せない日記から、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本謙遜する文化から、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要ファクターでした。

正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。

この記事コメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。

から、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。

自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。

あと、ちなみにイージーモードではありません。

美人からと言って何でも許される訳じゃないんです。

それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます容姿の良さが仇となることもあるのです。

・そこまで朝弱いのは起立性調節障害や低血圧では

血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。

大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。

しろ今の会社の上司が、女性営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います

起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。

・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う

私もそう思いますそもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。

あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。

・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった

自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那暮らしから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います

・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも

そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいますコメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います

愚者あほ)が出てくる、村外(とかい)‪が見える

愚者あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人批判に答える

28鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。

夏休み大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品諳んじることができよう。

しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。

(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐから箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのもの真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)

そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから新人デビュー作としては文句のない出来だ。

選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末ミステリランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。

なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うもの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章無用である。ほかの小説評論を読んでいるほうが、よほど有意義時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。

それでは本題にはいろうと思う。

あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。

一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。


藍川陸里「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」(補遺の坂)

http://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html


本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分ミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。

もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。

読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。

なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。

もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。

「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口レビュー」を展開している。

しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。

念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書於いて最大の愚行である


1.登場人物ゾンビへの対応

……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題クリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。

当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。

2.推理をせずに自白に頼るのはミステリとしてどうか

……記事から引用しよう。「‪第一殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人から自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった‬」

端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一殺人真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一殺人直後の現場検証於いてベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。

また、この項目のなかでは「最後犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはら自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。

かに解決編では犯人が自ら名乗り出る。

しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である

3.ホワイダニット真相

‪……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。‬

‪まず、第一殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。‬

‪また、第一殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である犯人人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判的外れしか言いようがない。‬

4.1つめの殺人推理ロジック

……「‪推理根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。‬

そもそも、この疑問自体ほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。‬

5.1つめの殺人の顔が食べられた謎‬

‪……このあたりから、箇条書きの見出し日本語が怪しくなってくる(係りが不明である)。‬

‪進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。‬

6.推理が始まってから証拠が出てくる

……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人文章をあげつらう労力の何割かを自分文章に向けることをお勧めする。

7.登場人物名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。

……難癖以上のものではない。

8.キャラの書き方が雑すぎる

……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズルストーリイに対して、心理描写多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。

9.音楽伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。

……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在否定されることとなる。

10.最初ワトソン役の推理ものすごく適当推理をする意味が分からない‬

‪……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理於いては当たり前の手順である。‬

11.犯人メタ読みできる

……だから、どうしたというのだろう。

読者を驚かせることが推理小説第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。

何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。

12.叙述トリックが地味すぎる

……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れ批判である

13.探偵心理が異常

……「――あげない」

強い口調。

「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)

この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである

14.‪3つめの殺人の毒の入手方法面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している‬

‪……これ程までに作者に説明強要する理由がわからない。‬

から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。

15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい‬

……「救助のヘリが現れたのはそれから時間後」である(303頁18行目)。

何がずるいのかさっぱりわからない。

それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。

16.文章は読みやすいけれども、引っ張ってくれない‬

……読みやすさは、ひとつ美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。


ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。

それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。

例えば、以下のようなものである

‪「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」‬

‪……恐ろしい。とうとう選考委員北村薫氏まで批判対象となるのである。‬

推理小説於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビ存在を踏まえたうえで事件不可能趣味真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリ作法に則って書かれているから「融合」と賛している。‬

‪決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。‬


田舎者も村の外を一歩でれば、自分価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。‬

‪そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。‬

‪すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込み批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。

‬まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)

2017-11-21

賞の名前が軽い

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%90%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%AD%E3%82%A6

一般にはアリジゴクは、羽化時まで糞だけでなく尿も排泄しないということが通説化していたが、

2010年にこれが覆されたと報道された[3][4]。報道によれば、

千葉県袖ヶ浦市在住の小学校4年生がアリジゴクの尻から黄色い液体が出ることを発見し、日本昆虫協会に報告した。

1998年には研究者が「糞は排泄しないが尿はする」ことを調べ、尿の成分に関する論文も発表していたが[5]、

多くの人が長年確かめようとしなかった昆虫生理生態を小学生自力発見たことが評価され、

この研究に対して協会より「夏休み昆虫研究大賞」が授与された。

結構大発見なのに「夏休み昆虫研究大賞」なのかよ!

夏休みレベルじゃないだろ!

2017-11-17

8つ年上の男を振った

8つ年上のバイト先の社員を振った。

バイトといっても来週辞めるのだけど。その、送別会も兼ねて、バイト先の30歳の男性社員と2人で出かけた。

普段は、バイト近くのファミレスでご飯を食べたりするのだけど、わざわざ新宿イタリアンを予約してくれていた。

たわいもない話で盛り上がっている中、夏休みにどこに旅行に行きたいかの話しが出てきたので「いいですね、彼女さんと行けばいいじゃないですか」と言った。社員には付き合って3年の彼女がいた。

「いや、別れちゃったんですよ」

社員が口を開く。重い空気。そう言うのわかってたけど。だって、急に誘われたし、わざとらしいし。

一週間前に別れたらしい(追記:彼女がある宗教信仰していて、結婚の話を進めるのなら入信してほしいと頼まれたらしく)。そして、帰り際に告白された。わたしには付き合って一年彼氏がいたので断った。バイト先では自分のことをあまり話していなかったので、社員は気づかなかったようだ。

わたしバイト先で友達ほとんどいなかったし、ういた話もなかったし、無難ニコニコしてるおとなしい人って感じなので、イケると思ってたんだろうなあ。

と、まあ、よくある話なんだけど。振る側にまわるのも嫌な気持ちだとわかった。

好きでもない人から好意気持ち悪いとか男の子から好意気持ちいいとか某漫画とは違う。

かなり年上の人が自分の目の前でガッカリと肩を落としているのが、見ていてつらい。つらいのは向こうだし、勘違いさせたのは自分なんだけど。わたし反省すべきなんだけど。

そんなのはわかってるけど、なんか、「なんとも思ってない人から好かれる」って重たいなって身をもって体験した。当たり前だと言われればそれまでなのだけど。

2017-11-14

マリオオデッセイクッパ城で、寿の旧字体である壽と書かれた幟がお拍子に合わせて舞うのをみて、祖父仏壇連想する。

子供の頃、親の実家帰省してふあっとした記憶しか残っていない祖父母の仏壇に漫然と手を合わせるたびに

両脇に「壽」と書かれたぼんぼりがあるのは目にしていたけれども、意味も知らなかった。

その理由を知ったのは初めて身近な人を亡くす経験をした祖父法要で。

「うちの家紋は寿=壽だから」「寿って?」「ハッピーってこと」

お酒に昔話に弾む大人道中にげんなりとする中で引火してしまって

眠たいと座布団を蹴っ飛ばして出て行ってしまった。

祖父釣りに行った夏休みは大好きだったから。

皆、自分が入ることになった中学の話ばかり質問責めにあって辟易していた。

あの時、自分自分が知らない祖父の話がしたかったのだ。

ゲームから始まるプルースト効果にしたってなんでこんなことで思い出すのだろう。

思い出せてよかった。

2017-11-10

誰も私のことを気にかけてくれない、というつらさ

一年間頑張ってきたサークル活動が、自分にとって失敗に終わろうとしている。

去年、先輩方の事情で、サークル幹部半年前倒しで私たち一年生に替わった。

いきなりのことだったので、慣れない私たち右往左往しながら、実際のところは何もすることができなかった。

そして、しばらくすると新代表のやる気のなさ、不適任さが浮き彫りになった。

このままではバラバラになってしまう。

私はこのサークルが好きだったので、代表から権限の多くを引き継いで、頑張った。

低空飛行ながら、なんとかサークルは持ち直した。

新年度になり、私たちは二年になった。

勧誘を頑張ったおかげか、新入生がたくさん入った。嬉しかった。

新入生は優秀な人が多かった。

私もやる気が出て、頑張った。いろいろなものを一緒に作った。(私のサークルものを作るサークル)

活動は去年より充実していた。

新入生も二年生も楽しそうに見えた。

私もとても楽しかった。

異変が起きたのは夏休み入ってすぐの、合宿の時だった。

合宿初日夕方、二年生の女子の部屋に呼ばれた。彼女達は明らかに怒っていた。何があったのか聞くと、合宿企画係の女の子と、副代表(名ばかり)が、夕方にとんでもない大喧嘩をしたらしい、ということだった。

話を聞くと、合宿の内容について、副代表がいろいろと文句を言い、それで口論になったということだった。話を聞いて、自分には副代表の方に非があるように思った。

しかし、何より不思議だったのは、その喧嘩した2人が、サークル内でとても仲が良く、ムードメーカー的な存在だということだった。とても喧嘩するようには見えなかったので、私は驚いたのを覚えている。

その後、合宿は(表面上は)無事に終わった。

喧嘩真相は、夏休みが明けてから判明した。

私は(そして部員の大半も)知らなかったのだが、二人は付き合っていたのだ。そして、合宿の一月ほど前に別れていたのだった。要するに痴話喧嘩である

そして、その喧嘩きっかけに、サークル下り坂になっていく。

夏休みが明けて以降、それまで熱心に参加してくれていた二年生の女子たちが、あまり来なくなった。

二年男子は人数も少ないし、元々あまり参加していなかったので、結局、まともにサークル活動している二年生は私を含めて数人になってしまった。

二年生の仕事は膨大である

それを少人数でこなすのは容易なことではなかった。今まで他の人に任せていた仕事も私がやることが多くなった。

それでも、なんとか忙しい中で頑張れたのは、私がまだこのサークルが好きだったかである

しかし、やはり疲れるものは疲れるのだ。

特にイベントの前になると、夜遅くまで残らないといけないことが多く、つらかった。授業中に寝てしまうこともあった。体力的にはギリギリ状態だったと思う。

そしてある日、疲れ果てて夜遅くに家に帰ってきて、考え事をしていると、ある事実に気がついて愕然とした。

それは、もうサークルの誰も私のことを気にかけてくれないということだった。

二年生は、あの事件以来、サークル活動距離を置こうとしている人が多い。少なくとも以前の熱心さはなくなってしまった。私は事情を知ってるから、それを非難することはできない。

一年生は、私たち二年生がどれだけ大変な仕事をしているかまだ知らない。

私の周りにはもう、愚痴を言える人も、一緒に大変だと言い合える人もいなかった。

私を気にかけてくれる人はいなかった。私にはサークル活動がつらいものになっていた。

イベントは無事に終わった。皆、表面上は楽しそうだったが、心中はどうだったのだろう。私はとにかく疲れていた。

そしてイベント後、幹部交代の話が出た。

本当はあと半年残っているのだが、早めに交代したほうがいいとの意見が二年生の間で出たのだった。

色々と協議した結果、残りの半年は引き継ぎの期間とすることになった。

私たちサークルは、一年生の話し合いで幹部を決め、上級生はタッチしないのがルールである

二年生で残りたい人は新幹部と共同して働き、辞めたい人はすぐに交代する。そのように決まった。

私は残るつもりだった。まだ、サークルのために頑張らなければならないという気持ちが残っていた。誰も私のことを見ていなくても、サークルのことについて教えていかないといけないだろうという責任感があった。その時までは。

しか最近、またある噂が聞こえてきた、一年生の新幹部の間で、色々と問題が起こっているということだった。

あの人とあの人の仲が悪いとか、誰にでも愛想を振りまくあの人が危なっかしいとか、あの人とあの人が付き合って、あの人が嫉妬しているとか、そういう話である

その話を聞いて、私の気持ちは完全に切れてしまった。

結局同じか、と思った。

このままいけば、またゴタゴタで消耗し、私たちの代と同じようにみんな消えていくに違いない。

正直、もう関わりたくないと思った。

あと半年猶予があるが、私もその猶予を待たずに消えるだろうと思う。

残った人は困るかもしれないが、もう頑張る気力も、責任感も無くなってしまった。

ここで頑張っても、誰も私のことを見ていないだろう。私の頑張りを評価してくれる人はいないだろう。

そもそも代表ですらない、さらにいえば副代表でもない、ほぼヒラの私が、何故あんなに頑張らないといけなかったのか。そして、何故、誰も私のことを気にかけてくれなかったのか。

何がいけなかったのだろうと思う。

何がいけなかったのだろう。

私の一年間の頑張りは、一体なんだったのだろう。

誰か教えてください。

2017-11-06

[]P4G vita 30h

8月半ばで30時間くらい

そろそろジュネスバイトが始まるくらい

5よりもステータスが上がりやすい気がする

でもコミュがすっげーあげづらい

時間経過なしで好感度upがほぼできないから、かなり厳しい

あと夏休み学校連コミュが一切できないのもつらい

でもまあ難易度下げてるから物理で殴りまくれるから爽快

うーんこういうこというとすぐシュバってくる人いるかあんまいいたくないけど、

正直ペルソナの3以降のコミュイベント、すっげー好き

それぞれは短い会話の積み重ねでしかないんだけど、なんかすごく考えさせられるようなものとか共感できるものとか、応援できるものとかが多くて、

クラナド100時間やるのと同じくらいの感動があるように感じる

ただ効率目指すと一番好感度あがるもの選んだりしなきゃでそこはもろ刃の剣だけど

もっとAIで好きなように選択しえらべてそれに応じたコミュupができればもっといいと思うけどまあ難しいよなあ

あとペルソナ3以降で地味にすきなのパート2としては、授業中のトリビアクイズだな

無駄雑学詳しくなれてへーってなる

まあプレイ後は忘れちゃうんだけど

まさに授業中の先生雑談聞いてる感じですごく楽しい

あと4でよかったといえば男友達魔術師だな

5のリュージがクソうざすぎたのと3が陰湿だったところもあってすごく心地よかった

あと4は世界がいい意味で閉じてて、5みたいに無駄に壮大じゃないのもいいね

でも4のNGなところはダンジョン冗長なところだなあ

代わり映えしないダンジョンを10Fも上るのめんどい

色違いなだけの敵を倒すのもめんどい

シャッフルタイムでとくに個性も何もなくペルソナ仲間になるのもいまいちあっさりしすぎてて思い入れ持てない

まあ会話とかせんでいいぶんめんどくないともいえるけど

anond:20171105074601

quick_past おもちゃを売るための作品としての側面が強くて、キャラクターが長続きしないよなあ。アメリカみたいに同じシーズンを鬼ループさせて商品もロングライフ化させる商売はできないもんかね。

アンパンマンとか

結局、他にそこまで支持されるキャラクターを作る事が出来ないか

から次へと新しいキャラクター=新しいおもちゃを出す商売しかできないのかな。

あのどんどんキャラ使い捨ておもちゃも粗悪品だろうと売り逃げする姿勢がどうも好きになれないんだけど。

夏休み商戦の為に新キャラ出して、クリスマス商戦の為に新武器や新フォーメーション出して、と

物語おもちゃの都合で作られるし。

2017-10-29

不安

彼氏ラブラブだけど、ラブラブなのに、返信遅いと異常なくらい不安になる。

彼氏一目惚れで付き合ってるし今までも私が色々やらかしたことを全て許してくれたような優しい優しい彼氏ではあるけど

でもだからこそ、あぁやっぱり私の性格イヤになったらとか、今までのことも蓄積されてたら…とかもうどうしようもない不安でいっぱいになってしまう。

どうせ一目惚れで付き合ってる女の子性格なんて好きじゃないだろうし(性格もココとココが好きだよとは言ってくれるけど)

対面してる時にやらかす分には「彼氏の好きな見た目」ていう最大の武器こちらは持っているので自信満々だけど

会えてない時間はその武器がない(気がする)からすごくすごく不安になる。

もうお腹がキリキリして食欲がゼロになって涙が勝手ボロボロ出てくる異常さ。

その度に、彼に見向きもしてない時代アプローチされて可哀想なことしちゃったかなて時のこと思い出して尚更辛くなる。

夏休みもその状態になって、モデル体重まで痩せたくらい。

ごめんなさい言ったし既読もついてるのに。

バイト中ていうのはわかるけど。あんまり彼に送るのもダメだと思うからはてなに吐き出した;;

2017-10-27

いきいきママ被害妄想って何なんだろう

自分が一番苦労してる、周りは皆楽してる、ズルイズルイというあれ。

本当に、視野も狭いし世間も知らない感じ。

他人が私を批判するのは、私が楽してるズルイズルイと思ってるから」と決めつけるのは、

自分がそうだからなんだろうな。

大分前だけど、(晒上げするつもりはないのでIDは出さないけど)はてないきいきママさんで

子供産む前は子持ち女は楽してるズルイズルイと思ってたけど、子供産んだら大変な事が分かりました!子無し女ズルイズルイ!」

って言ってる人いたなあ。

んで「職場で周りに嫌われるの、私の大変さを理解して貰えないの、働くママって差別されてるよね」とか言ってて

どこから突っ込めばいいのかと思ったけど。

今でも偉そうに「大変な働くママな私」なブコメつけてるみたいだけど。

あいう人の同類が、上記みたいな事言ってるんだろうな。

例えば職場で「新人」「若い女の子」として甘やかされて、実家に住んで家事母親丸投げ・給料は全部お小遣い、と言う生活していた人が、

結婚して子供産んだら家事育児自分がメインでやらなければならない、給料生活費に取られて遊びに使える金激減、

となって「私今物凄く苦労してる」ってなってるのかな。

学生就職して「夏休みがたった数日しかないなんて大変すぎる」と言っているような感じで。

仕事も元々そんなもんだと思ってるから子供いるからと年食っても甘やかされ続けててもそれが当然と思っていて

仕事なんて楽ちんなもの仕事大変とか言ってる人は無能なだけでしょ、と思ってるとか?

新入社員の頃に、そうやって周りに甘やかされてたのを勘違いして自分超有能周り無能と思っていた自分黒歴史を思い出す。

自分も相当馬鹿だったけれど、流石にすぐ目が覚めたのに

いい年こいて子供いてもその認識のままというのは、世間知らずも甚だしい。

2017-10-26

anond:20171026170148

車の免許は。たいがい大学時代に親が出してくれて、夏休みに取得するかんじでしたね。

地方から車の免許ないと、みたいな風潮で。

自分は、卒業後に働きながら夜間教習所通ったけど。(もちろん自腹)

2017-10-22

死ななきゃいけない気持ちに振り回されていた僕のお話

内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います

僕の中学時代地獄だった。

間違いなくあそこに地獄があった。

少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。

虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。

虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。

家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。

母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。

とても頼ることなど出来なかった。

学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下音楽室の陰といったひと気のない場所避難する時間であった。

とても辛かった。そんな場所だった。

部活小学校の時にサッカーが好きだという理由サッカー部に入った。大失敗だった。

部活にも勿論居場所はなかった。選ぶ場所を間違えた。

部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。

中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。

とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものから勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。

英語がついていけなくなった。

家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校宿泊研修で初めてリンス存在を知る程度には貧しかった。

とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。

旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。

どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。

通学の自転車指定自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。

通学することが苦痛だった。

家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。

中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。

家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。

中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。

中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。

受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。

高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身人間不信になっていた。やはり一人だった。

そして、とても落ち着かなくなっていた。

授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。

ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。

月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。

出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。

単位複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。

留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。

高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯ネット依存するようになっていった。

普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。

ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。

現実は苦しかった。

将来への絶望は消えなかった。

父母弟の介護をしつつ、田舎から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。

ネットへの依存は加速していった。

17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。

オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。

隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。

18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。

19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。

また一人になった。

一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。

より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。

夜に原付飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。

夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分死ぬのではないかと感じていた。

服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。

砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。

死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。

死ななきゃいけないなら、自分自身死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。

当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。

30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。

課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。

深みにはまってどんどん続けていた。

20になった。成人式を迎えた。流石に焦りを迎えた。

バイト探しをするようになっていった。田舎から求人は貴重だった。

毎度のごとく落ちていった。

21になった。レンタルショップバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。

22になった。僕はバイトのままだった。世間就職にまた焦っていった。

23になった。友人の誘いで地元原発作業員になった。入ってウキウキ気持ち原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。

半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカ借金を作れば自分死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。

24になった。転職サイトで中途で入社した。ネット販売員だった。営業だった。件数全然取れなかった。頑張っても取れなかった。

頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。

グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。

25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。

転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレス意識が飛ぶようになっていた。

転職先を辞めてしまった。

無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。

四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。

死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。

虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。

中学のころからの死ななきゃいけないを外すときが来た。そんな風に思えた。

借金は今、自己破産手続きが進んでいる。

2017-10-19

自分状態がよくわからんから精神科心療内科にいってみようかと思ったけど

とりあえず一時期無駄に買い物しまくって押入れいっぱいになった部屋の片づけからやろうかなと思って、

予約の空きを調べてもらってる間に電話切った


自分状態は下記

世の中のがんばってるリーマンとしては割とふつう?なようにも思えるから

単なるわがままおこちゃまのようにも思えて、もやもやしてずっと低空飛行のメンタルを続けている感じ


ひたすら寝たい

貯金は数年引きこもれるくらいあるから仕事やめてひたすら寝たい

仕事やめたい

目の下のクマがひどい

朝方になって何度か起きてしま

仕事中に集中できない、頭がぼんやりしている、考えがまとまらない

土日もほとんど寝てる

やりたいことはあるけどやる気がでなくて寝転がってるうちに寝ちゃう

でもよるもねる

平日帰るのが22時とかすぎたりとか

こないだは定時退社日ちゃんとやれってお達しあったからひさしぶりに定時にかえってシャワーあびてごはん食べたけど、

結局早い時間に寝てしまって好きなことできなかった

好きなこともできないのに仕事でだけいろいろ言われて、集中量 かんがえまとまらないぼんやりしてるから仕事にも時間かかって退社がおそくなって

睡眠時間もへって・・・悪循環

とりあえず死にたい

カジュアル死にたい

安楽死調べたけど無理そうでめんどい

心療内科オランダだかの安楽死紹介してくれないかなとも思ったけどまあまず無理だよな

死にたいっつってもずっとズーンと気分が落ち込んでるわけじゃなくて、割とフラット気持ち死にたいと思ってる

会社の窓から飛び降りたら死ねるけどそしたら会社会社が入ってるビル迷惑かけるしなあと思う

でも割と今ほんとに未練ないから、安楽死できるとこあったら行きたい

苦しいのは嫌だから安楽死じゃなかったら死にたくはない程度の自制心がある

生きるために働きたくない

生きるために嫌な思いしないといけないならもう死にたい

通勤中にこっちの責任ゼロで車がつっこんできてくれたりしないかなと思ってる

夜は疲れてるから割とすぐ寝れる

1週間夏休みとって好きなように寝てたらクマは薄くなったからやっぱり睡眠とるのと仕事しないのが大事なんじゃないかちょっと思ってる


anond:20171019003910

これ書いたあとに気づいたけどここまでひどくないけど似てる部分もあるなあ

・‪夜10時ぐらいに寝ても休みの日に昼間まで寝てしま

→ある

・疲れているのに寝つきが変に悪い、安眠グッズ、リラクゼーション効果が出ない

→グッズとか試してない。ねつきはいいけど睡眠の質が悪い

・夜中何度も目覚める

→朝方に起きるから違う

・好きなことなのにだるくて時間が割けない

→あてはまる

・好きな事なのにやる気が出ない

→あてはまる

・日々の行動の中で生産行動を全くしなくなった(クリエイト系の趣味があると分かりやすい)

→あてはまる

栄養はとっているのに日中ふらふらする

→あてはまる

・ふとした時に意味もなく、または前触れもなく何か辛い記憶が蘇ってきて突然涙が出る

→ない

・食欲が過剰に増えたり減ったりする

→ない 常にフラット

・他意のない言葉自分を傷つける意図を感じとり過剰に反応する

→感じ取るけど反応まではしない‬

仕事が始まる前から失敗や小言、嫌味を想像してひどく憂鬱になる

→ある

[]川口雅幸「虹色ほたる永遠夏休み~」

君の名はのパクラレ映画として上がってたけど映画はなかなか見れないなと思ってたところ、

ブックオフいったらあったから40分くらいでざっと立ち読みした

あらすじ

夏休みに、田舎に帰る子供主人公

そこは、昔村があったけどダムに沈んだって場所

とあるきっかけでダムに沈む前にタイムスリップして、過去の村でひと夏を過ごす


今40~50歳くらいの人ならストライクノスタルジー刺激されるのかなって感じの内容

個人サイトで連載されてたってだけあって、素人くささの残るクオリティで、正直いまいち

セリフとかがいちいち芝居がかっていて、読んでて違和感がある

展開も遅く、内容も薄い

まあストーリーじゃなくて昔の夏の過ごし方ってところがメインになってるからかなあとも思ったけど

地域祭り子供が手伝わされたこととか細かく書いてたりして、ディテールはあるかもだけどストーリーとしては面白みがない

自分過去の思い出を書いてるだけのような感じ

ストーリーとしてはありきたりで特に感動もせず

映画原作とはちょっと変わってるらしいけど映画のほうが自分にはあってるかも

原作ファンにとっては映画ちょっとテーマ変わってていまいちだったらしいが

2017-10-18

がっこーのせんせーです

都内私立高校に勤務している教員です。

かれこれ5、6年は勤務しており、仕事にも満足しています

給料は同じ大学の友人より安いですし、

部活などの休日出勤も多いので決して待遇は良くないですが、

好きな仕事を選んだので仕方ないと割り切っています

ただ、最近、これから先、この仕事のなり手がいるのか不安です。

私は朝5時に起きて7時には出勤しています

定時は8時から17時ですが、始業前の準備や時間外設定の会議を考えると

7時から18時くらいにはなってしまます

それでも遅くまで残業している職種の方に比べれば大したことはありません。

休日も2日はありますが、部活などで休日出勤が続くと30連勤くらいは普通です。

夏休みなどがあるからと思われるかも知れませんが 、

部活合宿の引率、夏期講習などを差し引くとお盆休みがあるだけなので

一般的職業と大差ないかと思います

総合すると給料水準は求められる資格学歴に比して安く、

その他の待遇普通の業種と同じかそれ以下といったところです。

一方、教員に求められる業務は増加しています

文科省方針コロコロ変わりますが、

その都度、カリキュラムの改変や専門外科目の勉強を迫られます

また、未だに手書き公文書が多いことも業務を圧迫します。

なにより一番は生徒対応保護者対応です。

私はどんな理由があっても体罰には反対です。

暴力解決するのは教員仕事ではありません。

昔は一発のゲンコツで済んでいたのかもしれませんが、

根気強く諭すしかありません。

それでも事と次第によっては、声を張り上げて叱ることもあります

しかし、最近ではそうした行為恫喝パワハラだと批判されることもあります

教員の肩を持つ気はさらさらありませんが、

先日も福井中学生自殺した事件で、

教員の叱責が原因であるという批判がなされています

授業妨害をする生徒や提出物を繰り返し出さない生徒に

他人邪魔をするなら学校辞めろ」

勉強したくないなら高校に来るな」

と、叱ったこともあり、これも不適切指導になるのかと悩みます

また、保護者要求肥大化しています

自己都合で休日の出校を求められたり、

電話暴言を吐かれることもあります

もちろん大多数の保護者は協力的で理解してくださっていますが、

問題児保護者ほどいわゆるモンスターペアレントの傾向は強く、

学校での問題保護者に報告しても、

逆に教員指導が悪いと管理職クレームが入ります

一番、ショックだったのは宿題を忘れたことを怒鳴るわけでもなく叱ったら、

人殺し」とクレーム電話が来たことでしょうか。

こういう状況でも大多数の生徒や保護者が支持してくれ、

生徒が志望校合格したり、卒業生が遊びに来てくれると嬉しく、

やはりやり甲斐を感じる仕事です。

ただ、今は経済状況もよく、あえて低賃金責任長時間労働

仕事に就く意味はなく、「奇特な人」がやる仕事になっていくように感じます

また、少し先の見える学生さんであれば少子化日本において、

教育市場は縮小していくので、定年まで雇用があるかも心配するでしょう。

このような状況では優秀な人材教員にならなくなっていき、

教育現場は荒廃していくと思います

文科省は「やり甲斐アピールする」と言っていますが、

業務量の整理や待遇改善モンスターペアレントから守ることなど、

目に見えた対策を取らないと現状の打開は難しいと思います

現役教員の目からたこから教育現場

これから日本への不安でした。

これを読んで少しでも教育について考えてくださったら嬉しいです。

2017-10-17

絵が描けるという呪縛

うまく描けるわけでも、魅力的に描けるわけでもない。

話題二次創作ものを描けば、ピクシブデイリーランキングには入る。

ツイッターRTが100以上になる。

話題のものを描かない場合は、地域ランキング50位内に入る。

ランキングRT数が絵の魅力を表しているわけではないし、ランキングに入っていないから駄目というわけではない。だけど、分かりやすひとつの指針であることは間違いないだろう)

その程度の、絵を描くことができるが、魅力的な絵を描くことができない画力しか持っていない。

絵師になれないインターネットお絵かきマン自分だ。

なまじ創作できてしまう、というのはすごくすごくすごく面倒くさい。

描けないから、出来てないからやめる、というのができない。

例えば、作曲家を目指すど!と意気込み、DTMを起動してみたが、自分が作りたい音がドなのかソなのか、レなのか分からない。ならと適当に良いフレーズを打ち込んでみる。

適当に良さそうなのを選んだので流れできくと全然よくない。だめだ。つくれない。

このレベルなら諦めもつく。

自分には才能がないのだ、と言い訳もできるし、そも、そのレベルで諦めるなら本気で曲を作りたくないわけじゃないんだろう。

なまじ創作できてしまう。描こうと思えば描けてしまう。

自分の絵のどこが悪いのか、どこのレベルが足りないのか、ストーリーのどこが悪いのか分かってしまう。

今日明日自分が描けなかったとしても、1年後の自分は描くことができるかもしれない。ちゃんと練習すれば。

から希望を抱いてしまう。

しかしたら、もっと今より絵を描く時間を増やしたら、もしかしたら、ひょっとしたら、万が一、運が良かったとしたら、プロになって食っていけるんじゃないかと。

あはは、何をバカなことを。

今のイラストレーターの現状を知って新卒切符を捨てるのはバカだ、と就職をした。全然違う職種に。

結論からいうと、大学時代より絵を描いている時間が長くなった上で海外ファンが増えた。

大学時代無限と思えた時間が、就職してはじめて「時間は本当の本当に有限で、ソシャゲなんてやっている場合じゃねえ! オラ、絵を描きたいんだ!」と、気づいた。本当にバカだと思う。

退社して家についたら、即パソコンを起動して絵を描く。

5~6時間ほど描いて寝る。その所為睡眠時間が削られてフラフラしながら出社する。昼休みに寝て、夜遅くまで絵を描く。

どうやら自分コマ割れるらしいと気づいたので漫画も描き始めた。

よくわからないが背景もそれなりに描けるようでびっくりした。8時間の勤務だというのに、一ヶ月に70Pも完成原稿仕上げている自分がいた。バカか?

貴重な1週間の夏休みは、寝る時間風呂トイレ以外の時間をすべて漫画を描くことにあてた。

あてたというか、自然に描いてたと表現が正しい。

それを今日まで繰り返してきた。しかし、身体悲鳴をあげた。

こんな生活を続けていれば、いずれ破綻することは分かっていた。

かに3月の自分に比べて自分画力は成長した。ファンも増えた。

でも、自分はしがないインターネットお絵かきマンだ。神絵師じゃない。

二次創作薄い本は50冊捌ける。オリジナルゲームも100本以上売ることができる。

絵は描ける。でも、魅力的な絵は描けない。

ももっと練習すれば、本気で魅力的な絵を描こうと思えば、自分もっと売っていけば……。

プロを目指すか、今の仕事を続けるか、0と1しかない視野は狭いことは分かってる。

自分でも分かっているが、一度絵を描き始めると6時間以上ノンストップで描いてしまう。毎日時間程度で我慢できるなら、とっくにしている。

から、どうにかしないといけない。

なまじ創作できてしまう。

どうすればいいのか分からない。でも、来年には25歳になる。

どうすればいいのか分からない……。

2017-10-15

anond:20171015135654

悟空だったらなんて言うかな

夏休みそいつ、つええのか?」

そんな感じ?

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