はてなキーワード: ウェブ漫画とは
このまとめ https://togetter.com/li/2223212 の反証みたいな内容です。まとめが気になる方はすっごい長い上見ずらいのでコメント欄をざっくり見てからこれをお読みください。
まず、結論から言ってしまえばシステム的にも内容的にもタテスクウェブトゥーンは日本の漫画サイトに太刀打ちできないし、内容もなろう以上のテンプレートの嵐なので薄いです。もちろん面白いのもあるけどね。
大手であるピッコマですら一日に一回システムにブチギレるくらいにはUIに不便なポイントがあります。漫画の画面すぐに閉じさせろ、頼むからUI出すのに必要なタップがにぶちんなのなんとかしろ、チャージ通知はお気に入り作品だけにしてくれ。
あと、そこそこ大きな問題としてはコミックの刊行スピードがなめくじのように遅いところが多いです。
完結して1~2年たってるのに電子書籍の刊行が凄まじくスロウリィで人気作にも関わらず中盤までしか電子書籍になってないものがあったりするくらいです。早く出せ。
作品の内容的にも本国の内容規制の関係もあると思いますがテンプレの嵐が凄まじく、具体例をあげると魔塔主、回帰、神仙、ソードマスター、オーラ、復讐、離縁、虐待描写、俺だけ最強、読んでいた本あるいはゲームの世界へ転生……このあたりの内容が小説家になろうのテンプレ小説以上に設定にひねりもなくストレートに出てきます。
なので、「これ、前にも読んだな」がわりと頻発します。ここのソードマスターとここのソードマスター、出版社も原作者も違うのに設定コピペ並みに一緒やんけ!がよくあります。
韓国出身のキャラをローカライズ先の国の出身にした結果どうしようもない齟齬が発生したり、舞台をローカライズ先に変更した結果どう考えても違う文化でしょと言った雑なローカライズの結果作品が崩壊しているケースは多々あります。
その他に凄まじく安定しない見ていて不安になるレベルの作画崩壊は日常茶飯事ですし、3D素材がなんかおかしなことになっているものありますし、色塗りがなんか変というのもよくあります。ちなみにこれは国産の特にフルカラーのタテスクウェブトゥーンでもよく見られる現象です。
総じて粗雑乱造が多く、作品の購入や閲覧に問題を抱えた中韓タテスクウェブトゥーンは発展途上にあると思われます。
じゃあ、ピッコマとLINEコミックの売上ってどういうことの?と言いますと電子書籍の巨人であるKindleがアプリでの決済が出来ず実質締め出しを食らっているからです。
それに加え、双方ウェブトゥーン以外にも一般的な漫画雑誌やコミックス、小説なども販売しており、お手軽さも相まってかなりのシェアを誇っていると思われます。
ただ、課金UIがちょっとお粗末なのでKindleがアプリ決済の締め出しから開放され、本格参入したら厳しいかもしれません。
タテスクウェブトゥーンの宿命の一つとして、スマートフォンと運命共同体であることを決して忘れてはいけません。
小さなスマホの縦画面で親指を縦に動かすだけで読める娯楽というのが大半の読者層の考えでしょう。自分もそうです。
しかし、タブレットの軽量化による複数台持ちやAR/MR技術の発展はたやすくそういった娯楽を過去の物にしていくでしょう。
ページを横に捲っていく漫画は人類が滅ぶまでまず変化することのない書式という文化に沿って100年以上に渡って成長してきたもので、同じ書式に縛られたパソコンと合わさり、ウェブ漫画という文化が生まれ、そこからスマートフォンという文化が合流し、タテスクウェブトゥーンは生まれました。
生まれて10年少々のこれから変わりゆくだろうスマートフォン文化に根ざしたタテスクウェブトゥーンは正直に言って文化としての基盤が軟弱で、スマートフォンに非常に寄りかかった存在です。
かつてスマートフォンがフューチャーフォンを追い払った時のようにいつかスマートフォンが追い払われる日も来るでしょう。
そうなった際に上手く移行出来るようにするというのがタテスクウェブトゥーンを出版している会社や、アプリ運営会社の宿命であるかもしれません。
該当の記事内ではジャンププラスやマガジンポケット、マンガワンの売上が取り上げられていましたが彼らの主戦場はピッコマやLINEコミックとは違い、国内一本に熱心な海外ファンが少しと言った所です。特にジャンプは海外向けの別のサービスも展開しているので国内で見える売上と海外での見えない売上の合計は全く違う数字になっているでしょう。私怨にじみ出てるけど職場でなんか喧嘩別れでもしたの?
質も国産漫画として見ても問題なく、コミックの刊行ペースは掲載ペースに対し平均的ですし、物理書籍で出る単行本も非常に多いです。
先程は触れませんでしたが、ウェブ漫画全般においてサービス終了や出版社の廃業は作品が失われる可能性が非常に高く、そういった面で大手出版社が物理書籍を出してくれているのはコレクション的にも作品の保管的にも非常にありがたいです。
更には海外で翻訳され、物理書籍で刊行されているものもたくさんあります。
何が言いたいかと言うとアプリケーションでのセールスランキングだけでこれらの国産漫画アプリの売上を語ることは一切できないということです。
このままでは取り残されるのは明らかにタテスクウェブトゥーンの方でしょう。
記事のもととなるポストをした人物はピッコマやLINEコミックに漫画の出稿行っている会社の運営で、拡散するようにポストしたのはその会社が出稿している漫画の著者です。
更に、出稿されている漫画も実際に拝読しましたが、散々中韓タテスクウェブトゥーンで見たテンプレをなぞっているものばかりで、元のポストからして公平性を欠くものとなっています。
運営している会社のサイトにコミックの電子売上のランキングが掲載されていますが、何年何月のものであるか掲載されておらず、信頼性の低い情報かつ、ランキングを重く見ていることがわかります。
調べれば書いた方の履歴および言動はいくらでも出てくると思いますが、彼の発言はかなり自身の美化に偏っており、サンデーの大量打ち切り事件や、非常に大きな問題となった金色のガッシュ!!の原稿紛失事件の裁判時に編集長であった人物であると自ら語っています。
このあたりに関してはかつての古巣であるガンガン編集部がわりとアレだったことも影響しているとは思いますが、ほぼ同じことを繰り返しかけているあたり、「売れるためなら漫画家に負担をかけてもいいし、管理はずさんでもいい」と言う思考が見え、「ああ、だからあの作品打ち切ったし、粗雑乱造が良しとされるあの界隈を支持するんだな」と思いました。
なのであのポストに関してきちんとした数字やデータに照らし合わせれば多数の矛盾点と自画自賛が浮かび上がると思われます。筆者は面倒になったし、間違いだらけだよという主張は終わったのでこれ以上深掘りはしません。
ピッコマやLINEコミック、comicoでは漫画家の億万長者はほとんど増えません。
結局メディアミックスが物を言います。なのでちゃんとした出版社で書籍出すのが一番安定します。
近年Netflixでウェブ漫画のアニメ・ドラマ化が続いていますが、ああいったものは作品のファンが企画書を出しており、全て非常にクオリティが高いものとなっています。
タテスクウェブトゥーンの中にも映像化したものがありますが、そういった作品はかなりの上澄みの中でも更に上澄みという作品ばかりで、その殆どが会社のチーム制での制作なので漫画家本人に入る金額はそこまでありません。
3 持ち家か賃貸か論争
7 昔のインターネットの思い出話
9 トランスジェンダーの扱い
16 ヴィーガンをめぐる論争
19 論文に関する記事に対する、擬似相関ではないか、という指摘
21 反出生主義に関する話
25 男女を逆にして考えてみる話
26 生成AIに関するお気持ち表明とそれに対する更なるお気持ち表明
32 主語が大きいという指摘
33 また髪の話をしてる…という話
44 うなぎを食べるべきではない、という主張
45 ブラック企業に勤める人に対して、いますぐやめろ、というアドバイス
46 モラハラやDVの配偶者に悩む人に対して、いますぐ離婚しろ、というアドバイス
47 問題のある友人への対応に悩む人に対して、いますぐ縁を切れ、というアドバイス
50 ブコメ非表示のウェブサイトをホッテントリ入りさせるべきではない、という主張
53 体育の授業に関する恨みつらみ
54 ちくわ大明神
58 句読点も改行もない長文に対し、読みやすくてスゴい、との絶賛
60 カブトムシ
61 いまこそ、はてなハイクを復活させるべき論
63 漏らした体験談
65 非モテに関する論争
66 下着を汚しただけなら漏らしたうちに入らない、という意見
67 メタブタワーの上層階まで来る人、レスバの当事者以外にいない説
69 トップコメは変わるかもしれないから「トップコメ」と呼ぶな、という話
70 なぜ人をコロしてはいけないのか論争
71 単著もないのに、という指摘
75 これだからブクマカは、と書いてる人もまたブクマカである問題
76 カブトムシ
78 三大〇〇、あと1つは?のネタフリで、既に3つ(以上)書いている、という指摘
79 三大〇〇、あと1つは?の時は3つ(以上)書くのが通例なのに2つしか書いてない、という指摘
80 カブトムシ
82 いつになったらグラフィーは完成するのか
83 落選を悲しむべきか、「また落選」と言えることを喜ぶべきか
85 トゥギャッたんは本当は何歳なのか
88 獣を檻に入れておくべきか
91 増田のやべーやつ番付の作成者自身を番付の上位に載せるべきか
93 2段ジャンプか、手から無限にからあげの出る能力か、どちらを選ぶべきか
94 カブトムシ
95 睡運瞑菜を実践したいが、あの人みたいにはなりたくない問題
96 再投稿は甘えか否か
97 斉藤巧は甘えか否か
大英イギリスをもじった合同誌を作成している、アー(daieiigirisu)というアカウントがある。今回はこのアカウントとコミティアの関係性について話そうと思う。
まず、「アーさん」と呼ばれ、フォロワーの絵師が描いている「アーさん」はオリジナルキャラではない。
では、なにか元ネタがあるのか?というと、ある。「鈴木さん」という漫画の鈴木みきというキャラである。
http://dnsksrn.web.fc2.com/d2.html
こうして画像で比較してみると絵師が描く「アーさん」というキャラクタと非常に似ていることがわかる。
このアカウントをフォローして長年ヲチしてきたので変遷を知っているのだが、
アーが鈴木みきをアイコンにする→そのアイコンになった鈴木さんを元にフォロワーが「アーさん」を描く→アーがそれをアイコンにする→「鈴木さん」を知らない他人からするとアイコン=「アーさん」だと思われる、
そういった流れになっている。
ここまでならウェブ漫画を元ネタにしたキャラでワイワイやってるアカウントとしてスルーすることもできるのだが、問題はアーがコミティアで「アーさん」を元にした合同誌を頒布してることである。
コミティアとは、一次創作のみという制限のもと様々なクリエイターが創作物を発表して頒布する合同誌即売会である。そこでは、二次創作を頒布することは規約違反になる。
「鈴木さん」の鈴木みきを元ネタにした「アーさん」とは、全くのオリジナルというわけではなくて鈴木みきの二次創作、いや、二次創作というよりも名前と見た目だけ変えたパクリではないだろうか。
そのような「アーさん」というキャラクタを作成したアーという人物はコミティアで知ってる限りでは3回も(!)このコミティアに参加しそれぞれ違った合同誌を頒布している。
コミティアでは、限りなくグレーに近い、一次創作ではない二次創作を行い、それをもとに頒布した相手から金銭を受け取っているのである。
ただ、ウェブ上で絵を描き合ってるならいい。しかし、コミティアで金銭の授受が絡んでくると話は別だ。ウェブ上から去れとは言わないけれどコミティアからは去ってほしい。
大英イギリスをもじった合同誌を作成している、アー(daieiigirisu)というアカウントがある。今回はこのアカウントとコミティアの関係性について話そうと思う。
まず、「アーさん」と呼ばれ、フォロワーの絵師が描いている「アーさん」はオリジナルキャラではない。
では、なにか元ネタがあるのか?というと、ある。「鈴木さん」という漫画の鈴木みきというキャラである。
http://dnsksrn.web.fc2.com/d2.html
こうして画像で比較してみると絵師が描く「アーさん」というキャラクタと非常に似ていることがわかる。
このアカウントをフォローして長年ヲチしてきたので変遷を知っているのだが、
アーが鈴木みきをアイコンにする→そのアイコンになった鈴木さんを元にフォロワーが「アーさん」を描く→アーがそれをアイコンにする→「鈴木さん」を知らない他人からするとアイコン=「アーさん」だと思われる、
そういった流れになっている。
ここまでならウェブ漫画を元ネタにしたキャラでワイワイやってるアカウントとしてスルーすることもできるのだが、問題はアーがコミティアで「アーさん」を元にした合同誌を頒布してることである。
コミティアとは、一次創作のみという制限のもと様々なクリエイターが創作物を発表して頒布する合同誌即売会である。そこでは、二次創作を頒布することは規約違反になる。
「鈴木さん」の鈴木みきを元ネタにした「アーさん」とは、全くのオリジナルというわけではなくて鈴木みきの二次創作、いや、二次創作というよりも名前と見た目だけ変えたパクリではないだろうか。
そのような「アーさん」というキャラクタを作成したアーという人物はコミティアで知ってる限りでは3回も(!)このコミティアに参加しそれぞれ違った合同誌を頒布している。
コミティアでは、限りなくグレーに近い、一次創作ではない二次創作を行い、それをもとに頒布した相手から金銭を受け取っているのである。
ただ、ウェブ上で絵を描き合ってるならいい。しかし、コミティアで金銭の授受が絡んでくると話は別だ。ウェブ上から去れとは言わないけれどコミティアからは去ってほしい。
近年において最もホットなウェブ漫画の一つに数えられてもいい『ニセモノの錬金術師』が、はてなではあまり語られていない。満を持して増田で一本書いてみたいと思う。
『ニセモノの錬金術師』は、2020年から現在に至るまで連載されている、杉浦次郎氏によるウェブ漫画である。
ジャンルはいわゆる異世界転生モノだが、既存作品とは明らかに方向性を異にしており、その方向性とは作者特有とも言える人間の精神性を執拗に描写していくスタイルだ。
人を愛すること、人を呪うこと――主にその二つを軸に世界観が構築されており、そのような精神性は主に「呪術」という作中独自の技術体系によって表現されている。世界は愛と呪いに満ちている――それが恐らくは、この『ニセモノの錬金術師』を語る上での基本的な世界観であろう。
主人公は、かつて地球にて生を送っていたサコガシラという名前の男性である。ある日交通事故に遭い、異世界へと転生させられる。
その際に神的存在によって高度な錬金術とも呼べる能力を与えられ、その能力によって彼は錬金術師として様々な困難を潜り抜けていく。そんな中、気まぐれに立ち寄った奴隷商人の店内にて、彼は一人の女奴隷と出会う。
あらすじだけを見れば、既存の異世界転生系作品との差別化が不十分であるとも取られかねないと思う。とは言え、読めば分かるのだが、本作は既存の同ジャンル作品とは全くもって方向性を異にする作品である。現状では全話無料で読むことが可能なので、是非ともその目で最終的な評価を行ってほしい。
以下、この『ニセモノの錬金術師』について、個人的に魅力的だと思っている箇所を列挙していく。
本作で描かれる『呪い』の描写は極めて綿密であり、作者の思想や、また恐らくは人生経験が濃密に反映されている。この『呪い』を巡る描写において、個人的に特に感銘を受けたのは、節タイトルの「呪い」についての描写である。
主人公に奴隷として購入された異国の少女ノラは、かつて優秀な呪術師の父によって呪術の手解きを受けており、あるとき彼女と同じく奴隷商の商品であったエルフの女性、ココにかけられた膨大な呪いの存在を察知する。ココは四肢を切断されており、また目と鼓膜と発声器官を念入りに損傷させられているため周囲の人々とのコミュニケーションを取ることができず、長い間その致死的な呪いの存在に周囲の人間は気付くことができなかったのである。
ノラはサコガシラ邸にてその呪いの分析を行う。自らココにかけられた呪いの一端を体験しつつ、その呪いの根本的命題へと深く探訪するのである。最終的にノラは、ココにかけられた呪いが、ココを呪った何者かによるあまりにも深い慈愛からやってくるものであることを悟る。ココにかけられた呪いの奥深くに潜んでいた根本的命題とは、「自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ 痛み 辱められ 毎日に怯え震えて 生きることを命じる」という陰惨なものであった。しかし、同時にその呪いには深い慈愛の影があったのである。ノラはその事実に深く混乱すると同時に、自らが学んだ呪術という技術体系に対する深い侮辱の念を覚える。そして、その何者かに対しての憎悪を露わにするのだ。
呪いというものは誰しもの心に自然に生まれるもので、それは人間の心にとってひどく自然な営みであると、作中では語られる。誰かを呪う気持ちなくして人間は生きることなどできないのである。その、人間にとって自然な感情をコントロールし、時に人間の営為に役立てるために生み出されたのが、作中における呪術という技術体系なのだ。少女ノラは、その技術に深い愛着を持っていた。それ故に、ノラはココの『呪われ方』――深い慈愛と共に、おぞましいほどにまで対象を呪い抜く偏執性――に歪つさを見て取ると同時に、反発を覚えるのである。
作中で最初に重度の呪いが描かれるのが、節タイトルのシーンであり、私はこの呪いのシーンが好きだ。呪いとは、自然な心の働きであり、それは愛することと同様に人間と切り離すことのできない営みなのである――だからこそ、ノラはその営みに深い拘りを持っており、その拘りが示されるこのシーンは作中全体における、『呪術』に関するハイライトとなっているのだ。このような、ノラが持つ『呪い』に対する自然な拘りは、ある意味では作者が抱える『呪い』に対する拘りと鏡映しの関係になっている。作中の様々なシーンから、作者の『呪い』に対する拘りの深さ、あるいは、含蓄の深さを覗くことができる。
この一節は、ノラの父によってノラに対して語られる、言わば呪術の基本のキに当たる基礎的な方法論である。禁忌を破ることと呪いを受けることはイコールの関係になっており、時に呪術師はその呪いを強めたり、あるいは和らげもするのだ。
呪術は度し難い技術である。しかし同時に、呪術とは人間の心に自然と生じる、深い憎悪を鎮めるための技術でもあり、その背反性が作中では極めて自然に溶け合っている。
本作の主人公サコガシラは自己評価が極めて低く、自身の命を極端に軽視するという傾向を持っている。これは、サコガシラに自傷的傾向があるという意味ではない。純粋に自尊心が低すぎ、また、自己評価が極めて低すぎるがために、自分の命を消費可能な手段であるとしか認識できなくなっているのである。
そのため、困難に出会い身近な人間が脅威に晒された際には、その救済のために自己犠牲を必ずといっていいほど為そうとするのである。誰かを救うための選択肢が幾つかあるとして、その第三候補くらいまでに必ず一つは、「自らの命を犠牲にして――」という選択肢が生じてしまう、そんな人物が本作の主人公である。普段の生活において全くその傾向をおくびに出すこともなく、またサコガシラ本人さえ無自覚であるものの、その傾向は歴然としており、基本的に彼は自分の命に価値があると思っていない。卑屈になっているわけではなく、自分の命に価値を見出すことが、どうしてもできないだけなのである。そのような歪つさを彼の周囲は彼との交流の中で少しずつ認識していくのだが、その危うさにむしろ惹きつけられていく。
また、彼の心理の内奥にあるものが作中で示されるのだが、それはあまりにも深い『好奇心』であると本編で語られている。サコガシラは、目の前にいる人物がどんな悪人であれ、どんなに救いようのない人物であれ、その人物に何らかの『可能性』を認める限りで、その人物に対して強い興味――『好奇心』を持ってしまうという、彼自身にさえコントロール不可能な強い傾向を持っている。恐らく、このような他者に対する強い傾向は、上記の自分自身の価値を軽視する傾向と深く関わっているように思われる。
このような歪つさと純粋さが深く絡まりあったキャラクターは、主人公に限っての話ではなく作中に数多存在している。
歪んでいると同時に純粋であれ――その、作者によるキャラクター造形の原理が、この主人公の特徴からはっきりと伺えるのである。
主人公サコガシラの前には様々な敵が現れる。彼らは決まって忌まわしき存在であり、主人公の大切な存在を常に貶めようとするか、奪おうとするか、あるいはそれらの両方を為そうとするおぞましい存在である。とは言え、それにも関わらずニセモノの錬金術師において現れる敵はとても魅力的に描かれている。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、彼らは必ず深く歪んでいて、そしておぞましいほどに純粋なのである。その純粋さが彼ら独自の正義を追求していく過程で、彼らは度し難いほどに他害的な傾向を持つことになる――そのような背反性は往年のライトノベル『ブギーポップシリーズ』にも見て取れる傾向であると感じられる。
それはともかくとして、主人公の周囲に集まってくる純粋に善なる人々とは対照的に、それらの人々に対する悪の存在は純粋で危ういものとして描かれる。その、悪役における人間性の絶妙な機微が本作における重要な魅力の一つになっていることは、論を待たないであろうと思われる。
以上、ひとまず思いつく限りで『ニセモノの錬金術師』の魅力について書き散らしてみた。
amazon(kindle)、ニコニコ静画、pixivといったウエブサイトにて、本作は現在無料で閲覧することができる。杉浦次郎氏の描く深く純粋で歪んだ世界観に、是非とも耽溺してほしいと思う。