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はてなキーワード: 木漏れ日とは

2020-09-27

[]9月26日

ご飯

朝:なし。昼:餃子二人前。ビール。夜:考え中。間食:とりあえずドーナツ

調子

むきゅーはややー。仕事おやすみー。

お酒飲んでしまうと何もできないね。なんとか洗濯はした。それとグラブル期間限定イベントクリアも。

グラブル

バブバブの塔16-1の全員生存クリアを達成できた。

装備が、どうして空は蒼いのかの楽器、シュヴァ剣五凸一本、シュヴァ剣四凸五本、マグナ終末四凸(上限アビつけ忘れてたの今気づいた)、ゼノコロ剣、コスモス剣。

石が、両面シュヴァ石、サブがノビヨ、サンダルフォンフレイゴールデンぴにゃこら太。

第一陣が、

ランバージャックジータ(ディスペル、安らぎの木漏れ日落ち葉焚き)、リミテッドイオ、恒常レ・フィーエ、銃ゾーイ。

第二陣が、

コリーヌ、SSRソフィアリミテッドヴィーラ、最終前ふんふ。

第三陣が、

最終前ソーン、恒常光SSRジャンヌリミテッドノア、恒常SSRアルベール

とにかくリミテッドイオが強かった。久遠捧げた価値を感じられて大満足。

難易度をやると、その属性の欲しいものが見えてくるね。

まず、リミテッドイオもっと活かすためにアビリティのおかわりができる黒麒麟石が欲しい。よんぞうは来月あるんかなあ。

次にランバージャックで握れる武器が色々欲しいな。光だとリミテッドヴィーラの解放武器が強そうかしら。

2020-06-24

もし友達の作り方を知っていたら木漏れ日も優しく感じられたかもしれない

日中太陽光が鬱陶しいだけなのは

日中太陽を外に出る口実に出来ない自分のせいだと感じている。

もし私が友達を作れたら、晴れたことを口実に外に出歩いていたかもしれない。

ふと考えてしまう。

私は学生のころから友達の作り方が分からなくなっていた。

声を掛けられない。

大した要でもないのに声かけたら迷惑かなと感じてしまう。

人が嫌いじゃない、もっと気軽におしゃべりしたかった。

社会人になってから仕事でのコミュニケーションは出来るようになったけど、

くだけたコミュニケーションは出来るようにならなかった。

人と話せるようになりたくてコミュニケーションスクールにも通ったこともあった。

そこで勉強したことは身になったけど、その時一緒に勉強した人の記憶はもうない。

結局、自分から声をかける事が出来ない。

ここや5chのような匿名でないと気兼ねない事が言えない。

Twitterとかfacebookとか方法はいくらでもあるのに使いこなせない。

駄目だな。私は。

2020-06-16

美術館女子

https://www.yomiuri.co.jp/s/ims/bijyutukanjyoshi01/

ドローイング可能性」展で山部泰司の作品と。「見た瞬間に、『すごい』と感動させられた作品です。鮮やかな色と力強い筆づかいに圧倒されます」 山部泰司《3000の流れの丘》2015(部分)(許可を得て撮影しています

ここはアイドル関係なくすごい。まず素描なのにタッチ油絵ってところ。

遠くから見たときマチエール木漏れ日になっていること。

中間地点ではエッチングにも見える。

実験的なのに確信犯

2019-12-06

人間性がクソゴミ

私は20歳大学生なんですが、人間性がクソゴミなんですよね。

具体的に自分ゴミ加減を説明すると、私は利己的で、人が傷つくことが分かっていながらも、つい自分の利を優先してしまう、そんな人間なのです。

私は童貞なので知りませんが、恋人ができてエッチ行為をしても、

愛を育むというよりかは、今日リアルオカズだな、みたいな感じで扱ってしまい、結局その関係は長く持たないのでしょう。私に彼女いたこともありませんが。

そんな私なのですが、素顔を隠し生活していると、意外と普通に生活できてしまい甘酸っぱい青春体験できてしまうと知ったのがここ一月。

大学での講義の合間、暇だったので講堂をブラリブラリと歩いていたのだが、

同じく講義の合間を待っているであろう、同学年の女の子椅子腰かけて、暇そうにスマホをいじっていたので、

ふむこれはセックス・チャンスだな、と声を掛けた。

彼女とはこれまであまり面識がなかったのですが、かわいい子で、芸能人でいうと(よくわかりませんが)髪を少し長くした福原あや?といったところだろうか。

喋ってみると、意外と趣味が合い、共通話題もいくつか湧き出てくる。

紆余曲折あって、アナ雪2見た~?のような話になり、偶然にも前日に友人と変な格好をした人外エルサを鑑賞していた私は、みたよ。とその感想を率直に伝えた。

そして一通りクソ映画の在り方ついて語り合った僕らは、すっかりと意気投合した。

おそらく僕らは次の段階に進もうとしていた。

彼女が急に、他に最近映画面白いものはないか、と私に聞いてきたので、

私は如何にターミネーターの最新作を追いかけることが素晴らしいか、熱意をもって説明した。

それは決してターミネーターが大好きで心の底からターミネーターを伝えたいわけではなく、次の展開を予想してのことだった。

少し間があった後、じゃあ一緒に見に行かないか、と提案してきた彼女は、

先ほどまでの揚々とした空気に合わないぐらいの緊張したトーンで、私から目をそらし、そして小さな握りこぶしを作って、照れを取り繕っていた。

私が快諾すると、そっか。とだけ返された。先ほどと同じように目はそらしているが、頬をほのかに染め、そして静かに笑った。

夏の木漏れ日のような穏やかな時間であった。(?)

待ち合わせの日程は、約束を交わしてから一週間程で訪れた。

駅のホームで待ち合わせをしていた彼女は、渋い赤色アクセントの秋コーデに身を包み私を待っていた。

私は自販機で購入したコーンポタージュ缶を彼女に投げ渡すと、電車に乗り込んだ。

電車内は空いていたが身を寄せ合って座った。講義の話やどうでもいい与太話を喋りあい、時々窓から見える集合団地を眺めては、揃って建っているときれいに見えるものだなと感心したりしていた。

あの空間下では何を見ても喜び感動できる自信がある。キメてるエリカもびっくりの幸福感受量であったと思う。

だが、幸福は長く続かなかった。

あと2~3駅で目的地に到着となったあたり、つもる話も一通り話したので、何気ないSNSタイムが始まったのだが、

幾ばくかしたのち、彼女は固まった顔でこちらにスマホを渡してきた。

そこには彼女の友人(女)が数日前にターミネーターを見に行ったことが書き込まれていた。いい感じの距離間で一緒に写る私と共に。

これはどういうことだ、ということを聞かれたので、つまりそういうことだと答えた。

彼女は立ち上がり、そうか。という顔で私をみた後、降車した。ホームから私の座っている席の窓に唾を吐くと、彼女は私の顔をほんの一瞬も見ることなく早々と消えてしまった。

それに呼応するようにドアが閉まり電車は動きだした。

目的地に一人でついた私は、彼女が窓に吐いた唾を舐めとると、なるべく誰にも顔を見られぬよう早歩きで改札へと向かった。

その唾はひどく冷たく、風の中をつきぬけた味がした―。

2019-11-11

祖母が亡くなって一年経った。

去年の今頃祖母が亡くなった。

人達都内居酒屋チェーンで行けもしない旅行計画話をのんべりしていると母から祖母病院に運ばれた。すぐ帰ってきてほしい。」との連絡があった。

電話があった時点でもうだいぶ飲んでいたし、店から運ばれた病院まで結構距離があったのでちょっと気の抜けた返事をしたら、めったに声を荒げない母親から恐ろしい勢いで怒られたので、本当にただ事ではないなのだと分かった。

酔いもどこかへ行ってしまった。私の腎臓はこんな時だけまともに働く。


祖母痴呆がかなり進んでおり、「痴呆症」で検索すると出てくる症状の7.8割をクリアしていた。そして同棲している我々家族はみな疲弊していた。

病院へ向かうタクシーの中で「これはもう前と同じ祖母に会うことはできないのかもな」と痴呆の初期症状が出てきた時と同じことを考えていた。薄情な孫だった。

祖母と私はどうにも性分が似ているようで、祖母本来性格痴呆からくる性格一切合切馬が合わず喧嘩ばかりしていた。

常に祖母イライラしてレスラップバトルをし続ける日々だった。無論泥仕合である

しかし“猛者”である祖母は、数分経つと喧嘩もその原因も何もかも忘れて「財布がない、誰かにまれたのかもしれない。」と深刻そうな顔で、3分前にしてきたのと同じ内容の相談を私に持ち掛けてきていた。)

だとしても祖母危篤にこんなに心動かされない自分に、祖母危篤のものと同じくらいショックを受けた。小4の時に飼っていたチビジャンガリアンハムスター)の死の方が悲しく喪失感が大きかった。



あと15分ほどで病院につく、というところで母から「たった今亡くなりました。穏やかな顔です。」と短いメールが届いた。



祖母が亡くなった後の我々家族残酷なくらい平和になった。

毎日仕事家事に加え、祖母介護疲弊しギスギスしていた家族は心の余裕を取り戻し、家族の会話は祖母以外の話題が増えて家は昔のような居心地のいい空間となった。

特に祖母に一番心を砕いていた母は、かなり肩の荷が下りたようで、もともと多忙だった仕事の合間に楽しんでいた唯一の趣味にもかけられる時間が増え、比例して笑顔も増えた。

姉も在宅業務の合間に祖母の昼食や身の回りの世話をする必要がなくなり仕事に専念し始め、父も祖母の通院の足のために気を遣いながら会社を休まなくてもよくなった。

末子の私も祖母の遊び相手・話し相手という名の喧嘩稼業の看板を下ろし、平日の夜と土日の時間を完全に自分のために使えるようになった。(あと関係あるのか分からないが慢性鼻炎も治った。なんで?)


今年の夏には私の持ち込み企画として家族全員(4人と一匹)で那須高原旅行にも行けた。

家に残してきた祖母とその面倒を見る家族のことを考えて申し訳ない気持ちになることも、連れてきた祖母がどこかへ言ってしまわないか気を張ってみている必要も無いというのは、こんなに楽で楽しいものだったのかと悲しくなった。

夏の那須高原猛暑や我々の苦労など素知らぬ顔で気持ちの良い風が吹いて、地面に木漏れ日が落ちていた。その中を走る我が家の犬も必要以上におやつを与える人間がいなくなり、3kg以上やせて草原が似合うボディになった。お前元はそんな感じだったのか。


昨年急に自由になってしまった私は来年海外留学を控えている。

皮肉にも社会人になった後も、祖母介護実家住まいだったので、お金を使う暇も機会もなかったのが幸いした。

今までできなかった分、勉強してスキルを身につけてバンバン稼いで旅行に行きまくってやるわい!と意気込み荷物を整理している私に「やっぱりおばあちゃんに似てるね」と母が古いアルバムを見せてきた。

中には祖母が友人や亡き祖父と共に国内外、様々な場所を旅してきた古い写真が大量に挟まっていた。

最後のページにヨーロッパの古城の前でほほ笑む若い祖母写真があった。

痴呆が始まる前の祖母も、私も、外へ出て新しいものを見聞きするのが好きだった。







もうじき一周忌なので気持ちの整理をつけるために書き出したら結構な量になったので、ここに載せて祖母(と私の精神の)供養とさせていただきます

一年経っても祖母が亡くなって悲しいのか嬉しいのかのかからない。自分のことばかりで申し訳ない。

2019-07-31

寺島拓篤がこわい

どこに書けばいいのか分からいから、ここに。

書き方とかローカルルール理解できてないけど、今の自分が思っていることを整理するために書き投げる。

タイトルが不穏だけど、アレだよ「まんじゅうこわい」と同じだよ。

私が寺島拓篤という名前を知ったのは、たぶんアクエリオン

アニメは見てない。

主題歌は知ってる。

そこから何かのアニメドラマCDでちょいちょい名前を見かけていたけど、なんだかパッとしない声だなって印象だった。

寺島は、中音からやや低音にかけての声をこの頃よく使っていたように思う。

正直、主役声ではなかった。

このまま脇役でおさまる声かな?って感じだった。

私が寺島拓篤という役者と向かい合ったのは、うたの☆プリンスさまっ♪という作品だ。

何かの雑誌に載っていた、新作ゲームコーナー特集の数ページだったと思う。

女装教師に「珍しい役やらされてるwww」って笑っていたり、「割と歌えるメンバー揃えてきたなぁ」とキャストを眺めたりしていたが、

一十木音也 CV寺島拓篤

という文字を見ても、「寺島…?あーあの人かーへー」ぐらいの感想だった。

それぐらい10年近く前の寺島拓篤は、私にとって印象に薄い役者だった。

そこから数年後、うたの☆プリンスさまっ♪アニメが始まった。

主題歌のマジLOVE1000%が頭から離れず、そこから転げ落ちるように…とはならなかったが、じわじわうたプリに落ちていった。

今でも推しは変わらず青い人なんだけど、アニメを見てもゲームをしても音也にはハマらなかった。

元気な赤い子だなぁというふんわりした感想しかなかった。

何かが変わったのは、声優さんライブをする、所謂リライ。5thの時だ。

音也のキャラソンは『元気』『明るい』『楽しい』という印象の歌が多かったのだが、

thの時に歌った歌はそれまでの印象とは違う歌だった。

発売された時も、こういった歌が歌えるようになったのか~と思っていたが、生で聞いたらダメなやつだった。

寺島センターステージギターを抱えて現れ、【木漏れ日ダイヤモンド】の1小節目の音をかき鳴らした瞬間に、何故だか涙がこぼれた。

音で聞いて分かる。

弾くことに慣れてない。

でもこのライブのためにできる限り練習をした。

少し震える弦の音と、手元をしっかり見て一つ一つ確かめるようにコードを押さえる寺島の姿。

一十木音也というキャラに対して向き合う寺島拓篤姿勢に、心を動かされたんだと思う。

曲が終わるまでペンライトも振れず、ただただ立ち尽くして泣くしかできなかった。

そして、後からゆっくりと「もしかして寺島拓篤ヤバい奴なのでは?」と思いだした。

思った時にはすでに浸食は始まっていて、そこから今まで気にしなかった一十木音也やうたプリに対する寺島拓篤コメントを読むようになった。

ダメだった。

役者としての気持ち、クソオタとしての気持ち、両方分かる寺島拓篤コメントは、私が求めている「欲しい言葉」がいつもあった。

なんなのあの人。

木漏れ日からかかった呪い時間が経つに深くかかり、新曲が出るたび、プリライに行くたび、ブログを読むたび「あ゛ぁ゛ー」と汚い声を上げて泣くようになってしまった。

一番ダメだったのはファンミ初日の音也としてのコメント

「色んなグループがいるけど、俺たちが一番輝くから

この人天才なのでは???なん、なんなの???

と語彙力が失われるほど心に刺さった。

うたの☆プリンスさまっ♪はスタリからまり、カルナイ、ヘブンズと新しいグループが作られている。

内部(ファン同士)での殴り合いは、何かあるたびに起こっている。

そんな事を知ってか知らずかは分からないけど、あの言葉は音也と寺島、両方の気持ちなんだろうなと思っている。

そして二次元男性アイドルコンテンツ確立したパイオニア立ち位置にある作品としての気持ちでもあるのでは、とも思っている。

今でも胸を張って言えるのは、私は寺島拓篤ファンではない。という事。

個人ライブに行かないし、うたプリという作品以外での活動にはあまり興味を持たない。

かと言って、一十木音也が推しになったのか、と言われると、そうではない。とはっきり言える。

音也関連のグッズ等の何かを買いたいという気持ちは、今でも起こったことがないからだ。

しかし、一十木音也が、そして寺島拓篤が、うたの☆プリンスさまっ♪という作品にいなければならない。いないと成立しない。と思っている。

そう思わせる寺島拓篤の人となりが凄いと思う。

なんだか長くなってしまって文章がとっちらかってるけど、最終的に何が言いたいかって言うと、

寺島拓篤がいる作品はこわい」

って言う事。

2019-07-05

間違いだらけのエアープランツの育て方(追記あり

エアープランツを知っているだろうか? 土がなくても育つという植物で、おしゃれインテリアアイテムとして人気である。チランジアやティランジアとも呼ばれる。少し大きなホームセンターに行けば売られているし、ダイソーで見かけたことのある人も多いかもしれない。

私は激怒した。エアープランツの間違った育て方がネット上に氾濫しているかである検索をかけるとおおよそ植物系のキュレーションメディアみたいなサイトが上位を占めることとなっているが、だいたい間違えている。Google植物の育て方についての真偽を見抜く力はないようだ。

間違った知識を基に植物過酷環境で育てて枯らせてしまっても有罪ではない。なぜなら植物には脳がないかである。我々が植物に同情したり、罪悪感を抱いたりする必要はどこにもない。

だけど、どうせなら元気に育てたいじゃない。

本稿では、巷に溢れるエアープランツの間違った育て方をあげつらって批評し、なるべく元気な育て方を提案するものである

 

間違い1:エアープランツは3日に1度霧吹きで水をあげればよい

あらゆる植物を育てるにあたって、問題となるのは水やりの頻度である

「とりあえず土を常に濡らしておけばいい」というお手軽な植物問題ない。何も考えずに朝晩に水をあげればいい。

ところが、サボテン多肉植物のように「水をあげすぎると根腐れする」という植物に直面したとき、我々は混乱する。誰でも植物に水をあげたいという衝動を持っているが、それを抑制しろサボテン多肉植物は言っているのである。それは「困っているぽい人がいても助けるな」と言われているのと同義であり、我々の本能善意・優しさが激しく揺らぐ。

で、エアープランツである。奴らはそもそも土に植えて育てるものではないので、この混乱は虚無へと昇華され、思考が完全に停止する。そして、キュレーションメディアに書いてある通りに3日に1度霧吹きで雀の涙程度の水を与えて、やがてその植物は枯れさらばえる。

エアープランツは実は水をかなり好む。だから毎日たくさん与えて良い。水の冷たい冬以外は、キッチン水道水を直接じゃぶじゃぶかけても良いし、数が多いなら浴室においてシャワーでざぶっと水をかけても良いし、究極、溜めた水の中にドボンと数時間くらい漬け込んでも良い(これをソーキングという。毎日は非推奨)。

「水をあまり与えなくて良い」という言説は「乾燥に強い」を履き違えた誤謬である。これら二つの言説はこの場合、両立しない。

私は昨年のあの猛暑の一番暑いときに家を3日間空けた。ベランダの日陰にエアープランツを残して。それでも奴らは、ある程度の傷みこそあったものの枯れなかった。だから乾燥には強い。だけど、それは水をあげなくて良いということではないのだ。

 

間違い2:エアープランツ湿度が70%以上あれば水やりの必要はない

フリマアプリにおいてこう記述されているのが目についた。何を根拠に言っているのかわからない。

日本の夏は蒸し暑く、湿度が70%を超えるという。それでも水やりをしなくて良いと言うのか。先述の私が真夏に3日間家を空けたケースで言えば、3日間水やりをされなかったエアープランツたちは「元気」というよりは「耐えた」という有様であった。先程は書かなかったが、乾燥に弱い1品種は完全に枯れていた。

エアープランツはある程度の湿度があっても水やりの必要はある。私は梅雨でも秋の長雨でも構わず水をやっている。

 

間違い3:エアープランツは室内で簡単に育てることができる

玉村豊男料理の四面体』では、調理法を「火」「水」「空気」「油」の四要素に解体・再構築することで、すべての料理の作られ方を普遍という名の白日のもとに晒した名著であると私は考えている。この考え方を応用すれば、私は「植物の四面体」として植物の育て方を「光」「水」「風」「気温」の四要素に解体できるのではないかと考えている。

例えば、サボテン健全に生育するには「光」「風」「気温」が必要だ。森の奥深くに茂っているシダ植物などは殆ど「水」だけが必要だ。

このように考えると、エアープランツ必要なのは「水」「光」「風」である。「水」は先に述べた。「風」は後に述べる。

「光」であるエアープランツは明るい場所を好む。真夏直射日光ではさすがに葉焼けしてしまうが、春の柔らかな光くらいならむしろ直射で育てたいくらいである。

エアープランツおしゃれアイテムとして認識されており、いろいろなウェブサイトにおいて室内でのかわいい飾り方が提案されているが、正直、室内だと光が弱すぎると個人的には思う。光が弱すぎると成長することができず、そのまま萎れてしまうか、蒸れてある日突然バラバラになる。

南向きの窓辺ならギリ大丈夫かと思われるが、できればベランダの明るい日陰で育ててほしいところである木漏れ日のように時々陽が当たるとなお良い。ある程度の光量があるならずっと濡れっぱなしでも構わないのではないかという仮説もあるくらいである(室内の暗い場所で濡れっぱなしだと十中八九腐ってしまう)。

私がエアープランツ初心者だった頃、室内で育てていたのだがなぜかうまく行かず、すぐに枯れてしまう(バラバラになる)のだった。そこで、思い切ってベランダに出してみたところ、そこから殆ど枯れることはなくなった。「光」「風」のおかげであると思われる。室内の明るい場所だとしても、屋外の日陰に比べたら光量は全然足りないのである

 

間違い4:エアープランツを瓶に詰めておしゃれに飾ろう

言語道断である。私の知る限り瓶に詰めて元気に育つのは苔くらいである。

上で「水」「光」と述べてきた。落とし穴的な存在なのが「風」である。意外と思われるかもしれないが、植物健全な育成には空気の流れ、すなわち「風」重要な要素になる。

エアープランツにおいてなぜ「風」が肝要かと言うと、あげた水をなるべく早く乾かすためであるエアープランツは水を愛しているが、その水がずっと乾かずに停滞してしまうと傷んだり、最悪、腐ってしまうのである

なので、最も適切な場所は屋外であり、屋外が難しいなら室内の明るくて風通しの良い場所となる。扇風機などで送風して、空気が停滞しないようにするのも良い。エアープランツ生産者さんは、ハウスの中で常に高湿度を保ちながら、大型の扇風機で送風している。

 

簡単なまとめ

水→エアープランツは水が大好き。ジャブジャブとあげて良い。水やりのコツは、あげた水が完全に乾いてから次の水やりを行うということだ。これを守れば一日に何回でも水やりをして構わない。

光→エアープランツは明るい場所が好き。できれば屋外、難しいならかなり明るい窓際で育てよう。

風→空気が停滞しているとあげた水が乾かず、腐りやすくなってしまう。盲点だけど通風にも気を払おう。

 

私の育て方

私はズボラである。面倒くさがりであるシンクに数日間皿を溜めてしまうことはザラだし、掃除は苦手だし、ペットを飼うのにも向いていない。だけど、エアープランツは育てることができる。つまり、コツさえ掴んでしまえば難しくないということだ。

 

吊るして育てる

(春〜秋)ベランダの日陰になる場所に吊るしている。数が多いので100均のワイヤーネットに大量に吊るしている。水やりは朝晩の2回。いずれも滴るくらいにたっぷりと与えている。朝昼夕晩の4回くらい与えても問題ない。

(冬)最低気温が5℃を下回るようなら室内に取り込む。北関東に住んでいるので、冬はおおよそ寒い夜は室内、暖かい昼は屋外で直射日光に当てるというサイクルになる。水やりは変わらず朝晩2〜4回くらい。

 

置いて育てる

スペースの関係で吊るせないエアープランツは、100均で売っている網状の書類入れや雑貨入れに並べている。網状なのは当然ながら、通風を良くしてあげた水を停滞させないためだ。管理は上述と同じ。

たったこれだけ。明るくて風通しの良い場所管理して、朝晩に水をやるだけ。乾燥に強いので数日は水やりを忘れても大丈夫。ね、簡単でしょ?

とはいえ、コツを掴むまでが難しいんだ。少なくとも「室内で瓶詰めにしておしゃれに育てる」という類の植物ではないかな。エアープランツ最初は誰もが失敗するに違いなけれど(私もだいぶ枯らせた)、コツを掴んでしまえば簡単に育てることができる。

土がいらないので虫が湧くこともないし、省スペースで園芸を楽しむことができる。エアープランツの魅力を伝えたくて本稿を書いた。

枯らせてしまっても大丈夫だ。なぜなら植物には脳がないからだ。エアープランツは君を呪わない。何度もトライアンドエラーを繰り返して、より良い植物ライフを!

 

追記1:

エアープランツはいろいろな種類があるが、本稿では「エアープランツ」と十把一絡げにして取り扱った。大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど、それはあまり問題ではない。うちのエアープランツは銀葉種だろうが緑葉種だろうが全て上記の要領で管理している。ホームセンターダイソーで売られている普及種はどれも比較的に丈夫なので、細かいことは気にしなくて大丈夫だ。

 

追記2:

エアープランツは葉から水分を吸収するという不思議植物である。だけど、根が生えないわけではない。おおよそ春頃、状態が良いと根が生えてくる。自生地では大樹の幹などに根を張って成長している。蘭などと同じ着生植物というやつである。「土が要らない」というのは「自生地では木などに着生している」という意味である

なので、最も良い育て方は、流木コルク・木片などに針金やテグスエアープランツを固定するというものである。そうするとそのうち根が出てきて、その木片などに着生する。着生するとより元気に育つと言われている。

本文であえてそれを書かなかったのは、育てるにあたっての敷居を高くしたくなかったからだ。着生させなくてもきちんと育つ。慣れてきたら着生にも挑戦されたし。

 

追記3:

私が最近、余って置き場所に困っているエアープランツに対して行っている育て方は、上述の100均書類入れで管理し、

夜:ベランダに出してたっぷり水をやる

朝:室内に取り込んで南向きの窓辺に置く

というものである。これでもきちんと育っている。

ここから察するに、エアープランツにとって最重要なのは「風通しの良い場所で水をやる」ということなのではないかと推測される。もちろん明るさも大事だけれど、それと同じかそれ以上に。

正解は一つじゃない。私も未だにいろいろと試行錯誤している。居住環境生活スタイルは人それぞれだから、それぞれの人にあった元気な育て方を見つけてほしいと思って追記した。

 

追記4:

エアープランツが枯れるのにはおおよそ2パターンある。

・葉先から枯れていく

中心部スカスカになりバラバラになる

「葉先から枯れていく」のは水が足りない証拠である。水やり量や頻度を増やすことが推奨される。また、上に挙げたソーキング(溜めた水に数時間浸ける)をすると一気にハリが出る。ソーキング後は風通しを良くすることを忘れずに。

中心部スカスカになりバラバラになる」場合、光量や通風が足りないと思われる。暗い室内で管理していると結構確率でこうなる。はい、私もよくバラバラしました。置き場所環境を工夫することで回避できる。

2019-03-13

anond:20190313085333

春の 木漏れ日の中で 君のやさしさに

埋もれていた 僕は

弱虫だったんだよね

2019-01-03

過去の思い出に囚われてる

22歳女。社会人になってもうすぐ一年つのか。早いね

友達ほとんどいなくて彼氏もいない陰キャだよ。

過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。

どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。

結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。

毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。

すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。

修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。

オープンキャンパスに行ったとき真夏日差しギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。

大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。

初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。

一人で初めて旅行もした。奈良燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。

卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授感謝気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。

去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味社会人になってからやってない。

感情の起伏がなくなった。大人になるってこういうことなの?

自分以外の人間がすごい充実して煌めいて見える。

過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。

2018-03-15

三月卒業増田季節咳出す魔うょ着津祖発がん差(回文

仰げば尊しな季節、

いかがお過ごしかしら?

世間では急に卒業式シーズン到来のようね。

私なんかそんなに気の利いた卒業エピソードなんてないけどね。

あんまりもう社会人になると

ってまだ私社会人なりたて二年目でお馴染みなんだけど、

そんな卒業シーズンとかとは随分久しくかけ離れちゃうわよね。

せいぜいお正月お盆ぐらいな感じね

そう言う季節を感じるのってのは。

街に住んでいると草花の様子から

季節を感じることも多かったけど、

そんなことすらも感じられない街なんか寂しいわね。

あのさ、

みかん花咲く丘公園前駅の交差点に大きなクスノキが2本植わってて

それはもうみんなの憩いの場だったんだけど、

つい先日

その場所が緑地改良だなんだのって言って

クスノキ2本バッサリ伐採!切られちゃってたわ。

えーちょっとショックすぎる。

なんか変な日本庭園的な緑地に改良されるそうで、

イメージCG工事中看板の横に貼り出されていたわ。

天気の良い日なんか

仰ぎ見れば木漏れ日が眩しくて、

うそんな光景も見られないのねと思うと

仰げば尊し感がたまらなく強まるわ。

しくしく。


今日朝ご飯

オムハムサンドフレンチトースト

お昼も一緒に買ったんだけど、

お店の人、

からこんなにいっぺんに食べるの?って思われたらちょっと恥ずかしいわよね。

食いしん坊さんだと思われちゃうわ!

デトックスウォーラー

国産レモン輪切りにして炭酸

即席フレッシュ炭酸ウォーラーよ。

一時期流行った炭酸好いた自分で作るやつ。

あれはあれでなんか、

炭酸ガスのボンベがたくさんたまるので、

捨てるのも面倒だし、

結局は酒屋さんで取り扱ってる炭酸樽を

ちょっと常備しておくのがスマートなのかしらねって思ったわ。

うふふ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-02-12

anond:20180211143325

自分は(娘だが)父親に「あしながおじさん」を進められたときはこういう恋愛小説に興味がなく、なんでこんな他人(年上のお姉さん)の手紙をえんえんと覗き見などしなければならんのだとおもった。

今となってはもちろん、ツンデレなおじさん(金髪碧眼の若い男性である執事ジャービス坊ちゃんとかよばれているええとこの子である)がとてもかわいいですねという生ぬるい目で見ることができる。

 

あと濫読家で妹がうるさい家だったので暇つぶしもかねて小学校中学校の900(日本文学世界文学)のあたりはありったけ読んだ。

3冊まで借りられたので、シリーズ化してあればなんでも読んだ。(全集でないのは毛色が違う取り合わせになるので選ぶのが面倒)

ねしょんべん物語落語全集世界創成童話南洋一のルパンシャーロックSF全集トリフィドコバルト文庫氷室冴子星新一も、まあ背表紙が同じ色の版型同一の本が棚に並んでいれば(そしてだれかに先に借りられていなければ)すべて読んだ。

しか他人の「心理」とか「日常」とかを追跡する面白さは大きくなるまでなかなか感じられなかった。夢野久作なんか心の中の話しかしてないけどおもしろいので小学校で読んでたらショックだったかもしれないな。いやそうでもないか

ルナールさんのにんじんオチはそれでいいんかい。でも、ちょっとわかってしまった。2chから流行った毒親文学の走りだね。

小公女ポリアンナアニメチャンネル権を主張する妹たちがいたために見ることはなかったけど、成人してから読むと強烈だな。「よかった探し」というミームをつくったのこいつやで。

赤毛のアンテレビで見れた。今見ると馬車とかやはり宮崎動画だけあって木漏れ日とか子供向けなのにめっちゃがんばってる(そして低予算なのでたぶん子供の時はわかってなかった)

やっぱり古典面白い。生き残る理由がある。

 

そのあとお小遣いが増えて漫画が買えるようになりSF少女漫画コバルト文庫も好きなだけ変えるようになり(少女向けsf漫画の出始め)、ウィングス創刊に立ち会った。ズッコケはたぶん自分高校ごろでそのあと怪盗ゾロリとかでて自分の子世代だとゾロリは全巻必修だったのかな。アンパンマンも地味な扱いだったと思う。今みたいなポケモンみたいなアニメ作画じゃない水彩っぽい絵本がぽつぽつとでてはいた。児童だとバーバパパ、あと長靴下のピッピ、マガーク探偵団(これもなかなか長い)(しか主人公不細工で絵も今いち)

 

結局、大人子供気持ちなんて忘れてしまう。

子供特定の本を選ばないのは「長い文章がいやだ」「ふりがながふっていない」「文庫本は字が小さい」「挿絵が怖そうに感じられた」といった些細な理由だと思う。

その後の進路は理系なので特に役に立ってはいないよーん。

あと文体はここではあえて男性用にしています

 

追記、そういえばクレヨン王国シリーズは妹がたくさん集めていた。自分誰も知らないさなシリーズ出てるだけ読んだくらいだなあ。

2017-11-12

完全自動運転

8:00 AM - 目覚まし時計がなる。今日は8:30にオフィスにつく予定なので、そろそろ準備しないといけない。妻は昨日は出張だったため、今日は別々の部屋で寝ていた。部屋のドアを開けてバスルームに入り、シャワーを浴びる。

8:15 AM - バスルームから出る。部屋のドアを開けてクローゼットルームに入り、出勤用にスーツに着替える。今日着るシャツはちゃんとクリーニングしてくれている。

8:30 AM - チャイムが鳴る。ドアを開けると目の前はオフィスであるオフィスに入って仕事を始める。しばらくすると、同僚たちが続々とドアを開けて出勤してきた。

5:30 PM - 今日家族でディナーに出かけるため、通常より早目に業務終了して退勤。オフィスのドアを開け、自分の部屋に入る。しばらくソファ腰掛け雑誌を読む

6:00 PM - チャイムが鳴ったので部屋のドアを開けてリビングルームに入る。妻も子供たちもすでにリビングルームソファ腰掛けてくつろいでいた。リビングの窓から夕日が海に沈むのを眺めている

6:30 PM: 再びチャイムが鳴ったので、リビングのドアを開けて、レストランに入る。今日イタリアンを予約していた。

9:00 PM: ディナーが終わり、再びリビングルームに戻り、子供の遊び相手をしてやる

9:15 PM: しばらくしてチャイムが鳴った。そういえば、今日は少しゆったりとバスタブに浸かりたいとおもっていたところだった。リビングのドアを開けて脱衣所に入り、お風呂場に向かう。広い湯船にヒノキのいい香りが充満している

10:00 PM: リビングルームに戻る。明日は朝から部活動練習試合があるため、子供たちはすでに自分の部屋に戻ったようだ。しばらくリビングルームTVを見ながら妻とくつろぐ。

11:00 PM: 明日は妻の両親と温泉旅行に向かう予定なので、早目に寝室に向かう。今日は2人用の寝室で妻とゆっくり過ごせる。

翌 9:00 AM: チャイムの音で目覚める。少し寝過ごしたようだ。慌てて着替えて両親の居室に入ると、すでに妻の両親が朝食を終えて紅茶を入れていた。窓から木漏れ日差し込み、渓流の流れる音が聞こえる。子どもたちのことを聞かれたため、今日は朝から部活動で午後から合流すると伝える

10:00 AM: 再びチャイムの音がなる。どうやら宿に到着したようだ。ドアを開けて、宿のエントランスに入る。すでに何台もの部屋がエントランスにつながっており、出発客を迎えに来ている。今週末はこの宿で過ごし、月曜の朝は宿から直接出勤になるだろう。

2017-07-25

anond:20170725165053

太陽赤外線が非常にめんどくさい

・重さセンサーは走り出してからなるベルト不使用ブザーで実装されているが、これも不評あり(荷物に対しても鳴る)

・動きセンサー木漏れ日、風などに対して誤判断する

・だからAIが過大に期待されているともいえる

 

件の事故ゲームなどに熱中してしまっていて自分暑いということにさえ気づかなかったのではないかと。

子供事故がまた一つふえた。はちみつ屋台割り箸、餅やこんにゃく、ためっぱなしの風呂水、施錠してあるベランダ。虫眼鏡をわたせば太陽を覗いてみる。

歯医者につれていってまちがって弗酸を塗られるなど。

 

9歳の子供でも殺しかねないものは車と太陽のほかにもたくさんある。

今回は医療機関にいく母親子供をだれにもみてもらえない不便さを解消するのと、

アメリカなみに子供放置をどういう理由であれ即虐待判断する法律」くらいでしか対策出来ないと思う。

 

それより、報道機関衝突事故死(シートベルトしなかった、ベビーシートしなかったことが間接的に原因になる死)のほうが多いのに

熱中症だけを重大事故として報道する癖付け」されていることのほうがおかしいような。

2017-06-10

生きているようで死んでいる 死んでいるようで生きている 自由の果てで呼吸をして 止まり木を探す鳥のように 息をするとは生きること 生きるとは根を張ること 根を張って故郷を得ること 故郷に生き故郷死ぬこと 誰もが見失う 故郷を 根を張った場所を そして旅に出る 故郷を 根の手触りをたしかめるために 木漏れ日が呼ぶ場所へ帰れるように

2017-05-19

これからどうしよう

短大はなんとか卒業したものの思った通りの就職先がなく、今は精肉卸で配送ドライバーをしている。

堅苦しいルールもなく女性は珍しいからと重宝されてはいるけど、まわりはおじさんばかりで楽しいことは一つもない。

給料いいわけでもないけど仕事がつらいわけでもなく何となく辞める理由も続ける理由もない毎日を送っている。

飲食店開店前に配達しなければならないから、朝の6時前には積み込みを終わらせて軽トラを走らせる。

会社のすぐ近くにあるしばらく続く桜並木は毎朝の配達ルートで、ランナー散歩をする人ばかりでこの時間から仕事をしているのなんてわたしくらいのものだ。

そんな中で、先月のはじめころに彼を見つけた。

中肉中背、とくべつ顔が良いというわけではないけど、要するに一目惚れだった。

姿勢が良かったとか、父親ちょっと似てたとか、朝の木漏れ日に走る姿が素敵だったとかそれくらいの理由だ。

退屈な毎日の繰り返しに、何かしらの刺激をもとめていたのかもしれない。

彼はこの道を往復しているらしく、正面からかい合うときも後ろから追い越すこともあった。

車道歩道の境目もないような狭い道なので、わたしも気を遣って走ってはいるのだが、どんな車や歩行者に対してもしっかりと身体を避けて道を譲る姿が印象的だった。

配達に急いでいる時に限って避けようともしない歩行者ランナーが多いこの道で、彼のような存在は貴重だ。

特に愛想が良いわけでもない、それなのに誰かれかまわず道を譲る彼への興味は日に日に増していくばかりだった。

どうすれば話しかけられるのかと色々考えてみたけどなかなか良い案が思い浮かばない。

彼を追い越して途中のコンビニに立ち寄ってみたりもしたけど当然振り向いてくれるわけもない。

何の理由もなく話しかけることはこれほどまでに難しいものだったのか。

散々悩んだ挙句にふと思いついたことがあった。

追い越し際に彼にサイドミラーを軽く当てて、急いで降りていって謝ればそれをきっかけに話ができるし、あわよくば連絡先を聞き出せるのではないか

ちょっと危ないし、うまく行かなかったら最悪に嫌われてしまいそうだけど、でもきっと一生懸命謝る姿を邪険にするような悪い人ではないはずだ。

はいつも耳にイヤホンを入れている。後ろの車も気づくくらいだから大音量で何かを聞いているわけではないにしても、多少は聞こえづらいはずだ。

そう思って何度かアクセルをすごく静かな状態にして後ろから近づいてみたところ、彼は気づかない様子で避けようとしなかった。もうこれしかない。

いよいよ今日が決行の日。いつもみたいに汚れてもいい服はやめ、いつもより少し化粧にも気を遣った。

彼がいつも折り返す曲がり角はちょうど会社入り口から見える位置にある。

彼がいつも通り折り返したのを確認すると、わたしは急いで軽トラに乗り込んだ。

鍵を刺そうとしたが緊張しているのか床に落としてしまい慌てて拾い上げる。

朝日木漏れ日が輝く桜並木を彼に気づかれないようにゆっくりと走リ出す。

彼の背後にゆっくりと近づく。案の定彼はわたし存在に気づかない。

自分を落ち着かせようと一つ深い息を吐いて、ふかしすぎないようにアクセルに軽く足をかける。

これでサイドミラーだけを彼の身体にぶつければうまくいく。はずだった。

突然彼は、何かを避けるようにわたしの車の前に半歩だけ飛び出してきた。

ミラーけが当たるはずだったのに、そのせいで彼は片足を巻き込まれ道路に倒れ込んでしまった。

計画とちがう。焦ったわたしは急いでブレーキを踏んで止まろうとした。

その瞬間、景色は止まるどころか猛スピードで流れていった。

それが踏み間違いだと気づくまでにかなりの時間が過ぎてしまったような気がしたが、ブレーキを踏んで止まった距離は思っていたより長くはなかった。

ミラーを覗いて急いでバックで戻る。

声をかけるが反応はない。ただ、何となく反応がないだろうことは声をかける前からわかっていた。

特に出血が見えたわけではないが、身体の半分が明らかに低く潰れていて、手足は見慣れない方向に曲がっていた。

誰かに助けを求めようと周囲を見回すも、運の悪いことに近くには珍しく誰もいなかった。

冷やせば悪化を免れるかもしれないと、急いで冷蔵庫を開けると配達荷物の横に彼を置いた。

これ以上大変なことになってはまずいからと、ひとまず配達だけは済ませてきたのだが、これからどうしよう。

2017-02-05

1文字大和言葉同音異義語

日本語同音異義語が多い」という風説に挙げられるのが漢語ばかりなので、大和言葉の例を調べてみた。

やまとことば古語or現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
footあし足掻く、足立(埼玉県東京都) 
thatあれ 
weわれ吾妻(群馬県) 
five五十路 
五十fiftyゴジュウ五十鈴(三重県) 
youてめえこき下ろすときに使う二人称とのこと
sleepねる 
cormorant 
rabbitうさぎ 
handle 
older brotherあに中大兄皇子 
inletいりえ江戸 
deulkkaeゴマ荏原(東京都) 
foodえさ餌付けジビエ」はフランス語
branchえだ梅ヶ枝餅 
Chinese hackberryえのき榎町[なみえまち](群馬県) 
mosquito 
thatあれ彼方 
鹿deerしか鹿島(茨城県)(佐賀県) 
placeバショありか 
tree 
pestleきね杵築(大分県) 
tuskきば象牙[きさのき] 
sakeさけ神酒 
fortとりで茨城(茨城県)
leekねぎ分葱 
hair 
mealショクジ朝餉、昼餉、夕餉 
daysダン 「ハレとケ」のケもこれではないか
becauseゆえに 
child 
powder削り粉、薄力粉 
silkwormかい春蚕 
basketかご伏せ籠 
tree木立、木漏れ日 
thisこれ此方 
バショあそこ 
そう「さもありなん」 
arrow 
nest 
鬆立つ 
blindすだれ 
shoalなかす天王洲アイル(東京都) 
簀巻き、すだれ 
back 
fordあさせ「立つ瀬がない」 
husbandおっと 
dressおめしもの 
backせなかそむく 
thatそれ 
name 
greens 
side dishおかず酒の肴 
Iわたし 
baggage 
red earthあか 
ballたま八尺瓊勾玉 
ballたま 
marshぬま 
field 
sound 
price 
root 
peakみね筑波嶺[つくばね](茨城県雅称)
field 
1幅は37.9センチメートル 
tooth 
edge 
leaf 
edgeはし 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
shuttleシャトル 
iceこおり氷室氷川神社(埼玉県) 
gutterとい 
brown bearひぐま 
Japanese cypressひのき檜原(東京都) 
fart 
tier二重まぶた 
directionあたり水辺、海辺、古[いにしえ] 
houseいえ一戸九戸(岩手県青森県) 
upsideうえ 
earthenware potかめ鍋[なべ] 
prowへさき 
kitchen rangeかまど 
directionホウコウ行方[ゆくえ] 
sail 
spike 
true 
opening 
eye眼(まなこ)、まつげ 
body 
fruit 
winnowing basket 
spiritかみ海神[わたつみ] 
waterみず水戸(茨城県) 
eye 
bud 
womanおんな 
海藻seaweedカイソウわかめ「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
bottomsボトムス 
mostもっと最中、最寄り 
valley《備考参照》渋谷(東京都)(神奈川県)、谷津(千葉県)「やと」「やつ」「やな」「やち」など。
homeいえ 
more and moreいよいよ弥生 
spokeスポーク 
circle 
weわれ 
wellいど 
rushいぐさ 
cord 
manおとこ牡牛 
ridgeおね 
tailしっぽ枯れ尾花 
現代語だけに絞った表
やまとことば古語/現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
cormorant 
handle 
mosquito 
tree 
hair 
child 
powder削り粉、薄力粉 
nest 
鬆立つ 
back 
name 
greens 
baggage 
sound 
price 
root 
field 
tooth 
edge 
leaf 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
fart 
sail 
spike 
true 
opening 
body 
fruit 
winnowing basket 
eye 
bud 
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
circle 
cord 
ことわりがき

2015-09-16

天使の羽

この夏、子供と行った水族館で「あのドド、パパに似ているね」という一言絶望し、秋からランニングを始めました。

まだ太陽の光線が赤さを取り戻す前、身体を包むように流れるひんやりとした早朝の空気に清々しさを感じていました。

そんなわたしを追い抜いていく小気味のよい足音

身体のラインがそのまま現れているかのようなピタッとしたウェアに身を包んだ、一切の無駄を感じさせないミニマルな肢体を持った女性でした。

それなりに走り込んでいるのでしょうか。

すでに背中からは汗がにじみ出ていたのですが、下着の防水性が高いのか、背中の一部を避けるように汗が広がっていたのです。

木漏れ日に照らされながら遠ざかっていく彼女の軽やかな足取りと相まって、わたしにはそれがまるで天使の羽のように見えました。

「これは朝から素敵な出会いをもたらしてくれた息子の一言感謝しなくてはいけないな。」

わずそんな独り言を口にしてしまうような、素敵な一日の始まりを予感させる出会いでした。

そうして今、わたしは通勤で混みあう電車の中にいます

わたしの目の前には、頭髪をフケでよごした不潔感漂うしなびた中年サラリーマンが立っています

彼もまた、羽を背中に抱く天使だったのです。

2014-08-26

幻想後記

 歩いていく。

 いつの間にか僕達は違う場所に辿り着いている。

 あるいは、辿り着いた、と言うよりは、ただ途上にあるだけかもしれないけれど。

 たくさんの樹木の姿が覗えた。

 僕達はその間の道を歩いていく。

 いつの間にか、僕は自らの姿形が変わっていることに気付く。

 僕の身長彼女よりもやや高かった。

 歩幅も、もう彼女のものを上回っていた。

 彼女はそのことに気付いていたようだけれど、別段特に気にする素振りは見せなかった。

 僕としても、そんな態度を取られることに対して特に不満は無い。

 ただただ歩き続ける。

 木漏れ日の落ちる、森の中を歩いていく。

 木と木の間隔はやや広く、落ち葉は目につかない。

 ただ、静脈のような根がびっしりと地面を埋めていて、時々足元に気を付けなければならなかった。


 恐らく、この先には不幸が待っているだろう、と僕には思われた。

 だから、その結末をどうにかして変えなければならない、とも思われた。

 その方法に関しては分からない。

 でも、歩いていく内に思いつくさ、と僕は考えを改める。

 今はとにかく、彼女の後ろについて歩いていくだけだ。


 やがて、広場が見えてくることになる。

 ぽっかりと木々の姿の無くなった、円形の広場だ。隅っこの方に、切り株象徴的な存在として放置されている、そういう広場だ。


 僕はすでにその広場のことを知っていた。

 見覚えのある広場だった。

 いや、見覚えのある、というどころの存在ではない。

 デジャブというにはあまりにも強い感情の揺れが、僕を襲った。


 そんな僕をよそに、彼女は、ようやく辿り着いた新しい場所に、無心で喜んでいる。

 でも、僕は知っていた。

 この広場を抜けて少し進んだところには、断崖が存在している。

 そこからは、青い海が見える。

 上手く行けば、断崖脇の道を使って、砂浜へと降りられるだろう。

 おぼろげながら、その脇道の場所についても僕は知っていた。

 けれど、僕達は海を渡れない。

 だから、ここは僕達にとって終わりの地なのかもしれない、と僕はそう思った。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

 
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