はてなキーワード: 過疎地域とは
ワイも基本的にこの考えは正しいし、地方は衰退させていくべきだと思う
といっても、東京一極集中とかは勘弁なので、地方都市に人口を集中させるべき
地方では人口密度が低すぎる地域に不相応なほどインフラ整備に金をかけている
道路なんかどこに行っても整備されているし、町の公的施設は分不相応なほど綺麗で近代的、救急車だってどこから電話してもかけつける
かと言って、増税や社会的セーフティネットの支出カットをしていては、若い世代の負担が増すばかりで、国の生産性にも悪影響だろう
というわけで、地方の過疎地域は見捨てて、近隣の都市部に人口を集中させるべきやと思ってるんやが、いろいろ反論もあるよね
パッと思いつくのでは、国防、治安維持の観点から、人がいない地域を増やすとそこで良からぬことをやる人間が増えるとか
将来どうなるかなんて、ほとんどの人にはわかりませんが、医者だけはやめとけ、と言いたいです
お金儲けたいのに今から医者を目指すのなんて情弱じゃね?とすら感じます
もしかしたら不治の病を研究して治したいとか、医者になって医者AIを発展させる側なのかもしれませんが
医者は病気になったら必要とされる職業ですが、そもそもAIが日々の体調を調査、及び管理し、医者に行く事自体が減るようになる世の中になります
個人をマネジメントしてくれるAIが一人に1つついて、朝起きたら、家庭用のAIがセンサーで睡眠時間、体温、脈拍をチェック
また家庭用のCTができれば、それで体内まで毎日検査して日々の違いをチェック
体重、脂肪、筋肉等もチェックして食事や運動のアドバイスをしてくれる
もちろん寝る時の部屋の温度も調整してくれるので、寝冷えもない
そんな未来が来るんですよ!SFでよくでてくる感じの未来ですよ!素敵!
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まあそこまではないとしても、現状、医者の診断って
1 症状がいつおきて、どんなかんじた伝える
2 聴診器で何か聞いてる
3 診断する
こんぐらいじゃねーすか
1 の症状なんて そもそも医者に行く前にWEBベースでの問診に答えればいいだけだし、問診なんてAIのチャットボットでできるし
2 の聴診器で聞くのなんて、それ用の機械つくればいいだけだし
3 診断なんて、入力にもとづく判断なので、そんなのはむしろAIの得意分野ですよ
1,2が入力で、3が出力
ただそれだけなんですよ
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https://www.houdoukyoku.jp/posts/15647
スマホだけで完結するんですよ
医者の居ない地域のためのアプリだったのが、便利すぎて既存の医者の領域に侵食してきます
(※個人的には、採血キット送られてきても、自分で採血は嫌だな)
これが、今は人間の医者が診断してますが、これがAIにとって替わられます
絶対に
だって、そのほうが安いし、正確だし
人間の医者って、名医ややぶ医者がいるように個人差あるけど、AI医者は基本的に同じAIなら全て同じ能力
やぶだったら全てやぶ医者
毎日何万件も診察してて、データを日々アップデートしてるんですよ
そりゃ人間に勝てるわけないじゃん
1万人になるのに約100日ですよ
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AIがお医者さんに医療診断をアドバイス、これからの医療はAIでどう変わる?
http://journal.jp.fujitsu.com/2017/11/29/01/
トップレベルのプロ囲碁棋士を打ち負かして有名になったAlphaGoにしても、囲碁において最適な次の一手を打つだけのシステムに過ぎず、他に何かできるわけではありません
これねー
富士通も、まあ汎用AIの開発はまだまだ先だと考えてたんだろうけど、でも下の記事をみてください
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24325500W7A201C1FF1000/
さすがgoogle強い
酒飲みながらなのでgdgdですが、まあ若者は医者やめとけよって話でした
じゃあ何を目指せば儲かるかといえば、わかんないけどとりあえずAIを基本としてそれを他の業界に展開できるような仕事ならあと50年はいけるんじゃないかな?
金融AIとか、医療AIとか、農業AIとかあるけど、データを取るのが難しい業界ほど時間はかせげると思うよ
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つーかねー
年々増えてく老人の医療費を、AI医者にすれば、かなり削減できると思うんだよねー
医療費が減れば今の若い世代の負担が減って、生活も楽になるはずなんだよね
俺は年収500万だけど、厚生年金と健康保険あわせて年間90万ぐらい払ってて泣けるわ(毎月6万、夏冬のボーナスで20万もってかれてる)
家が欲しいけどこれ、嫁も子供も居るし、これからもっと高くなる事を考えたらローンなんて怖くて組めない
全じゃないくていいから、希望する国民に定期的にレントゲンとCTを実施して、AI医者のための基礎データになるようにならないかな
そしたら今やってるあんまりおもしろくない保守の仕事すっぱりやめて、AI医者の業界に粉骨砕身の覚悟でがんばりますわ
大学受験で東京に行くか、地元の医学部行くかで悩んで東京にしてちょっと後悔してたけど、まさか医者AIができる世の中まで生きられるとは思ってもなかった
やっぱり世界はすげーなぁ
という酔っ払いの戯言でした
プログラミングという作業をする以上、どうしても実装にまとまった時間が欲しいことがある。
だけど実際には、子供(1歳)の面倒を見てくれとか、電話番をしていてくれとか、宅急便が来たら受け取ってくれとか、そういう細かいことが日々脈絡なく依頼される。衆院選前は来客ばっかりだったな・・・。
仕事をしているとは言っても、自宅に居るんだから、自宅のことは片手間でもできるだろう、というのが他の家族の言い分だ。
それは確かにそうだし、子供の面倒にあっては見なけりゃいけないのは当たり前だから、多少自分のペースが疎かになってもそれをしようという気概はある。
だけど、それで本業が疎かになっているのは正直顧客に申し訳ないなと思うし、それで成果が達成できなかったら結局どうにかしなくてはならないのは自分なので、だったら最初から疎かにせずやってればいいという話である。
妻は2人目を妊娠中で、思うように体が動かないこともある。いくら家に居るとは言っても、1歳の遊び盛りを相手にするのは大変だ。おむつを換え、ご飯とおやつを食べさせ、外で遊び、風呂に入れ・・・とやっていると1日なんてあっと言う間である。
自分が日中の仕事もそこそこに家事と育児を行い、それで終わらなかったぶんは夜〜深夜帯にやるという考え方もあるけど、ミーティングや運用対応など「その時間にできないと困る業務」がある場合、それも難しい。
子供を保育園に入れるという手もなくはないが、家族の反応はイマイチだ。前述の通りで「父親が日中居るのだから保育園に預けなくても子供を見ていられる人間は居る」というのが言い分らしい。見てるだけで育児ができるんならそうなんだろうが・・・。
世の在宅プログラマにはこういった家事育児実装運用をものすごく高いモチベーションを以って行っている人が居るが、本当にすごい。そういう人に憧れなくもないが、実際やろうとすると何かの成果を犠牲にしなくてはいけないという感じがあるし、これを本当に100%に近い成果で達成できているのだとしたら、その人はとんでもないスキルとバイタリティを持っていると思う。残念ながら、自分にはそこまでのスキルもバイタリティもない。
家で仕事をしているというだけで「なんか楽しそうですね」という印象を与えてしまっているのかもしれないし、それは否定できないが、在宅という働き方は自分に合っているとも思っているので、そこは後悔も何もない。とは言っても、現状そんなにストイックに仕事できている訳ではないし、終わらなければ残業なり休出なりするというのは普通の勤め人とあまり変わらない。そこに家事育児と入ってくるので、まとまった時間が取れないという意味ではむしろ不利なんだろうかという気もする。
とは言え、在宅という方法を選んだ以上、そのフィールドで成果を出したいというのはある。
結局は在宅という仕事の仕方に対して家族の理解を得られていないというところに決着する話なのだけど、一度書いて整理したかったので、増田に書いてみることにする。
※追記
言及ありがとう。あんまり増田でレスを貰えたことがないのでちょっとびっくりしている。
これがもっとも現実的な解なんだろうなと思う。育児家事はできないけど、両方に100%コミットするのも難しいし、選択肢には入れておきたい。
最寄りのスタバまで車で1時間30分かかるから厳しいうえに、カフェで気合い入れてプログラミングは難易度が高そう。
> 保育園
幸い地方の過疎地域住まいなんで、認可外なら結構空きがあるのが幸い。評判は口コミでも良い評価を聞いてるし、四の五の言わずに保育園、っていうのもありだなとは思ってる。妻も働き出したら余計に。
> シッター
これも意外とアリかなぁ。1人と2人じゃ全然余裕が違うし。参考になります。
色々意見ありがとうございます。もうちょっと考えてみる。
最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。
当方、福島で建築で復興関係やってる人間。除染じゃないよ。地元の人とかともよく話すので、3.11前に少し思ったことを書いとく。
原発近くの浪江町の帰還が進まないっていうニュースがちらほらでてるけど、戻らない理由は放射能の他に3つあるかなと思ってる。
実際は戻っていいと思ってる人も結構いる。慣れ親しんだ町なので、戻りたい気持ちはあるんだろうと思う。
浪江町でいえば、現状コンビニが二件あるけれどどちらも夕方には閉まってしまう。スーパーに関しては、車で片道50分ぐらいかかる。一部、復興商店街みたいなのはあるがそれだけじゃ不十分な感じ。
そんな不便さを感じて、帰還がためらってる人が結構いる。薬局や飲食店、ホームセンター等々生活で必要なものが買いにくい。
地震が起きた3.11からもう長い年月がたち、最初は一時的な避難先の予定だった場所も、そこでの生活、仕事、コミュニティが確立されてしまいわざわざ戻る要素がなくなってしまった。
ましてや、1の不便さが強いられるような状況なら戻る必要はないよねーって話。
仮に戻ったとしても、仕事先が皆無。除染、復興関係でもやればいいじゃん?
って話はナンセンスだから置いておく。被曝したくないのは誰もが思ってることだろうからね。
1でも言ったように、まだお店もなく、また会社も戻ってくるか怪しいので働く先がない。生活するお金が生み出せないならそこで住めない。
もし、本格的に帰還を促すなら、せめて国道6号線沿いにスーパーや薬局、ホームセンター、一通りの病院等を誘致するのと税金を安くするなりして会社も戻さなきゃダメなのかなーと思う。
ただ、放射能、それに伴う風評被害というハンデキャップがある状況で果たしてそこまでする必要があるのか、やる意味があるかはわからないが今のままじゃ、何も起こらないのはわかる。
フェイクあり。文章へたなんで許して。もう我慢限界の話をひとつ
高齢過疎地域のある町。そこそこスーパーもあるし、特急1時間かければ都心にアクセスできるむかしのベッドタウンの話。
48歳のダウン症の利用者がわがままで暴言、癇癪、過度の引越し癖(本人の母親が障害年金、生活保護のお金を求めて利用者に近づくため(DV歴あり)事業所近くに逃げるために引っ越してきてる事態)、クレーム難癖つけてヘルパーを人格攻撃
心疾患併発で体調不良もあるのにガイドヘルパーを呼びつけ何度も外出(止めても行くとわめき警察まで呼ぶ)、近隣住民にこのヘルパーに虐待されたとか叫んだり被害妄想を公衆の場で叫んだり・・・
体調不良でやめていったヘルパー、1日でこの人気に入らないから変えてって言われてやめたヘルパー、いっぱい この5年で100人以上と。困難物件らしく役所もどこの事業所もこの利用者を受け入れないらしい
利用契約断るように行った事業主は本人に泣き喚かれて「いなくなったら困る死んでやる市役所に講義しに行くんだ」と永遠の人的リソースを夢見て叫んでいる。役所に言ってもどこも受け入れないから頼まれる始末。事業主がずっとかかりつけでいたがとうとうストレス心労で倒れた。このままどうすればいいのか。役所は市内に受け入れる事業所ないからって見放してるし、最近は市長室にまで乗り込んでクレームを伝えに行ったらしい・・・トラブルばかりのこの利用者はひどいモンスターとなった。もう施設しかないのに行きたくないってずっといってて限界まで事業主は面倒見てひっぱってきた。こらもう、施設で消えてもらうしかないね。うんもうこんなんで人生終わるのもおかしいし介護福祉関係の人間が重病にかかるだけの日本4ね
日本の人口は減っている。地域社会サービスを維持するためには過去に作ったインフラでどおにか賄っている現況だが
既に老朽化が激しく人口激減時代を迎えるであろう昨今制度疲労は言わずもがな
橋下徹と小林よしのりのTVでの対談をみて100%小林支持だった。
NHKで過疎地域のコミュニティ維持の為の活動をしているNGOの活動を見た
我々はあーかイッブを作っている。
土着の豊かな文化は消え失せるだろう
NETの普及で各個人がメディア化した現在少しは形は残るだろう、
しかしこの下世話なシステムは人々が興味を持たないものは「無い」と一緒。
せめて後の世の人が探しやすいように項目を増やし続けたい
なんかさー、高齢者の自動車事故が増えていて、自動運転の必要性は高まってると思うんだけど、
問題になってるのは車がないと生活しにくい田舎の状況だと思うんだよね。
都会は公共交通機関が発達しているから自動車は生活必需品じゃないし、人も車も多いから自動運転の実験しようにも危険が多いし。
だから、自動運転タクシー特区を人口密度の低い(若者も少ない)過疎農村地帯あたりに策定して、
そのエリアだけ走行するように設定した自動運転タクシーを無料もしくは安価で(実験だから)投入。
各家庭の玄関にボタン一つで自動運転タクシーが呼べるパネルでも設置して高齢者でも簡単に呼べるようにする(時間予約もできると尚便利かも)。
乗ったら音声認識で「◯◯に行って」の一言で移動。「ここを右に曲がって…」みたいなのにも応えられるようにはしておく。
着いたら降りるだけ。料金はパスカード式にしておいて移動のデータも残しておいて、次回は同じ場所ならすぐ行けるようにする。
農作業用に自動運転軽トラもタクシーとして使えるようにするとか。
エリア外に行きたい時はその地点から有人タクシーか路線バスに乗り換えるとかできるようにして。
最初は「自分の車を自分で運転したい」という人も多いかもしれないけど、自家用車と同じぐらい便利でコストも安いと実感すれば利用者は増えるだろうし
小泉進次郎氏が、
「悲観的な1億2千万人より、自信に満ちた6千万人のほうが良い」
と語ったという。
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/25808
これに対して、切り捨て、虐殺、優生思想と感じた人がいるようです。
日本の人口密度は2005年(平成17年)で343人/km2で、人口1,000万人以上を有する国の中では、バングラデシュ(2005年で985人/km2)、韓国(同493人/km2)、オランダ(同393人/km2)に次いで4番目(注:台湾の627人/km2を含めると5番目)の人口密度をもつ。 ただし近年では日本の人口は減少傾向にあり、また途上国や新興国の人口増加により日本の人口密度を上回る国が増加している(2012年時点では、台湾を含めて9番目になっている)。
平野部への偏在
日本は山地を多く含む国であり、人口は都市部や平野部に集中している。日本の過疎地域のデータによれば、2006年4月時点で過疎市町村となっている地域の面積は 204,329km2で全国面積に対する割合は54.1%、そこに居住する人口は約1064万人で全人口に対する割合は 8.3%、この地域での人口密度は52人/km2となっている。逆に、残り45.9%(173,506km2)の地域に、総人口の91.7%(約1億1711万人)の人が住み、この地域での平均密度は675人/km2となる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6 より引用
人が少なくなれば、既得権益も薄れていくはずですし、その分日本の経済的なリソースは各個に新たな配分がされるように変化していくはずです。
これまで人類は経済的に行き詰ると、戦争をすることで、新たに破壊と創造をすることを繰り返してきたと思います。
大規模戦争が少なくなった今日では、人口減少が戦争に変わる新たな平和的な破壊と創造の契機となるのではないしょうか。
戦争はやりたくない、でも人類社会は平和が続くと行き詰る、とすれば、人口減少は人類が直面している新たな人類史のページであると言えると思います。
国ごとに社会の段階が異なりますので、国際関係の具体的な問題において異論はあると思います。
ですが、私たちは新しい人類の歴史におけるパイオニアという地点に立っていると、人口減少を肯定的にとらえても、いいのではないでしょうか。
昨今の「東京で消耗してないで地方へ行こう」に、昨年末から地方から東京に引っ越してきた私からあるある言いたい。あと地方にiターンを無責任にそそのかしてる人達に。優秀な人間でも出ていってるのに、地方でノンビリなんて甘すぎる。
経済番組のテレビでシングルマザーを過疎地域に呼び込んで、美談になってたのでちょっと待ってほしい。そのうち時給600円くらいで掘っ建て小屋を用意して屯田兵にされかねない。外国人技能実習制度みたく問題になる前にね。あの役所の会議ぞっとしたんだけど「iターンのノルマ400人達成っです!」みたいなの。
役場、農協、郵便局、まともな職場がコネ多すぎ。仕事なさすぎ。
大卒転居しすぎ、DQN残りすぎ、学校統廃合しすぎ、金持ち私立行かせすぎ
健康保険、介護保険厳しすぎ、インフラボロすぎ。病院なくなりすぎ。
100万人クラスの地方都市ですら、こんなもんです。毎年約2%の人口減で、この20年で学校の生徒は半分になりました。
同級生ほとんど、地元からいなくなってます。郷土愛ってか場所としては好きなんですが、いかんせん『人とシステム』が終わってて、年末年始で帰省してあらためて実感しました。
やっぱiターンフェアとか、悪く言えば詐欺に近いと思う。uターンで帰ってくる人がいないから東京で疲れた人をさらってくるって感じ。言葉悪いなら、そこで育った住民が出て行かなくてすむ施策打てばいいと思うんですがね。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
労働者がすべて有能になれば生産性が向上するのは自明なのでこれは略。
能力が異なる労働者が混在している状態で、低能力な労働者から抹殺して生産性が上がるかを考える。
集計的生産関数の通常の仮定においてそうであるように、労働に関して収穫逓減であれば、生産性は上がる。
でもまあ、これもつまらないので、そうじゃないかもしれない場合を考えてみる。
1.労働者を抹殺する→労働人口減→分業・特化が難しくなる→生産性が下がる
2.労働人口減→(分業以外の)集積の利益が減少→生産性が下がる
3.人口減→総需要減少→生産の規模の経済が困難に→生産性が下がる
4.「能力」の多次元性と曖昧さ、また必要な「能力」の予測不可能性、最適配分の困難さに由来する非効率性
生産フロンティア上での生産が実現できない場合、一見余剰人員に見える労働力を抱えておく方が、予測困難な長期においては破綻確率が下がって、経済の持続可能性が高まるかもしれない。鶏鳴狗盗的な論理。
5.上記4に似ているが、魯鈍な者がいなくなる→勤勉な者の働きが限界に→社会維持の破綻
魯鈍な者が実は勤勉な者の休息を助けたり機能を補完したりしているかもしれない。アリのコロニーのアナロジー。
表面的に識別しやすい「優秀さ」にこだわっていてはなかなか見えてこない、思いがけない役割や機能が実はあるんです、というミクロ的なストーリーが出てくると面白いのだが。
人間は多義的な存在で、どんな個人でも24時間の活動を完全にモニターされている人はいない。クラークケントみたいな、ダメサラリーマンが実は別の場面ではスーパーマンだということが、結構頻繁にあるかもしれない。例えば、会社では全く役立たずなOLなのだが、家庭に帰ると、有能なビジネスマンである夫の活動基盤を支える不可欠の存在だとか、30年後の天才的起業家になる子どもを育てる素晴らしい育児センスの持ち主だったりとか。
そういう社会の複雑さを個別のエピソードに還元してしまうと単なる偶然のケースみたいになるが、こうした思いがけなさが、実は社会維持において極めて重要だったのだ、というような話ができると面白いのだがなあ。
おまけの追記
6.遺伝的に「優秀」な人は「優秀」な人のペアからは生まれず、「優秀」と「非優秀」との適当な交雑が必要なのだ、というのはどうだろうか。
下水道とは何か。
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放流される水は、冗談抜きで途上国の上水よりもきれいだったりする。
そのまま上水の水源に使ってもトラブルが起こる確率はそれなり低いとは思う。
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雑に言えば、大きな誤解を生むと思うけど、実は上水も下水も処理としての根本は同じだ。
水中の浮遊物や生物などを濾し取る。
その方法として、水圧をかけて砂の中を通すとか(急速濾過)、自然流下で砂の中を通すとか(緩速濾過)、一度深いプールを経由することで不純物を沈めるとか(沈下槽)、薬品や紫外線で殺菌をするとか、凝集剤で不純物を固めるとか。基本的に酸素を豊富に含ませれば水は勝手にきれいになる。
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砂の中を通すのは、正確には濾し取るのではなくて細かい不純物を砂に吸着させるとかなんとか、話が脱線するのでこの辺はつっこまない。
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ともかく、下水道が整備されるということは、汚水が河川や海に流れこむ事を防ぎ、伝染病の発生リスクを大幅に下げる事でもある。
当然、人口密集地で発生した汚水を速やかに処理場に送るため、悪臭も著しく押さえられる。
というわけで、浄水施設とケーブルテレビなら浄水施設を先に整備するべきだと僕は思っている。
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その上で、下水道の普及を推進する政策への懐疑がある。というよりも、あれは失敗した政策だったとおそらく関係者はみんな思っている。
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庭先に設置する浄水施設だ。
これは、イメージされる下水処理施設と機能は同じ。小型版と思ってもらえば間違いはない。
個人で所有し、汚水を個人の責任で浄水し、排水するわけだが、設置に土地がいると言うこともあり、都市部では設置が難しい。その上、大量の汚泥を各所で浄水するのは効率が悪い。
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ところが、国はこれを過疎地域にさえ整備しようとした。
しかも、法律で下水道に設置するには合併処理浄化槽をコンクリートでつぶさなければならない。
300人分浄水能力を持った施設に、50人分の汚泥しか流れ込まないとバクテリアが餓死して浄水能力は大きく損なわれる。
その上、施設の維持自体にも過大な費用がかかる。受益人数に対すれば異常なほどの税金が投入される。
もちろん、施設自体も寿命があり20年もすれば立て直した方が安くなるほど維持費がかかる。
いっそつぶしてしまって合併処理浄化槽に戻した方がいいとわかってきてもすでにつぶしてしまっている。
かくして戻ることも出来ずに金食い虫を抱えた過疎の自治体が全国にたくさんある。
簡単に予想できた事でも、国はそれを推進し、大量の資源を資金を無為にした。
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いろいろブコメ、トラバありがとう。やはり過疎地域の扱いについては議論が分かれるね。
合計特殊出生率について。ここ数年の上昇が「団塊ジュニアの駆け込み出産」だと見る意見があったが、言葉の定義の問題なのではっきりさせたい。合計特殊出生率は15歳から49歳までの各年齢の出生率を足し合わせるという求め方をするので、世代間の人数の偏りの影響を受けない。合計特殊出生率への寄与度は世代の人数によらず同じということだね。
人口集積について。フォローしてくれてる人もいるけど東京一極集中という意味ではないよ。各地域で中核となる人口数万〜数十万の都市はたくさん必要だと思う。ちょっとアバウトなイメージでいうとJ3どころかJ4、J5(まだないけど)のチームが「俺達のクラブ」としてそれなりに盛り上がっちゃうぐらいの熱量(?)を備えた街だ。これって人口5万でも田畑や山林の中にバラバラに点在する5万じゃ多分だめだよね。でも集積して居住する中でなら3万でも成り立つかもしれない。俺は都市計画の専門家じゃないんでわからないけど、税制面での優遇や公共インフラへの低廉なアクセス、便利な公共交通、行政、保育、教育、介護、医療サービスなどの面で他地域より優遇することで計画的に中核市街地に人を集めていくような方法になるのかな?一部の人が想像してそうな強制移住みたいなことは俺は想定してないんだけどね。そんなことしなくても中核市街地の魅力を高めることで勝手に集まるのが一番いい。それでもどうしても限界集落に残りたい頑固じいさんがいたら、最後まで面倒見てあげたらいいじゃんと思う。
余談。実際これにわりと近いことをやってるのが流山市で、ここは若夫婦に特化したマーケティングをしてるんだけど、立派な少子高齢化対策になってる。流山の場合はTX開通により「東京まで20分」という付加価値をゲットし、それに「森」「自然」「子育て」という人気のキーワードを組み合わせてブランディングしてる。はてブ的には「恋愛届の街」って言ったほうが通りがいいのかな?あれもはてブでは不人気だったけど所詮お遊び企画だからね、個人情報がどうのストーカーがどうのと目くじら立てるほどのものじゃない。大したオペレーションコストもかけず、民間タイアップで安く認知度向上のキャンペーンやってるんだから大した工夫だと思う。もちろん、よく見ると緑とかやすらぎとか単なるイメージ戦略の域を出てないのでは?とギモンを抱くところもある。実質的なメリット(保育料が安いとか子どもの医療費が無料とか深夜保育や休日保育にも安価に対応できるとか公立幼稚園が安く充実してるとか)がバーーンと打ちだされてるといいんだけどその辺のアピールはない。それでも「意識高い系自治体」としてベンチマークしておきたい自治体ではある。
これな。
「2050年、全国の6割が人口半分…2割はゼロ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140329-OYT1T00081.htm
元ネタは国交省のこちらの発表資料
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
日本の人口の中位推計っていうのに基づくと、人口減少のスピードがデトロイトに匹敵するくらい急激になってしまう。グラフにするとこんな感じ。
ときどき日本は人口多すぎ。減ってもいいじゃんみたいな意見もあるが、急激に減るのはマズいし、老人増えすぎのアンバランスな状態で減るのもマズい。
社会保障制度が成り立たなくなるし、デトロイトのように街がもりもりスラム化していって治安が悪くなる(デトロイトの画像検索結果)。社会の活力が失われ悪循環を生む。
逆に言えば、社会保障制度がついていけるスピード、スラム街を取り壊しつつ、コンパクトな市街を再構築していけるスピードで減るならなんとかなる。
https://www.mlit.go.jp/common/001033672.pdf
増える地域が大都市圏を中心に若干あるという話だが、これは本当にピンポイントで増えるというだけの話で、都市圏全体でみると、こちらの資料2ページ目によると、やはり増えるところは無い模様。
さらに問題は(これは全国的に言えることだが)老人比率が高くなりながらの人口減なので社会保障制度を始めとしてまったく大丈夫ではない。
これはブコメで散見された誤解。日本は森林ばっかだから2割の土地で人口ゼロって別に驚くこともないじゃんという意見だが、資料によると2割は「国土の2割」じゃなくて「今現在人が住んでいるうちの2割」ということだ。人口減少のひとつの結果として、それなりに顕著な変化と言えると思う。
俺は過疎については仕方ないとも思っている。「2割がゼロ」になってもいいじゃないかとも思う。
国や自治体の赤字を減らすためには、なるべく人間は固まって暮らしたほうが効率的だ。電気ガス水道、通信回線、道路などの社会インフラの維持費は安く済むし、人口が集積すればさまざまな商業活動が成り立つため街も活性化する。公共部門の支出が減り税収が増えれば、社会保障が充実する。少子化対策に割ける予算も増える。
増田なんで書いてしまうが、国も役所も本音としては過疎地域は一刻も早く人口ゼロになってくれという感じじゃなかろうか。
さて、減る一方だというイメージのある合計特殊出生率だが、2005年の1.26を底に2012年の1.41まで少しずつ増えている。もうすぐ2013年の数字も出るだろう。
これはネガティブな話題ばかりの少子高齢化関連のトピックでは唯一の光明だ。今後の数字に注目したい。
これもブコメで散見された残念な意見のひとつ。全然「どうしようもなくない」。
同じ資料の1ページ目には、合計特殊出生率が現在の上昇ペース(2005年1.26→2012年1.41)を維持した場合と、フランス並のペースで上昇した場合の2種類の人口推計グラフも掲載されている。
つっても誰もpdfなんか見ないだろうと思ったのでスクショとってアップした。関係ないが増田は画像くらい貼り付けさせて欲しい。
これを見ると2050年で1.1億人弱、2100年で9100万〜9600万人の人口をキープできるということで、中位推計(合計特殊出生率1.35)の2100年4959万人とは雲泥の差だ。
しかも出生率が2.07まで回復した上での1億人なので、人口減といってもいずれ減少はストップし、社会保障問題は大幅に改善され、今よりも暮らしやすい日本になっている可能性が高い。
労働人口は十分にあり、税収も確保でき、子どもの養育・教育に国も自治体も家庭も十分に投資できる。
人口が適度に市街地に集積しているおかげでコミュニティバスは密に運行でき、老人妊婦子どもが市街のどこでも自由に移動できる。
公園にはゆとりある老後生活をおくるじーさんばーさんが散歩していて、子どもたちの元気な声が溢れる。
わりと暮らしやすそうな雰囲気が街に漂っているため若夫婦も子ども産むのに抵抗がなく、出生率は2.1前後がキープされる。
そんな2100年、人口9000万人台の日本に「まだなれる」。決して手遅れではない。
なんとしても子どもを産みやすい日本にして、合計特殊出生率をあげなきゃいけない。
「人口減ってもいいじゃん」という認識をあらため、「手遅れだから」「焼け石に水」と諦めないことがまず第一歩だ。
「子どもいらねーー」「結婚したくないし」という個人の価値観を語ってみるのもときによかろう。それは否定されるものではない。
だが急激な人口減が及ぼす悪影響は人を選ばない。子どもが欲しくない者も、少子高齢化社会とは無関係でいられない。
国民のだれもが、少子化問題を深刻にとらえ、主体的に考える必要がある。
少子化問題が解決すれば、社会保障問題をはじめとして好影響はやはり人を選ばない。
以上、ここに書いたことは別に俺個人の意見でもなんでもなく、わりと一般的に言われていることだと思っている。国交省の人口増減メッシュ地図の件をフックに書いてみたものの、人口推計の数値自体は既に周知されているデータを引用しただけだし、少子化が及ぼす影響についても目新しいことは書いていない。異論がありそうなところとしては、過疎を積極的に肯定しちゃってるところと、出生率回復時の楽観的な記述だろうか?コメントやトラバをいただけると嬉しい。
また機会があれば、少子化問題を解決するため政策・行政レベルで取り組むべきことや一個人としてできることなどについてもまとめてみたい。
日本のデータはこちらの「表1-1」と「参考表1-1」から、デトロイトのデータはウィキペディアから拾ってきた。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401smm.html
あとはぜんぶ国交省の例の発表です。
https://www.mlit.go.jp/report/press/kokudoseisaku03_hh_000067.html
まーこれ読めば狂ったように批判する人が多いだろうなっていう内容を雑に書き殴る。その内気が向けば、徐々に加筆するかも。特定の人が見れば誰が書いたか分かりそうな・・・。
デマは不安を煽るものが多いが、中途半端にインテリな奴が根拠薄弱な安全情報を流したりする例も。原発に対する非科学的な恐怖感に対する反動化だろう。無闇に恐れることはないという主張が勢い余って無闇に安全だというデマに繋がるのだろう。どっちにしてもデマは大迷惑なので止めて欲しい。
切込隊長こと山本一郎までその中に入ってしまったのが、人間の能力の限界を感じさせる。彼は結構賢い部類に入ると思ったんだけど、それでも人間の能力は個人レベルでは限界値も低いようだ。知能や倫理のネットワーク化が人類の課題。相互に補完・訂正し合って相乗効果を高められるか否か。
国同士が協力できずに地球規模でまとまれないのは、人類にとって地球が最大単位だから。それ以下の単位では、争いはあっても、学習によって視野を広げればまとまることも可能。そう言う意味でも宇宙開発は意味がある。地球よりも広い範囲を自然な意識内に収められれば、地球規模で人類がまとまれるだろう。
あと、デマに関しては、どこそこの教授が言ったからとか、米軍情報だからとか、そういう理由で信じた人が多かったが、やっぱりそういうのに弱いんだなと。 MITの教授だけど実は原子炉や原子力工学は専門外で物理の先生ですらなくマーケティングだか何だかの先生だと後で分かったりということがあった。デマに対する方策として、「信頼できるソース」というのがあるけど、これは肩書きとか機関名の権威に盲従しろってことではない。あくまで、自分の頭で総合的に情報分析・判断する際に、どういった情報を取捨選択するかという際の目安でしかない。取捨選択の判断基準としては、学問的手法によるのが適切。仮に優秀な学者が唱えた説でも、それは学説に過ぎないという当たり前の事実。あと学者の情報と現場を知ってるエンジニアの情報を組み合わせることも考えて欲しい。
これは私のような存在、中の人の気持ちも知ってるし、外の人の立場でもあるので書いておこうかと。もっとも中の人、外の人にも色々いるんだが。
絶賛する声が大きすぎて怖い。もちろん、気持ちは分かる。だから絶賛を非難する気はない。
しかし、まず第一に彼らはそれが仕事であること。つまり平時より課せられた使命であること。特に自衛官は我が身を顧みないことを宣誓し署名している。だから義務を果たしているに過ぎない。
念のためにもう一度書いておくが、それでも彼らに感謝するという気持ちは充分分かる。そうした過酷な義務を大阪市バスの運転手よりはるかに安い給料で遂行してくれるのは確かに有り難い。
が、しかし、彼らには宣誓に応じた義務を給料と引き替えに果たすというのが役割だということを忘れないで欲しい。
度を超えた絶賛は、自衛官らにとっても国民にとっても不幸なことだ。彼らは超人ではない。肉体的・精神的に被災者以上に過酷な状況の中で作業を続けることは、自衛官などなら平気だという訳ではない。
精神的に余裕のない被災者から容赦ない罵声を浴びせられることもある。自己完結型の組織として自前で用意した環境を享受すれば非難される。自分の家族も行方不明のまま。大量の遺体が腐り始める。理不尽なことが山ほど降りかかってくる。
そんな現場にいる人達をヒーロー扱いするというのはやや失礼なことだとさえ言っても良い。もっとも彼ら自身は何とも思う余裕もないだろうが。彼らに報いる方法は、彼らが充分能力を発揮できるような環境を平時の間に整えることだ。はっきり言ってしまえば、毎年の予算を増やすこと。そしてそれが有効に使われているか、官僚の都合が優先されていないかチェックすること。彼らに感謝すると言いながら、予算には関心を持たない人は多いのではないか。年々減っていく予算をどう思っていたのか聞いてみたい。いや聞きたくないわ。予算に関しては全体の額だけではなく、内訳も非常に重要。イージス艦とか支援戦闘機とかMDとかも大事だけど、もっと地味なところは蔑ろにされがち。柱の浮いた廃墟のような倉庫とか、すぐちぎれるペラペラの個人装備とか、歩いてるだけですぐ部品がなくなる小銃とか。今や第三世界と呼ばれた国々の軍隊の装備にも劣る点が多々ある。ハイテク装備にだけ目を奪われるとこうなる。
自衛官らを超人扱いして有り難がるのはやめよう。頑張ってくれてる同じ日本人として感謝しよう。
コンプレックスの強い人がそれを軍隊のロマンへの心酔という形で発散したがるというのはよくあることなんだが、今の日本では主にネトウヨがこれに該当する。極端な国粋主義というのは軍隊の内部よりも、外部から内部に浸透してくるものだと考えている。三島由紀夫が自衛官に冷笑されたのは当然。軍隊ではああいう人は一番浮く。井上和彦とか話にならん。ああいう人はヒーローを語ってその尻馬に乗ろうとしてるだけ。
連日の過酷な状況を伝える暗いニュースの連続で、自分自身は直接被災していないにも関わらず、心が参ってしまう人が続出。見なきゃ良いんだけど気になるから見てしまうんだろうね。そういう人はなるべく民放のセンセーショナルな番組を見ないようにした方がいいと思う。とかく人の不安や恐怖やらを煽りがちなので。情報は1日1回、NHKのニュースを見て、後は新聞の一面でもざっと眺めれば充分でしょう。
ネットの情報は読み解くのに相当のリテラシーと時間が要求されるのでこういうときは実はあんまり実用的でない。
んで、自主規制とか自粛とかいわれる物が行きすぎというのも分かるが、わざわざ話題を逸らすこともないとも言える。そういう訳でこの文章を書いている。
遺体を映すべきだという声をよく聞くけど、それは要らないと思う。それを見てたらどうなるの?慣れるの?そんな場面を見なくても震災から学ぶことは十分出来ると思う。
以下加筆するかも・・・・多分しない
日本の先駆的研究者、松浦祥次郎氏も再考を迫られたことを明かした
不可欠であっても数は減らせる
M9レベルを基準にすることについての国民の合意を確認しておく必要
数十兆のダメージか→国民皆でかなりの負担をすることになる(全員が「被災者」でありサバイバー)
今の日本に必要なのは抽象的な協力概念ではなく、国民が賢くなって賢い政治を選択すること
戦後政治を変えるのは震災前から喫緊の課題であったがもう猶予は一切無い
今、間違った復旧・復興をすると取り返しがつかない→反面、新しい街作りの機会
補償にも効果測定は必要(効果は補償された人・されなかった人・国民全体の人心の安寧も含む)
その防止策は?
場所は確かに難があるが、では財政難の中でどの選択肢を採れるか
庁舎近辺を徐々に再開発するのは無理?庁舎が来れば需要も生まれるのでは?
数々の地震に耐えた現庁舎も今後はさすがに不安(そこが出発点だったはず)
他にもあったけど、ありすぎて忘れた。とにかく考えさせられたことが多すぎて全部覚えてらんない。不安を煽るつもりはないが、もはや崖っぷちであることは事実であると認識した上で勇気が必要。
こういうアホなりにも真面目に考えてびっしり(というか8行おきじゃなく)書かれた文章(つっても作文程度だが)より、どっかの歌手が書いた5行くらいの詩を読みたがるのが大衆なんだと思ってるけど。
きっちり考えるより、分かりやすい言葉に感動してる方が圧倒的に楽だという誤謬の根本原因をどうするのかまで考えないとな。それは俺なんかより、インテリが考えるべきことなんだけど。インテリというのは優れた思考力を与えられている分、俺たち愚民を導く責任があるんだよ。ワンフレーズで国民を先導ならぬ扇動する政治家とか論外。
で、NHKの水野解説委員と横尾アナウンサーには萌えた。彼らは常識的なインテリだと思う。他にもテレビに出てる人でもいいこと言ってる人はいるし、それが放送されているのだから、まだマスメディアには存在価値が残っている。
追記
読めば分かると思うが、私のこの文章が歌手の安っぽいフレーズより有用だという主張をしているのではない。下らない物が結果的によい効果をもたらすことは良くあるし、私から見て下らない物が世の中のためになる価値ある物かも知れない。しかし、そういった価値判断以前に、単純に、真面目に書いた長文より情緒的なワンフレーズがとっつきやすく、それだけで満足してしまうことによる誤謬の可能性というのは大きいという構造の話。いずれにせよ、その辺はこの文章の主題ではないんだけれど。
そのとき、お前は、一個人としてアメリカが日本に有利な政策を採るようにわざわざ活動すると思うか?そもそも、そんなことは現実的に可能だと思うか?せいぜいが、日米の友好を目指す政治家に一票を入れて満足するのが限度だろう。
つかね、結論ありきで抽象的に考えるせいで、話がおかしくなる。個々の外国人なんて、自分の人生を生きるだけで精一杯。国政を左右するほどの勢力なんて築こうとも築けるとも思っていないだろう。数人で意見を束ねるのだけでも大変なのに、政治を左右するほどの勢力を築くのなんてもっと大変だろう。
頑張りに頑張って地方議会に一人自分達の代表を送り込んだとしても、議会は多数決で決まるんだから、母国のために便宜を図れとか議案を出しても、そんなことはどうでも良い他の議員に圧倒的大差で負けておしまいだ。つまりは、議会なんて過半数をとるくらいに勢力を拡大して初めて意味が出てくるもんだからな。(しかも、議会で多数をとって議決しても、外国にただ便宜をはかるような行為は法律上許されないから、裁判所に止められて終わりだが)
逆に、過半数を取れるような超過疎地域に狙いを絞ったところで、結局は日本の法律の縛りはかかるし、そもそもそんな過疎地域なんて予算も非常に少ないんだから、労力をかけて牛耳ったところで報われない。
ついでに、帰化人とかを選ぶのは、自分の立場に理解のある人間に政治家になって貰いたいから、そして議会で自分達の意見を代弁して欲しいからであって、いちいち母国への便宜を図って欲しいとか思ってないだろ。そもそも、地方自治体レベルの議員一人には、予算を動かす権力なんてありはしないんだから、期待する意味すら疑わしいし。