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はてなキーワード: 伝統仏教とは

2023-12-12

大乗仏教について一つ疑問なのは、人から托鉢を受けて養ってもらっている身分でどう衆生を救済するつもりなんだ?という点

から施しを受け続ける乞食の分際で伝統仏教小乗と嘲るあなた方は何様なのか?という点

まだ個人悟りを開くんだとする伝統仏教の方が潔いのではないか

あるいは、信者から金をふんだくって力を行使する統一教会の方がよほど衆生救済といえるのではないか

2022-08-31

anond:20220831040933

伝統仏教って言ってもそもそも念仏鎌倉時代流行ったカルトからな。

戒名代を要求してきたり具体的な金額坊主が口にしたらその時点で、既得権益生臭坊主って思っとけば問題無いぞ。

以下理由

戒名あくま生前信仰の篤さによって名付けられるもので金で売り買いするものではない。

(金で買ってもそれは故人の功徳にはならない。仏教功徳って概念生前自分で積み上げる事しか出来ない)

また布施あくまでする側の志に基づいて価値があるので、金額坊主が口にしたら台無し

仏教原則を何にも理解してない、自身で学ぶ気も碌にない、存在価値のない坊主判断してよい。)

2022-07-16

anond:20220716170213

からというより、宗教統一教会とかオウム真理教みたいなカルト宗教跋扈してからだと思う。

昔は寺院への参拝は当たり前だったわけだ。特に名家と言われる家はその地域寺社へ多く寄進している。名家人間寺社への寄進が故に成功したと思ってる。

そこで戦後宗教弾圧が終わったが、カルト宗教跋扈したということの裏返しで、なにかトラブルに合った金持ち団塊世代お嬢ちゃん宗教にすがれば解決するんだとカルト宗教に多額の金を出す。

カルトは様々な心理テクニックで人を騙して依存させてるわけで、葬式仏教として騙すテクニックもクソもない伝統仏教はどうしようもできない。まあどうにかできるにしてもカルト宗教に一度は救われたのは事実だろうから公権力しか対処できない。

2021-01-20

anond:20210120144550

浄土真宗僧侶増田です。

こんにちは。ご質問ありがとうございます

私がネット記事を読んだ時には

「非恋愛、非SEX非婚、非出産

の4要素を訴える運動のことと書いてありましたが、そこに非宗教を唱える方も現れてきている、ということなのでしょうか。

いずれにしても、これらはすべて、個人尊厳を取り戻すために、これまで社会の(暗黙的ないし強制的)要請によって様々な形で抑圧され虐げられてきた方々の悲痛な叫びとして表れた動きだと受け止めています

古今東西、あらゆる宗教女性差別思想の醸成に一役買ってきた歴史があることは私も理解しています

日本においては、神社神道現代でも女性差別的な側面は変わっていませんし、伝統仏教の各宗派も長きにわたって女性差別を繰り返してきました。各所各山で自浄・改善の動きが少しずつ見受けられるようになったとは言え、理想にはまだまだ程遠いのが現実です。大変に嘆かわしいことです。



お尋ねの件についてですが、信仰自由は守られて然るべきですから、私は彼女たちの願いそれ自体は悲しみと共にうなずきます。やはりそこには、宗教否定・拒絶するだけの動機があるのです。おそらく宗教によって何らかの理不尽や痛苦を味わわされた経験根底にはあるはずです。

しかし、何事も行き過ぎるとかえってよくない結果をもたらします。極端な行動で解決するということは、往々にしてないのです。お釈迦さまが右でも左でもなく中道を歩めと仰せになったのも、こうした話にも通じると思います

彼女たちが「宗教に属さない」、「自分のことは自分で決める」、と決意することは素晴らしいことです。自分尊厳を守るための大切な選択だと思います。ただし、その思いが行き過ぎた場合彼女たちが次に取る行動は、

宗教信仰する人たちを責め立て始める

ということです。自分たちの在り方が正しいと信じれば、そうではない人間が正しくないと信じるのが私たちです(これは僧侶にも言える難しい問題です)。そうすれば、差別され苦しめられてきた側の人間が、また別の人間の新たな苦しみを生み出すことにもなりかねません。それだけは互いに避けねばならないでしょう。

あの人は信じてる、自分は信じない、でも仲良し。そういう、違いを乗り越えて出会える道を、女性男性性的マイノリティ関係なく共に探ってゆかなければ、そこにはただの断絶と分断、怒りと憎しみしか待ち受けていません。そもそも彼女たちがこうした運動を起こさざるを得なくなるような社会通念を生み出した不特定多数を変えない限り、問題はそうそう容易くは解決しないと思います

このことは誰もが、ゆめゆめ肝に銘じなければならないでしょう。





現代の人々にとって、「宗教」という言葉の持つ意味合いがあまりに変容してしまたことを第一に考えねばならないのではないかと、日頃から感じております

私がこうした事象について何よりも訴えたいのは、

宗教女性差別をしてきたのではなく、女性差別をする人間社会宗教隠れ蓑にしてきた

ということです。これを断じて忘れてはならない、と思います

すべての宗教は、その時その時の時代背景・社会構造の中でたびたび利用されてきました。そのために大切な教えまで歪められることさえありました。日本においてもイスラムにおいても、家父長制とうまく融合させて、男性優位の支配構造を作ってきたのです。これは宗教が求める人間の姿ではありません。宗教という、ある種神秘領域を振りかざすことで、精神の内外から強烈な規範となって人々(特に女性)を抑え付けてきたのです。それを行ってきたのは“人間”(特に男性)です。

この“人間”をどうにかしない限り、私たち未来永劫救われることはないという教えを私は信順しています。見渡せば、その通りとしか思えない世界が広がっているからです。



いささか乱雑な論述になってしまいましたが、これが私の思うところです。


合掌

2019-11-19

既に仏教経典男尊女卑性を糾弾するフェミニズム著作が出ているし、伝統仏教異端的な萌え仏教もまとめて糾弾されそう。

タレ込む先を本山に設定すると怖い。

本山の重視する経典記載内容と自チームの思想バッティングがあったら、なんでそっちはスルーしたんだって話になるし。

2018-02-04

anond:20180204141626

しろ仏教儒教はそういう思想の宝庫なんだが、

仏教→怪しい霊感商法が大量に生まれ宗教関係というだけで怪しまれる。伝統仏教僧侶思想を持たなくなってる。

儒教→下が上に従えだけがクローズアップして、上があるべきことをすっ飛ばしブラック企業根拠みたいに扱われ嫌われてる。

だとおもう。

から海外でZENがブームになってるとかいうが、日本ではピンとこない。まあ、日本のどろどろしたもの抜きの思想のみならと思う。

一例をあげると陰徳(徳は陰ながら積むもの)とかいうのがあるね。安田善次郎がこの考えだった。渋沢栄一論語そろばんとか言ってた。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517084552

イスラム一夫多妻だったけ?都合のいい宗教を選んだもんだねw

普通に伝統仏教のどっかで出家した方が早くね?

2017-04-25

役僧侶だけど「空き寺」「後継者不足」などよりもっと深刻な問題

最近新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。

最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。

■3つの問題リンクしている

宗門大学や大きな寺にはアルバイト在家出身僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。

この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています

在家出身僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。

というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。

何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。

「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したとき保険をかけて夢を追えるいい環境です。

から在家出身僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。

バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます

住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります

自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。

しかし、折角掴んだチャンスを在家出身僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります

回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者環境的に出ていかざるを得なくなりますが。

こういう昼ドラ脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。

まり後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います

繰り返しますが、在家出身僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸ダイヤモンドを見るけるレベルの話です。

上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者問題仏事ではなく民事的に解決します。

子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります

兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります

あくまで常駐していないだけで、書類上は住職がいます

さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります

室町時代仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。

どんなに小さなお寺でもいいので、地方過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶存在します。

しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院住職にとっては「固定資産檀家)」なので、そういう若手僧侶住職の話はほぼほぼありません。

おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。

3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。

これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。

個人的日本仏教はもうダメな気がしています

それは何度も言われていることかもしれません。

言葉は悪いですが、団塊世代年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います

権力偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。

真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。

僕のような丁稚の弱小者本山にとっては単なる搾取対象しかありません。

これが仏教なのかと、経典論書を読んでは枕を濡らす毎日です。

感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています

どうか社会的圧力が高まって、改革兆しが訪れんことを。

追記

極論に過ぎている部分があるので補足しておきます

もちろんイレギュラー本来的にはレギュラー)な場合も多くあります

そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員檀家総代等)で構成されます

イレギュラーケースとして、代表役員在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。

法人運営在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。

そもそも代表役員事務総理するのであって、僧侶聖職者である必要はなく、住職という名称代表役員イコールではありません。

思うに、会社法のように株主過半数取締役などを解任するなどの方法宗教法人法にはありません。

代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則法律によって決まっていてもいいように思います

本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。

仮に法改正されれば、葬儀墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能だって出てきます

在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。

仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶住職門跡管長あるいは長老なんじゃないのか…。

知人の僧侶最近こんなことを言っていました。

現代僧侶間の不条理在家出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。

しか日本文化地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかい運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。

 
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