はてなキーワード: 花道とは
森元さんの会見を見て思いました。
一般企業は、役職定年とか、定年制で引き際を作り勇退もしくは花道、もしくは戦力外通知を行い新陳代謝を図り、法人や組織としての生き残りを図る。
対して、政党・政治家はこの真逆で、高齢化した人たちが「引き際」を死の間際まで延長することで統制を図っている。
死の間際が75歳前後の時代であればかろうじてその伝統も通じていたことでしょう。
しかし、平均寿命の伸びた現代では完全に制度破綻をきたしています。森元さんの言動や謝罪会見は、それを身をもって示してくれた貴重な事例だと思います。
自民の「若手」のみなさん、よろしくお願いします。今は昭和では無く、平成でも無く、令和です。あなたたちが新しいルールを作って日本というOSをアップデートする使命があるのです。
言い換えると、政治家の「引き際」のルールを設ける必要があるのです。
尻馬に乗りたい人が多い自民議員の中で、ほんのわずかな「良心」を持ち続けている若手・中堅の方がたくさん在籍されている事実も知っています。
あなたたちは私たち庶民の代弁者なんです。理想と現実の落としどころを見つけるのが仕事なんです。引き際問題はその中の大きな課題の一つです。巨艦は方向転換が苦手なことは承知しています。その反面、若手・中堅に期待するところはそこなんです。そこさえできれば日本全体が幸せになれます。
ほんとに自民の若手・中堅に期待しています。逆風を跳ね返すみなさんの熱量で、今の自民を少しでもいい方へ導いてください。
政党や派閥を超えた超党派のみなさま。よろしくお願いいたします。
日本、生き続けろ!
一着賞金3億円の同レースは日本競馬の年間最強馬決定戦である。
しかし今年のレースは日本競馬150年の歴史においてすら空前絶後の一大決戦とみなされるだろう。
なぜなら天地開闢以来はじめて「三頭の三冠馬」がひとところに集うからである。
三冠馬。
単純に強いというだけではない。
今年のジャパンカップにはその三冠馬が三頭も出走するのである。
小さな牧場で生まれて、1200万円という競走馬としては破格の安値で購入された。
強風吹き荒れる過酷な環境で鍛えられ、強烈な末脚で勝利を収めてきた、叩き上げの女傑である。
今年、史上8頭目の牡馬三冠、そして史上3頭目の無敗三冠を達成した。
父は同じく無敗三冠馬のディープインパクト。馬名の意味は「飛行機雲」。
「空を飛ぶ」と称された父の航跡を辿り、同じ偉業をなぞってみせた天才児である。
ルドルフも、オペラオーも、ディープも成し得なかった「芝GI・8勝」を達成した。
引退レースとなる今回にも勝利すれば、獲得賞金額でも歴代1位となり「史上最強馬」として語られることになる。
この戦いを何に喩えたらいいだろう。
満員の東京ドームで開催されるジャイアント馬場VSアントニオ猪木。
K-1のエース・武尊とRISEの神童・那須川天心、宿願の対決。
メッシ率いるアルゼンチン代表とC・ロナウド率いるポルトガル代表によるW杯決勝戦。
若きフロイド・メイウェザーJrと全盛期のマニー・パッキャオのタイトルマッチ。
七冠を達成した羽生善治と八冠を制覇するだろう藤井聡太による名人戦七番勝負。
あるいは……
多くのスポーツファンが夢見て、しかし叶わなかった戦いの数々。
我々はこの目でそれを見ることができる。
それとも三強以外の馬がここに割り込んでくるのか。
歴史的な熱戦となるか、世紀の凡戦となるか。
我々はただ目に焼き付けるだけだ。
そして、あなたの目にも焼き付けてほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=u-WOUyVpF90
マジレスするけど、自分の好きなイベントであるからこそ中止を希望するという側面もある。
たとえば、1936ベルリンオリンピックは、様々な問題を抱えていたナチスドイツが、それを懸命に糊塗して開いた大会であるが、結局のところ、世界史的には、独裁政権がオリンピックまでプロパガンダの場にした大会、「ヒトラーのオリンピック」として記憶されている。また、1976モントリオール、日本的には1980モスクワ、東側諸国には1984ロサンゼルスのオリンピックは、いずれも諸々の事情により、ボイコット国が続出した大会として、不参加の国の代表にとっては苦い記憶の大会名となっている。
今回の東京大会は、「独裁政権によるプロパガンダ優先」のほか、「全然アンダーコントロールではない原発事情」「世界的なコロナの流行」のため大量ボイコットの危険もある、更に、大会後参加国関係者(中でもその国を代表するアスリート等)が帰国後コロナを発病したりしたとき、「なぜ大会を実行したのか」との批判を受けるリスクも大きい。そして、国内的には、酷暑に対する見込みの甘い対策、過小に見積もられ過ぎたせいでどんどん膨らんでいく予算、延期のせいで更に必要になった予算や他への影響……など、未解決の問題、リスクなどが山積みである。
このような状況にTOPが真摯に向き合い、きちんと方向性を示した上で大会運営を進めた結果、「2020トウキョウ」が素晴らしい記憶とともに刻まれる大会となるなら、応援することもやぶさかではない。だが、現状そういう姿勢は見えず、ただただ「やりたい。コロナリスクなんて反対派の宣伝だ」「ワシの花道を飾りたい(あとのことは知らない)」「選手の気持ちも考えろ(関係者の商売もな)」という、たいそう不誠実な姿勢しか見えないので、残念ながら素直に支援はできない、というのが正直なところだ。現状でやるのは、リスクが高すぎる。「2020トウキョウ」を悪夢の代名詞にしてはならない。現在の自民党政権は、国内でどんな問題が起こってもプロパガンダで握りつぶすことができる、と学習してきたため、失敗を認めて改善するということが大変下手だ。だが、その同じやり方で、世界を巻き込んだ失敗を起こしたら、電通にいくら金を積んでも何の意味もない。日本という国自体が世界から攻撃され、安くみられることになり、今後の経済、外交的に大きなダメージとなる。
むしろ、「開催したい派」の根拠は何なのだろうか? 商売の都合?(経済的にというが、それは極めて短期的な話ではないだろうか?) コロナリスクを低く見積もっているから?(疫病に関する問題は、政治ではなく科学の言葉で語るべきだ) やりかけたことを無駄にしたくないから?(そういう人には「コンコルドの誤り」という逸話を贈ろう) ……いずれも、私には説得力が感じられない。過ちて改むるに憚ることなかれ、という。中止の判断は、一刻でも早ければ早いほどよい、と思う。
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。
しょぼいと思われるかもしれないが、
自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。
なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。
中学生のとき、バスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方からの練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。
私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。
単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。
ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。
今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしまう出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。
それ以前もちらほらと、小学校の読書クラブや、公民館の児童クラブ、友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。
二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大大学の前期試験に挑んだ。
父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親は過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。
そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。
だけどそれはおかしい、と同時に思う。
結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学に合格し、結局実家を離れることになったのだから。
前期試験のあの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?
自信はあった。
試験範囲の勉強は計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。
今でも思う、あの日、あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。
第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。
もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。
そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。
しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。
受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生や大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。
大学の正門前、最後の横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。
駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。
それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。
駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。
県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日から泊まり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。
好きなアーティストのライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。
少しだけ後悔している。
きっと母親とホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから。
私はやってしまった。
ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。
感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。
同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。
受験発表の日、ネットで番号がないのを先生と確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。
月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。
長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。
思い当たることがあるとすればあと一つだけ。
学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。
いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。
短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通は社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。
大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。
さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。
その最後の週だった。
作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。
大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。
他の停止ボタンと違って、プラスチックのカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。
この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンスが必要になり、その間はラインを停止させることになる。
一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。
そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。
これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。
班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。
上からのストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。
それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。
私はそれを班長のそばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。
そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。
もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。
プラスチックのカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。
班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。
その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。
その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。
私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。
流石に外までは追いかけてこなかった。
そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。
いわゆる「飛び」だった。
最低最悪なことをしてしまった。
それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。
理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。
ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。
怖かった。
とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものだから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。
実際は、適性検査のタイミングで不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのときの自分にはそれが奇跡に思えた。
入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。
こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。
自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。
きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。
何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。
そして今年の四月で、見事それを達成した。
ああ治ったんだ、と私は思った。
私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。
その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってからは毎日が楽しかった。
今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。
それなのに、私はまたやってしまった。
朝はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。
会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。
私は時間になっても、家の机に座ったままだった。
一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。
会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業は直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。
申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。
11時を過ぎて、まずい、と思った。
遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。
それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。
ほんの数時間前までは。
私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだと気づき始めていた。
怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているものを台無しにしてしまう癖。
治っていなかったのだ。
三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。
ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。
この病気は一生治らない。
発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。
たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。
ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか。
ああ怖い。
恐ろしい。
いっそ死にたい。
上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。
明日からはお盆休みだから、休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。
しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。
私が「そういう人間」だということに変わりはない。
私は
私は……
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。
コロナの影響でリモートワークになり、通勤時間分の余暇ができたことから、なんとなく新装版の1巻を買った。
おもしろい。
アマプラで配信されたアニメも観た。いいじゃんスラダン。なんで今まで読んでなかったのか、すごく悔しい。
もともと親がジャンプを含めた漫画好きで、家にドクタースランプ、北斗の拳、シティハンター、モンモンモン、奇面組、ターちゃん、ドラゴンボールとかが全巻あった。
けど親はスラダンと幽白のあたりから、ジャンプを読まなくなったらしくて(多分その頃の親はサンデーの方がおもしろくなったのかも。実家にはらんま1/2やうしおととらが揃ってた)、スラダンだけ全部読んでなかった。
自分も別にバスケに興味なかったし、バスケ漫画でしょ?って感じで。
一応高校のとき、図書館にあった完全版でミッチーの『安西先生……バスケがしたいです』のところまで読んで、「キリが良さそう」って思ってやめたきりだった。
そのときっていうか高校時代のときこそ、そこから先も読めばよかった。すごく後悔してる。
そしてめっちゃいい。
三井がバスケ部に戻ってからがスラダンはおもしろいとか、山王戦を読んでない奴はダメ、とか言われていた理由がわかった。
以下、思ったこと
・高校生の時は桜木花道の良さ(しかも序盤で読むのやめたし)が全然わからなかったけど、大人になると何気ない練習風景にめちゃくちゃ泣いてしまった。
ミッチーとの練習試合、「シュートの練習は楽しかった」、IHを賭けた陵南戦前の木暮との会話で、チームの一員としてIHに行きたいと思えるようになったところとかじわじわきた。
いい主人公じゃん。言われたことを素直に練習して、どんどんバスケの楽しさを理解していく姿に普通に泣いた。
・流川はスカしてるだけの天才キザ野郎かと思ったら、こいつもこいつなりに不器用に成長していってたんだなと思った。
オレオレ系かと思いきや、仙道や三井をきちんとリスペクトしているところが感じられてすごくいい。特に1on1はよかった。
・ゴリいいやつ。主将って感じ。メンタルたまに弱いけど、IH前の陵南戦の描写では「高3ってこんなもんだよな……」って懐かしくもなった。
・木暮くんめちゃ泣ける。ミッチーが戻ったあとは大人すぎない?
IH前の陵南戦での3Pはページめくる前に泣いた。本を持つ手が震えてた。たぶん一番泣いたかも。
・ミッチーは安西先生……のインパクトのままだったんだけど、むしろ復帰後の方が名台詞多いじゃん……。
レギュラーになった後は3Pバンバン決めてくれたり、海南戦後の試合での花道への先輩っぷりとか見て、読み手側として爽快感があった。
勉強合宿では親御さんに電話かけてるの観て、超ホッとした。(そういや当時は携帯なかったんだっけ?
・宮城:いいやつだよね
・90年代のアニソンっていい曲多いと思ってたけど、スラダンのアニメも、いい曲多いね!
世界が終わるまでは……は良すぎた。もう当時のボーカルは変わったみたいだけど、昨日音楽の日で歌ってくれて感動したよ。
最近の自分は仕事や資格試験勉強で、ついつい効率を考えちゃったり、一発逆転してやろうとか思っちゃってたりしたんだけど、
スラダンを読んだことで「筋道を間違えずに、愚直にコツコツやらないと」って雷食らったような衝撃を受けた。
気づくにはちょっと遅い年齢かもしれないけど、反省して最近は業務に関係ある勉強の、基礎からきちんと勉強してる。
きっと日本のどこかにもこういう高校生がいるんだろうなーそしたら自分も頑張らないとなーーーって勇気付けられたよ。
あーあともし中学・高校時代に全巻読んでたとしたら、牧や魚住を見てもきっと今ほど魅力に気づけなかったかもなって思った。
特に牧は、牧さえいなけりゃすぐにIH確定したのに……とすら思っていたかもしれない。
すごいよね牧。バスケのルールよくわかってないんだけど、4人で抑えられても抜いちゃったり、敵情視察したり同期や後輩をまとめたり、いい男すぎる。
何故か思い返してみたら、元々控えめな自分が初めて女の子に告白したのがきっかけだったと思う。あの子は僕が傷つかないよう、丁寧に振ってくれた。
それから僕の地獄の日々が始まった。クラスのナンバー2、本人は対した事は無いがナンバー1の威を借りてイキるタイプの奴。スネオポジかな。に目をつけられた。そいつも彼女の事を狙っていたらしく、先にアタックを仕掛けた俺が気に入らなかったらしい。振られたからいいじゃん。
地獄と言っても大した事は無かったと言えば無かった。ただ靴に画鋲が入っていたり、お気に入りの高いシャーペンにボンドが流し込まれていたり、僕が振られた事を学年中に触れ回ったりしただけ。正直程度は低いと思うが、これが毎日毎日、下手すると休み時間ごとにやられていたので次第に僕の気持ちは落ち込んでいった。
教師は何もしなかった。触れ回った事だけは証拠があったので口頭で軽く注意されたが、その他はそいつがやったという証拠が無かったからだ。その上で授業直前にシャーペンをやられて困っていると「何遊んでんねんwお前らこんなアホにペン貸すなよw」とか大声で言い出す。クラスメイトもあいつの異常さを分かっていたから従ったんだろうな。邪魔をしたら次の標的にされるから。仕方がないので先生がペンを貸してくれるようになった。
結局そいつの嫌がらせは卒業までの3年間、ずっと続いた。女の子は野球部の花道を嗜むイケメンのものになった。
僕はひたすら、疲弊していた。
それからというものの、僕は常に何かに疲れていて、諦めたような姿勢を取るようになった。恋愛をする気は全く起きない。再現性が無い事件だったことは明らかだけど、自分の恋心が芽を出そうとするとどうしてもあの日々が蘇ってくるからだ。
ただの日記なので乱文誤字脱字は見逃してほしい
推しが飲酒運転をした。免許取り上げになった。彼は活動休止になった。グループは活動が延期になって、期待されていた新曲は思ってもみなかった形で更に注目された。
彼は私にとって一緒に花道を歩きたい推しだった。付いて行くだけでも楽しいけど、この子は幸せにしたいって思った。こんなのは思い上がりで私なんていなくても彼らが幸せになれるとは頭でわかっていたけど、それでも幸せにしてあげたいという気持ちでファンをしていた。推し彼のグループはみんな才能も魅力もあって私達ファンの期待を超えるグループになれると信じていた。
期待が大きすぎたみたいだ
きっとこんなに悲しいのは私が彼らは私の期待通り期待以上のグループになると信じ切っていたせいだ。ファンのエゴだと思う。裏切られたのではなく私が間違えた。
人それぞれ頑張り方があると思う、私は自分の中では頑張っていた。絶対に今以上に大きくなるグループだと思っていた。具体的に言えばアイドルに興味がない友達にグループ名を言ってもなんとなくは分かってもらえるそんなグループ。
新人デビュー2年目でこんなことを起こしてしまった彼が、私が期待していたようなグループのリーダーに彼がなれるのか、なれないと思う。
聞いてすぐ怒りしかなかった。涙も出なかった。
私が怒ったって何も変わらないのは知っているし私なんかよりお金と時間をかけてずっと悔しいファンがいるのも理解する。それでも怒りはこみ上げてきた。私は怒った勢いで振替公演のチケットをすべて譲った。事務所の発表から30分もなかった。友人にファンをやめるというラインを送った。その一時間後涙が止まらなくなった悲しかった、ひたすら悲しい。
乗り換えてやるって思って友達と電話をしながらも彼の名前でパブサをしていた。乗り換えるならミュートワードに入れればいいのにずっと彼の名前で検索していた。
どんな意見を見ても共感できなかった。早く戻ってきてほしいというハッシュタグを見たときは嫌悪感でいっぱいになった。脱退の2文字を見たときはしょうがないと口で言いながら泣いていた。ファンクラブは退会の最後のボタンが押せない。でも愛してるよなんて言えない。自分を責めすぎていないか心配してる反面、泣いて反省してすぐになんて戻って来るなと思う。
泣きつかれているのに夜眠れなかった。
事件を知ってから約24時間が経った。体感時間は本当に長すぎたチケットを譲ったのが3日前のように感じる。
年齢層が若くて疎まれがちではあったものの、明るくて活気のある雰囲気だったファンダムはそれこそダムが決壊したように崩れてしまった。新曲発表に向けて築かれていた結束感は一瞬でなくなってしまった。
考えたくもないのに彼のこと以外考えられない。彼の歌う曲は聴けていないけど彼以外のアイドルの曲も聴く気になれない。
どうやったら私は彼に背を向けて去ることができるのだろう。どうやったら私は彼を許して待って、愛することができるんだろう。
ラッキースケベなんて特に「キャラ同士の関係性やストーリーがあるから」成り立つ描写だろ。
同じように、あれは単なる「セクハラ」、一方的なハラスメントなんかではないの。
スケベなことする→その場の報復、で完結する関係性がキャラの間に成り立ってるから、
「ラッキースケベになる」わけ。
おわかり?
逆に「深い関係性(またはこれから深くなる)」という了解がないと成立しないの。
本質的に「好きな相手だからセックスする」と同じ理屈なんだよ。
だから女性作家である河下水希も、ラッキースケベだらけの苺100%を書いてた。
ラッキースケベがただのセクハラ、一方的な加害描写であるなら、そんなことあり得ないだろ。
あれはキャラ同士のコミュニケーションが成立してる描写なんだよ。
いきなり登場した男キャラがおんなじようにスケベな、それこそハラスメントをしても作品中では「ラッキースケベ」の扱いにはならねえんだわ。
そいつはもう「許せない敵」になるの。作品的にも、キャラ的にも、読者的にも。
実際、そういう展開もよくあるしな。
読者に「作品中の人間関係の読解、さらに一定の倫理観を要求した上での描写」なわけ。
「花道がいじめられてる!流川はレイシストだ!」みたいな間抜けな発言になるんだよ。
大体、ラッキースケベが現実にはいけないことだってのは小学生の読者だってわかって読んでるわ。
主人公が毎回警察に捕まったり説教されなくても、そんぐらい理解できんだよ小学生だって。
そうじゃなきゃ、「そういう関係性」の描写自体が面白くもなんともねえんだから。
それがわからねえ読者は、もう漫画以前に、日常の生活環境が正直終わってる。
そんな奴はフェミニズムの本を読もうが、その知識を使って女をたぶらかすだけだよ。
そんな奴を基準に物事を考えたら、世の中すべての常識がぶっ壊れる。
つーかラッキースケベに文句つけるような奴は、どうせ絡みたいだけで理由なんてどうでもいいんだろ。
キリないんだよ。
少女漫画でおまんこしようがレイプされようが、BLでホモを消費しようが何もいわねえくせに。
感覚が狂ってんのはどっちだよ?
11月最初の週末は、ラグビーW杯2019日本大会、最後の週末だ。
ラグビー伝統国以外での、そしてアジア初開催となったこのトーナメントも残すところは2試合を残すのみ。
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大会を振り返った時、3位のチームを覚えている人は少ないだろう。
地上波放送もなかったし、3位決定戦自体の存在意義に疑義を唱える関係者もいると聞く。
しかし、今回、不可抗力で中止になった試合こそあるものの、W杯の開催地に最後まで残って、参戦したときに行う可能性のある7試合全てを戦えるのはここまで残った4チームにのみ許された権利だし、この大舞台で戦う経験を積む新星、そして代表戦の舞台から去るベテランたちにとってこの一戦は大きな意味を持っている。
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ニュージーランドのWTBリーコ・イオアネや、ウェールズのSHトモス・ウィリアムズ、CTBオーウェン・ワトキンはこの3位決定戦で次の4年に向けた新たな一歩を踏み出し、No8キアラン・リード、FBベン・スミス、CTBライアン・クロッティ、FLマット・トッド、そしておそらくはこのステージで残された時の少ないLOアラン・ウィン・ジョーンズといった伝説たちが、代表として有終の美を飾るための戦いに臨む。
また、スティーブ・ハンセン、ウォーレン・ガットランド両HCも退任が決まっており、これらはこの試合が1つのサイクルの終焉と新たなサイクルの始動を繋ぐものであることも意味している。
強豪国として名をはせる両国は今夜、どのような「終わりと始まり」を見せてくれるだろうか。
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若手に経験を積ませたりベテランの花道を作ってやりたいとは思っても、負ける気など全くないウェールズ。
伝統の固いディフェンスと激しいタックルは若手にも浸透しているであろうが、相対するのは攻めてくるのを待っていて勝てる相手ではない。
ウェールズは攻撃的守備を遂行しつつ、ペナルティーキックやセットプレーなどの一瞬の勝機を何度ものにできるかが問われる一戦となる。
対してスタメンを大幅に入れ替えても世界的なビッグネームばかりという層の厚さを誇るオールブラックスは、完全に封じられれた準決勝の苦い思い出を払拭し、自信を取り戻さないといけない。
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国家斉唱を前にこの試合で黒衣を脱ぐキアラン・リードの頬に笑顔が漏れる。
スタジアムが純粋にラグビーを楽しむ祝祭的なムードに包まれる中、両国の代表と観客が声を合わせて歌う国歌。
特別な試合、原則マオリの血を引くものが務めるとされるハカのリードはキアラン・リードだった。
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いよいよキックオフ、増田の予想に反してウェールズは試合開始から果敢にランで展開しつつ攻めるが、これを止めたオールブラックスがペナルティを獲得、外れたゴールキックの攻防からボールをつなぎ、なんとPRのジョー・ムーディーが激走してトライ!
つづく12分にもラインアウトからのセットプレーでクロスパスを受けたFBボーデン・バレッドがディフェンスをすり抜けてトライ。
14-0。
オープンな展開から2トライを奪ったオールブラックスが序盤をリードする。
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対するウェールズも深く攻め込んでからのセットプレーを取り切ってトライ、その後もペナルティーゴールを獲得し14-10とやり返していく。
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しかし、ボールをもってもキックを使わず走るウェールズが挑んだ攻めあいはオールブラックスの土俵で、32分にはセットプレーからターンオーバが連続する混乱をベン・スミスが走り抜けてトライ。
銅鑼のなった40分すぎにまたもベン・スミスがインゴール右隅に飛び込み、28-10として前半を終了した。
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スタンドに観戦にやってきていた上皇夫妻に送られる拍手と歓声。
トーナメントを勝ち上がってきたキック主体の戦術を使わずランでのオープンな展開で攻めたウェールズだが、オールブラックスの得意な混乱からの打ち合いを誘発してしまう。
ウェールズは今日が代表最後となるベン・スミスの2トライなどで大幅リードを許して前半を折り返した。
後半は締めていくのか、覚悟を決めて引き続き果敢に攻めるのか。
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後半開始早々、オールブラックスはまたもベン・スミスがディフェンスをすりぬけてチャンスメイクし、ソニー・ビル・ウィリアムス一流のオフロードでつなぎ、ライアン・クロッティが飛びこみトライ。
今大会を若い力で駆け上がってきたオールブラックスは、3位決定戦でみせたベテラン3人のアンサンブルで35-10。
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ウェールズは残された大舞台最後の時間を観客とともに全力で楽しむように、後半もキックを使わずランで攻める。
オーソドックスな展開攻撃だけではなかなかビックゲインができなかったが、辛抱強くボールを繋ぎつづけ、インゴールライン間際の攻防からジョッシュ・アダムズが頭を突っ込んだ!
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ゲームは選手の交代が相つぐ時間となり、大歓声で送られるウェールズのアラン・ウィン・ジョーンズやオールブラックスのソニー・ビル・ウィリアムズ。
最もセクシーなアスリートと世の女性にもてはやされながら、前大会で得た金メダルを興奮してフィールドに降り駆け寄ってきたファンの子供にあげてしまうなど、セクシーの期末試験があったら記述問題に採用したい振る舞いがノータイムで出せる伊達男ソニー・ビルは、13人制でカナダからのオファーがるという。
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腕を痛めたウェールズSOリース・パッチェルの交代で怪我の穴埋めにとことん縁のあるダン・ビガーがフィールドに降り立ち、同じく交代で入ったSHガレス・デービスがややキックを増やしたことで後半の展開は均衡したが、やはりオープンなゲームであることは終盤になっても変わらない。
観客にラグビーの楽しさを示すように攻め合いになったゲームは、75分にウェールズ陣深い位置からのスクラムからオールブラックスSOモウンガが、その均衡を破るトライで40-17として、このスコアのままゲームは終了した。
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おそらくは互いに最後のW杯となるアラン・ウィン・ジョーンズ、キアラン・リード両キャプテンが晴れ晴れとした表情でインタビューに答える。
準決勝の苦い敗戦を払拭し、最後の試合を飾ったスティーブ・ハンセンHCは大歓声に送られ、花火大会の打ち上げ本数で上回られたウォーレン・ガットランドHCは少しだけ悔しそうな表情で、しかし歳月を噛みしめるようにウェールズを鍛え上げた日々への思いを語った。
今大会で堂々オールブラックスの司令塔を務めた新星モウンガは試合前に「先輩たちのために今日は戦う」と語ったという。
ウェールズの選手たちも同じ気持ちではなかったのだろうか、去る者の思いは若い戦士たちに受け継がれていく。
4年後には彼らが先頭に立ってチームを引っ張っていくのだろう。
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決戦の1試合を残して大会を去った彼らだが、大会後にはキアラン・リード、ライアン・クロッティ、マッド・トッド、ブロディ・レタリック、サム・ホワイトロック、リーアム・スクワイアなど、多くの選手が日本にやってくる。
あと、W杯が始まってからというもの、どうにも悪役キャラのようなセリフを吐きまくるエディーがまた口を滑らせたおかげで、スティーブ・ハンセンが次に指揮を執るのがトヨタヴェルブリッツであることも明らかになった。
日本代表の躍進をその屈強な身体で支えた姫野を擁し、元オールブラックスのキャプテンとHCがやってくるトヨタは台風の目になるだろう。
W杯を沸かせた彼らのプレーや采配を間近で見ることのできる、トップリーグのスタンドにも是非足を運んでほしい。
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そして、日付が変わって11月2日、2019年大会を制するチームがついに決定する。
追憶と希望をのせたトライの花火と歓声が夜空を彩った今夜だったが、次の夜はもっとシリアスなものが飛び交うだろう。
44日間の激闘を見守ってきたウェブ・エリス・カップは、白と緑、どちらのユニフォームの上で輝くのか。
前からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである。
場所は浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ブロードウエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいはリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設がはいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気。
ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこぎれい。入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者の顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。
公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア、女性、学生、カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、20:10以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである。
客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。
サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。
劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。
ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。
舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。
あそこで女性があんなポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。
場内に朗々と、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリアを意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。
曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。
古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリアが子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのである。ちゃんと振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画のオマージュ的なことなのだろう。
で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。
BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくりお休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。
そうこうするうちに、マリアは子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。
そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである。
正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。
正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん。
土屋太鳳がときおり「アタシ大学でダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。
脱ぎ始めたときのBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名わからないけど。
怪しげなトランペットやサックスの扇情的なメロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップだから、あんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。
あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。
これは、ボランティアのファンが、絶妙なタイミングでリボンを投げる職人芸である。
本当に絶妙なタイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師の一本釣り漁をみているようですらある。
そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。
なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃のパロディなのか!?
・・・と、そんなこんなで、どの演目も結構「ちゃんと」つくっていた。
各演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。
「銀河鉄道の夜」のパロディの演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅの音楽にあわせて、おもちゃの兵隊が踊る、みたいなのがあったり。
尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。
脱ぐときのBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。
休憩中に、幕をスクリーンにして「本日の演目紹介」が投影されていて、最初の演目はちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。
本日最後の演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。
ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。
これ、あれや、「独裁者」の最後で主人公が全世界に向かってやる演説。高校のときに英語の教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。
やがて、演説にかぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。
はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチのテーマにあわせて、支配からの自由を表現している・・・というのは、こっちの勝手な解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。
最後、自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶしを突き上げたポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配からの自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)
なんというか、みなさん、「売れない劇団の看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん。
あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。
ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。
ま、ああいうシチュエーションであんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。
あれが現在の日本の刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。
その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性とあんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんなサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。
ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。
にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?
なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的にネタが古いし。
というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。
まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。
にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまったかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。
ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。