はてなキーワード: お鉢巡りとは
仕事→飽きた
セックス→飽きた
酒→やめた、飽きた
人付き合い→本を読み漁って努力した時期もあったけど自分は雑談や人にさほど興味がないと気付く
結婚→(上の過程で自分は明確に他人に興味ないということが分かってしまったので)どうでもいい
出産→退屈凌ぎでやるレベルのことではない(コスパ的にも道徳的にも肉体的にも)
ファッション→中国通販を知ってからユニクロすら高級に思うようになった
メイク/コスメ→ 美人のプチプラ>>(越えられない壁)>>ブスの諭吉と理解してからこだることをやめた
美容全般→50万のエステより5万のプチ整形と理解してから馬鹿らしくなった
趣味だった映画鑑賞→劇場の没入体験は魅力だがサブスク見放題(月額1000円ちょっと)を知ると一回1900円の娯楽は自分には分不相応だと思った。以来足が遠のく
趣味だった観劇→最前列から見切れ同然の席まで同額とかありえんだろと思った時点から純粋に楽しめなくなった(というかコロナ禍で行かなくても平気だったと気付く)
趣味だったひとり旅→観光客向けのぼったくり店があまりに多くて萎えた、飽きた。(国内のどこも然程景色は変わらないと知ってしまったことも理由)
アウトドア・スポーツ→目的が人付き合いではないのでどれも何回か経験したら単純に飽きた
食→健康志向にこだわるのも飽きた。ただ現代人は食い過ぎだという話はごもっともだと思う
SNS→人の食った飯などどうでもいい
YouTube→上に同じ、教養系は見るが同じ内容が多くて飽きつつある
健康管理→できる範囲の努力はするがそれでも人の致死率は100%だと思うと虚無を感じる
こいつ生きててつまらなそうだなと思われそうだけど実際つまらない。ハマると猿のように夢中になってここまで生きてきたのでこれまではある程度楽しかったのだけど、なんかもう全てに飽きてしまった。
人生は暇つぶしというけれど、これから何で暇をつぶせばいいんだろう。
スポーツ(観戦)→人に興味がないのでどうでもいい、他人の祭り
ギャンブル→一通り経験したがなにがおもろいのかわからなかった、時間と金の無駄という思いが強い
宝くじ→上に同じ
習い事→体系的に知識や専門技術を学ぶ場所ではないと理解してやめた。習い事って『教室』という名前を借りた社交場なんだと気付く、それを求める人たちの集まり(なんでそんなに人は人と交流したいんだろう)
家庭菜園→プロの栽培する大葉の方がずっと美味しいと気付き飽きる
自炊→ある程度できるようになり飽きた
創作→上に同じ、やればやるほど才能の限界を知り飽きる、おそらく承認欲求も薄いので他人に評価される喜びもあまり感じない
宗教→説法にはテンプレがあると高級時計を腕にはめた寺の息子に酒の席で聞いてからこんなもんかと思った。親の葬儀を仕切ったことで本格的に冷めた(布施の内訳を知りたい)。自分は戒名も墓石もいらない、できれば海洋散骨がいい。(八百万の神という概念の懐の深さは気に入っている、だから宗教は一応神道と答えるようにしている。新興宗教にハマる理由がわからない)
人の悩みを聞く→具体的な解決策を提示するなり行動し解決に導く人より、相手の気持ちを肯定し寄り添うポーズを取る人に対して人間は感謝すると知ってから馬鹿らしくなった、なにそれ怖いとすら思う
はてな及びSNSの炎上に参加→人に興味がないのでどうでもいい
人に興味がないことが全ての原因なのかもしれない。どうすればいいんだろう
サブスクじゃあかんのか→Netflixも見るが劇場通いが好きだったから少し趣旨がちがう
投資→ 生活防衛資金以外をインデックスに入れてるから基本やることない、投機に興味なし(マネーリテラシーの勉強はした)
子供/ペット→ どちらかと言えば反出生寄りなので命を自身の成長や暇潰しの目的にする感覚はちと理解に苦しむ。とはいえ子供も動物も好きなので寄付はしたい、将来マインドが変われば養子も大いにありだとは思うし、自分が死んでも世話をしてくれる人間がいるならペットもあり
小説→上手くはないが書ける、上と同じ
整形→した、飽きた、やめ時肝心
アナル開発→男だったら確実にやってた、らんまみたいにお湯をかぶったら男になりたい
俺が悦びを教えてやんよ→たのむわ
倒幕に立ち上がれ→すき
亡き前妻は、それで逝ってしまった→かなしいね、月並みだが奥様の分まで生きてくれ
通院/病気→大病経験済、以来肝が座ってしまった、鬱じゃないよ多分
転職→労働者から労働者にシフトするなら海外移住か起業(後者は向いていない気もする)
出家→前述の通り
ストリップ劇場→楽しそう、行きたい
歌舞伎→一幕見は経験済、コロナが落ち着いたら花道横を体験したい(大向を生で聞いた時は感動した)
「試しにやってみたけど何が面白いのかわからなかった」では? →ギャンブルや不倫はこれにあたるね
ただの三日坊主→経験値0と1は全く違う、三日坊主自体は悪いことじゃない、忘れていたような知識や経験が思わぬところで役立つこともある(Tedのマルチ・ポテンシャライトの概念は救われた)ただ今は三日坊主にすらなれないという話
プロと比較するから悪い→とはいえ餅は餅屋という分野はある、経験した上での見極は大事(香り高い大葉を作るプロ農家はすごい、私にはむりだ)
素人がプロに勝る唯一の武器が時間と愛だろが!→そうだよな、お前みたいな人が近くにいてほしい、すき
お遍路→やりたい
エクストリームアイロニング→なにこれおもろすぎる、やりたい
たくさん釣れてよかったね→前半に下ネタと不倫を書いたら皆読んでくれるかなとは思った(事実だし)にしても伸びすぎだよね
友達いなそう→ははは
捨てるならその命くれ→やだ
■※お礼
哲学やれ2→ 反出生主義を抱えながら脱出するにはどうしたらいいか、というスタンスもあると知った。個人的にこれは考える価値のあるテーマだと思った。あと飽きかけていたYouTubeの教養ジャンルに哲学史が増えたよ、ありがとう
海が山に行け→車飛ばして海眺めてきた、癒
映画館通い再開した方がいい→見る予定のなかったエヴァ行ってきた、(にわかの癖に)綾波の村暮らしやゲンドウの独白が今の自分に刺さりまくってボロッボロ泣いた、映画はいいねリリンが生み出した文化の極みだよ
海外行け→とりあえずTOEICの試験申込むときめたコスパ主義の欠点を生かして受験料を取り返すために勉強に励む(そうしないと飽きるので)
あの日はマジで空っぽになって書き殴ったけど、想像以上に多くの視点から意見が聞けた、ネガティブなコメント含め感謝してる
とりあえずまだ学べることもやれることはあんるだと分かった、ありがとう。
飽きることに飽きたました、人間の致死率は100%なので死ぬまで自分の祭りを楽しもうと思います
こんどこそ終わり
初の増田投稿でいきなりホッテントリ入ってビビっている「富士山というコンテンツの異常性」の元増田です。(増田ってなに?と思って適当な投稿したことはあるので厳密には初ではない)
ありがたくも後日談希望とのブコメがあったことと、補足説明しておきたいことがあったので投稿します。
心配してくださった方ありがとうございます。
彼女からはちょくちょくLINEきていたのだけれど、増田の予想を裏切って意外にも余裕そうだった。(常時電波が入るのは、ほんとに富士山のいいところだと思う)
そしてここからが少し考えさせてられる話になったのだが、彼女は山頂に立つ余裕を残していながら、9合目で軽い高山病でダウンしてしまった友人の付き添いで9合目に残ったのだそうだ。
彼女尊いと思った。20代のうちにやりたい夢だといい、良い悪いは別にして行った富士山なのに、友達に付き添って9合目に残る判断ができるなんて。そんなんできひんやん普通、そんなんできる?
一方、他の男どもはそんな彼女たちを置いて山頂に向かったという。
それを聞いてと彼女を褒めた。優しいと。偉いと。そしてその男どもの行動を軽く咎めた。
そして、はっとした。
男どもへの批判はブーメランとなり増田に返ってきた。実は増田も6月に富士山に行った際、一緒にいった先輩に軽い高山病の症状がでてしまったのだ。
そんな先輩を置いてお鉢巡りを満喫しホクホクしていた増田にとって、このエピソードには心を打たれた。(無論、先輩と増田は10年来の登山仲間でお互いに十分な信頼関係があり、一定の技術を有している)
まさか彼女に、自分にはできなかった登山においてどんな技術よりも重要なことを教えられるとは思わなかった。
そのせいもあり、彼女は御来光を9合目でみることになったようだ。それを彼女は悔しがっていたが、彼女から送られてきた9合目からの御来光の写真は、増田が今までに見たどんな山頂からの御来光よりも価値あるものに見えた。
そして嬉しいことに「富士山に再チャレンジしたい」「増田と他の山にも行きたい」とも言ってくれた。全俺が泣いた。
彼女のような富士山の登り方を行う大勢の人達や、コンテンツとしての富士山に対する批判的な見方は依然変わるものではないが、改めて山への向き合い方を考えさせられる出来事となった。
本当に山では何が起こるかわからない。
以下、もらったブコメについて補足事項です。長いから読んでも読まなくてもいいよ。
まず言っておきたいのが「一緒にいってないのかよw」ってブコメね。うん、確かにそうだ。でもこれね、行けないんだ。
ことの経緯を説明しよう。
彼女からは1ヶ月位前には富士山いくかもとかなんとか聞いていた。しかし実際に行くことが決定した事実と具体的なスケジュールを聞いたのは先週だった。
平日だし、いくらなんでも急すぎるだろう。君たちなら有給とってでも付き添うだろうか?
愛してんだろ?いけよ。
なるほど、たしかに。
「今週末は天気が良さそうだ」という理由で間際に山に行く決定をしたことなど何度もある。急遽、有給とってでも彼女に付き添そうべきだったのかもしれない。
しかし同行しなかった最大の理由はこれではない。これは次の問題からしたら大したことではない。なんと今回の山行は、彼女の職場の仲間への誕生日祝いで催されたものだった!
((誕生日祝いに富士山に登る!?山ってそういうんじゃねぇから!!))←心の声
そう今回の登山はその職場の仲間達と計画された楽しい誕生日祝い富士登山なわけだ。
そして、そこに颯爽と登場する自称登山経験者の彼氏!みんなの登山中の安全を見守るよ!
いや、無理だろ。誰だよこいつ。やばい。図々しい。
ご理解いただけただろうか。これが一緒に行っていない理由だ。増田も山で暮らしていたならこんなしがらみはなかっただろう。しかし人間社会で生きる以上、心配しつつも送り出すしかないときがあるのだ。
誤解のないように言っておくが、自分の得意領域に入ってくるやつに対してマウント取りにいって、上から目線で批判するやつは増田も嫌いだ。
みんな好きにやったらいいと思っている。自分だってそういう時があったはずだし、その時期が一番楽しいのだ。
余談だが、増田は無類のジョジョ好きであり、全スタンドを作中の時系列に沿った登場順でそらんじる特技がある。(作中では時系列が前後したりするので意外と難しいのだ!)
しかしこの増田に「ジョジョが好き!」と公言するアニメしかみてない勢に対してマウントを取りに行くことは決してない! と思っていただこうッ!どのスタンドが好きとか、何部が好きといった初心者向けの話題を4部までに限定して立ち回るのだ。
(なお同じレベルの人と話すと作品考察と批判は当然のこと、荒木飛呂彦論にまで発展する)
とにかく作品を好きな気持ちはみな同じなのだ。マウントを取る意味はない。だから彼女には口酸っぱく注意喚起はしたが、直接的に今回の山行について否定的な言葉はかけてはいない。
ただ人間どうしてもそういう感情がでてしまうから、感情のやり場として元増田を書いたわけだ。そのせいもあって元増田にはマウントを取りに行く感がでただけだ。
とはいえジョジョと違って命の危険も伴うこともあり、彼女に対して若干のイライラ感がでてたようにも思う。楽しく行こうとしてるのをいちいち注意してくる口うるさいやつという印象になっていたかもしれない。
ここが命の危険が伴わない趣味と、そうでない趣味とを分ける難しい部分だ。前者は好きにやらせたらいい。破滅はあるかもしれないが死にはしない。だが後者は駄目だ。いくら楽しい気分でいる人の気分を害すこととなっても行動を諌めなくてはいけない時がある。(それが身内ともなればなおさらだ!)
ここを間違うと栗城と同じ末路となる。(余計なこと言ったかなwこの議論はまた別のところで)
このバランスが難しい。
富士山だし大丈夫だろっていう気持ちはあった。しかし山であることも事実で、その葛藤が元増田を生んだわけだ。
山だけに。