はてなキーワード: 大阪さんとは
在校生が花道をつくってお見送りをするというイベントが最後の最後にあったのだが、息子は
「増田くんこれ忘れてるよ」
と、置きっぱなしにきていたボックティッシュを渡され、それを違う場所に置き直し忘れ、ティッシュを持ったまま花道を歩いていた。
あずまんが大王の大阪さんか!と思ったが、良く考えたらかなり似た性格だった。
そして帰ったあと
「お母さんの卒業式ってどんな感じだったの?」
と聞かれたので、お前が通ってるような小規模校(全校生徒100人弱)と違って、卒業証書授与と来賓祝辞と呼びかけが倍以上で、中学校も同じ面子なのに泣く女子がいたりして退屈でイライラが極まりなかった。
と、卒業式のみならず在籍当時の思い出もあり、忌々しげに話したら
このエントリは大阪さんを性的に値踏みしたことを公言したという意味で、彼女へのセクハラになっていると思う。
だが「このようなものは差別なのか」という問いを立てることはいつだって意義深い。
現実世界の差別の多くは自覚なくなされる。だから、既存の価値観を疑い、勇気をもって自分の内面にさえ切り込んでいく態度は、状況を打破しうる希望だ。この点を俺は評価したい。
コメントでアホだのバカだの、思考停止の罵詈雑言が飛び交っている様子は残念だ。差別は酷い奴がするものだ。私は酷い奴ではない。故に私のやっていることは差別ではない…
このような理屈を俺は個人的に「ナイーブ差別の三段論法」と呼んでいる。絶対の安全圏から一方的に投げつけられる言葉は、誰かを傷つけて排斥させる結果を生む、暴力にしかならない。俺たち自身の心の中にある歪みを解くためには議論が必要だ。「なぜ」の許容が第一歩だ。
ああ、なるほど!
俗っぽく言ってしまえばつまり、「小さな幸せを、日々の生活の中に探していこう」というお話ですかなー。
幸せは日常の何気ない所に隠れているみたいな。何気ない家族とのふれあい、友人とのやりとりなんかがホントはとても幸せなことなんだ、みたいな。
忙しい日本人ちょっと待ってよ、みたいなエッセイとか特集記事とか流行ったけど、そういうのを「くだらない」と吐き捨てるんでなく、ちょっと振り返ってみては、という。
なんか、ドラマとか漫画でよく出てくる「あらあら、今日は上手くお茶が入ったわ…いい一日になりそう♪」みたいなのほほんキャラが半ば天然ちゃんとしてバカにされる文脈で描かれることがよくありますけど、むしろそれを意識していこうという主張に聞こえますなー。
うん、非常に素晴らしいと思う。そういうキャラや人って、特に意識高い人にバカにされがちだけど、実は幸せ度が高くて、「好きなこと」を見つけるのが上手いタイプなのかもしれないですね。見ててほんわかするし。