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2020-08-25


今年のお盆浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。

最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事レシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。

鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちそば和菓子屋わらび餅をいただいた。そこには和風パフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。

私にとって面白かったのは、歌舞伎座舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女モブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。

次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。

とはいえ疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優グラビアみたいな雰囲気から市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。

でも、私はやっぱり北斎広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。

浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵から一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のもの出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。

あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか

あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件寛政五年に幕府モデルとなった実在人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。

ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。

最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本歴史歌舞伎取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。

ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品名前メモするのが大変だった。

なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。

最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。

気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。

ちなみに、今週の末には、横浜トリエンナーレ現代美術を見に行くのだけれど、それも楽しみだ。

2007-11-02

とある村に、増田という日記帳あり

増田というものがある。

人の名前ではない。

「果て名」という村ありて、其処の村長が作りし日記帳として有名である。

その日記帳には誰でも書き込むことができ、誰が書いたかけしてわからぬといった不思議なものであった。

だが、これもまた私の調べている増田ではない。

私の知っている「増田」とは、いわゆる物の怪のことである。

先に、日記帳である増田の話をしよう。

かの日記帳は村人から大層な評判となり、やがて我も我もと先を争うように書き込まれることとなった。

書き綴られる内容は実に様々であった。

色恋の話に判じ絵の話、思想の話にいなせな着物の話まで、何を書いてもよいとされていた。

気性の荒い者などは日記を介して喧嘩したりもしたが、それも咎められることはなかった。

村長は、何故かような不思議日記帳を作ることができたのか。

日記帳の書き方は明らかにされていない。

伝聞によれば、特殊な筆があっただの、たんに書を村長に送っただけだのと、枚挙に暇がないが、

しかし真実を語る者はいない。

日記帳に書く術を知っていた村人は皆、何処かへ消え失せてしまったのだから。

その日記帳に書く術を知った村人は、例外なく日記帳に書き込んだ。

最後まで関心を寄せなかったとある村人は、彼らが狂っているようにも見えたという。

ーー誰が書いたかもわからぬ日記帳、果たしてそれは誰のための日記帳なのか。

ふと呟いた彼の声が、今も心にこびりついている。


日記帳はやがて、罵詈雑言で溢れかえるようになった。

嫉み、妬み、蔑み、恨み、憎しみ。

長い時間をかけて、日記帳はまっくろになっていった。

やがて、本当にまっくろになった夜の次の日、

とうとう最後まで書き込まなかった村人が目を覚ますと、村人のほとんどは消え失せていたという。

皆が村長のもとに押し寄せた。

何があった。

あの日記帳に書いた者ばかりいなくなった。

あの日記帳は何なのだ。

村長は事の次第を知り、天を仰ぐと何も言わず家に篭もってしまった。

村人たちは力を合わせて閉められた戸を破り中に入ると、そこには村長の姿も日記帳もなく、

ただただ黒く大きな獣の足跡だけがそこかしこに残されていたという。


村長が物の怪だったのか、物の怪が村長をばかしていたのかはわからない。

しかし、そこに物の怪があり、村人の大半を連れ去ったのは確かである。

私は村長の姓を借り、その物の怪を「増田」と呼ぶことにした。

村長から聞いた話によれば、あの日記帳は100年に一度、天から人に授けられるらしい。

とある村人が、そう話してくれた。

そして、あの禍々しい足跡が天の使いのものだとは思えない、そう続けた。

かの事件が起こったのは明治39年のことである。

村長の言うことが真なれば、100年後、また多くの人間が消え去ることとなるのだろうか。

 
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