はてなキーワード: 愛敬とは
んんwwww拙者、増田氏の意見に一理あると思わざるを得ないですぞ。しかし、真の理解者はそこに留まらぬのですぞ。
確かに、キャラの性格を変えることは自由な表現の一つであるですぞ。しかし、二次創作とは原作への愛敬を込めた解釈と拡張であるべきですぞ。そのため、キャラを変えることのみを是とするのは、少々浅慮ではありませんかな?
むしろ、真の技巧者たる創作者は原作キャラの性格を深く掘り下げ、別の行動を合理的に説明する新しい文脈を創り出すことで、原作の世界観に敬意を示しつつ新たな楽しみを提供するのですぞ。
また、コスプレイヤー的な表現を避ける手法も理解できるが、それを高見に立ちすぎとは心得違いですぞ。そういった手法により、キャラの新たな一面を提示することで原作にも新たな視点を提供し得るのですぞ。
つまり、二次創作の極意とは、原作リスペクトと新たなる創作のバランスを保つことに他ならないですぞ、増田氏。心得得ておりますかな?
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。
エクスクラメーション二連続とか、「鬼のような速さで」とか普通にチープだった。
「というか正直にいえば~できごとだと思っていた」
ヒラく部分もくどい。
「①」などの記号をいきなり小説文体に出すのは奇妙だし、本来使うべきではない。
昔を思い出す自分と中程の本文、そしてまた現在へ、というオーソドクスな三幕構成。
実話と想定する場合、全項が繋がっていないのは別段問題はない。
ただし創作なら冒頭と終わりに中間段落の意味が含まれていないため、うまいとは言えなくなる。
以前のラズベリーの人に似た構成力でしかなく、実際同じ人ではないか、という勘ぐりが脳裏をよぎる。
欲を言えば三段の項のバランスが整ってないので整えたほうがいい。
メッセージ性はほぼない。
あるとすればベンツへの犯罪も含めた来客の賑やかさと、現在の侘しさの対比か。
しかしそれがやたらうまいとも思えない。転調が効いてないから。
あれは詰められてないだけです。
パスしてたけどこれ見て原文読んだわ、サンキュー。テンポがあそこだけ違うのは心の中の澱がべトーっとしてるのを表現できてるし、むかしの女子高生なら当時の比較表現で「鬼」使うしおれは"加点ポイント"だった。
ただ、こればっかりは元増田に聞いてみなきゃわからないですね。
コギャル設定はないようですし。
元のやつに「『ひとりぶんの食事』を作ろうとして思い出したのに導入部で水ようかん食ってる齟齬だけは気になる。」とブコメしたんだけどそこどう思う?自分はいい増田と思ったから、なお惜しいなと思うんだけど。
ここは時間経過した、という行間を読めばよいのだと思いますが、だとすれば多少進行が映像作品的ですよね。
すごくおかしくはありませんが、水ようかんと過去回想を比喩で結ぶとかっこよいかな、くらいは思います。
私もブコメほど感心しなかったのですけど、私はむしろ技巧に走らずもっと素朴に書いたほうが面白かったんじゃないのという立場です
そうです。あまりにも大げさに褒められると、逆にそうでもないポイントが見えたりしますよね。
一方、この文章もやはり元増田への興味を引くことになっています。
“重箱エクスクラメーション” 椎名林檎みがある
閃光少女ですか。これはまあ、ザ・重箱ですね。
重箱の隅を重箱と略したり『普通にチープ』とか、他人の文章の正しさを指摘するにしては微妙な言葉遣いだと思った。件の増田も評価はしていないが。
予測済みでした。この内容が小説風なら指摘はそれで良いと思います。
「インターネッツ、評価(の絶対値)がインフレしがち問題」のあらわれという気がする。玉石混交(石多め)の増田の文章としては面白い部類な一方で、大絶賛のブコメを読んでからだと、言うほどか?ってなりそう
トラバにも「場所に応じて」と書きましたが、これがすべてを物語ってるとは思います。
今日のホッテントリで「新元号、公表前に観測すると消滅するらしい!」という面白い記事が載っていました。
なので可能性があるものを片っ端から全て観測してみたいと思います。
・小学校で教わる教育漢字1006文字の2乗=全部で100万パターン程度。
愛愛 愛悪 愛圧 愛安 愛暗 愛案 愛以 愛位 愛囲 愛委 愛意 愛易 愛異 愛移 愛胃 愛衣 愛遺 愛医 愛域 愛育 愛一 愛印 愛員 愛因 愛引 愛飲 愛院 愛右 愛宇 愛羽 愛雨 愛運 愛雲 愛営 愛映 愛栄 愛永 愛泳 愛英 愛衛 愛液 愛益 愛駅 愛円 愛園 愛延 愛沿 愛演 愛遠 愛塩 愛央 愛往 愛応 愛横 愛王 愛黄 愛億 愛屋 愛恩 愛温 愛音 愛下 愛化 愛仮 愛何 愛価 愛加 愛可 愛夏 愛家 愛科 愛果 愛歌 愛河 愛火 愛花 愛荷 愛課 愛貨 愛過 愛我 愛画 愛芽 愛賀 愛会 愛解 愛回 愛快 愛改 愛械 愛海 愛灰 愛界 愛絵 愛開 愛階 愛貝 愛外 愛害 愛街 愛各 愛拡 愛格 愛確 愛覚 愛角 愛閣 愛革 愛学 愛楽 愛額 愛割 愛活 愛株 愛寒 愛刊 愛巻 愛完 愛官 愛干 愛幹 愛感 愛慣 愛漢 愛看 愛管 愛簡 愛観 愛間 愛関 愛館 愛丸 愛岸 愛眼 愛岩 愛顔 愛願 愛危 愛喜 愛器 愛基 愛寄 愛希 愛揮 愛机 愛旗 愛期 愛機 愛帰 愛気 愛汽 愛季 愛紀 愛規 愛記 愛貴 愛起 愛技 愛疑 愛義 愛議 愛客 愛逆 愛久 愛休 愛吸 愛宮 愛弓 愛急 愛救 愛求 愛泣 愛球 愛究 愛級 愛給 愛旧 愛牛 愛去 愛居 愛挙 愛許 愛漁 愛魚 愛京 愛供 愛競 愛共 愛協 愛境 愛強 愛教 愛橋 愛胸 愛興 愛郷 愛鏡 愛業 愛局 愛曲 愛極 愛玉 愛勤 愛均 愛禁 愛筋 愛近 愛金 愛銀 愛九 愛句 愛区 愛苦 愛具 愛空 愛君 愛訓 愛群 愛軍 愛郡 愛係 愛兄 愛型 愛形 愛径 愛敬 愛景 愛系 愛経 愛計 愛警 愛軽 愛芸 愛劇 愛激 愛欠 愛決 愛潔 愛穴 愛結 愛血 愛月 愛件 愛健 愛券 愛建 愛憲 愛検 愛権 愛犬 愛研 愛絹 愛県 愛見 愛険 愛験 愛元 愛原 愛厳 愛減 愛源 愛現 愛言 愛限 愛個 愛古 愛呼 愛固 愛己 愛庫 愛戸 愛故 愛湖 愛五 愛午 愛後 愛語 愛誤 愛護 愛交 愛候 愛光 愛公 愛功 愛効 愛厚 愛口 愛向 愛后 愛好 愛孝 愛工 愛幸 愛広 愛康 愛校 愛構 愛港 愛皇 愛紅 愛耕 愛考 愛航 愛行 愛講 愛鉱 愛鋼 愛降 愛高 愛号 愛合 愛刻 愛告 愛国 愛穀 愛黒 愛骨 愛今 愛困 愛根 愛混 愛左 愛差 愛査 愛砂 愛座 愛再 愛最 愛妻 愛才 愛採 愛済 愛災 愛祭 愛細 愛菜 愛裁 愛際 愛在 愛材 愛罪 愛財 愛坂 愛作 愛昨 愛策 愛桜 愛冊 愛刷 愛察 愛札 愛殺 愛雑 愛皿 愛三 愛参 愛山 愛散 愛産 愛算 愛蚕 愛賛 愛酸 愛残 愛仕 愛使 愛司 愛史 愛四 愛士 愛始 愛姉 愛姿 愛子 愛市 愛師 愛志 愛思 愛指 愛支 愛枝 愛止 愛死 愛氏 愛私 愛糸 愛紙 愛至 愛視 愛詞 愛詩 愛試 愛誌 愛資 愛飼 愛歯 愛事 愛似 愛児 愛字 愛寺 愛持 愛時 愛次 愛治 愛磁 愛示 愛耳 愛自 愛辞 愛式 愛識 愛七 愛失 愛室 愛質 愛実 愛舎 愛写 愛射 愛捨 愛社 愛者 愛謝 愛車 愛借 愛尺 愛若 愛弱 愛主 愛取 愛守 愛手 愛種 愛酒 愛首 愛受 愛授 愛樹 愛収 愛周 愛宗 愛就 愛州 愛修 愛拾 愛秋 愛終 愛習 愛衆 愛週 愛集 愛住 愛十 愛従 愛縦 愛重 愛宿 愛祝 愛縮 愛熟 愛出 愛術 愛述 愛春 愛準 愛純 愛順 愛処 愛初 愛所 愛暑 愛署 愛書 愛諸 愛助 愛女 愛序 愛除 愛傷 愛勝 愛商 愛唱 愛将 愛小 愛少 愛承 愛招 愛昭 愛松 愛消 愛焼 愛照 愛省 愛章 愛笑 愛証 愛象 愛賞 愛障 愛上 愛乗 愛城 愛場 愛常 愛情 愛条 愛状 愛蒸 愛植 愛織 愛職 愛色 愛食 愛信 愛心 愛新 愛森 愛深 愛申 愛真 愛神 愛臣 愛親 愛身 愛進 愛針 愛人 愛仁 愛図 愛垂 愛推 愛水 愛数 愛寸 愛世 愛制 愛勢
すごいわかるしブクマコメントを見て腹が立ってきたのでイライラに任せてこれを書いている。
コメントに、かわいいは「あなたの見た目は高レベルですね」じゃないよ、おばちゃんだっておっちゃんだってカワイイって使うし、っていうか自分を「中の中」だなんて自惚れんなよ、みたいな話があって、なるほどそれは盲点だなーと思った。
ただ、その上で補足をすれば、(いや私は第三者なので勝手に代弁しているにすぎないんだけど、)かわいいが不快な肝は、「かわいいっていうのは、下に見ている、取るに足らない存在へのコメントだ」って所なのだ。容姿の話は実際なかば蛇足で、つまりそれが腹立たしい。褒めている体裁で見下していますよと示すそれが、たまらなく悔しい。
能力不足だったり若輩者だったりで、取るに足らない存在なのは事実だろう。それに図星突かれてカッとなっているのかもしれない。それに褒めている体裁をとることで、未熟であることを肯定されている、舐められている感じをうけてプライドが傷ついているのかもしれない。
繰り返される、かわいいね→イラッ、に、毎回そんな考えてないけれど。改めて考えてみればね。
余談だけれど私は、内心ムキィー悔しいー勉強してバリバリ仕事してやるーと思いながらも表面上ヘラヘラヘラヘラ愛敬ばらまきまくってそうなんですぅ未熟者なんでよろしくお願いしますぅとやっていたら「チヤホヤされて天狗になっている」と影で言われました。