はてなキーワード: 披露とは
ナンバリング作品とポータブルシリーズのみ調べた。(後半はほぼポエムだ)
売上はカプコン公式サイトにある「ミリオンセールスタイトル一覧(http://www.capcom.co.jp/ir/finance/million.html)」を参考にした。
ミリオン未満のものはVGChartzを参考にした。あくまで参考程度に。
(VGChartzは出荷数であって販売数ではないため正確ではないとの指摘もある。実際カプコン公式のミリオンセールスのデータとかなり食い違う)
据置機におけるモンスターハンター
2005年「モンスターハンターG」(PS2) 23万本
2006年「モンスターハンター2」(PS2) 63万本
2009年「モンスターハンターG」(Wii) 25万本
2009年「モンスターハンター3」(Wii) 190万本
2011年「モンスターハンターポータブル3rd HD Ver.」(PS3) 50万本
2012年「モンスターハンター3 HD Ver.」(WiiU) 69万本
2005年「モンスターハンターポータブル」(PSP) 130万本
2007年「モンスターハンターポータブル2nd」(PSP) 240万本
2008年「モンスターハンターポータブル2ndG」(PSP) 380万本
2010年「モンスターハンターポータブル3rd」(PSP) 480万本
2011年「モンスターハンター3G」(3DS) 260万本
2013年「モンスターハンター4」(3DS)410万本
2014年「モンスターハンター4G」(3DS)410万本
2015年「モンスターハンターX」(3DS) 420万本
2017年「モンスターハンターXX」(3DS) 3月発売予定
(※これ以降ポエム)
…うむ。
やはり日本ゲーム機市場のまさにモンスター級タイトルに相応しい記録だ。
モンハンはやっぱり携帯ゲーム機を愛す日本ゲーム市場の象徴的な存在なのかなあと私はしみじみと感じる。
そもそもモンハンシリーズの売り上げを調べたのは、ここ最近に「モンハンをPSに返せ!」と主張する人をツイッターで見かけたのがきっかけだった。
モンハンはPSOライクなPS2のオンラインゲームから始まったわけで、当時はPSPからモンハンを始めたキッズを嫌がるPS2ユーザーもいたかもしれない。
モンハンP2Gから始めた小学生が中学生になった時期にちょうどモンハンの3DSへの移行が発表されて「何で任天堂なんかに!?」と憤慨していたりして。というか僕がその世代なのでそういう人を目の前で見てきた。高校生になっても「モンハンはやっぱりPSPだと思う」とか言う人はいた。僕の世代の小学校・中学校時代のゲームをプレイする男子は少なくとも半分以上がモンハン経験者だった筈である。(僕は実質未経験者です)
中にはPSPからPSVitaへ移行し、ゴッドイーター、ソウルサクリファイス(他にも討鬼伝、ラグナロクオデッセイ、フリーダムォーズ(?))などのモンハンライクなゲームに移行した人もいるし、かえって本来の源流であるPSO2にVitaから入った人もいたような。もちろん3DSのモンハンを購入した人もいたし、3DSとVitaのどちらも持っていた人も少なからずいた。
まあ、みんなが楽しめればそれでよいのです。ゲーム機やゲームソフトの種類に関わらずそれぞれが楽しめればよいのです。それがプレイヤーの精神の血となり肉となるのです。
ただ他人の楽しみ方を否定するのがよろしくないのです。人間には他人が決して立ち入ってはいけない心の聖域があるのです。
話はモンハンに戻るが、今年中にニンテンドースイッチ向けにモンハンXXのHD版(移植)が発表されて、2~3年以内にニンテンドースイッチ向けにモンハンの完全新作が出ることになるだろう(素人予想だけど、多分当たる)。そしたら多分「3DSユーザーを見捨てるのか」みたいな声が出てくる。キッズだけではなく大人でも言う人がいるかもしれない。
振り返ってみれば3DSが発売されたのも2011年2月のことである。もう6年以上も前のことだ。3DSからモンハンを始めたキッズも成長して中学生から高校生ぐらいにはなっていることだろう。ネット上でゲーム系まとめサイト及びゲーム系迷惑サイト(実質フェイクニュース)で得た生半可な知識を披露していきがっているかもしれない。(PSVitaだって6年前に発売されたのだ。PSVitaへのリリースを希望するのはさすがに論外だ。少し考えれば無理な話だとわかる筈。)ゲームのテクノロジーは毎年進化するのだから、いい加減開発者にとっても性能的に力不足だろうからゲーム機の世代交代に則るのも当然の話である(少しばかりは任天堂からの要請もあるかもしれない)。
ニンテンドースイッチで発売されればようやくモンハンユーザー念願の「テレビで一人でじっくり遊ぶ」と「携帯機をみんなで持ち寄って遊ぶ」を両立できることだろう。スイッチは「任天堂機は性能のせいでグラがしょぼい」と主張する人間を黙らせる程度の性能は持ち合わせている。
もちろん恩恵を受けるのはモンハンだけではない。スプラトゥーン2やマインクラフトなどのキッズに人気のあるタイトルもそういった需要を満たすものだ。そもそもキッズに人気のあるタイトルはキッズのみならず大人の間でも人気なものである。
まあ、2017年とは言わずとも2018年にはニンテンドースイッチもPS4も両方売れて盛り上がって、2007年以降下がりっぱなしの家庭用ゲーム機とゲームソフトの市場規模が回復してほしいものだなあと思ふ。
皆で幸せになろうよ。
紅白歌合戦に水樹奈々が出演したあたりから、NHKのアニメ・アニソン企画はずいぶん洗練されてきたような気がしていた。だから「アニソンベスト100」も期待してた。で、さきほど録画を観終えたわけだがさ。
ランキングはしょうがない。どんな結果が出ても荒れる。ここは割り切るしかないだろう。
ただ、ユーザー投票の結果とは別に、アニソン関係者の投票による順位であるとか、評論家の視点から見た「時代を変えた曲」といったような、フォローアップ企画があってもよかったのではないか。昭和、平成ともに取りこぼしがありすぎる。
そんでもって、ここからが本格的な批判。まずMCの人選な。どうしてこんなことになったの……。
中川翔子もケンドー・コバヤシも、ファン目線、それも偏ったファン目線でしか語れない人たちだ。出演者のひとりとしている分にはいい。どうしてもっと俯瞰で、アニメソングの歴史を、文脈を、楽曲の魅力を、そして何より現在のアニソンシーンの盛り上がりをきちんと語ることができる人をメインで呼ばなかったのか。たとえば田中公平。たとえばキムラケイサク。個人的には「リスアニ!」関係者が出ていればベストだった。冨田明宏でも澄川龍一でも西原史顕でもいい。今のアニソンが持っているポテンシャルが、この人選ではまったく伝わってこない。特に中川翔子がいただけない。ただイタいオタクが勝手に盛り上がっているだけという印象になってしまっていた。アニソンは狭い文化だという偏見を、いまさら撒き散らかしたようなものだ。
そして、この番組のもっともダメなところを最後に書く。といっても、これは観た人はほとんど全員わかっていると思う。
なぜ生歌披露がほとんどカバーなんだよ!!!!!!!!!しかも短縮バージョン!!!!!!!!!!
本人に歌わせろなんて無茶はいわないよ。予算少なかったんだろうから。しかしそれなら生歌企画なんかやるんじゃないよ。バカか!
カメラ越しですらわかる、ニコファーレの冷え切った空気。そりゃそうだわ。そしてテレビの前はもっと地獄のような冷え方だよ。「アニぱら音楽館」みたいな小規模な番組ならいざ知らず、何が悲しゅうて公共放送でのアニバーサリー的な企画で、オリジナル歌手以外のカラオケを見せられなきゃならんのか。「アニぱら音楽館」は生バンドだから、「アニぱら音楽館」以下だわな。歌わされる方もかわいそうだよ。はっきりいって悪印象しか与えられなかっただろ(特にリハ不足が露骨に出てハーモニーもへったくれもない「Snow halation」)。「i☆Risって人たちも喜多修平って人たちもがんばってるな〜」とか思わないよ。ファンの俺ですら、今日のi☆Risはしんどかったわ。こんな仕事を入れた事務所に怒りのメールを送り付けたい。
一言で言えばAKBの女子プロレス、テレ朝深夜ドラマ(土曜24:35)。それだけで偏見ありそうだが騙されたと思って見てみろ。
まずプロレスシーンがしっかり作られてる。ミラノコレクションA.T. や下田美馬といったコーチが半年間教えた上で撮ってるから様になってる。
特に工事現場同盟のタッグ2人(ユンボ島田・クイウチ松村)の悪役感が素晴らしい。
そしてAKB以外の脇役もいい。主人公のライバルジムのボスを渡辺いっけい、主人公を教えるコーチを今野浩喜。今野はまだ出始めたばかりだがいい味出してる。
AKBでもこれまでにAKBドラマに出なかったようなメンバーが抜擢されてる。工事現場同盟2人もそうだが、特に木下百花(NMB48)。謎の人物役がハマってる。そして身体能力の高い(が人気は無い)湯本亜美はアクロバットを披露。いつも固定メンバー・人気メンバーばかりドラマに出てるAKBではこれまで無かった人材登用だ。
昨日4話放送されたところだが、最初はAKBファンでもアイドルがプロレスなんて・・という声が多かったが、今では純粋に物語が面白いと掌がえしが増えてる。
是非1回見てほしい。ただ、深夜に湯豆腐が食べたくなるのが難点。
◎:必ず読む/休載だと残念
△:読むけどあってもなくても可
☓:終了マダ~?
ー:読んでないからどうでもいい
ジャンプの稼ぎ頭にして唯一の大黒柱。連載終了の兆しが見えたらジャンプ終了のカウントダウンが始まる。
長期連載なのに物語の着地点は見えずに風呂敷は畳むどこか未だに広がるばかり。
物語には起伏があるため正直ダルいと思うときもあるが盛り上がり時はやはり魅せられる。
だが長期化が進めば進むほどジャンプの寿命がどんどん短くなってくるというジレンマの元となっている作品。
準・柱の作品の終了を養分にしてどんどん大きくなっていくジャンプの大樹。
養分にされない作品の登場が望まれるが人気・長期連載のダブル攻撃に耐えられるのってなかなかいない。
ジャンプの代名詞である「友情・努力・勝利」に無理なくマッチしているジャンプらしい作品。
しかし高校生終わったら物語もそこで終わってしまう可能性があるのがネック。
魔法が主題なのに主人公が脳筋とはこれ如何に。まあ、魔法の努力はわかりづらいので筋肉でそれをカバーか。
主人公の強みと弱みがハッキリと分かれているのでその分周りのキャラも参戦化しやすく見てて楽しい。
逆にいうと主人公が弱みを克服すると一気にオレツエーだけの漫画になってしまいそうで失速してしまいそう。
物語の流れ的には時間的なネックがないため上手く行けば長期化も。
アニメ化も決まり柱になってくれるよう(編集部にも)期待される作品。
鬼滅の刃:◎
正直作風は万人受けするものでない。それに物語自体も本質は血なまぐさいのでこれまた人を選んでしまう。
だが、ジャンプの代名詞である「友情・努力・勝利」にマッチ・・・(あれ? 友情はちょっとまだ成分低いかも。でも今後増えそう)
ギャグは不真面目系ではなく本人はいたって真面目だけど結果としてギャグになるという天然系。
カチッとハマるときはとことんハマる。そして噛めば噛むほど味がでるスルメのような作品。
大人気になることは恐らくないけど休載になったら二番目にダメージが高い作品。
ハイキュー:○
ジャンプのスポーツ部門担当。天才肌と根性肌が努力でつながる。これまたジャンプの主題に沿った作品。
でも天才肌の人が努力しちゃうと凡人はどうにもならないのでちょっとやめてほしいんですけど。
あとバレーはレシーブするときに手が痛いし突き指もしたしで苦手だったということもありそんなに力を入れて見れない。
それに残念ながらバレーが万人受けするスポーツかっていうと・・・。
スポーツ系はそのスポーツに関心がないと難しい面はある。まあ、個人的な理由。
当然ながら高校生が主役なので終着地が高校生終了になってしまいそうなのがネック。大学生編もアリといえばアリだけど。
火ノ丸相撲:○
ジャンプのスポーツ部門担当その2。漢臭い汗臭い作品。そして力士と言い張れば下半身廻しでも通報されないと知らしめた作品(違
主人公の夢は熱く周りの人間を巻き込んでいく展開はやはり熱い。
だがトーナメント制だとそれ故にある程度展開が読めてしまうのが悩みどころ。
やっぱり主人公チーム補正があるよね となると途端に冷めてしまうからそう見えないように上手く魅せるさじ加減が難しい。
そう納得させる部分が努力の過程なのだけどあんまりそれやりすぎると人気が落ちるという悲しさ。
着地点は力士審査を通れるかになるのでそこで物語終了となってしまうのがネック。
背すじをピン!と:○
何も取り柄がない(と本人が思っている)主人公が何かを成していくという展開はやはり熱い。そして眩しい。・・・年を取ったなぁと実感させられる瞬間でもある。
ただお披露目の舞台はダンス自体に関心がないと見てて辛い。何周もあるとお腹いっぱいになる。
何が凄いのかがイマイチピンと来ないので見ててふーんとなってしまう。社交ダンスの舞台を見たことがあればたぶん違うのだろうけど。
マイナーなスポーツは共感が得にくいことがネックでありますな。
主人公の周りのメンツが凄すぎて後半は埋没してしまったのも残念。
物語が一段落したなーって思ったらいきなり二年後になったので多分来週で連載終わりだろうなー。
あぁ、ONE PIESEの養分になる作品がここにまたひとつ。
※終了じゃなかったらゴメンナサイ
家畜化されている子供という衝撃的な作品。ジャンプらしからぬところが注目を集めている模様。
子供なので脳筋的な展開にならず(なりかけたが返り討ち)知略を尽くしてどう出し抜くかを楽しむ作品。
周りの状況がちっとも公開されていないため今後の展開もまったく読めない。
もちろん敵の正体や世界の設定などもあるのだろうけどそこに行く前に連載が終わってしまいそうなドキドキ感もある。
施設編が第一部で逃走編や闘争編まで続ければ面白そうだけどジャンプとしては異色なので人気が持つかは不明。
食戟のソーマ:○
ジャンプの食品部門担当。物語のベース自体はジャンプの主題に合っているのでそんなに異色感はない。
そして食事をするシーンがエロくなるということを知らしめた作品。さすがto・・・じゃなくて佐伯先生!
話の流れ的には作画が綺麗になったミスター味っ子なのだけれども。
女も脱がすが男も脱がす。エロい紳士も腐った淑女も引きつける作品。
ただ、最近は料理にちと食傷気味。力を込めた料理はたしかに美味そうだけどしょっちゅう食べると飽きるよね。
たまにはゆきひらで出ているような料理でほっこりしたい。クッキングパパは偉大ですなぁ・・・。
まあ、題名に「食戟の」が付いている以上バトルものの看板は外せないからどうにもなりませんな。
これも学園卒業と同時に連載が終わりそう。
正直に言うと作者様には18禁の方に戻ってきてほしいなとは思うけれども(ボソ
斉木楠雄のψ難:○
ジャンプのギャグ部門担当。主人公ツエーものはギャグには打ってつけですな。オチも決めやすいし超能力だからある意味なんでもアリだし。
まさかアニメ化するとは思ってなかったけど意外と違和感なくてウケた。
一応舞台は高校だけれでもギャグ漫画の法則で年次は関係ないため人気がなくなったときが終わりどき。そういう意味では制限がない。逆にいえばいつでも終われるということだけど。
悲しいかなギャグ漫画は大黒柱になることは決してないのだけど(なれて準・柱)無いとそれはそれで困るものなのである。
ゆらぎ荘の幽奈さん:○
ジャンプのエロ部門担当。ToLOVEるを主人公が出来る男にしたバージョン。
ちなみにこれにエロをつけると完全なエロゲーの出来上がり。むしろそっちを見たいがそれだとジャンプからいなくなってしまう。悩む。
だが、恋愛系の漫画でもギャグ漫画の法則(年度ループ)が起こりうるので人気しだい。
・・・ただその場合のオチは全員が死んでいたってことになるけれども。
ぼくたちは勉強ができない:○
どっかで見た絵柄の人だなぁと思っていたらマジカルパティエ小咲ちゃんの人だった。
まだ一話だけなのでなんとも言えないが短期間で終わりそうな予感はある。
主題的にも長期的ではないし。10話ぐらいの読み切りで読むとちょうど良さげ。
磯部磯兵衛物語:○
ジャンプのギャグ部門(江戸)担当。かつてのうすた京介枠。安定の巻末。ないと不安になる。
10号では巻末ではなかったのでちょっと驚いた。・・・いや実質ここが巻末だったということなのだろうか。
浮世絵の画風をギャグにするというのは冒険であったと思うけど慣れると何だこの安定ぶりはという感じである。
ジャンプには欠かせないが、でも単行本を買うことは決して無い。
銀魂:△~☓
ジャンプのバトル部門とギャグ部門を担ったハイブリッドな作品。
2~3Pを読んで今日はギャグとして読めばいいのかバトル(シリアス)として読めばいいのかを決定する。
ある意味こち亀のような作品ではあるがこちらの方が逆は下品・・・ん? こち亀も別に上品ではないな・・・ゲスい作品。
現在物語を畳んでいる状態でシリアス展開が長いが、シリアス長えよ!と作者が飽きたのかギャグを差し込むようになってきた。
なのでシリアスモードで読んでいるときにギャグをゲスいギャグを差し込まれると辛い。
ここでギャグかよ! とジャンプを叩きつけたくなる自分は悪くないとおもう。
ジャンプのギャグ部門担当。困ったことばかりする相手をフォローするギャグ。
まあ、可もなく不可もなく。
ジャンプのギャグ部門(ゲス)担当。主人公がゲスでカス。まあオチで主人公がひどい目に合うことがわかっているゆえにそこまで不快にならない。
だが、それゆえに主人公がめずらしく主人公らしい行動をしたとしてもちっとも褒められない。
不良がときおりみせる優しさが異常に高く評価されることはよくあることだけど、主人公のゲスさ故にそれすらない。
え? 主人公ってこんなんだったけ? と物語の主人公の役割を問い直したくなる作品だが、この物語の主人公は間違いなく彼である。
オレゴラッソ:☓
スポーツものとして描くのであれば主人公にはそのスポーツに対する圧倒的な「愛」が求められる。
そしてこの作品にはそれが足りなすぎる。正直サッカーやらずにテコンドーやってろよって感じ。
「なぜそのスポーツにハマったか?」の描写はあったが、その後のハマりぐあいの描写が足りなすぎる。
キャプテン翼を見習えよ! サッカーの申し子の翼くんでさえオーバーヘッドキックを何度も練習して打てるようになったんだぞ!
憧れの光景を見てやろうと必死にドロドロになってそして出来て嬉しい!って笑顔になってそんな姿を見せらればそりゃこっちも嬉しいよ!
そういった過程もなしに物語を進めているからちっとも楽しめない。導入部がいろいろ足りなかった。そんな作品である。
・・・まだ終わってないけど。
歪のアマルガム:☓
ジャンプのバトル部門(化物)担当。新連載組。初回は面白かったが回を繰り返すごとにつまんなくなってきた作品。
だが打ち切り決定がなされたであろう回からまた面白くなってきた残念な作品。
初回のノリをそのままつなげればよかったのに変にクールダウンした結果面白さも落ちてしまった感がある。
今の展開の勢いを最初からやっていればよかったのに。状況を落ち着かせるのがちょっと早すぎた気がする。
次回作に期待。
ジャンプのバトル部門(悪魔)担当。新連載組。読み切りで終わらせた方がよかったでないか作品。
たぶん初回ですでに力尽きていたのではなかろうか。話の作り方が週間連載に向いていないのかもしれない。
一度そういった目で見てしまうと何をやってもだめである。さっさと畳んで次いった方がいい。
この作品を見ていると週間連載をしている人たちは本当にすごい人達なのだなぁと実感する。
とにかく連載を。言いたいことはただそれだけである。
作品自体が登場人物であるジンのような作品であるが、帰ってくる場所がいつまでもあるとは限らないのだ。
はやく、はやく読みたいよぉぉォォォォ!!!
ONE PIECEのように大黒柱になれる作品ではないが、建物の工事には欠かせない基礎のような存在である。
その基礎がないってどういうことよ? 建物グラグラきちゃうよ?
早急な復帰が求められるが作者さん体壊しちゃったゆえの休載だからなぁ・・・。
ワールドトリガーが連載されている限りジャンプを買い続けることをここに誓おう。
え、なにジャンプってここまで落ち込んでるの。
ドラゴンボールとか連載されているときはほとんどが◎だったのに。
・・・ってことを書きたいだけだったのに何この長文。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
この節ではライブ音源を礎と築いた伝説とまで称されるマイク・ミラードという人物を紹介しよう。
彼自身に関してはWikipediaをはじめとして、雑誌の特集や個人のブログ記事を通して幅広い話題があるので人物名のみの紹介で割愛する。
前節でも話に触れたマイク・ミラードが伝説のテーパーと言われる所以は、何も伝説と称される名演を残したことだけではない。
本人の意図せぬ部分である可能性はあるが、彼の歩む足跡に付随したテープ・トレード文化の発展に貢献した軌跡である。
本稿はテーピング・ポリシーに則ったアーティストのテープ・トレードの文化に対して触れることはない。
確固たるシステム、または精神が介在することのない海賊版の流通経路、関わる人間達の側面に対して潜考するための草稿である。
容赦願いたい。
マイク・ミラードがパラノイアと誇張表現を得るまでに至るには、収集家、好事家といった類の人種が関与する。
聖地と呼ばれる西新宿で販売される製品も、データを取り出した後は製品としての価値が形骸化する。
生産数が限られた廃盤製品とは違い、複製されることが前提であるブートレグは実物として鑑賞に耐えうる強度を持たない。
昨日の日付の演奏も、インターネットの海を眺めれば数時間もしない間に流布されたライブ音源を入手出来る。
それは砂浜に漂着した瓶詰め入りの手紙のように。
収集物に関しては興味を持たない人間には一銭の価値も感じられないものが多い。
生前の身内のコレクションを二束三文で手放したという事例を耳にする限りでは少ない話ではない。
"事物が本来の実用的な機能から切り離されて日常とは別の体系に組み込まれること"という哲学者が打ち立てたコレクションの定義を借りて、ブートレグ・コレクターを表するなら鑑賞を前提としない膨大な演奏の記録を持つ人種である。
だが、彼らのコレクションがアーカイブとして日の目を見る日は来ない。
密造酒は興味を持たない人間には味を噛み締めながら酔うことは叶わない。
それは味を理解出来る人間にしか味を説明出来ないことでもあり、コレクターが希少価値を訴える相手が同種の人間に限られる。
マイク・ミラードは自身の録音が外部に供給されないようにテープにデジタル信号を付加するなどの工程を経た。
それは自身の録音のコピーが出回った際に誰が流布したか把握するように念を押した作業であった。
現在では容易にミラード・テープを見つけることが出来るが、当時は残したアーティストの演奏の内容、また入手のし難さから数多くの好事家が録音を欲した。
中には彼の死後に彼の生家を訪ねた者もいるという。
趣味で集め始めた者がいつしかコレクションの穴埋めをするという脅迫観念に囚われ、寄生した。
彼が懸念した事態は奇しくもミラード・テープを愛する人物達からの評価と、年月を経たテープ・トレード文化の発展の影に忘れ去られた。
市場が介在しない空間で語られる希少価値という曖昧な価値観に汚染された人種はやがて、パラサイトとなる。
マイク・ミラードが残した同時期から日本でも同じ状況であり、秘密裏に録音された多数のライブ・テープが存在する。
古くは音楽雑誌での投稿コーナー、インターネット黎明期に於いてはファイル共有ソフト、好きな内容を書き込むことの出来る掲示板まで、ライブ会場で知り合ったアーティストのファン同士の交流から、現在ではSNSまで水面下ではあるが数多くのブートレグが生産され、流通する。
Dead Headsに倣うように群れを成して活動した録音者達が、日本のアーティストの録音を販売したことで逮捕される事案も聞かない話ではない。
YouTubeから連なる動画共有サイトでも初期の段階では、日本のアーティストの動画も数多く見受けられた。エンコード情報を消す手段を知らない者から得られなかった者に供給される状況は、テープ・ヴァインに連なってコンパクトカセットかDATを使用しダビングによる劣化する状況を再現する。
とあるアーティストのニコニコ大百科の項目では、ブートレグの存在を明記されるほど動画共有サイトの発展は影響を及ぼした。
ともあれ、YouTubeでも著作権侵害での削除要請が相次ぎ、現在では日本のアーティストのライブ録音を公に聞ける場面は少ない。
コンサートワッチを嗜む人間は録音現場であるライブ会場で知り合うこともあり、時には機材者の駐車場の取り合いになることもある。
デビューを前提に結成されたアーティストではデビューからブレイクに至るまで、また精力的に活動する現在までの公演の80%の記録が現存すると言われている。
現在ではマスタリングの手法が容易になったこと、高品質の内臓マイクを備えた録音機材が安価であることも鑑みると簡単にミラード・テープに匹敵すると言っても過言ではない録音を生産出来る。またスマートフォンの流行による簡易的な録音も存在する。
特に売上の上位に列なるアーティストの大規模なツアーが行われる期間には、音楽交換掲示板の投稿の量も膨大に膨れ上がる。
彼らの多くはメールで連絡を募り、アップローダーを利用したオンライン・トレードを行う。
海外ではDimeを中心とした界隈があるが、ライブ会場に足を運べなかったファンが、その日の間に新しい演奏を聞こうとするのは日本でも難しいことではない。
時にテーパー、トレーダーの各種が集う場所には目的の物を耳にすることで出来なかった愚痴や被害報告の類も見受けられるが、
ライブ会場でのアナウンスにもあるように禁止行為ということを理解しながら禁忌に触れようとする連中である。
善も悪もないのが前提だ。
表立って行動しない録音者から音源を入手した後に、希少価値を訴え、人の褌で相撲を取るトレーダーも一定数はいる。
マイク・ミラードが至った思考は時代のうねりを渡ろうと、現在のテーパーにも精神は濃厚に受け継がれる。
( 4 ) 決別
筆者自身も隠しもしないがテーパーであり、コレクターでもある。過去形だが。
ひとつの音声ファイルでも再生時間は数時間になり、非可逆圧縮音源だとしても保存容量は比例して肥大化する。
ブートレグを入手することのメリットを語るとすれば、自身の生前以前のライブ音源を聴けることや限られた会場でのみ披露された楽曲を聴けることであろう。
だが、マイク・ミラードが録音を残したことは後世を憂いてのことではない。彼は自身の録音が拡散されることを望まなかった。
彼の近親者のみが入手したfirst-generation copiesと呼ばれる最初のコピーは、彼の直筆のイラストや文字が散りばめられ包装としても凝ったものであった。
簡素なダビングでも済む作業に余計な一手間を付け足したのは、彼がパラノイアであったからではない。
喜ばせることを前提として、実物としての鑑賞にも耐え得る付加価値を生み出そうとしたからだ。
複製の芸術でもある写真を表現手段と選択するアーティストは生産数を限定して、価値を高める。
現在、流通するミレード・テープのコピーに彼の意思は介在しない。
それは現在でも同様に個の間柄から逸脱しては配布されるブートレグに於いては録音者自身の意図は抜け落ちる。
ミラード・テープの精神はテープ・トレードの文化で生まれた星の数ほどあるブートレグにも共通する。
またテーピング・ポリシーを持たないアーティストのファンの間では、流通しないライブ・テープを持ち合わせないトレーダーは相手にもされない。
テーパー同士の限られた関係性の中でしか交換されることのない録音も存在する。同時に寄生虫は繁殖する。
自身の経験を振り返っても、総再生時間にして年単位に匹敵する膨大なライブ音源を耳にすることはない。
愛着と思い入れのあるブートレグ、またはテーパーとしての自身の録音を耳にすることの方が有意義であろう。
ライブ音源を耳することの最大限の感情の再現性にある。時にライブ会場の音響よりも優れた音質で聞かれる演奏には違った感情が湧き上がるかも知れない。
アーティストの込めた感情は違った形ではあるにしろ、いつか聞きたい者の耳に届くことだろう。
パラサイトから見れば喉から手が出るほど欲するブートレグの大半のデータを削除した。
人生を賭けて手に入れようとしたライブ・テープを入手した時から遅かれ早かれ決断しようとしたが、この瞬間に決別をしよう。
ミラード・テープは彼の友人のために。何より彼自身のためにある。我がテープは我が友のために、誰より私のためにある。
Thank You Tapers. I Love You Baby. Fuck You Traders. I Hate You Baby.
子供の頃に神童と呼ばれて、社会の勉強の仕方がわからずポシャった方でしょうか?
当方のように泥臭く生きてきた人間としましては、1年では真ん中で3年には気持ち上位になっているというパターンでした。
その場の結果のみを見て偶然を嘆いておられるご様子ですが、1つの結果は次へつながる1要素でしかありません。
社会の評価軸は利益であり、法を守って利益に繋がるなら何でも良いのです。
なんでも良いを理解して最適化する為に、25歳までの頭が柔軟な間に学べと書いているのですよ。
http://gigazine.net/news/20170202-denmark-vestas-v164-9mw/
だれかこの特大ニュースをしがらみの人に教えてあげて欲しい
おとぎ話のようですが、地域住民が風車を回してそのエネルギーを活用していたり、洋上風力含め先進。日本がやれない理由はひとつ。しがらみです。オランダ鉄道の列車運行、風力エネルギー100%化達成。社長は風車で回されるパフォーマンス披露 https://t.co/WPY6PUUTqC— 丹羽大(ニワダイ) (@niwadainiwa) 2017年1月12日
でも作家になりたい、でも投稿して賞がもらえるほどのものはまだ書けぬ、
という人の登竜門になる50000字くらいのパルプフィクション(三文小説)を200円くらいで売る電子書籍のレーベルを誰か作ってほしい。
表紙はエロ同人作家が小遣い欲しさに一寸描いた煽情的な女の子でいい。
ターゲットはハイティーンからサーティーまで、ジャンルは何でも。
増田で増田文学なんて言う無駄技巧を披露している人にはうってつけだと思う。(まぁプロの息抜きかもしれんけど)
なんでこんなことを思いついたかというと、パルプフィクションのwikiを見てて、ハイラインもディックも、ラブクラフトもチャンドラーもパルプで書いてた
というのを見つけて、今はラノベが人気だけどそういう層向けの物は少ない気がした。
誰かやって~~~
端的に言うと、「家族の思い出作りイベント」と「公式の行事」の区別がついてないモンペ。
その演奏会の存在も知らなかったのに、「名誉ある演奏会」⇒「いつもの演奏会とは違うと言っても、優劣を競うコンクールでもない」
⇒「記念なのだから、小学校のブラスバンド活動の延長線上にあるものなのだから、当然、家族で鑑賞の権利がある」
と、変化しながら手前勝手な解釈をしている。ちょっと前まで演奏会の存在も知らなかったのに決めつけた。
この変化は、我が子が名誉ある演奏会に出られるという喜びから、家族全員で鑑賞できないという悲しみに、感情が変化したことによるのだろう。
関係ない人間から見れば、県で1校しか出られない演奏会ならしょうがないねと思うところだ。演奏者の年齢制限もあるのだし。
我が子の成長を家族で確認するための「家族の行事=発表会」ではなく、各県に1校が選ばれて年齢に応じたランクでの最高峰の演奏を披露する「演奏会」なのだろうと推察できる。
バカばっかだ。
まともな事を言う奴がいてもアイドルソングに洗脳されてバカになる。
一見華やかなライブの裏では政治の舞台がバカばかりという絶望が広がっている。
生ゴミが甘い匂いを発するように、腐敗しきった衆愚制民主主義の漂わせる甘い空気が作品と視聴者を包んでくる。
愚かだ。
人間は皆愚かだ。
それをこの作品は描いている。
脳みそお花畑のバカどもが生っちょろいご高説を披露したと思えば最後は洗脳して全部解決する。
ヒトラーを産んだのは国民だって名言があるらしいがまさにそれだな。
ゴミクズどもの民主主義なんてのアイドル持ち上げてワッショイワッショイだ。
皆のアイドルがしているからこれは素晴らしいことって結論が先にあって理屈をそのあとこじつける。
とても面白い
「Youthful Dreamerはアイマスっぽいコール少なくなって寂しいね」
先日ツアーライブ終演後に私が知り合いのおじさんから言われた言葉である。
私がTrysailの3人を知ったのはミリオンライブからである。
初めてパシフィコに行ったとき、キャラクターから離れた素の歌声は新鮮だったし
ライブ自体とても楽しかった。それから何度かTrysailのライブに参加するようになった。
そこに冒頭の発言が出てくる。おじさんもアイマスからTrysailを知ったそうだ。年は二回りぐらい違う。
正直声優のライブなのにアイマスのノリを持ち込んでくるのは嫌いだ。
Youthful DreamerはTrysailのデビュー曲。
ミリオンライブから実質デビューの3人だからこれを披露したときはアイマスから来た人が多勢だった。
だけど公演回数を重ねるにつれ、アイマスっぽい応援の仕方が少なくなっているのに気づいていた。
これはいろんな方向からファンがやってきて良い傾向だと思った。
ただおじさんは残念がってこう言ってきたわけだ。
全く関係ないのに「これが”コール”なんだ」とか言ってきて口をつぐんでしまった。
話は少し変わるがTrysailのライブ中、朗読劇を行う場面がある。なんとそこでミリオンライブのキャラクターが登場するのだ。
私が行った限りでは、劇で他のコンテンツのキャラクターのネタを聞いたことがない。
誰が台本を書いてるのか分からないけど他のキャラも出していくべきではないだろうか。
せっかくユニットとしてデビューしてアイマスと別の活躍の場が与えられてるのに
いやいや、いまもあるやろ?と思われると思う。
それは読んでいただれば何人かの理解は得られると思うので記したい。
2012年に発足し、“アイドル”と“声優ユニット”の両立を目指すという高い志をもって始まったグループ。
いまとなっては考えられないが、デビュー当時のソフマップに集まったオタクはそう多くはなかった。
1stシングル『Color』。名曲である。バトスピのEDであったと記憶している。
そして後にアニソンカバーユニットとして、アニソンカバーを披露。深夜枠のアニメ情報番組などで取り扱われたりしたがそれほどバズらなかった。
時を同じくして、秋葉原Twin BOXで定期公演開始。数名が声優デビューを果たすも、当初の志には程遠い状況であったと感じる。
その後、ロボカーポリーや§Rainbowを経てアニサマに初登場。SSAのアウェイ感はいまでも思い出すと胃液が逆流しそうになる。トイレタイムであった。
エイベックスの協力な後押しを得て、キャスティングされた彼女たち。そしてファンが爆発的に増えたのもこの時期と言える(世にいう「プリパラ古参」)
彼女たちの代表曲は個人的には1stから3rdシングルの間で選びたいと思うが、世論的にはMake it!であると思う。
それはWake Up, Girls!とのジョイントイベントでお互いがカバーした際に明らかになったと思う。
TWIN BOXに通っていた真古参は言う、「もうi☆Risじゃなくて『プリパラさん』だよね」と。
気づけば“アイドル”と“声優ユニット”の両立という志から少し外れ、後輩ユニットであるWake Up, Girls!と同様にアニメありきの声優ユニットとなってしまっている現状がある。
すべては81という名のエイベックス声優アイドルブロジェクト的なM氏に起因するのではないか?と推察する。
たしかにエイベックスのアイドルコンテンツはことごとく花が咲かない時代が長かったと思う。そんな中、アニメ基軸のWake Up, Girls!が2000名程度の固いユーザ層を得て、ひとつのビジネスモデルになったのは明白である。
それを踏襲する形でプリパラにi☆Risを起用するは企業として当然の行為だと推測する。ただし、初志はどこにいってしまったのでしょう、、、と思うユーザは少なくないのでは?考える。
前述のWake Up, Girls!も作品から離れ、エイベックス・ピクチャーズの作品の曲を歌っており、某監督とのいざこざも漏れ聞こえてしまっている昨今、「わぐなーさん」のWake Up, Girls!離れも珍しくはない現象だと聞こえてくる。
そんな今だからこそ、“アイドル”と“声優ユニット”の両立。アイドルと声優に虹をかける、そんなi☆Risの活動が見たい。そう思うのはオタクのエゴであろうか。
日本の外交官が最初に求めた合意内容は当然「撤去する」だったはずで、それが最終的に「適切に解決されるよう努力する」という表現で妥協した時点で日本の負けである。
現実にはその努力のカケラさえ見えていないわけだが、韓国としては仮に何かの要因に圧されたとしても、「精いっぱい努力したけど、やはり撤去はできませんでした」というシナリオの政治的パフォーマンスを披露することで「約束を果たす」こともできたのだ。
…そう考えていたわたしとしては、「努力する」で妥協した日本の外交こそけしからん、という立場でこの問題を見てきた。
◆
しかし、少女像を設置しているのは民間の団体である。ある意味、たとえ韓国政府の努力とともに日本政府が望んだとおりに少女像が撤去されたとしても、彼らは何だってできるのである。
確かに日本に向けたメッセージとしていちばんインパクトが強いのは大使館前に少女像を設置することかもしれないが、それが無理でも、彼らは十分に効果のある手段をいくらでも選ぶことができるのだ。
ということは、仮に日本政府が望んだとおりに少女像が撤去されたところで、日本人が思い描くような意味での「最終的かつ不可逆的に解決」という状態には、日本にとっては残念な話だが、どのみち至り得ないのである。
だとすれば、いま日本政府や日本の世論がことさらに少女像問題について怒りをあらわにするのは、火に油を注ぎ、対日感情を悪化させ、それはすなわち直接的には少女像を設置するような団体への寄付金の増大となり、ひいては日韓の長期的な利益も損ねていくのではないだろうか。
◆
もちろん、「公館の安寧・威厳の維持を損ねる」として、少女像の設置に対して日本政府が毅然と撤去を求めるのは大切なことだ。しかし、それは韓国世論をむやみに刺激しないように、下品な表現をすれば韓国世論へのおいしいエサとならないように、最大限慎重になされるべきである。
くやしいかもしれないが、少女像について日本の要人が一言発するたびに、彼ら反日的な団体に寄付金が集まると言えるなら、逆に、黙殺することで彼らの資金力を削ぐことができるとも考えられるだろう。
◆
日本にとっての日韓合意の真の意義は、少女像の撤去ではなく「今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える」として、韓国政府の態度を制限できたことではないだろうか。もっとも、これとて、「しない」ではなく「控える」という表現で妥協してしまったとの見方もできるわけだが…果たして。
参考
アフィスレがよく伸びる
ツイぴく系のぴくスレが伸びる
実況が伸びて次スレが立つ
いつみてもソシャゲスレ(グラブル、アイマス、デレマス、フェイトなど)、人気なくなったソシャゲスレ(シコマサ)はいつの間にか消失
作者粘着でidが出るのに、誰もそれを咎めないから絵師が居なくなる
曖昧な知識を披露することに恥がなく、かといって正しい知識かどうか調べる能力もない
金がない馬鹿の集まりだからいつも防波堤と馬鹿にしている人口の多いmayよりも深い話ができない本物の能無し集団
ネタでいじってると言いつつ目は笑ってないので面白くないレスしかしない
こういうことを言うと「昔と変わってない」というが昔よりも人口増えてるし質も変わってるので記憶力が悪いだけ
結局、残ったのは生産性がないのに文句だけは付けたがりで再放送スレとソシャゲスレと不快漫画と実況スレで最高に盛り上がれるクズ無職だけ