はてなキーワード: 合意内容とは
まず結論を書いておく。
「電話で社外の人と合意を取り付けたら、合意内容を、関係者をccに入れて相手にメールしろ」
言いたいのは、それだけだ。(当然だと思った人もいるだろう)
以下、具体的な状況を見ていく。
ドラマ「セクシー田中さん」の製作過程で問題が生じた大きな原因が、原作者が求めた条件「(ドラマオリジナルとなる終盤では)原作者があらすじからセリフまで用意する」「用意したものは原則変更しない」「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」が十分に履行されなかったことなのは、衆目の一致するところだろう。
日テレ報告書では、この条件について、「許諾の条件として伝えられていたとの事実は確認できなかった」としている。つまり、「言った言わない」論争が発生している。
この"条件"を主導したのが、小学館の社員B氏である(小学館報告書での呼称。以下同じ)。B氏は、映像化関連の部署に所属している。この部署が長いのか、日テレX氏(担当者Y氏の上司)とも8年程度の面識があった。
そこで4月25日、社員Bは、小学館社内で芦原氏に面談し、ドラマオリジナル部分についてはできるだけセリフを多く入れたロングプロットを書いてそれを脚本家に脚本化してもらうこと、それでもうまく脚本にできない場合はご自分で書く場合もあるが良いかと尋ね、その覚悟があることを確認した。社員Bが、できるだけキャラクターのセリフを多めに書くことで、脚本家が芦原氏のつくるキャラクターのセリフを替えることができなくなると説明したところ、同氏はすぐに理解した。
そして、B氏は、日テレX氏にこれを伝える。
社員Bは(6月)9日、日本テレビ社員X氏に電話で改めて、ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。
これに対して日本テレビ社員 X 氏は、芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した。
なお日本テレビ社員 X 氏は、「もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定している
おそらく、日テレ側は「脚本」「詳細プロット」という言葉を、提供されるフォーマットについての言葉として理解しており、原作者やB氏の意図する「原則変更しない」という意図では捉えていない。
実際、この後の日テレ担当Y氏のメールでは「具体的に頂けるほうが良いと思います」と言っており、「詳細プロットや脚本=具体的な表現方法での提示」として捉えている。さらに続けて、「こちらからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思います」と「原則変更しない」を認識していない発言を続けている。
(なお、このメールを受けた小学館の担当者A氏も、「案だし」を咎めず、また、自分のメールでも「脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案」とフォーマットとして書いているので、同じ捉え方をしていた可能性がある)
ここから伺えるのは、小学館B氏が日テレX氏に電話で伝えた意図が日テレ側に正しく伝わらなかったこと(もしかすると、小学館A氏にも伝わっていない)。
そして、その連絡が、2人の電話でしかないため、2人の記憶違いが生じたら、どうしようもなくなることである。
もし、B氏が電話で合意した(と認識していた)内容を、A氏をCCに入れて日テレ側にメールしていれば、「原則変更しない」という点についての双方の認識の齟齬にもっと早く気づけ、悲劇は防げたのではないだろうか。
もちろん、他にも多くの問題点はあったし、日テレ側にも問題もあった。しかし、一番の問題点として感じたのは、肝心の所で、「言った言わない」が生じていることであり、その原因となったのはB氏の仕事の仕方である。
なお、社員Bが電話ですべてを終わらせていた問題については、小学館の報告書にも書かれている。
しかし、同報告書は「日本テレビ側が原作者の意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが第一の問題」と主張するために書かれており、小学館側のコミュニケーションの問題とはしていないことから、論点をずらしている。
社員Bは大抵、日本テレビ社員X氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。本委員会において認定根拠としえたのは、社員AへのLINEメッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。 しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
しかし、小学館の社員A氏(芦原氏の担当編集者)の立場からすると、他部門の管理職(と思われる)B氏が、頭越しに漫画家に進め方を提案し、テレビ局とも勝手に交渉し、口頭でしか共有してくれない…なんて、たまったもんじゃないよな…。
たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの?
と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか?
ここで、これらの言葉の意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います。
たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで循環論法に行きつくでしょう。
そもそも数学の根幹部分を支える論理学の重要な概念である「否定(そうでないこと)」にしても、厳密に定義することは可能なのかと思います。
「~でない」というのは、そうであることがないということ、と言ってみたところで循環論法。
そうであるのになぜ上記のような定義や公理が厳密なものと認識されているかといえば、「さすがにここまで平易な単語の組み合わせで書けば、これらの単語については私が常識として理解してる意味と同じ常識を、相手も持ってるはずだから同じ理解をするよね?」みたいな態度に立っているんだと思います。
結局相手も同じ常識を持っているという不確かな信念によりかかっている、甘えている点で、数学の記述もまた完全に厳密で一意というわけではないのかなという気がしてくるのです。
そもそも「方向」なんていうような概念は、言語によって定義されたものを知っているというよりは、幼少期に言語を習得していく過程で、それが話されるシチュエーション、つまり五感などあらゆる感覚の総体とセットでそうした言葉が使われているという環境に身を置いているなかで理解しているにすぎません。理解内容が各個人で全く同じである保証はどこにもないと思います。
どんなに高度な数学の表現も究極的には自然言語に還元されるはずで(どんな高級言語も機械語に置き換えられて処理されるように)、自然言語の各単語に対する人々の理解は原理的には五感に根差した感覚的なものなのだから、数学の記述が厳密で一意というのは、結局はほかの記述の仕方に比べた程度問題(つまりは誇張表現)なのかなと思うのです。
感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。
この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。
ちなみにたとえば「否定」というのは、根本的には、やはり言語で理解が完結しているものではなく、現実の状況としての存在非存在にそれぞれ直面して、それぞれに対して「○○がある」「○○がない(なくなってる)」と言われてる場面を経験したうえで、その状況から理解した内容のさらなるアナロジーとして理解してるに過ぎないと思います(理解のあり方が、言語的ではなく、観念的直観的)。
数学が他よりも他者と厳密に同一な合意が常に成り立つ、その工夫として、抽象度を高くしているのがその工夫にあたるのではないかという人がいました。↓
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14293524459
しかし抽象度を高くすることは、合意内容のずれを減らすという点で「有効でもあり逆効果でもある」のではないかと思いました。つまり諸刃の剣なわけです。
有効である理由はリンク先に書かれているのでそこに説明を譲るとして、逆効果であると思う私の説明を書きます。
つまり、抽象度が高い概念は、抽象度が低い概念や直接的な事物に比べて理解が難しい傾向があるのがまずあるわけです。
また定義者の提起する定義をそれを発信される側が期待通りに理解しているかを確認するのも、抽象度が高い概念ほど困難な傾向はあると思います。
これ自体ある意味で抽象そのものなのでたとえが悪いですが、たとえば「左を向いて」という発言に対して、「左」を向く反応をすることで、この人は左について正しく理解してそうだなという確認(いや原理的には推定というべき)することができます。
抽象度が高くなるほど具象と結びつけたこのような正しく理解してるかの評価、確認テストをすることが難しくなるでしょう。
といってもそもそもわれわれは相手が自分の言ったことを期待することと厳密に一致した内容で理解してるか確認することは原理的に不可能です。
頭をパカっと割って理解内容を覗きみるということはできないですから。
対象となる言葉に関連したその人の発言や反応をみて、理解の結果としての発言や反応として、その人がある部分で正しく(定義者の期待通りに)理解してるだろうということを推定するしかありません。
しかも全体ではなく一部だけの理解が正しくても、発言や反応には異常が見られないということもあるでしょう。
反応や発言をいくら調べても、概念全体を期待通りに理解してるかのテストには無限通りのパターンが必要と思われ、原理上不可能と思います。
哲学的ゾンビにも通じそうな話ですが、日常の範囲内で「理解に齟齬があるような反応が返ってこないなら」そんな「理解が完全同一でないかもしれない」という可能性上の話を心配する必要はないというのはその通りでしょう。
ただ場合によってはそれが表出したように見える一例が、あれの原因がこれだとは言いませんが、望月新一がABC予想を証明したという論文での紛糾みたいなことが起こる一因にはなりえると思います。
あれだけ理論として抽象的な概念を積み重ねた先には、定義者とそれ以外のその定義を見た人とでの理解のずれは、反応や発言として顕在化してくるほどになっても不思議ではありません。(定義者の解釈が正しいという優劣の問題ではなく)
とはいいますが、そもそも「矛盾」とは何か?「論理」とは?「範囲」とは?とは、といくらでも曖昧でしょう。
たとえ矛盾を記号論理の表現で記述して定義した気になったところで、じゃあその記号の定義ないし意味は?とどこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義が可能なんですかね?と思います。
数学に限らない話じゃんっていうのはまあその通り。
でも定義について「厳密で一意」であることを(得意げに?)標榜してるのは数学(+論理学)とそれベースの客観的であろうとする学問ぐらいだから、別にエントリ名詐欺じゃないよね?
a=b、aはbだ。「は」って何?「だ」って何?「英語的にはどっちもisという語に集約されてるけど、じゃあisってなんだよ」ってところから概念の共有をしてない前提に立った時、その概念を非感覚的で厳密に共有することは可能なのか、それが「完全に」できたと確かめるのにはどうすりゃいいって話よ。
言葉という形式が従で、それに乗るべき内容が主であることは百も承知だが、形式言い換えれば入れ
物抜きに内容を厳密に伝えられるのか、入れ物の存在に無関係な、内容の厳密な伝達というテレパシーじみたものを考えることはそれこそ論理的に正しいのかという話でもある。
非言語的なテレパシーは論理的に矛盾してるので存在しえないのではないかとは思っている。
イデア論かな哲学書読めばってブコメついたけど、順序が逆なんだよね。
イデア論とか学校で習って本読んだりして教養として知ってるからこそ、改めてその考え方を自分なりの具体的な考察対象にあてはめて思索したくなるわけよね。
先達の哲学者たちがいなかったら俺はいまだにブルアカで抜くだけの毎日だわ。むしろ哲学者リスペクト100パーセントなんだよね。
語彙力ないので語弊ありそうなのは百も承知だが、哲学って考え方の基幹部分のオリジナリティーはそんな求められてないんだよ。
むしろ先人から受け継いだ考え方をどう今の時代の具体的な問題に適用して考察を広げるかが大事なので、ちょっと哲学かじったような素人目には過去の論文の焼き増しに見えてその存在意義が理解できないような論文はごまんとあるんだよね。
ああいうブコメつける人って「方向性とかみたいな意味でベクトルという言葉を使ってる人は横文字使いたがりの格好つけ」と言ってる人みたいな人を性悪説的にとらえるクレーマー気質が高い人間に感じる。
ちなみに俺はベクトルという言葉を使う人は「周りがベクトルという言葉を使ってるから、リアルタイム性を要求される会話でとっさに出てくる言葉がベクトルだから、それをそのまま使ってる」ってだけだと思う。
大家増田でございます。1つ前のエントリを読んでくれた人ありがとう。色々お騒がせしております。
皆さんがコメントやトラバで色々情報を寄せてくれたおかげで、俺の方でも色々調べ、ある程度自己解決しました。俺の描く未来予想図はこんな感じ。
警備会社がやってる。万が一亡くなってしまっても速攻で見つかるようにしたい。特殊清掃が必要なレベルまで腐敗しないように。
色々調べたが、入居者に入ってもらうタイプの保険より大家が入るタイプの商品の方が使い勝手が良さそう。
見守りサービスがきちんと機能すれば特殊清掃が必要になることはまずないと思う。保険でカバーしてもらいたいのは残置物の片付け費用くらいじゃないかな。
もうさ、高齢化社会だし、これからは腐敗してなければ別に言わなくても良くね?ダメ?
まあ、ちゃんと決まってないのはよくない。このへんは宅建業法を変えて、ちゃんと告知ルールを決めようぜ。
●ここが未解決
今、国の方では高齢者が民間の賃貸住宅に入居しやすくなるように何か話し合ってるんだろ?
現実的に考えて、縮小傾向にある公営住宅で全てをまかなうのは無理だもんな。今の建築費の高騰を見てれば新築なんてとてもできないし。
そこで、俺から頼みがある!
賃貸住宅の場合は、死亡がわかった日の翌日から室内に残された残置物を大家が勝手に処分できるとか、そんな感じに法改正してくれえええええええ!
相続人を探して話し合ってからとか、そういうクッソ面倒なルールじゃ全然ダメだぜ!
残置物処分を勝手にできるなら、俺は既存の民間サービスを活用しまくって老人の入居審査は余裕で通す。
後は俺が全部やってやるぜ!
話し合い頑張れ、国!
●補足
勝手に残置物処分をするのは、入居者との間で生前に合意があってもおそらく現行では法律違反になってしまう。
例えが悪いが、嘱託殺人は法律違反じゃん。それと同じようなもんで、生前に合意があっても合意内容がそもそも法律違反だからダメ、っていうことなんだと思う。
ただ、俺は法律の専門家じゃないので、あんまり鵜呑みにしないでほしい。
とにかく今の法律だと勝手に捨てたらダメで、そのせいで現場はめちゃくちゃ困ってるつーことだけは確か。
●cha16さんより鋭いご指摘
「高専賃以外の住宅で死亡を原因として賃貸借契約を終了させるのは無理なんじゃないかな。それができるように高専賃は借地借家法と別の法律作ったんだから。賃借権自体が相続の対象なんですよ。」
確かにその通りですね。普通借家権も定期借家権も相続の対象だわ…。
問題は残置物だけではなかった…。
終身建物賃貸借ができるようになるには知事認可必要だし、建物に要件もあるみたいで、うちの物件は全然要件満たしてなかったです。
基本的にはサ高住を運営する事業者向けの契約形態っぽいですね。
全然解決してないじゃん!タイトルに偽りありになってしまった…。
く、国~!
現状に合わせて法律を整備してくれ~!
●補足2
なんか勘違いしてる人いて悲しい気持ちになってるけど残置物処分したいのは残置物が欲しいわけじゃないからね…。
残置物は業者入れちゃえば、1日もあれば全部捨てられるわけよ。そしたらすぐ次のお客さんに部屋を貸せるじゃん。要は空室期間を減らしたいのよ。
(別に捨てなくても、遺品を保管するための公的な施設があればそこに移動させるとかでもいい)
今の法律だと勝手に捨てらんないから身寄りのない人に死なれると我々大家はガチで詰んでしまう。この法的な問題を解決できれば、俺含めた世間の大家さんも身寄りのない高齢者に安心して部屋を貸せるよね、っていう話ね。
ほとんどの人は遺品欲しさに言ってるわけではないと理解してくれてると思うけど、大丈夫だよね?
●補足3
いや、いっぱいいっぱいみたいよ、突っかかってくる人
挽回しようとしたり、合意内容を理解しようとしたけど、どれも出来なくて明後日の方向行ったんやろとのこと
ゆうて、マジで難しい要素が何もない課題だったりするのでフォロー不可能だけどな
『疲れすぎだからしばらく休め』or『極端に向いてないから部署異動しろ』としか言えんわ
プロパーじゃなくてもこういうのいて困る
"担当者間でPO・PM入れて会議やって合意を得てる" んだよ
ほんで、その会議の議事録も"音声とメールで送ってる" んだよ
それにもかかわらず、突っかかってくるヤツが合意内容をガン無視した全体会議資料をあげてきても、
ほんで、ワイが毎回、ぶっ潰すことになってるし、
突っかかってくる人が更に荒れたり休みがちになってもフォロー入れてくれねぇし
突っかかってくる人+PO or PM で会議して『△△で行こう』って言質取ってるし、
会議後に『△△で行こう』って決めましたメール送ってるので、PO or PM は逃げらんないからね
あと、みんながみんなあまりよくわかっていないわけでもないので、
困ってるのはここなんや
- 突っかかってくる人が合意内容ガン無視した会議資料あげてきてきてるのに PO or PM が突っ込んでくれない
→事前合意はとってるので、ワイが説明しても顰蹙は無いけど何か違くない?ワイは突っかかってくる人の上司やないで・・・
でも、上司(偉い人)やPO・PMが悪いしたってしゃーないのよ
ワイが求めてるのは、突っかかってくる人を叩き潰す・職階で黙らす以外で、
いやー・・・そういう話やないんや
担当者間の会議、プロジェクト全体の会議、偉い人や顧客入れた会議、
この全部で会議中の音声、アジェンダと進捗状況と合意内容残してるし、共有してる
相談内容(悩んでいること)は会議のやり方どうこうという話では無いんや
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。
@KimBokdong_
【コメント紹介✨】
性暴力、性搾取を根絶するため最前線で運動している仁藤夢乃さんから、上映会に向けたコメントをいただきました!
「諦めてはいけない、諦めたら、なかったことにされる。金福童さんは全身でそれを教えてくれた。」
@KimBokdong_
壮絶な生があり、希望に満ちた死があったーーー。
日本軍「慰安婦」サバイバーであり、女性人権活動家である金福童さんのドキュメンタリー映画「金福童」が、2023年1月より3年ぶりに日本で上映!
restoringhonor1000.info
【おしらせ】ドキュメンタリー映画『金福童』の全国上映スケジュール
女性人権運動家・金福童さんの 4 周忌( 2023 年 1 月 28 日)を迎えるにあたり、全国行動はドキュメンタリー映画『金福童』の全国上映を展開します。是非、お近くの会場に足をお運びください。 東京 1/21 、大阪 1/28 、神戸 1/28 、滋賀 1/2...
金福童をまだ利用するか。今なら尹美香がいかに利用して搾取したかの記録しかない。
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5207.html
この内容は対して関係ないが、この写真で金福童の後ろにいるのが尹美香。この女が振り付けしているってわけ。
--日本政府の「法的賠償」に固執する正義連の主張が協議の障害になっている、との声は支援者側からも上がる
「『法的責任』に基づく要求は1990年代以降、国連などでの国際的な議論の中で浮上した。韓国司法も今年、日本政府の違法性を認定している。正義連が独自に主張しているわけではない。われわれは日韓合意後、主婦の集まりから宗教団体までさまざまな抗議団体が登場したため、各団体の意見をまとめて運動の方向を設定する役割だった。当時、長年運動に関わってきた尹美香代表はあまりにも疲れてしまったため、理事会で何度も『辞めたい』とこぼしていたが、後任者が見つからなかった」
https://www.sankei.com/article/20210813-LF7VKIJDIJJEPIQFUVRPCDMGQE/
中でも最大の罪は安倍晋三がやろうとした慰安婦合意内容を事前に知ってめちゃくちゃにしたこと。これも自分が寄付金を横領するため。
仁藤が金福童を利用するなんて、日本人はまだ慰安婦を慰安婦として利用する気か。搾取するのもたいがいにしろ。どこまで強欲で人を蔑ろにしているんだろう。
だい
@ianfu_memorial
1月6日
たくさんの人が支えること。たくさんの人が闘うこと。仁藤さんあなたは間違っていないと、大声で叫ぶこと。連帯だけがバッシングされる人を助けることができる。
あなたも私も傍観者ではいられない。傍観者的態度などなんの役にも立たない。
このスレッドを表示
だい
@ianfu_memorial
1月6日
Colaboバッシングが起こったときから、私は既視感に襲われている。数年前の尹美香&挺対協バッシングにそっくりだからだ。尹美香さんと挺対協にかけられた嫌疑もただのデマだったと裁判で次々と明らかになっているが、一度貼り付いたイメージはなかなか落ちない。↓
と言うか山本潤のSPRING、コラボ、パップス、HRN、HRW、BONDプロジェクト、若草プロジェクトは全部この慰安婦ビジネスのパクリ。
そもそも尹美香が無罪なんて誰も信じていない。なぜあの女は5年なんだ。30年以上慰安婦を搾取した極悪人50年以上にしろという声が大きい。当然のことだ。かるすぎる。死刑でもいいくらい。
このような人間になぞらえること自体、仁藤夢乃がとんでもない極悪人であり、正義連と資金面でどういうつながりがあるのかが解明されなければならない。
オタクコンテンツ炎上事件が起きると、表現規制派 vs 表現の自由派でうんこの投げ合いが始まるけど、別にこれ、憲法でいう「表現の自由」の話じゃないんだよな。
それなのに、なんか基本的人権の重要な一部が毀損される深刻な事態が起きているかのような話になるから、わけのわからない空中戦になる。
どういうことだか説明するね。
そりゃあ、法的規制ができれば大金星として、成果を大々的に掲げて本とか記事とか書きまくるだろうけど、それができると思うほどのぼせ上がってはいない。
それにむしろ、法律によらず、SNSとか炎上させて圧力をかけて、相手が自主的に応じてくれたほうが都合が良いわけ。
1.法的規制と同様の効果を生じさせることができる。炎上して謝罪させたら、それを見た他の企業も炎上しないよう、自主的にやらないでくれるだろう
2.炎上させる相手を選択することで、自分たちが実質的に規制判断の基準の決定権を握ることができる。フェミニストのなかにはBL愛好家もいるので、法ができてしまうとむしろ困る。BL無罪のたわごとは裁判所では通用しない。
3.憲法上の問題を回避できる。規制法の制定は憲法上、著しい困難を伴う。「性的搾取」とか「性的に眼差す」とかのふわっとした根拠で規制なんかできるわけない。
そういうわけで、フェミニストさんたちは法規制を目指さず、集団で火付けをすることで実質的な規制を行うことを目指しているわけ。
表現に対して批判を行うことも、表現の自由の重要な一部なので、フェミニストさんたちが行っていることは、実にまっとうで健全な手段なのだ。
1.買って応援!
なぜなら、
1.買って応援!
→ とてもまっとうで健全な対抗手段であるが、宇崎ちゃんにせよ温泉むすめにせよ、これまで炎上して取り下げを強いられてきたものは、たいていがコラボ案件なのである。
コラボ案件は実施主体にとって、ないならないで別にそう困らないのである。むしろさっさと取り下げたほうが、いつまでも燃やされるより低コスト・低リスクなのだ。
→ フェミニストにうんこを投げても、チンパンジーじゃないから効果はない。
だいたい、フェミニストたちは社会に訴えかけているのであって、別にオタクと議論するつもりなんかないし、はじめから折伏できるなんて思っていないのだ。
→ フェミさんたちは言論の自由の上に立って批判をしているのであって、憲法上の問題を生じさせない手段でやってるため、はじめから議員の出る幕などないし、むしろ介入方法によってはそれこそ問題があるのだ。
まあ、フェミさん路線は票にならないよと知らしめる意味くらいはあっただろう。
今回、フェミさんたちがなぜ未だに何も達成できていないかというと、
→ しんぶん赤旗にだって広告欄はある。そして紙面にどんな広告を載せるかも、メディアの表現の範囲内だ。
広告に対する事後検閲を外部の機関に許してしまうと、メディアとしての自律性が危うくなるため受け入れ難いし、少なくとも高度に予期可能な基準を要求するだろう。
2.日経新聞が「あれは問題のある広告だった」と認めて謝罪してしまうと、広告主の顔に泥を塗ることになるため、できない
→ あたりまえ体操
3.講談社にとっては、あんまり講談社に抗議はきてないし、謝罪しても別にいいことないし、「広告出したい」「いいよ」「やったぜ」ってだけなので、文句を言われる筋合いがない。
要するに、主にターゲットにされてる日経新聞にとって、譲れない線を踏み越えてきているからなのだ。
なお、UN Womenとの規約に違反したんだって議論もあるが、以下の理由で非常に疑わしく思っている
1.少なくとも「3つのPをすべて満たさないと掲載しない」みたいな内容の規約だった場合、法務や経営陣が許すはずがない
2.仮にもしそんな規約を受け入れているのであれば、外部にむけて広告を募集するにあたって公表するはずである
そうしないと出稿企業から予測不可能なため、広告掲載にあたって毎回手戻りが起きてしまう
3.そんな規約を受け入れるのであれば、せめてそれだけ厳しい規約を受け入れましたよとPRするはずである
どうせ、具体的で予期可能な広告基準は合意内容に含まれていなかっただろうと推測している。
今後も何も、不満に思ったことにたいして批判を加えているだけなので、特に今回のことがあったからといって何も変わることなく、今後も不快なもの、不正義だと思うものに対して批判を加えていくだけだろう。
そのなかにしょうもないコラボ案件があれば、やはり相手は謝罪して引っ込めるだろうし、それが重なっていくことで、世の中の基準はゆっくりと動いていくだろう。
全て終わりとは言ってないよなー合意内容は終わったってことだよなー
日本の外交官が最初に求めた合意内容は当然「撤去する」だったはずで、それが最終的に「適切に解決されるよう努力する」という表現で妥協した時点で日本の負けである。
現実にはその努力のカケラさえ見えていないわけだが、韓国としては仮に何かの要因に圧されたとしても、「精いっぱい努力したけど、やはり撤去はできませんでした」というシナリオの政治的パフォーマンスを披露することで「約束を果たす」こともできたのだ。
…そう考えていたわたしとしては、「努力する」で妥協した日本の外交こそけしからん、という立場でこの問題を見てきた。
◆
しかし、少女像を設置しているのは民間の団体である。ある意味、たとえ韓国政府の努力とともに日本政府が望んだとおりに少女像が撤去されたとしても、彼らは何だってできるのである。
確かに日本に向けたメッセージとしていちばんインパクトが強いのは大使館前に少女像を設置することかもしれないが、それが無理でも、彼らは十分に効果のある手段をいくらでも選ぶことができるのだ。
ということは、仮に日本政府が望んだとおりに少女像が撤去されたところで、日本人が思い描くような意味での「最終的かつ不可逆的に解決」という状態には、日本にとっては残念な話だが、どのみち至り得ないのである。
だとすれば、いま日本政府や日本の世論がことさらに少女像問題について怒りをあらわにするのは、火に油を注ぎ、対日感情を悪化させ、それはすなわち直接的には少女像を設置するような団体への寄付金の増大となり、ひいては日韓の長期的な利益も損ねていくのではないだろうか。
◆
もちろん、「公館の安寧・威厳の維持を損ねる」として、少女像の設置に対して日本政府が毅然と撤去を求めるのは大切なことだ。しかし、それは韓国世論をむやみに刺激しないように、下品な表現をすれば韓国世論へのおいしいエサとならないように、最大限慎重になされるべきである。
くやしいかもしれないが、少女像について日本の要人が一言発するたびに、彼ら反日的な団体に寄付金が集まると言えるなら、逆に、黙殺することで彼らの資金力を削ぐことができるとも考えられるだろう。
◆
日本にとっての日韓合意の真の意義は、少女像の撤去ではなく「今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える」として、韓国政府の態度を制限できたことではないだろうか。もっとも、これとて、「しない」ではなく「控える」という表現で妥協してしまったとの見方もできるわけだが…果たして。
参考
韓国世論の声なんてものは日本のマスコミにはイマイチつかみ所が無いので、いつも韓国のマスコミが書いた事をそのまま引用して国内に流す事が多い。
でも元慰安婦に対して韓国国内で巻き起こりつつあるバッシングについてはさすがに韓国メディアは報じる勇気が無いと思うのでいつまでもこっちに入ってこないだろうなあと筆を取った次第。
ここ8年ぐらい韓国において最大のタブーとされてきたのが慰安婦叩き。
一時期は「21世紀、世界をリードする韓国の三本矢」などとネットユーザーが称してた頃も(あと二つはサムスンとキムヨナ)。
しかし岸田外相電撃訪韓合意でその潮目がついに変わりつつある。
慰安婦うざくね?何様だ?ってな感じになりつつある。
韓国人はみんな日本が嫌いだって思ってるかもしれんけど、実際のところはいい加減日本と揉め続けるのは疲れた・飽きた・うんざりって感じの人が多い。もちろんそんな事は口に出せないので世論調査等では仮に匿名だとしても日本嫌い、死ねと答えざるをえないんだが、ネットでは本音を洗いざらいぶちまけてる。ネットの掲示板は驚くほど日本叩きが減ってきているんですよ。特にここ1年。反日反日って騒いでも何の利も得られないって一般国民が気づいちゃった。
そのタイミングでこの慰安婦合意。さっさと一文の特にもならない問題は片付けて次に行きましょうっていう流れに確実になってる。
元慰安婦が共同生活を送る施設を訪れた韓国外務省のイム・ソンナム第1次官。日韓で決着した合意内容について了解を得ようとしますが・・・
「会談より前に被害者に会うべきでしょう。年寄りで分からないと思って無視するの?」(元慰安婦)
イム次官が、半ば強引に元慰安婦の手をとって座らせますが、怒りは収まりません。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20151229-00000038-jnn-int
これ、今向こうではボロクソに叩かれてます。凄いです。
日本でもこういう人がいたら2ch中心に半端なく叩かれると思うけど韓国でもついに元慰安婦へのバッシングが始まったかと感慨深いものがあります。
さすがに2chでも天皇家に対してはそれなりに控えるところあるじゃないですか。やっぱ恐れ多いし象徴だし。韓国ではここのところは元慰安婦がそういう象徴に近かったんだけどついにそれが崩れつつある。
日韓新時代は近いと思うね。
まだまだ短期的にはゴチャゴチャなるだろうけど5年後にはガラッと関係変わってるよ。
安倍さんは偉い。
○緒方靖夫君 日本の刑務所でのアメリカ軍人と日本人の受刑者の待遇の問題について質問したいと思います。
アメリカ兵が公務外で犯罪を行い、刑が確定した後に入る刑務所は、日本では唯一現在では横須賀刑務所ですけれども、そこでは米兵と日本人の受刑者との間に待遇上の違いがあるのかどうか、端的にお伺いいたします。
○説明員(頃安健司君) 横須賀刑務所における米軍関係受刑者の処遇に当たりましては、基本的には日本人受刑者と同様の処遇を行っているところでありますが、処遇の一部について日本人受刑者と異なるものがございます。
例えば、食事につきましては、日本人受刑者に支給する食事とは献立内容を別にした食事を支給していること。入浴につきましては、シャワーを使用させていること。厳寒期の朝夕には居房の暖房を行っていることでありますが、このような取り扱いは、横須賀刑務所に米軍関係受刑者を収容し始めた昭和三十年以降からの取り扱いであるものと承知しております。
○緒方靖夫君 米兵も日本人も受刑している限りそこで実施されている法律というのは監獄法だけだと思いますけれども、この問題では日米地位協定等々が入り込む余地はありませんね。該当する条項はないと思いますけれども、確認したいと思います。
○説明員(頃安健司君) 監獄法上平等な処遇という原則はそのとおりでございますが、横須賀刑務所におきます米軍関係者の処遇について若干の差異がございますのは、基本的には生活習慣等の相違に考慮を払ったものと理解しておりますけれども、地位協定の実施に関する日米両政府当局の合意の趣旨を踏まえているという点もございます。
○緒方靖夫君 その合意の趣旨というのは明文化されていませんね。ですから、法律では、基づいているのは監獄法だけと言えるんじゃありませんか。
○説明員(頃安健司君) 日米地位協定に基づく日米両政府の合意事項が根拠となっておるということでございます。
○緒方靖夫君 その合意事項とは一体何ですか。どこにどう書かれているか、はっきり言ってください。
○説明員(頃安健司君) 日米両政府間の合意内容でございますが、米軍関係者の拘禁に当たりましては習慣等の相違に考慮を払うという趣旨を内容とするものであります。
○緒方靖夫君 そういうことならわかっているんですよ。だから、要するに基づいている法律というのは監獄法しかないわけです。それははっきりしている。
それで、私はこの問題について非常に重大だと思うのは、非常に大きな違いがある、格差がある。
私は、日本人の元受刑者から手紙をもらいました。また、米軍関係者から証言を得ました。公職にあるアメリカ人は、職務に関することについてはうそは言わない、可能なことはすべて話してくれた。また、刑務所も視察して多面的に調査した。
差別の第一は、まず就寝時間が違うんですね。日本人は九時、アメリカ人は十時。これ習慣上の違いですか、何の違いですか。
○説明員(頃安健司君) 就寝の時限が異なるという点は、ただいま御指摘のとおりでございます。日本人は午後九時……
○説明員(頃安健司君) 横須賀刑務所においてこのような取り扱いがいつどのような理由で始まったかについて調査いたしましたが、現時点では判明しておりません。
それから第二は暖房、今ちょっと言われたけれども、暖房も冬には米兵の房にはスチーム暖房が行われるんですよ。日本人のところにはない。しかも、米兵のためのボイラー夫役は日本人受刑者がやっているんですよ。残業して蒸気を送る仕事をした後、自分の房に戻ると暖房はない、寒さに震えている、こう訴えがあった。そして、ここは日本なのか、アメリカの基地内なのか、そう率直に思ったというんですね。非常に情けない、そう嘆いて元受刑者は私に訴えてきました。
米兵には系統的に、そしてスチーム暖房が行われていることは間違いないわけですね。
○説明員(頃安健司君) 先ほどお答えしましたとおり、厳寒期の朝夕には暖房を給しております。
○緒方靖夫君 どのぐらいの期間ですか。
○説明員(頃安健司君) ちょっと期間については手元に資料がございません。
私は、食事の問題も挙げたいんですね。受刑者の最大の楽しみなんです、食事は。食事の格差はありますか、値段的に。内容は別です。
○説明員(頃安健司君) ちょっと値段的な点は判然といたしません。
○緒方靖夫君 それも重大ですよ。
私は行って食堂に張り出しているメニューを見たんだけれども、アメリカ兵は毎日ステーキなど肉を食べている。フルーツ、ケーキを食べて、三食ごとにコーヒー、牛乳がついているんですね。日本人はすべての食事を通じ一滴の牛乳も出ない、ステーキはもちろん出ない。ケーキなど甘いものは受刑者の方々は甘シャリというそうです。甘いものが食べたくてしょうがない。一番欲しがるそうだけれども、天皇誕生日、こういうときしか、祝日しか出ない。フルーツは十日に一度。これが実態だというんですよ。どうしてこんな格差が起こるんですか。
○説明員(頃安健司君) 御指摘のとおりの内容であるか、ちょっと私正確には承知しておりません。
違いの理由でございますが、横須賀刑務所におきましては、収容中の受刑者に対して所定の予算を支出して調理した食事を支給しておりますが、米軍関係受刑者に関しましては、これに加えて米軍当局からも補充食料の提供がなされておりまして、これらをあわせて調理したものを支給しておりますので、そのために違いが生じているのではないかと思います。
この米軍からの大量の援助品、これが重大なんですよ。これが食事に出されている。米軍関係者によると、刑務所内での米兵受刑者のメニューというのは、何と基地内で軍務についている米兵の食事と基本的に同じにしているというんですよ。そのメニューで必要なものを米軍から全部支給品として受ける。だから、食事にすごい格差がつくことは明らかなんですよ。刑務所では、日本人は差し入れというのはできますか、食事に関連したことについて。これを米兵だけに認める、そういう根拠というのはないんですよ。
そして、差別というのはさらに多数にわたる。余暇、規律でもかなり自由な生活スタイルが保障されている。米兵は毎日シャワーを浴びる。日本
人は週二回のふろ。受刑者は一緒に運動、作業をするから、みんなよくわかるわけだよ、アメリカ人と日本人がどんな暮らしをしているかということを、交流があるから。この歴然たる違いというのはアメリカ人もよく知っている、日本人よりも自分たちははるかに優遇されていることを知っている。
そのきわめつけ、それは米軍将校が定期的に米軍受刑者全員を招集した会議を刑務所内で開いているんですよ。米軍関係者によると、この会議は最新の情報を伝える。豊かな食事、これは体力を減退させない、そして出所後軍務に直ちにつける、このことを可能にする、そういうことを言っているんですよ。日本の刑務所は劣悪で、米軍人そのものをそのままにしておくことはできないという気持ちも働いているそうです。こういう米軍の会議が刑務所内で開かれているというごとは確認できますか。
○説明員(頃安健司君) 米軍当局と刑務所の職員との協議会はございますが、刑務所の中で米軍当局と受刑者との会議が開かれているということはないと承知しております。
○緒方靖夫君 否定されたけれども、アメリカ当局者は自分は行っていると言っている、行ったこともあると言っている。調べてください。調査をすることが随分多いけれども、重大な問題だから。
こういうことは所長の裁量を超えているわけですよ。だから、その点で私思うんだけれども、特別の何か秘密合意があるんですか、アメリカとの間であるかないか。
○説明員(頃安健司君) 先ほど申し上げましたよりに、米軍関係者の拘禁に当たっては習慣等の相違に考慮を払うとの趣旨の合意はございますが、それ以上のものはございません。
○緒方靖夫君 その範囲をはるかに超えている待遇なんですよ、これは。ですから、こういうことが日本の施設で、日本の法律しか実施されていない日本の刑務所でずっと続いてきた、このことは大問題だと思うんですね。これは、結局アメリカの軍隊ということでの特権の行使なんですよ。これが差別の根本的な動機で、戦後しばらく特別な配慮が行われてきた、そう法務省は認めていたけれども、こうしたことが横須賀刑務所では昭和三十年以来ずっと続いている。私は、この格差というのは日本にとっては非常に屈辱的なものだと思います。
こうしたことを放置してきた法務当局の責任は非常に重大だと思いますけれども、大臣、なられたばかりで大臣にこれをどうこうといっても、初めて聞かれた話だと思いますけれども、この格差、また屈辱と思わないか、そしてまたこれについての御感想をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(下稲葉耕吉君) 今るるお伺いしまして、感ずることもたくさんございます。実態をよく調査いたしまして、善処するように努力いたします。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1410/14009181410007c.html