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はてなキーワード: 2月とは

2023-10-31

囲碁韓国移籍した後の仲邑菫を追う方法

もしひとたび海外移籍となれば、野球サッカーのようなメジャースポーツでもない囲碁であれば一昔前なら新聞テレビの気まぐれな報道で追うことしかできなかったことだろう。

しかネット時代のおかげでかなり簡単海外情報を追うことができるし、むしろ日本時代より詳細に追うことができるかもしれない

BadukTV(Youtube)

韓国公式囲碁チャンネルで、仲邑菫は韓国でも人気が高い棋士なので韓国棋士と仲邑菫の対局があるときはかなり優先的に放送されてきた

https://youtu.be/qJ9Wvbrj9gI?t=2363

今後もここを見てれば仲邑菫の対局を普通に追うことができる

仲邑菫の韓国表記は「나카무라 스미레」らしいので、これをコピペすれば韓国語で書かれた情報でも追うことができるだろう

JKGO(Youtube)

仲邑菫大好きおじさんが運営している非公式チャンネルで、

仲邑菫のライブ対局がある時は日本人向けにローカライズしてリアルタイム応援放送をしている

https://www.youtube.com/watch?v=n_QSb_GYfxM

また仲邑菫の棋譜解説動画も多い

仲邑菫の移籍ニュース報道より先に一番最初に耳にしたのもこのチャンネルだったので、JKGOおじさんを見ていれば最新の仲邑菫情報を一通りキャッチアップできる

清水しろー(X)

国内外含めて囲碁界の情報はこの人をフォローしておけばOKというくらい日本棋院公式より棋戦の情報が充実している

棋士ですら自分の棋戦のスケジュールをこの人をアテにしているとか

https://twitter.com/yoshiro_kaba/status/1718749243794669617

毫釐千里(ごうりせんり)

仲邑菫の戦績を網羅している

井山曲線を追いかけるチャートの推移に注目していきたい(ページ下部)

https://gorisenri.livedoor.blog/archives/nakamura-sumire-all.html

移籍3月から

2月までは残された対局を行い、女流棋聖戦の防衛戦最後となるらしい。

勝っても負けてもタイトル返上となるが、最後タイトルを奪われてサヨナラはカッコ悪いのでどうせなら勝って有終の美を飾ってもらいたいものである

一方で、挑戦する棋士には日本に残る棋士の意地を見せてほしい

挑戦者となる本命アジア大会にも出場していた上野姉妹藤沢里菜

次点で牛栄子、元祖女流グランドスラム謝依旻大穴ルックスに評判のある稲葉かりんに期待したい。

追記:牛VS謝は牛が勝ち、謝は敗退。稲葉も敗退した。)

11月2日には女流名人リーグが開幕し、久々に日本での対局となる。

NHK杯聞き手を務める星合志保と対決する。(追記https://i.imgur.com/P0253fj.jpg

直近2年の成績は2023年が2位(5勝1敗)、2022年が1位(6勝0敗・挑戦者

2023-10-27

増田ってアニメオタクなんだな

それ以外ももちろんいると思うけどフリーレンアニメ化してから明らかにフリーレンの増田増えすぎでしょ

1年前ぐらいの2月頃に「俺が今注目してる漫画」みたいな増田で俺はフリーレン知ったかアニメオタクしかいないとまでは言わないけど増田のメイン層って結局アニメオタクなんだなってちょっと悲しくなったわ

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-13

ドル円151円でSしたい

11月12月ピークになり

2月くらいまで横という予想をしてる

それまでに300万円50枚くらいでSしたい

目標は121円〜116円

2023-10-05

プリキュア4月新生活スタートから物語が始まるのに現実時間では2月放送開始なのは新学期が始まるまでに番組タイアップ文房具衣服生活雑貨を揃えられる様にする為

ってさっき知ってなるほど~ってなりました

2023-09-22

40代のいい年齢になってきたので、健康目標来年2月大阪マラソンエントリーしようと思う。

今は2kmのランニングがいっぱいいっぱいで、この状態気合だけで完走できるとは思えないので事前に20kmは走れるようにしたい。

10kgほどダイエットすれば標準体重になるのでそれで行けるだろうか。


ちょうど妻の出産3月予定日なので、自分も頑張ってみよう。

2023-09-20

本当に最近秋は無いのか?検証してみました

対象東京2022年9月2023年8月まで

方法

・1日毎の東京最低気温最高気温リスト化して、その日の前後11日で平滑化する

11度以下なら「寒」、24度以上なら「暖」として、以下のようにしました

 最低気温最高気温も寒 → 真冬

 最低気温だけ寒 → 冬

 最低気温最高気温も暖 → 真夏

 最高気温だけ暖 → 夏

 それ以外 → 春/秋

 

結果

全部表示するにはだるいので、10日ずつ見ていきます

 

1月上旬 冬    およそ 2度〜11

1月中旬 真冬   およそ 2度〜10

1月下旬 真冬   およそ 0度〜8度

 

2月上旬 冬〜真冬 およそ 2度〜11

2月中旬 冬〜真冬 およそ 3度〜11

2月下旬 冬    およそ 3度〜14度

 

3月上旬 冬    およそ 7度〜18度

3月中旬 冬    およそ 10度〜18度

3月下旬 冬    およそ 9度〜19度

 

4月上旬 冬〜春  およそ 11度〜20

4月中旬 春    およそ 12度〜22度

4月下旬 春    およそ 13度〜23

 

5月上旬 春〜夏  およそ 14度〜24

5月中旬 春〜夏  およそ 13度〜24

5月下旬 夏    およそ 15度〜25度

 

6月上旬 夏    およそ 17度〜25度

6月中旬 夏    およそ 19度〜25度

6月下旬 夏    およそ 19度〜28

 

7月上旬 夏〜真夏 およそ 22度〜31

7月中旬 真夏   およそ 24度〜32度

7月下旬 真夏   およそ 25度〜34度

 

8月上旬 真夏   およそ 25度〜35度

8月中旬 真夏   およそ 26度〜34度

8月下旬 真夏   およそ 26度〜34度

2022 

9月上旬 夏〜真夏 およそ 24度〜31

9月中旬 夏〜真夏 およそ 21度〜29度

9月下旬 夏〜真夏 およそ 19度〜27度

 

10上旬 夏〜秋 およそ 17度〜25度

10中旬 秋   およそ 15度〜20

10下旬 秋〜冬 およそ 10度〜19度

 

11上旬 秋〜冬 およそ 11度〜20

11中旬 冬   およそ 10度〜18度

11下旬 冬   およそ 9度〜16度

 

12上旬 冬    およそ 6度〜13度

12中旬 冬    およそ 4度〜13度

12下旬 冬〜真冬 およそ 2度〜11

 

所感

完全に秋と呼べるのは10上旬11上旬の1.3ヶ月くらいだった

「1日の中で秋くらいの気温もある」で言えば、9月上旬12中旬までの3ヶ月半くらいあるので、案外あるという印象

まり、「秋は存在するが1日中続くことは少ない」ということじゃないだろうか?

人間の印象としては、暑さは最高気温で感じ、寒さは最低気温で感じるだろうから

9月下旬までの残暑最高気温27度)から11中旬の寒さ(最低気温10度)の間しか秋を認識できないのかもしれない

 

春も期間的には同じくらいなはずなんだが

春は「春だけどまだ寒いね」と言うが

秋は「秋だけどまだ暑いね」と言わず「いつまで夏が続くんだよ」と言っている気がするので

人の認知問題な気がしないでもない

 

まあそれにしても、1日の中で暑い時間5月上旬から10上旬であるのって嫌だね(5ヶ月間)

寒さも10下旬から4月上旬であるから長いように感じてしまう(5ヶ月半)

 

可能なら昔の気温も調べてみたい

2023-09-19

風俗に嵌ってしまった、そしてガチ恋してた

気持ち悪いおじさんの独り言です。自分感情吐露してすっきりしたいだけ。

スペック

特定されない程度に

歳:20後半~30前半

性別:男

身長:160cm台 

ゲーマーが170cm以下は人権なしって言ってて割とその通りで笑ってしまった。

マッチングアプリやってみるとわかるけど身長素直に乗っけるとマジでマッチしない。

身長を隠してみるとそこそこ返信くるし、会う約束まで取り付けられるしオスとして見られる人権の一つ。

体重:50kg

職業:エンジニア正社員

年収:600万ちょい

住んでるところ:東京

恋愛遍歴:4人

みんなどれぐらい付き合えているのかよーわからんけどモテてはないと思う

キモオタ陰キャだもん。

趣味:映画鑑賞ゲーム読書

その他

2-3年前ぐらいに父親が急死してから母親と二人暮らし。母は専業主婦

家賃光熱費はすべて自分持ち

風俗に嵌った背景(結構、前置き長いのごめんなさい)

3年前に自分転職して、仕事でチームリーダーポジションを任命されて四苦八苦していた。

仕事よりもプライベート優先人間だった自分にはつらいことだった。

幸いにもチームメンバーが良い人ぞろいで忙しいけど、嫌ではなかった。

前職は人間関係仕事内容もクソで頑張る気もならなかったからだ。

仕事は順調だった。責任仕事も増えたけど。

ただ、プライベートに関しては悲しいことがあった。

一つ目は趣味繋がりで知り合った彼女と別れた。きっかけはしょーもない趣味関係ことなんだけど、趣味の界隈が狭いため伏せます

もともと元カノとはソリが合わなかった。

自分は会話するのが好きで相手の反応を観て話す内容を考えたり、どうしたら笑ってくれるかなって思ったり、どんな返答がくるかな?って相手の考えを聞きたいタイプだった。

彼女はそうじゃなくてただ話を頷いてきいて欲しかったみたいで「~って本当?」「自分はそう思わないかも」とか意見いうと不機嫌になる。肯定共感以外全部だめ。

なんならキレて口もきかなくなる。

もちろん、自分が悪いところもあって慰めてほしいときイランこと言っているときもあったのは反省する。

ただ、前に付き合ってた歴代彼女は「そっかー、そういう側面もあるよね」とか「なんだよー、ひどいじゃん慰めてよ!(ちょいおこ)」みたいな感じで

いい感じにコミュニケーション取れていたから、つらかった。

だんだんと話すのがこわくなってきた。嫌な上司プレゼンするみたいな感じだ。

会いたくなくなってきてお互いに話し合って別れた。

なんてことはない話だが、自分にとってはつらかった。

それより前に彼女がいたのは4-5年前で、その間は本当に彼女できなかった。

合コン街コンも行ったけど相手にされなかったからだ。ぶっちゃけあきらめてた恋愛を。

元カノ趣味繋がりで向こうから告白してきてくれた、まさに救いの女神だったからだ。

別れた後は呪いだった。女性と話すのが怖くなった。また怒られるのかなとかご機嫌取らないといけないのかなと思ったりして嫌になった。

その半年である

そんなこんなでしばらくゲームしよと思って家でゆっくりしていると母から電話が来た。

時間は21:30ぐらい。なんだろと思って電話に出ると「驚かないできいて欲しい、パパが死んだ」ってギャン泣き

父は健康体ってわけでもないが大病しているわけではない、ガンとかなかったし。

なんなら一か月前に退職再雇用書類サインしに会いに行ったからね。

びっくりして病院に向かうと冷たくなってた。泣いた。

母は叔母の介護実家中部地方)に帰っていたか自分が一番乗り。

どうやら親父は職場の元同僚と飲んでる最中心筋梗塞で急死したらしい。

父と母は貯金がなくて葬儀費用300万ちかく肩代わりしたのはここだけの秘密だ(あとで親父の退職から返してもらった)

このあとが自分にとってつらい期間だった。

母は父の社宅に専業主婦として住んでたので社宅を引き払う必要があった。

母は役所手続きとか、引っ越し相見積もりとか銀行口座解凍とか書面での契約交渉事が苦手で

自分が全部主体になってやった。もちろん、母はできる限りで協力してくれた。ただ、仕事の合間には無理だったので3カ月ぐらい休んだ。

一人暮らしは無理(収入的に)、実家には帰りたくない(介護メインになるのは嫌だ、田舎は嫌い)で自分と住むことになった。

最初のうちはかわいそうだなと思って心配になったのでしょうがいかと思った。

一緒に暮らし始めるとショックからか怒りっぽいし買い物は働いている自分と同じぐらい買っちゃうし(服とか)注意とかもしてたけど

「楽しみがこれしかない」、「気持ちを立て直すにはしょうがないじゃん」と言われかわいそうになってあんまり言えなくなった。

ただ、愚痴の聞き役ってのが結構辛い。「なんで死んだのか」「どうすればよかったのか」と毎日言われて返す言葉もなかった。

「なんで自分はこんな目にあうのか」と言われたときはやるせなさを感じた。

一人暮らしが好きだったんだ、自分は。こんな目にあったっていうけどそれは自分も同じだよ。言葉を飲み込んだ。

仕事終わりは地元趣味の集まりがあるので定時で上がれればいつも向かっていくのだが

母は「なんでおいてくの、一人にしないで」と言われると心苦しくなった。

そりゃあそうだよな、確かにひどい息子だよ。でも、これ以上一緒にいると自分も苦しいよ。

母にも仕事趣味コミュニティがあればよかったのだが、人付き合いがへたくそなのだ

親父の代わりには慣れないなと思った。母を父と同じ役割で愛することはできない。

自分は元気になるまで支えるか見守ることしかできない。

そんな暮らしの中で「自分人生を生きれてないんじゃないのか」「このまま一生終わるのか」と思い始めてきた。

しまいには飛び降り自殺しようと思ってた。

母親付きで婚活とか条件不利すぎるし、そもそも彼女って今の俺にできんの??女性と話すの怖いのに。

友達にも愚痴れないし、困った(話せはするけどみんなコメントに困ることはわかるからだ)

そんなとき、夜の街のことを思い出す

■そしてソープ

ただ話すだけならガルバとかキャバでもいいんだけど、ぎゅっとしてほしかった。好みの女性に。

そして話をきいて欲しかった。現実を忘れさせて欲しかった。

経験のために1度は行ったことはあるソープランドがよぎる。ただ、すごいお年が上のお姉さんが出てきて萎えしまった思い出が。

その時は申し訳ないけどすごく後悔しました。自分が下調べしないのが悪いのにね。

お話は上手だった気がしたのと、夜職の人は勝手イメージで話聞いてくれそうが先行してた。

HP爆サイを観て予約。気持ちよかった。なかなか重い話なので話せなかった。ヘタレだ。

スレンダーな子だったので次は巨乳にしようと思い、半年後に爆サイですごい人気のある子を予約。

これが自分にとって運命出会いだった。

女神がそこに

普段いかないお店でせっまいところでおっかなびっくり

待合室は人が二人座るのがやっと。せっま。

呼び出されて2階にいくとそこには凛とした顔立ちの女性がいました。

最初のどんなことを話したかはもう覚えていないけど

裏を返して3回目ぐらいには自分の身の上話というか悩みを言える関係になっていた。

元カノのことに関しては「それは彼女さんの精神年齢あなたと合っていないだけ。あなたのほうが数段上」

母のことに関しては「自分のことを優先している部分もある。よくやっているよ。」と言ってくれた。

後ろに抱き着いて話をしてたんだけど泣いた。

彼女についてもタブーなんだけど身の上話を聞いた。やっぱりそれなりに理由があった。

セックスに関してはお互いに気持ちのいいところがわかってきて楽しくなってしまった。

ここをゆっくり触ると気持ちいいんだとか、激しくつきながらキスされるの好きなんだとか。

元カノセックスするときより楽しかった。相手と会話しているからだ。すべてを委ねてもいいって安心するからだ。

気づいたら毎週通ってた。好きになってしまった。

好きな本の話をして本をプレゼントしたりした。趣味の話で熱く議論してお互いに汗かきまくって笑った。

ポケモンのホゲータが好きでなんか意外だったなーとか、食べることがすきでいつもお腹なってたなーとか思い出す。

そんな彼女大学生で1年後には卒業するらしい。そのために資格勉強を頑張っていた。

その話も本当かわからないけど自分は信じた。夢の国だし、それ以上効くのは野暮だからだ。

ただ、「辞めるときは言ってね」とだけは伝えた。

彼女は「絶対に言う、もしかしたら泣いちゃうかもしれない」と答えてくれた。

そんなこんなで一年半ぐらいかよってた。

間で喧嘩というか気まずいこと話題にしちゃっていかなかったときもあったけど

なんだかんだで通った。彼女は今年の4月に辞めることを言っていたけど続けていて「?」だったけど。

■終わりは突然に

お金がさすがに減りすぎてきているので自粛して月2回ぐらいの頻度に抑えることにしたのは今年の5月ぐらいから。

それと少しずつ元気が出てきた。

8月友達旅行があるので8月二週目とずれるけど9月の初週にあってお土産渡そうと思ってた。

8月2週目にあったときは珍しく手コキで終わってしまい、攻めがうまくなっててチクショー次は負けないぞと思っていた。

旅行から帰ってきて予約しようかなと思うとHPの出勤予定は全部ない。あれ?

胸騒ぎがしながら写メ日記をみると別れの日記

ショックだった。最後の出勤日は絶対に行きたかった。

別の常連の一部は知っていたみたいだった。まあ、その時点でお察しだ。

もっと上がいて自分はそこまで仲良くないだけだったのだ。というかそれは一方的な思いだ。

その後の仕事会議は頭に入ってこなかった。渡せなかったお土産が机の上に置いたままだ。

彼女は聞かれなければ答えないタイプだったので最終出勤日を明確に聞けばよかった。

いつ辞めるのか?は2月ぐらいに聞いたけど「まだ辞めないよ」だけだった。

一方的気持ち押し付けで「付き合えてたらよかったのに」とぼやいてしまたこともあった。

「それは・・・・無理だろうなぁ・・・」と返したくれた誠実さを思い出した。

最後絶対会いたかった感謝言葉を伝えたかった。

まあ、向こうはもう会いたくなったかもしれないしこれもエゴなんだ。

これを機に風俗遊びを辞めて彼女探しをしようと思ったが

また、近場で新しいお気に入りを探している自分にあきれてしまった。

気づいたら女性と話すのも平気になってきた。

怖いのは日常選択肢風俗へ行くが加わってしまたことだ。

最後

読んでいただきありがとうございました。

特にオチも何もないですが文章を書きたくなったので書きました。

もしこれから初めて風俗いくぞーって人が見ていたらアドバイス

プロフ絶対読んでおいた方がいいと思います。責めが得意とか受けがいいとかその子の良いところを書いてくれてます。大体本当です。嘘なのはウエストバストサイズだけ。

爆サイ書き込み話題なる子はいい子か気難しい子だと思います。いい子のレビューは見れば同志が細かくレビューしてくれているのでわかると思います

依存しない方がいいです。経験で一回は行ってみるのもありかもしれませんが嵌ると終わりです。お金時間も信用も。自分女性だったら彼氏風俗に嵌っていたって嫌だもん。

もう自分あきらめましたが彼女まだあきらめていない人はほどほどに。

2023-09-16

やっとエクランドゥフュメが発売か

2月本国で発売されて日本には11月

もう日本で発売されないのかと思ってた

2023-09-15

anond:20230914182108

胡蝶蘭、最高だよね。

すぐ枯らすという人は大抵は根腐れが原因。胡蝶蘭のあのラピュタみたいなカッコいい根っこは、水を吸うだけじゃなくて、空気中の窒素を固定する菌が共生している場所でもあるの。だから、水に触れる必要もあるけど、ほどよく空気にも触れる必要がある。空気に触れないと窒息しちゃう

うちでは根腐れて死にそうな子は、コルクの樹皮に一握りの水苔と一緒にくくりつけて窓辺にぶら下げている。よく売っているビカクシダみたいな感じ。水苔がカサカサになったら(2日に一回くらい)適当に水をかけて、週に一回は水をはったバケツ10分くらい浸けて水を飲ませている。たまにバケツの水にハイポネックスを入れてやると、翌日に急に葉っぱが伸びたりしてかわいい。この育て方だと超元気になる。根っこがのびてくると、コルクの樹皮を自分で抱えるみたいになっていい感じだよ。毎年ちゃんと花が咲くけどぶら下がって咲くから支えの棒もいらない。

今、白くて大きい花を咲かせる胡蝶蘭が三株ぶら下がっている。花が咲いている時は圧巻。うちの子たちは2月から8月ごろまで咲き続けるよ。

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-09-09

解放宣言

私は今年の1月によくここで仕事愚痴投稿していた適用障害を患っていた増田だ。

場所がなかった私は増田が唯一の捌け口で、あと数週間で辞めれるって分かってるのに投稿せずにはいられなかった。

最初にまず言いたいのははてなーのみんなありがとう。見ず知らずの私を励ましてくれたり厳しい言葉をおくってくれて。

2月になって退職して会社から離れたらすっかり増田のことは忘れて転職活動転職先で夢中で目の前のことを取り組んできた。

全ては適応障害を患った自分へ勝つため。己から逃げないため、敢えて同じ職種を選んだ。

転職先でも最初は昔の適用障害フラッシュバックして具合悪くなったりした。けど絶対に負けたくなくて、すべては自分のために仕事をした。

そして、昇進のオファーをいただいた。だから私はもう今の会社にいる意味がなくなったのだ。

そう、私は己に勝ったのだ。長い戦いだったけど、ついに適用障害から正式に打ち勝つことができた。

縛りついていたものから解放されたのだ。

もうやりたいことをやっていいんだ。

ありがとう増田増田がなかったらリベンジする気にもならず今も適用障害で寝たきりになっていたかもしれないから。

2023-09-03

増田履歴書を書いたので添削してほしい

名前匿名希望

生年月日:1983年11月12日

【経歴】

2009年10月 増田に初投稿

2010年03月 500ブクマ記事投稿

2011年01月 1000ブクマ記事投稿

2013年06月 諸事情により垢BAN

2016年04月 新しくアカウント作成

2017年10月 通算100,000投稿達成

2018年09月 増田番付ランクイン

2021年02月 一身上の都合により増田引退

志望動機

増田歴が長く、即戦力になれると思ったので。

資格

はてな記法1級

増田検定1級

増田文学入り複数回

【本人希望欄】

週6回勤務希望。深夜シフトも入ります

バズった場合休みの日でも追記します。

ブランクはありますが、古参増田を自負しています

ぜひ採用よろしくお願いします。

2023-08-30

クソ嫁メモ日記

2022/11/23

昼に家族外食に出掛けた

車に乗って小一時間とある作品コラボをやっている店だ

家族3人、談笑しながら楽しいランチタイムを過ごして、腹を満たして帰路につく

行く途中でスーパーをみつけ帰りに寄ろうと話をしていたが、土地勘がないので駐車場になかなか入れず迷ってしまった

いきなり嫁がキレた

嫁「はやくしろお、おらあああああ!!!!」

そこから2週間自室に篭り家族無視し続けた

年末から年明けまで無断外泊をして2週間いなくんなった

義理父母と話しをしながら離婚の話を粛々とすすめていたが、2月になってキレながら

離婚したくない」

と言って普通に戻った

『もう1回発狂するまでに離婚の準備をすすめないと……』

と思いながら、子供

「お父さんとお母さんは仲直りしたよ」

と伝えた

おわり

(年末年始は実家に籠っていたと判明した)

2023-08-29

ポテチ」食ってて何となく気になったんだけど

wikiにも載っている通り、「ポテチ」という言葉が世に広く知らしめられたのは

1991年アニメ化もされた「きんぎょ注意報」とされている。

「きんぎょ注意報」は少女漫画雑誌の「なか〇し」にて1989年2月から連載が開始され、

1989年5月に発売された号にて初めて「ポテチ」という呼称が登場した。

 

きんぎょ注意報は当時のなか〇しでは初となるきんぎょ注意報のみの増刊号が発売されるなど

大ヒットを飛ばしポテチ呼称がきんぎょ注意報から広がったというのはほぼ間違いない。

ちなみに増刊号が出たのはアニメ化前なので、アニメ影響でヒットした作品ではない。

 

ところで今現在ポテチ」は日本初の量産型ポテトチップス発売会社である湖池屋商標権を所持している。

なのでカルビーポテトチップスポテチと略すのは100%間違ってる。

僕が食べていたのはWコンソメパンチでした、謝罪いたします。

ついでに言うと「ポテトチップス」は一般的料理名称なので食品としての商標登録は不可。

食品として以外の商標は何故か「阪急阪神百貨店」が保有している。

こちらの商標1978年に出願されており、当時の阪急百貨店オリジナル子供服ブランド名前だった。

当時のCMにも登場しているので知っている増田いるかもしれない。

 

それはともかく、「ポテチ」の出願は1989年12月となっている。

 

後乗りじゃねーか!

え?ポテチ流行ってんじゃん!商標権取らなきゃ(使命感)

じゃねーか。

 

あ、AFURIとはちがって湖池屋ちゃん1992年ポテチって商品を発売してます

ちなみにカルビーは「カルビーポテトチップス」で商標権を取ってる。

 

僕はきんぎょ注意報アニメ世代なのでOPだった「わぴこ元気予報!」は今でも完璧に歌える。

バカみたいに前向きな曲でなんとなく気分が沈んだ時に聞くと元気になれる。

2023-08-25

test

https://chat.openai.com/share/c80d83ea-752b-4561-a162-7ea0bd116d56

CSVVBAエクセル

Option Explicit

Dim objExcel, objWorkbook, objWorksheet

Dim strFolderPath, strSourceFile, strTargetFile, strSearchString, strReplaceString

Dim intLastRow, intRow, intColumn

' Excelオブジェクト作成

Set objExcel = CreateObject("Excel.Application")

objExcel.Visible = True

' フォルダパスファイル名の設定

strFolderPath = ".\" ' スクリプトと同じフォルダにあることを仮定

strSourceFile = "変更一覧.xlsx"

strTargetFile = "変更一覧.xlsx"

' Excelファイルを開く

Set objWorkbook = objExcel.Workbooks.Open(strFolderPath & strSourceFile)

' シートのコピー名前の変更

objWorkbook.Sheets("1月").Copy , objWorkbook.Sheets("1月").Index

objWorkbook.Sheets("1月 (2)").Name = "2月"

' セルの値の置換

Set objWorksheet = objWorkbook.Sheets("2月")

objWorksheet.Cells(1, 1).Value = Replace(objWorksheet.Cells(1, 1).Value, "1月", "2月")

objWorksheet.Cells(2, 7).Value = Replace(objWorksheet.Cells(2, 7).Value, "2023/2/14", "2023/3/14")

' 最終行の取得

intLastRow = objWorksheet.Cells(objWorksheet.Rows.Count, 1).End(-4162).Row ' xlUp

' 値のクリア

For intRow = 8 To intLastRow

For intColumn = 1 To 6

objWorksheet.Cells(intRow, intColumn).ClearContents

Next

Next

' テキストファイルの読み込み

Dim objFSO, objTextFile, strContents, arrLines, arrFields, strNewContents

Set objFSO = CreateObject("Scripting.FileSystemObject")

Set objTextFile = objFSO.OpenTextFile(strFolderPath & "変更一覧.txt", 1)

strContents = objTextFile.ReadAll

objTextFile.Close

' フィールド区切り文字カンマに設定してデータを分割

arrLines = Split(strContents, vbNewLine)

For Each strContents In arrLines

arrFields = Split(strContents, ",")

For Each strContents In arrFields

If IsNumeric(strContents) Then

strNewContents = strNewContents & "'" & strContents & ","

Else

strNewContents = strNewContents & strContents & ","

End If

Next

strNewContents = Left(strNewContents, Len(strNewContents) - 1) & vbNewLine

Next

' データをシートに貼り付け

Set objWorksheet = objWorkbook.Sheets("2月")

objWorksheet.Cells(1, 8).Value = strNewContents

' セルの値の置換

objWorksheet.Cells(123, 1).Value = Replace(objWorksheet.Cells(123, 1).Value, "F", "FH")

' Excelファイルを保存して閉じる

objWorkbook.Save

objWorkbook.Close

objExcel.Quit

' オブジェクト解放

Set objWorksheet = Nothing

Set objWorkbook = Nothing

Set objExcel = Nothing

Set objFSO = Nothing

Set objTextFile = Nothing

WScript.Echo "スクリプトの実行が完了しました。"

2023-08-24

「全エリートへの合図」:エフゲニー・プリゴージンの死

エフゲニー・プリゴージン飛行機が炎に包まれ映像世界中拡散されるなか、プーチン大統領は不気味なソ連戦没者慰霊碑に参列し、兵士たちの「祖国への献身」について語った。

モスクワから南へ数時間都市クルスクステージで、ロシア大統領は不気味な赤い光に包まれ交響楽団に挟まれた。彼は笑顔の揺らぎを抑えるのがやっとだった。

もしワグナーの準軍事的指導者が死亡したと宣告されれば、ちょうど2カ月前、ウクライナ戦争におけるロシア国防省対応に抗議するため、反乱を未遂に終わらせて以来、彼がマークされ続けてきた人物であることが確定することになる。

プリゴジンベラルーシアフリカで過ごした8週間は、その間に何度かロシアに戻り、クレムリンプーチンに会ったこともあったが、今では、ワグナー指導者クーデターの標的によって実行された手の込んだ復讐の単なる前奏曲だったようだ。

クライシスグループシニアロシアアナリスト、オレグ・イグナトフに言わせれば、『ゴッドファーザー』そのままの結末だった。

クレムリンの元高官はFT紙にこう語った:「彼らは間違いなく彼を揉み消すと思った。そしてそうなった。あのようなことは許されない。反逆罪への対応は不可逆的で迅速なものだと誰もが理解している。これはエリート全体へのシグナルだ」。

プーチンの支持者たちは、プリゴジンの死に詩的正義のようなものを感じるかもしれない。彼のワグネル部隊モスクワ進軍中にヘリコプター輸送機撃墜し、少なくとも13人のロシア軍人が死亡した。

「これは明らかに命令されたことだ。「結局のところ、空軍兵士を殺したのは彼の部下だった。剣によって生き、剣によって死ぬ。彼がなぜ世界中を旅していたのか、2ヶ月間はまったく不明だった。今、彼らは彼を清算し、すべてが理にかなっている」

プリゴージンの死は、ウクライナ侵攻と最近ロシア史の最も注目すべき章の一つへの激しい終結となるだろう。

プーチンシェフ」として知られる元クレムリンの仕出し屋であったプリゴージンは、国防省との長期にわたる対立が沸騰するまで、彼のワグネルグループロシアで最も強力な戦闘部隊ひとつに育て上げた。

最初の侵攻作戦が大失敗に終わった後、戦線を安定させるために招集されたプリゴージンは、代わりにプーチンお墨付きを得た事実上の並列治安部隊の長として頭角を現した。

彼は、戦争に参加するために釈放されたロシア囚人を中心に広大な軍隊を編成し、正規軍人員資源を奪い合い、正規軍将兵に対する辛辣コメントを定期的に発表した。

運命的な反乱以前から、プリゴージンの急成長が長続きしないことを危惧するプリゴージンの盟友はおり、ある盟友は2月に『フィナンシャル・タイムズ』紙に「イカロスのように終わる危険性がある」と警告していた。

当初、プーチンがプリゴージン破天荒な行動に寛容なのはロシア安全保障サービス対立する派閥牽制する試みの一環であるように見えた。カーネギーロシアユーラシアセンターシニアフェロー、タチアナ・スタノバヤは言う。「プーチンにとっては非常に不愉快な驚きであり、ショックですらある」と彼女は付け加えた。

7月クレムリンでプリゴージンと数十人のワグネル戦士会談した後、プーチンは、正規軍の指揮下でウクライナで戦い続けるという選択肢を、一流の傭兵たちに提示したと述べた。しかし、プリゴジンはその申し出を拒否し、移籍は実現しなかった。

このエピソードは、「プーチンは、彼らの戦場での英雄活躍地政学価値から、ワグナーの中核を維持したかった」ことを示している、とスタノバヤ氏は付け加えた:「しかし、プリゴジンプーチンにとって何らかの価値を保持していた形跡はない。会談ポイントは、プーチンがプリゴージンからワグナーを静かに引き離すことだったのだろう。」

プリゴージンジェット機ロシアベラルーシを横断し、遠くマリまで飛んでいくにつれ、モスクワエリート西側安全保障当局者も、プリゴージンの出番が間もなく終わるのではないかと疑い始めた。

2人目の元クレムリン高官は、元スパイセルゲイスクリパリ氏や反汚職活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏など、クレムリン反対派の毒殺に使用された神経剤について言及し、「彼らはノビチョクを使うだろうと思っていた」と語った。「彼らはメニューに何か新しいものを追加しました。」

プーチン大統領がワグナーに同情的であることで知られるセルゲイ・スロビキン最高司令官や、ウクライナ軍の失敗でロシア指導者非難した強硬派らを含む治安当局高官らの弾圧を開始した後、軍閥処罰からの明らかな逃れは特に違和感があるように見えた。

モスクワ社会経済学部政治哲学部長グリゴリー・ユディン氏は「反乱に関する内部調査完了した。スロビキン氏は昨日解任され、犯人たちは処刑された。」

ユディン氏はさらに、「調査し、判決を下し、執行するまでに2か月かかった。もし彼らがスロビキンが陰謀の一部である結論付けていたら、彼も飛行機に乗っていただろう。」

危機は迅速かつ効果的に対処された」と欧州政策分析センター上級研究員であり、ロシア安全保障サービスに関する数冊の本の共著者であるアンドレイ・ソルダトフ氏は語った。ソルダトフ氏は、プーチン大統領は最終的な復讐を実行する前に、時間をかけてプリゴジン氏の資産を処理し、強硬派懲罰したと述べた。

マキャベリの傑作に触れ、「あなたにとっては、これが21世紀君主です」と語った。

https://www.ft.com/content/92ec0654-b426-438b-b8e2-390ebfb91671

anond:20230823143134

面白そうだったのでオーケー版(都内

・税抜価格

オーケーPBはあまり無い

オーケーセールは無い(毎日特売が売りだが、競合の特売に合わせて下げることはある)

オーケー独自食料品3/103割引はここでは考慮していない(各食料品が約2%安くなる)

2021年6月よりオーケーを利用しています

調味料21年5-6月21年7-8月21年9-10月21年11-12月22年1-2月22年3-4月22年5-6月22年7-8月22年9-10月22年11-12月23年1-2月23年3-4月23年5-6月23年7-8月-
ヤマサ鮮度生活 醤油 600ml - 278円 278円 270円 270円 270円 284円 - - - 284円 - 287円 299円 -
味の素ピュアセレクトマヨネーズ400g - 153円 168円 - 168円 - - - 184円 - 214円 - 214円 - -
ヤマサ昆布つゆ3倍濃縮500ml 169円 169円 - - - 169円 169円 169円 169円 169円 169円 169円 169円 189円 -
ハウス特選生生姜チューブ40g - - 91円 94円 - 94円 - - - - 94円 - 94円 108円 -
ニコニコ瀬戸内海苔 3切45枚 - 399円 - - - 399円 - - 399円 - - - - 399円 23/9に480円くらいに値上げ予告あり
食品類(日配系). 21年5-6月21年7-8月21年9-10月21年11-12月22年1-2月22年3-4月22年5-6月22年7-8月22年9-10月22年11-12月23年1-2月23年3-4月23年5-6月23年7-8月-
日清冷やし中華3食 149円 - - - - 159円 153円 153円 - - - - 188円 178円 -
シマダヤ3食醤油/味噌ラーメン- - - - - - - - 158円 154円 158円 158円 172円 172円 -
シマダヤ3食焼きそば- - 90円 90円 90円 90円 90円. 90円 - - - - - 114円 -
菊水サッポロラーメン440g(麺のみ) 158円 148円 - - 153円 - - - - 163円 - - - 201円 -
カメ極小粒納豆 50g 3P60円- 60円60円60円58円 - - - 60円- - 70円 70円 途中で他メーカーにするもオカメに戻ってきた
ヤマザキ匠醇 食パン(OK専売?) 79円 79円 79円 79円 79円 81円 81円 87円 87円 87円 87円 87円 87円 - 237月より朝食パンはやめた
食品類(冷凍21年5-6月21年7-8月21年9-10月21年11-12月22年1-2月22年3-4月22年5-6月22年7-8月22年9-10月22年11-12月23年1-2月23年3-4月23年5-6月23年7-8月-
味の素洋食ハンバーグ(冷凍) - 170円 170円 170円 149円 149円 - 190円 190円 183円 183円 179円 222円 222円 美味しいので値上げでも買っちゃう
テーブルマーク讃岐うどん5P(冷凍) - 169円 169円 - - 169円 169円 189円 - 201円 198円 198円 198円 198円 美味しいので値上げでも買っちゃう
マ・マーソテーナポリタン(冷凍) - - - - - - 149円 159円 159円 - - 163円 163円 172円 美味しいので値上げでも買っちゃう
食品類(その他) 21年5-6月21年7-8月21年9-10月21年11-12月22年1-2月22年3-4月22年5-6月22年7-8月22年9-10月22年11-12月23年1-2月23年3-4月23年5-6月23年7-8月-
ハウスプロクオリティレトルトカレー4P- - - - - - - 348円 - - - 368円 - 410円 -
ニップンホットケーキミックス200g*3 - 167円 167円 - - 167円 167円 167円 167円 - - - - 194円 -
JOYL 芳醇ソフトマーガリン375g - - - 149円 159円 - 159円 - - 159円 185円 185円 185円 - -
ミックスたまご- 158円 158円 158円 112円 143円 163円 153円 173円 198円 233円 254円 254円 224円 -
マルサン調整豆乳1000ml - - 143円 - 143円 - - - - - - - - 149円 -
マルサン調整豆乳1000ml 6本 - - - 828円 - 828円 - 863円 863円 - 863円 - - - -
マルちゃん正麺 5P - 298円 298円 298円 298円 298円 307円 307円 - - - - - - -
明星チャルメラ 5P - - - 265円 - - - 306円 - 298円 298円 - - - -
マルちゃんごつ盛りソース焼きそば- - - - - - - - - - 100円 - 102円 112円 -
ニップン信州そば720g(乾麺蕎麦) - 278円 - - - 258円 307円 307円 - - - - - - -
日用品21年5-6月21年7-8月21年9-10月21年11-12月22年1-2月22年3-4月22年5-6月22年7-8月22年9-10月22年11-12月23年1-2月23年3-4月23年5-6月23年7-8月-
エリエールティッシュ 180W 5P - 285円 - 278円 285円 - - 328円 - 298円 - 397円 397円 397円 こんなに買ってたんだ…
乗り換えも含めて考慮必要
エルヴェールトイペ 12ロール - 328円 - - 348円 - - 348円 - - 398円 - - 415円 -
LUX シャンプー 詰め替え2.5回分 - - 448円 - 478円 - - - 478円 - - 638円 - 638円 別の店で500円台だったのを見つけた…
コンディショナーも含めると結構な差…
- - - - - - - - - - - - - - -

お菓子類は値上げと同時に買うのを止めたりなどで価格推移が見られなかったため省略

2023-08-23

2011年3月時点でのSNS利用状況について

お疲れ様です。

増田です。

 

mixi, Twitter, Facebook ニールセン調査によると

(PCを利用した)SNS使用数では

2010年4月に初めてTwittermixiを上回り、

その後、逆転されます2010年8月に抜き返してから利用者数では

常にTwittermixi使用者数で上回った状態が続いています

 

今回増田問題になっている2011年3月時点では

(PCを利用した)使用者数は

Twitter17,571千人

mixi:13,211千人

とかなりの差がついてしまっていますが、調査内容に

東日本大震災の影響で利用者が急増した」とあります

震災での様々なエピソードTwitterが大いに脚光を浴び

登録者数を大きく伸ばしたのは事実なようです。

 

ただし、(PCを利用した)視聴時間では

Twitter403百万分

mixi:1864百万分

mixiが圧倒的に「視られている」メディアだったのは間違いありません。

 

ただし、基本的文字画像ツイートする以外の機能がないTwitterに対して

mixiゲームプラットフォームとしての強い役割も持っていたことは特筆しておくべきでしょう。

 

使用者数ではTwitterを下回っていたmixiですが2011年2月調査時点では1割程度の差であり

mixiはとっくに廃れていて誰にも見られていなかった」

「当時は既にTwitterの圧倒的な天下だった」という事実はありません。

 

ちなみにLINEはこの時点では存在していません。

というか2011年2月時点では「写真共有サービス」として開発が行われており、

東日本大震災でのSNS活躍からメッセージングアプリ日本で求められている」と判断

今の形のLINEの開発が始められたという経緯があります

業務スーパー」の値上げ記録

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2210130に添えて

神奈川県内某店舗での買い物メモより

全て税抜き

セール価格除く

PB

品種品名19年4月19年12月204月209月21年3月21年8月22年2月22年3月22年5月22年6月22年7月22年8月22年10月232月233月234月235月237月
マーガリン400gなめらかママソフト148円-138円--148円----169円-178円-----
食パン1斤朝の輝き67円-----71円----77円-----82円
水2l甲州のおいしい水53円--------55円----62円---
素麺800gそうめん127円--139円------158円------185円
オレンジマーマレード770g(ブルガリア産)-278円-----------338円348円---
ゼリー250g果実いっぱいゼリー--78円------------88円--
カレールー200g業務カレー----118円-----------148円-
うどん180g-----19円--20-----23---25円
バタピーバタピーナッツ----160g88円-160g97円----------130g89円
麺つゆ1lゆの素3倍濃縮----147円----------168円--
おにぎりパリッコ-----55円-----------58円
乾燥わかめ/油揚げ/ねぎ35gうどんの具------108円-138円-----148円---

-19年4月19年8月19年10月19年11月19年12月21年1月21年4月ーー238月
ミックス10156139円159円162~4円168~172円159円188円--269円

メーカー

品名版元19年4月19年10月206月209月2012月21年4月21年11月22年5月22年9月22年12月232月233月234月235月238月
オーマイBIGシリーズ日本製粉-158円------168円-----190円
柿ピー6袋いこい114g78円-----108g78円-------
ポキッコ70ml6木村--91円----88円----99円--
おかめ極小粒納豆50g3パックタカノフーズ65円--------75円---68円
緑の小粒納豆45g3パックミリオングループ----39円----42円----49円
たれ/からし別小粒納豆45g3パックミリオングループ----------39円--47円-
フライパンアルミホイル25cm6m大和物産----75円------125円---

詳細メモなし(ざっくり4年の変化)

もやしだけはずっと200g19円

  • しろどうなっているのか
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