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はてなキーワード: 漢代とは

2022-01-22

anond:20220121104309

開封はもともとは啓封と書かれていたが、漢代に景帝(劉啓)を避諱して開封と書かれるようになった。

開封隋代大運河が建設された頃から急激に都市としての重要性を増す。

そして宋代には「東京開封府」と称され北宋首都として大繁栄を極めることとなる。

(その様子は孟元老著「東京夢華録」に詳しい。)

しかし、北宋が金に破れて南へと追いやられる(南宋)と大運河は南北に分断される形となり開封には南方物資が届かなくなるころから、その繁栄には陰りが見え始める。

さらにのちの元代になると大運河の流れが変更されたため、物流拠点ではなくなり開封経済的繁栄は終末を迎えることとなる。

2021-11-27

まさか現代避諱(ひき)に気を遣うことになるとはね

新型コロナ変異株がν(ニュー)、ξ(クサイ)をとばしてο(オミクロン)と命名された。

νを避けるのは分かる。「new」との混同を避けるためだ。

ξを避けたのは、ξは英語で「xi」と記され、習近平が「Xi Jinping」と記されるため、それを避けたとの話がある。

https://globe.asahi.com/article/14490168

まさか現代の世の中で、中国トップ名前は一部でも用いることができなくなるとは思わなかったなぁ

避諱

中国では古来、親や主君などの目上に当たる者の諱(本名)を呼ぶことは極めて無礼なことと考えられていた(実名敬避)。特に皇帝およびその祖先の諱については、時代によって厳しさは異なるが、あらゆる臣下がその諱を口にしたり書いたりすることを慎重に避けた。

ある王朝皇帝に関する避諱範囲はその時代のあらゆる言語表現に及び、例えば、避諱に触れる文字を含む人名地名があったときには適宜諱に当たらない名前に改められ、更にはその諱字に通う音の字を改めること(嫌名(けんめい))さえも行われた。

宰相意味する「相邦」が漢の劉邦の諱である「邦」の字を含むことから漢代以降は「相国」に改称された(これについては、漢より後の王朝も「相邦」に戻さなかった。)

楚漢戦争の説客、蒯通の諱は「徹」であったが、前漢武帝劉徹の諱を避けて「徹」と同義の「通」に差し替えられた(漢代以降も訂正されずに定着している)。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BF%E8%AB%B1

(抜粋)

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2018-08-17

高校の教科・科目の実用

高校 教科 で検索したら一番上にでてきたこれを見ながら与太話をしていきますhttp://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/gakkou/koukou/gakkodukuri/guide/nyugaku/0144.html

国語

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/068/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369033-6.pdf

国語総合

実用性があるということにについては当然なのだけど、もうちょっと日本語文法かについて講義したほうがいいんじゃないかとか思う。

国語表現

まったくよく知らんのでテキトウに検索して調べた。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/kokuhyou/

俺の時こんな教科なかったような、、、 なんか実用しか考えてない感じですね

現代文A、 現代文B

文学鑑賞。石原千秋が昔こういう教科は道徳教育であって右翼陰謀みたいなこと言ってて面白かった。右翼右翼で逆のことを言っているであろう。

古典A、古典B

古文漢文

どうも古文文学に寄りすぎだし、漢文漢代ぐらいのが多すぎだし実用性という観点ではどうなんでしょうか。武士祐筆が書いた行政文書とか、宋のころの漢文とかそういうもうちょっと現代社会に通じるような内容をある程度扱ってもいいんじゃないかとずっと思ってる。結局中学高校の授業時間程度じゃ何やるにせよ全然足りないのかもしれませんが。

地理歴史

世界史

外人と話をしたりするためには必須知識だろうと思う。中央アジア史や太平洋島嶼史とかが完全に無視されていて気に食わない。

日本史

これもサラリーマンとかやってる分には実用性十分でしょう。

地理

知らないと話にならない。

公民

現代社会

実用しか考えてないような教科

倫理

この教科の実用性云々というか日本思想というのがこの教科でせいぜい西田幾多郎和辻哲郎柳田国男ぐらいしか扱われないことを日本人はよくかんがえたほうがいいのだと思う。西洋思想に触れるまで高校生に教えるに値しない思想日本人は何一つ作り出すことが出来なかったということが明らかになっている。しかしいずれにせよ実際には日本人は日本思想によって生きているので、結果としてこの教科は実用性に欠けるものになっているのだと思います

政治・経済

実用しか考えてないような教科

数学

数学 I

https://www.benesse.jp/teikitest/kou/math/math1/

なんかどれもよく使うやつっぽい。サインコサインかいらんみたいなこと言う人にはゲーム作る時に丸かいたりするのによく使うよって一言いえばいいと思っている。

数学 II

https://www.benesse.jp/teikitest/kou/math/math2/

複素数とか何に使うんだよこんなもんとか思ってたらロボット遊びしはじめたらすぐ使うようになった。

数学 III

https://www.benesse.jp/teikitest/kou/math/math3/

これ III とかいって切り出す必要あるのか? 1 や 2 に混ぜとけばいいのでは、、、

数学A

https://www.benesse.jp/teikitest/kou/math/matha/

実用的っぽい。

数学B

https://www.benesse.jp/teikitest/kou/math/mathb

めっちゃ実用的っぽい

理科

飽きてきた。どの科目の知識も常に実用されとる。

保健体育

高校の体育の授業クソだったなあ。この辺教師との相性問題っぽい感じ。

英語

実用的。

家庭科

実用的。

情報

実用的だけど授業時間足りてない感じはしますね。






実用的じゃない知識高校ではほとんど扱われてなさそうと思った。

2018-01-06

古文漢文教育必要なのだが現状全く足りていない

古文漢文が読めなければ日本の歴史文化自分で把握することが出来ず、これは大きな問題となる。しかし今の日本古文教育では「日本の古い文学」「漢代のころの中国文学」「唐のころの歌の歌詞しか教えていない。これでは日本の文化理解する多少の助けぐらいにはなるかもしれないが、日本の歴史理解することは全く無理な話だろう。

せっかく古文漢文教育をしているのだから室町時代行政文書だとか、江戸時代一揆訴状であるとか、そういうものの読解というのを高校教育ぐらいで導入する必要があるんじゃないの。こういうことまでちゃんとやらないならやるだけ無駄でしょあんなもん。これは真面目にそう思っています

2017-06-29

大器晩成意味

増田で『老子』もしくは『魏書』を引いている投稿があったので、久しぶりに『老子』の原文に触れた。

大器晩成」っていつも疑問で、漢代以降の「大人物(あるいは大事業)は時間をかけて完成するのだ」的な解釈でもいいんだけどさ。

最近、古い文字資料が出てきて「大器免成」と書かれてて、「大器」は成立することを免れる、だから成立しないのだ、なんて逆の解釈することもある。

この新解釈は耳目を引きがちだが、それゆえに、取ってつけたような印象を受ける。

老子の原文、「大器晩成」がある辺りはおんなじような文構成になっている。

明道若昧。進道若退。夷道若纇。上徳若谷。大白若辱。廣徳若不足。建徳若偸。質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形


明るい道は暗きがごとし。

道を進んでいるようで退いている。

高い徳は谷のように深く。

大いに白いものは辱(よご)れているように見え、

広い徳は、足りていないように見え、

剛健な徳は、愉しんでいるように(怠けているように)見え

質実は渝(うつろからっぽ)のように見える。

大きな四角には隅がない。

大きな器は晩成する。

大きな音は、その音が聴こえない。

大きなカタチは姿が見えない。

この辺りの文章は、ものすごく良いモノや大きいモノは、それゆえに逆のようにも見える(あるいはそのように見えない)、という文脈だ。

特に大器晩成のあるところは、

A大きすぎる四角は、それゆえに四角く見えず隅がない。

B大きすぎる音はそれゆえに聴こえない。

C大きすぎる物はそれゆえに見ることができない。

という流れ。

これを踏まえると、「大きすぎる器は、それゆえに完成しているように見えない」とするのが妥当なのではないだろうか。

から「晩成」でも「免成」でも良いような気がするんだ。

出来あがるのにめちゃくちゃ時間がかかる⇔いつまでたっても完成しない って、意味が通ずるよね。

ここでむしろ重要なのは、出来あがるのに時間がかかるorいつまで経っても出来ない……ように見える! じつは大器! ってところなんじゃないだろうか。

大きな器は、大き過ぎるあまり、出来あがっていないように見えるのだ。そう考えるのが文脈的ではないだろうか。

これを踏まえて現代的に譬えると「器のでかいやつは、器がでかすぎるあまり凡人にはなにやっているか伝わりにくい。あるいは、アホみたいな振る舞いに見える」とでもなるだろうか。

「晩成」か「免成」か、の議論だと大きな器が成立するかしないか、すなわち大人物は成功するかしないか議論が向きがちだ。

しかし原文の文脈に照らすと、大器は一見すると器として成っていないように見える。

(徳のある、あるいは「道」に沿う)大人物は一見してそのように見えない、とも読み得るのではないかというのが本増田のいいたいところだ。

 
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