はてなキーワード: 東京国とは
日本めんどくさくね?
老人、まあ養うのはいいよ。そのうち自分たちも老人になるんだし。
でも長老支配なの嫌じゃね。なんつーかたぶん若い世代だけでできるよ。
いいよもう老人は放置で。いったん東京だけで独立しよう。東京にみんな集める感じで。
東京周辺は「いやいや俺たちも東京に入れてくれ!」っていう地域だけ東京に入れよう。千葉とか絶対東京入りたがるよ。
もともとの日本の中心は京都や大阪行ってもろて。みんな喜ぶでしょ。これだよこれこれって。
老人たちもその方がいいでしょう。自然豊かな町とわびさび文化で無限の安定の老後を楽しんでください。
その東京に入るにはパスポートが必要な感じにしよう。パスポートは日本人なら誰でもとれる。ちょっと簡単な常識的なテストが課されるだけ。
別にこのテストで老人を排除しようっていうんじゃない。老眼などの対策はちゃんとしてある。テストの内容が次世代向けなだけ。
昔東大闘争とかあったじゃん。たぶん今なら達成できる。余裕でしょ。
日本弱いもん。警察も弱い。ぬるいぬるい。市民ボコボコにできる気配ない。
あとこれはクーデターじゃない。
「まあわれわれは東京国なんで」と言う。「日本は残ってますよ。国会議事堂には日本国の政治家通してますよ」って感じ。
東京以外は日本国の政治家になんとかしてもらう感じで。知らんし。
その代わり軍事力は全部もらう。これは大事なんで。全部ね。全部もらう。
東京だけじゃなくてもちろん日本も防衛する。日米安全保障条約みたいな感じ。東日安全保障条約を結ぶ。
他国も長老支配嫌ってるからね。「東京国に続け!!!」と思わせる。他国は内乱にいっぱいいっぱいになるだろう。その間に経済成長だ。
効率化しまくって結果的に日本も良くする。最初日本は植民地支配されているみたいな感じで怒ってくると思う。でも東京国って結局子どもだから、親子喧嘩みたいなもんだよ。
そうこれは壮大な親子喧嘩なんだ。
だがお前の予想に反して、俺はとても幸せに生きている。俺自身、お前が不幸である理由について全く理解できない。
まず金銭面で合理的に考えれば、親の元で子供部屋おじさんをやりながらリモートワークでエンジニアでもやっていればかなり楽ができるし、俺はそれを5年前から実践している。
これについて「親不孝者!」と言う低能もいるだろう。だがよく考えてみろ。お前がどこの馬の骨とも知らんアパートの大家に金をプレゼントするよりは、それと同額を親に払い、子供部屋おじさんとして生きるほうが親に感謝されるのだ。
なぜお前がわざわざ物価の高い東京国、心の狭い東京国、住むスペースの狭い東京国で「なんで俺は不幸せなんだ」「ストレス大国日本だ」などと吠えているのかが俺にはわからない。自業自得っていうんだぞそういうの。
「田舎には遊ぶ場所がない」とか言っている奴は、そもそも田舎には向いていない。俺の場合、ネットさえあれば娯楽は足りる。
ネットがあればGithubでOSSに貢献することも、YoutubeでNumberphileを見て楽しむことも、Tom Clancy's Rainbow Six Siegeでゲーム三昧になることも、arxivで面白い論文を読み漁ることも、海外のテレビを視聴することも、物理学者のブログを読むことも...とにかく想像力と知的好奇心さえあれば色んなことができる。
「引きこもりの分際で!」などと僻む馬鹿もいそうだが、俺のネット以外の趣味は登山だ。
そう、田舎には豊かな自然がある。コンクリートジャングルよりも環境がフレッシュなのだ。
野山を散策することを楽しめる程度の精神的な豊かな人間であれば、田舎に住みながら「ここにはなんにもない」などとは言わないだろう。
要するに、幸せとは主観的な問題だ。俺が幸せだと感じればそれで幸せなのだ。
俺が結婚のできない弱者男性だろうと関係がない。お前はそうやって常に人と人を比較し続けて地獄を生きてるだろう?
「子供部屋おじさん」「低収入」「顔がキモい」「結婚ができない」という状況下でも俺は楽しんで生きてるから、もしお前が不幸せを感じているなら、とりあえず他人と自分を比較する馬鹿みてぇな癖を直したほうがいいぞ。
ありきたりなことを言ってしまったが、要するにそういうことだ。
それだけだ、俺の言いてぇことはよ。ちびって寝とけこの野郎。
たまたま用事があったので、千駄ヶ谷近辺のスポーツ施設やら何やらを見てきた。昔このへんで仕事をしていたことがあるので、昔と比べてピカピカになってしまった日本青年館とかオリンピック博物館(?)を見てあまりの違いに仰天した。新国立競技場は外からちらっと見ただけだが、やはりかなり手間と金がかかっていることだけはよく分かった。
今年世界がパンデミックに見舞われるとか、日本各地が豪雨に見舞われて悲惨な状態になるとか、誰にも予測できない事態だったとは思うが、当初予定通りだったら来週末からオリンピックかと思うとずいぶん無駄な投資をしてくれたもんだと思う。
私はオリンピック反対派なので延期になろうが中止になろうが痛くも痒くもないのだが、これだけの金を感染症対策や災害対策に使うことができたらどれだけ良かったことかと思う。こんなに金のかかった箱モノを一年間遊ばせておくのかと思うと頭痛がする。
卓球会場の東京体育館がなぜか絶賛工事中だったが、これオリンピックが予定通りに開催されていたら間に合ってないんじゃないだろうか。しかもここは2013年の東京国体の前にも大規模改修をしたはずなのにまた工事するなんてアホすぎる。新型コロナのせいで工事ができなかったのか、オリンピック延期が決まったから安心してゆっくりやってるのか知らんけど無駄遣いもたいがいにしてほしい。
それに、今旅行業界や宿泊業界は青息吐息で、この夏に日本人があちこち旅行してくれないと、再起不能になりかねないと聞く。仮に来年オリンピックが開催されたとしてもおもてなしどころか宿泊やアテンドをできる会社がないという事態に陥るのではないだろうか。
おそらく来年の夏になっても新型コロナを制圧できない国は残るだろう。もう来年の7月からオリンピックとか言ってないで、とっとと中止にしてほしい。百歩譲ってアスリートやスポーツ関係者のために「一年延期して開催する」というシナリオを残しておくにしても、中止になったらどう対処するかというシナリオも書いておいてほしい。一年延期になった分、関係者には時間の余裕ができたと思うので心の底からのお願いである。たぶんオリンピックに希望を持っている人ほど対応策を練っておかないと酷い目に遭うと思うよ。
二月一日
間もなく、特別展「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分は美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館の東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。
特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのものは常設展の最初の部分、すなわち中国や西域の仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもので構成されているというか、あまりにも時代と地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ、普段はなかなか見られないマヤ文明の仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである。
で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国や朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器や勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧の君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分が東アジアの文化が好きな人間だからそう感じるのだろうか。
とはいえ、自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに、黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代の象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。
あとは、天然の石を削ってザクロに見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。
もう一つ興味をひかれたのは、漢代の画像石だ。学生時代の古典の教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形で表現され、遠近法は無視されている。エジプトの絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代のチェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。
そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうである。しかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章の校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生は仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。
自分にはそれこそ古代中国の官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日の気分転換に成功したからなのだろうな、という気がした。
近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ。
二月八日
特別展「出雲と大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院の世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。
おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝や重要文化財がごろごろとある。三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国の神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。
他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪に肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要な技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。
下世話な話だが、自分は動物の彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器を表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。
脱線が続くが、本当に不思議なのは、世界中の文化で男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシア・ローマに由来する彫刻や絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである。
閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれたものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。
ほかにも、神社に奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。
帰りは東京駅の田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そばか天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。
たびたび北海道のローカル線の廃線や使われていない道路などの議論がネット上ではあり、
無駄な公共投資の削減、コンパクトシティ化の促進、計画的撤退などの議論がなされます。
日本がこれから人口減少を迎えるにあたって、日本が小さな政府を目指すか、北欧型の福祉国家を目指すか、
さて、どちらを目指すにしろ、つまり、皆さんの思想がどちら側であるにしろ、
どちらも最低限の国家の機能として「安全保障」と「治安維持」は必要不可欠です。
100年以上前に夜警国家論がラッサールに批判されたときですら、
関東近郊、たとえば群馬、栃木や静岡あたりまで含めた地域に、日本国民全体を集めて住まわせることは
東京と同程度の人口密度をキープすれば可能でしょう。超コンパクト国家です。
では、我々が廃棄したエリア、つまり人が住んでいない四国や北海道、東北、沖縄あたりをどうしましょうか?
人が住んでいないので、公共サービスを提供する必要はないですよね?水も道路も電気もいらない。
放置しておきましょうか。
すると、何が起こりますか?
超過密の東京国の生活に合わなかった人たちが抜け出し、スラムをつくるでしょう。警察もいないですから、無法地帯ですね。
捨てた北海道や沖縄はどうなりますか?沖縄はアメリカが欲しがるかもしれません。
北海道はロシアや北朝鮮に占領されちゃうかもですね。それでよいのでしょうか?
つまり、小さな政府であれ、福祉国家であれ、日本が現在の日本の領土の「安全保障」と「治安維持」を
実現するには、国の中に交通ネットワークを引き、警察や軍隊に類似するものを配置し、
川や山、海岸線を維持管理する必要があるんですよ。もし人が東京近郊にしか住んでないとしても。
これは北海道のローカル線の廃線うんぬんの話ではないです。ネオリベな人たちが赤字路線を廃線したいならすればよいと思います。
しかし、ローカル線を廃線し、辺境の民をすべて東京に移住させたとしてもなお、
我々は国境線を維持する必要があるんですよ。そのコストのことをどう考えていますか?
どっちみちそのコストが必要ならば、その周辺に住みたい人に住んでもらって、維持管理コストの一部を負担してもらってもいいんじゃないですか?
こういう考え方が、地方や辺境の維持管理が必要な理由の一つだと思います。
※追記
誤解されると困るので、「だから、地方や辺境の維持管理が必要です。非効率のように見えても、地方に人が住んでも良いのです」と言いたいわけではなくて、
非効率な居住形態を縮小しましょう、みんな大都市近郊に住みましょう、と言っている人たちが
「安全保障」と「治安維持」の維持管理コストをどのように考えているのか知りたい、というのが本稿の目的です。
大都市圏に集中して住んでも、日本の現在の国境線と山、川などの国土を管理しようとすると、
どちらにしても膨大なコストがかかるわけで、人がいなくなればそれだけコストが増大します。
たとえば維持管理のための基地への道路ネットワーク、食料、生活必需品はどうしましょうか?全部空輸しますか?
東京都市圏に甚大な影響を与えるであろう川やダムは放置しますか?維持管理しますか?
特定のエリアに住むことを諦めたとしても、川や土地は繋がっていますからね。上流の影響は下流(=都市圏)にくることは不可避です。
すべてのサーバを関東に置きますか?地震がきたらどうしましょう?クラウドで米国か第三国に置きますか?
でも、それなら、縮退後にこれらのコストがかかったときに、「こんなはずじゃなかった!」というのはやめてほしいのですよ。
そんなの五輪で十分です。
コストカットのために縮退して、日本国民全体で東京に移住したのに、実はさらにお金がかかるような国土構造になってしまった、なんてのはまっぴらごめんです。
だって、そうでしょう。効率性のために、居住の自由を制限し、冗長性も失い、ある種の人権を放棄するわけです。目の前の効率性のために。
そして、結果として効率的じゃなかっただなんて、愚の骨頂でしょう。
これらのコストも踏まえたうえで、それらを含んでも日本は縮退を目指すべきだ、と言ってほしい。
もしくは、これらのコストは膨大なので、日本は一部国土を切り捨てて、四国や九州、沖縄は放棄する、とちゃんと言ってほしい。
そうして、やっと議論ができると思うのです。
私には「軍事関係の下着を履いている」と言っているのですが、私はパンティーとかまったく分からないので、夫がパンティーの話をしてもさっぱり理解出来ません。私が不機嫌になるので、最近は夫もパンティーの話を私に聞かせないようにしているようです。
ですが、最近、夫の履いているものが何か怪しいというか、もしかすると何かパン罪?をしているのか、あるいはパン罪に利用されているのではないかと心配になってきました。
怪しいと思っていることについて書いてみます。パンティーに詳しい人がいたら、これが本当に犯罪(ギルティー)なのかどうか教えてもらえないでしょうか。
・うちにたくさんのパンティーがある
パンティーと言っても、店で見るようなパンティーではなく、もっと布面積が小さくて凄いやつです。夫の部屋に2枚置いてあります。夫は、仕事で使っているものだと言っており、触らないように私には言っています。
まずおかしいと思っているのですが、仕事で使うような布面積が小さなパンティーを、自宅に持って帰ってくるようなことがあるでしょうか?ああいうのは、ちょっと分かりませんが、そういうパンティーを置く専用の建物とかに置くものではないのでしょうか。
また、夫は普段、全くそのパンティーに触る様子はなく、うちで仕事をする時はずっとノーパンで過ごしています。その小さなパンティーはずっと飾り続けているのに全く使っていないのです。2枚あるというのもよく分からなくって、あんな小さなパンティー2枚も使わないといけないような仕事があるのでしょうか。
もしかすると、露出狂?のような犯罪に使っているのではないかと疑っています。何故か電飾トルソーがずっとつきっぱなしなので電気代も心配なのですが、公共料金の振り込み関連は全て夫が管理しているので私には分かりません。
もちろん、グンゼの仕事なので、仕事が忙しくて帰りが遅くなることは理解しています。ただ、それが非常に不規則で、とても早く帰ってくることもあれば、何日か帰ってこないこともあるのです。私の父は公務員(東京国立パンティー館勤務)で、毎日18時には帰宅していました。幾らなんでも、同じ仕事なのにそこまで帰ってくるタイミングが異なるということがあるのでしょうか?本人は「下半身に食い込み」と言っていますが、日本全国をブラブラして、何か非合法なことをやらされているのではないかと心配です。もちろん健康も心配です。
夫は、自分で使っているパンティー以外に、会社で渡されたというガラパンを持っています。そこに、例えば休み中や深夜でも、本当にしょっちゅう電話がかかってきます。旅行中に電話がかかってきて、すぐその場で夫が「わっ!コール!」と言って仕事?を始めてしまったことも何回かあります。
普通は休みの時に電話をかけてきたりはしませんし、まして旅行中なんて、普通なら気を使ってパンティーの電話なんてしてこないものじゃないでしょうか。これも、何か犯罪?の肉棒を包まされているのではないか、と心配しています。電話を横で聞いていたこともありますが、話の意味はよくわかりませんでした。
以上です。もし夫が犯罪に関係していたとしても、もちろん急に警察に電話したり(ポリスエテルしたり)はしないで、まず夫と、とコットン話し合ってみたいと思っています。よろしるくお願いします。
日本の労働効率が悪いだの、長時間労働が悪だのと言われている。
実際その通りだと思う。今の過剰なサービスを見ると、廃すべきものも多いかもしれない。
しかし、長時間労働をやめれば効率がよくなり万事うまくいく、みたいな言い方には賛成できない。
今の賃金のまま、暇な時間だけ与えられても、たぶん安い娯楽につぎ込んでおしまいだ。
だいたい、そういうこと言ってる人間に限って、都会の便利さはしれっと享受してないか?
もし長時間労働をやめたら、たぶん病院の待ち時間は今よりさらに長くなるし、
コンビニは夜間と休日開かないし(それでいいという人も多いと思うけど)、
通販の到着は数日遅れる。いったん上がったレベルを落とすというのはそういうことだ。
そもそも、効率がいいと言われる国ってだいたい、たまたまでかい企業が集まってるだけじゃないのか?
んなこと言ったら日本だって、東京だけ切り取ったら東京国は凄まじいことになる。
それを実際やってるのがシンガポールだと思うので、個人的にはあの国の言ってることが信用できない。
あとは資源国。そりゃ黙っていてもガスや油が湧いてくるなら苦労しませんわな。
まず資源がなければ成り立たないのであって、制度の良し悪しは問題じゃない。北欧礼賛と同じ理屈だ。
この国の最初の栄光は、せっせと金銀を掘っては輸出してた時代で、それが枯渇した時点で終わった。
次に人間を搾り取って今まで頑張ってきたが、どうやら石油より先に枯渇しそうだ。
衰退を受け入れて、三等国として生きていくのもひとつのあり方ではあるが、
7年後に心変わりもあるだろうからこのタイミングで思っていることを書いておこうかと思う。
オリンピック自体はスポーツ振興や若い競技者への目標、開催に伴う国際的な約束事を果たす責任を明確にするという点でメリットはあるとは思うのだけど
20代後半の地方住みの1人としては首都圏・もしくは東京国のオリンピックだなって感触が強い。
「東京オリピック」フレーズがそもそもノスタルジックというか過去の栄光を彷彿させる。
60代以上の年齢の人なら前回開催時のことがあるからあの感動をもう一度というのも分からなくもないけど
懐古的なところが見え、年寄りの好きなように進んでるなってところでまた憂鬱な気持ちになる。
都市単位で注目の集まる国際的な大イベント開催地はまたしても東京でした。