はてなキーワード: 山岳信仰とは
料金 無料
資料の量がかなり多く、更に県指定重要文化財などの貴重な資料が多い
求菩提山は山丸ごと山岳信仰の遺跡群が保存されてる素晴らしい山である
そして無料なのがとんでもない
料金 200円
標本が多く、展示がとても見やすい
小規模ミュージアムにかかわらず幅広い展示、生体展示も至る所にあり、2時間くらいじっくり時間をかけて鑑賞したい施設
好きな人にとってはたまらないような作成キットやマニアックなワークショップがあるのが良い
200円は破格
料金 200円
この時代の収蔵物がとても多いため、よくある郷土資料館というよりもこの時代に特化したものという感じになっている
料金 600円
みんな大好きいのちのたび博物館
有名すぎるので外そうかなと思ったが夏休みのキッズにオススメなので入れた
恐竜の骨や生き物の標本がダイナミックに展示されており男の子は大喜びではないだろうか
後、隣がイオンモールとアウトレットになっており興味がないお父さんお母さんのどっちかはお買い物が楽しめることもある意味高ポイントかもしれない
ぜひここでは隣のタカミヤ環境ミュージアムにも足を伸ばして欲しい
北九州市が苦しんできた公害克服の歴史と技術などわかりやすく説明されている
増田が博物館とかに行くようになったのは夏休みの自由研究がきっかけ
原始神道では、神が宿る対象は特定の巨木や山などに限られていたのは増田の言う通り。
しかし平安時代初期(8世紀~)から中世にかけて神仏習合が進むにつれて、森羅万象に神が宿るという思想に変わっていった。
特にこの時代の神道は密教の山岳信仰と密接に結びついていて、山中のあらゆるものに神が宿ると考えられるという思想が、現在まで続く概念の起源となる。
その後は伊勢神道(9世紀~)が「森羅万象に神は宿る」という思想を広め、
江戸時代の吉川神道の開祖である吉川惟足(1616~1695)が明確に「神は幽玄にして森羅万象に充満し、一草一木もこれ神ならずということなし」と表明した。
山岳信仰とか巨岩・巨木信仰なんかの自然崇拝はあっても、別にすべての石ころを崇めてるわけじゃないし。
自然現象を擬人化した神とか、自然現象を司っている神みたいなのはいても、人間が作ったもの一つ一つに神が宿るなんて聞かんでしょ。
付喪神?
あれは「長年使った道具に宿る妖怪」じゃん。
祟られないようにちゃんと供養しようという話であって、道具を大事にしろということではない。
しかも付喪神って近世以降はかなりのマイナー概念になってたらしいし。
日本人の心にずっと根ざしてきた大切な教え…みたいなものでは全然ないよな。
他にはなんだ、お米に七人の神様が宿ってるとか?
あれってめちゃくちゃ新しい概念でしょ。
何の神なのかも曖昧だし、少なくとも明確に出典があるような話じゃないよ。
税金を使って見る人が少ない芸術に補助金を出す意味がさっぱり分からない。
その意味が分かる人が、見ることによって収益をあげれば良い話で、税金を使う意義は全くないと思う。儲からないから、補助金が必要という意見もあるが、補助金なしで経営がなりたないということは、運営者側の努力が足りないか、そもそも今の時代に必要のないものなのではないだろうか。何でも補助金というのが根本的に間違っている。補助金は麻薬に近いと思っている。補助金で生き続けていくと、補助金なしの生活をするのが困難になってしまう。大衆芸能なら大衆が支えるものである。
伝統があるからとかは関係ないと思う。宿場町だってなくなった、山岳信仰だってなくなった。旧道だってなくなった。武士だっていなくなった。時代と共に必要とされるものは変わる。昔なら文楽を見た休日の使い方は、今は昔と比べられないほど選択肢が存在する。
文楽は見に行ったことはないが、美術館はかなり頻繁に訪れている。僕は受益者負担が原則だと思っているので、市民や国民の税金が使われて自分自身が絵を見て楽しめることに戸惑いを少しは感じている。(民間の美術館は除く)。美術館の帰りに、ホームレスを見たり、バリアフリーがされていない駅前を歩く足腰の悪い人を見ると、美術館を閉鎖してこちらにお金を使って欲しいと強く思う。別に芸術がなくても、死ぬことはないが(補助金で生活している人は困るが、そんなのはどうでもいい)、最低限のセーフティネットが削減されて死ぬ人はいると思う。使えないほどの税金があれば別だが、どこの自治体もそんな余裕はないはずである。
芸術にお金を出すか出さないかという二択ではなく、税金の使い方として果たして一番納税者に意味があるものかということを考えて欲しい。全てを選ぶことはできない。何かに税金を使うと、何かに税金を使うことはできない。
宗教学者の直江廣治や上田正昭の本に載ってるし宗教民俗学って著名な地方本にも書いてるけど
元来日本の神道は女性中心社会から出来てる。その中で処女は女性の中で最も美しい乙女とされてて、
例えば住吉さんは海神の使者として乙女=処女が選ばれて豊穣を願う祭を開催してる。
山口花祭りも同じく処女が神聖化されてる。大神大社では女性の蛇の神様を祀ってる(太陽信仰も実施)。
ちなみに東北山岳信仰においては男性が神格化されてる。中部では男根祭といって男の性器を祀るなど男性中心の社会が形成されてたりする。
でもこれらは全部仏教伝来後に広まった風習で昔からあったわけじゃない。
アニミズム自体に呪術的とか生殖器崇拝とかはないよ。弥生期のそれは朝鮮宗教が根付いてるからだよ。少なくともシャマニズムが誕生する以前をアニミズムなんて言う。アニミズムが根付いてる神社で有名なのは奈良の大神神社。
てか勉強不足どころかアニミズムの意味を理解してないよね。ググるなり何なりした方が賢明だよ。
以下は全く別問題なので切り離して考えよう。
>疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。
東北地方の神道は基本的に女性が豊穣祈願の役割を担ってる。東北の代表的な山岳信仰の一つである出羽三山は恐山などとは異なり乙女に田植えをさせる風習があるけどね。神様も女性に喩えられてるし。大阪では、住吉信仰(海神信仰とすべきか)が有名かな。
一方、東北は女人禁制の信仰が多く残ってるけど、女人禁制そのものは神道でなく仏道だから、基本的に男根祭も仏道になる。神道論といいながらも実際は仏道だったりするのが神仏習合の結果なんだろうね。ちなみに弥生時代までは女尊男卑が通例だったけど、仏教伝来から男尊女卑になったのは皆知ってるよね。
愛知は有名な仏教都市。三大稲荷のひとつである愛知の豊川稲荷がその例。曹洞宗ね。
結論からいうと、弥生期までは女性が豊穣祈願の担い手だったけど仏教伝来以降は男性主義になったってこと。女には穢れがあるなんて発言したのは時の権力者の都合の良い方便だったと解釈するのが無難かもね。実際は女性に穢れはないって思想観念こそがわが国固有の神道なんだよ。