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2021-01-16

銀座に志かわ」が気に入らない

高級食パン店の「銀座に志かわ」が気に入らない。気に入らないのは食パンやお店のサービスなどではない。店名の表記だ。なぜ「志」だけ漢字なのか。

ひらがなについて

日本語にはひらがなカタカナ漢字の3種類の文字がある。

このうち、現代ふつうに使われるひらがなには「あ~ん」の46字とそれらに濁点/半濁点をつけたもの、促音や拗音を表す小文字がある。

現代仮名遣いではあまり使われないが、ワ行の「ゐ」「ゑ」ひらがなとして認知されているだろう。

現代ふつうに使われるひらがな」などと持って回った言い方をするのには理由がある。「変体仮名」という種類のひらがながあるからだ。

変体仮名とはなにか

実は明治時代以前にはひらがなは約50字+それらのバリエーションなんてものではなく、とてもたくさん種類があった。

ひらがな漢字を崩したものからできたということは国語の授業で教わった記憶があるかもしれない。

現在使われる「あ」は「安」を、「い」は「以」を崩してできている。

明治時代以前には「ア」のバリエーションとして「安」を崩したものの他に「愛」や「阿」などを崩したものも使われていた。

「こんなにたくさんひらがなの種類があると学校で教えるのが大変だし、ひらがなの種類をたくさん教えるよりはもっと他のことを教えるべきだ」ということで、1900年小学校令という法令施行規則改正し、ひらがな現在の1音1字に整理した。

これ以降、学校教育ではひらがな現在の約50字+αに制限され、整理されてしまったその他大勢ひらがなたちはだんだんと忘れられていってしまった。

整理されてしまったその他大勢が「変体仮名である

そば屋のれんで「生そば」とよくわからない筆文字で書いてあるなと思ったことがあるかもしれない。これは「そ」と「ば」がそれぞれ変体仮名で書かれている。

現行の「そ」は「曽」を、「は」は「波」を崩したものだが、よく見かけるそば屋のれんは「楚」を崩した「ソ」と「者」を崩した「ハ」を使っている。

「者」を崩したというのはやや分かりにくい気もするが、「楚」を崩したというのは「言われてみれば『楚』かな」というくらいに原形をとどめていると思う。

銀座に志かわ」について

長々と講釈を垂れてきたが、いよいよ「銀座に志かわ」の話に入る。

ここまでの説明でうすうす気がついたかもしれないが、「銀座に志かわ」の「志」は漢字の「志」ではなく、変体仮名の「シ」だと思うのだ。

現行の「し」は「之」を崩したものだが、変体仮名の「シ」には「志」を崩したものも含めてやはりバリエーションがある。

そば屋のれん文字に起こすとしても「生そば」とは書いても「生楚者゛」とか「生楚ば」とはしないだろう。

「楚」も「者」も特に意味があるわけではなく、単に音を表している記号からだ。

漢字は一字一字に意味がある表意文字だが、ひらがなは単に音を表す表音文字だ。

要は「銀座に志かわ」には「銀座しかわ」と表記してほしいのだ。

銀座に志かわ」の店名の由来は社長名前が髙橋仁志(ひとし)で、名前の「仁志」を「にし」と読ませて、水にこだわっているから「川」をひらがなでつけた、ということらしい。

https://www.ginza-nishikawa.co.jp/company

そしたらせめて「銀座仁志かわ」にしてほしかった。ちなみにひらがなの「に」は「仁」を崩したものだ。

店名のロゴデザイナー書道家に依頼したら、上の由来を含めて「シ」を「志」の変体仮名で書いてきたけど、志の崩し方が漢字の原形をとどめているので「ふーん、志だけ漢字にしたんだ」という感じで「銀座に志かわ」の表記になったのではないか

パン屋としての「志」を込めて、というよりは近代国語教育の敗北のような気がするのだ。

余談だが、同じ高級食パン店に「乃が美」という店もある。こちらも「変体仮名を知らずに漢字にしたのか」と気に入らなかったのだが(「の」は「乃」を、「み」は「美」を崩したひらがなだが、「乃が美」のロゴ漢字の原形をとどめた崩し方になっている)

「乃」~それは、「すなわち、まさしく」という意味

「美」~それは、「姿、色が美しい、感動、美味い」という意味

すなわち、日本一美味い食パンをお届けする。

まさしく、食パンを通して日本一の感動をお届けする。

その揺るぎない信念を、『乃が美』の社名に込めております

という由来があるらしい。

https://nogaminopan.com/about/

こちらには「乃」と「美」を漢字表記する意味があるのかもしれないと思って納得した。

ちなみに乃が美は2013年銀座に志かわは2018年創業だ。

変体仮名はその経緯もあって、いわゆる老舗の屋号によく見られる。

高級食パン店が変体仮名(と思われる)表記を使いがちなのは、なんとなく高級感を演出する道具として変体仮名の筆文字を使っているからなんじゃないかと思っている。

終わりに

日本語表記には寛容でありたいと常々思っているのだが、どうも変体仮名中途半端漢字で書くのは気持ちが悪いと思ってしまう。

銀座に志かわ」そのものが嫌いということではまったくないし、おいしいパンをどんどん売ってほしいと思っている。

こんな釣りみたいなタイトル記事にして申し訳ない気持ちもあるが、ずっとむずむずしていたのだ。許してほしい。

おまけ

変体仮名については国立国語研究所YouTubeがわかりやす解説動画を公開している。3年前の動画なので、パソコンでの文字入力についての内容はやや古くて、現在はもう少し話が進んでいる。

https://youtu.be/wT1JNX5fUEM

独立行政法人情報処理推進機構国立国語研究所パソコン変体仮名入力するために整備した事業の成果も公開されていて、変体仮名の一覧が見られたり検索できたりする。

https://cid.ninjal.ac.jp/kana/home

学者向けの変体仮名学習アプリもここ数年でいくつか登場した。早稲田大学カリフォルニア大学ロサンゼルス校が開発したものhttps://www.waseda.jp/top/news/34162)は洗練されていてかっこいいし、大阪大学が中心になって開発したものhttps://kula.honkoku.org)は練習問題など機能が充実している。

変体仮名に慣れるとお店の看板だけでなく、美術館博物館の展示などでも読める範囲が広がる。某大佐ではないが「読める!読めるぞ!!」となるのはとても楽しいので気が向いた方はぜひ挑戦してみてください。

2020-11-20

夫婦別姓からどんどん選択肢を増やしていこう

夫婦別姓選択肢を増やすだけで別姓にする選択肢を選ばない人には無害だとする論がある。選択肢は多ければ多いほど良いのだと。現在ある制約を緩くして選択肢を増やしていく思考実験をしてみよう。

夫婦は姓を夫妻どちらかから選ばなければならない

これにチャレンジするのが現行の夫婦別姓案。

夫婦の姓は別姓としても元のものから選ばなければならない

選択夫婦別姓が達成された世界であっても田中さん鈴木さんが結婚した時には田中さん田中さん鈴木さんは鈴木さんに留まるだけであり新たな姓を作ることはできない。新たな姓を作ることができる世界だとどうなるだろう。田中さん鈴木さんが結婚して同じ超合金という姓を名乗ることも、田中さん鈴木さんがそれぞれ超合金さんと木材さんになることだってできる。選択肢を増やすのは良いことだ。多様な名前楽しい世界になるだろう。

新たな姓を自由に設定できる世界では更にややこしい制約が発生することだろう。どんな文字を使えるのかという制約だ。現行法では子供名前に使われる文字に関して戸籍法が定めている。

戸籍法第五十条には

1 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。

2 常用平易な文字範囲は、法務省令でこれを定める。

とあり、この常用平易な文字というのは戸籍法十条において以下のように定められている。

戸籍法第五十条第二項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。

一  常用漢字表平成二十二年内閣告示第二号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては、括弧の外のものに限る。)

二  別表第二に掲げる漢字

三  片仮名又は平仮名変体仮名を除く。)

これを鑑みるに、姓が自由に決められる世界では次のような制約が発生するだろう。

新姓には常用平易な文字を用いなければならない

新姓を設置できる新たな世界は素晴らしいが現状では常用漢字プラスアルファカタカナひらがなしか使えない。これは不便だ。新姓をつくる際に使えない文字存在するのは不便だ。外国人結婚した際にその外国人の姓を名乗ることを決めた場合であれば発音が違うのに無理矢理カタカナを使うことを強制される。不便だしアイデンティティー喪失につながるだろう。

文字制約を緩めるのは非常に難しい問題だ。どこまでの緩和を認めるのか。ローマ字も良いのか、漢字簡体字も含めるのか、アラビア文字も許すのか。現状世界中の文字を一手に扱え最も普及しているものとしてはUnicodeがある。最新のUnicodeに含まれ文字は全て許すとすれば制約はかなり緩まると考えられる。新姓も子の名もUnicodeに含まれ文字なら許されるというように変えれば自由度は格段に上がるし選択肢も増える。選択肢の多い世界は素晴らしい。例えば㍻㍍くんという名前合法だ。人種配慮した名前の付け方もできる。👋🏿くんも👋🏻ちゃん存在可能だ。多様性配慮選択肢の広まった素晴らしい世界だ。

姓の変更には家庭裁判所許可必要であり裁判では日本語使用必要である

夫婦別姓、新姓の自由を手に入れ、文字選択肢自由も手に入った世界になったは良いが未だに問題は残っている。別姓を名乗っていたのに同姓にした場合、またはその逆、または新姓を名乗りたくなった場合はどうするのだろうか。現状の世界では戸籍上の氏の変更には家庭裁判所許可必要だ。そして裁判所法第七十四条には「裁判所では、日本語を用いる」とある。せっかく文字自由を手に入れたのに日本語以外の文字だと問題が起きてしまう。より選択肢の多い自由世界を手に入れるためには家庭裁判所許可要請廃止するか、裁判所法を改正する必要があるだろう。

面倒なのでこの際どちらも変えてしまおう。戸籍の氏の変更に家庭裁判所許可必要ないし、裁判では日本語を使う必要もない。素晴らしい世界だ。選択肢が増え世界は良くなった。

2020-11-05

anond:20201105115640

変体仮名みたいにいってやるなよ、好きなら正しく変態!っていえ

2020-02-27

anond:20200227171913

変体仮名はなぞって練習すると結構読めるようになる

すると江戸時代の本が読めるようになるよ

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2018-09-24

anond:20180924132206

古文教育を受けたものでも「風と共に去りぬ」の「ぬ」が分からんやつはごまんといる。

古文教育必要だったとして、その成果が達成されてるとは思えない。

そのくせに変体仮名などは教えないくせに割と今も日常で見る機会がある。

2017-03-14

高級料亭的な名字

名字の一部をひらがなにすると飲食店ぽくなる。

「よし田」「すず木」はあんまり美味しそうじゃない。小料理レベル

上や松を使うと高級に見える。「かわ上」「松い」は寿司割烹レベル

「杉の井」「濱乃家」みたいに高級料亭っぽく見える名字は無いかな。

浅、秋、重、石あたりの漢字がいいと思うんだけど。


※追記

皆さんたくさん考えてくれてありがとう

@c_shiika 漢字ひらがなが混じった名前場合漢字のほうは元々は変体仮名であることが多い

これは知らなかった。

何の根拠もないけど、読みが複数ある漢字ex: 川, 河)とか、画数が多い漢字ex: 繁)を平仮名にしているのかと思っていた。

元が変体仮名だったところに漢字を当てているパターンは店の名前明治以前に存在した証だから、それこそ本当の老舗だろう。

私は今、「老舗風の屋号」と「本当に老舗な屋号」を見分ける術を得たのかもしれない。

ブクマカーの叡智よ永遠なれ。

2016-06-06

文学部存在意義ってあるの?

主に就職面において全く役に立たないという致命的弱点を持つ文学部。まだ英語文学とかは語学という点でビジネスに使えるけれど、日本文学やら日本史専攻やらは果たしてどう就職に役に立つのか。変体仮名が読めるスキルを主張するより、経済学部経済学を学んだスキルを主張した方がよく見られるだろう。

学習において学ぶ姿勢精神が身についたとは主張出来るが、それは他の文系学科だって同じことだ。他の学科はそれにプラスαして学んだことが実際就職において、面接官に会社で役に立つと思われ易い(実際役に立つかは置いといて)

文学部なのに何故この業界を選んだの?そっち行けば?」…面接官によく聞かれる言葉である。実際文学部が有利な就職口なんて本当に雀の涙なのだが…

そんな学部に行ったおまえの自己責任だ…なんて言葉は真っ当だが少々乱暴であるとも思う。それは薬物中毒者だけを責めるようなものだ。売人を責めていない。就職に役に立たない学部をなんの対策もせず放置してる大学側も幾ばくか問題あると思う。

正直文学部意味大学卒業したレッテルけが欲しい奴の居場所に成り下がっている気がする。元に理系の推薦落ちて仕方なく文系に来たという奴を何人か見たし。

文学部が有利な就職口なんて教師(少子化学校が少ない&ブラック)、出版社図書館司書学芸員(どれもエグすぎる倍率)ぐらいだろう。実際文学部出でも金融とか全然学部関係ない業界に行くことが多い。なら他学部の方が就職有利でいいじゃんって話になる。資格取るのだって例えば簿記とかは他学部の方が単位になるし。

就職の話しかしていないがその理由重要なことだからである。生きていくためには仕事をしないといけない。大学は、特に近年は学ぶ場というよりは就職やすくする為に行く場所という側面もあるだろう。4大卒だけ求人してる会社もある。その利点をぶち壊す文学部

からこれは本当に極論だが文学部なんて一部の実用的な学部以外なくしてしまっても良いのではないだろうか。そうすれば就職にまだ有利な文系学部に行くしかなくなる。ただでさえ就職戦争がどんどん厳しくなっている今、少しでも就職に有利な学部に入れた方がいい。学力不足で入れないにしても高卒仕事に就いた方がまだ時間と金節約になるだろう。大学学費も年々高くなって奨学金破産なんて言葉もあるし

文学を学べたこと自体は楽しかったし人生観も変わった有意義時間だったのだが、仕事に就けず、生きていけないとなると「じゃあもう学ばず趣味にしておいた方が良かったのでは?」と最近思ってしまうのである

まあ就職し易い世の中だったら別に存在意義を問うこともなかったのだろうけど。

2015-12-06

ちょっとから変体仮名とかくずし字勉強してるんだけど

全然読めねー

昔の人よく読めてたなこんなん

これで識字率が高いのまじですごいわ

いちおう公式なやつとか江戸の一般向けの百人一首とかは

比較的簡単らしくまあまあ読めるようになったけど

さらに古く個人的古文書は全く駄目だ

もっと丁寧に書けやって

イラつかなかったのかね

2015-11-21

ひらがな変体仮名ってあるじゃん

うなぎ屋の「な」みたいなの。

あいうのってどこで覚えるの?

「ゐ」とか「ゑ」くらいは学校で習った気がするけど、「な」とか「し」とかは記憶にないんだけど。

変体仮名って呼び名も今調べて知った)

しかしたら古文あたりで出てきたのかもしれないけどあんまりまじめに授業を受けてなかったから覚えてないだけなのかなあ。

2015-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20150618221927

ああ、舐められてるなあ、文学部w

史学科なら郷土史の読み書きに役立てるとか、国文学科なら変体仮名踊り字の解読あるいは古典近代文学研究趣味にするとかないの?

まあ実際そこまでやってる人はあんまりいないんですが。

いいとこ読書好きなったりラノベみたいなポンチ文に浸ったりする程度でしょ。

2012-11-03

国語教員免許とったんだけど

びっくりしたことがある。

いわゆる現代文小論文の分野あると思うんだけど、あれを教えるにあたる授業が、ない。

古文や漢文はがっつりあるんだよ。ミミズみたいな変体仮名をひたすら読解するだけの授業とか、漢文をみっちりやる授業とか。

でも現代文は、ない。ここでいう現代文ってのは、読解力とか論理的思考とか、基本的な現代思想(これは倫理でやるからスキップされてるのか、いやでも倫理って選択制だよな)とか。

強いて言えば日本語学くらいだろか。これは現代日本語の文法が中心で、「てにをは」とか修辞とかそんなん。

あとは模擬授業をやる授業で「その教え方だとわかりにくい」とか指摘されるくらい。そこでも論理についてとやかく言われることはなく、テキストの内容がうまく伝わってるか、が判断される。

で、これで何が起こるかというと、だ。論理性とか読解力の教育に関して、完全に先生個人の感覚にまかされることになってしまう。

まり、未だになくならない「現代文センス」みたいなナンセンスな考えが地味に拡散してくわけだよ。

いやね、仮にも国語先生になろーなんて人が「現代文センス」とかナンセンスなこと言ってるわけねーよwwwって思ってたんだけど、教育実習に行って、その考えはガラガラと崩れ去ったよ。

皆、自分が得意だった科目で先生になるもんね。それと教師になるのに学力制限はないものね。

難しいことはわかんないけどとりあえずそこらの私大入って、そのまま先生公務員)になって……って妥当人生設計から、こりゃまた多いんだよな。

勉強家で修士とかもってる先生もいるけど、「company(こむぱんわいと発音)ってどういう意味?」「俺英語嫌いだからワカンネwwだから国語にしたしw」「だよねーwww」みたいな会話が実習仲間で繰り広げられている現実もあるんだよ……。

国が、生徒にはこんなこと教えてね、って方針がまとまってる指導要領には、はっきりと読解力とか論理的思考を育てる、みたいなことが書いてるんだわ。

でもこのままじゃ先生良心と向学心に祈るしかなくて、真反対な教育が野放しになってる……。

これは、やばいと思うんだ。

2012-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20120910014059

いつか滅びる日が来るのだとしてもなるべく長生きさせなければいけない。

変体仮名もなるべく長生きするべきだったが寿命が来てしまったというだけだ。

外来生物が侵略してきて土着の生態系が壊され既存生物種の個体数が減ってきたら、

その外来生物駆除して個体数を減らし、生物多様性を守らなければいけない。

競争させる中で既存生物種あるいは外来生物が新たな進化を遂げることもある。

それでも淘汰圧に耐えきれず絶滅する生物種もいるが、

抵抗する過程で勝ち得た進化の智恵は残された生態系にも受け継がれる。

結果的に滅びたとしても、

「滅亡を防ぐために努力した」のと「滅亡を防ぐための努力をせず滅びるがままに放置した」のでは、

その後の世界の様相はまるきり異なるのだ。


陸上を最も速く走る動物チーター。最高時速110km/h。

その次がチーターの餌であるガゼル。最高時速90km/h。

彼らの驚異的な脚力は、彼らの先代が何千何万年にわたる過酷な生存競争を生き抜く中で淘汰と進化を遂げて勝ち得られた努力の賜物だ。

もしチーターが全滅していたらガゼルはここまで速くならなかった。

ガゼルが速くなったから、ライオン腕力を発達させ、ハイエナは顎の噛む力を強力化して、チーターが捕ったガゼル横取りする力を身に付けた。

ライオンが強くなったかキリンシマウマは反撃するためにキック力を鍛え、象は重量化した。

さらシマウマは色覚のないライオンの目くらましをするために白黒の縞模様を身にまとうようになり、

おまけに偏光効果を持つ縞模様はアブを寄せ付けさせない役割も果たすようにもなった。

単独での狩りが難しくなったライオンは群れで狩りをおこなうようになり猫科動物でも特に社会性ある動物になった。

どこで誰が誰からどのような恩恵を受けているのが分からないのが自然界であり、人間精神世界もそうだ。


人間はいつか死ぬが、いつか死ぬから今死んでもいいというなら今私たちが生きている理由も意味もない。

http://anond.hatelabo.jp/20120910013909

一般人英語で構わないよ。

日本語が滅びても問題ない。

お前、変体仮名読めるか?

2009-06-29

習い事中毒な私

子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。

目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。

1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。

2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。

特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。

3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。

以下にこれまでの遍歴を述べることとする。

<序章>

習字

期間:小学校1年〜高校2年(週1回)

動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。

結果:だいぶ上達した。学校展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。

受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。

エレクトーン

期間:小学校4年〜6年(週1回)

動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。

結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)

中学大学時代までずっと部活楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。

<第1章>

陶芸(月2回、3カ月コース)

期間:大学4年の1月〜社会人1年目の4月

動機:前から興味があったが、サークルバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学バイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。

結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。

先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。

●絵画教室

期間;大学4年の3月〜社会人1年目の5月頃(週1回)

・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。

結果:講師引っ越しを機に自然消滅

・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。

篆刻カルチャースクール

期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)

動機:高校書道時間篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール

結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。

・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。

自動車免許教習所

期間:大学4年の3月〜社会人1年目の夏

動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。

結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー免許証使う機会は身分証明目的のみ。

・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。

<第2章>

大学通信教育課程(学芸員

期間:社会人2年目〜現在

動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。

結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習テキストレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。

・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。

英会話

期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)

動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。

結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICスコアが100上がった。

・土日は無駄ゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。

フィットネス

期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)

動機:仕事ストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。

結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。

・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。

料理

期間:昨年10月現在(月1回)

動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。

結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。

・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。

華道

期間:1時間(体験レッスン)

動機:高校大学時代の友人達華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。

結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。

・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。

ドイツ語

期間:これから(入門編3カ月のみ)

ドイツ一人旅を機に習ってみたくなり、たまたま近所に格安の教室があるのを知って入会してしまった・・・。さあどうしよう。

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

 
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