はてなキーワード: ライトノベルとは
2004年に刊行された『ライトノベル完全読本』(日経BP社)では、「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」
←新潮文庫とかで表紙がそういうイラストになってる若年層むけ文学作品が該当、それこそ太宰とか
榎本秋は自身の著書における定義として「中学生/高校生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説」
←中学生と高校生でけっこう違う気がするけど、「SF 純文学っぽい」「ファンタジー 純文学っぽい」で検索すれば出てくるんじゃないかな。
あるいは「青年期の読者を対象とし、作中人物を漫画やアニメーションを想起させる『キャラクター』として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説群」
森博嗣は、著書『つぼねのカトリーヌ』(2014年)において、「会話が多く読みやすく、絵があってわかりやすい小説」
純文学って、文学のための文学というか、言語表現そのものを楽しむものかなと個人的には思っていて、
上の定義にあるような「読みやすさ」と相性が悪いかもしれない。
平山瑞穂とかはどうかな。
たとえば「涼宮ハルヒはキャラクター小説の側面を組み込んでいるけど、作者の私小説的な部分も割と含まれてますよ」ってどっかのインタビューかあとがきに書いてなかったっけ?
チューリングテストを受けて「キミってAIなんじゃない?」と判定される人間は普通にいそうな気がする
チューリングテストを受けるようなAIと呼ばれるモノは平均的で健全な精神を持った知性を模倣しているのだろうよ
平均的でない偏った思想をもって何を聞かれても同じようなことを答える存在はよっぽどAIが真似やすい挙動なんじゃなかろうかね
一昔前のコピペで「ネット上のお前以外は全員botだよ」のようなジョークがあった
フルメタルパニックというライトノベルでAIが2chに水掛け論的な書き込みを行って情報の隠蔽しているシーンがあった
陰謀論じみているが、のべりすとAIの出来のよさとネット上の話が通じない存在を見ていると既に実際に上記のような運用がされていていても不思議じゃないような気さえしてしまうな
25年くらい前の小説。
【追記】
風の聖痕やEMEじゃないです。たぶん年代的にもっと古い。そもそもラノベとはいえ挿絵があったかも怪しいレベル。
塾の小さな本棚にひっそり刺さっていたので誰かの寄付でしょう。そうすると読んだ当時ですらもう古い作品だったのかも。
【追記2】たぶんこれかな
https://blog.goo.ne.jp/ska-me-crazy2006/e/15ea59e78eb74c3dd6978867cd27cd58
読んでみないとわからないけどね
とりあえずありがとう
それでタイトルみたいな疑問を思ったわけですよ。
大抵のメディアミックス作品って核となる作品があるものだと思うんです。
らき☆すたやガルパンはアニメ、艦これやウマ娘はゲームみたいに。
まぁ「らき☆すたは原作が」とか「ウマ娘は先にアニメが」とかそういう異論反論はあると思うんですが、
「中心になる大きなコンテンツがあってそこからノベライズやアニメ、ゲーム化みたいな派生作品やキャラソン、ラジオCD、ライブみたいなおまけコンテンツがある」
みたいな構図になると思うんです。
で今回話題になった温泉むすめにも核になる作品があるだろうと思って調べたんですが、これがわからない。
Twitterなんかでも「今回の炎上で初めて知った」「まだあったの?」「dポイントもらった思い出がある」みたいなコメントが割とありました。
でまぁ、じゃぁ温泉むすめって今何やってるんだろうと思って調べてみると、現地で声優呼んでトークイベントとか、声優がライブとか、Twitterで漫画あげたり、声優ラジオやったり、あと公式サイトで小説アップロードしてるそうです
「いやそれ声優呼べばよくない?温泉むすめいる?ほんとに集客能力あるの?」
でしたが、よく考えてみるとこういう声優頼みみたいなやり方って自治体や温泉街側にしたら
まず事前に全国各地の温泉街の名前を付けたキャラを量産しておいて町おこしに使えますよアピールをする。
そして
「町おこしで若者誘致したい。それにはやっぱ昨今流行の萌えだ。でもどうしたら」
予算がない(もしくはやる気がない)地域については立て看板に缶バッジ、あとお土産や既存のサービスにもらった萌え絵貼り付けるだけのお手軽コラボをやる。
それで客がどれだけ増えるのかはよくわかりませんが、予算はかかりませんし女の子の絵が貼り付けてあれば喜んで買ってく大きな子供たちがいるから黒字になるし、売れなくてもそもそも経費かけてないから大赤字にはならない、
予算がある(もしくはやる気がある)地域は声優呼んでイベントでもしたら声優のファンが来るわけでまぁ大抵黒字になる。
温泉むすめで町が救われたとか、温泉街の観光客倍増みたいなことは起きないでしょうが、声優人気で客は来るんだから大赤字になるほど大失敗ってこともない。
よくも悪くもまぁまぁな黒字は確実に狙える手堅いコンテンツなわけです。
そう考えるとメインコンテンツ不在って強みなんですね。
(今回の炎上で批判された設定が即変更されてましたが、あれにしても下手にメインコンテンツで深堀とかしてないからできるわけで)
そんな感じで「予算とやる気に合わせてお手がるな萌え町おこしを温泉街や自治体に提供するショッピングカタログ」として温泉むすめはかなり有能なんじゃないかという気づきをタイトルの疑問から得たって話です。
確かに2000年までの昔と2000年以降だと明らかに美少女や美男子が出るアニメは増えているとおもうけど、
最終的には今の状況になったのは多様性と数字を求めた結果だと思う
マンガは少年少女系から青年系、大人向けくらいしか雑誌がなかったのが美少女などに極振りしたきらら系が増えた
小説は大衆小説や純文学よりライトノベルが人気に。まぁティーン層はやっぱファンタジーや異世界、異能力バトルとかが好きなんよ
マンガ、ラノベそれぞれで人気の作品をメディアミックスでアニメ化するという仕組みにしたら大当たりで出版社がこぞってアニメ化しまくってるのが今ってとこかな
絵柄のトレンドも、少年マンガのラブコメ以外のマンガでさえ美少女のほうがトレンドになってるので今美少女系なアニメが増えてるのは必然的だと言える
今はなろうから流れてきた異世界系もあるけど、市場が飽和してきているのでアニメ化する弾もだんだん無くなってきたから
近い将来尖ったオリジナルアニメとかも増えると予想してる
数字に関しては、昔に比べたら土日帯のアニメ枠もテレ東だけではない夕方や夜の民放アニメ枠も減った
子供向けにアニメやるよりはバラエティとかやったほうが数字採れるってTV局が判断してるからだよね
あとは少年系マンガのアニメ化、特にジャンプ系でも深夜やU局系で放送されることが多くなった
鬼滅も最初はTOKYOMXとかで放映されてたのは覚えてる?今はフジテレビが独占っぽくなっちゃったけど
上記をまとめると、
・青少年向けにちょうどいいマンガやラノベが流行し、メディアミックスをするので美少女が出るアニメが多い
まぁ元増田がアニメーターになる前に「今どんなアニメやってるんだろ?」とか思って調べたら「萌え豚向けアニメしかないやん。やめとくか!」で避けられたと思うけどね
就活とかでも業界の研究や入る会社の研究とかしてから面接とかに臨むだろ?それ怠って「萌え豚ガー」とか言ってるのはナンセンスだとおもうな
んで美少女じゃないアニメが少ないかって言われると、まぁ少ないのかなって感じはする
それはTVで放映されるのではなく映画館で放映されるようになったからじゃないか?
そういったのもあるから割合的には 5:3:2 くらいで 美少女:子供向け:その他 という印象だな
美少女偏重ではあるけど、それなりに多様性はある状況だと俺は思うけど、この辺は元増田がどう思ってるのか聞きたいよね
んーでも最近のだとオッドタクシーとかバチバチにキレがあったから元増田が言及してくれるかなーとかおもったけどなかったので大変残念
やっぱ最近の騒動で美少女ばかり描かされたトラウマがフラッシュバックして腹いせで書いてるの?
https://anond.hatelabo.jp/20211019210515
最初に、どんな立場から物を言っているのかを明確にしておいた方がいいと思ったので少し自分語りをする。
自分は昔から漫画も読むしゲームもやる。いわゆるオタクコンテンツで一番好んでいるのはライトノベルで、なろう系もこれは酷いなと思いつつ読んでいたりする。
エロ漫画も読むしエロゲ―もたまにやる。DMMブックスの新規会員割引キャンペーンは既存会員なので知らなかったクチ。
以前「なんでエロゲ―って未だにパッケージ販売にこだわってるの?特典とかいらんでしょ」みたいなコメントを書いたら「こいつエロゲ―やらずに言ってるだろ」と叩かれたことがあるが、やってるから言ってる。
ただ、そういうのは一人で楽しめばいいのであってわざわざ公共の場に開陳しなくていいと考えている。
本記事はid:greenTへの返信の形式をとるが、反論の体はとらず自分の考えとの一致点と相違点を明らかにしたい。
この長文を書こうと思ったモチベーションは最近あまりに攻撃的なコメントが目立つブコメ欄で自分のコメントを読んで考えてくれた人がいたことが嬉しかったというものなので
この段でid:greenTが述べていることは「欲求には本能的な欲求と後天的な欲求がある。そして性欲は本能的な欲求だ」ということだと思う。
これを心理学的に整理すると、マズローの自己実現論にあたるのではないかと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
マズローは欲求を五段階に分け、性欲のような本能の部分を土台の部分の「生理的な欲求」に分類した。
そしてそれ以外の後天的な欲求を生理的な欲求が満たされた後に生まれてくるものとしてさらに四段階に分けた(ここではひとまとめに「社会的な欲求」とする)。
この理屈に従うと、元の自分のブコメで挙げた欲求の例は下記のように分類できると思う。
こうした分類に則って社会的欲求(の一部)を制限する必要があることは認めるが、生理的欲求を社会的欲求に分類してはならないというのがid:greenTの考えだと思う。
自分もここまでは考えが一致するところだ。
では違いは何かというと、実は前提のところに違いがある。
これはマズローへの根強い批判として存在するものでもあるのだが、そんな単純に生理的欲求と社会的欲求を分類できるものだろうか?
先ほどの例はよく考えると色々雑である。
繰り返しになるが生理的欲求を社会的欲求に分類してはならない、ということには賛成である。
ただ、現実的にはどの欲求がどちらに属するのかを明確に分類するのは難しく、人によって線引きが違ってしまうのではないか。
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
「日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意」は既にある。
あるのだが、「性暴力や性搾取」と「搾取や暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なるのではないか。
「ここまでは生理的欲求だから仕方ないよね」というラインが別の人にとっては許容できない社会的欲求となっているのではないか。
以上が考えが異なる部分なのではないかと思う。
id:greenTは「欲望を勝手に悪に分類するな」と言い、自分は「欲望も制限するべき」と述べた。
「悪に分類するな=制限するな」という意味に受け取ったので「制限するべき」と反論したのだが、この段落を読むにどうも反論になっていなかったようだ。
たぶんid:greenTは性的コンテンツ規制を心底嫌だと感じているので「悪に分類された」と感じており、自分はそこまでではないので「制限は必要」という認識違いが発生していたのだと思う。
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
たとえば自分は登山も趣味の一つなのだが、各自治体が「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」と言い出したとする。
登山と関係ないほとんどの人の感想は「ふーん入山制限ね。仕方ないんじゃね」くらいのものだろう。一方自分は「登山者を悪者にしやがって」と感じるかもしれない。
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
自分もそのように思う。
1つだけ付け加えると、後段で「上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ」とあるのだが
いじめがいじめられる人以外の人間関係の維持に良好な影響をもたらすケースはあると思う。
だが、そういう価値の相対化を許さず悪だと断じなければならない物事もあると考えている。
上記の結論部の一つ目には同意する。ただし…と続きがあるが、それは上で述べた通り。
2つ目については、個人的には性産業大国となりつつある日本で過剰な制限があるとは思っていないがそのように感じることは理解できる。
日本は歴史的に見ても性的に奔放で、AVやエロ本が無い時代でも春画やら吉原やらが存在した。無批判に欧米の基準を受容しても上手くいかないだろう。
身近な例で言うと、近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている。
しかし、だからと言っていきなり議員が抗議文を送りつけたり法律を持ち出したりして圧力をかけるのは性急すぎる。
エロゲ―ショップに張り出されるポスターも昔に比べるとソフトな表現になり、過激なものは店内だけにという使い分けがなされていると思う。
それでもなおポスターを剥がせと突然言われたら店舗としては規制が過剰すぎると感じるだろう。
共産党もそういうわけで社会的な合意形成を目指そうとしているのだと思うが、合意と言うのは双方の合意によって成り立つので規制される側抜きには成り立たない。
規制したい側だけで話し合うようになってしまわないことを願いたい。
ネットでは時折炎上案件が発生しそれが過剰に取り上げられることによって憎悪を煽る結果を招いているが、社会全体を見ればオタクコンテンツはますます受け入れられる一方である。
これは関係者が世間から広く受け入れられる表現を模索した結果であろう。
アニメ・ゲーム調のイラストが市民権を得て、公的機関がアニメ調のキャラクターをVtuberとして採用するなんて、20年前はちょっと想像できなかったな。
20年前に、アニメ・ゲーム系のイラストやキャラクターを見つけようとすれば、
ぐらいしかなかった気がする。
一般向け小説の表紙がアニメ調になるなんて思わなかったし、鉄道会社や市役所、一般企業の広報にアニメ調のキャラクターが登場するなんて思ってもみなかった。
2000年前後の事例としては、アイスちゃん(1999年くらい)、大和町のまほろちゃん(2001年くらい)、程度じゃなかっただろうか。
鉄道むすめ(2005年発売)、下妻市のシモンちゃん(2006年くらいに登場)、涼宮ハルヒの憂鬱(2006年放映)、らき☆すた(2007年放映)、あたりから一般社会にアニメ調のキャラクターが浸透し始めた。
初音ミク(2007年発売)、けいおん!(2009年放映)、あたりから世間のアニメやゲームに対する見る目が変わり始めて、ガルパン(2012年放映)、艦これ(2013年サービス開始)、あたりで肯定的な立場に切り替わった感じ。
お前こそ ふざけんな
何がリアリティだ
頭も体も同じ程度に揺らせよ
実際には揺れてるって揺れ度合いが極端なんだよ
普通は揺れてても揺らしたくないんだよ
揺らすなよ
女性向けでは無いんだろ
異常に露出過多で胸部臀部が強調表現なのもウンザリガックリどん引き
話は面白いけど
ライトノベルの表紙もツライ
本屋さんで手に取りにくい
家族にも見られたくない絵柄
話の内容は全然違うし
恋バナも少しずつで18禁にするほどでもないのに
一般人にはわかんねーよ
男性向けで分けてくれよ
イチイチ疲れるし面倒
ハッキリ明示しろ
分けないで一緒に作った方が安上がりだと思うけど
見るに耐えない
未成年者に
胸が揺れる表現や
あれは異常強調表現だよ
大人気アニメ進撃の巨人の三期。確かこの時はリヴァイ兵長のおじさんケニーと調査兵団達の戦いがメインの話だったような記憶がある。
やっぱり人気シリーズだけあって面白い毎回先が気になると思いながら見ていた。それにしてもジョジョもそうだけどグロくてエグい作品が人気って凄いなぁ…と思う。日本は定期的にエログロ作品大人気ブームが来るのだろうか。
おそ松くんがおそ松さんとして大ヒットしたので、今度は天才バカボンも!という感じで始まったであろう作品。おそ松さんから一部メイン声優を続投していたのにこちらはイマイチ話題にならず人気も出なかったのが残念。
古田新太氏のバカボンのパパが結構ハマっていて好きだった。実松さんに似た「リアル天才バカボン」という話もあったけどあまり受けなかったなぁ。ケツメイシのEDが良い曲でお気に入り。
鉄血のオルフェンズの設定考証を担当した鴨志田一原作のライトノベルのアニメ化作品。1クール放送後に劇場版アニメまで製作されたあたり中々人気があった事が窺い知れる。
内容としては主人公の男の子が何らかの特殊能力を持った女の子と知り合い事件に巻き込まれる…という涼宮ハルヒの憂鬱シリーズに少し似た雰囲気だった。ハルヒよりはSF作品臭薄めだけど。
いかにも「萌え」な男性向け作品かと思いきや、純粋に恋愛物として楽しんでいる女性ファンが意外と多くて驚いた作品。咲太くんみたいな彼氏が欲しいという気持ちは分からなくも無いなぁ…。
前作から12年振りに製作された久々の「ゾイドシリーズ」新作。ワイルドとタイトルにある通り、とにかくワイルドに行こうぜ行こうぜ騒いで行こうぜな作品。コロコロとタイアップしていた事もあり、基本的には低年齢児向けな作風だった。
OP、ED、挿入歌ととにかく音楽がよくそれだけで最後まで視聴決定した。4クール作品という事もあって戦闘シーンはガンダムシリーズやマクロス7並にバンクが多かったので気になる人も居るかもしれない。新技も中々出て来ないし。
国同士が思想信条を掲げて戦う訳ではなく、ゾイドも銃火器で武装せず自前の爪や牙で戦い、前述した通り作風も低年齢児向けという事もあって従来のゾイドファンからとにかく叩かれた。恐らくGガンダムやガンダムSEEDくらい。
1クールの終盤にあるメインキャラが退場してから少しずつシリアスな要素が増えていき、特にラスボスや敵幹部周りの描写は本当に低年齢児向けかこれ…?と言いたくなるほど凄惨な物もあった。これが朝放送してたのか…。
批判も多かったけど快く受け入れる従来のファンや初ゾイドとしてワイルドを楽しんでいる子供も相当数居たらしい。放送終了後にゾイドワイルドZEROという続編が作られた事もあり、ゾイド復活一作目として中々受けたみたい。
宇宙よりも遠い場所、南極を目指して女子高生達が色々と頑張る話。花田十輝氏がシリーズ構成を務めるという事で当時話題になっていた気がする。男性キャラが殆ど登場しないという事でGL好きに受けていた気がする。
メインの女の子達は友達が居なかったり、周囲から嫌がらせにあっていたり、浮いている子同士で友達になった感じだったと思う。1クールで良く纏まった良い作品だったと思う。
あのグレンラガンのキャラデザ、作画監督を務めた錦織敦史監督による完全新作ロボットアニメ。2018年一発目のロボットアニメは確かこれだった気がする。
OPが耽美、官能的な雰囲気だった。異性の子供達がパートナーになり、女子の臀部から生えた操縦桿を男子が握りロボットを動かす操縦法など比喩などでなく割と直球で性を意識した描写が多かった。
ロボットアニメではある物のロボットが擬人化された少女のような容姿である、恋愛要素も多いという事でロボットアニメに興味が無い人でもそれはそれで楽しめる作品ではないかと思う。
2クール目からは展開が駆け足になり、終盤は意味深に登場したキャラが次々死ぬなど何だか消化不良な印象を受けた。それでも主人公とメインヒロインの恋愛を描いたボーイミーツガール物とすれば、悪くないような気もする。
15分アニメになっただがしかし。一期は正直30分という尺を持て余しているような印象があったのでこれくらいで丁度良かったと思う。キャラデザが微妙に一期と異なるけど、どっちもいいと思う。
月刊少女野崎君のスタッフが送るオリジナルアニメ。少しの間だけ日本に留学してきた外国人の女の子と日本人の男の子の交流(?)が描かれる。タイトルでは恋をしないと言われてるけど、普通に多田君恋してるよね。
主演の声優さん二人は後にフルーツバスケットでもかなり親密な関係のキャラを演じていてちょっとニヤリとした。このアニメの収録中に梅原裕一郎が急病を患い、終盤代役になっていたのは残念だった。部長は良いキャラしてたから。
主人公の恋敵キャラが性格の良いイケメンで、ヒロインと結ばれなかった後にヒロインの侍女と結ばれるのは誰も不幸にならない感じで良かったと思う。そういうところ少女漫画っぽいなぁとも思ったけど。
TIGER & BUNNYのスタッフが送る新作アニメ。ベテラン刑事と新米刑事のバディを主人公にした人情SF刑事物アニメ。タイトルのダブルデッカーは「二人の刑事」と「2階建車両」のダブルミーニングらしい。
お洒落な雰囲気で良い感じのアニメだったけどタイバニほどのヒットには至らなかった。病気が末期の父親のために息子が自分の花婿姿を見せようと頑張る話が特に好きだった。
明らかに続編を作る事を前提とした意味あり気なラストだったけど、放送から3年経った今も特に続編が製作される気配が無いのが残念。バカボンもそうだけど、二匹目のドジョウを狙おうとした作品は受けない法則あるのかな…。
何故かいきなりゲームに似た異世界へ召喚されたプログラマーが、ふとした事で莫大な経験値を得て最強になり異世界をフラフラするという話。主人公のCV堀江瞬に惹かれて見始めた。
内容はあんまり覚えてないけどそんなに嫌いじゃなかった印象はある。作画もキャラデザも中々悪くない、人並に優しい主人公が女の子達を助けながらハーレムを形成していく感じの作品だった気がする。
現代が舞台の吸血鬼物の話だった気がする。吸血鬼物の話が好きなので視聴決定した。主人公は人間と吸血鬼のハーフで純粋な吸血鬼よりは吸血衝動が薄い…という割とお約束な設定だった気がする。
吸血は性行為の暗喩という事もあってか、中々エロティックな雰囲気だった気がする。ヒロインの声が進撃の巨人のミカサと同じ石川由依氏なんだけど、ミカサとは全然雰囲気が違うおっとりぽややん系で驚いたような気がする。
この作品も原作が連載中の漫画という事もあって中途半端な所で完結してしまったのは残念だった。月刊モーニングtwoで連載されている漫画だからか、全体的に女性向けな雰囲気だった。吸血鬼系はそういうのが多い。
大人気WEB小説のアニメ化作品。現在も三期が絶賛放送中で、人気の高さが窺い知れる。放送開始当初は丁寧にやりすぎてテンポが悪いとか色々文句言われてたけど、結果的に大成功だったのであれで良かったんだと思う。
現実世界で突如通り魔に殺害されたおじさんが異世界にスライムとして転生するという話で、「蜘蛛ですが何か?」など後発の人外転生系の作品にも影響を与えたらしい。転生した時声が可愛らしい女の子になったけど。
スライム形態の主人公が青いパワプロくんみたいという印象が強い。途中で人間形態に変身する能力を得るんだけど、元になった人間が美人だからか明らかにヒロイン達より可愛らしい美少女として描かれている気がする。
意外だったのが男性というよりはむしろ女性に大人気で、鬼滅以前は女子に一番人気がある漫画と言えばこの作品のコミカライズだった。イケメンが多い事もあってか二次創作は主人公愛され精神的BL物が非常に多かった。
二作目から8年振りの禁書アニメ三作目。原作小説14巻目以降の話が描かれる。原作未読だけど、それでも駆け足にアニメ化している事だけは伝わってきた。1作目から10年経っている事もあって、懐かしい声優さんが多かった。
大人気漫画七つの大罪アニメの二期。確か一期の戦いの後で潔白を証明された主人公達が復活した新たな敵と戦いを繰り広げる話だった気がする。七つの大罪最後の一人、エスカノールが初登場するのも確か二期だったような。
お世辞にもあまり作画が良いとはいえず、話も毎回あまり進んでいないような気がするのは往年のジャンプ作品という感じがする。マガジンの作品だけど、原作者の鈴木央さんは元ジャンプ作家だしまあ似たような物だと思う。
以前SNKと著作権云々でアニメ化が一度お流れになった漫画が改めてアニメ化された作品。作中でSNKの作品が出ず、主にカプコンの格闘ゲームが題材になっているのはそういう事なんだろうなぁ…。
1990年代前半のゲームセンターが主に舞台という事で、当時主人公達と同世代でゲームセンターに通っていた層に特に刺さる作品だと思う。ゲームに興味が無くても甘酸っぱいボーイミーツガール物として楽しめると思う。
正直視聴前に想定していた以上にメインヒロインの大野さんが可愛く、終盤で主人公にデレるあたりでもう堪らなくなった。ツンデレはツン期が長いほどデレた時の破壊力が高いのはマジだと思う。良い作品だった。
大人気格闘漫画「グラップラー刃牙」の続編のアニメ化作品。前作グラップラー刃牙は既にTVアニメ化されているという事で二作目がアニメ化されたのだと思う。
黒塗りで隠されていたとはいえ、地上波アニメにしてはかなり残酷でグロテスクなシーンが多かった。とにかくベテラン声優を揃えたキャストが豪華なアニメで、非常に力を入れて作られていた事が分かった。
作画は極端に良い回とそうでもない回があったけど、良い回は原作漫画の再現度が高く非常に良かった。OPでグラップラー刃牙最大トーナメント編の名シーンをアニメにしてくれたのもファンとして嬉しかった。
作画の負担を減らすためか時々CGが使われていたけど、手描きと比べるとあんまりだった。バキの次にアニメ化されたケンガンアシュラではCGの出来がとても良くなっていたので、バキの時は過渡期だったんだなと思った。
久々にTVアニメ化された封神演義。2クールで全23巻の漫画をアニメ化するなど無理な企画でしかなく、ダイジェストにもなっていない原作の場面をその場その場で再現する飛び飛びアニメになっていた。
それでも作画はそれほど悪くなかったので色々と惜しいなぁ…と思った。新キャストは割とハマっていた方だと思う。OPとEDは割と好きだった。素直にVS聞仲編かVS妲己かVSジョカ編をアニメにしておけば…と思わずにはいられない。
リアルタイムで初めて見たプリキュア。近年のプリキュアの中では特に恋愛色が強い方かな?5とか恋愛要素が強いプリキュアが好きだった自分には特に刺さった。歴代プリキュアの中でもかなり好きな方だと思う。
プリキュアの敵勢力が会社という所も5に近い気がする。5の名敵役のブンビーさんもゲスト出演していたし。敵の女性キャラが追加プリキュアになるのだけど、そのタイミングが歴代プリキュアの中でもかなり早い方だった。
倒した悪役が消滅せず改心して人間世界で生活を営んでいるというのもシリーズの中でも珍しい方だと思う。プリキュア恒例の敵が味方になる展開が好きな自分としてはそういうところも性に合ったかな。好き嫌いは別れると思う。
それでも敵キャラを増やしすぎたせいか、敵のハリネズミキャラが終盤改心する所はかなり駆け足で急だったと思う。そういうところは明確な欠点だと思うけど、まあそういうところも込みで全体的には好きな作品。
ラスボスの正体が主人公の未来の○○で、愛故に悪になり、最後には愛で救われる所も好きだなぁ…未来改変系のお話であるせいか改変前の未来から送られてきたあるキャラの存在が不可解になったけど。
山田風太郎の小説「甲賀忍法帖」のコミカライズ作品「バジリスク」の続編漫画のアニメ化作品。前作後に伊賀と甲賀が和解した時代に新たな敵が現れて…という作品。
主人公兄妹が前作主人公の子供という事で設定的に無理があるのではないか?とよく突っ込まれていた。前作主人公達に瓜二つで兄妹で恋愛感情が仄めかされている事もあってちょっとインモラルな感じだった。
基本的に外国スタジオへの外注で作られた作品という事もあって作画はあんまりな感じだった。それでも女性キャラだけで何とか可愛く描こうとしていた所に何らかの意地が感じられてそういう意味では嫌いになれなかった。
アニメの結末は漫画版とも異なるとの事だった。名作の続編としては割とガッカリ作品なのは否めない。まあ初めから原作小説との繋がりは無いし漫画版の作者も異なるという事で、よくある別物続編と解釈すれば良いかもしれない。
往年の名作少女漫画のアニメ化作品。現代が舞台という事で30年以上前に描かれた原作とは異なり作中にスマートフォンなどが登場し、原作ファンに突っ込まれていた気がする。そういう所も込みで、評価は中々高かった。
主人公がギャングのボスの愛人という設定で、同性すら魅了する美少年というあたり萩尾望都や竹宮恵子などの流れを汲む「少年愛」的な少女漫画だったんだろうな、とは見ていて感じた。
原作漫画は男性が読んでも面白い少女漫画とはよく言われていたけど、ストリートキッズ同士の抗争や派手な銃撃戦などはアクションが目当ての男性が見ても楽しめるのではないかと思う。
全19巻のアニメを2クールでアニメ化したという事で、原作ファンからはカットされた部分についていろいろと文句を言われていた気がするけど、アニメから入った自分はそういう所をあまり気にせず最後まで楽しめた。
石塚運昇さんの遺作もこの作品だったと思うけど、最後まで声も演技も衰えていると感じず本当に凄い声優さんだったんだなぁ…と思った。King GnuのEDがとにかく良い曲でお気に入り。でもこの世界の男はゲイ多すぎだと思う。
女子バドミントン漫画をアニメ化作品。美少女が緩く部活をやる所謂萌えアニメ…ではなく、スポ根物というかスポーツが全てという価値観の人間の負の面まで描いている思ったよりシリアスで重い雰囲気の作品だった。
アニメ化の際に原作から結構展開が変更されているらしく、原作ファンからは別物だと文句を言われていた。やっぱり原作漫画を読んでおらずアニメしか知らない自分は最後までそれなりに楽しめたけど。
スポーツ物のアニメだけど作画はそれなりに良かったと思う。OPがとにかく元気で前向きな気分になれる良い曲なので一度は聞いてもらいたい。
たとえば、次のような文があるとします。
-------
「おはよう」
彼は眠気をこらえながら言った。彼女はおかしそうに笑いながら応じる。
「おはよう。眠そうだね」
-------
「眠気をこらえながら」は「彼」の内面です。
では、今度はどうでしょう。
-------
「おはよう」
彼は眠気をこらえながら言った。彼女はその表情を面白く思いつつ、
「おはよう。眠そうだね」
-------
-------
「おはよう」
彼は眠そうに目をこすりながら言った。彼女はおかしそうに笑いながら応じる。
「おはよう。眠そうだね」
-------
「このときの彼には知る由もなかったが……」などと、
あとになって発覚した事実がいきなり入るケースです。
大枠としては上記のように捉えておけば良いでしょう。
ソース:https://www.animefeminist.com/history-not-with-a-bang-but-a-letter-violet-evergarden-rewrites-traditional-world-war-i-narratives/
暁佳奈のライトノベルを原作とする京都アニメーションの名作、ヴァイオレット・エヴァーガーデンがネットフリックスで公開されたとき、初見の私が想像していたのは、Foreignerのヒット曲さながら、愛というものを知ってみたい少女の無邪気な物語だった。まさか号泣することになるとは。
ものの数分でその予想は裏切られた。
この作品は涙なしには観られない戦争ドラマであり、スチームパンクな歴史改変モノだったのだ。しかし、何よりもトラウマにまつわる物語だとわかった。
PTSDの歴史、1900年代初頭の文学作品における定形表現、そして人気ジャンルである「戦争物語」を、本作は、少女兵士を主人公とした上で見つめ直している。第一次世界大戦の歴史、とりわけ女性の歴史を振り返り、再解釈することで、かつての物語に対してフェミニスト的なテーマを根底に据えた新たな息吹をもたらしているといえる。
戦争物語という切り口からヴァイオレット・エヴァーガーデンを解説している人は珍しくない。例えば「Mother’s Basement」というYoutubeチャンネルでは、人情味を持って共感を表現し、ヴァイオレットの成長を描ききったシナリオの妙について見事な考察動画がアップされている。だが、トラウマや障害を抱えた少女が自信を持って活躍できるようになっていく様子や、いかにPTSDがリアルに描かれているかという点については、あまり取り上げられてこなかったように思う。
この点を踏まえた上で、テルシス大陸における戦争のモデルとなった、第一次世界大戦の基本事項を整理するところから始めようと思う。ざっくりと言えば、この大戦は1914年から1918年の間に起こったもので、何がきっかけとなったかは諸説ある。開戦とともに急速に戦火が拡大したけれど、1914年の冬までには終結するだろうというのが大方の見方だった。
その目算が外れたのは言うまでもない。戦争は4年も長引き、フランス、ドイツ、イギリスを中心とした各軍のインフラは、塹壕戦と呼ばれる、この時期に流行した新しい兵器や戦法に対応するための装備が圧倒的に不足していた。
兵士の多くが若く経験不足だったこともあり、戦いは想像以上に過酷なものになっていった。戦争から帰還した兵士たちの間には、「新しい」病気が蔓延した。俗に「シェルショック」と呼ばれ、後に「PTSD」や「PTSS」 (心的外傷後ストレス障害、外傷後ストレス状態)として診断されることになる、「男性ヒステリー」という病だ。
「ヒステリー」とは、当時、性別役割分担に厳格だったヴィクトリア朝時代に用いられた医学用語で、今で言うところの鬱病、不安神経症、心的外傷後ストレスといった精神疾患全般を表すものだったが、適用対象はシス女性がほとんどだった。そのため、「ヒステリー」扱いされた兵士たちは周囲から男失格のレッテルを貼られ、つまはじきにされる結果となった。
兵士だけではない。第一次世界大戦に参加した国々とその植民地は、集団的なトラウマに苦しんでいた。とりわけ顕著なのはドイツで、戦争への参戦とその後の経済低迷の影響から、ナチスの台頭を許すほどだった。フランス、イギリス、ドイツのメディアでは、この大戦は未だ主要なテーマであるし、世界各国の兵士とその家族が残した手紙は今なお読むことができる。
この大戦が世界に与えた影響は計り知れず、文学や歴史、そして現代の戦争にも様々な影響を及ぼしている。だが、ここで重要になってくるのは、戦争にまつわる有名な物語や歴史で描かれるのは男性ばかりなのに対し、本作の主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデンは女性兵士ということだ。
男性ばかりなのは当然、当時の軍隊で中心的な役割を担うことができたのは男性だけだったからだ。例外としては、第一次世界大戦において戦闘に参加した唯一の女性イギリス兵、フローラ・サンデス(セルビア軍所属)や、マリア・ボチカリョーワという若い女性が隊長を務めた、「ロシア婦人決死隊」と呼ばれるロシア軍の小隊などが挙げられる。
だが、第一次世界大戦で軍隊に従事した女性の多くは、戦場で看護師として働くか、工場で働くなどが一般的だった。例えば、アメリカの「ヨーマネッツ」や「ハローガール」と呼ばれる女性たちは、銃こそ持たなかったが、電信技師やカモフラージュデザイナー、魚雷組立工など、幅広い仕事によって戦争を支えた。
軍に従事した女性たちにも多くの物語があったにもかかわらず、戦争物語のフィクション作品はほとんどが男性中心となっている。女性はもっぱら脇役として登場し、戦死した兵士を嘆き悲しんだり、恋人役だったり、あるいは…良からぬことをされる。言ってしまえば、男性キャラクターを成長させるための舞台装置であり、そのためだけに殺されてしまうことも少なくない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界においても、戦闘や戦争は男の仕事であり、女性はもっぱら「受動的」な役割に追いやられている。だが、ヴァイオレットは他とは異なり、女性であるだけでなく、兄ディートフリートから弟ギルバートへ「プレゼント」として押し付けられた「道具」という扱いであることから、注目すべき例外と言える。ヴァイオレットはモノ化されているのだ。殺人こそがヴァイオレットの生かされる理由であり、ギルバートの命令に従うことが唯一の生きる意味なのだ。
こうした虐待と、戦争でギルバートを失ったトラウマ、そして戦場で目にした暴力が相まって、ヴァイオレットは明確なPTSDを抱えることになる。作品を通して、ヴァイオレットは次のようなPTSD特有の症状をいくつも示している。
これらの症状は、娘を亡くして嘆き悲しんでいる作家、オスカーのために手紙を書いた後、はっきりと立ち現れてくる。戦いの中で自分がしてきたことを理解し始めたヴァイオレットは、戦場のフラッシュバックに苛まれ始める。
最終的に、ヴァイオレットはギルバートを探すために戦地を訪れる。ギルバートを見つけられなかったことで深い絶望に陥ったヴァイオレットは、自殺を試みる。退役軍人の自殺リスクは現在も高く、自殺者数は戦死者数を上回っている。
第一次世界大戦の歴史を描いた物語の多くがそうであるように、ヴァイオレットが抱えるテーマも、いかにして心的外傷後ストレスに立ち向かうかという点に重点が置かれている。このことは、作品の構成にも反映されている。
ストーリー序盤におけるヴァイオレットは、戦地での負傷から立ち直ろうとする、感情を失った少女だった。しかし、第7話でホッジンズが警告したように、ヴァイオレットの記憶は「(自身を)燃え上がらせる火」であり、いつか「たくさん火傷している事に気付く」ことになるものだった。そして、ヴァイオレットはそれに気づいてしまう。戦場で過ごした日々を思い出すたび、ヴァイオレットだけでなく、視聴者までもがフラッシュバックを体験することになる。
しかし、「女々しさ」とか「弱さ」といったPTSDに対する従来の見方とは異なり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはヴァイオレットのシェルショックを丁寧に扱っている。ヴァイオレットが自動手記人形の仕事を通して他人に共感してきたのと同じように、この作品は視聴者にもヴァイオレットへの共感を求めているのだ。
ギルバートの死を否定するのをやめ、自身のトラウマを受け止めたヴァイオレットには、PTSDから立ち直るための長く険しいプロセスが待ち構えていた。トラウマ研究では、これを「心的外傷後成長」と呼び、ネガティブなもの(停滞、衝動的な行動、否定)と、ポジティブなもの(前進、対処法の獲得など)の2種類に分けられる。
ヴァイオレット自身にとっても視聴者にとっても幸運なことに、ヴァイオレットの心的外傷後成長はおおむねポジティブなものだった。自動手記人形として人と一緒に働くうちに、自分の感情を受け入れ、なぜそのような気持ちになるのかを考えて納得できるようになったことで、ヴァイオレットは回復の道を歩み始める。
さて、本作のいわゆる「今週のお客様」エピソードの中には、「戦争で失った恋人を恋しがる女性たち」というお約束的展開をそっくりそのまま踏襲しているものがあるが(OVAがその好例)、一応付け加えると、この展開自体が本質的に悪であると言いたいわけではない。OVAでは、第一次世界大戦中に多くの女性が体験した出来事がリアルに描かれており、膨大な量の手紙が世界各地に送られたという点も史実に忠実となっている(手紙の多くは歴史的資料として残存している)。
しかし、ヴァイオレット自身は、作品を通して、そのような歴史的・文学的な流れに逆らっている。
ヴァイオレットは家に帰ってきたが、想い人は帰ってこなかった。
兵士は、新たな傷を負って帰ってきたのだ。
そして、ヴァイオレットはその生い立ち故に、想い人を亡くしたクライアントと、亡くなった想い人の両者に共感することができる、いわば、境界的な立ち位置の人物といえる。「民間人」と「軍人」、「女性の世界」と「男性の世界」、「家庭」と「軍隊」、そういった境界の中でこそ、ヴァイオレットは真に花開くことができるのだ。
ヴァイオレットの境界的な立場は、自動手記人形の仕事においてユニークな強みとなっている。作中の時代設定と同時期に当たるヴィクトリア朝時代や第一次世界大戦期は、タイピストやゴーストライターになる女性が急増した時期であり、ヴァイオレットも当時の女性たちと同じく、この波に乗っていると言える。
こうした女性たちは、「媒体としての女性」というお約束的表現として文学に登場するようになった。彼女らは、タイプライターや電信機、さらには速記法を用いて、人々の思いを目に見える形にし、様々なメッセージを伝えるという役割を担っていた。哲学者で文学理論研究者のマーサ・ヌスバウムの言葉を借りれば、「目的のために使われる道具」としてモノ化されることも多かったが、家父長制の世界を生きる多くの女性にとって、この種の仕事は、生まれてはじめて主体性を獲得できる場でもあった。
ヴァイオレットの当初の動機は、初めて手にした主体性を社会で活かそうとしたヴィクトリアン朝の女性たちとは若干異なっている。自動手記人形を志したのは、他者を理解したい、そして何よりも、少佐の最期の言葉を理解したいという目標を叶えるためだった。そして、人々の思考や感情の「媒体」としての立場を通じて、自分の感情をよく理解し、虐待やトラウマを乗り越え、主体性を獲得することができるようになっていく。
第一次世界大戦や、そこに至るまでの過程を題材とした文学作品によく見られる、「媒体としての女性」という定形表現とは異なり、ヴァイオレットが主体性を持つことができたのは、その境界的な立場ゆえである。戦争に巻き込まれる家庭の立場、戦争を戦う軍隊の立場、その両者に対して共感、理解できるという強力な武器を生かすことで、戦争をテーマにしたアリアの歌詞を書くために戦死した兵士の手紙を研究したり、嘆き悲しむ父親のために文字通りの意味で媒体となったり、兄弟の絆を取り戻す手助けをしたりと、ヴァイオレットは単に人の気持ちを左から右に渡す中継役ではなく、自らの手で変化をもたらす主体となっている。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンと史実の違いは、これまでメディア等で描かれてきたタイピストや媒体役の職業人たちが受け身の存在と見なされてきた一方で、ヴァイオレットは周囲の人々の物語に積極的に関わっているという点にある。こうした活動を通じて人々の成長を助けていく中で、ヴァイオレット自身にも成長が見られるようになっていく。
第11話では、その成長がはっきりと見て取れる。過激派の部隊を立ち退け、銃弾に倒れ死に瀕している兵士、エイダンの最期の言葉を記録し、訃報の知らせと最期の言葉を家族の元へ届けに行くという、物悲しいエピソードだ。戦争の両側面への共感を要するこの仕事を全うしたことで、ヴァイオレットはようやく自分や他人に対して素直に悲しむことができるようになる。ギルベルト少佐の死をきちんと悼むことができるようになったのも、ここからである。
単なる道具でしかなかったヴァイオレットが、今や積極的に自らの心的外傷後成長を促進しようとしている。これは、従来の戦争物語や、シェルショックや女性タイピストにまつわる歴史に対する新鮮かつ現代的なアプローチといえるのではないだろうか。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは第一次世界大戦に大きく影響を受けており、史実によるものから、文学から引用されたものまで多岐にわたる。PTSDに対する思いやりあふれる描写然り、「媒体としての女性」という定形表現に対する批判然り、この作品は、歴史上の極めて重要な時代—最後の退役軍人が亡くなり、徐々に記憶から忘れ去られつつある時代—との対話の上に成り立っている。
だが、家庭内の物語と戦争の物語をブレンドし、両ジャンルに共通する定番の展開を巧みにひっくり返したという点で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンタジー世界は、オマージュ元の戦争物語と趣を異にしている。スチームパンクなファンタジー世界という舞台の上で、使い古された展開を別な角度から見つめ直すことで、進歩的な物語を紡ぎ出しているのだ。
退役軍人の描かれ方、精神疾患、女性の物語、こうした事柄を尊敬の念を込めて丁寧に扱うことで、戦争やトラウマにまつわる従来の物語をいかに語り直すか、その基準点をこの作品は確立したと言える。戦争やトラウマにまつわる物語も、より包括的で、健全で、私たちに活力を与えてくれる存在たりえるのだ。それが、従軍した兵士や亡くなられた方々に対する、せめてもの追悼でもある。
「戦争は決して変わらない」とよく言われる。だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが示してくれたように、その語り方を変えることができるのは確かだ。
女主人公の仮面ライダーを作れって言ってるやつ、男主人公のプリキュアには文句言いそうだから一切信用できないんだよな……
日本の若年者向けコンテンツの特徴はジェンダーによって分離されていることだ、という大衆文化研究上での常識がある。つまり、「男も女も見る」ようなコンテンツはアンパンマンなど幼児向けのもので終わり、一定の年齢から上の子供たちは「少年漫画/少女漫画」のように男女で明確にカラーが違うものを楽しむことになる。
この分離が良いか悪いかはひとまず措くとして、こうした環境の下で、日本では「男の子向けの戦隊もの・ヒーローもの」に対応する「女の子向けの魔法少女もの」が存在してきた。男ばかりでたまに女も交じる仮面ライダーが戦う横で、セーラームーンやプリキュアといった女だけの戦士たちも活躍してきた。ある意味ではこれは男女平等な環境だったのだ。
それは、表面的に見れば、女児向けコンテンツが不足している国でヒーローものに女主人公がいない、と同じ現象であるかのように見える。しかし、日本には女児向けのヒーローものがあるのだ。個々の作品のジェンダーバランスはいびつかもしれないが、全体としてみればジェンダーバランスが取れている。それが現代日本の大衆文化だ。
男性向けエロ漫画もあれば、女性向けBL漫画もある。女性を客体化した表象もあれば、男性を客体化した表現もある。男の目線で描かれた美少女を愛でるライトノベルがあれば、女の目線で造形されたイケメンに恋する少女小説もある。
個々の作品を見れば、「男性目線だ」と評価しうるかもしれない。でも、その反対側に「女性目線」の作品もあるのが日本であり、全体としてはある種の男女平等が実現されていて、天秤のおもりが釣り合っている。
そういう背景があるのに、「仮面ライダーに女主人公を」なんて言うのは、天秤の片側にだけおもりを乗せようとする行為だ。それは平等とはいえないように感じられる。もしも片側におもりを乗せるなら、もう片方にも同じだけの重さのおもりを置くべきだ。つまり、「プリキュアに男主人公を」だ。
これに反対するのだとすると、それは本当に男女平等を求めての意見なのか? という点が疑わしくなってしまう。だって、天秤の両側は釣り合っているべきでしょう? 天秤を平衡に保つのが男女平等ってことなんじゃないの?
そもそも、ここ最近の仮面ライダーには継続的に女ライダーがいる。それに対して、プリキュアに男プリキュアがいたことがあるのか? いや、キュアゴリラみたいなネタ枠とか、全人類がプリキュア、みたいな話じゃなくて、もちろん、変身バンクがあるレギュラーキャラとして、って意味だよ。ジェンダーバランスを言うのなら、まずはプリキュアの方が糾弾されるべきじゃないのか? まさか、ジェンダーの平等を謳う方々が、男のグループには女を入れるべきだが女のグループに男を入れる必要はない、などとは言うまいね。
ひょっとすると男が「女の親密圏」に立ち入ってほしくない、という素朴な気持ちがあるのかもしれないけど、そういうのホモソーシャルっていうんじゃないの? いちおう言っておくと、「ホモ」は「同じ」って意味だからね。
いや、毎週プリキュア見てるおじさんとしては、別に男プリキュアがいなくても構わないし、プリキュアが女のホモソーシャルでも何も悪くないと思うよ。思うけど、だったら女ライダーが主人公じゃないとだめとか男のホモソーシャルはけしからんとか言うべきじゃないでしょうよ。これそんな難しい話じゃないよね。賛否は別にして理解してもらえるはずだと思うんだけど。
男女平等は大いにけっこうだけど、その実現の仕方にはバラエティというか多様性があってもいいだろう。「すべてのヒーローものを構成員を男女同数に!」だけが男女平等じゃないと俺は思う。「男だらけのヒーローものもあれば、女だらけのヒーローものもある」というのも立派な男女平等の形じゃないだろうか。
それに納得できない、賛同できないってのはまあいいけど、だったら一貫性を持って男プリキュアを出せと強硬に主張すべきだよね。
うん、ここまでの説明で、vaporwaveもシティポップも、広めたのはアニオタじゃないってことはわかったよね。ということで、下の記述は間違ってるよね。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
4chanとかRedditに入り浸ってる勢は「Vaporwaveこそ」って言いすぎで、元増田のオタク文化こそとどっこいどっこいだ。
物事には順番とか時系列というものがあって、それの辻褄が合わないのは、バイアスではなく、間違いかウソです。「vaporwaveは4chanとかreddit発の文化」という主張には、バイアスはかかってるかもしれないけど、少なくともウソではありません。でも、
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
は、明らかに虚偽です。このあたりの音楽を聞いてきた人なら、シティポップやvaporwaveをろくに知らない(たぶんまともに聞いてもいない)書き手が一知半解で書いてるのがすぐわかります。
「シティポップもvaporwaveも知らない奴を騙して、オタク文化賞揚の一助にしたい」という動機が増田自身にあるのか、誰か別の人の言説をそのまま鵜呑みにして繰り返しているのか、どっちなのかはわかりませんが、少なくともこういう人達の基本的な認識の誤りを指摘したときに
4chanとかRedditに入り浸ってる勢は「Vaporwaveこそ」って言いすぎで、元増田のオタク文化こそとどっこいどっこいだ。
なんて言われる筋合いはないと思います。4chanとかRedditに入り浸ってる勢が元増田のオタク文化とどっこいどっこいだというなら「4chanやreddit発の文化なんてくだらない、相手にするな」と言えばいいじゃないですか。なぜ自分が軽視している文化の中で、自分が好む趣味がフォーカスされたときに、そのことを自分の趣味の「良さ」の証拠として持ち出すんですか? 他のコミュニティや文化に認められたい、認めてもらって嬉しいという気持ちがあるなら、まず自分が他のコミュニティや文化を認めましょうよ。
先にも書いたように、vaporwareはオタクの文化と密接な繋がりがあります。でも、少なくともvaporwave末期までは、その中でアニメは重要なリファレンスではありませんでした。初期〜中期のvaporwaveムーブメントには、techgeekやレトロ映像フェチなど、アニオタとは畑違いのジャンルのオタク達が深く関わっていました。そういう人々の存在を消し去りながら、「アニメやラノベがvaporwave含めシティポップ隆盛の原動力になっていた」という虚偽のストーリーを流布するのは、オタク文化全体への敬意が欠ける行為だと思いませんか。
アニメオタクやラノベオタクが趣味の素晴らしさを承認してほしいという気持ちから完全な歴史的虚構を作り出し、それを信じ込むことは、他ジャンルのオタクたちの活動の実態や熱意を無視し、その創作物の価値を簒奪する行為でもあります。つまりオタクの自己承認のためにやっていることが、結局はオタクとしての自己否定を招くことになるのです。そのことの意味を、元増田にはよく考えてほしいですね。
なんかブコメがいっぱいついてるけど、この記述はいただけませんね…。これはほとんど偽史・歴史改竄の類ですよ。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210710124113
そもそもvaporwave〜future funkで参照される日本のシティポップ楽曲の代表(たとえば『Plastic Love』、山下達郎『甘く危険な香り』『Sparkle』、杏里『Remember Summer Days』など)とオタク文化との接点の薄さを考えれば、元増田の主張の信憑性が乏しいことはすぐわかると思います。
まずシティポップの再評価についてです。日本のシティポップは、海外の一部AOR好事家には20世紀から注目されていました。特に山下達郎・吉田美奈子・竹内まりや・角松敏生-杏里ほかは、リズムセクションの黒さがエアプレイ向きな上に、和物ならではの楽曲の構築感(複雑な進行)に独特のエキゾチシズムがあって、2000年頃からJ boogieとかJ rare grooveって名前がついて評価されるようになりました。これはvaporwave云々の流れとは別の話です。日本のGS(グループサウンズ)にも昔からマニアがいて、海外では結構高値で取引されてるけど、それと同じような現象ですね。
次に、そもそもvaporwaveとは何なのか、ですが。以下の記事にあるこの要約は、端的だけどとてもわかりやすいと思います。
存在しない夢想のバブル時代、1980年代ネタをとにかくサンプリングとカットアップや回転数を落として、ありえない1980年代を表現した音楽ジャンル
https://note.com/myumafkd/n/nab12db7e40ca
この「存在しない夢想の」とか「ありえない1980年代」とかって感覚は、vaporwave系をリアルタイムで聞いてた人以外にはなかなか伝わらなくていつもモヤモヤするんだけど、vaporwaveは決して「埋もれてしまった良質な音楽を取り上げて、もう一度光を当てました」みたいな単純な再評価のムーブメントではなかったんです。あえて言うなら、皮肉っぽさ、諧謔性、メタ性、対象を突き放しながら愛でる感じ、などがvaporwaveの肝でした。たとえば東芝EMIやEmotionのビデオのオープニングロゴもSparkleの輝かしいイントロも2010年代には壮大な冗談にしかならないけど、でもこの時代錯誤感がいいんだよね…というような複雑な味わい方ですね。
そういう捻りを加えたミックスが、redditや4chanのマニアックな裏路地で、人知れず生産され、密かに鑑賞されていたわけです。この頃は、そもそも著作権関係が真っ黒だったので、vaporwaveは決してメジャーシーンには出られないだろうと思っているリスナーが多かったと思います。そういうアングラなムーブメントが、一部がFuture Funkに移行したり、アーティストとしてオリジナル曲を出すようになったりして毒気が抜けていくのと歩調を揃えて、徐々にオーバーグラウンド文化になっていったんですけど。
で、vaporwaveとその後継たるfuture funkでシティポップがよく取り上げられてたのは、シティポップがvaporwaveのレトロフューチャー的な世界観とリンクしてたからなんですね。だから、単にサンプリングするだけじゃなくて、何らかの形で批評的・破壊的な引用をされていた。具体的には、リヴァーブをガンガンかけたり、コンプをかけたり、ノイズを入れたり、回転数を引き延ばしたりして、その喪失性や虚飾性が際立つような音響処理がされてました。エキゾチシズムと回顧と皮肉こそがvaporwaveの真骨頂で、そこにぴたりとはまるパーツがシティポップだったんです。だからvaporwave=シティポップ再評価みたいな雑な認識を読むと「結局日本スゴイかよ」と言いたくなる人の気持ちもわかります。
vaporwaveの前身といえるseapunkでも、2011年頃の初期vaporwaveでも、アニメネタは主流じゃなかったです。一番使われてたのはメガデモ、windows95、amiga、ラインアート、粗いポリゴン、椰子の木、TVCM、RGB情報が潰れたVHSビデオ動画などのコラージュ、(多くの制作者・消費者には読めないエキゾチックな言語としての)日本語表記などなどじゃないかな。つまりオタク文化を参照してはいたけど、その多くは、アニメよりもコンピュータやゲームなどの方に寄ってました。こういう経緯は、木澤佐登志氏が何度かvaporwave小史を書いていて、vaporwaveを理解するには一番バランスが取れた内容だと思っています。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59738
で、vaporwave界隈の映像にアニメからの引用が増えていくのは、後期〜Future Funk以降の話なので、シティポップへの参照の方がアニメの参照よりも先行しています。その点で、以下の増田と自分の認識は一致してます。
おそらくvaporwaveから派生したfuture funkに対する影響のことを言ってるんだろうけど
future funkにおいてもジャンル内から有名になったアーティスト(Night Tempo、ミカヅキBIGWAVEとかのピンクネオン東京周辺etc.)
が多用しただけであって元々ジャンルとしてはシティーポップと呼ばれる音楽のほうがアニメよりも先にモチーフとして使われている。
https://anond.hatelabo.jp/20210711135919
しいて言えば「東京は夜の7時」か。
あれはシティだわな。でも、日本人はあまりシティであることを売り物に音楽活動はやってないと思うよ。
「有楽町で逢いましょう」とかは、ポップじゃない。
https://anond.hatelabo.jp/20210710192009
70年代末から80年代初頭のシティポップ(ス)って言われてた音楽は「街」のことばっかり歌ってました。山下達郎も吉田美奈子も荒井/松任谷由実も竹内まりやも大貫妙子もEPOも、みんな消費文化の極みともいえる当時の東京で生きる事への自負と強迫観念と焦燥と疎外感があったんでしょう。彼らの歌には、具体的地名を伴わない、抽象化された「街」「この街」「都会」「ダウンタウン」などの言葉が歌詞の中にバカスカ出てきますが、これはほぼ全部東京のことなんです(海外行って本格ファンク/RandB路線に転じた後の吉田美奈子は除きます)。シティポップ(ス)の名前は伊達じゃないですね。
『オレたちひょうきん族』がオープニング・エンディングにシティポップを盛んに使っていたのも、今にして思えば、テレビ業界・芸能界の内輪の目線を悪ふざけしながら曝露するという切り口が、虚飾の栄華に満ちた消費都市としての「東京」を象徴しているようで、まさにvaporwave的な世界観を体現する繋がりだなと思います。