はてなキーワード: リードとは
同僚に子どもが生まれた。しばらくは子どもがかわいいと浮かれていたが、ここのところは愚痴っている。思ってたんと違って嫁の親が孫の面倒をあまり見てくれない、と。
そんで嫁の親はおかしいのだろうか? 関わってみるといい人だが癖が強いようにも思えるのだが、なんて同僚は言う。嫁が出産入院している間、同僚宅に泊まり込みで家事をしてくれたというお義母さんに対してその言い草だ。
同僚は平時から被害者意識が強く、こいつにかかればどんな人でもちょっとした失敗や性格の瑕疵などのために悪人とされてしまう。なので同僚に真正面から物を言うと面倒臭い事にしかならんから、同僚の言うお義母さんの悪口、同僚の嫁が同僚にこぼしたお義母さんの悪口を、自分はふーん、それはやだねぇ、なんてゆるふわに流すに留めたが、おそらくそういう自分にとっては当たり障りない対応も同僚には気分次第で冷たい奴だなんだと悪く取られていることだろう。
ともあれ、自分が思うに同僚のお義母さんはわりとふつーだ。シンプルにもう年だから疲れてんだよ。赤ん坊の面倒みれるほど体力有り余ってねえの。
世の中の人達は軽率に子育てするのに親を頼れっていうが。それは自分自身がまだ10代や20代前半の若くて未熟な時ならば通用するけれど、三十路を超えたら通用し難い。自分がそれなり歳を重ねていると同時に親ももういい歳である。時代が時代なら子供夫婦に生活の保障をしてもらって、盆栽とかお茶とか体力の要らない遊びをしてのんびり暮らす歳だ。
そういうじーさんばーさんに今から孫の面倒お願い! っていうのはなかなか酷なことだぞ。たとえて言うなら既に一度退役した老兵を少年兵のサポートをするためにまた戦地に送り込むようなもの。倫理的にも微妙だ。だってじーさんばーさんは若い頃に頑張ったんだから。それ以上頑張れっていうのか。いつまで頑張り続ければいけないのか。
という訳だから。今時はじーさんばーさんも気持ち的には孫の面倒を見るとか可愛い娘息子のために色々してやりたいと思ってるらしいし言うけど、いざ実行しようとするとどう頑張っても体力が追いつかんなんてことになる。
それでも孫の面倒を見てもらっている現役父母というのはいるものだが、老いてますますバリバリ元気なスーパーおじいちゃんおばあちゃんに恵まれたのでない限り、内情はエンタメとしての「孫育て」という名のアクティビティを楽しんで貰う為に下準備や根回しを用意周到にしてやっと実現させているのではないだろうか。おじいちゃんおばあちゃんに孫を見てもらったおかげで束の間の休息を得たり多忙なスケジュールを何とか乗り越えることが出来た。けど、すっごい疲れたナー。とか思ったりなどして。
自分が二十代の終わりくらいの時、久しぶりに自分の両親や昔よくしてくれた親戚のおじおばや近所の年寄りに会う度にちょっとびっくりさせられたことがある。昔は自分の話をうんうんと何でも聴いてくれた大人達が、今となってはこっちが会話をリードしてくれるのを笑顔だがずーっと待っている。みんなそうするのだ。その時自分はもう甘える様な歳じゃなくて、この人たちを支えて行かなきゃいけないんだとしみじみ思った。
この日記のタイトルは、少し前にTwitterで話題になった「はてな匿名ダイアリー」から頂いたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20241021131553
なぜこの日記が話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。
私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに「女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身も過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトルの当事者であったからだ。
そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトルの当事者を自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記の目的である。この日記をたまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。
そもそも「弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。
自分はその意味で、過去はバリバリの弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことはほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。
自分なりにモテなかった理由を分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。
①顔が悪い
①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。
②に関しては自分の家庭内環境が大きかったと思う。自分の家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内に母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子が普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子と恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。
前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテるモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。
小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエ、ガンプラ、カードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的に女子とどんな話をすればいいか分からず、全く女子と話さない学校生活をつづけた。
小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分も思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。
そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲームで女子が「自分と握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。
さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラスの可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子はヤンキーしか好きにならない」=「女子はバカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。
しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期のベタな感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。
そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミングで希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。
高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験、恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。
高校生活は特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学に合格できた。
自分が行っていた大学はいわゆる私立文系のマンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代の女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しかし女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。
転機となったのは、英語のクラスで好きな人ができたことである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。
またその友達が他の女子と自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。
ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しかし恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。
(AKBの歌詞みたいだね。好きって気持ちが大事なんだーって。さすが秋元康は童貞の気持ちをよくわかっている)
ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。
その子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。
後から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。
そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。
ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。
まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合、先天的なものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれて弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。
次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分が弱者男性であると自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。
恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型やファッションは変えることができる。今となっては、自分も他人の恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型とダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間の流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチで美容院やファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型やファッションに金を回したくない人も含む)。
そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型やファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型やファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型やファッションを雑誌やSNSで学び、カネをかけるべきである。
自分はと言うと、なぜか中学くらいからファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型やファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。
これは、弱者男性が恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子の要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。
「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子は貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)
対策としては、デートまでの日時とデートプランはこちらである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子の要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子が貴方を査定するには必要十分なセッティングだ。
いかがだっただろうか?この日記は特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。
自分もまだやっていないのだが、自分の日記と元の日記(https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。
もしこの辺境の地の日記をたまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。
では。
妻が機嫌が悪くなると、彼女は突然俺にダンスバトルを挑んでくる。彼女の選曲はいつも「エレクトリカルパレード」だ。
俺は彼女の動きについていけず、お手上げ状態。だが、妻のキラキラした笑顔と楽しそうなステップを見ると、不思議と少しずつ気持ちが乗ってくる。俺もぎこちないながらも、なんとかリズムに乗ろうと試みる。妻はそれに気づくと、くすっと笑って、手を差し出してくれた。
「ほら、こうやって一緒に踊るんだよ!」と妻がリードしてくれて、俺たちはだんだん息が合い始める。最初は戸惑っていた俺も、次第に心から楽しめるようになってきた。
最後には二人とも息を切らしながら笑い合い、ソファに並んで座り込む。妻はニコニコと笑顔を浮かべながら、「たまにはこうやってストレス発散するのもいいでしょ?」と楽しそうに言った。
それは「リードして欲しい」であって「合わせて欲しい」ではないぞ
20代前半女性の“ボイン”という語彙で嘘松センサー作動、彼氏発言でメーター急上昇、“年上にリードされることを望む普通の女”でメーター大爆発。
ツッコミどころをあえて作って大勢に言及させ、波を起こしてサーフィンする匠の技です。いい仕事してますね。
前半で巻き気味に女性オタク用語を多用したのは設定を早めに信じさせるためなんですねぇ。ニクいなぁ。設定開示なんて早ければ早いほどいいですからね。タイパの時代は数行読んで要領をえなければ読者は逃げてしまいますから。
ゲームを楽しむことこそが至高の行い。ストレス解消や自己表現、仲間との絆を深める手段としてゲームを重んじる。
人生においてもゲームと同じように、失敗したらもう一度やり直すことができる。リセットボタンを押してもいいんだ、諦めるな。
課金も時にはよし。でも、無課金の道を歩む者たちには尊敬を。どんなプレイスタイルも平等に尊重されるべき。
RPG、アクション、パズル、シューティングなど、どのジャンルも一つの世界観を築くものであり、それぞれに楽しみがある。
年に数回、全国の信者が集まり、最新のゲームをプレイしたり、昔懐かしい名作に浸るイベントが開かれる。もちろん、賞品が豪華なトーナメントもあり!
毎週末には「聖なる配信タイム」があり、みんなで推しのゲーム配信を見ながらチャットで盛り上がる。ゲーム実況者たちは「教の声」として、信者たちの楽しみをリードする。
特定の日に開催されるイベントで、歴代の強ボスに挑戦するマラソン。協力して倒すもよし、ソロで挑むもよし。
オンラインでみんなが一緒に集まり、協力ゲームや対戦ゲームを楽しむ集まり。新しい仲間ができる場でもあり、ギルドやクランの結成も推奨される。
毎朝、神聖なるゲーム機(ハードウェア)に電源を入れること。これが一日を始める「お祈り」とされる。
ゲームのストーリーをクリアした後にエンディングをみんなで見て、感想を語り合う。エンディングを迎えた者には「クリアの証」が授けられる。
夜更かししてでも大きなクエストやダンジョンに挑む行為は、聖なるチャレンジとされる。寝落ちしても笑って許される文化がある。
ゲーム教の聖地として、巨大なアーケード施設があり、レトロゲームから最新VRまであらゆるゲームがプレイできる。24時間営業で、朝まで対戦イベントやマルチプレイが楽しめる。
重要な決断をしたいときや、人生の節目に「セーブ」したいと感じるときに訪れる神殿。セーブの儀式を行うと、気持ちがリセットされ、新たなステージに進む準備ができると言われている。
あらゆるジャンルの攻略法や、ゲームの心構えがまとめられた書物。大切なのは勝つことだけじゃなく、楽しむこと。ミスしたときの笑い方や、仲間と協力するコツなど、人生の教えにも通じる。
あえてフラグを立てる、もしくは避けるための知恵が詰まった書。ゲームだけでなく、日常生活でも「フラグ」を見抜く目を養える。
ゲーム教のコミュニティのまとめ役。みんなが楽しくゲームできるようにイベントを企画したり、困った人がいたら手助けする。時にはギルドのボス戦で指揮を執ることも!
運試しの達人。年に数回、みんなで集まってガチャイベントをする時、ガチャ司祭が儀式を取り仕切る。引きの強さでみんなの尊敬を集めるが、逆に大ハズレを引いてもネタにされて愛される存在。
何かに挑戦して失敗したときに祝う日。失敗も経験の一つと考え、その日をお祝いすることで「リトライする勇気」を育む。
誕生日や、新しいことにチャレンジした日を「レベルアップ」として祝う。みんなで経験値(XP)を積んでいることを称え合う日。
20代前半ショタコン女で、腐女子で夢女子でおねショタ願望まである。
好きなショタのジャンルはホビアニ系で、平たく言えば筋ショタデブショタ系。女性向けのショタにはあまり食指が動かず、男性向け より正確に言うとゲイ向けのショタを食い物にして生きてきた。
ショタ以外ではガチムチ熊系が好みなため、いよいよ身近な女オタクと趣味の話で盛り上がったことがない。
(追記:そんな私に非常に理解のある神ゲームがある。魂これだ。無料のブラウザゲーなので同好の士は是非プレイしてみて欲しい。)
15年ほどオタクをしており、大半を腐女子として過ごしてきた。
しかし20代に差し掛かったあたりから、原作でヘテロの年端も行かぬ男児をつがわせ 熱い友情を陳腐な恋愛感情にしてしまうことに抵抗を覚え始めた。
原作では道行くちょっとエッチでボインなお姉さんに顔を赤らめている推しを、犬猿の仲の男児に性的に宛てがうのはいかがなものなのか?
大好きだった二次創作も、作者の自己投影が透けて見えたり推しの竿化穴化を敏感に感じ取ってしまうようになり、以前ほど打ち込めなくなった。
女性向けコミュニティ(2010年代のホビアニを未だ複数渡り歩いているので全体的に高齢で斜陽)で萌える二次創作を探しては、子育て経験の投影だったことを明かされて悪寒がした。
元より女性向けの嗜好ではないところを無理矢理女性向けコミュニティに居座っていたガタが来ているなとも感じていた。即売会に差し入れだとかファンイベント以外のオフ会だとかいうものに馴染めなかった。
これといって定住できる場を失った私は、供給をかなぐり捨てて自分の原点を探す旅に出た。
実家の本棚を漁り、昔のPCのブックマークからジャンルを思い出しては読み耽った。
最終的にこれだと思ったのが、20代半ば~年齢不詳の美女と12~15歳の少年の純愛を主軸とした硬派な少年漫画だった。
元からおねショタものは好んで見ていたが、自分ではあくまでショタメインで読んでいるものと思っていた。
しかし例の漫画を読み返してみると、当時5歳ながらに感じていた美女に対する強烈な憧れとおねショタ願望がふつふつと湧き上がってきた。
使命に燃える少年を時に支え、時に誘惑する、強くて美人でちょっぴりエッチなお姉さんになりたかったのだ。
まあこの作品が特別好きだっただけだろうと気を取り直し、同時期にハマっていた記憶のある作品に手をつけた。思えばこの作品に出ていた美女と推しの絡みを毎週楽しみにしていたなと思いながらページをめくった。
しかし待てども待てども美女と推しの絡みは出てこない。最終話まで読み終え、全て幼い自分が作り出した妄想展開だったことに気付いた。
今はそのジャンルで架空のキャラクターを創作し、エンディング後の世界で推しと出会う妄想に耽っている。
いかに身体を重ねずに推しを誘惑するか、新たな使命に立ち向かう推しを支えるかといった妄想に日々胸を踊らせている。もちろん最終的には推しの未発達な身体を貪るというゴール付きで。
そんな私も来年から社会に出る。適齢期なので申し訳程度に彼氏もいる。
彼氏は人として一応尊敬しているが、性的な雰囲気になった瞬間に耐え難い苦痛に襲われる。好みのはずのガチムチ男なのにだ。
やはり身体を許すは伸び代があって何かに打ち込んでいる純情な成長期の少年がいいと思ってしまう。伝聞ばかりで膨れ上がったリビドーにそっと寄り添いたいのだ。
もちろん私は爆美女お姉さんではない。頑張って見た目に気を遣い、体型の割に大きな胸にも恵まれたが、あの日憧れた彼女らには遠く及ばない。
電車で隣に座る中学生に内心浮き足立つこともある性犯罪者予備軍だが、決して彼らと言葉を交わすうもりはない。
だのに強烈なおねショタ願望を捨てられずにいる。
自分より歳も身長も経験も上の男にリードされることを望む、そんな普通の女になりたい。
【追記】
私の性癖を曲げた例の漫画について興味を持ってくれている方がいるようなので紹介したい。
魔砲使い黒姫という月ジャン(現ジャンプSQ)で2010年くらいまで連載していたガンファンタジー漫画だ。
全18巻だが5巻までが収まりもよく私が狂おしく好きだったおねショタ部分が詰まっているので是非見てほしい。私は実家と現住所に単行本とKindleまでそれぞれ全巻揃えている。
男主人公の年齢がショタと言うにはやや高めで、フラットに年齢を推定すると16,7歳のギリショタだが、純朴な性格やおねの美熟女感、世界観とのバランスを考えると全然おねショタものと同じ筋肉を使って読める。
おねが呪いでロリになる展開もあるのでロリコンも読んで見てほしい。
ショタとして年齢が高すぎると感じたら後半で過去編があるのでそっちも試して欲しい。おねも女子大生くらいの年齢に引き下げられてしまうが、ショタが5~9歳くらいになるので美味しくいただける。
現存する感想や二次創作も非常に少なく供給不足なので、読んだ暁には増田でも5chでも支部でもいいので感想かファンアートでも描いて欲しい。
月ジャンとかこの増田嘘松ババアだろと思われること請け合いだが、親のコレクションを盗み見て育ったのでラインナップの古さには目をつぶって欲しい。てんで性悪キューピッドとダイの大冒険との3択だった。90年代感の強いエッチ展開が好きな感性はこのあたりで養われたように思う。
「先進国」は、経済、技術、生活水準、インフラ、社会的発展の面で高度に発展した国を指します。一般的に「先進国」として認識される国にはいくつかの定義がありますが、以下の要素がよく考慮されます。
1. 高い一人当たりGDP:一人当たりの国内総生産(GDP)が高いことが、経済的な発展度を測る指標の一つとなります。
2. 高い生活水準:医療、教育、福祉、インフラなどが整備され、国民が安定した生活を送れる環境。
3. 技術的発展:先進国は、科学技術の発展においてリーダー的存在であり、産業や研究開発が進んでいます。
4. 政治的安定と民主主義:民主主義体制の国が多く、政治的に安定していることが一般的です。
5. 人間開発指数(HDI):生活水準、寿命、教育レベルなどに基づいて評価される「人間開発指数」が高い国が多いです。
いくつかのリストやランキングがありますが、以下は一般的に「先進国」として認識される国の一部です。
• アメリカ:世界最大の経済大国であり、技術・産業・軍事のいずれも世界をリードしています。
• 日本:高度な技術力と経済力を持ち、長寿と高い教育水準が特徴です。
• ドイツ:ヨーロッパ最大の経済大国であり、製造業や工業分野に強みがあります。
• カナダ:天然資源が豊富で、生活水準が高く、福祉が充実しています。
• イギリス:歴史的に世界の中心的な国家で、現在も金融や文化の分野で影響力を持っています。
• フランス:ヨーロッパの主要国で、文化、技術、工業が発展しており、国際的な政治的役割も大きいです。
• オーストラリア:生活水準が非常に高く、自然資源が豊富で、社会的な安定性もあります。
• スウェーデン、ノルウェー、デンマーク:北欧諸国は高福祉国家として知られ、教育や医療のシステムが整っており、環境や人権にも力を入れています。
嘘やろ?前回133票差だぞ。前回選挙から「あの」原口が伸びる要素があるんか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%AC%AC1%E5%8C%BA
まず、日本含む世界の大きなトレンドとして2つの政治思想がある。
自分がどちらに属するのかを見決めて、それから投票行動を決めたほうがいいと思う。
1つ目(以下、A派)は、いまの国民(とその未来に産まれる子)を最優先にするという考え方。
2つ目(以下、B派)は、人類はみな同じで大切だから、いまの国民とかに拘らず全部救おうという考え方。
例えば、
B派は「苦しんでいる人がいるなら日本に呼び寄せて救おう」という考え方。その際の生活費や保険は日本国民が負担すればいい、という考え。中国やアジア諸国だけではなくアフリカやトルコからも呼び寄せてる。A派は「日本の税金で外国の人間を養って治安あらされるのは嫌・・・。だけど労働力としては使いたい」という感じでA派でも割れる。
A派は「世界をリードする国として復活したい」という考え方。科学に投資するし国を守るための軍備や外交も増やす。A派でも「そのためには借金をして投資が必要だ」という考え方と「借金は悪だからら最適な投資先だけ選んで狙おう(注どうやって?)」という考え方に分かれる。
B派は「衰退を受け入れよう。世界一は中国に任せて3〜5番手くらいの国になろう」という考え方。投資は必要ないし産業もどんどん減るから働き口はなくなる。高齢者介護や小規模農業をやって地道に暮らそう、という考え方。
A派は2種類ある。「日本がリードして世界を守る」派と「アメリカがリードする」派。どちらも戦争に巻き込まれるのは避けたいと思っている。
B派は「中国の機嫌を損ねてはならない」という考え。戦争に巻き込まれるのは避けたいが、攻め込まれることはないと思っている
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追加。
ちなみに俺はそこそこ極Aな。理由は日米欧のBがC国のA派に乗っ取られてるのを日々感じてるから。国際政治の複雑な陣取り合戦の中では純粋なBは存在しないんだなじゃあAでいいや、って感想。
私は現在、欧米のとあるテック企業でソフトウェアデベロッパーの仕事をしている。
上司は中国東北地方出身の秀才で、テックリードをしつつマネージャー業もそつなくこなし、人の批判などは全くせずに、できるだけ現場の状況を汲み取りそれを上層会議でPMと納期の交渉もしてくれる。
それでいて、ソフトウェア開発、ネットワーク関係の知識と実務能力は秀でており、プロジェクト内容に合った技術選定、要件定義、それからチーム内で発生した技術的問題を次々に解決していく。
一度私のヘマで、深刻なバグが発見された時も、私を責めるどころかPMに何と言い訳をするかを一緒に考えてくれたことがあった。
彼のおかげでストレスなく安心して日々の業務を行えているといっても過言ではない。他のチームを見渡してみると、毎日緊張感が漂い、極たまにではあるが、怒号が飛び交っているのが聞こえてくる。
それとは対照的に私たちのチームでは冗談を言い合えるような余裕ある雰囲気を保っている。
そんな彼が最近、2週間ほどの有給をとり日本へ小旅行へ出かけた。
この間、Teamsでごくために業務内容の確認などは行ったが、久しぶりのまとまった休みを十分満喫しているようだった。
旅行から帰ってきた彼から日本で買ってきたお土産の和菓子を渡され、それを食べながらしばらく歓談した。
初めての日本は彼にとってはとても素晴らしい経験だったことを話していたのだが、急に口ごもり始めた。
何だろうと注意深く聞いてみると、どうもソープラドへ行って来たらしい。9万円コースを選択したのだとか。私は行ったこともなかったので、「それは高級でいいことろですね。」と返した。
すると、最初はスマホにインストールした自動翻訳音声アプリを使って会話を楽しんでいたそうだが、コース内容が進み、お湯に浸かる段階になったところでどうしてもスマホを水から遠くに置かなければいけなくなり、結局会話は諦めてしまったのだそう。それプラス、翻訳アプリを操作できる状況ではなくなったのだろう。
この部分、何とか解決できないだろうかと、しばらく考え込んでいた。
この意見については、いくつかの妥当な点と問題点、矛盾点が見られます。以下にそれらを整理して評価します。
妥当な点
• 自然科学の研究分野において、中国は論文数や研究の質で急速に成長しており、アメリカを追い越す分野も出てきているのは事実です。中国の研究開発費も増加しており、この点は現実を反映しています。
• 中国の製造業の競争力や発展についても、多くの国が依存している現状を考えれば、意見の妥当性があります。特に半導体や鉄鋼など、製造業でのシェア拡大は現実に進行している問題です。
• アメリカが製造業から離れてITや金融にシフトしているという指摘も、事実に基づいています。アメリカは確かにハイテク産業やサービス産業を強みとする一方、製造業の一部が海外に移転している状況が続いています。
• 米中の緊張関係が高まっていることや、台湾有事の可能性について触れている点も、現実の国際情勢を反映しています。アメリカと中国の競争は軍事や経済だけでなく、地政学的にも大きな影響を与える可能性があります。
• アメリカが製造業で完全に衰退しているという意見は極端であり、現実とは少し異なります。アメリカは依然として半導体やハイテク製品の分野で強力なプレーヤーであり、技術革新においても世界をリードしています。また、製造業への回帰が進んでいる動きも見られます。
• 自然科学や製造業で中国が優位に立っている分野が増えていることは確かですが、軍事力や全体的な経済規模においてアメリカを完全に追い抜くという予測は、依然として不確実です。多くの要因(政治、技術のブレークスルー、経済政策など)が絡み合っているため、単純に「いずれ抜く」と断言するのはリスクがあります。
3. 「経済が追い抜かれる前に潰すしかない」という表現の非現実性
• 「アメリカが中国を潰すために行動する」という考え方は、現実の国際政治の複雑さを考慮していない面があります。経済制裁や関税政策は確かに利用されていますが、全面的な対立を望んでいるわけではなく、協力や対話も試みられています。
• 日本や韓国、台湾が再び製造業に注力するというシナリオは一理ありますが、それが中国に対抗できるレベルにまで達するかは不透明です。生産コストの問題や人材の不足など、製造業回帰には多くの課題が存在しています。
• この見方は単純化しすぎています。確かに、西側諸国が労働コストの低い国々に製造業を移転している歴史的背景はありますが、今日のグローバル経済は相互依存的であり、利益共有や技術協力の関係も重要な要素です。
• この意見をより説得力のあるものにするためには、具体的なデータや現実の事例を引用し、推測や憶測に基づいた主張を避けることが重要です。また、アメリカや中国の強みと弱みをバランスよく評価することで、より包括的な視点を提供できるでしょう。
この意見には、中国の台頭やアメリカの現状について妥当な指摘がある一方で、過度に単純化された見解や、極端な推測に基づいた部分も含まれています。国際政治や経済の複雑な動向を考慮しつつ、より現実に即した分析を行うことが重要です。
https://anond.hatelabo.jp/20241018010542
コレのつづき。
反応とか見て、気付いたことか含め書いてくよ。
・N=1の話は話半分で聞いとけ、書いたが、育児ハックが存在しない、というわけでない。
育児ハックを行う際、前提条件が個別に違うので、全員に共通ってのを1人の経験から出すのは難しいため、育児ハックには前提条件含め捉えることが大事、という話。
話半分で聞いとけ、のもう半分は育児ハックを行う上での前提条件だよ。
前提条件が無いと、コレやりゃ出来るだろ、できないのはそっちの努力足りないんじゃない?感や、前提条件側に多大なポイントあるのにそこ書いてない時点でお前分かってないやろ、というが出てしまう(本人の意図関わらず)ので、反感を買ってしまうのだと思ってる。
育児ハックは、どんな状況か、どんな子どもか、など前提条件がセットでないと、信用が落ちがち。
(本来ならハック全般に言えることなんだけど、育児ハックを求める人は育児で精神をすり減った状態/経験があって読むものなので、ここらへんの反応がナイーブになってしまう。それを仕方ないな……と思えるかどうかも、大変さを身を持って体験した育児サバイバーなら理解できるはず。その理解の差が分断を生んでる気はしてる。)
N=1じゃ当てにならないならどうすんねん、ってのが前の記事で多くあった反応だったと思ってる。
N=1じゃない信頼できる情報なら良いんですよ、ということで、NHKのすくすくシリーズの情報がかなり良い。
司会のパパママ芸能人2人と、参観のパパママ子どもたち、育児の専門家や産婦人科小児科の先生等専門家2人。
参観のパパ・ママからの質問や悩みに対して、芸能人の意見だけでなく、多くの子どもや親を見てきた専門家2人がそれぞれ違う意見を言ってくれるのが良い。
https://www.nhk.jp/p/sukusuku/ts/DNYRMZW5Q1/
そもそも放送時間に合わせて観るのも、録画してみるのもだるすぎる。
すくすくシリーズの放送内容を書いてあるサイト、すくコムがオススメ。
気になることは、だいたいここで調べれば、比較的最新で、ちょうど良いバランス感の情報が良い感じに出てくる。
育児を男性目線でありつつも、寄り添ったコメントくれるので、かなり参考になるんだよね。
https://www.sukusuku.com/contents/search?keyword=%E5%A4%A7%E8%B1%86%E7%94%9F%E7%94%B0
暇があったら覗いてみると良いかも。
・子どもを育てる上で、一番大事なのは兎にも角にも、死なせないこと。あいつらマジで何やっても死にそうになるので、それを防ぐことが一番大事。
ひと昔前、Anotherというホラーアニメがあったが、日常のなんてない行動で人が死ぬシーンは、ホラーを通り越してコメディだろ!というツッコミが入り、Anotherなら死んでた、というネットミームが生まれた。
アレがリアルで起きそうな現場に遭遇するのが子育てだったりする。
2番目は聞き分けが良く頭が良い子なのだが、その一方でとにかく好奇心を抑えることができずワンパクで運動神経も良かったので、何度も危機に遭遇した。
ポップコーンをノドに詰まらせて息ができなくなり上下逆さまにして無理やり取り出す、トイレに両足を突っ込んで入って遊ぶ、大人が手を伸ばして届く高さがある棚をボルダリングの要領でよじ登り天井近くまで登る、会社から電話がかかってきて数秒目を離した間にプールに飛び込みうつ伏せでプールに浮く……数え切れない死にかけエピソードがある。
死にそうになってる→気づいて対処、のリードタイムが短くて、死ぬリスクが高いやつはできるだけ事前に潰す。その他気付いて対処しやすいやつはある程度諦めないと、こっちが病むのでほどほどにしとく。
・ピーナッツの豆類は気管に入って死ぬことがあるので絶対に注意。気管に詰まる系のやつは結構気づきにくい。その他口に入るサイズのもの全般注意だが、食べ物でない口に入るサイズのものは飲み込まず、飴のように口にいれたまま遊んでるので案外大丈夫だったりするので、あまり気を遣いすぎなくても大丈夫だったりする。でも、歩きはじめはやたら転ぶので、勢いで飲み込むリスクがあるから、やっぱり注意で。(ポップコーンはどこかでもらった小袋のやつを上の子が食べてるのをつまみ食いした時に起きた。完全に油断。)
本当にヤバい時119に連絡すると、救急の人が電話で対処を教えてくれる。
対処後は、ケロッとしたいつも通りに戻るのだが、救急車は念のため家まで来てくれた。
血中酸素濃度など色々診断し、問題無いということで、すぐに帰っていった。
・乳児の段階だと、うつ伏せで寝てたりすると、口などが塞がれてそのまま窒息死する、というのが昔からある。
うつ伏せの方がよく寝るので、仕方なくうつ伏せにしてしまうのだが、それを察知して対処するのはかなり難しい。
うちの子らは、もう諦めて定期的に様子をみてたのだが、保育士をしてる僕の母から、ベビーアラームなるものを教えてもらった。
保育所で使ってるらしいが、買うと一万円近くするので、買えないまま過ぎてしまった。
うちの子らは、気合いで乗り切ったが、プロも使ってるという点で機械で解決するのもありなのかも。
・バリケードで子どもが出入りできなくするのを2番目までちゃんとやってたが、2番目のあまりのワンパクぶりに、3番目以降はもう諦め、バリケードは使わなかった。
結局のところ、危ないものは子どもに届かないようにしておけば、バリケードは無くてもそんなに困らなかった。
むしろバリケードがあると、そこにお宝がある!!と勘違いをし、バリケード突破RTAが始まるので、どっちが良いのか分からなくなってしまった。
バリケードをしたい危ないものの代表格に階段はあるが、なんやかんや子どもはどんなに小さくても危機察知能力が多少はあるので、派手に登っても、危ない降り方はしないので、案外怪我とかはしない。したとしても数段踏み外すくらいで済む。どちらかというと、登った先で降りられずに泣いて騒ぎ、迎えに来い、とアピールすることの繰り返しが面倒か否かが問題だったりする。
・テレビでもYouTubeでも何でも良いが、なんやかんやで動画は子どもの機嫌を良くするのに非常に便利。子どもの資質にもよるが、動画が無い環境だと、機嫌が良いときも子どもに誰かがついていないといけなくなる。
上の子がいると良い、みたいな話がよく出るが、上の子は動画と同じく機嫌が良い時に遊ぶ相手でしかないので、機嫌が悪くなれば上の子に関係なく親が世話しないと落ち着いてくれない。
上の子を動画見せずに根気よく育てた家庭は、2人目以降滅茶苦茶、楽になりそう。
動画見せてる家庭は、言うほど変わらない。
1人目は図鑑を眺めるのが好きだった時期があり、それが続いていればなんとかなってたが、続かなかったので、動画の世話になった。結局のところ、子どもによる。
カバーはラバーやシリコンの衝撃に強いやつじゃないと、落下回数が多すぎてマジで壊れる。
機嫌が悪いとき、意図的に机の物を落とす時があり、それで結構ガンガンやって、1台駄目にした。
スマホスタンドとかでタブレットを立てて見ていたが、子どものタッチの勢いが強かったりすると、変に倒れて揉めるので、近くのホームセンターで買った安めの書見台をタブレットのスタンドに使っている。
YouTubeを長く見てると、幼稚園に入る前後あたりから、マイクラの動画を自然と見るようになる。
前はヒカキンからマイクラを知ったが、最近はちろぴのからマイクラを知ってる気がする。
ヒカキン、どの子もあの声とあの顔に滅茶苦茶反応してたので、ヒカキンはアンパンマンに近い存在なのではないか、と思い始めてる。
3Dゲームなので、視点の移動と、操作キャラの移動、などやることが地味に多く、最初プレイするにはマイクラはかなり難しいゲームなのだが、それ以上に好奇心や興味が勝り、結局年少の終わり頃にはクリエイティブモードでは自由自在に作れるようになる。
そうなると遊びの幅がぐっと広がり出すので驚く。
元々YouTube kidsの動画で、おもちゃを使ったごっこ遊びの動画を見て、ある程度真似をするのだが、マイクラを覚えると、レゴやその他ブロックで、建物や乗り物などを作る能力や想像力が鍛えられ、ジオラマセットをブロックと人形で作って遊ぶようになる。
ブロックやごっこ遊びだけでなく、動画を元に色々な遊びを見つけて、自分でやりだす。
幼稚園で親子でブロック遊びをするイベントとかあると、単純に四角をつくる子どもが多い中、凄い立体物つくる子どもは、だいたいマイクラにハマってる子どもだったのである程度再現性はある気がしてる。
……ここまで書いて疲れてきたので、いったん区切り。
子どもが泣くことに対して、親がある程度許容して上手くやってく話とか、風邪への立ち向かい方とか、色々書こうと思ったのだが、迷子のまま何書くか分からず力尽きてしまった。
やる気が出れば次もまた書こう
なんかたくさんブクマとコメを貰ったのですが、一部誤認されている方も多いので言っておきますと、すでに彼女達とは別れています。
一部の方々に強い賛同をもらえて嬉しいです。特に「増田はこの考えに至るまでにとても多くの時間を使ったんじゃないかな。彼女さんはどれだけ時間使ってくれてたんだろうね」と言ってくれた方、とても嬉しかったです。
お気づきのとおり、彼女は自分の気持ちを知って欲しいだけなので、相手側の立場に立って考えるということをしません。
少なくとも私は誠実に相手を理解するために、たくさんの時間を使いました。それこそ、一部の方々から粘着と揶揄される程度には、きっちりと相手を見ていたし、それに対する自分自身の反応も分析してきました。そのうえで、やはりこのコミュニケーションは駄目だと思います。詩への昇華や転嫁は自己解決の手段として使う事は出来ますが、それを使っても相手との関係値は深まることがなく、永遠に平行線が続くだけです。そうするしか選択肢がなくて追いやられた結果なら悲しいことですしそうするしかないのかもしれませんが、最初から相手と向き合うつもりがなく自分の精神的世界に引きこもって独り遊びをするのは、単に子どもで卑怯なだけです。
誠実なパートナーとして相手を信頼できるかどうかは、何か大きい障害や問題が起きたときでも、この人となら一緒に解決していけるという自信や確信が持てること。彼女たちの多くは、自分自身を理解されたがってはいましたが、自分の方が相手を理解しようとしたり相手とテーブルについて、同じ土俵で擦り合わせをする能力に欠けています。促しても教えても、受動的である限りこちらが相手をリードするしかない。それは見方を変えるとコントロールであり、立ち位置が変わればモラハラと表裏一体です。
私は彼女を支配下に置きたくはなかったし、コントロールするのもされるのも嫌でした。
私は自分が彼女に対してモラハラをしないため、自分を守るために彼女から離れるという決断をしました。
故に、私はモラハラでもパワハラでもないと自信をもって言う事ができます。
昔、私とのすれ違いか何かで彼女が詩か何かを作って投稿したのを見てた事があって、その詩が私が原因で落ち込んだ事と、その落ち込んだ自分の気持ちを詩で昇華してる事が傍目から見て私にはわかったんだけど、そのとき滅茶苦茶モヤモヤしたのを覚えている。別にそのすれ違いはすぐにでも解消可能なものなのに、勝手に落ち込んで勝手に詩を作ってsnsに投稿して反応もらって慰めてもらっている一連の状況が、私からすると私との関係性においてなにひとつ自分から努力も行動もしないのに、気持ちだけは慰めを欲して周りにぶつけているようにしか見えなかったからだ。本人が見えるところにそれを投稿することも含めて、語彙力を極限まで薄めて誰にでもわかりやすい言い方をすると「すごい嫌な感じ」だ。寂しさもすれ違いも、相手ときちんと向き合って自分で解決すればいいのに、それを詩に昇華して間接的に周囲から同調を買ったりこちらに訴えてくるやり方に、とにかくひたすらモヤモヤした。
もちろん私はその事を本人に直接伝えた。
ものすごくモヤモヤする投稿で、あなたは気持ち良いだろうが私は嫌な気持ちだ、と。
結局、彼女は投稿自体を削除するわけだが、そのときに「ここでは詩は投稿しない」(後に短歌も作らないということになった)という風に彼女は言ってくる。
今考えると、これは戦略的な無知だったのではないだろうか、と思う。
私がモヤモヤしたのは、仮にも交際している相手との間で起こったことをネタに詩を作って本人の見えるところで投稿し、自分自身にも改善することやできる事があるはずなのに、それをせずに投稿から同情や共感を買ってる姿に腹が立ったのであり、創作そのものを否定したことはない。そもそも論、創作自体苦手な彼女だったので、詩も短歌ももともとライフワークではなく、たまたま私が短歌を趣味としていたので向こうも関心をもって作るようになったという部分があるなかで、これみよがしに不安や不満を詩にして頑張ってる自分への応援みたいな形で出される事が、私にはあてつけのような行為にしか見えなかった。互いの間にすれ違いがあるなら、互いの間でシンプルに解決すればいいしそれが可能なのに、それが出来ない自分自身を見つめ直すことも相手と向き合うこともせずに、突然始めた創作にそれをぶつけて見えるところに置いておくというのが、たまらなく私には嫌なことであった。
そして何よりも嫌なのが「詩を作ること」をやめる、という解決手段を彼女がとったことだった。問題は、二人の間のすれ違いそのものと向き合わずに、外側にそれを向けて共感を買ったり同情を得ている姿にあるのに、根本的問題を「詩を作ったこと」にすり替えていた。そうすることで、「彼氏は私が詩を作る事を嫌がる」という認識のすり替えを起こし、まるで「詩を作る事を制限されている」かのように認識をバグらせていた。そうすることで、何か異常な要求を自分がされているような状態を引き起こし、それでも相手に合わせている自分という構図をマッチポンプのように作り出して、被害者意識を拗らせた上で自分の深層心理を守っている様子がまざまざとこちらからは見えた。それは自分自身が行った陰湿なコミュニケーションへの罪悪感から目を逸らすための行動だったし、恣意的に相手の発言に対してストローマンを作って詭弁を使って相手からの批判や否定を封じるための行動だった。
こういう戦略的な無知や詭弁は、相手とのコミュニケーションを破壊する。
自分にとって都合が良いときにボケて何もかも分からないふりをする老人のように、自分と向き合っている人の尊厳やあり方に対して、低いところからジリジリと行われる攻撃だ。
カヴァート・アグレッションの特徴は①はぐらかす ②問題をすりかえる ③真相を隠す ④被害者を演じる ⑤無知・混乱を装う ⑤人のせいにする といったところに現れる。当時は、それが隠れた攻撃性だとは認識していなかった。いま冷静になって分析すると、こういう見えない攻撃をたくさん受けていたなと思う。何故、かつて自分が付き合っていた人たちが、エネルギーバンパイアと化してしまったのか、それはどのようなところに現れていたのか。こうして形にして整理することは、未来の自分のために必要なことだと思った。彼女達はこういうコミュニケーションを取ることで、隠れた攻撃性を向けていたし、それを通して私をコントロールしようとしていたのだなという気づきが私にとっては大きな学びだった。
何故か運気がどんどん下がっていた理由は、こういうところに原因があったのだと思う。エネルギーバンパイヤの定義を調べたときに、彼女たちに対して抱いている認識とは異なる印象を持っていて、自分の中で彼女たちがエネルギーバンパイヤであるという確信を持たないでいたが、自分自身に起こった現象や状態はエネルギーバンパイヤと一緒にいるときとまったく同じだった。多分、意識していないだけで、本当はもっとあるんじゃないかと思う。ひとつひとつ向き合って見つけて、彼女達との関係性の中で受けてきた傷や絡まった糸を解いていこうと思う。
村上春樹批判が盛り上がっているので、2009年の読後感想日記を掘り起こしました。こういうところがキモかったです。
「いやはや、正体見たりですね」
「おシャレぶっていたけど、結局着いたところが渡辺淳一と同じという」
「違う道を通ってきたけど出会っちゃった。渡辺淳一の方が自覚あるだけまだいい。登場人物もそれなりに高齢になってくし」
「いや、これ遠のいたでしょう。褒める所がひとつもない」
「読んでいるときも不愉快だし、読後感も不快なのに、上下巻1000ページを一気に読ませるというのがすごい。それはすごい。そのノウハウを身につけたらいい商売になるよ。何書いても売れるね。そこは知りたいわ」
「だいたい女子高生が気持ち悪くて。何ですか、普通と違う才能があってまともに話せない胸の大きなパイパンの美少女17歳?『ダイジョウブ、セイリないからニンシンしない』吐きそう」
「いわゆる不思議ちゃん。でも女子高生は話の中ですごく重要なポジションじゃん。それをこんな書き方しかできないってのが作家として限界っていうか、ほんと正体見たりですね」
「あと、胸のことをしつこく言ってるのが気持ち悪かった。なんなの?おっぱい大好きですか。年とったらそーなっちゃったのかね」
「 『ノルウェイの森』でも胸のことは言ってたよ。ショートのコもロングのコもいいわ、ていうアレ。昔から同じと言えば同じか」
「でもあれは時代が過去だから、60年代末にはこんなこともあったのかな、て、一種の風俗検証と思えば済むところはあったんだけど、これは現代でしょ、今の風俗を描こうとしてんでしょ。全然描けてないそのズレが致命的」
「自分の年の半分の人間を仮想とはいえ現代を舞台に描こうっていうのが、若いつもりで足つってる。三人称ったって俯瞰してるわけでもなくてさ、別に今までと変わらないし。むしろ悪い」
「それに、宗教をどう捉えているか興味があったのね、『アンダーグラウンド』とかオウムを見てきて、新興宗教というものが何なのかの作家としての考察を。それが何にもない。ほんっとに薄っぺらい脳内世界」
「むしろオウムに謝れと思うよ。そんなんじゃねえだろ、人間ひとりひとりがアレだけのことをするっていうことは。リトルピーポーかよ。みんなリトルピーポーが悪いのかよ」
「いや、リトルピーポー的なものはいてもいいよ。でもその書き方の問題なのよ。あまりに中身がなさすぎる。ありそな顔してるのがまた腹だたしい」
「さなぎの中にイド?なんだっけ別の私がいて、それは実体じゃないから幼女だけどレイプしてもしていないとか。なんですかエロアニメのファンタジー?」
「しかも、トラウマですべて説明しようっていうのがペラペラだね」
「NHKの集金に連れられて歩くのがイヤだったとか。新興宗教の勧誘に連れられるのがイヤだったとか」
「まあイヤだろうけど、30歳にもなって引きずる話?」
「トラウマ話は天童荒太に任せとけばいいんだよ。もっと熾烈な目にあってる子どもはいっぱいいるよ。そんな、殺し屋になるほどの話かね」
「殺し屋(笑)。なんかヘンな映画でも見たんじゃないの。フェイ・ダナウェイに似てるとかってさ。ラストシーンは日本未公開でDVDで出てたちゃちなアメリカ映画を見ているようでしたね。殺し屋はともかく、男の方が腹だたしくてさ~。なにもしてないしさ。殺し屋が『愛のために』って命はってる時に女子高生にリードされてドリームセックスですよ。『セイリないからニンシンしない』って。アホか」
「ちょっと笑いすぎだから。あと殺し屋女は禿げた中年男が好みとかってね、そんな女会ったことねーよ。ショーン・コネリーじゃあるまいし鏡見たことねーのか団塊世代に都合のいい双方向の妄想ありがとう。むかつくわ」
「ていうか、下手なAVなんかよりずっとタチの悪いしろものだよ。文学気取りでさ。性犯罪を助長するよ。電車の中であの本を読むってのは巨乳ロリコン漫画雑誌を読むより恥ずかしいと知ってほしいね」
「読んじゃったけどね。またあの終わり方がね。終わってみてびっくりよ」
「いつもあんなんじゃん。それにしても今回が最低だけど」
「 『私には愛があります』ていうのもホントびっくり。手を握ったきり20年会ってませんがその訳の分かんない思い込み。何か美しいとでも?」
「愛ってね。とんだ飛び道具だしてきたね。いい年して」
「言えるのは、本当に年はとりたくないってことですね。こんな、他の資質でカバーしたり自分をセーブしたりしてきたのだろうのに加齢により浅はかさがだだ漏れになって正体見たりとか言われるなんて。それなりに世間の評価を受けて自分を律してきただろう人ですら、こんなになっちゃうなんて、年とるのが怖いよ。どんなに頑張っても人間は老いて劣化していくだけなのか」
「ガルシア・マルケスみたいな年とり方はできないのかね、ジャパンの作家は」
「ワールドワイドに活躍してきたけど、結局ドメスティックだったってのが泣けるわ」
「これがすごい売れてるってのも驚き。読んだ人みんなどう思ってるの?ホントどうやっても褒める所がひとつも見つからないんだけど」
「団塊世代は支持するんじゃあないの。まだ実際以上に若いつもりだから」
「このバッシングの輪を地道に広げていきたい」
「そうだね、仲間を増やしたいね」
実はこう思ってたよ、という女性たちの声が大々的に可視化されてよかったですね。
そういう声に耳ふさいで日本社会が連綿とアップデートせずに狭い縄張りで自己陶酔しているうちに世界の遥か後方に置き去りになってますけどね。まあがんばってこ
この文章は、大手結婚相談所で働く人が、婚活女性の中でも特に「拗らせた」タイプについて語っているものだね。
その内容をざっくり言うと、恋愛経験が豊富な女性ほど、過去の恋愛の成功体験に縛られて婚活がうまくいかなくなることが多い、という話だ。
「昔はモテたから、男性が全部リードしてくれて、奢ってくれて当然だ」と考える女性は、結婚という現実的なパートナーシップには向いていない、と指摘している。
まず、筆者の意見に賛成できる部分としては、「結婚は生活であり、信頼関係が大事」という主張だね。
豪華なデートや非日常的な体験は確かに魅力的だけど、現実の結婚生活では毎日の支え合いが不可欠。
サイゼリアで楽しく笑い合えるような関係性が長続きする、という例えは的を射てる。
ただ、批判したい部分もいくつかある。
まず、「恋愛経験があることが逆に徒になる」という表現は、やや極端だ。
恋愛経験は個々の人にとって貴重な学びであり、すべての女性が過去の恋愛で「拗らせて」しまうわけではない。
むしろ、豊富な恋愛経験を持つ女性でも、その経験をうまく活かして成熟した考えを持つ人も多いだろう。
さらに、「モテた過去があるからプライドが高く、ハイスペックな男性を求める」というのは、かなりステレオタイプに感じる。
全ての女性が過去の恋愛経験を理由に非現実的な期待を抱いているわけではなく、多くの人は自分の価値観や人生観を深めながら婚活に取り組んでいるはずだ。
鼻の黒ずみ、洗顔直後は結構きれいになったりするが、その後のスキンケアが終わる頃にはまた黒くなっていたりする。
これの解決法が知りたいので、いろいろ試していることを書く。
診断系(アルビオン・イプサ・西武でしてもらったことがある)ではかならず「乾燥肌」と言われる。めちゃくちゃ脂出るのに……と毎回思っている。
黒ずみ以外のトラブルはあまりない。白ニキビがたまにできるかなくらい。
頬などの毛穴はみっちり引き締まっているわけではないが開いているという感じでもないと思う。
あとは眉間と顎の角栓が気になるかも。
朝に洗顔をする習慣がなかった。叩かないでほしい。
あまり外に出ないし、メイクの予定がある日でもビオデルマで拭き取るだけだったりした。
昨日ふと気づいて、起きたときに脂が出ているのだからと思ってクレンジングすることにした。
説明受けたときは「3回くらい水つけて乳化すると落としたときヌルヌルしません」ぐらいだったと思うのだけど、乳化の段階で汚れを落としているような気がするので、オイル付けて擦る時間と乳化させて擦る時間を同じくらいにしてみてる。
外出予定がなければ入らなくても平気な人間だったが、3ヶ月前から毎日入っている。叩かないでほしい。
ちなみに朝洗顔する習慣がなかったため、洗顔=風呂であり、風呂に入らなければ顔も洗っていない。
温スチーム→風呂→スチーマーのなんかのモード を3ヶ月前からほぼ毎日やっている。それまで3日に1回くらいしか風呂入れなかったのに。
やる気のある日を細分化すると 温スチーム→洗顔→毛穴パック→風呂→化粧水・シートマスク→スチーマー これくらいやってる。
正直入浴前の温スチームは効いてると思うけど入浴後の謎モード(温冷交互に出たりするやつ)はモードいろいろ試してもよくわからない。でもパナを信じている。
かなり昔にサロンで何年かやっていたが、最近医療脱毛を2回やった。
多分これに行くのが一番早いんだろうけど最終手段みたいになっている。
1回やってみようかな。ピーリング系でいいのかな。