はてなキーワード: ホビアニとは
20代前半ショタコン女で、腐女子で夢女子でおねショタ願望まである。
好きなショタのジャンルはホビアニ系で、平たく言えば筋ショタデブショタ系。女性向けのショタにはあまり食指が動かず、男性向け より正確に言うとゲイ向けのショタを食い物にして生きてきた。
ショタ以外ではガチムチ熊系が好みなため、いよいよ身近な女オタクと趣味の話で盛り上がったことがない。
(追記:そんな私に非常に理解のある神ゲームがある。魂これだ。無料のブラウザゲーなので同好の士は是非プレイしてみて欲しい。)
15年ほどオタクをしており、大半を腐女子として過ごしてきた。
しかし20代に差し掛かったあたりから、原作でヘテロの年端も行かぬ男児をつがわせ 熱い友情を陳腐な恋愛感情にしてしまうことに抵抗を覚え始めた。
原作では道行くちょっとエッチでボインなお姉さんに顔を赤らめている推しを、犬猿の仲の男児に性的に宛てがうのはいかがなものなのか?
大好きだった二次創作も、作者の自己投影が透けて見えたり推しの竿化穴化を敏感に感じ取ってしまうようになり、以前ほど打ち込めなくなった。
女性向けコミュニティ(2010年代のホビアニを未だ複数渡り歩いているので全体的に高齢で斜陽)で萌える二次創作を探しては、子育て経験の投影だったことを明かされて悪寒がした。
元より女性向けの嗜好ではないところを無理矢理女性向けコミュニティに居座っていたガタが来ているなとも感じていた。即売会に差し入れだとかファンイベント以外のオフ会だとかいうものに馴染めなかった。
これといって定住できる場を失った私は、供給をかなぐり捨てて自分の原点を探す旅に出た。
実家の本棚を漁り、昔のPCのブックマークからジャンルを思い出しては読み耽った。
最終的にこれだと思ったのが、20代半ば~年齢不詳の美女と12~15歳の少年の純愛を主軸とした硬派な少年漫画だった。
元からおねショタものは好んで見ていたが、自分ではあくまでショタメインで読んでいるものと思っていた。
しかし例の漫画を読み返してみると、当時5歳ながらに感じていた美女に対する強烈な憧れとおねショタ願望がふつふつと湧き上がってきた。
使命に燃える少年を時に支え、時に誘惑する、強くて美人でちょっぴりエッチなお姉さんになりたかったのだ。
まあこの作品が特別好きだっただけだろうと気を取り直し、同時期にハマっていた記憶のある作品に手をつけた。思えばこの作品に出ていた美女と推しの絡みを毎週楽しみにしていたなと思いながらページをめくった。
しかし待てども待てども美女と推しの絡みは出てこない。最終話まで読み終え、全て幼い自分が作り出した妄想展開だったことに気付いた。
今はそのジャンルで架空のキャラクターを創作し、エンディング後の世界で推しと出会う妄想に耽っている。
いかに身体を重ねずに推しを誘惑するか、新たな使命に立ち向かう推しを支えるかといった妄想に日々胸を踊らせている。もちろん最終的には推しの未発達な身体を貪るというゴール付きで。
そんな私も来年から社会に出る。適齢期なので申し訳程度に彼氏もいる。
彼氏は人として一応尊敬しているが、性的な雰囲気になった瞬間に耐え難い苦痛に襲われる。好みのはずのガチムチ男なのにだ。
やはり身体を許すは伸び代があって何かに打ち込んでいる純情な成長期の少年がいいと思ってしまう。伝聞ばかりで膨れ上がったリビドーにそっと寄り添いたいのだ。
もちろん私は爆美女お姉さんではない。頑張って見た目に気を遣い、体型の割に大きな胸にも恵まれたが、あの日憧れた彼女らには遠く及ばない。
電車で隣に座る中学生に内心浮き足立つこともある性犯罪者予備軍だが、決して彼らと言葉を交わすうもりはない。
だのに強烈なおねショタ願望を捨てられずにいる。
自分より歳も身長も経験も上の男にリードされることを望む、そんな普通の女になりたい。
【追記】
私の性癖を曲げた例の漫画について興味を持ってくれている方がいるようなので紹介したい。
魔砲使い黒姫という月ジャン(現ジャンプSQ)で2010年くらいまで連載していたガンファンタジー漫画だ。
全18巻だが5巻までが収まりもよく私が狂おしく好きだったおねショタ部分が詰まっているので是非見てほしい。私は実家と現住所に単行本とKindleまでそれぞれ全巻揃えている。
男主人公の年齢がショタと言うにはやや高めで、フラットに年齢を推定すると16,7歳のギリショタだが、純朴な性格やおねの美熟女感、世界観とのバランスを考えると全然おねショタものと同じ筋肉を使って読める。
おねが呪いでロリになる展開もあるのでロリコンも読んで見てほしい。
ショタとして年齢が高すぎると感じたら後半で過去編があるのでそっちも試して欲しい。おねも女子大生くらいの年齢に引き下げられてしまうが、ショタが5~9歳くらいになるので美味しくいただける。
現存する感想や二次創作も非常に少なく供給不足なので、読んだ暁には増田でも5chでも支部でもいいので感想かファンアートでも描いて欲しい。
月ジャンとかこの増田嘘松ババアだろと思われること請け合いだが、親のコレクションを盗み見て育ったのでラインナップの古さには目をつぶって欲しい。てんで性悪キューピッドとダイの大冒険との3択だった。90年代感の強いエッチ展開が好きな感性はこのあたりで養われたように思う。
初の前年割れで、同人漫画家・イラストレーターの活動において、パトロン系サイトの比重が高まったことを感じます。
こんなん読むのは見た奴か見る気のない奴だけだと思ってたからネタバレは悪かった。あと改行した。
初めに、俺は正当な読者である。今年35歳でワンピースの連載第一回からジャンプを読んで生きてきた。
最初の映画から全て見に行っている。単行本も103巻持っている。
興行収入に騒いでいるが、そりゃこうなるだろう事くらい誰でも予想出来る。俺のようなファンは特典の為に行き、Adoのファンが行き、ワンピースは東の海しか覚えていない連中がシャンクスに何かあったのかと行く。
そんな単純な話でここまで興行収入にはならないと思うかもしれないが、人間は死ぬほど単純でミーハーだ。
そういえば昔読んでたわ。サンジが仲間になったくらいまで知ってる。みたいな連中も大騒ぎに乗じてそんなに話題なら見ようと行く。
そこからワンピースの新規ファンが増えるのはいい事である。別に俺はファンが増える事になんの問題も感じていない。こんな映画で増えるなんてアホだなとは思うが。
今回の映画はひとえに監督の暴走と総合プロデューサーの監督不行き届きにより出来た映画である。ONE PIECE magazineという雑誌があるが、あれを読めばいい。尾田栄一郎が大丈夫ですかと確認している事に対し、監督が大丈夫だからやらせて欲しいと言って進めたのがREDである。
そもそも女が描きたいと言ったのは尾田栄一郎だが、これは後述する。※1
そして出来上がったのがライブと不要なミニキャラに圧迫され突然闇堕ちするウタとかいうポッと出にしか見えないシャンクスの娘の感動()ストーリーである。大丈夫なんじゃなかったのか。
監督と脚本は、感動映画がどういうものかを理解してないのか?とも思ったが、俺はGOLDに対してもルルーシュに対しても特別不満を持った覚えはない。
あるとすればGOLDの特典だが、これも後述する。※2
これを映画だといって公式は宣伝しているが、こんなもんは映画ではない。ライブでもない。最初にいらんくらい長々とAdoのPVを流しておまけの様に辻褄の合わない話を取り付けただけの出来の悪い宣伝アニメだ。
ちなみに、辻褄が合わないというのはパラレルだからとか阿呆な事を言ってくる奴がいるが、映画の中ですでに辻褄が合わない。しかもその上パラレルのくせに原作と時々合わせようとするから余計に合わなくなる。映画がパラレルという事くらい知ってるに決まってんだろ。全部見てんだぞ。
残りは感動系だが、感動系にしてはあまりにお粗末すぎる。
ウタは突然キレて騒いで世界滅亡させようとするハタ迷惑なガキ、シャンクスはドヤ顔しながら遅刻するクソ親父、ルフィは突然宗教にハマった俺の知っている顔をした別人、仲間はもうストーリーの為だけに喋らされている棒人間並みに存在感がない。実際はそんなキャラではない。そうにしか見えない演出が問題である。
唯一存在感を感じるのは監督こだわりのミニキャラだが、一番いらないとなぜ誰も思わなかったのか疑問である。
言っておくが、ウタが突然キレた闇堕ち迷惑人間になったのはウタのせいではない。尾田栄一郎のせいでもない。ライブとミニキャラを入れたい自分のエゴを抑えられなかった監督の責任である。
新しい事への挑戦は歓迎したい。ワンピースもここまで続けるとマンネリ化している事は間違いないからだ。
ただ手に余る事が目に見えているのに強行するのは自分のオリジナル映画にしてくれ。
Twitterでオマツリ男爵が好きならREDも好きだとかいうとんでもない意見が散見されるが、いい加減にしてくれ。
REDとオマツリ男爵に共通している事はオリジナルでやれという事くらいであって、似てるというのは細田守とオマツリ男爵への侮辱である。
俺は細田守の映画の大半が嫌いだが、あれは細田守監督作品として、完璧に完成された映画だ。尾田栄一郎が腹を立てたらしいが、あれだけ癖と我が強くなければオリジナル監督作品で評価などされるわけがない。
あれはワンピースの映画の中では確かに賛否両論の映画だが、群を抜いて映画として監督、脚本、画面構成に至るまで優れた作品でもある。あの邪魔な家族は細田守のこだわりなので諦めるしかない。
ここで※1になるが、ONE PIECE magazineを読む限り伝説のジジイを描きたくないと言ったのは尾田栄一郎である。
女がいいと言うよりジジイが嫌という話であり、そこで監督が女にしたのか話し合いで女になったのかは不明だが、じゃあ描かなきゃいいだろ。
いい加減、自分が総合プロデューサーとしている限り自由度が下がる事くらい気付いてくれ。細田守が許せないのなら最初に草案を貰い、脚本のチェックをして駄目な箇所だけ言えばいい。ワンピースのキャラデザなんてしたいヤツは山のようにいる。斬新なものが欲しければ若手に任せてみればいい。想像出来ないような伝説のジジイだって出てくるはずである。
監督はジジイが駄目ならババアというわけにもいかない等と言っているが、いいだろババアで。少なくとも扱えないシャンクスの娘より誰とも関係のない伝説のババアの方が監督の力量には見合っていたはずだ。
そして監督か脚本のどちらか知らないが、ルフィ達が強くなりすぎて並の女では太刀打ち出来ない為に、ならばシャンクスの娘はと言い、自分が総合プロデューサーなら原作との辻褄も保証出来るからという事でシャンクスを出そうと尾田栄一郎が言い出したとの事なのだが。
こうなると散々言っている通り、監督と脚本の力量に見合ってない材料を渡した総合プロデューサーの責任は大きい。本人は脚本も監督も最高だと考えているらしいが、本気でそう思うなら辞め時である。
そしてもちろんそれだけデカい材料を渡された挙句ライブやミニキャラをゴリ押しし、配分を完全に間違えてた監督と脚本も当然悪い。
尾田栄一郎の頭の中でどうシャンクスの娘でルフィの幼馴染みのウタがなんの問題もなく存在しているのか知らないが、それらは全く映画に反映されていない。
俺は映画館で突然知りもしない世界の歌姫のMVを何曲も見させられ、突然ルフィに友達だと紹介されられ、シャンクスの娘だと言われる。
そして突然キレまくって信仰宗教の教祖となり闇堕ちするウタに置いてきぼりになる俺。
ワンピースにお馴染みの過去の子供時代が流れ、必死で過去に読んだ第一話を思い出すはめになる。
死んでからいいようにお涙頂戴エピソードに引っ張りだこのエースでさえ、頂上決戦で突然あたかもメインキャラのように過去が出てきて、第一話との噛み合わせの悪さに苦労したというのに、その比ではない。
陳腐な感動ストーリー()の為に壊れる第一話と、その間にも情緒不安定な教祖を呆然と眺めるしかない俺。
ウタのエピソードはマジで駆け足で進む。アニメの第一シーズンダイジェスト映像並み。なぜなら監督が序盤のライブにこだわり尺を圧迫しているにもかかわらず、阿呆みたいになんの意味もないミニキャラを出すからである。
magazineによると、ベポを出したが大きくて邪魔なのでミニキャラにしている。ローが先かベポが先かは知らないが、ロー欲しさにベポを出したが邪魔だったようにも見える。だとすればクソだ。そして、ローはシャンブルズとローの女ファンを釣るためだけに出されているのでそれ以外に活躍の場などない。
どうせブルーノも能力は欲しかったがあとは邪魔なのでミニキャラになっている。あそこで力を同じように使ってもローがミニキャラにならないのは顔くらいの理由しかない。
そして監督こだわりのサニー君だが、コイツこそ終始何の意味もないキャラだった。コイツに時間を割くならシャンクスかウタに割けよ。一応この映画のメインキャラじゃないのかよ。
移動能力や最後のシンクロをしたいが為に集められた奴らも不幸だが、そのせいで割りを食ったメインキャラが一番不幸だろ。
つまり尾田栄一郎の中では矛盾なく完璧にハマったシャンクスの娘でルフィの幼馴染みという存在は、尾田栄一郎の頭の中だけに存在している。
そしてこのFILM REDという映画は、本人も監督も脚本も多少映画内で説明が漏れたとしても、特典冊子40億巻で補えばいいと考えているとしか思えないほど、映画の脚本は杜撰で穴だらけなのが最悪なのだ。
俺は子供の遊びをかねて日曜日に行き、田舎だからかまだ貰えたが、土日に働いていて映画に行けない熱心なファンは貰えたのだろうか甚だ疑問である。
ここで※2だ。
俺は会場限定の特典冊子というものが嫌いだ。キャラの服装デザインなんて、そんなもんは単行本の後ろに載せろと言いたい。映画で表現出来なかったメインキャラの心情を特典冊子で補うなんてもっての外だ。買えるのに買わないのと、貰えないでは意味が違う。
こんなもんを映画に付けるのはガチで興行収入と観客動員数のためしかない。
これをファンサだという奴は一回頭でも打ってみろと言いたい。ファンサとは最初のマーケティング時点で想定される鑑賞人数に対して大幅に少なく作るものではない。
今回俺がこんな記事を書いたのは、第三弾の特典冊子にキレたからだ。一体いつからワンピースはここまで拝金主義になり、恥ずかしげもなく未完成な映画を放映し、追加情報のように人数限定の冊子など配るようになったのかと腹が立ったが、よく考えれば最近のワンピースはずっとそうだ。
繰り返される発行部数突破!の煽り文句も、実際に売れたのはどの位なのかは絶対に出ないし、引き伸ばしが続く原作にも最近はウンザリしてきている。妻が単行本を持っているが、まとめて5冊くらいを読まないと話が一つも進んでいない。いらん寒いギャグを繰り返し、初期の神がかった展開など消えた。
小さいコマ割りに必要なものも不要なものも詰め込み画面だけは埋まっているが、初期の大ゴマを使った胸に迫るシーンなどもうしばらく見た覚えがない。
昔のコマをほじくり返し辻褄を合わせ後付けをし、阿呆なファンが尾田神スゲーこんな昔から伏線を張っていたなんて!と大騒ぎさせる事に命をかけてさえいる。そしてそれが重要な伏線かといえば、半分くらいは別に無くてもいいのだから笑うしかない。
そして1000話突破だのなんだの騒ぐだけ騒ぐ。俺にはギネス欲しいんだろとしか見えない。こち亀にもコナンにも鬼滅にも勝たねば気が済まない俺至上主義の結果が、今の引き伸ばし漫画とこの特典冊子商法の映画かと思うと言葉も出ない。
とりあえず尾田栄一郎はもう総合プロデューサーを辞めた方がいい。
漫画家に必要な能力はあっても、総合プロデューサーに必要な能力は兼ね備えていなかった事を理解した方がいい。監修では駄目なのか。
もはや尾田栄一郎と特典におんぶに抱っこの監督や脚本は、映画の出来が中途半端でも特典冊子で補おうとする。そして何弾にも分かれて配られる特典がある限りどんな中途半端な出来だろうと興行収入は伸びるので余計に酷くなる。最初は良かったのだろうが、ここまでくると悪影響しかない。
頼むから興行収入突破の数字より映画を見てくれ。特典を読む限りウタの大半の人生はライブとミニキャラに潰されている。
第三弾はウタ?新時代とか描かれたものをチラ見せしているが、映画で描け。描く必要がないなら単行本の巻末かジャンプに載せろ。特集を組んだのだからONE PIECE magazineでもいい。それがファンサービスだ。
上手く書けないのなら書けないほどの背景をキャラへ付けるべきではない。
原作もそうだが、尾田栄一郎はエピソードの削り方を忘れたらしい。付けれるだけ後付けして引き伸ばしてきた弊害だろ。キャラが映画内で語れるかどうかも分からない総合プロデューサーなんてものは総合プロデューサーではない。
そして監督と脚本はそれを削るのが仕事のくせに削るところを間違え、全てを特典冊子に丸投げすんな。
ウタの過去を考えたのか?これを感動ものにするつもりがあったのか?ライブとミニキャラとくだらないベポの鬱陶しい三段ギャグの方が大事だったのなら末期だ。
GOLDでも謎だったがここまで酷くはなかった。REDで落ちるところまで落ちた。ワンピースはそんな姑息な事をしなければ鬼滅やヒロアカや呪術やコナンに勝てないのか。そんな情けない漫画を応援してきたつもりはない。
特典などあってもなくても映画が素晴らしければ俺は何度だって通う。ワンピースを信じてないのは尾田栄一郎と監督と脚本じゃないのか。
楽しいという意見を山ほど見かける。第三弾の特典に喜んでいるファンは、自分達がどんな映画を作っても離れず金を落とすと思われていると気付かないのか。
ワンピースの一つの大きな謎だったシャンクスの正体をバラされ、これから原作を読んだ時の驚きを無能すぎる五老星の台詞に取られてなんとも思わないのか。
あんな突然ルフィが新時代とか聞いた事もない事を言い始め、女だからと悪くても殴らず、初見の人間には知らん人間にしか見えないギア5になり、取ってつけたように決め台詞を叫んでもさすがルフィと思うのか。
とりあえず全員のアクションシーンを入れる為に一箇所に固められ、まとめて戦闘シーンを消化された麦わらの一味を見て最高だと思うのか。
自分の好きなキャラを、倒し方がシャンクスを出したいだけのお粗末な魔王の前に無能にされても、新衣装かっこいいと喜ぶのか。
馬鹿にされてると気づいたほうがいい。コイツらはかっこいいセリフを人気のキャラに言わせてオリジナル衣装を着せ、尾田栄一郎が描いた特典冊子を付ければ歓喜の悲鳴と共にリピートをし、映画を見る目など何一つ持っていないと思われている。
(キャラクター)かっこいい。(キャラクター)可愛い。燃えた。TikTokでももう少しまともな感想が出るだろう感想しか褒め言葉が出ない時点でお察しか。
プロもアマチュアもREDのイラストを描き良かった!などとツイートすればバコバコ数字が稼げる現象は見ていて宗教染みた気持ち悪ささえ感じる。その時間で納得出来る感想を言ってくれ。
クソみたいなあからさまな拝金主義特典商法であり、中身はといえば映像も脚本も構成も何一つ平凡か平凡以下な映画に負けた全ての映画が哀れである。
俺はジャンプを毎週買って読んでるし、ワンピースが縁で知り合った妻と単行本が被るために俺が本誌、妻が単行本を買っている。特典冊子の為に仕事のある日曜日に有休を取って子供連れて行ってんだよ。
積極的に読んでないとかクソみたいな事を言われる筋合いはない。
まぁ初日と日曜日を間違えたのは俺のミスなので全面的に俺が悪い。訂正しておいた。
尾田が総合プロデューサーになって映画が成功してるんだから降りる必要ないと言っている奴は、これをそもそも読んでないんだろう。俺はこの映画で総合プロデューサーでいる事がマイナスに働くようになっていると言う話をしているんだが、俺の悪筆のせいだろうし読まなくていい。
じゃあ見るな論法の奴って日本の政治に文句言ったらじゃあ海外行けば?とか言いそうな思考回路してんな。
そういえば魔王が第3形態まであるのはシューベルトの魔王のせいか?そんな全くワンピースに関係のない小ネタに拘るくらいなら第2形態までにしてウタの話をしろ。
マジでクソ長
主ジャンルのサ終が告知されて未練が断ち切れた。
断ち切ったのはサ終する主ジャンルにではなく、ずるずると未練タラタラだった前ジャンルへのものです。
今の自分のメインジャンルが8月にサービス終了することが告知されてからそろそろ1ヶ月が経とうとしている。ようやく色々自分の中で落ち着いてきたので自己洞察も兼ねてつらつら書いていこうかとと思います。
サ終の告知が出た日は本当に悲しかった。リアルのオタクフレンズからのなぐさめられ通話をしながら泣いた。リアル涙を流してしまった。
実は、私は今まで自分のメインジャンルのサ終を経験したことがなかった。メインジャンルにならないくらいの、ちょっとやってたなくらいのゲームのサ終はあったけど、それも自分がやっているときではなかった。そんな訳で、サ終の辛さをはじめて身をもって知った。乗り越えてきたオタクたちはほんとにすごい。頑張って生きててえらい。
そのゲームにハマって、初めてTwitterのオタクアカウントを作った。いつもはリアルのオタクフレンズだけとしか絡まない鍵垢しか使わず、同じジャンルのオタクたちと交流することはほとんど無かった。初めて作ったオタクアカウントで、初めて二次創作の小説を書いてアップした。小説と言え無いほどの文章で630文字程度、新書ページーメーカーにして1枚とちょっとに3時間くらい掛かった。文章を書くってムチャクチャ大変なんですね。絵や漫画もだけど、二次創作をして、アップできる形に整えて、色んな人が見れる場所に上げてくれるオタクすごい。ムチャクチャすごい。ありがとうございます。同CPのひとからいいねをもらったりここが好きです!と言ってもらえたりするのも勿論初めてだったからすっごくドキドキしたし嬉しかったし楽しかった。初めて同CPの人や同担をフォローして、初めて同ジャンルのオタクと交流した。ツイート数もそんなに多い訳ではなく、積極的に絡むようなことは出来ていないけど、同じものを好きなオタクとリアルタイムで同じことで盛り上がるのがとても楽しい。
事前登録勢ではなく、リリースから2ヶ月ほど経ってからの途中参入だったが、復刻イベも含めてイベントは毎回完走できていたし、ガチャも自分が納得するくらいまで引いていたし、久しぶりにこのゲームにハマっています!という感覚だった。
知名度は少し寂しい感じではあったけど、すっごくいいゲームだと現在進行形で思う。
キャラクターやストーリー、楽曲が魅力的である事は大前提として、このゲームは前ジャンルで嫌だなと私が思った要素が少なかったのかなと思う。
まず、ガチャに天井がついていた。ちょっと心配になるくらい優しいやつ。このゲーム、星5の天井が40~70連すると好きなカードを1枚選択してそれが貰える、というものだった(イベントやガチャの種類で変わっている)。星5の天井である。さすがにぶっこわれすぎて寧ろ床では。70連回すのにだいたい1万円ちょいくらいだった。というわけで推しや推し周辺のキャラのガチャは毎回天井まで回した。そうじゃなくても顔がいい〜みたいなノリでガチャを回した。無償の石やガチャチケも結構配っていたし、割とガンガン回せた。有償石限定のガチャも育成アイテムなどのおまけがたくさんついていたので躊躇わずに回せた。課金関連でいうと、ガチャだけではなく、キャラに着せ替えできて踊らせることの出来る衣装や、特別なプレイ楽曲などの有償石で買えるコンテンツもあった。それもそんなに高いものではなかった。そんな感じで自分の課金に対するバックがとても大きかったというか、ストレスフリーの課金ライフを送ることができた。
そして、なにより運営やキャラにヘイトを貯めることがほとんど無かった。これが一番大きな理由だなと思っている。何度かローテちょっと偏ってきたか?と心配になることがあったけど、不快感を感じるのような過度の偏りではなく、不遇なキャラがいる訳でもない、大方満遍なくローテしていたように私は感じた。不具合等への対応もしっかりしていたし(ここはさすが大きいゲーム会社という感じ)、強いていえば広報にもうちょっと頑張ってほしいなくらいだった。ユーザーの要望も、積極的に取り入れてくれているようにも感じた。
ストーリーの中ではメインキャラクター(ユーザーのプロデュース対象であるキャラ)がライバルになる事はあっても悪者になることはなかった。辛い過去があったり、家族との関係が上手くいっていなかったり、今の自分と理想の自分や周りからの評価などとのギャップに悩んだりしながらも、努力や仲間との絆で課題を乗り越えていく、みたいなホビアニみたいなストーリーで、私は嫌な思いをしたことがなかった。
前ジャンルは大学生の頃にどハマりしていた。前ジャンルは今でも続いているコンテンツで、私はリリースして少し経った頃、そのコンテンツの初イベントをやります!あたりに始めた。余裕のある時間とバイトで手に入れたお金をつぎ込んだ。飽きて辞めるなんてことは絶対無いなと思った。実際、周りに同じようにハマってる友達が多かったこともあり、飽きることなくやり続けた。
でも、ストーリーが進むにつれ、コンテンツが発展していくにつれ、モヤモヤすることも増えていった。キャラクターがストーリーの中で悪者にされるというか悪者だったし(それは最初からだったけど)、イベストでいろんな新しい話が出る度にどこかのオタクが悲しんだり怒ったりしていたのを覚えている。私もそんな悪者のキャラにヘイトを貯めていた。露骨にローテが偏っていて、1年ほど高レアがこないなんてキャラもいた。最初は見ないふりをして、推しのことやコンテンツの好きな所だけ見ていけばいいと思っていたが、どんどんとモヤることが降り積もっていた。
そして、推しにとって大事なストーリー上のイベントで、推しのカードは最高レアではなかったし、ストーリー的にも報われないなと思ってしまった。私の推しはあまり人気がある方ではなかったからか、不遇だった。人気キャラをageるために私の推しは存在しているのかと卑屈になったこともあった。
そのイベントが終わったあたりから、モチベーションが少し下がった。新しいゲームを始めたりして、今まで自分のオタク熱量を80%振っていたところを他のゲームと分散させて50%くらいになっていた。それでも自分の全オタク熱量の半分は持っていかれていたし、不遇だからこそ推しを推していかなければみたいな気持ちもあった。
でもまたひとつまたひとつとモヤモヤすることが増えていき、推しや推し周辺のストーリー以外読まなくなった。それ以外は石だけ回収する。だが、ガチャはとりあえず1枚出るまでは課金していたし、走りたいイベントは完凸までしていた。
自分は一番最初のイベントから参加していたし、リアルタイムでコンテンツをみているんだ、推しを推さなければみたいな意地があったのかもしれない。典型的な嫌な古参タイプだ。
そして出来上がったのは未練だけのほぼエアプ女である。
課金もしないストーリーも読まない、推しのガチャだけ貯めた石で引く。でもゲームをアンインストールすることはなかった。
(時系列で言うとこの未練エアプ後期で前述のメインジャンルをはじめ、どっぷりハマっていった。)
それでも、新章が始まって新キャラも増えて、心機一転やり直そうとおめでとう課金をして、ストーリーもちゃんと読んで、新しくなったコンテンツを楽しんだ。どハマりしていたころの楽しさとモチベーションが戻ってきたような感じでメインストーリーが更新されるのを今か今かと待った。
でもやっぱり推しは不遇だと感じたし、なんなら悪化したと思った。
決定的に私の心が折れたのは、ストーリーの中で、推しと同じユニメンバーのキャラから、まわりがごちゃごちゃいっているが〜、という旨のセリフが出たところだった。このコンテンツではリアルのオタクの声?行動?がストーリーの中に反映されて出てくることが時たまあった。つまり、推しのオタクが推しの不遇なりなんなりでゴチャゴチャ言っているが〜、というのをキャラに言わせたのだ。確かに同担たちや私の嘆きはゴチャゴチャなんだけれども、キャラに言わせたというところが私にとってもうダメだった。他担オタクから、ゴチャゴチャってバッサリ切られててウケるみたいなツイートがされてたのも地獄だなと思った。
メインジャンルにここまでのめり込んだのは、コンテンツがそもそも好みのテイストだったことは大前提としてあるが、前ジャンルの私が受け入れられなかったものが、辛くなってしまったものがメインジャンルにはなかったというもの大きかったのかもしれない。
前ジャンルへのクソ長愚痴をかいてしまっていてなんだけれど、【私が嫌だ】と思っただけで、前ジャンルが【悪い】とかでは決してない。断じてこれは。でも自分の感じ方が間違っていたなともあまり思っていない。ただ前ジャンルと私がゲームに求めたことが離れてただけだ。ゲームの方が、私の求めるものが、どっちから離れたとか言う訳ではなく、最初から数度ズレていてコンテンツが大きくなっていくにつれて離れていっただけで角度の大きさは変わってない。楽しんで課金してた頃の自分も、楽しくなく課金してた自分も後悔はしていない。
そもそも、エアプになった時点で私はコンテンツのターゲットからは外れているし、課金しなくなった時点で客ではなくなった。それなのに推しは不遇だ、ストーリーがどうだ、みたいな話をするのはお門違いもいいところだった。当たり前だ。こんな状況で文句をツイートしてたりお気持ちnoteなんて書いていたらそれこそ私が嫌なオタクすぎる。その点では、今までオタクアカウントを作っていなかったこと、文章を発信することがなくて正解だったなと思う。そしてオタクコンテンツの楽しみ方として、辛い思いをしても続けるみたいなのは、私には合わないんだろう。楽しむために楽しいことやりたい。
そんな当たり前のことだけど、こうやって文章で整理するまで納得できなかった。(整理というほど整理出来てないけど)
最初はサ終してしまうメインジャンルの好きだったところを書き連ねていくだけのつもりだったのに、前ジャンルとのことがでてきて、自分の考えをだいたいの分類くらいはできて、当たり前のことに気付けた。
そして私は前ジャンルのアプリを全部アンインストールして、公式のTwitterをブロックした(周りのオタクフレンズのリツイートで回ってきてしまうため)。大学生時代に集めていた前ジャンルのグッズやCDも、明日中古ショップの買取が集荷に来る。結局文章ではゴチャゴチャしてしまっているけど、自分の中ではなにか一区切り着いたようなさっぱりとした気持ちで、前ジャンルに対しての嫌な気持ちもない。
メインジャンルはサ終してしまうけど、サ終後にはオフライン版がでるし、オフライン版ではストーリーも追加されるらしい。今まで重ねてなくて読めてなかったカードストもよみたいし、サ終告知された後にもいくつもグッズなりなんなりが発売されていて、届くのが楽しみだ。所感としては今まで3つ程ある自分の中の殿堂入りジャンルの仲間入りをするんじゃないかな。
結構前だけどフォロワーにライブアニメ好きなら絶対面白いからって言われたので見た。
でんでん現象が極限まで極まってるジャンルみたいだから変なのに絡まれそうだし…と思いツイッターでは無難なこと言ったけど嘘ついたもやもやが残ってるからここに書いて供養する。フォロワーには適当にプリズムの煌めき感じた的なことを言っておきました。
まず私はジャニとかハロプロとかのあの特有の"トンチキ"が好きなんだけど、勧めた知人は同じだから!と言っていたけど全然ちがう。
ジャニのトンチキはあくまで"女がキャーキャー騒ぐような存在がなんともいえないダサいことをしている"ことで起こる絶妙さを言うのであって文脈がはっきりしているがかつ形容詞しがたさを持っているのに対しキンプリは脈絡ないインパクト重視でどや?面白いやろ?って主張してくる。(おそらくジャニのトンチキは二次元だとうたプリがもっとも近い。向こうの映画はまさにトンチキ極めてたな映画しか知らないけど)
外野(主に男やファン心に恋愛的ときめきを持ち込むのが嫌いな女)にはあくまで「女に媚びてる男が決め顔してるリアコ向けの娯楽」と思われてるのに蓋を開けるとなんかシュールな演出あるな…というのがじわじわくるのであって、キンプリはイケメンにキャーキャー言ってる女って"浅い"わねって言ってるタイプのオタクがめちゃめちゃ褒めてそう。
簡潔に言うとカブトボーグを水で薄めた感じだったからこれで笑いたいならカブトボーグ見る。
私はとりあえず配信で見れたアニメシリーズから見たんだけどこれは(終盤展開を畳むことが下手すぎることと投げっぱなしなことを除けば)かなり面白かった。
30分でキャラの魅力と課題と悩みを解決してステージで成長を見せてそれをコンプレックスの対象に認めさせて成長してる証拠にするって流れありがちな王道だけどとにかくまとめるのがうますぎて感動した。あとこの段階ではプリズムショーも楽しかった。ユキとピンク髪の女の子みたいな子な話かなり良かった。
映画の2作がマジでつまらなすぎて死ぬかと思った。意地になってプリティーシリーズも見たけど15話くらいまでがんばっては見たがつまんなくてギブしました。
何よりショーが魅力のはずなのに振付のレベルが低すぎる、そして曲が全体的に良くない(テレビシリーズに至ってはそれをアバンで毎週見る。苦行かよ。)
振付は1人で踊ってるからある程度仕方ないのかもしれないけどCGがすごくて〜って言われてたからかなりがっかりした。aメロで膝を内と外にぐねぐね回してハイサビでネタ披露!って流れしかなくない?それはダンスの振り付けがいいんじゃなくてあの一発芸がウケるってことでは?
そもそもライブなのかこれは。最後まできちんと歌を踊ってる人1人もいなかった。しかもステージ中ずっとぶつぶつ独り言言っててええ〜ってなっちゃったよテレビアニメのは尺ないからここで自己補完するのうめー!って思ったけど映画もそれやんの?って笑っちゃった。
友達がCD売れてないことを心配してたけどそりゃ売れんわ……ステージで勝負しろ。モノローグでエモさ稼ごうとすな。
キャラについては全員痒いところに手が届かない振りが徹底していてあれはわざとなのか?キャラにことごとく着地点とサビがなくてびっくりした…例えば私はユキが気になったんだけど結局ユキってどうなりたいわけ?プリズムスタァと歌舞伎?役者どっちも頑張るよって感じだったけど例えばライブの予定かぶったらどうすんの?ここでプリズムショーを選んでワイはこの道を極めるんじゃい的な『キングオブプリズム』目指してる男として映えがある答え導くんだと思ってた。二兎を追うもの一兎も得ないよ。ていうかそもそも目指してないの?わからん。映画見てもユキだけじゃなく他のキャラも髪色が派手で一話だけ個人回もらえるタイプの外野が多すぎてわからんかった…。
全キャラ属性付まではいいのにサビがない。だから結局サビとかいらないただキャラがオタク向けで可愛いタイガとかが映えてた。まあこの話すると主役?のシンとヒロイン?のルイくんが1番だからなんだよって感じだったんですけどね…。
ヒロさんが1番強い人だと思うんだけどこのへんもヒロさんが女の子に1番モテるのは顔見りゃわかるわって感じだったからなんかこう…1人だけめちゃ歌上手いとか1人だけまともに踊るとか…あったろと思う。とにかくプリズムジャンプの特殊効果が壮大なら勝ちってもうそれはさ、ニチアサだよ。ホビアニとしては楽しいね…でもホビアニとして見始めるとそれはそれでイケメン並べてうだうだ人間関係とか生い立ちの闇とかやってるのはちがうだろってなるけど。
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
もーーー本当に本当に今バズってる記事が無理すぎてはてブで殴られたからここで書くけど本当に無理だーーー!!うるさいうるさーい!!
そして己の思想とこちらの娯楽を同列に並べて己の思想に合わなかったら文句言うのやめてください、ジャンルが肌に合わないなら立ち去って 気に入ったCDだけ買ってて…
重箱の隅をつつくように現実的じゃない、実際にはあり得ない無理があるって騒ぐのそもそもヒプノシスマイクというコンテンツのラップで戦うという部分が荒唐無稽なんだよってどうして誰も気がつかないの!?現実のサイファーの話は誰もしないんだよ……!?
西暦表記があるからって現実世界と地続きだと思って作ってるとは限らないし、何もかもを逐一描写してないと許せない!ってならそもそもこの話に出でくる人型の生物はみなホモサピエンスだと明記されていますか…!?みたいな難癖をつけたくなるわたしの気持ちわかります!?ねえ!!
イケブクロとか現実の地名使ってるからややこしかったかな!?地球のイケブクロだとは誰も言ってないです!!!!これ全部宇宙!宇宙の地球とよく似た世界の話かもしれないじゃん!!
女性向けコンテンツだからって必ずしも女性を持ち上げなきゃいけないなんて決まりはないし、倒すべき敵が女性だと馬鹿にしてると感じる感性が全く分からない。女VS男って図式で男側の描写に特化したらそりゃ女が敵になるだろうよ 無花果様達には無花果様達の正義があるし男側にら男側の信念があるんだよ 無花果様主人公のスピンオフめっちゃ読みたいです!
人工の3分の1がいなくなったらこんな世界なはずじゃないって言われてもそもそも大元の人口がわからないし既に機械等でその辺補えるようになってるのかもしれないし書き方悪いけど減った人間が文明には影響しないような人たちだけだったのかもしれないし、ディベートで話し合い→言葉が権力になる→ラップを武器にできる発明が出来る→ラップが権力にって流れは私はウンウンって飲み込んだ流れなんだけどそんなありえない!って騒ぐほど??
2年でそんなそっくり変わるなんてありえないって言われても元々ここまで変わる前からそうなる下地があるかもしれないじゃん 義務教育にヒップホップの代わりにラップだったのかもしれないじゃん
コミカライズという性質上、端折りつつの説明になるのは目に見えてるし何もかも全部一から説明されないとわかんないの??想像を膨らませるって発想はないの??
私のコミカライズ読んだ後のお気に入りの妄想は二郎三郎はデザインベビーで運動特化の二郎、勉強特化の三郎。その元となったのは一郎でデザインベビーの2人は扱いやすいように性格をいじってあって一定の人(主人)に依存する、みたいなやつです!荒唐無稽な妄想は!楽しい!
本当深く考えたら終わり、と言われてもそもそもスタートの時点で深く考えることを求められてるコンンツだった??
何度も言うけど不思議なマイクでラップで戦うんだよ!?この前提はすんなり飲み込めるのになんで他は現実的じゃない現実的じゃない!って騒ぐのか本当にわかんない、そもそもがガバガバだろ!!!!楽曲だけのファンですってならわかる。成る程曲しか知らなかったのねそれならしょうがない。
でも今騒いでる方々はどうやら違うみたいじゃないですが…。
娯楽に3次元をまぜこぜにして考えないで欲しいし、自分の政治思想?ポリシー?を語らないで欲しい 二次創作が気持ちいいならそこにいていいしCDだけ聞きないならそれでもいい 漫画あわないなーならそっ閉じしてもいいよ!厨二のオンパレードだもんな!駄目な人が駄目なのはわかる!!
それをこうするべきああするべきこの人が書けばもっとマシとかなんで自分の都合のいいようにしたがるの!?きっとあなたにはもっと肌にあうコンテンツがあるから!そっちに目を向けてください!!!まじで!!!!いいよ!!スナック感覚で曲だけ摘んでるのがきっと幸せだよ!!!お互いのために!!!
あなたの考える最強の女尊男卑の話はもうお腹いっぱいです、家畜人ヤプーを読んでください。
もうバズバズにあの記事がバズってしまってどーしようもないしジャンル外の人にはがっちりそういう認識だろうしなんならジャンル内の人たちもそういう空気なのはどうしようもない……
ここはパワーで押し切るホビアニ空間なんだよ……根本が………思い出せ………ラップで人は倒せない………
主義や主張を持つことは立派ですけど、娯楽に絡めて押し付けられちゃうと嫌気がさしてしまいます。本当に。
私みたいなのからするとベジタリアンの人がごくごく一般的なお料理漫画を読んで肉を食べるなんて何事か!って騒いでるのとほぼ同じにしか感じられないです。
(それはそれとして女尊男卑っていうまあまあめんどくさい人が食いつきそうなワードを堂々と出した公式はまあまあ詰めが甘かったとは思います ああいう人たちは何がなんでも叩きたがるから…)
(気がついたらジャンルに人が増えまくってていつかこういうめんどな人たちを釣り上げてしまうなーと思ってたら思ってたより早くつり上がったでござる)
舞台裏と身勝手な観客をこれでもかと描く執念と決闘脳・ホビアニの約束事へのアンチじみたカウンター。ついでに反カタルシス。そりゃ散々に叩かれる当たり前だ。これに加えて頭おかしいのはよりによって劇場版やる節目の年にやりやがったことである。ここまで全部褒めてる。
努力の先に直ぐには結果は伴わず。気持ちだけでは状況は覆らない。たかが娯楽の一手段に口約束以上のなんの拘束力もなく。誰かの悲しみは誰かの喜びであると同時に誰か達の悦びである。お前たちの手放しのよかれが、あるいは投げた石が、英雄でもなんでもない、そんなものになりたくもない、一人の少年を殺して悪魔を産んだ。それでも希望と勇気と絆の勝利を謳う。ご都合主義の大団円を求め続ける物語。舞台が終わったあとの彼らを、観客が知るすべはない。
思い切って名前出してみたら、というブコメを見てしばらく悩んだ末に全部吐き出す事にした。異論は認めるが聞き入れない。見てくれとはとても軽々しく言えないが(出来以前にそもそも長いし)無意味無価値と切り捨てることはどうしてもできない、愚かで精一杯の榊遊矢の代わりに泣きたくなるようなアニメだったのだ、僕にとっては。