はてなキーワード: クチャとは
http://anond.hatelabo.jp/20170105111342
食洗機に興味あるけどどーしよっかなー↑でみんな不評だしなー。って思ってる方を対象とします。
共働きで夜遅く帰宅したら旦那が残した夕食の小洒落た形の皿がシンクに残ってて、それをシコシコ手洗いする事で喜びを感じる方は対象外なので読む必要無いと思います。皿洗いなんつーなんも産まないもののために小洒落た皿を使いたいとか全く意味がわからんけどアホなのかなあって思うわ。
据え置き型食洗機について明らかな誤り・誤解・無知があるので以下に記す。なお、パナソニック食洗機利用歴6年(ビルトインだとどうなのかは知りません。)。
私の立ち位置:食洗機が無い生活は考えられないが据え置き型の選択肢がパナソニック一択となっており、競争が働いて無く、また撤退されると困るため、食洗機普及の願いを持っている食洗機信者であること記しておく。
これは明らかに嘘・誤り。または古い機種を使っていた人の昔の情報。
食洗機では水温を60度から70度と、油分を溶かす事が可能な温度で洗浄を行う。
また、専用洗剤は素手で触れると手荒れ確実な成分となっており、高温で使用する事で汚れを溶かす事が出来る。
人の手で洗うより確実にキレイになる。手荒れもしないし。
揚げ物やったあとの鍋とか、軽く拭いてから入れれば油なんて名残も無いぐらいですわ。
これは考え方の違いになるんだけど、手を動かす時間は食洗機の方が短いよね。
食洗機に皿を放り込む時間はわずか5分程度であり、完了後、骨や皮など大物がフィルターに残るのでそれを掃除するので+数十秒ぐらい。
なお、たしかに導入当初はうまく皿が入らないとかあるんだけど、入れる順番とか位置にちょっとしたコツがあって、しばらく使ってると慣れてきてかんたんに放り込めるようになります。
あと、手で洗うのが面倒な特殊調理器具は隅々まで洗えるからとても衛生的ですよ。ミキサーの刃とか。
ビルトインはメッチャクチャ高いし別のメーカーを検討する事も出来ないし、せっかくのキッチンの収納スペースが使用頻度が低い物体に取られてしまうのがデメリットです。(まあ、今はパナソニックしか据え置き無いから別のは無いんだけどね。。。)
躊躇なく複数回、回しましょう。調理後の中程度のサイズのフライパンとかブレンダーの刃とかめんどくせーもんは隙間が空いてても放り込んで適当に洗っちゃえばいいんです。
メーカーから↓のようなアタッチメントが発売されていて、狭い場所でもなんとか置けます。エレクターの一段を食洗機用にする手もあります。
http://panasonic.jp/dish/p-db/category/install-parts/lineup.html
洗うのは食洗機にまかせるからシンクが狭くなっても大丈夫です。
食洗機=食器棚と考えるのです。洗った皿をそのまま次回の食事の際に使おう。
米粒ぐらいなら高温モードは水温がめっちゃ高いので大体落ちますよ。さすがに残飯をそのまま放っておいて層になって固まった皿を入れたらしらんが。
熱を加えることで変性する食材は落ちないときがある。マヨネーズが皿の済にベッチャリしてたりすると、半固形化してそのまま残ってたり。
他には海藻みたいな薄っぺらい奴は水流の抵抗を受けないせいか皿に張り付いてたりする。
この辺も、食材による対処方法が段々とみについてきますのんでいうほど面倒じゃないですよ。シャツの首筋の油汚れ対策で襟そでケア塗るようなもんですよ。
はい。入れづらいし、木製のもんとかは洗うとボロボロになっていきます。
ここは考え方だと思うんですよ、シルクのシャツとか、手洗い専用の浴衣とかってめんどくさいから普段着ないでしょ?
ハレの日にそういうお皿使って普段はヤマパンの祭りでもらったのっぺりした皿で過ごすのも別にダサいって事は無いんじゃないですかね。
そーなんだよね。レンチンのための、パッキンの蓋とかがよく底に落ちます。そういうものは皿の下に重なるように置くとあんまり飛びません。
本当はすべての皿・コップをヤマパンの皿とかイケアの皿とかおんなじ製品で統一すると、スタックもしやすいし入れるときに悩みも減ると思うんだけど、そういうのはなんか嫌(妻)なんだってさ。
でも、60歳くらいのオッサンのアナル平気で舐めてたり、堕胎とか平気でやってたり。
まあ、ムチャクチャ。素面なのに、薬やってんのかっていうような位バカ。知能指数も軽度知的障害なんだろうなって感じな奴等。
アイドルって23歳とかで売れてなかったらもう廃業だけどさ。この娘達の人生もそんなもんでしょうねって。
こういうどうしようもない女の子達を引っ掛けて「モテてるんだぜ」とか言ってイキってる男達もいる。
やってることが、ゴミ漁って残飯食べてるホームレスと一緒なんだよ、底辺のモテ自慢って。
ドキュンがいい女連れてるっていうけど。
その女のファッション見てみろよ、糞安いだろ?そのままその女の価値そのものだよ。
まあ、服くらいしか価値を見られないから、ブランド服を男に貢がせてる女もいるかもしれないがな。
Fラン大学とか、専門とか行ってるわけだよ、音大とかに行きたかったのにあきらめてたりしてさ。
そういう何もできずに若さを消費して終わりっていう。
そういう女の子達の慰み者が、ドキュンとか、雰囲気イケメンナンパ師とか、そういう。
まともな女にモテないとかって非モテが叩いてるのかなーとか思ってたけど。
そうじゃなくて、ありのままそのままの意味で、どうしようもない女達をあさってるのが、そういう奴等なんだわ。
とてもじゃないが、中堅以上の大学行ってる女だの、実家が公務員以上の女とかと同列に語っていい話じゃない。
そういうまともな女の中で、メンヘラとかをあさってるとかならまだ話は分かるが。
そういうまともな女は、その程度にすら相手されてないのが、モテ自慢やってる中での負け組なんだよね。
まあ。そんな感じ。
ナンパ師がやたら、『スト値』っていう見た目評価でスト値が高い女を抱くほどえらいみたいなこと言ってるけど。
今日はハンバーグ弁当のゴミ漁ったぜ!並みのスンゲーショボい話なんだよね。
本人は中の下というが、「広瀬すずに似てるって言われる」という。
広瀬すずに似ている中の下なんて居ないことはわかると思う。
AKBはほとんど知らないが、見てみたら、乃木坂の衛藤美彩って人に似てた。似てたというか、顔面偏差値このくらい。
本人は、スクールカーストは底辺で、教室の隅っこに居る、アニオタという。
で、でた~女特有の自分を卑下しつつ承認欲奴~wwwwwwwwwwwwwwwとか思ってた。
俺は、非リアな「いない歴=年齢」なもんで、美人というと、「ドキュンの肉便器」「金持ちやイケメンの相手してる」すぐそう考えていた。
ネットの女叩きの影響ね。
6年くらい彼氏いなくて、マッタクモテない。1年前にできた彼氏には振られた。1年前の彼氏までは処女だった。
絶対嘘だと思った。この美人がどうやって男に言い寄られないんだよ。
男を拒否ってるだけだろ?と思った。
違うという。
俺は、もうかなり衝撃的だった。嘘だ嘘だ。
嘘でしょ。
杉原千畝の話をする。
ユダヤ人が大虐殺されて殺されそうになった場面で、自分の命が危険になるのをわかってて、ユダヤ人を救うためにビザを発行しまくった人だ。
俺は、そういう風に、心がきれいな人でありたいと言った。
すると、その子は、私もそう思うと言った。
これだ。ママ。
「ああ、バブミでしょ」
嘘だろって思った。
うそでしょ。
こんな美人が、嘘でしょ。
俺は、ついつい言ってしまった。
ソーニャというのは『罪と罰』って小説に出てくる、心がきれいな娼婦。
なぜ、ドストエフスキーみたいな大文豪が、風俗嬢が心がキレイみたいな嘘を書くんだろうと不思議だったが。
風俗嬢に聖書読ませるっていう感じのストーリーなんだけどさ、そんな聞こえがいいだけのものをドストエフスキーが採用するなんて絶対おかしいと思ってたんだけど。
本当にいたんだ。
と、同時に。
俺が今まで偏見の目で見ていた人たちは、心がきれいな人たちもいたんだろうなと思った。
偏見から、ひどい態度をとってしまったんじゃないかと後悔した。
ネットでイキってるクソフェミ女や、専業主婦は辛いアピール女はどーみても性格が悪いのがツイッターで丸わかりだった。
がるちゃんも屑方向にだいたい議論が流れるから、そういうもんだと思ってた。
いやしかし、ショックだったんだよ。
こんな可愛い娘が、心が屑じゃないとか、嘘でしょって。
マトモな心の人が、本当にいるんだ。俺だけじゃなかったんだ。
そう思った。
俺の世界が完全に変わった。
人のマナーと言うか、他人の「行儀が悪い」部分が目に入ると気になってしまって精神の大部分が持ってかれて疲れてしまう。
なんというか、少し前にマツコの怒り新党でやってた「恥をかくシーンが見ていられない"共感性羞恥"」に近い感覚かも。
これとは違って相手が恥をかくわけでもなく、同じ空間にいる自分がとてつもなく恥ずかしい感じ。
もともと親が公共の場での振る舞いに厳しかったというのもあるが、最近上司が変わったことがきっかけで更に意識してしまうようになってしまった。
この上司、良い年をしているのに育ちの悪さが目立つような行動が多く、かと言って指摘できるような関係でも無いから余計に辛い。
身だしなみに気を使わず異臭漂う足を投げ出して作業をする、食事に連れてかれたときでもクチャクチャ音はさせるし食べ方もこれまでの自分からしたらありえないくらい汚い。
他にもあれこれあるが別に後半年すればまた環境が変わることが決まっているし、今更振る舞いが変わるわけでも無いから上司をどうこうしようという考えはない。
それよりも、そういった他人の振る舞いが気になって気になって精神を削られていく感じをどうにかしたい。
他の上司に相談しても「他人は他人なんだし、気にすんなよ」とあっさり返されてしまい、解決にはならない。
どうしたら良いのだろうか。
第1
2.
判例の理解がちょっとおかしい?かも?(と思ったら感想に書いてあった。すまん)
(1) 表見法理は、代理行為によって財産の流通が始まった後に、後から代理権が無かったとして取引を無効とされると、財産の流通によって増えた資本がパァになってしまうのが困るために設けられた規定である(いわゆる取引安全)。
(2) 他方、訴訟の場合、代理人による訴訟行為によって財産が流通することはないので、後から無権代理を主張されても増加資本がパァになって困るという事態が生じない。だから表見法理を適用する必要はない。
これを前提として、本件の和解を見ると、これによって損害賠償債権債務が発生していて、財産(貨幣)の流通が始まっている。これが後から無効とされると増加資本がパァになってしまう。これは困るので、訴訟上の和解の場合に限っては表見法理を認めてもいいのでは?というのが問題意識だったと思う。
3.
「多くの訴訟行為が積み重ねられるとはいえず」とあってその通りなんだけど、和解には訴訟終了効(267条)があって、それ以上訴訟行為が積み重なりようがないってことを書けるといいと思う。
第2
第3
2.
<マニアックな話>
この問題、実は聞きたかったのは既判力の縮小でもなければ、117条でもなく、一時金賠償判決の既判力の問題だったと思います(出題趣旨にもその旨がちらっと書いてある)。
一時金賠償ってのは、交通事故とかにあったときに、将来の逸失利益とかを諸々計算に織り込んで3000万円とか賠償させる、あれです。
これ将来発生する損害を賠償させているのに、現在給付の訴えです。なんで将来給付の訴えじゃないか分かりますか。民709条の「損害」の解釈として、将来発生する損害も不法行為時に発生するという解釈を民法で採っているからです。
つまり判決の1年後に判明した後遺症だろうがなんだろうが、全部不法行為時に生じたことにしちゃうということです。
しかしこういう無理な解釈によるとやっぱり問題がいろいろ出てきまして。本件のような後遺症損害の問題の他に、例えば事故後あと30年は生きるだろうと思ってその分の逸失利益の賠償を命じたら、その1年後に自殺してしまいました、みたいなときにどうすんの?みたいな問題が出てきました。
倉田という裁判官がこの問題を何とか解決したいと思ってたくさん論文を書いた結果、定期金賠償という仕組みが作られました。要は一気に3000万円を払うのではなく、分割払いにするということです。
けれども定期金賠償にしても、支払方法を分割払いにしただけなので、既判力の内容は変わりません。なので問題は全然解決しませんでした。ここは倉田判事の理解に間違いがあって、こうなってしまいました。
そこで登場したのが117条です。既判力を解除して損害額を調整することを認めてやろうというわけです。
ただ、この問題ってほんとは上で書いた民709条のムチャクチャな解釈から始まっているわけで、そこを放置したまま117条を作ったために、理論的にはかなりヤバい制度になっています。なので立法者もびびって定期金賠償にしか適用を認めませんでした。
けれど、定期金賠償ってそんなに使われていなくて、やっぱり実務では一時金賠償が主流です。じゃあこの117条って一時金賠償にも使えないの?ってのが今回の設問3の問題意識だったと思います。
これをストレートに聞けばいいのに、無理に和解の話と既判力の縮小に絡めたせいで、訳わかんなくなってます(しかも類推適用するなとか意味不明)。
この流れを理解していると、117条の趣旨とか、何でそれが本件和解に妥当するのか、とかが分かりやすく(書きやすく)なると思います。
どうでもいい話ですいません。
DeNA炎上騒動は任天堂が協業を見直してもおかしくない深刻な問題のはず(徳力基彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tokurikimotohiko/20161203-00065085/
言ってることがもうムチャクチャです。
水に落ちた犬は叩けとばかりに、言いたい放題言ってますが、この人、メディアを生業としているのにメディアの作り方を根本的に理解していません。
Welqの何が問題なのかというと、基本的には、「他人の記事を剽窃したこと」と「根拠のない医療情報(と思える情報)を粗製乱造したこと」だけです。
守安さんは大企業のトップとしてはかなり潔く、顔を出して襟を正しています。この姿勢はとても立派なものです。
ただ、徳力さんの指摘はとても的が外れていると思います。
お金を払う前提でライターを集めて、記事のテーマもキーワードで決めて、仕事をアサインして、公開権限もDeNA側が持っていて。
これ明らかにキュレーションじゃなくて、DeNAが書かせてる編集メディアですよね。
個人の書き手が勝手にやってるとか、個人の書き手の知識不足が問題なんじゃなくて、これ明らかに全部DeNAの意思で書かせてますよね。
「メディア」というのは、編集者がいて、編集者が企画を立てて、ライターが書くものです。
独自取材がなく、一次情報としてネット上の情報をもとに書いてるのがキュレーションメディアと呼ばれる一連のモノです。
DeNAのWelq運営のやり方はたしかに杜撰でしたけど、意図的に誤情報を広めることを目的としていたわけではないでしょう。評価関数が「PV数>>>正確性」だったことが問題なのです。
しかも、わざわざご丁寧にマニュアルで、参考サイトを明示した上で、文章をコピペでは無く「リライト」することでコピペであることを分からなくするノウハウを教えてるわけですよね。
「参考サイトの文章を、事実や必要な情報を残して独自表現で書き換えるコツ」や「参考サイトに類似しない本文作成のコツ」とか、参考サイトを元にコピペをしたとばれない記事の書き方を、ライターとしての小遣い稼ぎをしたい人たちに教え込んでるわけですよね?
これを「組織犯罪」とまで言ってしまうと、たいがいのメディアが成り立たなくなります。
まず、メディアの世界には大前提として、「ニュースに著作権はない」というものがあります。
事実に著作権がない以上、ネット上で得た情報であっても、独自表現で書き換わっていればそれは法的には立派な著作物になります。
これが認められないと、例えば過去の文献を研究した批評や、レポートなどは全て剽窃ということになってしまいます。
DeNAのパレットメディアは、極端に質が低いことが問題なのであって法を犯してはいません。
法を侵さなければなんでもアリか、という話でもないですが、これを「犯罪」と断定することは悪質なデマです。
DeNAが、クラウドソーシングで海外の安いエンジニアを低コストで大量に採用して。
任天堂の流行ってるゲームのリスト渡して、これと同じようなゲームをそれと分からないようにリライトして作ってくれ、と指示してたとしたらどうですか?
DeNAが、マニュアルで、マリオとかクッパのキャラクターの顔を少しだけかえたり、アイテムの種類を変えてコピーだと言われないようにするためのノウハウを指示していたらどうですか?
協業なんか速攻ご破算ですよね。
もう完全に「おまえはなにを言ってるんだ」状態です。
大半のシューティングゲームは、STARWARSのパクリと言われています。
徳力さんはロクに自分でものを作ったりしたことがないから、こんな無責任なことが言えるんでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=Q1Gioq87_iM
https://www.youtube.com/watch?v=QRpIUPJD4Hs
http://anond.hatelabo.jp/20161124161016
これのブコメで「俺は心地いいけどなあ」「うるさくてゴメンね><」
「増田の方が病んでるんじゃない?病院行けば?」みたいなこと書いてる人たち、
まず間違いなく元増田が苦しんでいる打鍵音が正確に伝わっていない。
伝わらないのは仕方ない。ノイローゼに追い込まれるような打鍵音は一度経験しないと絶対にイメージできない。
とは言え「一日中不規則なリズムで部屋のドアを乱暴にノックされる苦しみを想像してください」と言えば
大体の人がその辛さを想像できるのに、ドアがキーボードになった途端軽んじられるのはどうしてだろうか。
たぶん、キーボードの不快な打鍵音を端的に表す擬音が存在しないのが悪いのだと思う。
少なくとも元増田が苦しんでる音は正確には「ガチャガチャ」なんて平和なものではないはず。
カッ!バチバチ!カカッ!バチバチ…バチッ!ッターン!ダダダダダ!ぱちっ!カカッ!バチバチバチ!!
みたいな感じだと思う。うーん、あの耳に刺さるような勢いのある音がうまく表現できない。
咀嚼音でいうところの「クチャクチャ」のように、分かりやすく不快感を共有できる擬音が欲しい。
という訳でお前ら何かいい擬音があったら教えてください。
何となしに選んだ、『郷愁』という1988年の映画。とんでもない神映画だった。
父親は働かない画家だが、女のパトロンおばさんがついたために楽な生活をする。家にはお金を入れない。
母親が父親の職として学校の先生を言い出すも、「画家が他人に雇われるなんてできるかよ!」と突っぱねる。
一家の収入は長女の稼ぎしだいである。長女は大学を中退しているが、賢く美しい。最初は電話交換手として働いているが、全然お金は稼げない。エリートなのに田舎に来ている理解者の英語教師の男と付き合いだすも、金がないため嫁には行かせられないと断る。
さらに、その理解者のエリート教師も教え子を不注意から殺してしまい、罪の意識からダメ人間となり地元の人たちと同じ知的レベルまで落ちてしまう。
夜の仕事場に父が来る。パトロンも順調についていて楽しく過ごしているらしい、そんな父が見とがめて「こんな仕事やめろ!」
しかし、長女は、どこまでも落ちてやるんだと、水商売先の客と寝て借金を肩代わりさせたり、どうしようもないバスの運転手と付き合ったり。
で、主人公は、こんな家の次男坊。口下手で、地元の人たちに流されるまま過ごしている。
どうしようもなく崩れていく家族。地元の土着的な性に対する汚い行い。
どうしようもなさに流されて、自分の意志でやることと言えば、金を得たら売春なり。誰もいない滝で叫んだり。
まあだいたいそんな感じのストーリーをものすごくいい映像でやる映画なんだけど。
もう本当に、こうやって人間ってどうしようもなく落ちていくんだなあってのがわかる。
ぺるん氏 以下、ぺ氏
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/09/12/210000
ddrdaisuki氏 以下、D氏
http://possession.hatenablog.com/search?q=%E7%8C%AB%E7%AE%B1
二人の喧嘩を見た。
他人の喧嘩にコメントするほど不毛なものもないが第三者の目線が必要かもしれないとD氏が書いているので
第三者として書かせていただくと…どちらにも相当に非があるとしか言いようがない。
どうもこのお二人は過去にも因縁があるようで積り積った鬱憤が爆発したようである。
D氏がツイッターで叩く
ぺ氏がぶち切れる
という流れである。
感想なんて好き勝手に書けば良いのであるから、いくらつまらない感想だったとはいえ、D氏が叩けばぺ氏が気分を害するのは当然であろう。
もちろんつまらない感想をつまらないと書くのはD氏の自由ではあるものの、発端はD氏が悪いと思うしぺ氏の方の肩を持ちたい気分である。
□
これで終わりにできればこれほど簡単な事はないのだが、喧嘩が進めば進むほど私にはぺ氏の株が下がっていく一方なのである。
内容自体はD氏もぺ氏も共に相手に喧嘩を売っているのだが、D氏が慇懃無礼な書き方でちくちくと攻撃しながらもランス03の感想の書き方を問題にしているのに対し
ぺ氏はD氏をお前と呼び、人格攻撃を積極的に織り交ぜている。これは非常に印象が良くない。
たとえD氏がクズだったとしても、ぺ氏がD氏よりもまともだという事にはならない。そもそも人格の問題はあまり関係がなく、感想が問題のはずである。
少なくとも
[私の感情や感性が未熟なことを説明せずに滑稽だと語られてもどこにも妥当性がないんだが?]
というぺ氏の文章に関しては、この喧嘩を見る限りぺ氏の感情が未熟な事は一目瞭然である。感性は知らない。
□
ぺ氏はD氏に主張の論拠を求めているが、これもよくわからない。
第三者から見て、D氏のこれは主張ではない。単につまんねー…という文字どおり便所の落書きレベルの悪口である。
それがウザいというのはよくわかるが、便所の落書きに対して論拠を事細かく求めるのはあまり意味がないように思う。
D氏はぺ氏の感想をつまらないと言い、ぺ氏はなぜつまらないのか理由を挙げろと怒る。
それに対してD氏は一応つまらない理由を挙げている。しかしぺ氏は納得せずに怒り続けている、というのが私から見た今回の流れである。
D氏の挙げた理由はぺ氏の感想の方向性とは明らかに異なるものであり、ぺ氏がそれを受け入れないのは客観的に見て当然だと思う。
さらにぺ氏のランス03の感想は、少なくとも万人が読んでつまらないと判断するような酷いものではない。
誰か1人でも面白いと思う人を連れてこいとD氏は仰っていたが、私は面白いと思ったし、他にも面白いと感じた人はいるだろうと思う。
とはいえ、D氏はD氏の価値観に従ってきちんとつまらない理由を挙げている。
それに対して、まともな根拠も反論もできずたじたじになっているというぺ氏の反論は、的を外しているように私には映る。
気に入らない人間から悪口を言われて怒りにまかせて逆襲したものの、予想以上に手ごわくてたじたじとなる、だが負けず嫌いの性格で後には引けないぺ氏…という方が私の印象に近い。
喧嘩の発端は明らかにD氏が悪いのだが、議論の筋を読めば読むほど、ぺ氏の論のおかしさの方が目立つ。
自分以外のランス03のダメな感想を数え上げて、なぜ自分に対してだけ批判をするのかといった逆ギレなどは書いていておかしいと思わなかったのか。
ネットに存在する全てのダメな感想を叩いてからでないと、ぺるん氏の感想を叩けないというのはムチャクチャな話だ。
便所に悪口を書いた相手に対して、立証責任が云々というのも非常にバカげた話である。
元々喧嘩を売りに行ったのはD氏なので、D氏の肩を持つ気もあまりないのだが…。
余談
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2016/08/17/070000
http://sessions.hatenablog.com/
http://bern-kastel.hatenablog.com/
ぺ氏自体が積極的に他者の感想へと攻撃を行っているという驚愕の事実が判明する。
俺は好き勝手に感想を書くが皆の感想を尊重する、だからお前らも文句を言うな、ならばわかるのだが
俺は好き勝手に感想を書くし、気に入らない感想は存分に叩く、だけどお前らは文句を言うな、という態度なのである。
自分は他人の感想にどんどん攻撃を仕掛けていくのに、自分が他人から攻撃されると頭に血を上らせてしまう。
あまつさえ他人への悪口を裏ブログに堂々と書いて、悪びれもしない。
更に言えばD氏は問題にしていないようだが、
ぺ氏が普段語っている外部文脈を排して作品を虚心に見つめるという内在的読解とは、作家、時代性、商業主義、声優や俳優、などなどを外部情報として切り離し、作品そのもの…たとえばランス03という作品のみを
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/11/22/120000_1
http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/04/26/222449
ひょっとしたらぺ氏の主張を私が読み違えているのかもしれない。
しれないが、もし私が読み違えていないのならば、氏のランス03の感想は「戦国ランス」といった別作品の存在や「ランスらしさ」といった外部情報=スキーマを積極的に取り入れた感想になっている時点で
なお、氏の普段の主張と異なっているからと言って悪いレビューかといえば私はそうは思わず、なかなか楽しく読んだことを白状するが
少なくとも氏の普段の主張と異なっているのだから、普段の主張自体が問題といえば問題になるのだろう。
人間なのだから、気に入らない相手に対して厳しく当たってしまうのは仕方のない事である。
しかしぺ氏の普段の主張は前述した通りだ。ならば、作者=テクスト主=D氏という外部文脈、もしくはスキーマを排して文章を虚心に読み込んで対応するのが筋というものではなかろうか。
D氏がクズであることやD氏との過去の因縁という外部情報を、今回のD氏のテクストと切り離す。
特に争点にはなっていないはずのD氏の悪行=外部情報を積極的に攻撃している現状を見るに、
ぺ氏が普段声高に唱えている内在的読解の質についても疑問が生まれてしまう。
他ならぬぺ氏自身が、[製作者の人間性と絡めた作品批評は最も唾棄すべきもの]だと言っているではないか。
ならば[ツイート主の人間性と絡めてツイートを読み、判断すること]は唾棄すべきことではないのか。
[物語解釈の障害であるスキーマに対抗するには]、と書いた本人が、[テクスト解釈の障害であるスキーマ]に嬉々として身を委ねているのはどうしたことだろう。
気に入らない人間のテクストだというだけでこれほど否定的に反応する人間は、気に入らない作家の作品に対しても、先入観を持って読んでしまうのは自明の理。
外部情報に踊らされないというのは非常に難しい事で、ほとんどの人間には出来ないと思うが、
ましてぺ氏にそれができるようには全く思えないのである。
その辺りのところを、ぺ氏が説明してくれると有難いなと思うし
その辺りのことが説明できないようでは、残念ながら氏のお題目は見かけ倒しと判断されてしまうだろう。
□
D氏はD氏で、つまらない感想につまらないと述べるのは自由だとは思うけれど、それが相手の目に触れれば怒りを買う事もあるだろう。
ぺ氏ほどの理不尽さは感じないものの、D氏が他人に対して厳しい物言いを何度もしているのは再三目にしており、それ自体
第三者としてはなるほどと思わされる事もあるし面白いとは感じるものの、自分がその標的になったらと考えると辛い。
もし私が同様の絡まれ方をすれば、ぺ氏のようにまくしたてたりはしないだろうが、煙たがってブロックぐらいはするかもしれない。
厳しい読者、というのは欲しい人にとっては得がたいものではあるが、のん気にてきとーな事を書きたい者には歓迎されないだろう。
ぺ氏の感想の行き詰まりを危惧するならば、もう少し別のアプローチがあったはずである。
結論 どちらも怖いです
http://anond.hatelabo.jp/20161005192648
飼って良いのは飼われる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
「犬のおまわりさんって困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんだったんだって。で、メタモルフォーゼできる犬の出るカートゥーンが……」
「桃太郎に出てきた犬ってきびだんご一個で鬼退治させられたわけでしょう?それで、こんどPETAが……」
「渋谷駅の銅像のモデルになった、ハチ公っていう忠犬がいて……」
「N.W.Aてドクター・ドレーが所属してたんでしょ?それで、will.i.amのCD持ってきたんだけど……」
「『アーティスト』のアギーちゃんが出てた『俺たちスーパーポリティシャン』って映画……」
こういう「非犬好きの彼氏に勧める」「犬興味ない彼氏を」「散歩不精の」「雑種未体験の」「飼いたい犬を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の犬を紹介して、できれば一緒に飼ってほしいな」という願望に対して
オレは犬にも犬にも犬にも犬にも犬邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは犬がかわいそうでとっ散らかってる上に、全体的に「神経を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「科学の発展」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
「混合ワクチン接種は現在のペットを飼う上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界は徳川綱吉じゃねえから、病院のベッドの上でイヤイヤされたら二度と仲良くなれねえぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「犬出てなかったじゃん!」となっていること。
犬を嫌悪しない
犬に忌避感がない
犬なら付き合ってくれる
目標は「自分が勧めたら、アフガンハウンドでも一緒に飼ってくれる」ところに持っていくこと。
いきなり超大型犬かよ!とか言わない。
必要なのは「相手の飼いたいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
『アルプスの少女ハイジ』でもおなじみの犬種で、基本的に性格はおだやか。
こどもに対しては人間にも犬にもやさしくて頭のいい、よく出来た犬種だ。
大きいイヌは威圧感があった怖い……みたいなベタ先入観を茶化しつつ、ベタベタにじゃれてくる。
オタクとして観るなら「換毛期に落ちた毛をどうやって回収するか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなったデカい犬の一挙手一投足に注目するのもおすすめ。大型犬すげえぞ。
たまに大型犬が嫌いな女性もいるが、普通の犬なのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、イヌがのしかかってきたら配慮してあげること)
一見気品ある、気位が高そうな見た目ながら、実際飼ってみるとに(彼女にとって)親しみやすい要素を多く含む。
しなやかな肢体と、すらっとしたチャーミングな体躯で目をたのしませてくれ、
ガチャガチャとした被毛や、実は意外とヌケている性格をスッキリ見せる。
オタクとして観るなら「ロシア貴族に猟犬として愛されてたころの名残」を一つでも多く探そう。
彼女に「ボルゾイちゃんと今日も一日がんばるぞい」と言わせられれば目的達成。
オマエまた超大型犬かよ!とか言わない。
ドッグショー要素を排除しつつ、あくまで人間のパートナーとしての遺伝子を挟んでくる犬種。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーちゃんにもきっとやさしくしてくれる犬だ。
人見知りやすい割に、ちゃんと身内にはなついてくれて安心できる。
「『フランダースの犬』のパトラッシュとちょっと違うけど、みてて面白い」と相手が思えば目的達成。
「ブリアード」→「ボーダーコリー」→「オールド・イングリッシュ・シープドッグ」
(コーギーを完走できれば、ほぼ教化は完了している。ペンプロークとカーディガンを一緒に飼えるだろう)
ジャックラッセルのテリアじゃないけど、かなりのガッツもある。
「『デレステ』の渋谷凛のテリアとは方向性が違うテリア」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、飼い終わったあとに在りし日の思い出が言い合えればベストだけど、どうかな。
いまさら柴かよ!とか言わない。
偽装飼い犬になるバイトを憧れの人間から持ちかけられたわんこが、
人間の実家でかわいいかわいいと親戚一同にモミクチャにされながら
「かわいかったけど、犬は苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
皆様おなじみシベリア生まれの雪玉野郎だけど、ちゃんと血統をつなでいるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にじゃれにいかないけどじゃれも入れてくる、
紛れもなく犬オタ向けであり、歴史ネタ(最初に南極大陸を踏んだ犬)もちゃんと入ってる。
あとは好きにしろ。
犬から入って、犬、犬、犬、犬、そして犬。
おおよそ、20年~100年半ほどかけて、いわゆる犬オタの好む犬に寄せて行こう。
毛並みの綺麗な犬や上級者向きの野犬ばっかりの構成では意図するところが達成できず
ディンゴとの邂逅で絶縁されかねない。
ティーカッププードルとかカニンヘンダックスあたりですら「ちゃちゃい活発な犬種」ってだけで
いきなり見せたら、かわいい!マジで!このわんちゃん以外みんな(おまえも含め)死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(ボクサーとかブルドッグとか、その手のきもカワ犬からの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになる犬ってあるんじゃないかな。
シャーベイとかチャウチャウとか、非犬オタから見たらアビシニアンと同レベルだと思う。
(正直、ワイマラナーも一発目はムリ)
段階さえ踏めば犬は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆるオタク向け犬に慣れてもらうのって大変だと思う。
ポルテュギーズ・ウォーターとかオバマが飼いはじめたことで知名度あがったけどまだ貴重だし、
ペキニーズみたいなアクの強いのもアレだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に飼ってもらえる」信頼を得つつ、
『101匹わんちゃん』観てても「ああ、なんかダルメチアンばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついに犬のきぐるみを購入することに成功したらしいが。すげえな。
やべー。
うちの犬について書くの忘れてた。
おまえらにはやんないけどな。
健闘を祈る。
勧めて良いのは薦められる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
こういう「非狂言好きの彼氏に勧める」「歌舞伎興味ない彼氏を」「出不精の」「オルタナ未体験の」「行きたい映画を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の趣味を紹介して、できれば一緒に行ってほしいな」という願望に対して
オレは狂言にも歌舞伎にも旅行にもロックにもスイーツ邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは目標が複数あってとっ散らかってる上に、全体的に「相手を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「相互の入口」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
ラーメン好きが、理解を求めてラーメン二郎に彼女を連れて行く姿を。
「ラーメン二郎は現在のラーメンを語る上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界はときメモじゃねえから、店の前で黙って帰られたら二度と連絡は取れねぇぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「面白かったね!」となっていること。
目標は「自分が勧めたら、TVアニメでも一緒に見てくれる」ところに持っていくこと。
(外国行って出来た友達に日本語辞書渡してから簡単な日本語で話しかけるみたいな
「なんでこんな簡単な日本語を理解してくれないの?合わないね」とかやるなよ。
本来は、彼女の趣味を入口にするのがコミュニケーションとしては王道)
いきなりディズニーかよ!とか言わない。
必要なのは「相手の観たいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
新海誠作品に特有の清潔感のある繊細な描写を、一旦ここで落ち着かせる意味合いもある。
アニメのプリンセスが、現実のニューヨークで離婚専門のシングルファーザーに出会って
という、アニメーションパートのベタディズニーを、実写パートに進出させる異色作。
出逢えば歌でわかり合う……みたいなベタ設定を茶化しつつ、ベタベタのディズニー。
オタクとして観るなら「ディズニーの文法をどこで回収してるか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなった手書きのセルアニメを堪能するのも一興。大資本すげえぞ。
たまにディズニーが嫌いな女性もいるが、普通のロマコメなのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)
薄いロマコメでありつつ、そこに至るまでに(彼女にとって)余計な要素を多く含む。
ウォーリーとイブという、ロボットでありながらチャーミングな存在で物語を引っ張り、
ガチャガチャとした舞台設定や、いくつかの目的が絡み合った話を、スッキリ見せる。
オタクとして観るなら「『2001年宇宙の旅』のオマージュ」を一つでも多く探そう。
「実写では無く、女性向きにも見えない映画」も楽しめると伝えられれば目的達成。
(吹替版でも良いと思う。草刈正雄は流石の演技力でアニメ初挑戦とは思えないヨ)
オマエまたピクサーかよ!とか言わない。
ロマコメ要素を排除しつつ、一旦凹むような描写を挟んでくる映画。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーの頭の中の物語。
非コミュをエグるエピソード満載の割に、ちゃんと着地していて安心できる。
「アニメでロマコメですらないが、観て面白い」と相手が思えば目的達成。
「ベイマックス(2014)」→「時をかける少女(2006)」→「青空エール(2015)」
→「仮面ライダードライブ(2014~2015)」と展開すること。
(ドライブを完走できれば、ほぼ教化は完了している。エグゼイドも一緒に行けるだろう)
戻ってきたのにジブリかよ!とか言わない。
絵が好きで内気な少女が、喘息療養のため滞在する街で、
古い屋敷に住むという華やかな少女マーニーと友だちになり、
お互いの悩みを打ち明け合い、徐々に心を通わせていく物語。
チャンピオン連載のマーニーじゃないけど、若干の謎解きもある。
「綺麗ではあるが新海誠とは方向性が違う絵」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、見終わったあとに感想が言い合えればベストだけど、どうかな。
「面白かったけど、アニメは苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
東京ゴッドファーザーズじゃねぇのかよ!とか言わない。
千年女優も東京ゴッドファーザーズも、日本映画に対する憧憬が強いと思うんだよね。
アニメ好きに黒澤映画や往年の日本映画を勧める窓口とするなら良いと思うけれども、
「君の名は。」観てアニメに触れようとしてくれてる相手に紹介するには隔たりが大きい。
とは言うものの、アニメシリーズの紹介までも遠いため、ちょっと頑張ってジャンプアップ。
キツめのツンデレ千葉敦子が、他人に悪夢を見せて精神崩壊させる事件へと迫る胎教に悪そうなアニメ。
コレを喜ぶ彼女なら、次は「PERFECT BLUE(1998)」を観ても良いかも。81分だし。
また古いところからもってきたな!とか言わない。
アニメ絵に対する違和感を無くして物語そのものを観ることが出来るなら、
次は「連続してアニメを観る」という体験だ。OVA 全6話ならそれが出来る。
戦争のさなか、小学生がひょんなことから知り合った敵軍の兵士と交流するが、
友人たちや家族、そして大きな侵攻作戦を通じて少年の心を大きく揺らすストーリー。
高山文彦が監督しているので、山賀博之の脚本にも関わらず、映画のような印象を受ける一本。
ガンダムガンダムしていないガンダムなので、慣れない人に優しい。
また、絵柄が極端に古いけど、コレに慣れると大概のアニメがイケるようになる。
ガンダムのあとに?とか言わない。
きちんと1クールで終わって、ちゃんと男性目線での可愛い女の子も出てきて、
それでいてエロに行かずに安心してストーリーになってる作品って思ったより少ないぞ。
サイズ的には「夏目友人帳(2008)」も「にゃんこい!(2009)」も良いんだけど、両方共難しい。
夏目友人帳は少女漫画寄りだし、にゃんこい!は男子中学生寄りだし、痛し痒し。
あっさりアニメに嫌悪感無く付き合ってくれるようになれば、もうひと押し。
オマエさっき女性向け狙ったって言わなかったか?とか言わない。
DTBは1期に関して言えば、全体的なトーンは暗いものの基本が2話完結式で、観るのが楽。
シナリオ的にもそれぞれきちんと独立しており、かつ、ストーリーに絡んでくるので、
あっという間にとは行かないまでも、一貫して観続けることが出来る。
これについてきてもらえるのであれば、その先にいける。
最後まで来ても全体的に古いな!とか言わない。
皆様おなじみ痛快娯楽復讐劇だけど、ちゃんと完結してるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にエロにいかないけどエロも入れてくる、
オタクが観てもちゃんと面白くて、ストーリーも追いかけやすい。
あとは好きにしろ。
ロマコメから入って、心理描写、SF、変、人間ドラマ、日常系、ストーリー、2クールアニメ。
おおよそ、半年~1年半ほどかけて、いわゆる男性アニオタの好むアニメに寄せて行こう。
線の綺麗なアニメや女性向きのアニメばっかりの構成では意図するところが達成できず
「楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)」の描写で絶縁されかねない。
ヤマノススメとかユーフォニウムあたりですら「アニメ絵の女の子ばっかり」ってだけで
いきなり見せたら、キモ!マジで!死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(おさるのジョージとかザ・ペンギンズとか、その手のアニメからの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになるアニメってあるんじゃないかな。
ストパンとかガルパンとか、非オタから見たら未成年着エロと同レベルだと思う。
(正直、ガン×ソードも一発目はムリ)
段階さえ踏めば作品は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆる男性向けアニメに慣れてもらうのって大変だと思う。
「東京マグニチュード8.0(2009)」とか描写も丁寧で名作だけどまだキツイし、
「劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(2008)」113分みたいなアクの強いのもアレだし、
「王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)」119分みたいな超絶技巧だけどどーにもオタク向けだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に見てもらえる」信頼を得つつ、
ガルパン観てても「ああ、なんか女の子ばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついにガルパンの映画に一緒にいくことに成功したらしいが。すげえな。
やべー
元になったのリンク貼るの忘れてた
はてなブックマーク - 『君の名は。』や『聲の形』を観た一般人に勧めるアニメは? - Togetterまとめ
そもそもはココで東のエデンとかあの花が上がってることに違和感があったからなんだよね。
「君の名は。」と「聲の形」を観に行った層が一致していると思えないのもあって限定にしてんだけど、
「綺麗な絵のアニメだから観た」ワケじゃないと思ったのが最初。
「面白そうな恋愛映画がたまたまアニメだった」だけで、逆じゃ無いだろと。
同じ新海誠で同じ絵のテイストの「秒速5センチメートル」を薦めてはイカンと肌感覚で判るのに、
なにゆえに絵柄の綺麗なアニメならなんでも良いだろ、みたいな雑な方向になるのだと。
絵柄が綺麗で良いアニメなら観てくれるワケじゃないだろ、と。
まず彼女はどこに惹かれて観たのだろうか考え、
その部分を取っ掛かりにすべきだろうと。
あとね、元になったまとめのブコメにもあるんだけど、
「これだけ観てくれるなら薦めなくてもアニメ好き or 勝手に見る」ってのは傲慢だと思うのよ。
最初に書いといたけど、こんなに日本全国で庶民が気軽に狂言や歌舞伎を見られる時代は無い。
お芝居でもそうだし、まあ海外旅行とか音楽を聞くのでもそうだよね。邦画もそう。
でも、フリクリを観たアニオタのうち、はたしてどれだけがオルタナティブロックを聞いたかな、と。
(カウボーイビバップ観てジャズを聞こうとした知り合いは、ジャズ好きに正しく教化されて、今も少しづつ聞いてる)
彼女に誘われりゃ何度かは一緒に観に行くだろうし、
そこで面白さを知ってハマるかもしれないけど、
先導なしで同じ所まで行くかな?
オレは行かないと思う。
アニオタって、方向性の問題であって、我慢とか矯正とかと縁遠いわけだよ。
だから、彼女ができようが親に内緒にしようが、やっぱ新作は観るわけだよ。
そうすると、観てるのを知られても「ヒかれない」のが第一歩。
そこに行くまで一苦労で、その為には遠回りに思えても理解を求めるしか無い。
(だから半年以上かける長期戦なわけだし)
アニメは怖くないよ、(見た目はもちろん重要だけど)
絵柄だけで観てるわけじゃないよ、普通の小説や音楽と同じ趣味なんだよってのを
人生の時間を同じくすることを選んだ人には、伝えてみたいじゃない。
美味しい料理を食べた時に、コレ美味しいよと言う。
その過程で「自分の好きなもの」を伝えながら「相手の好きなもの」を聞いて、
相手の好きそうなものを薦めてみる、相手の好きなものを試してみる。
そういうのが、コミュニケーションなワケだろうと。
だから、さんざん書いといてなんだけど、原則的には以下の一文がすべてだと思うわけよ。
>>(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)
アニメはもはや特殊な趣味じゃないと思うが、伝わりづらいからなあ。
彼女が真田丸観てるなら一緒に観て、次はうどんの国の金色毛鞠一緒に見ようって言えるようになれると良いな。
(本エントリの趣旨上、「あにトレ!!XX」を誘うのは想定していない。それはコッソリ観ろ)
健闘を祈る。
続き。
http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000
日本社会の問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています。
わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的に議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。
でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理で意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?
そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。
雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子で議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストランに入店し、入るなり大声で所望の品を叫び、料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。
議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベルは結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手の意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。
雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店でパートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙な大学に通ったり、ということしかされていない(学問もビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人とシリアスな議論をしたことがない可能性も大いにあります。
可愛い日本人の女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。
1.自分の意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分のリアルな体験談を引き合いに出すのもOK。
例えや体験談は根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。
2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います(意見)
なぜならこうだからです(根拠)
だからこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法はオーソドックスで簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。
えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。
まわりに問いかけること自体は大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。
4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手の反論ネタを奪うこともできます。
「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。
「相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。
「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。
説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。
5.相手に共感させる
これは大事です。
ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。
これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
とはいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。
路上の物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います。
観光地で陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。
彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。
しかし、それは不可能だ。ニューヨーク版では、「核爆弾を落とす」という選択肢がなくなるからだ。そうなったら、もはやシン・ゴジラではない。
ニューヨーク版作ればいいのでは
何を以って海外版『シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラを海外(ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェンダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?
ハリウッド演出ではないリアルなアメリカ版シン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも
海外版は、シン・ゴジラの翻案やリメイクではなくて、現状のまんまです。翻案やリメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで、俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功が保証される。
なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本だからこそありえた選択肢だからだ。
庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラがニューヨークに出現したら、ゴジラがニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用を決断するはずだ。それが最も合理的だからだ。(自分たちが死ぬかわりに、他人が死ぬのだから、その方が合理的だ。)
というわけで、ゴジラが米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だから、ゴジラが出現する場所は、「核の使用が可能な地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり「黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラが米国に出現したら、ゴジラ映画そのものが成立しなくなる。「ゴジラがニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)
※ ついでに言うと、東京に核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬か福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京に核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。
http://srad.jp/~sadaken/journal/605596/
評判良かったからまあまあ期待してたんだけどな、まさかあそこまで酷いとは。
所詮ネットの批評なんざ声の大きなオタに媚びればどうとでもなるということかもね。
踊る大捜査線の台詞のオマージュかなってくらい延々と会議だけやってるわ
ようやく出てきたゴジラは中華街に飾ってありそうな出来損ないの張りぼてみたいで
戦うのかと思ったらまた待ったで海に帰っていきましたで半分は終わってしまうんだからすごいわ。
ようやく戦い始めたと思ったら最後はバンカーバスター程度で穴空いて、いかにも燃費悪そうなアニメ的謎の全方位光線反撃した後 予想通りエネルギー切れで寝転んでるひ弱なゴジラ相手に、核使わないといけないとか言い出したかと思えば
政府高官までそれが唯一正しいみたいに言い出して、そんな中主人公が「この国を見捨てず最後までやろう」って厨二全回な展開で
わざわざエネルギーが再度たまるまで待ってヤシマ作戦(違 でゴジラにドリンクをゴクゴク飲ませて凍結させて終了という。
あ、放射能はめっちゃ半減期短いから東京の復興はO.Kらいよw めでたしめでたし、え、ご都合主義、何それおいしいの。
シナリオも設定も穴だらけだわ、かわりに怪獣物として単純に楽しめるかというとアクションシーンは延々と始まらないわ、ようやく始まってもハリウッドより全然ショボいわ
コメディとしても半分を占めるだろう会議の部分は三谷幸喜のギャグも真っ青な寒さだし、いったいこの映画は何を見せたかったんだろうね。
全体的に被害妄想の強さ、特にアメリカに対する劣等感、ボク達が本気出すとスゴいんだぞーってホルホルしたいんだろうなって事くらいかわからん映画だった。
悪辣な中ロや高圧的なアメリカ様をフランス様の助けを借りて凌いで「ニッポンにこんなしたたかな外交ができるのか」 「危機という物はこの国さえ成長させるものなのだな」とかアメリカ人に褒められてるシーンとか本気で蕁麻疹がでそうになったわ。
これアメリカに出すのだけはやめようぜ、マジ恥ずかしいからさ。
いかにも続きありそうに終わったけど、もうゴジラはハリウッドだけでいいと思うわ、今の日本で作るとこれじゃね。
でも考えてみると魅せたいビジュアルシーンだけつないでストーリーも設定もボロボロ、被害妄想の強さとボクチャン強いんだぞのペラペラな物語を専門用語で小難しく装飾する手法ってまんまエヴァなんだよな。
深夜アニメ的手法って実写でやると酷く痛々しくなるんだな、それがわかっただけが収穫だったな。
本当の所は、好評レビューが全てサクラとも思えないし、映画が駄作というのではなく
娯楽作品ってのは基本的に狙いの顧客層以外には酷くばからしい物だから
今回のシン・ゴジラの対象が深夜アニメ、特に劣等生()とかが好きな方々向けであって
俺にその素地がなかったというだけ話なんだろうが。
にしても、本当に金と時間を無駄にしたわ、徒労感がハンパない。
早い内に口直しにゴーストバスターズでも見に行くかね、あれなら馬鹿らしいけど少なくとも濃厚なオナニーに反吐が出るって事だけはなさそうだしね。
…いいこと言ってるじゃんw
http://anond.hatelabo.jp/20160829171356
のブクマページ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160829171356 を見たら、
「いくら不自然でも、石原さとみがかわいければいい。米国人受けなんか気にしなくていい」
という声が圧倒的に多かった。
しかし、市場規模で言えば、日本市場は世界のなかで圧倒的に小さい。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160829-00061607/
数字で言うと、世界全体で 383億ドルで、そのうち日本は 18億ドルだ。比率で言うと5%弱だ。
http://www.animeanime.biz/archives/22585
こんな小さな市場で、こんな小さな売上げだけを得ていれば満足だというのは、あまりにも肝っ玉が小さい。怪獣は史上最高のでかさだが、東宝とファンの肝っ玉はミジンコのごとく小さい。ノミのキンタマというべきか。
こんなふうに日本国内における自己満足で、「泉ちゃんはかわいい」「さとみかわいいよさとみ」なんて言っているようでは、先が思いやられる。まともな CG の開発費用も出ない。
まあ、彼らは自己満足しているだけでおしまいなのだろう。世界的規模で 20倍の市場をめざすという発想には馴染めないのだろう。それならそれで仕方ない。
シン・ゴジラは、国内版とは別に、海外版を作るべきだ。そうすれば、外国人俳優を多用することで、多額の興収が海外市場で望めるだろう。
いや、いっそのこと、製作権を丸ごと海外の会社に売り出すべきだ。そうすれば、製作権を 10億円ぐらいで売れて、東宝は濡れ手で粟で大儲けできる。
その一方で、海外の映画会社は、10億円の代金を支払うことで、200億円ぐらいの興収を得ることができる。日本専用の庵野版シン・ゴジラは、海外ではたいして興収を得られないだろうが、内容はそのままにして、外国人俳優と外国版 CG を使った海外版のシン・ゴジラなら、200億円ぐらいの興収を得ることができる。いや、ひょっとしたら、300億円になるかも。
シン・ゴジラの脚本には、それだけの魅力がある。なのに、東宝には、それを生かすだけの資力もないし、配役能力もない。だったら、海外の会社に製作を任せるべきだ。自分で製作ができなければ、海外の会社に製作を任せるべきだ。そして、海外の会社に百億円規模の大儲けをさせた上で、東宝も1割ぐらいのおこぼれをもらえれば、それで満足できるはずだ。(コバンザメ商法)
無能な会社は、無能なりに、製作権を他社に渡すことで、少しは儲けることができる。おこぼれを。
石原さとみ役は、google:image:ナタリー・ポートマン で。興収 200億円なら、高額ギャラも払えるだろ。
【 ブコメ 】
Borom ナタリー・ポートマンにしたら「日系人のカヨコが祖母を不幸にした原爆投下を二度と行わせないために立ち上がる」ってシナリオ破綻するんじゃない?
ナタリー・ポートマンは、菜食主義で、ハーバード卒で、ユダヤ人。「虐殺されてきたユダヤ人の痛みがわかるから、原爆で虐殺されないように努力する」でOK。完璧だよ。
ニューヨーク版作ればいいのでは
何を以って海外版『シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラを海外(ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェンダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?
ハリウッド演出ではないリアルなアメリカ版シン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも
海外版は、シン・ゴジラの翻案やリメイクではなくて、現状のまんまです。翻案やリメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで、俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功が保証される。
なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本だからこそありえた選択肢だからだ。
庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラがニューヨークに出現したら、ゴジラがニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用を決断するはずだ。それが最も合理的だからだ。(自分たちが死ぬかわりに、他人が死ぬのだから、その方が合理的だ。)
というわけで、ゴジラが米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だから、ゴジラが出現する場所は、「核の使用が可能な地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり「黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラが米国に出現したら、ゴジラ映画そのものが成立しなくなる。「ゴジラがニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)
※ ついでに言うと、東京に核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬か福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京に核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。
わかっている。だから日本向けの会議場面は大幅にカットして、ゴジラのアクションシーンを増やせばいい。脚本にさらに加筆はしないが、一部は大幅にカットしていい。
いやいや。全部作り直したら、金がかかりすぎる。石原さとみのところと、CG のところだけを変えるだけでいい。あとはそのまま使う。(ただし大幅に短縮する。)
これだったら、撮影のコストはギャラ代プラスアルファぐらいで済むし、CG のコストは必要経費だけとなる。全部作り替えるほどのコストはかからない。
※ CG は現状のままでもいい。しょぼいけど。
なお、「細かすぎて伝わらない」というのは、問題ない。細かいところは伝わらなくてもいい。映画として失敗していなければいい。ちなみに、千と千尋や、もののけ姫は、日本丸出しだったが、世界中で受けた。日本的だとしても、普遍性があるものは、受けるんだよ。
(「国民性ジョーク」というのがあって、「米国人はこうした、日本人はこうした」という話をすると、世界中のどこの国でも爆笑を得る。日本人の愚かな国民性は日本人にしか理解できないということはない。世界的に有名だよ。)
【 参考 】
評判は? とても好評だ。詳しくは下記のトラバ。
前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。
その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会の対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テストの記述式試験を大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法の採用を後押ししてしまっているという点にある。
いくつかのコメントに飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。
しかし、その一方で、私は文科省も国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的か無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解やバイアスや資質の問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。
これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身の言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。
今回私が批判したいのは、8月19日付朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である。
前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。
はじめに結論をかけば、
氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法の問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。
私が特に重要視している記事の記述は次の2つの記述に集約されている。
この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省の有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。
私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述式問題において何を問うかという点に関する検討・理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである。
特に、「文章を理解し説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者が可能になったと断定している点である。
国公立大学の二次試験の国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章の記述の内容把握や根拠説明を要求するものになっている。
一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学(2016年度だと例えば滋賀県立大・静岡大・首都大学東京・島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語の試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。
では、新共通テストの記述式問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。
国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識・技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報を多角的な視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力・表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)
とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句は一見氏岡氏の記述に合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分の言葉で説明することを指していると通常は解釈するように思う。
実際、
「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の記述式問題については、現在、国立大学の二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力の評価と採点等テスト実施に当たっての課題の解決の両立を目指す。(p.56)
と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。
つまり、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性・芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。
仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、
「自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。
では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。
解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。
ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。
というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものだからだ。
全国共通試験への記述式・論述式問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、適切にその能力を評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧もあり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。
これは、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテストの場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力を評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述は国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。
また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テストの問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故の発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年(1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述や自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいかを記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである。
「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事の記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。
しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。
読売新聞が8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。
国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。
これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。
「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。
上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?
また国公立の二次試験を見ても、単独で200~300字の記述を要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である。
もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。
といったことだ。
しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告からは乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。
実は、国立大学協会の論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。
そもそも、記述式・論述式問題に評価すべき能力をいかに構造化できるかは、根源的な課題である。評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識やノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力の構造化に向けた記述式・論述式問題設計の理論構築、体系化が喫緊の課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学の個別試験における記述式・論述式問題に関する実績を調査・分析することなど、この課題に積極的に取り組んでいきたい。
これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述式問題の形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。