はてなキーワード: 逆鱗とは
あいあーい!
ハピハピハッピー!
ご機嫌いかがかしら。
なんかさ、
夢で増田を書いてるのを見たのよ。
やばい!
なんか追われてる感じの。
で、
書けた書けなかったかは忘れちゃったけど、
こんな夢初めて見たので
日曜日の朝に週明け感の鱗片を味わうことになったわ。
どちらでもいいわ、
なんかそういうのに触れるところだった。
何を言ってるかよく分からないと思うけど、
ありのままに起こったことを書いたわ。
まあ、夢で良かったけど。
うふふ。
ごろっと玉子のサンドイッチ。
まるまるゆで玉子なのでとってもヤミーよ。
一周回ってまた来るわよ!
ちょっと探してこなくっちゃ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前回の文章は主催者の逆鱗に触れたのか(笑)、google検索に引っかからなくなってしまった。
奇しくも復興マラソンと同じ10月1日に、長野県の松本市で「松本マラソン」が開催される。こちらも初開催のフルマラソンだ。
同じ日に同じ距離のマラソン大会が同じく初めて開催されるわけだが、現段階でも以下のような違いがある。
大会名 | 東北・みやぎ復興マラソン | 松本マラソン |
---|---|---|
開催日時 | 2017年10月1日(日) | |
スタート時間 | 9時15分(ウェーブスタート) | 8時30分 |
コース | 沿岸(未完成) | 市街地 |
日本陸上競技連盟公認 | 無し(9月公認予定) | 有り |
会場 | 公園(3月再開園予定) | スタート地点:体育館、ゴール地点:陸上競技場 |
参加定員 | 12000人 | 10000人 |
参加料 | 13000円 | 10800円 |
制限時間 | 6時間30分 | 5時間30分 |
受付 | 無し(事前郵送) | 無し(事前郵送) |
ホームページ公開 | 2017年2月13日 | 2016年10月1日 |
エントリー開始 | 2017年2月22日 | 2017年3月1日 |
ボランティア募集開始 | 未定 | 2016年10月3日〜 |
参加賞 | Tシャツ | |
完走賞 | フィニッシャーズタオル | |
完走証 | 当日発行またはWeb | 10月下旬発送予定 |
アクセス | 主に車かシャトルバス | 主にシャトルバス |
駐車料金 | 有料 | 不明(おそらく無料) |
エイド | 未定 | 15ヶ所に水とスポーツドリンク、数ヶ所に給食とスポンジ |
昨年の気温 | 25度(岩沼市) | 22度(松本市) |
この二つの大会を比較してみると、やはり復興マラソンには幾つかの問題点があるように見受けられる。
松本マラソンはスタート時間が8時30分と早く、制限時間が5時間30分なので、14時前には大半の参加者が競技を終えていることになる。
一方、復興マラソンはスタート時間が9時15分と遅く、しかもウェーブスタートなので、後方は9時45分スタートとさらに遅い。
そして制限時間が6時間30分なので、16時近くまで競技を続けている参加者がいる可能性もある。
制限時間的には復興マラソンの方が余裕があるが、最悪16時近くまで日中走り続けることを考えると、必ずしも復興マラソンの方が初心者に優しいとは言えない。
松本マラソンが2017年1月の時点で日本陸上競技連盟の公認を得ているのに対し、復興マラソンはコース自体がまだ完成していないので公認を受けていない。
しかし過去に、コースの完成が遅れ、実際の距離が不足していて、最終的に陸連の公認を得られなかった大会もあった。
もしそのような事態になったら、被災地だからどうこうではなく、コースの完成を待たずに大会を開催した主催者の責任は免れない。
松本マラソンはスタート地点が総合体育館、ゴール地点が陸上競技場で設備が整っている。
対して復興マラソンは公園が会場となっており、そこはまだ完成していない。
どの程度の施設があるのか不明だが、公園であるからには参加者が多数待機できるような大きな建物はないだろう。
未完成の公園を会場にして、集合の際の動線などは考慮できているのだろうか。
これもコースと同様に、「完成してから開催すれば良かったのに」という状況にならないことを祈るばかりだ。
どちらも車かシャトルバスに頼る交通手段は同じだが、復興マラソンの方が参加費が高いのに駐車料金も有料な点が気になる。
松本マラソンの駐車料金は不明だが、仮に有料だったとしても、松本マラソンは市街地開催なので止むを得ないのかもしれない。
一方で、復興マラソンは沿岸部開催だ。駐車場に使えそうな土地はいくらでもありそうだが、駐車料金はやはり必要なのだろうか。
松本マラソンはエイドの数が既に決定している。しかもまだエントリー開始していないにも関わらず、だ。
エイドの情報は大会参加の可否に影響するので、できればエントリー前に知りたいところ。
十分なエイドが用意されていると分かれば、初心者でも安心して参加できるだろう。
一方、復興マラソンはどちらも未定だ。エイドもボランティアもそれほど重要ではないと考えているのだろうか。
たとえ沿岸部の僻地開催であっても、エイド、スタッフ、ボランティアの充実は大会運営の要なので、決して軽視しないでほしい。
松本マラソンの主催は、松本マラソン実行委員会と長野陸上競技協会だ。
長野陸上競技協会は長野マラソンにも携わっており、フルマラソンの運営には実績があると言えるだろう。
実際に大会を運営するのは主管の松本陸上競技協会かもしれないが、長野マラソンでのノウハウが今大会にも活かされれば、大きな障害が起こるとは考えにくい。
実際に、ホームページの開催や陸連の公認への対応も早いので、経験が活かされているのだろう。
復興マラソンの主催は、宮城陸上競技協会だ。こちらはフルマラソンの運営能力が未知数だ。
宮城での大きな大会といえば仙台国際ハーフだが、こちらを運営しているのは「仙台国際ハーフマラソン大会実行委員会」で、ここに宮城陸連がどの程度関わっていて、どの程度大会運営のノウハウがあるのかで今大会の成否が変わってくるはず。
ここまで書いてみて、やはり現時点でコースが完成していないという点が不安の根源であると感じた。
コースが完成していないとホームページの公開も遅れるし、ボランティアの募集も遅れるし、いろいろな確認作業が全て遅れるだろう。
ギリギリにコースを確認したら距離が不足していた、なんて事態も想定される。
それでも開催に踏み切ったからには、参加者が全員納得できるような大会にしてほしい。
前回も書いたが、私は大会が大成功してほしいと心から願ってこの文章を書いている。
http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
率直に書く。総合的な感想や考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)
トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。
初見と印象が違いすぎる。
何が変わった? 私が変わった?
今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。
今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからもうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。
時系列順に。
ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます。
手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。
『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。
奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?
そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?
だから最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。
てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感。
初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?
『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。
諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。
『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。
あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップにちょっとびっくりした。
ここで振り返ったのは過去だから未来ではないけれど、どうにも諸戸からも時間を感じない。(ミスリーみあるけど)
似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。
大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?
だから私は、ああこれは『演劇』なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇』なのだと。
『箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪も意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。
嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶は証人として使えなくなってしまった。
『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体に違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的に言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。
『箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者。
初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか?
『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。
対して『箕浦』からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。
いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。
(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分の心理思考も記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)
初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。
深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。
『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。
初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲としか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。
諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼なセリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。
しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、
諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。
諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目の破壊力。軽蔑の目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!
ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。
「子どもは残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。
しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件の推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。
ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。
いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?
あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?
秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。
ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎が母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)
原作未読であるので自分で確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカットが必要な位置にあるのだろうか?
諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性に嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親からの愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情も性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。
手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…
おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?
島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。
だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。
島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。
そこに現れる諸戸。
私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元の存在だから?
で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……
それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるとめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為だから。
まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、
諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。
あ、それが《わたし》と『私』か。
丈五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラワクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。
諸戸からのメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。
前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事の事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)
ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。
あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?
(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)
諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。
『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、
諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。
水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。
序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから、原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的に拒否られてない可能性ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。
『箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛に嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。
「ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。
それまで『箕浦』を抱きしめて必死に告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦』から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。
これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界が崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。
諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?
確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。
そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。
なんというかね、性的な意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージしやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすくセクシャルな表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。
同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分の身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。
あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。
井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び。
そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。
諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)
それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。
醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…
助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要ないから大正解。しかしイドの超自我破壊と自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。
あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?
私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。
『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。
と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたからテラびっくりしたんだけど!
【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。
初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩が執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。
まだ決めていない。
少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。
それにしても《みのうら》になった『私』の生命力。
佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?
《わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」
ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。
『箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸を脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…
座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。
ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。
そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。
諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐に燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。
今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。
fujiponのカンニング竹山の「すべらない話」の感想の感想エントリが僕の逆鱗に触れた。
これね。http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/12/06/140057
まず、私はカンニング竹山のすべらない話が笑えなかったを読んで、僕は放送を観ていないのだがきっと観ていたら笑っていたと思った。
そしてそれはこのエントリで批判されている通りの差別意識によるものだろうな、と恥じた。
次にカンニング竹山のマエケンの滑らない話の雑感の上記エントリに対する切り込みにはお笑いファンガチ勢を自認する僕も感心した。
ズイショのM-1 2016評は、お笑いの観客としてセンスはあるが経験値の足りない素人という印象だったが、これについてはやはりセンスがいい。
そしてfuiponの本文を読んだのだが、なんだこりゃ。
笑えなかったという感想に対する批判は基本的にズイショのように笑いどころの解説によってなされるべきなんだわ。
「でも竹山さんはいい人なんです」とかお角違い。
竹山はいい人だがナルシスト。いいポジションずっぽし嵌りで実力以上に格段に売れたラッキーマンだ。
そういう意味じゃお笑いド素人の論評対象には確かに打ってつけなのだがな。
『M-1グランプリ2016』で、トップバッターの「アキナ」のネタに、少し戸惑ってしまった。
を読んでも、お笑いリテラシー不足が煙って前が見えないレベル。こんなの書くのも読むのも時間の無駄。
遅読の僕は下手すりりゃfujiponが乱筆でっちあげるより読むのに時間かかってそうで、たまったもんではないんだわ。
書いた本人が恥かくだけでなく、世の害悪。
ド素人であるところのあなたのお笑い論評はネトウヨやリベラル(笑)の呻きのようなものだと知ろう。
で「自分を戒めていることは「他人の感想を否定しない」ってことなんですよ。」とか言い出す。
現に否定してるじゃんって思いながら読み飛ばしてたら最後に「このエントリこそまさに「感想への感想」になってますね……本当に難しい。」だってさ。
はあ? 難しい……じゃねえよ。ごくシンプルに易しく言動不一致じゃねえか。
さらに「感想を批判するな」は最初の引用エントリへの批判に対する批判なんだよな。
まず、私は西野氏のファンじゃないので特に肩入れはしていません。
むしろ、氏の作品はまさに商業主義のラッセンを彷彿とさせるので好んで鑑賞はしないと思います。
ただ、氏の発言の一部(の切り取り)が沢山の方々の逆鱗に触れたようなので、こういう考えかただったんじゃないかな?という別の視点の提案をする記事です。
まず、問題のURL(http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)をどうぞ。
そこまで長くないのでサッと読めるはずです。
>糞ダセー。
ここが特にみんなの堪忍袋の緒専用カッターとなっているようですね。
西野氏が2000円で絵本『えんとつ町のプペル』を販売してしばらく経った頃、小学生に高くて買えんわと意見を貰ったらしいところから本題ですね。
確かに、2000円は小学生にとってはお高めの値段設定。
そこで氏はこう思うわけです。
>《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
せやな。
>双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
>お金を持っている人は見ることができて、
>お金を持っていない人は見ることができない。
うーん?「ちょっと待った!」はこっちがかけたいもんですがもう少し。
>「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
>そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。
>糞ダセー。
あ、ダメだこの人。自分が伝えたいことを伝える能力が完全に欠如してる。
その理由の大きなところがこの引用した文章からハッキリと見えますね。
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
この一文もなんだかハッキリせず、微妙な印象。
噛み砕かず要約するとこう。
うーん。チープ。
お金は労働の対価の一つで、生活に必要不可欠、そして評価基準です。
しかし、これは西野氏目線なのです。そう思えば彼の考えるところが伝わりやすくなります。
「クリエイター・生産者が生活がかかってるから無料にできないよ〜」
これは至極当たり前で、西野氏も(言いかたが悪すぎてそう読めるだけで直接)ダサいとは言ってませんね。
そこが、
>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。
ここから読み取れるはずです。
西野氏は、お金持ってます。本業は芸人です。しかも売れてます。そして、絵本界からすれば外様です。絵本がなくても生活できます。
そんな氏が、「小供にも届けたい」絵本を出して、お金がなくて子供が買えない!と訴えを目の当たりにしたわけです。
氏からすると、生活もかかってないのに「お金が無い人には、見せませーん」はこの上なくダサく見えるんでしょう。自分が。
つまり、これは西野氏が西野氏に対する発言ではないか。叱咤激励なのでは?
私にはそう読めました。
「お金じゃなくて、恩で回る人生があっても良いのでは?本ならそれができる可能性がある。この本を無料化してお金は貰えなくなるけどみんなに読んでほしいからやるで!お金の奴隷解放宣言や!」
「恩で回る」というのは、消費側が生産側に対して自分の払いたい価値を払うということだよね?
>それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています。
結局、氏が言いたいことは『お金だけ』の社会の否定であって、『対価』の否定ではないんですね。
西野さんアンタけっこうかっこいいよ。労力かかってるものを相手に委ねるっていうのはお金持ってても中々できないことだと思います。超口下手で誤解させまくってるけど。
あとできれば2000円という選択肢だけじゃなくて、サイトで自分で値段を決めて支払えたら便利だしもっといいと思いました。
>…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。
やぁ、ソシャゲ研究家だよ。分類で言うとエロ画像収集家程度の趣味だよ。
昨日は、ファイアーエムブレムヒーローズがiOS/Android同時配信の告知と配信日決定、そして動画がでて盛り上がったね。
あの任天堂がガチャに堕ちた。そういう人もいるけど、私はわくわくしているよ。
さて、このソシャゲのガチャがあることで存在する、ある意味儀式、ゲームをはじめる権利、ダウンロード稼ぎなど様々な噂になるリセマラについて話すよ。
リセマラっていうのは、リセットマラソンっていう奴だね。私がはじめてこの言葉を知ったのはMHGだったかな。リオレウスの逆鱗がほしいけどリオレウスを倒すのはかったるい、だったらスパッと切れる尻尾を切って出なかったらリセットすればいいじゃん。ってのではじめて知ったよ。
ソシャゲだと、ガチャからでる最高レアリティをおおよそ最初にもらえる課金アイテムで引いてゲームを有利に進めようと考える行為だよ。
このリセマラのせいで発生する問題があるよ。ユーザー間でのキャラディスが一番ひどいとおもうよ。
例えば、ファイアーエムブレムのソシャゲだからファイアーエムブレムで例えると、ウォルトっていう最初の弓使いがいるんだけど、はっきりいうと彼はものすごく弱い。最初のキャラなのでレベルも低いし、ステータスもレベル相応。いや、ちゃんと育てば良いんだけど、彼はものすごく成長率が低くて多くの場合は残念な最終的なステータスで他の弓使いに劣りやすいからいいところなし。
でも、彼はそんな弱さのお陰で縛りプレイで単騎や、リセットを縛るプレイだと何故かメキメキと育っていってエースと化したり、そういう事があって彼に対するディスっていうのは基本的にないよ。性格も人畜無害だし。まぁ、対戦する要素もあんまりないしね。
でも、ソシャゲだとこのリセマラのせいで「自分がもっているキャラクターが強いキャラじゃないと嫌だ」っていう層がいるんだ。つまり優劣をつけたがる。そうなるとウォルトさんみたいなキャラは人畜無害な青年でも叩きの対象になるよ。悲しいね。多分、なんたらwithとかに5.0とか点数つけられる。
ファイアーエムブレムのガチャソシャゲ。どんなものか楽しみな反面、こういう事が起きるんじゃないかなって結構心配しているよ。
ファイアーエムブレムは結構古いゲームでコアなファンもいる。最近では新しいソフトで新規のファンをつけたり、スマブラにマルスやロイやアイクやルキナがでているからそういうところからも入ってくる。私もGCのスマブラから封印の剣買ったのがファイアーエムブレムデビューだったしね。
任天堂はうまくやってくれると思うけど、できることならこのガチャのせいでキャラディスが起こらないことを願うよ。
私はリリーナが好きだよ。彼女は魔力がゴリゴリ上がり育てきると魔力はほぼカンスト、ヒロイン補正で出番は多く、成長率は優秀、ついたあだ名は魔王。だから大丈夫だとは思うけど、なにかの間違いでリリーナの上位互換が出た時に冷静に「リリーナはかわいいから」とキャラディスを流すことができるかは不安だよ。
わかるけど、そうなったらなったで、
「『~しよう!』って、なんでお前に指示されにゃならんのだ」
とはどっちにしろ言われるだろうし、言い方が弱くなった分、
「『~しよう!』って、なんで促す感じなんだよ。『しろ』ってはっきり言えや!自信あんだろが!」
っていい出すタイプも出るだろうなって思う。
俺の話になるが、上司が指示よこす時に「じゃ、◯×しよっか。」って言い方するタイプで、俺これが大っキライ。
お前それどっちにしろ命令なんだろうが。なんで「合議の末で、そういう方向でいきましょうか、ということになった」って「てい」で言ってんだよ!ってすげえ腹立つ。
その「てい」にすんならもっとこっちの意見聞いて取り入れろよと。実質的に命令で強制なら、促すような、こっちの意見も取り入れたていにすんなよと。
まあこれは俺の話だけど、だからそれらの言い方はどれが誰にどのように逆鱗に触れるかわからんところがあって、難しい話だよなあと。
IT業界あるあるとおもうんだけど、なんでディレクターってエンジニアに相談せずに勝手にクライアントと話し決めてくるの??
そのくせ共有もまともしないしスケジューリングもへたくそだし、現場の状況確認全然しないし、
挙句の果てに
「あれ?いってなかったっけ?これ違うよ」
とか土壇場で言い出しちゃうやつ。
もうさー、自分で作ってよー。
そのくせ、ヒーコラエンジニアが血反吐はきながら整えてリリースしたら一番でかい顔でリリース報告してんだぜ?
メンバーへのねぎらいも何もない、おわったらハイつぎーと言わんばかりにそっぽ向く。
そしてリリースしたサイトがまとめサイトとかどっかの賞とかとった日にゃさらにドヤ顔で・・・
あいつらなんでも感性で語るからどうのこうの変にこだわり出して文句いうけど、それくみ上げるの俺たちだかんな??
で、組み上がってそれがデザインとかの賞とったらまたドヤ顔・・・もうええわこの流れ。
あとデザインに対してシステム側から見た指摘(システムに組み込むときにこのデザインだとムリがあるとかあるのよ)すると
あとディレクター以上にシステムわかってない状態で客にあれこれ話しやすいよね、デザイナー。
例えば他人が待ち合わせに遅刻しても「平気だよ〜」とか、店でクレームつけられなかったりとか。
で、なんで尊重できないかっていうと、親から尊重してもらってないから。
今日まで「まあ経済的にも自立できてないし仕方ないか」って思ってたけど、個人を尊重することと経済的な自立って関係なくない?
最近はあまり感じてなかったけど、やっぱ口を滑らせると親が烈火のごとく切れたりして、根底でやっぱ一個人として認められてないんだなーという気持ちがわく。
個人として認められるという、本来親にしてもらうことを彼氏に代わりにやってもらって、そこから少しずつ自分のズレに気づいた。
おかしな価値観の中で生きてることや、個人として尊重されてなかったこと。
家族仲イイねって言われるけど、根っこの部分をおざなりにして表面上仲良しごっこしてるだけなんだよな。
友人は、家族間で共感を求めることがないという。共感してもらえないことや、理解してもらえないことは当たり前だという。
彼女が正しい正しくないとかじゃなくて、うちは基本共感ベースの上に成り立ってる家族だから真反対だと思った。
共感できないことや、しつこい話にも乗らないと母は機嫌を損ねる。
そんな母が嫌だと思いながら、私は私が話しかけた時妹が思った反応を返してくれないと機嫌を損ねる。同じことを繰り返している。
共感という、よきことのような言葉を笠に着て、それを相手に強制している。
共感できないことにも共感したふりをして、結果八方美人になる。
それをここ数年は自覚してきてて、意識的に自分と他人の間に線をひくようにしている。
線を引いたから大丈夫、となって言いたいことを言いすぎて、ひどいことを言ってしまう時もある。
加減がわからない。
そしてたまに母の逆鱗に触れる。
だってどうしたらいいかわからないんだよ、今まで自分の意見なんて言ってこなかったんだから。
それが言えるようになってきたんだよ、それだけで褒めてよ。
そんなことばかり思ってしまう。
共感というワードで他人を取り込もうというか、だから自分は大丈夫、この人と同じ価値観だから大丈夫って思おうとしていた。
これをしておけば大丈夫、という言葉に弱いのは、思考停止できるからというのと、あとこの人もこれをやってるし…というカテゴリに安心しているんだ。
そんな私が漫画家を生業にしようとしているんだから、そりゃ息苦しくもなる。
独立した価値観を持ちきれず、いいこちゃんな漫画を描いてしまって面白みにかける。
母にしていたようなことを私が編集にしている。
心は安心したいんだな。
線引きがまだまだ曖昧なんだ。考えないとできない。
心は安心したいけど、漫画は安定の上には成り立たないだろうと思ってる。
で、安心と安定は別物だということがまだ完全に理解しきれていない。
頭でわかってるだけで、体で理解できてない。
これは大丈夫なんだよ、たとえ私が親ともうまくいかず、編集からも見放されたって、あの彼氏だけは味方でいてくれる。これは絶対なんだから、大丈夫。
漫画だって、描き始めてまだまだ日が浅いんだ。まだできないことが多くたって当たり前なんだ。…ってずっと思ってたら成長もしない。この辺も曖昧で腹立たしい。でもわかってるはず、どんな漫画が描きたいか?どんな表現がしたいか?上手いと思う人はだれ?目標を明確にしないと成長はない。自分はまだまだ何もできないひよっこなんだから、できなくても仕方ないだなんて言葉で逃げないで、やりたいことからひとつひとつ向き合えばいいんだよ。心が死んでるときって、やりたいことがみつからなかったりするけど、結局心を生き返らせるのも「やりたいこと」なんだよ。心が楽しくなるもの、わくわくするもの。探していくしかないんだよ。
自然をテーマにしたがってたのは、人間から逃げてたからなんだよな。
でも結局描いてるのは人間だし、面白いのは人間だし、感情に感動するし。
結局人なんだよ。
そして散々恨んだり愛したりしてきた母という存在を描いたりしてるんだよ。
子供の頃できなかったことを、漫画でキャラクターに代わりにやってもらってるんだよ。
結局問題と向き合ってるんだ。
しかたない。
その頃には死んでると思ってた。
でも気づいたら20代も後半になってる。
違う人間になれる。違う人間にはなれない。明日はいい日。ず〜っとこの気持ちを背負って生きていくんだろうな。
できることからやってこう。
比喩を使ったら相手が理解できなかったらしく、突然相手が比喩はいかにあくどい行為なのかと長々と演説しだすということがあった。
比喩が難解で理解できなかったのなら、「お前の言葉が悪い」などと指摘すればいいし、あくまで僕という個人が比喩を使う能力が足りないアホであるという話だろうに、なぜ比喩一般が悪い行為であると必死で主張するのかわからなかった。周りが止めに入っても一切聞き入れようとしないし、正直びっくりした。
比喩ってそんな必死で否定する演説をぶちたくなる人が居るのが当然なぐらいやってはならない行為なのか?そんな逆鱗に触れるようなことになるとは思わなかった。ってかこれも比喩表現なのか。不適切と思われたら申し訳ない。
2008年、僕はその世界に恋をした。
そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ、既存の枠組みをぶちこわすような、エポックで世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運んだ。絶叫上映会で吠えた。自分がこんなに深く、何かに夢中になれると初めて知った。
就職活動をして、社会人になり、いつの間にか新作アニメを追う習慣が失われていっても、そのアニメに対する想いは失われなかった。劇場版やライブイベントに、欠かさず足を運んだ。声優イベントや歌手のライブやアニメ会社のイベントもだ。補給が何度か途切れそうになっても信じて待ち続けていた。だからイベントで、テレビアニメの第3期制作が発表された時には狂喜乱舞して、夜、サイゼで仲間と祝杯をあげた。
1期、2期、劇場版、OVAと違って、今回からは新キャラたちの物語になるのだけれど、大した問題ではなかった。もう一度あの世界がテレビで観れる、と考えるだけで多幸感に満たされた。 第3期の第1話はまず先行上映会で観た。少し引っ掛かる部分はあるにはあったけれど、その場の興奮や、長い時間を経てようやく新作を観れた感激が、不安を押し流した。先行上映会の帰りに、アニメショップで即座にBDを予約した。第1巻にはイベント参加チケットも付属していて、早めに予約しないと参加券が無くなるという危惧もあった。 その後、第1話をとうとうTV画面で観ることになり、少し引っ掛かっていた、違和感めいたところが更に目立つようにはなっていたけれど、それでもまだ、この世界をもう一度TVで観れたという喜びが上回った。録画を何度も視聴し、次回を待つのは幸福な時間だった。
その1週間後、第2話が放映され、地獄に叩き落とされるまでは。
第2話の大半を占め、物語全体でも重要な転機となる戦闘シーンが、正視に耐えない代物だったのだ。いまや流行りのアニメを多少追うくらいの超ライトオタクに過ぎない自分が、耐えられないほどの惨状だった。1期、2期、劇場版、OVAと、8年続いてきた映像の魔法が、一夜にして解けたようだった。海面は水色の板になり、艦船は書き割りになり、航空機は張り子になり、キャラクターは棒人形になった。画面を覆っていたのは、僕を釘付けにした踊るようなキャラの動きではなく、素人でも稚拙と分かるCGの人形遊び、ハリボテの継ぎはぎだった。これがいわゆる「作画崩壊」ならまだ救いはあった。円盤での修正に望みを繋げばいいのだから。でも、そこには欠片の希望も残されていなかった。CGでボロを出さないようにするためだろう、一定の距離を置き続けた、単調で臨場感皆無のカメラワーク、物語や世界観や戦いのリアリティを根こそぎ崩壊させるコンテがそこにあったからだ。万一円盤に修正が入ったとして、コンテから切り直されることはないだろう。
そこからの1週間は、うってかわって、処刑を待つような気分で過ごした。まともな第2話が放映される夢を2回見て、2回とも、目覚めた後、激しい悲しみに襲われた。そうして迎えた3話は、ストーリーに集中することさえできなかった。前話のことは何かの間違いだったのでは、と、祈るような気持ちで画面を見つめ、もう一度裏切られた。戦闘シーンに移るたび魂が削られ、どうかもう日常だけ映していてくれ、と思った瞬間に、突然、反射的にテレビを消した。そしてもう一度電源をつけることも、続きを見ることもできなかった。電源を落として真っ黒になったテレビ画面の前で、リモコンを握り締めたまましばらく金縛りにあったように動けなかった。激しい動揺が自分の中で荒れ狂っていた。
たかがCGが壊滅していたくらいで、自分が、もうこの世界の実在を信じていないのだ、と、気づいてしまって、もはや、続きを見ることはできなかった。
驚いたのは、自分の中にこんな逆鱗があったと気付いたことだ。自分のようなライトオタクとしては、キャラの絆や誇りさえ美しければ良いとまで思っていたし、このアニメについて他人に紹介するときも、世界設定や関係性の話ばかりしていて、戦闘シーンがカッコいいから観て、と言ったことはなかった。そんな自分の不見識を心より恥じたい。あまりにも当然のように実現されていて意識にのぼっていなかったが、この世界や、キャラの喜怒哀楽といったものは、戦闘シーンを含む特殊な動きのリアリティによって説得力をもたされていたのだ。それに以前は、一般論として「作画に比べてCGはダメ」と言われているのを見ても、老害の迷信に過ぎないと考えていた。あの戦車アニメのCGは凄いし、あの劇場アニメのCGは格好いいじゃないか、などと思っていた。今なら分かる。CGは、舐めて使う連中、省エネを考えて安易に利用する者たちの手にかかれば、作品を抹殺する、世界を絶命させる力さえあるのだ。
円盤をキャンセルすると決めた理由は、最初は怒りだった。この世界をこんな風にした連中に、一文たりとも落としてやりたくない。あり得たはずの3期を奪った奴らに、免罪を与えてはならない、と。アニメが壊れていても、まだ小説やマンガは次々出る予定がある、そう考えて、自分を慰めようとした。これまで集めた小説やマンガを読んで、心を鎮めようとした。 しかし、駄目だった。かつて僕の心を満たした幸福も興奮も甦ることはなく、ページをめくるたびに、奪われたものの大きさが実感され、胸を絞られるような痛みが襲った。もうこの世界は壊れてしまったのだ。いま僕の本棚に収まっている無数の物語は、かつて確かに存在した、けれど既に潰えてしまった世界の残骸でしかなく、僕の心は、死者の生前の姿を眺めて安息を得られるような、鈍感な構造をしていなかった。やはり耐え切れなくなって本を閉じた時、怒りよりもずっと深い悲しみが僕を包んで、ああ、きっと僕はもう、この物語の円盤どころか漫画も小説も何もかも楽しむことはできないのだろうと悟った。
僕より度量の広いファンは、「この程度で円盤を買わないというのなら、お前はファン失格だ」と言うかも知れない。だが僕にとっては、円盤を買ってこの作品を認めてしまったら、その時こそ僕は、ファンとして死ぬのだ。
今シリーズも、爆発的にではないだろうが、そこそこ売れるはずだ。昔からの視聴者でも僕より大らかな人間は、作品に満足し、あるいは満足しなくてもお布施として、ソフトを買うだろう。当初目標とされた売上からは大きく落ちつつも、まだ戦える、と、制作側は思い込む。既に戦争は最悪の形で終わってしまったことにも気づかずに。 そして4期なのか劇場版なのかOVAなのかが既定路線的に作られ、しかし売り上げはジリ貧となり、遠からず作品を閉じることになるだろう。そうなったら、なぜコンテンツが死んだのか犯人探しが始まり、新しいキャラや新声優やシナリオが濡れ衣を着せられ、いわれなき誹謗中傷を受けるかもしれない。その時のために、だから、僕は、宣言しておく。
CGだ。あのCGを作った連中が、翼を折り、魔法を潰し、少女たちと世界の息の根を止めた下手人なのだ。
今考えれば、電話などで済ませられたのかも知れないが、円盤のキャンセルなどしたことのない僕は、予約したアニメショップまでもう一度赴いた。ここまで辿り着いたのに踏ん切りがつかず、広くて階層もあるアニメショップをうろついて、このシリーズの小説新刊が目立つように並べられているのが目に入ってしまって、出し抜けに嘔吐しそうになった。声優の結婚が発覚して吐いた、みたいな、よくある都市伝説が、自分の身に起きかけると思わなかった。すっぱいものが、何の前触れもなしに体の奥、心臓のあたりから、とがった感じでせりあがってくるのだ。それを無理やり押しとどめなくてはいけなかった。ほとんど破れかぶれでレジに向かった。キャンセルをしたいという僕の説明が下手で、BD予約に来たと勘違いしたらしい店員が、一旦は、新たな予約申し込み書とイベント参加券を渡そうとしてくれた。ああ、急いで予約したのに、まだ余っているんだな、とぼんやり思った。あまりにも、精神の均衡が狂っていた僕の説明が要領を得ず、店員さんにキャンセルの旨を伝え、イベント参加券を返却して、前金を返してもらうだけの行為に、20分もかかってしまった。
すべてが終わって、地下鉄に揺られている間、これまでの8年間で堪えていたたくさんの悲しみが、走馬灯のように蘇って、一挙に僕に襲い掛かってきた。イベントでアニメの発表がされなかったとき。トラブルでコミカライズの終了が決まったとき。小説を書いてくれた作家が亡くなったとき。世界が壊され、死んでいくのを看取ったとき。週末の夕刻、都営新宿線の座席で、ぶざまに泣きじゃくっていた三十歳近いキモいオタクを目撃した人がいれば、それは僕である。
さようなら、僕の愛した世界。8年間、たくさんの楽しい時間をくれて本当にありがとう。そして、あなたが死んでいったときに、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。
みんなはクラスメートとか仲間内で雑談をするとき、傾向とかなかったか?
例えば俺たちの場合は、ウンコ味のカレーかカレー味のウンコかみたいなことに思考リソースを割くのが多いかな。
弟のマスダたちの場合は、思春期ということもあってかエロ関連の話が流行みたいだ。
「僕がエロいと思うのは、この曲線だと思うんだよね」
「胸! 大は小を兼ねる! 安定需要!」
さて、弟たちのしている話が最終的にどこに向かうかは大した問題ではない。
俺だってこのテの話は別に嫌いではないというか、こういう話で学校の隙間を埋めていた経験も人並みにはある。
しかし、何度も聴いていた名曲が騒音に聞こえるように、同じことは繰り返せば繰り返すほどツマラナくなり、最終的には嫌悪感すら抱くようになる。
そうならない内に、一時的にその話をしないようにして、忘れる必要があるのだ。
「お前ら、いつまで同じ話をしているつもりだ。いい加減に次のステップに進んだらどうだ」
「ちゃんと進んでいるよ、今はエロ度をランク分けしている最中なんだ」
「私、女だけど、その理屈だと結局は骨って結論になってくるよ」
「それが同じ話だと言っている。結局はエロいかエロくないか、そしてどの程度エロいかを話しているだけじゃないか。場所がちょっと変わっただけで、お前らはグルグル回っているだけなんだよ」
俺の指摘は間違ってはいなかったが、弟たちはそれが逆に自分たちへの無理解だと受け取ったらしい。
「これはとても大事な話なんだ、兄貴。そんなガワだけを見た評価をして、俺たちに冷や水をぶっかけないでくれ」
「私、女だけど、料理にも使われている言葉だから、この場合はその料理がエロいかも審査していく必要が出てくる」
「いい加減にしろ。お前ら、このまま同じ空気を吸い続けて皆がエア性行でもしていると俺が言えば満足なのか? くだらん、不毛なことにエネルギー割くのは程ほどにしろ」
俺が思っているよりも、弟たちがその雑談で背負っていたものは大きかったらしい。
「ふざけんな!」
「トマホーク! ちょうな!」
「おいおい、やめろ、暴れるんじゃない。ここは俺の部屋でもあるんだぞ」
十数分に及ぶ私闘は、開き直った俺が木刀を用いた演舞を披露することで決着となった。
とはいえ自分たちの部屋に大きな傷を残すという、誰も幸せにならない決着だったが。
それから、弟たちの雑談場所はもっぱら近所のカフェになったらしい。
まだエロいエロくないかで盛り上がっているのかは知らないが、弟たちが出禁になるか、それまでに雑談内容が次のステップに移行するのが先か。
そんなことをクラスメートたちと雑談しながら昼休みを過ごすのが、最近の俺たちの流行だ。
9/27修正:学校特定経緯を一部加筆。本名および番地単位の住所に関してはまだ疑わしい要素が残るため保留。
彼が一躍有名となった動画「今日は特別に住所を公開するよ!」だが、
本動画内で語られた学校名「あさら(?)学校」、住所「千葉県あさら町23118」は日本中どこにも存在しない。
もう一つ出回っている彼の本来の住所とされる「千葉県船橋市○○○○△-△△-△」だが、
この住所らしきものが書き込まれた経緯を大雑把に言えば「バレバレな偽住所を公開してキレた一視聴者が本当の住所を特定した」となるのだが、
どうもこの特定に至った根拠が曖昧な憶測に基づくもので、非常に疑わしい。
以下、動画コメント欄より特定経緯引用(URLから見れば容易に分かることだが、念のため個人情報は伏せる)(*1)
ユーザーA 2 週間前
ユーザーB 2 週間前
あさだ学校って調べてみたけど出てきませんでしたよ
ユーザーC 2 週間前
ユーザーC 2 週間前
速報
電話:×××-×××-××××
本当かすら知れない「あさら町」の情報を基に登校範囲を推定しているロジックは分からなくもないが、
柏市旭町6丁目から件の船橋市の所在地への道のりはなんと"25km"であり、到底登校範囲とは言えない。何故ここに至ったかは謎である。
ユーザーCは「住所特定されました助けてください」のコメント欄にて「説明欄に書かれた住所を調べただけ」と明言している。(*2)
ユーザーC 2 週間前
コイツの場合自分から住所言い出したからいつもの10倍速く特定出来たwww
「瞬殺のコルバルト本人が『そのコメント消してくださいお願いします』」と発言しているため、この住所は本物」という見解もある。
実際に彼はそのようなコメントを残しているので、その説の可能性は否定できない。(*3)
ユーザーC 2 週間前
瞬殺のコルバルト kolubaluto 2 週間前
一方で、「住所特定されたのでいま実家にきています、軽く雑談します」動画内では、他動画とは違って妙に大人びた様子が見える。
さらに、ある程度ニコニコ動画・YouTubeの文化を把握しており、インターネットに精通しているような様子も見られる。
(「意図的にキチガイキャラを演じていた」「(有名YouTuber)はオワコン」発言など)
動画リンク: http://www.nicovideo.jp/watch/sm29700855 (ニコニコ動画へ転載されたもの)
ある程度の理性を備えている辺りから「偽住所にわざと反応して特定された風を装う」という発想は十分に考えられ、依然として疑わしい要素は残る。
これは「瞬殺のコルバルト」がバズる前から一定のアンチ層が存在した事に依る。
彼は以前「TVチャンネル」の名で活動していたのだが、その際に無差別に他人の動画へ「僕の動画見てください」コメントを書き残す宣伝行為を行っていた。
それが一部ユーザーの逆鱗に触れ、被ウォッチ対象となったようである。
(ちなみに一部ユーザーは単なる小中学生YouTube利用者集団であり、炎上に定評がある某弁護士界隈等とは一切関係がない。)
ユーザーE 3 週間前
瞬殺のコルバルト kolubaluto3 週間前
ユーザーF 2 週間前
地獄みたいなYouTubeのコメント欄を「もっと見る」を押しまくって投稿直後まで遡るの、本当にしんどいのでもう少し改善してください……。
「瞬殺のコルバルト」は釣りであると以前結論付けた。しかしながら僅か1日で事態は急変した模様。
彼の住所について、少なくとも通っている小学校は信憑性の高い特定が行われてしまった。特定に至った経緯を以下に示す。
その付近の小学校のFacebookを精査した所、似た小学生が「TVチャンネル」時代の動画と同じ服で写った写真が掲載されていた。
これにより通う小学校が確定した。
さらに、この住所を書き込んだコメントが投稿者によって削除されたという報告も上がった。
釣りの段階ではコメント削除を実行しなかったことを鑑みると、この行動は却って信憑性を高めるように思える。
そしてトドメに「瞬殺のコルバルト」チャンネルの動画が全て投稿者によって削除されてしまった。この特定を半ば裏付けてしまったか。
「『瞬殺のコルバルト』は多分そこまでバカじゃない」などと過信してしまったが、彼の目論見はどうやら片手落ちだったようである。
(*1)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12cgzdakynfudl5p04cf5ohbo2pdrkpzhs
(*2)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=OhCixgMjDm0&lc=z12cu5z50u3fshasa22zjbaxfzeqzddkw.1473551794119763
(*3)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12je5mi1ki0dd0ww04cfxwwvpjxevx5a3k.1473412385305039
(*4)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Znw1O6FiAu4&lc=z12pdra4pkfiebdut23ifx1ymrrxfpaj004.1472629041975604
PCに敏感な人たち(※)に聞きたいんだけど欠損娘大好き!みたいな発言をツイッターとかで垂れ流してオッケーなんだろか。例えば「片目を縦断して走る傷で失明してる娘の傷跡を舐めたい」とか「女の子は片腕がないぐらいがかわいいよね」とか「指が幾本か欠損した娘の指を口に含んでついでに欠損部分をぺろぺろしたい」とか「やっぱ四肢のない娘はいいよねその軽い体を後ろから抱きしめたい」とかやっても炎上しないのかね?
教えて、PCに詳しい人!
(※皮肉で言ってるように見えるかもしれないけどわりと本気でこれがPC的にオッケーかわからん。誰かの逆鱗に触れてしまうなら普通に控えるつもりなのだが、個人的には曖昧なので何とも言えん)
頭と心を整理するためにここに書こうと思います。
毒親と連絡を断って一年が過ぎたのだけど、最近になって、毒親から、わたしの旦那と旦那実家へのコンタクトが増えてきた。
着信拒否をしてくれ、と何度も話したのだけど、旦那としては「時間が解決してくれるだろう」という期待があるようで、わたしが実親と連絡を断っていること自体は責めないでいてくれるのだけど、一方でつながりを完全になくしてしまうことには抵抗があるらしい。
旦那がそうなので義母にも連絡を断ってくれなどと言えるはずもなく、遠方なのでお中元お歳暮のやり取りぐらいだが親どうしの交流は続いている。
そんで毒親がこないだ義母に切羽詰まった様子で泣きついてきたようで、義母はやはり同じ母親としておおいに共感するところがあったらしく、わたしに対して「なんとかほどほどの距離感で付き合えないものなのか」と説得をしてくるようになった。
これがなかなかにしんどく、まあ子持ちの友人とかから内容自体は言われ慣れていることなのだけど、義母から言われると動揺する。
今は旦那がわたしの側に立ってうまくかわしてくれるからまだ救われているのだけど、その「ほどほど」が通じない人達だから手の届かないところまで距離を置いているのだということをどうすれば理解してもらえるのか、理解は難しくてもまあうるさく言わず黙っといてやるかぐらいに思ってもらえるのか、しかしまあ要するにわたしに連絡がつかないのに周りに連絡がつくから連絡してくるのであって、それで周りが困惑するのも当然であって、周りからすれば、お前んちの親子喧嘩に巻き込まれても困るんだけど、ってなもんだろうし、でも着信拒否はしないということで、わたしはどうすればよいのか悩んでいる。毒親の過去の悪行などを訴えると、そのときは「なるほど」と言ってくれるのだが、それこそやはり時間が経てばそのときの印象も薄れるようで、そのたびに彼らがいかに付き合うのに難儀な人種なのか具体的なエピソードとともに訴えることもできるにはできるが、「でも、親子なんだから」論者にはそれもいずれ効かなくなるように感じている。
旦那と義母のやり取りをよくよく観察すると、お互い結構きつい口調で言いたいことを言い合っているのだけど、なんというか、ちょっとした言い方とかにイラッときてもお互いすぐ流せてる様子だし、ささいなことにこだわらないおおらかな愛情があるんだなあ、というのがしっかり感じられる。羨ましい。うちの毒親は、そのちょっとしたイラつきを毎回徹底的に掘り下げて相手の人格を否定するタイプなので、幼少期からいかんなくそれを浴びせられてきたわたしは自己肯定感駄々下がりな半生だったのである。
そういう圧倒的な環境の差異を見せつけられたのちに「あなたを産んでくれた親なんだから」などと言われると本当にダメージがでかい。
追記
その義母とも「ほどほどの距離感」で付き合えばいいんだろうけど、実はもうじき義母と同居を始める予定だ。義父が他界しており、一人暮らしの義母を我が家に迎え入れようという話をしている。わたしも毒親の親であるところの祖父母を介護し最期を看取った経験から老人介護のなんたるかはわかるし、時期が来たらプロに任せるべきであるという持論も旦那と共有している。普段あまり自己主張しない旦那が、義母を呼び寄せたい、と話してくれた気持ちを大切にしたいし、元気なうちに少しでも親子の時間を持ってほしい。それは本心だ。嫁としてはそりゃ面倒だけど、でもまあ、毒親の件さえなければ、嫁姑としてはそれこそ「ほどほど」でやっていけそうに思っている。中学生のころから実家を出るまでも三世代同居だったので、実際同居が始まってから、予想もしてなかったような悩みやトラブルがいろいろ噴出してくるのもわかってるんだけどね。やはり問題は毒親の件だ。旦那と義母が連絡を断つことに積極的でない以上、わたしがどうにか処理するしかない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。でもどうすればいいのかわからない。わたしにとって彼らはストーカーと同じなので、ストーカー被害のように警察に訴えることができたらどんなにいいかと思う。でも、まだ警察に相談したことはないけど、まともに取り合ってくれるわけがないというのはさすがにわかる。毒親相談窓口とかないんですかね。あるいは、娘そっくりの人工皮膚をかぶせたペッパー君を送りつけるのでもいいと思う。数百万で済むなら喜んで依頼する。「なんだかんだ言っても、親なんだから」と言う人は頼むから、少しでいいから、世の中には一見普通に見えても実は裏で大変な思いをしている人もたくさんいるんですよということを考えてほしい。
追記
毒親ネタ大好きなはてなで全然話題にならず寂しいので、小町なトラバへの返信でも書いて見ようと思う。
・友達の中で説教をかましてくるのは、既婚子持ちの、さらにごく一部の人たちです。
いずれも学生時代からの友人だが、当時はグレておかんを泣かせていた人達に限って今のわたしを非難してくる。
わたしは家を出るまでずっと親の期待通りに育ってきた、いわゆる「いい子」ですよ。
でもまあ、幼少期のわたしをそういう見せかけの「いい子」に仕立て上げたのは彼らだしな。
自業自得なんじゃね。
・ペッパー君を買うための数百万はわたしは自分で稼いだお金から出しますよ。
いや買わんけども。
なんかしらんけど、このトラバの人、偏見とか思い込みがすごいよね。
何がそんなにこの人の逆鱗に触れたのかわからんが、よほど現状に不満が溜まって心に余裕がない状態なのでしょう。
気の毒だと思う。
そんなふうにならないためにわたしは自分に害をなす人からは極力距離を置くことにしています。それがたまたま親だったというだけの話。
あのね、マジレスさせてもらうけどね。
ネットの向こうの人はね、それぞれ多種多様な文脈で生きてるの。
性別も年齢も知能も経済力も習慣も思想もあるいは国籍すら違う人間の間で、
「ネタをネタと理解する」相互認識が成立することの難しさたるや。
あんたは書き込みをする一字一句ごとに、それについて想像してみたことがある?
完全にそれに配慮した物言いをすることは不可能だし、しろとは誰も言わないよ。
己の想像力の欠如ゆえに、その脇の甘い発言が、異なる文脈の人の逆鱗に触れてしまったんだよ。
だから反発される。仮に反発してきたのが明らかに幼稚なクソガキだったとしても、
つまりお主は、観衆(他人)に対しても、ネタ(笑い)に対しても、侮りすぎ。
当人がプロであれ素人であれ、他人に牙を向けた時は、いつだってシビアに返される。
それがネットってもんなのよ。
そうなった時、「ネタだから」とか「マジになってアホか」みたいな発言は、
てめぇが撒いた火種に向き合わない逃げであり、醜態でしかない。
それから。
こうやって半端にウケ狙おうとしてるのが分かると人はイラつくのよ。
叩きたくもなるでしょ。独りよがりな笑いは。
まーそんな感じよ。じゃあ新しい増田、考えてみよっか。
marumusu10 (能町みね子みたいなホモと違って)ヘテロの私って語り口をしておきながら、能町さんに嫌われたー死んで詫びますーでもお値段4000円ーとか言ってるのをフォロー出来る増田も同じいっちょかみで同じ穴の狢ということでね 8 clicks
marumusu10さん、元増田です。マルムスティーンさんとお読みするんでしょうか。いい趣味ですね。
元の増田では北条かやさんの話はしていないつもりでしたが、北条かやさんをフォローしているように読まれたのでしょうか。
「はてブのブコメがひどい」ということを書いたと思うのですが。
marumusu10さんの中では、ブコメの口汚さに疑問をはさむことは、それだけで北条かやさんをフォローしたことになるのでしょうか。
そう考えるためには、北条かやさんへの罵倒は、どんな言葉でも許される、という前提が必要で、どれだけエスカレートしても、それは許容されるべきで、止めるべきではなく、それを止めるのはフォローであると。そういう理屈になると思いました。
あのエントリは、許されると。
そもそも『自殺ストリップ』という言葉は、腹を立てたDelete_Allさんが、19分で書きなぐった中で生まれた、感情的すぎる言葉なわけで。
fujiponさんも分析?していましたが、Delete_Allさんのエントリは明らかに冷静なものじゃありませんでした。
僕はこれを読んで、北条さんの「自殺語り」は、フミコさんの「逆鱗」に触れたのだな、と感じた。
その「逆鱗」の存在は、フミコさんのこれまでの人生によるところが大きいのだろう。
「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/04/20/121022
fujiponさんは、Delete_Allさんについて「逆鱗」に触れたからこそ、あのエントリを書いたのだろうと理解を示しています。
そのfujiponさんでさえ、「こういう言い方をしなくても、とも思った」と続けているのだから、当該エントリの強烈さがうかがえます。
しかし、これは逆に言えば、「逆鱗」に触れていないのに、あんなエントリを書くわけがない、ということでもありましょう。
そしてその歪さは、Delete_Allさん本人も認めるところです。
わざとゲスいこと書いているのにそれはゲスいと言われても何て答えりゃいいのやら。— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2016年4月19日
「わざとゲスいこと書いている」そうです。
ブックマーカーたちは、純粋な怒りを読み取ったらしいですけどね。
だから、Delete_Allさんのあのエントリは、「”逆鱗”に触れたブロガーが、”ゲスい”意図をもって北条かやさんに言及した」ものです。
Delete_Allさんについては、特に言うことはありません。
ひるがえって、はてなブックマーカーたちはどうでしょうか。
同じ「逆鱗」に触れたのでしょうか?fujiponさんも言うとおり、「人の気持ちは分からない」。だから、もしかしたら、本当にブックマーカー諸氏の「逆鱗」……人生の問題にもかかわる、抑えられない怒り、に触れているのかもしれません。
けれど、そうではない人の方が多いように見えます。
Delete_Allさんは自覚しています。そういう自分に、腹をくくっているようにも見えます。
はてなブックマーカーたちはどうでしょうか。
そうであってほしくはありませんが。
もう一度、冷静になってください。
(続き)
まず@animeseiyuの小西寛子に対する言及を見てみよう。
https://twitter.com/search?q=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%AF%9B%E5%AD%90%20from%3Aanimeseiyu&src=typd
複数のnaverまとめおよびtogetterがひっかかるが、残念ながらほとんど削除されている。残存している例として
https://twitter.com/animeseiyu/status/593519478404579328
がある。
このまとめを作ったアカウント
https://twitter.com/lovelive_suns
は他にもたくさんのまとめを作っているが、大抵@animeseiyuを経由して拡散している。
また、screen_name、bioおよび固定ツイートは小西寛子陣営に対する煽りそのものであり、これを小西寛子への中傷でない、と言い切るのはやや難しいのではないかと増田は思う。
ところでこの奇怪なアカウント名はおそらくラブライブ!サンシャインのことであろうと推測される。まさかこのアカウントをそのままファンアカウントに転生させるつもりではないだろうが、ドメインゴロみたいな考えもあるらしい。
ちなみに@lovelive_sunsである以前は@tomosenseiであった。
https://twitter.com/togetter_jp/status/593711398301007872
https://twitter.com/HirokoKonishi/status/594404441853296640
@tamatowaは@tomosenseiについてつぶやいている。
https://twitter.com/tamatowa/status/6886588668
https://twitter.com/tamatowa/status/7057712727
https://twitter.com/search?q=%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E5%AF%9B%E5%AD%90%20from%3Atamatowa&src=typd
https://twitter.com/tamatowa/status/442445702396776448
まったく正論なのだが、自身が同じ穴の狢になってしまったということなのだろうか…。
https://twitter.com/tamatowa/status/535040930877673472
https://twitter.com/tamatowa/status/592442787997450240
これも他人のことが言えない。
現在は削除されているがbioに「物書き」と書いていた時期はあった。
また時々オープンでない試写会などに出かけている様子を見かけることがある。
長野県警が(おそらく任意で)事情を聞いていた時期に遠出している。
https://twitter.com/tamatowa/status/702596030735319040
https://twitter.com/tamatowa/status/47142940228857858
証拠を積み重ねるのはこの程度でいいだろう。
もしそうならこんな状況証拠を積み重ねる必要は無いし、そもそも小西がインターネットで自分に関する不都合な情報についてもっと上手く立ち回れていればこんな事態にはなっていなかったので、元々誰が悪いかと言えばたぶん小西サイドだと思っている。
長年ウォッチを続けている理由はこのアカウントが一発アウトと言える行為をなかなか起こさないので証拠を集めるしかなかった、というのが大きいが、改めて並べて整理してみると割とドン引きするような所業であった。
この記事では小西寛子が声優業から遠ざかった理由については特に触れなかった。増田自身が興味ないというものあるが、この状況では客観的な判断は難しいからだ。
なのでこの理由について述べること自体が名誉毀損等に当たるのかは正直よく分からない。おそらく「アニメライター」は書類送検されないのではないかと今でも思っている。しかし、倫理的なレベルでいえばこのアカウントは完全にアウトだし、WikipediaからはBANされている。
id:zeroesは自分の正義を妄信しているところがある。相手が悪なら何をやってもいいみたいな節がある上に、そもそもその悪認定がかなり雑なのでタチが悪い。
最後に他の雑な悪認定について追加情報を加えるので、興味がある人は掘ってほしい。
増田のお願いは、@animseiyuの力を削いでほしいということである。
一般のアニメファン声優ファンでこのアカウントをフォローしている人は、ブロック等各自が思う処置をしてほしい。
公式PRアカウントや声優さんはこのアカウントをRTするのをやめてほしい。あなた方がRTするからこそこのアカウントを企業アカウントと勘違いする人が後を絶たないのである。
@animeseiyuをフォローしてないと情報に立ち後れる、という人向けに別途情報を集める方法を伝授する記事を書いても良いが、この記事では省略する。
そもそも@animeseiyuはそこまで情報早くないし、ここまで散々示した通り、偏向しており、場合によっては声優に刃を向ける可能性もある、ということを理解してほしい。
増田は小西サイドが提唱する陰謀論を支持しないが、彼がアニメライターで業界に知り合いがいることは疑いがない(既にポインタは示されている)。ウォッチャーの勘は彼個人の暴走した正義感だと思っているが、陰謀論を否定する根拠もない。
もし@animeseiyuを中心とする陰謀が存在するならば、敢えてこれを凍結せず、しかしこの記事を拡散してもらうことで、それでも@animeseiyuに乗っかる公式アカウントがあれば、それは協力者かもしれない、と言える可能性もある。がその可能性は薄いだろう。
そもそもあのアカウントが掲載している画像は無断転載である。amazonからの転載はアフィリエイトリンクと同時にツイートされれば通常利用の可能性があるが、そもそもあのアフィリエイトIDはどのURLを届け出ているのだろうかという疑問もある。
また、ソースへのリンクを明示せず情報だけツイートされるケースも多く、authorizeされてないまとめアカウントとしては実はかなり問題がある。
id:zeroesおよびサブアカウント群ははてなキーワードにおいてもWikipediaと同様猛威をふるっている。共通する特徴は絶対に自分の意見を曲げないこと、議論をせず無言で差し戻すことである。
WikipediaにおいてZeroesらが執心していたもう一つの揉め事はスペルバウンドという声優事務所関連である。
彼はスペルバウンドが旧ラムズの社長の所有物であるということを証明したかったようで、またそのことは社長の不実を意味すると信じていたらしい。
現在のスペルバウンド社長とラムズの社長は同一人物らしいが、創業時はそうではなかったらしく、そのことが誤摩化しだと思った「Otoame」の逆鱗に触れたという話のようだ。
だが根拠無く印象操作するような記述を繰り返すためここでも終わらない編集合戦が繰り広げられた。
https://twitter.com/tamatowa/status/573461846738403328
編集合戦は議論をしない双方に責任があるのだが相手を一方的に荒らし扱いするのも相変わらず。
id:zeroesはスペルバウンド以外にも胡散臭い(と彼が思う)声優事務所に対して好戦的であった。一部のログが
にある。この件に関してはid:zeroesに分があるように思えるが、法的措置をちらつかされながらも勝利してしまった経験が彼に悪影響を与えたのかもしれない。
細かい案件は更に無数にあり、「@animeseiyuがフラゲ雑誌情報でツイートしてるのにフラゲ雑誌情報をRTしている声優に@tamatowaが説教」など、小粒だが香ばしいものもある。
最後に。
精神を病んでしまった声優さんが元所属事務所に対して攻撃的な文章をブログにアップしたあと自殺を図った、という痛ましい事件があった。この件に対して、@animeseiyuはわざわざ削除されたブログの魚拓を取って晒し上げるという乗っかり方をした。
(この件についてはURLを直接示すと該当魚拓が検索エンジンにクロールされ、セカンドレイプ的な構図になってしまうので、証拠を直接示すことはしない。必要であれば@animeseiyuのツイートを魚拓経由で辿ることができる)
声優と事務所の間にどんなトラブルがあったのか分からないし、どのような理由であれ明らかに精神衰弱状態での言動を保存し、拡散するという行為は一人の人間に対する攻撃としか増田には思えない。この件が増田に@animeseiyuをいつか潰してやると思わせた理由の一旦である。
また、この件に対する@tamatowaのコメントはこちら。
https://twitter.com/tamatowa/status/473672404300873728
繰り返すが、@animeseiyuは潜在的に声優の敵である。
読者の懸命な判断を期待する。