例えば他人が待ち合わせに遅刻しても「平気だよ〜」とか、店でクレームつけられなかったりとか。
で、なんで尊重できないかっていうと、親から尊重してもらってないから。
今日まで「まあ経済的にも自立できてないし仕方ないか」って思ってたけど、個人を尊重することと経済的な自立って関係なくない?
最近はあまり感じてなかったけど、やっぱ口を滑らせると親が烈火のごとく切れたりして、根底でやっぱ一個人として認められてないんだなーという気持ちがわく。
個人として認められるという、本来親にしてもらうことを彼氏に代わりにやってもらって、そこから少しずつ自分のズレに気づいた。
おかしな価値観の中で生きてることや、個人として尊重されてなかったこと。
家族仲イイねって言われるけど、根っこの部分をおざなりにして表面上仲良しごっこしてるだけなんだよな。
友人は、家族間で共感を求めることがないという。共感してもらえないことや、理解してもらえないことは当たり前だという。
彼女が正しい正しくないとかじゃなくて、うちは基本共感ベースの上に成り立ってる家族だから真反対だと思った。
共感できないことや、しつこい話にも乗らないと母は機嫌を損ねる。
そんな母が嫌だと思いながら、私は私が話しかけた時妹が思った反応を返してくれないと機嫌を損ねる。同じことを繰り返している。
共感という、よきことのような言葉を笠に着て、それを相手に強制している。
共感できないことにも共感したふりをして、結果八方美人になる。
それをここ数年は自覚してきてて、意識的に自分と他人の間に線をひくようにしている。
線を引いたから大丈夫、となって言いたいことを言いすぎて、ひどいことを言ってしまう時もある。
加減がわからない。
そしてたまに母の逆鱗に触れる。
だってどうしたらいいかわからないんだよ、今まで自分の意見なんて言ってこなかったんだから。
それが言えるようになってきたんだよ、それだけで褒めてよ。
そんなことばかり思ってしまう。
共感というワードで他人を取り込もうというか、だから自分は大丈夫、この人と同じ価値観だから大丈夫って思おうとしていた。
これをしておけば大丈夫、という言葉に弱いのは、思考停止できるからというのと、あとこの人もこれをやってるし…というカテゴリに安心しているんだ。
そんな私が漫画家を生業にしようとしているんだから、そりゃ息苦しくもなる。
独立した価値観を持ちきれず、いいこちゃんな漫画を描いてしまって面白みにかける。
母にしていたようなことを私が編集にしている。
心は安心したいんだな。
線引きがまだまだ曖昧なんだ。考えないとできない。
心は安心したいけど、漫画は安定の上には成り立たないだろうと思ってる。
で、安心と安定は別物だということがまだ完全に理解しきれていない。
頭でわかってるだけで、体で理解できてない。
これは大丈夫なんだよ、たとえ私が親ともうまくいかず、編集からも見放されたって、あの彼氏だけは味方でいてくれる。これは絶対なんだから、大丈夫。
漫画だって、描き始めてまだまだ日が浅いんだ。まだできないことが多くたって当たり前なんだ。…ってずっと思ってたら成長もしない。この辺も曖昧で腹立たしい。でもわかってるはず、どんな漫画が描きたいか?どんな表現がしたいか?上手いと思う人はだれ?目標を明確にしないと成長はない。自分はまだまだ何もできないひよっこなんだから、できなくても仕方ないだなんて言葉で逃げないで、やりたいことからひとつひとつ向き合えばいいんだよ。心が死んでるときって、やりたいことがみつからなかったりするけど、結局心を生き返らせるのも「やりたいこと」なんだよ。心が楽しくなるもの、わくわくするもの。探していくしかないんだよ。
自然をテーマにしたがってたのは、人間から逃げてたからなんだよな。
でも結局描いてるのは人間だし、面白いのは人間だし、感情に感動するし。
結局人なんだよ。
そして散々恨んだり愛したりしてきた母という存在を描いたりしてるんだよ。
子供の頃できなかったことを、漫画でキャラクターに代わりにやってもらってるんだよ。
結局問題と向き合ってるんだ。
しかたない。
その頃には死んでると思ってた。
でも気づいたら20代も後半になってる。
違う人間になれる。違う人間にはなれない。明日はいい日。ず〜っとこの気持ちを背負って生きていくんだろうな。
できることからやってこう。