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はてなキーワード: 訓読とは

2021-07-24

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2021-04-27

anond:20210427091725

緯度は「高緯度地域」という言い方から想起できる。(北海道とか北欧とか)  

経度は、「経」という漢字訓読みが「たていと」であることから地球儀上の縦線を想起できる。(ちなみに神経という訳語は「神秘的な経(縦糸)」という意味で付けられたとか)

2021-03-23

[]ばい菌の「ばい」はvirusの"vi"?

ばい菌の「ばい」とは?

日本では"virus"のこと「ウイルス」「ウィルス」って読む人が多いですが、英語では「バイラス」に近い発音ですよね。

かつて黒船来航から明治維新の頃、西洋医学日本に浸透しつつありました。

日本語にもともと存在した「菌」とあわせて、「バイラス・菌」と呼ばれていたのが、いつしか複合語となり「ばい菌」と呼ばれるようになりました。

一方で"virus"は少数の医学者だけではなく、一般市民にも広く知られることとなりました。

その過程で、英語ではなくラテン語風の「ウイルス」読みが定着し、「ばい菌」の「ばい」の意味今日では殆ど失われてしまったのです。

みたいな話は無い。

「ばい」は「黴」で、音読みすると「バイ」、訓読みすると「カビ」。

2021-03-19

「通行止」実はかなり古い言葉ではない?

いかにもここ半世紀ぐらいの自動車の普及をきっかけに出てきた新しい言葉っぽい感じがするけど、

通行禁止とかじゃなくて、止め、って訓読みで終わってるところが古そう。

通行手形があった江戸時代よりは古い言葉ではないかと思えるが…

2020-12-28

anond:20201228071112

当然、音読みと訓読みとを統合する意図はございません

全然違うものですから

ただ、音読みは音読みにすぎないですよね

から統一しま

ここが話の肝だと思うが、理路がわからん。くわしく

音読みを一つに集約しようと思います

音読みを一つに集約しようと思います

合理を尊ぶはてなの皆さんは当然賛同してくださいますよね

契約法律はじめとして現代社会文字提示する社会ですから基本的には音読みなんて統一して構わないと思います

書いてあることこそが重要契約文書とか音を出して読まないですからね。

修行はしゅうこうです。

発作ははっさくです。

名字はめいじです。ただし苗字はみょうじです。

音便は集約の範疇ではありません

失敗はしっぱいのままです

天皇はてんのうです

当然、音読みと訓読みとを統合する意図はございません

全然違うものですから

ただ、音読みは音読みにすぎないですよね

から統一しま

どれでもいいはずです

どうせ文字を読む社会なんだし

口頭で布達しないですよね

効力のあるもの文字通達しますよね、郵便でもメールでも

何か問題ありますでしょうか?

2020-12-13

anond:20201213141454

すべからく【須く】(副) 〔漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。下に「べし」が来ることが多い〕ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生は―勉強すべし」〔古くは「すべからくは」の形でも用いられた。近年「参加ランナーすべからく完走した」などと,「すべて」の意味で用いる場合があるが,誤り。

大辞林 第3版」(平成18年三省堂

惰性で正しい日本語が失われないよう、わたし何度でもお伝えしたいと思うのです。

すべからく」を「すべて」の意味で用いるのは誤りです、先輩!

2020-11-08

anond:20201107205206

漢文訓読」っていうくらいやから中国文章をどのように日本語で読むかということを昔の日本人が考えてできた体系なんや

ちょっと歴史を遡るだけで文化政治にも深く染み込んどるのをみても立派な国語

2020-09-23

「尻」という漢字音読

「コウ」らしい。

「ケツ」ではない。

「けつ」は「しり」と同じく訓読み。

2020-09-16

漢字にまつわるあれこれにイライラする理由に気付いた。

俺に無断で俺を含めたみんなの物事勝手に決めるんじゃない______。

学校でよくある話だが、声のデカい奴らの意見クラスの総意のように扱われることがある。

わかったわかった。お前らが団結したのはわかった。B組の絆もわかった。だけど、それを俺にも押し付けるな。

そんな感覚。あ、ちょっと違うかも。

とにかく、私には嫌いなことがある。

1つは、花言葉を“語られる”こと。

もう1つは、今日は〇〇の日だという“話題を振られる”ことだ。

花言葉は嫌いじゃない。〇〇の日という記念日も嫌いじゃない。

だが、さも当然、私もそれに納得するものだという前提を持ったまま、その話題を振られるのがなによりも嫌いだ。

当然だが、花は誰のものではないと同時に、誰のものでもある。

例えば、日本園芸協会みたいな、とにかく花言葉管理している団体(知らんけど)が、バラ花言葉が“愛”や“美”であると決める。そうか。勝手にやっていてくれ。

だが、誰かが私に対して「バラ花言葉は“愛”なんだよ」と話しかけてくる。

私はそれに同意していないし、私がバラに対して持っている権利、否、すべての人間バラに対して等しく持っている権利を、団体という一部の人間によって侵害された気分になる。

私にそれを押し付けるな。

〇〇の日も同様だ。例えば2月22日ネコの日として盛り上がる。いいじゃないか

だが、私に対して「今日ネコの日なんだよ」と2月22日に話しかけてくる。馬鹿言え。私がネコに対して持っている権利侵害するな。私はそれを認めていない。

「みんなのもの」に対して「一部」が定めたルールを「みんな」に適用することが、非常に苦手なのである

前置きが長かった。本題に入る。

私は塾でアルバイト講師をしていたことがあった。基本的になんでも教えるのだが、特に国語の授業を担当することが多かった。

そうすると生徒に漢字に関するアレコレを言われることがある。

「ねぇ先生、一番読み方が多い漢字って知ってる?」

答えは、“生”もしくは“下”だ。純粋質問なら答えるし、自慢したい風ならば、わざと知らないふりをして生徒に言わせる。

だが、それは限定的な話だ。

これは「常用漢字表」に載っている漢字の話である

そして常用漢字表の“生”の音読みは「ショウ」と「セイ」が、“下”の音読みは「カ」と「ゲ」が載っているだけであり、ほかの漢字と大差ない。

まり、こいつらは「訓読みで読みの数を稼いでいる」のである

例えば“生”は、「苔生(む)す」と読めるが、これは常用漢字表にはないし、“下”は「ひく(し)」など、おおよそ“低”のような感じで読むことがしばしばある。

そして“生”や“下”以外にもそのように色々な読み方(特に訓読み)をできる漢字は無数にあるわけである

訓読みは「漢字日本語での意味」を出発点としているから、どこまでが訓読みでどこからが意読かは判然としない。

したがって、どの字が一番読み方が多いか、などというのは、そもそも成立しない質問なのである

多様な読み方ができるはずの漢字に対して、「文科省が設定した常用漢字」が、唯一絶対真実かのように、私に向かってくる。

これが嫌なのである

また、筆順の話もしておきたい。

筆順なんてもの文部省(当時)が設定したものであり、しかも、文部省ですら、参考であって絶対基準でないと明言している。

そもそも現代の筆順があるのは、単に「そういう順番で書くと伝わってきた」からである

字というよりも図のニュアンスが強い甲骨文や金文などから当時の筆順を判別することは難しく、また、仮に史料から筆順を解析できたとしても、一定基準があったかもわからない。

完全に推測なので根拠はないが、当時の人は特定の筆順を持たずに、その場その場で書き(描き)やすい順番で書いていたのではなかろうか。

日本において文部省(当時)が国語を教える上での筆順を策定する際には、流派によって筆順が違う字も多く論争があったというし、日中で筆順が違う漢字も多い。

また、常用漢字以外には筆順が設定されていないという現実もある。

もちろん、私は筆順が不要という論者ではない。

漢字を書く際の大原則(上から下、左から右、など)を理論でなく体で体得することは非常に重要で、それこそ教育漢字の筆順を習得することでその後の漢字自然な筆順で書くようになることができると思うし、

整った漢字を書く際には筆順は非常に重要な要素となってくる。

しかし、筆順の問題を出題するような学校や塾のテスト特にテレビクイズ番組本末転倒であり、無意味と言わざるを得ない。

多様であるはずの筆順に対して、「文科省が設定した基準」が、唯一絶対真実かのように、私に向かってくる。

これが嫌なのである

他、おまけのような話だが、字形問題もある。

漢字字形は思っているよりもはるかに“揺れる”。

いわゆる異体字というやつで、現代活字文化で目にすることは少なくなってしまったが、手書きではよく見られるものである

当然だが、文字絶対的に必要要件は、“意味を伝えること”である私たち本質的意味を伝えたくて文字を紡いでいるはずである

したがって、字形も当然“同じ字として認識できる範囲で”揺れていいはずである

もちろん、学校漢字の書き取りで異体字を書くのは勘弁してほしい。そこは国の定めた基準に従ってほしい。しかし、それ以外の場面で漢字基準と違ったとしても、とやかく言うのはどうにかしてほしい。

伝わることに意義があり、伝わったから正しい字形を指摘できるのだろう。じゃあいいじゃないか

文科省(ry

当然だが漢字漢字を使う皆のものであり、文科省が完全に管轄できる存在ではない。

しかし、子供たち(否、塾で対面するのが子供というだけで、大人の大部分もそうだろう)はそれを唯一絶対の真理として内面化している。

子供のうちはそれでいいだろう。一度型に嵌めて教えたほうが色々考えやすい(それでも筆順を徒に問うようなテストには反対だが)。

しょーもない漢字雑学本やら、漢字クイズやら、最近だと特にバラエティ系Youtuberクイズ企画/学力テスト企画に顕著だが、大人たちが無意識的にこの基準を唯一絶対の真理かのように誤解しているさまは、見ていて虫唾が走る

11月11日ポッキーの日これはいいポッキーグリコが完全に管轄しているから。

ながらくイライラしてるだけで理由について考えたことなかったけど、花言葉とか〇〇の日と同じなんだなって気づいた、だいたいそういうお話

ーーー追記あれこれーーー

〇その1

当たり前だが私は瞬間湯沸かし器ではないので、他人花言葉/〇〇の日の話題を振られたからと言ってブチ切れるわけがないし、たぶん不愉快な表情一つせず、無難な会話を続けることができる。

日常生活思想は別の問題

〇その2

誤読してほしくないが、常用漢字教育漢字否定をしたいわけではない。それが必要から存在していることはわかっている。ただ、それを“ただ一つの真実”かのようにすること、

まり“それ以外を誤りである”とするような態度に対して非常にイラついているのである。多数の正解を認められないことにうんざりしているのだ。

〇その3

花言葉は例が悪かった。バラが美の象徴であることは(記事矛盾しているが)私は実は了承している。漢字という伝統を受け継ごうという意欲を見せている私がバラ花言葉(というか花のもつイメージ)に反対しているわけがない。

もっとこう、バラがn本の時はこれこれこういう意味で~、とか、〇〇は色によって意味が変わってX色では~、とか、明らかにその品種伝統”がないよな?みたいな花とか、そういうタイプ花言葉を私は了承していないのである

了承していないだけなら問題がないが、そうした“話題を振ってくる”のが苦手なのだ

〇その4

この話題は、誰もが経験したことがある「お前の普通を俺に押し付けるな」という話題に決着する。

子供に顕著だが、自分常識他人にとっても常識だと思ってしまうことがある。子供は平気で友達名前代表される固有名詞説明なしに会話にぶち込んでくる。

これには理由がある。ピアジェの発達理論に従えば2~7歳の子供は自他の認識区別がつかないらしい。

からかくれんぼで目をつむれば他人から自分の姿が見えていないと思うし、自分の知っている友達は当然会話の相手も知っていると思っている。

子供ならかわいらしいが、大人にこれをやられると「自分への配慮蔑ろにされた」気がして腹が立つだろう。

界隈のスラングをさも当然かのように使ってくる奴にイラつくのと同じだ。

それと同じかもしれないし、漢字話題はまたちょっと別の話題かもしれない。

2020-07-17

息子の名前が決まらない

植物動物、季節、その他汎ゆる花鳥風月に因む字を入れない

五倫五常四維八徳から、一文字と止め字、もしくは二文字構成、仁の字は慎重に使う

且つ日本人らしい訓読みの響き 

以上が希望

増田名付け親になってくれ

2020-07-13

今日もツイランキングで学ぶハングル

로데오역

アルファベットで書くとRodeoyok。

最初の3文字カタカナみたいに発音記号外来語のロデオを表してる。

最後の字は駅。

駅の読みの「えき」は訓読みっぽいが実は音読み。

広東語でも「イェッキ」と発音しててれっきとした中国由来の音なのだ

まとめると「ロデオ駅」。

なんかのアイドルグループの曲らしい。中身は知らん。

にしてもNaverハングルアプリ入れてから調べ物が楽。勉強捗るね。

2020-07-12

富岳

ずっとトガクって読んでた。

まだ会話で使ってなかったからセーフ。

たまに音読みすべき感じを訓読みしてしまう癖がある。

なぜだろうか。

2020-06-29

anond:20200629120910

”いり” が訓読みで "ゼンセン" が音読みだからでは?

2020-06-27

anond:20200627110818

ジャパニーズ英語教育って漢文訓読なんだよな 意味は取れるし真似して書けても中国語は出来ないまんま ただ十分だしコスパが超良いか別に問題ない

2020-05-14

anond:20200514164029

どっちでもいいんだけどね。

漢字音読みは言ってしまえば中国語読みで、訓読みは日本語読み。

から普通は混ぜない。

でも長い年月かけて変化してく内に混ざって来たのもあると。

更にもっと言うと今は誰も中国音だなんて思わないので、ゴチャって気にされない。

それが文化ってもんなので好きなのお使い下さいで良いとも思う。

それが国名の読み方が2つある日本らしい姿。

anond:20200513203632

詳しいなら教えてほしいんだけど、「是」とか、漢文での「之」を代名詞「これ」と訓読するのは、当時としてはなかなかうまい誤魔化しだったと思うんだけど、実際の意味から考えれば間違いだよね?

2020-05-13

『死』という漢字すごくない?

音読みで『シ』、訓読みで『し‐ぬ』。音読みと訓読みが同じなのってこれしかなくね?

2020-05-10

訓読みだと変な感じになる言葉

残滓。ザンシと読めばそれなりにカッコつくけど、訓読みだとのこりかす。超カッコ悪。

2020-05-04

anond:20200504195608

訓読みで、まが。

音読みで、か。

禍々しいって言うでしょ。

不幸な事態の意。

漢字大事にしてかないと韓国みたいに国民的に忘れてっちゃうよ。

2020-04-29

自粛とかコロナ禍という言い方

語感と使われ方との違和感が大きいなって感じてる。

自粛っていったら、自分から進んで行うことで、社会的問題に対することでも行動を決定するのは自分判断によるものだという意思を感じる言葉

から自粛要請とか言われたら、要請している側の気持ちを察して行動せよという圧力を感じる言葉になる。

自粛だとあくま自分問題から社会的な協力体制とは遠い語感になる。

中止協力とか言ったほうがまだ語感が近い。協力は相互的なもので、政治システムとしても、ご近所さんとのつながり的にも、いかにお互いに生き延びていくのかを全摘に考えやす言葉になると思う。

コロナ禍は意味がわからない。

普段、「禍」という文字を使わないし。

地震に対する震災のように、関連する影響を踏まえた言い方なのだと思う。訓読みでは「災」は災い」(わざわい)と、「禍」は禍々しい(まがまがしい)と読める。訓読みで読んだ場合、禍のほうが生理的嫌悪感が強い対象に向けるような言葉に感じる。禍という文字普段ほとんど使わないから、訓読みの印象に引きづられやすい。

こういう言い方って、誰が言い出して、どうやって定着したんだろうかと気になる。

人に伝わる言い方をしようとしたら人が使っている言い方をすることが必要なんだけれど、その言い方に違和感が残されてるときに困る。

2020-04-20

小並感墨東病院

小並感」は「小学生並みの感想」を略したものから、「こなみかん」と呼ぶのはなんか違うと思っていた。

しかし、昨今話題墨東病院は「ぼくとうびょういん」と読むことを知り、言葉を略するとき訓読から音読みに変わることがアリということがわかったので、今後は遠慮なく「こなみかん」と呼ぶことにした。

2020-04-12

ガースーって何

笑ってはいけないで毎回でるのと、肝官房長官に対して使われてるのはしってる

後者は肝を訓読みしてのスガの逆読みってのはわかるけど笑ってはいけないのガースーの意味がわからない

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