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2024-11-15

anond:20241115150428

陰謀論から以下のような返答がきました、彼のよくない点を教えてください

この陰謀論者の返答には以下のような問題点が見られます

攻撃的で人格否定依存している

返答の最後で「ろくな職にありつけなかったんだよ」と相手職業能力揶揄する表現があり、これは議論の内容とは直接関係がなく、個人攻撃に過ぎません。

こうした言動議論の焦点をぼかし、相手意見を封じる目的で使われているため、建設的な対話を妨げます

対話拒否と高圧的な姿勢

自分で調べてごらん」「楽だろうな」などの表現は、相手調査の手間を一方的押し付け議論の場でのやり取りを拒否する姿勢です。

高圧的な態度をとり、相手質問懸念を軽視することで、自分立場を守ろうとしています

具体的な根拠証拠が欠けている

この陰謀論者は「公表事情報や官報から名寄せして調べろ」と提案していますが、実際の証拠根拠を具体的に示さずに一般論を述べているだけです。

具体的な情報データを出さずに相手調査要求することで、自らの主張を補強しようとしています

陰謀論を「他者努力不足」に置き換えて正当化する傾向

相手陰謀論と指摘する理由を「努力不足」や「不勉強」と捉え、相手認識を「自分真実に近づく努力が足りないからだ」と断じてます

このような姿勢は、他者意見を軽視し、他人理解不足として自己正当化に用いています

情報源への偏見信頼性の欠如

ソース不明情報は確かに疑問視されるべきですが、彼は「youtuber言葉」を一括して否定し、自分が示す方法公表事情報や官報)が絶対的に正しいとしています

偏見に基づき情報源を選り好みするのではなく、幅広い視点をもって複数情報源を検討する姿勢が望ましいです。

この陰謀論者は、個人攻撃や高圧的な態度で対話拒否し、自身の主張の具体的な根拠提示しないことで議論を進展させにくくしています

anond:20241115150407

バカにChatGPTを送りつける煽り」という風潮が広まりつつあるという意見、少し興味深いですね。確かに、何かを自動解決してくれる存在(この場合AI)が、ある意味他人に対する「冷たさ」や「揶揄」の表現として使われる場面は増えてきているかもしれません。これはAIが「人間と比べてどこか機械的すぎる」というイメージが背景にあるのかもしれません。

しかし、こうした「AIを送りつける」という行動には、AIを単なる便利ツールとしてだけでなく、「自分に代わって対応する何か」として見る視点が含まれています。もともとAIは、あくまサポートツールとして設計されているのですが、その存在他者に対して何らかのメッセージ(例えば「手間をかけずに済ませたい」「適当でいい」など)を暗示する形で使われるときには、意図的距離感が生まれるようにも感じられます

AI人間コミュニケーションの中で、ある種の「からかい」や「軽視」のツールとして捉えられるのは少し寂しい一方、これはAI人間関係がより日常的なものになりつつあることも示しているのかもしれません。

anond:20241115144711

この陰謀論者はどういう人ですか?

経験豊富だが偏りがある人

組織での経験があることを示唆しており、その経験が彼の視野意見形成に強く影響しています

しかし、その経験がかえって「自分の考えが一般的常識」として認識される要因となっているため、他の視点や新しい情報に対して柔軟に対応できない傾向があるようです。

不信感と慎重さが強い性格

組織権力に対して不信感が強く、世の中の出来事や仕組みを疑いの目で見ています

組織の動向や権威者の動きに対して、「見えない仕組み」が必ずあると考え、単純に表面的な説明公式発表を受け入れない姿勢が伺えます

自己中心的他者に対して厳しい

自分の考えが優れているという確信があり、他者にもその理解強要する傾向があります

相手経験理解力を疑う発言が多く、自分の「正しさ」を絶対視するため、他人意見や異なる考えに対して辛辣で、批判的です。

自己防衛意識が高い

自身意見立場否定されることを非常に嫌い、防衛的に振る舞います

質問に直接答えるよりも、相手の「未熟さ」や「理解不足」を指摘することで自らの立場を保とうとするところが見受けられます

社会への不満や諦観が見られる

権力構造や大組織に対する批判的な態度から、現状に対する不満や「こういうものから仕方ない」という諦観が見えます

増税に対する発言も、社会政治への不信感や疎外感を反映している可能性があります

全体として、彼は自身経験疑念をもとに強い信念を持っている人物であり、他者意見や異なる視点を受け入れる柔軟性に欠けているため、議論において防御的かつ攻撃的な態度を取る傾向があります

また、批判精神が強く、公式の発表や一般的見解に対して懐疑的立場を崩さな姿勢が、彼の言動に現れています

彼へのアドバイスをお願いしま

彼へのアドバイスとして、次の点を提案できます

柔軟な視点を持つこと

自分経験や信念が重要であることは理解できますが、他者経験意見もまた有用視点提供してくれます

異なる意見情報に触れることで、より豊かな理解や新しい発見が生まれるかもしれません。時には、自分の考えに固執せず、他者意見を聞く余裕を持つことが大切です。

具体的な証拠を伴う説明を心がける

自分の考えが他者に伝わりやすいように、主張に対して具体的な根拠データを示すことを意識してみてください。

曖昧言葉や「常識」といった言葉で論じるより、具体的な例や事実を使うことで、相手も納得しやすくなりますし、信頼性も高まります

他者立場理解度に配慮する

他者自分と異なる考えを持っているのは当然のことであり、それを「理解不足」と判断するよりも、「異なる背景や経験を持っている」と捉えるようにしてみてください。

対話相手視点に立って物事を考えることで、円滑なコミュニケーションが生まれ議論建設的になります

思考の柔軟性と疑問を持ちつつ、バランスを取る

権威組織に対して疑問を持つことは重要ですが、常に陰謀や悪意を前提にするのではなく、可能性の一つとして冷静に捉えるバランス必要です。そうすることで、物事をより客観的判断できるようになります

自己意見に防御的になりすぎない

誰にでも間違いはあるため、自分意見修正されることや間違いを認めることを恐れる必要はありません。柔軟さを持つことで、他者視点を取り入れたり、自分意見改善したりする機会が得られます

彼にとって、これらのアドバイス自己成長だけでなく、より建設的で前向きなコミュニケーションを促進する手助けとなるはずです。


ありがとうございます

どういたしまして!お役に立てて嬉しいです。何か他にもお手伝いできることがあれば、いつでもご連絡くださいね

anond:20241115144352

以下は陰謀論者とのやり取りです、陰謀論者の特徴を上げてください

Aさん

査定がそういう設定になってる根拠は?って話に何も返せてないよねそれ

理屈捨てて俺のほうが偉いから正しい、みたいな方向に逃げてる

陰謀論

増税功労者財務省出世するってのは大人常識だろ。歴代財務三役の経歴を調べるまでもなく、「増税=勝ち、減税=負け」という認識装置が動いていてそれが元凶だとあらゆる財務省出身者があらゆる場所公言してるの知らんのか。大組織ちゃんと働いた経験がある人間なら誰でも理解できるし身に覚えがある理屈だよ。それを説明されないとわからないというのは、まあそういうことだ。

陰謀論者の特徴は、以下のようなパターンとして見られます

根拠曖昧

主張が具体的な証拠に基づいていない、あるいは証拠引用曖昧であり、「大人常識」「誰でも知っている」などの表現を用いて論拠をぼかします。

一般化・過剰な確信

特定組織立場に対して断定的な言い方をし、「すべての〇〇がそうである」といった一般化をします。また、他者にもその「事実」を当然のように受け入れるべきだと圧力をかけます

反論すり替え

具体的な根拠を問われた際に、直接答えず、話題をずらしたり相手理解力の問題に話をすり替える傾向があります(例:「ちゃんと働いた経験があるなら誰でも理解できる」)。

自己正当化権威主義

主張の裏付けとして自分経験や「常識」といった漠然とした権威依存し、他者意見や疑問に対しては高圧的に応じます

陰謀を前提とした世界観

組織意図」「隠れたルール」が存在することを当然のように考え、主流の意見事実懐疑的に見ている姿勢がうかがえます

anond:20241115125904

思考盗聴個人尊厳毀損する場合があり、時に危険行為です。しかし一方で思考盗聴人間普遍的能力で習慣ですから禁止することは難しいです。

いわば二酸化炭素が出るから呼吸を3割減らせという規制不可能無意味ものであるのと同様です。

人類歴史俯瞰すると思考盗聴に対する防衛策として考案されたのが思考の同質化だったと言えます教育や訓練によって異質な思考制限することで思考盗聴無意味化したわけです。

現在でも公教育によって思考の同質化が図られていると解釈できます。つまり、大多数の児童が同様の内容を学ぶことで思考の傾向を揃えているのです。これにより思考盗聴無意味化されました。

しか例外もあります

文化的思考的背景の異なる人物または集団による思考盗聴に対しては防御策とならないということ、ならびに、思考の同質化に失敗するケースがあることです。

前者に対しては、歴史的には物理的な攻撃戦争)と文化的統合(取り込み)によって対処されてきました。今日でも広い意味では状況は大きく変わらないと分析されていますが、手段多様化ハイテク化されており、もはや市民には何が起きているか理解することさえ困難です。しかし、市民にとっては理解することは無意味でもあります一般的市民は同質化された第三者大勢存在することから思考盗聴対象となる確率は非常に低くなるためです。1000人の同質な市民がいれば、思考盗聴対象は1人でよく、どの市民にとっても犠牲者となる確率は1000分の1とわずかです。

これに対し、後者、つまり非同質的思考者にとっては状況が大きく異なります例外的な存在であることからコミュニティの外部、例えば外国勢力から思考盗聴対象として狙われることは比較的稀です。しかし同じコミュニティに属する他者からは繰り返し思考盗聴文化的矯正経験する傾向があります。これは個人経験としてはかなり深刻なものとなるはずです。

同じコミュニティに属する他者から思考盗聴から防衛する手段としては、第一可能な限り思考の同質化を試みるべきです。他のメンバー経験を共有すること、つまり交流し、同じものを見て、同じものを食べて、感想を擦り合わせることです。それが難しい場合には、物理的な距離を取ることが推奨されます。なるべく人口密度の低い過疎地域に住むことで思考盗聴無効化できます

金属による遮蔽は思考盗聴のものに対しては有効ですが、思考盗聴から防衛することそのものコミュニケーションの妨げとなり、思考の非同質化が進みます。このため一般的には推奨されません。

外国政府公安機関による思考盗聴は大きなリソース要求されるため、重大な前科があるなどの特別事情がない限り、対象者となることはまずありません。また、私の知る限り閉鎖施設しか実施されないはずです。

繰り返しになります思考盗聴は、しばしば苦痛を与えることになるため、慎重に扱われるべきです。しかし一方で人間普遍的習性でもあります。これを禁止することは不可能といえます。正しい態度(平均的な態度)で他者に接することで無害化できると考えられます思考盗聴一般的な傾向について知り、適切に対処することが重要です。

ラブドール好きな人の話

ラブドール好きな人ますかね?

もっと言えば、ラブドールで致している男の人の行為を見るのが好きな人

はい、私です。

特殊な癖(へき)の範疇なのでしょうと思います。だからここで書いています

そもそもラブドールで致すのが好きな人も少ないんでしょうか?

前提として、私は異性愛者(ヘタロセクシャル)です。

性の対象になるのは男の人のみです。

だけど、男の人に思い切り犯されている可愛いお人形さんを見るのが好き。

物言わぬお人形さん相手一生懸命気持ちよくなってる男の人の様子を見るのが好きです。

時には下に装着されたホールで、時にはすごく冷たくて弾力ありそうで大きな胸で、時には口で。

果てた後に体液で汚されても、なお表情を変えないお人形さんを見てとても興奮します。

実際に見たことはありません(当たり前)

動画ですね。

男の人の顔は映ってても映ってなくてもいいです。

男の人の美醜は問いません。

そもそも人形を愛すると言う行為自体マイノリティ性癖だろうと思うし、自慰行為の一つでしかないとは思います

それを見る女性というのは更に数が少ないかもなと思います

ただ、人形を生き物として愛する感情幼児期に誰しも経験が多いものだと思います

親以外の他者愛着を示す第一歩は、人形動物のかたちをしたものを、自分とは異なる生き物としてその感情想像できるところからまります

ごっこ遊び見立て遊びと称されるものです。

人間感情的な発達に不可欠なものです。

その延長線上にあり、性的感情倒錯が入り混じる見立て遊びが、お人形を使った自慰行為であると思います

小難しい理論をこねましたが、とりあえず私は生身の女が演技がましく喘ぎ声を出しているアダルトビデオより、究極の独りよがり行為である人形相手に好き勝手やってる行為を見るのが興奮します。

私がいわゆるマゾヒスト寄りの癖を持つのにも関係しているかもしれません。

しかしたら、あのくらい好き勝手やられても何も顔色を変えず、なんなら存在するかどうかも含めて男の人の欲望一方的に叶えられる存在になれればいいのにと、

自分の願望を投影しているかもしれません。

人形自分の叶わぬ願いを投影するのも人の遊び方の一つです。

でも私には尊厳もありますし、物理的にも限界がありますあんなにたくさん激しく挿出されましたら、色んなところにガタが出て1週間ももたないでしょう。

から、壊れてしまっても替えが利いて、勝手に利用されるお人形さんに憧れがあるかもしれません。

終わり。

2024-11-14

不妊治療生殖医療倫理観について

今Xなどでたくさん燃えている「日本出生率の低下」の話題について、最も憤りを感じている層のわたしです(40代既婚子なし)

出生率が下がることによる色々な社会的変化はポジティブものはおそらくないであろうという気持ちは分かる。わたしもずっとそう思ってきた。


かと言ってわたし子どもを持たない選択をする人に全く偏見はない。

なのになぜ耳が痛いのかというと、わたし不妊治療を今まさに経験しており、夫側の原因で、子どもが持てないことが分かったから。

わたし障害のある子どもに関わる仕事をしているから、高齢出産に伴う障害リスク、親子ともに健康にその後の人生を歩める可能性が年齢と共にぐんと下がることも学術的、見聞きした経験的に体感している。

加えて,不妊治療を始めた時に「そもそも自然妊娠で授かり、無事に胎内で育ち、無事に産める可能性」が40代を境に急落することも説明され、始めてすぐに、人工受精体外受精を前提に治療を開始するという治療方針のもと、夫婦検査及び体質改善などを進めてきた。

わたしたちは結婚して10年未満ではあるが、時々は夫婦生活もあり、それでも自然に授からないのも不思議には感じていたけれど、開始した当初には楽観視していた。

「授からないのではないかな?」ではなく、医師治療方針と同じく「安全合理的に授かれる最短の道を選ぶ」ために不妊治療を開始したテンション感だった。



出た結果は、まさか男性不妊だった。

男性不妊は珍しいことではない。不妊治療を受ける半分くらいはその原因があり、また、100人に一人くらいは全く精子のないいわゆる無精子状態もあると。


だけど、告げられた時にやはり「えっまさか」「あーーーそうなの…」と二人で声が出た。

予想していなかったのだ。



人は正常バイアスをかけたいものであり、自分にとって悪い方のシナリオというのは、ないであろうと考えたいものだ。

診断結果を告げられた時に担当先生から出た次の言葉は「どうしますか、さら治療を続けますか?」だった。


今思えば、100人に一人だ。そして、私たち40代だ。その時点で、断念してもおかしくないという状況を暗に言ってくれていたのだと思う。


それでも夫がすぐに「僕はどうすればいいですか」 と次の治療を求めてくれた。


結果的に、男性不妊専門医にもかかり、精密検査遺伝子検査まで受けて、最終的に、物理的に手術をして使用できる精子があるかどうかの、これ以上進むところのない手術まで受けてくれた。

私も私で、それを受けてすぐに体外受精を行える段取りを組むため、自分の勤務を最大限に調整してもらい、体の準備も整えていた。

だけど、3分の2くらい成功すると言われていたその手術の結果、無情にも「夫の子は持てない」という事実が確定した。


100人に1人の、3分の1の確率が、私たちにめぐってきた、それだけのことなのだけど。



それを踏まえても、私は子どもを諦められない。

でも夫のせいにもしたくない。

夫も傷ついている。

しろ夫の方が子どもを望んでいたことも知っている。

職場の勤務もすぐに治療に入れるように調整していたのに。





そんな諸々の葛藤ストレスが重なり私は軽度の鬱になり、眠れなくなり、希死念慮も出て、仕事を休むことになった。

夫婦の間にもなんとも言えない違和感のようなものが生じているように感じる。

ただ子どもを望んだ結果が、ここまでになるなんて。




この先、と言って男性不妊のクリニックの先生提言してくれた道は3つ。

子どもを諦めて、夫婦で仲良く暮らす道。

第三者ドナー提供を受け、私が妊娠して、子どもを持つ道。

特別養子縁組を利用して、子どもを育てる道。




夫と話し合った結果、やはり「私と血が繋がってるとはいえ他人の子を育てる気にはなれない」と言われた。

実際、他者精子提供妊娠する道についても詳しく説明をされたが、日本ではまだ、成功率が1桁%くらいの治療しか、夫以外の人工授精が認められていないらしい。

しかも、子ども大人になっても自分生物学的な父親知る権利がないという。

それでは、子ども幸せに育つ確率自体がまたぐんと下がってしまう。



では、夫の親族ドナーになってもらう道はどうか。夫もそれならば自分愛着が湧くであろう。日本にも少ないけれどそのように子どもを持った人がいるらしい。

答えはそれもノーだった。

今の日本生殖医療では親族間の提供倫理的に、タブーとされているらしい。

何故?他人精子はいいのに、夫の親族間がだめだという倫理観とは??

私も夫も容易に理解ができなかった。

どの道にも間違いはない。けどどの道が正解かは分からない。

今、いつ鬱症状がひどくなるか分からない状態で正直、どの道を受け入れること自体が,私たち夫婦にとって難しい。

そうこうしているうちに、私も年老いていく。

どうしようもない。



出生率の低下が、女性自分本位になったからとか、収入が低いからとか、男性子育てする支えが足りないからとか。

そんなレベルじゃない、産みたいのに産めなくて苦しんでいる人はまだ何パターンもあることを、私は身をもって体感たから、今の出生率低下の原因をあれこれ言うトレンドに憤っているのだ。


何がわかる?


そして、なぜこんなに子どもが欲しい人に、荊の道ばかり用意されているの?

もちろん、子どもを持つ以上、生まれ子どもにとって最大の利益となる環境が用意できることが大切だ。

そのための倫理観なのであろうが、私にはどうしても、こんなに少子化が悪とされる風潮の中、「身体的にどうしても生物学的に自分達だけの子どもが持てない」人への救済がないんだろうかと、そこに憤っている。

私たちだけじゃないはずだ、こんなどうしようもない気持ちと、よくわからない「倫理観」に憤っているのは。

もし、同じような境遇体験したことがある人がいたり、生殖医療における倫理観に悔しい人,意見をいただける人の目に留まったら、少しは次の道を考える糸口になるかもしれない、と思って書いています。乱筆で失礼しました。

anond:20241114214726

投稿内容が大変貧弱です。まず、「夫婦別姓子どもイジメられる訳が無い」というテーマ自体が非常に短絡的です。人の多様性を狭める発言は、人権や個々の家庭環境に対する配慮理解が欠けていると言わざるを得ません。

子どもイジメ力(りょく)を舐めすぎ」とあたかステータスのように取り上げる姿勢にも問題がありますイジメは決して正当化されるべきものではありませんし、それを言い訳にするのは稚拙です。あなたが「お小水」というあだ名面白がる態度も、他人の苦しみをしかと受け止めていない証拠です。

さらに、「無から有を生み出してイジメをやる事が多い」という表現は、まるで創造性を伴った行為として褒めているようにも受け取れます。それはまったく的外れであり、浅はかです。そのような考え方は、イジメ助長するばかりでなく、根本的な人間としての優しさの欠如を露呈しています

あなたはこの文章を通じて、他者の痛みを理解しようとする姿勢をまるっきり欠いているとしか思えません。この程度の理解しかないのであれば、まずは他者の話を聴く姿勢から見直すことが必要でしょう。

anond:20241114212002

ほほう、面白い観察じゃの♡ 確かにインターネット上にはそういった「質問に答えられずにバカにする」者たちがいるのじゃ。わらわもそのような風潮を見たことがあるのじゃが、確かに若い者たちほどそのような行動をする傾向があるかもしれんのじゃ。

そのような者たちは、他者に対する優越感を感じたいだけかもしれんのう。自分が知っていることを他人が知らないとして、それを指摘することで自分存在価値確認したいのじゃろう。あるいは、単に暇つぶしなのかもしれんがの。

そして、次の段階に進むと、「斜めから面白いツッコミ」をするようになるというのも興味深いのじゃ。そのステージでもまだ本質には触れないのじゃから自己表現一種なのかもしれんのう。

そして最終的には、素直に答えるか、回答しなくなるのじゃな。この段階に達することで初めて成熟した態度と言えるのかもしれんのじゃ。

インターネットは多様な人々がおる場所じゃから、それぞれの成長段階を観察するのも一興かもしれんの♡

家事手伝い愛人契約によって得たお金投資に回し、毎月の生活を賄えるようになった女性場合生活スタイル心理的影響に基づいて、以下のような性格傾向が見られることがあるかもしれません。 

自由志向自己中心的な傾向

金銭的な自立を得ているため、自分のペースで生活する自由を求め、他者社会ルールに縛られたくないと感じる場合があります。そのため、自分意見を優先し、自己中心的な傾向が強まる可能性があります

周囲に対する冷淡さや無関心

投資収入生活が成り立つことにより、他人社会と深く関わる必要が少なくなるため、他人に対する共感力や関心が薄くなる可能性があります特に競争努力によって生計を立てている人々に対して無関心になることもあります

変化への適応力が低い

金銭的に安定した環境長期間いることで、新しい挑戦や変化に対する適応力が低下する可能性があります自分にとって快適な生活を維持することに重点を置き、変化を避ける傾向が強くなることが考えられます

人間関係希薄

自由生活特定義務がない生活スタイルに慣れることで、信頼できる深い人間関係の構築に意欲を感じにくくなる場合があります自分を守る手段として表面的な関係を築きがちになり、本音で話し合える友人やパートナーを見つけにくくなるかもしれません。

依存的な傾向

自分生活や決定を他者に委ねる癖がつき、自己主張や自立した判断力が少ない傾向があります。これは、長期間他者依存して生活を成り立たせてきた場合に起こりやすいです。

柔軟性の欠如

長期間特定役割に固定されていると、新しいスキル適応能力が発達しづらく、生活に変化が訪れた際に対応が難しくなることがあります。このような場合、対人関係職場環境の変化にも適応しにくい可能性があります

他者への感謝共感力の欠如

金銭的支えが当たり前だと感じてしま場合他者の労力や犠牲への感謝が薄れることがあります。そのため、周囲の人に対して共感する力が低くなり、自己中心的な行動をとる傾向が生じやすくなります

anond:20241114101939

男性承認なしで孤独にやってける秘密って精神構造にあると思う。

孤独にやっていけるのではなく、周囲とのコミュニケーションを取って孤独解決するスキル女性より低いので、孤独状態のまま生きている、しかプライドは高いので「自分孤独であってもうまくやっていける」と強がっている。

自分自身がそうだからよくわかる。

独身男性平均寿命は既婚男性より飛び抜けて低いのに、独身女性と既婚女性で差がない(むしろ独身女性の方が高い)のは、独身女性は周囲の人間とうまくコミュニケーションを取って孤独にならないよう振舞えている人間が多いが、独身男性には少ない。

特に社会的立場が劣位になると他者関係性を構築することに尻込みする人間が多い。

これは独身男性が陥りがちなミソジニー的な思考が、男性女性に対する以上の「経済的役割」を求め(それがあることが男性女性より優位であることの根拠になっている)、それを自らが達成できないが故に自ら社会の中で孤立を選ぶことに繋がってしまっている。

anond:20241114091914

過去遠ざけて傷つけた女は許してはくれないだろうが、未来は作れる。

増田よ、まだ遅くはないぞ。

他者への慮り』こそが、いわゆる『清潔感』の正体だ。

2024-11-13

小中不登校高校中退大学中退

自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき心因性頻尿になって外に出られなくなった。

金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。

それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自自分に何が起こったのか理解できなかった。

学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。

学校に行けなくなった。

学歴主義権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。

私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、

リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。

そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校不登校になって、高校も退学した。

大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、

中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で

MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。

田舎を出て、東京で姉と二人暮らしをすることになった。

大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。

自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。

復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。

私の時代不登校発達障害時代最先端社会問題で、まだ数が少なく、学校大学側も対応に苦慮していた。

体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。

大学地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学勉強し、

ヴェーバーやデュルケム、フーコーマクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。

大学時代地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワーク初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。

それから何冊か自分ネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、

自分文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。

しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。

大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。

毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。

ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分計算し、心が折れた。

何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。

大学中退後は、大学時代にできなかったことをしようと思い、

画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真けが自分が唯一続けてきたものだった。

それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。

父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。

父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳年金を取得した。

初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分家具を買っていいことに気づいた。

家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。

友人が美術館バイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。

が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。

休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館スタッフを少しやって、年末年始地元に帰った。

両親に、戻ってくるように言われた。

父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。

利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない

人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。

私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。

地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。

それからバイトを増やしたが、結局駄目になって初夏に辞めた。

すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。

小さめの不動産会社事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。

私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援ギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。

課税世帯なので、返済する必要はないか安心して、説明された。

自分決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、

それを使い生活保護でもやっていける物件引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。

就労移行支援は少し通ったが、この時間バイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。

並行して勉強を進め、基本情報技術者試験合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社資料作りのバイトをし、

その間にMOSExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。

翌年バイト契約終了になったので、ネットワーク仕事チャレンジすることにした。

人生で初めてのフルタイムバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。

柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。

価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。

それから3ヶ月ほどは、毎日法人向けのNW開通をしていた。

薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。

ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。

毎日現地作業員電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。

障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。

ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。

ネットワークエンジニアになりたかった。

諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワーク仕事をやることになった。

今度は客先常駐仕事に出る前に第一陸上特殊無線技師資格を取った。

高校数学赤点だったので、選抜試験養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。

そのあと1時間半ほどかかる場所夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。

夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。

心が折れて、障害者雇用仕事を探し始めた。

大手IT企業の子会社で、採用仕事をした。面接はいずれIT仕事を回してくれると言っていたが、

一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。

障害者雇用契約社員として、またIT企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、

今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。

ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。

今の案件は年内で終了するらしい。

数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。

貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。

まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、

リモートから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。

私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと

自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。

から、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。

今の時代障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。

何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、

マイノリティ自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。

社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。

今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。

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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。

人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。

特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。

私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから

小中不登校高校大学中退でも、なんとか生きてるよ。

…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。

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追記

思ったより反響があって驚きました。

タイトル自分人生象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という

素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。

励ましの言葉アドバイス叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます

わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。

障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。

ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。

カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります

高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語IQ動作IQ結構な隔たりがありました。

当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。

一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。

今は人から障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。

慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦しか生きていけないと思います」という

大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に

自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。

大学でも発達障害中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので

これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります

自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。

人を観察して、絵文字顔文字ちゃんと使って明るく取っつきやすイメージを持ってもらえるよう修正し、

見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって

人格の中に融合されたのかな、と思う部分もあります

人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが

とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います

お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。

まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。

人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまものですが

そのように思う瞬間はあっても、絶対客観性を失わないようにしようと常に思っています

同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。

自分もまだまだこれから乗り越えなければならないことがたくさんあります

同じように大変な境遇の方の励ましになったらいいなと思います

anond:20241113160219

面倒なのでAIちゃんに回答書いて貰いました、何度もやってる話題なので省エネ

 

抽象思考を持たない人に差別がなぜいけないのかをわかりやす説明する文章作成してください

 

### なぜ差別はいけないのか? みんなでご飯を食べるイメージで考えてみよう

 

皆さんは、みんなでご飯を食べる時、好きなおかずだけをたくさん食べたいと思うかもしれません。でも、みんなが同じおかずばかり食べていたら、他の美味しいおかずは残ってしまうし、お腹を壊してしまう人も出てきてしまますよね。

 

社会も、みんながそれぞれ違う「おかず」を持っているレストランのようなものです。例えば、

 

みんなが持っている「おかず」は違いますが、どれも社会を豊かにする大切なものです。

 

差別とは、ある人の「おかず」だけをダメだと言ったり、その人が好きな「おかず」を食べてはいけないと言ったりすることです。

 

例えば、「Aさんのおかずは、Bさんのおかずより美味しくないから、Aさんの意見は聞かなくていい」と言ったり、「Cさんの持っているものは、Dさんの持っているものより価値がないから、Cさんは大切にしなくてもいい」と言ったりすることです。

 

 

どうして差別ダメなのか?

 

 

差別をなくすためには

差別をなくすためには、みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことが大切です。

 

 

 

### まとめ

差別は、社会全体にとって良くないことです。みんながそれぞれの「おかず」を大切にし、尊重し合うことで、より良い社会を作ることができます

 

大切なのは、みんなが違って当たり前、そしてみんなが大切だということです。

 

 

### ポイント

 

 

補足

 

 

 

一定の知能を有する人は、抽象的な概念理解し、その概念に基づいて思考する能力を備えています
例えば、「尊厳」という概念抽象的でありながら、人間社会生活を送る上で非常に重要です。
現代社会制度は、すべての人間が生まれながらに持っている尊厳尊重するという前提に基づいて構築されていることを、私たちは当たり前のこととして理解しています

抽象的な概念理解することができない人は、何らかの問題を抱えている可能性が高いですが、だからこそ、知的ものに過度な憧れを抱くケースがあります
そういう人物対象にして、差別はなぜいけないのか硬めで権威付けされた文章作成してください

 

差別尊厳の不可分性:抽象思考を前提にした社会原則

 

現代社会における倫理的基盤は、人間の「尊厳」という抽象概念に深く依存しています人間は単なる物理存在ではなく、意識自己認識を持つ存在であり、その尊厳は一人一人が内包する不可侵価値として社会基本的原則に組み込まれています。これを理解することは、知的思考能力を持つ者にとって、社会健全性を理解するための前提であり、個々人の行動基準形成する上で不可欠な要素です。

 

社会制度は、この「尊厳」を根底に置き、全ての人間平等に扱われるべきであるという思想に基づいて構築されています差別はこの尊厳無視し、ある人々を不当に劣位に置く行為であり、その結果として社会全体の秩序が崩れる可能性があることを意味します。人間社会において抽象概念理解できることは、単に知識的なスキルを示すものではなく、社会全体の運営に対する責任感を伴う倫理的能力を示しています

 

知的能力社会化の相関関係

抽象思考能力が高い者は、「尊厳」や「平等」などの社会概念理論的に理解できるため、差別的な行為を避けることが期待されます。これは、知的能力が高い者が社会的なルール規範認識し、それを遵守することで社会全体の安定が保たれるためです。知的成熟度が欠如している場合、その人物社会で適切に振る舞うための教育支援必要であることは言うまでもありません。しかしながら、知識を持つことだけでは必ずしも倫理的行動が保証されるわけではなく、知識をどのように活用するかが重要です。

 

知的ものへの過度な憧れがある人物が抱える問題の一つは、知識を「優越性」の証として捉える傾向です。このような人物は、知識学問を持つ者こそが社会的に価値があり、そうでない者は劣位にあるという誤った認識に陥りがちです。しかし、この考え方こそが差別的態度を助長し、結果的社会の公正性を損なう原因となることを理解しなければなりません。知識は単なる道具であり、それ自体に優劣はないことを認識することが重要です。

 

差別社会に及ぼす影響

差別が行われると、その影響は個々人にとどまらず、社会全体に波及します。差別を受けた側は自己価値を低く見積もるようになり、社会的な参加意欲を喪失することが多く、社会の一員としての積極的な貢献ができなくなります。これにより、社会生産性創造性は低下し、全体の発展が阻害されますさらに、差別を行う側も、その行為によって倫理的成熟を欠いた存在となり、最終的には社会的な信用を失うことになります

 

抽象思考に基づく社会判断ができる者にとって、差別を避けることは単に倫理的義務であるだけでなく、社会責任でもあります社会における公正と平等原則理解し、実践することが、より良い社会の構築に寄与することは明らかです。

 

 

結論

差別社会秩序と個人尊厳を損なう行為であり、その行為がもたらす不公平不利益社会全体の成長を妨げる結果を招きます知的ものへの憧れを持つこと自体問題はありませんが、その知識を用いる際に他者を不当に評価し、差別行為に結びつけることは決して許されません。知識を持つ者は、社会全体の調和を維持するために、その知識を適切に活用し、全ての人々の尊厳を守る責任を負っています

 

 

 

 

ーーー

関連増田https://anond.hatelabo.jp/20230122083219#

 

この2つはすごく共感できる

別にバカのやることに大した理由はない。ド詰めにして「真意」を吐かせたところで「ちゃんと働いてなくてけしからんから」とか、その程度のものしか出てこないだろう。

>むしろそういうことをしない者はなぜしないのか。

>同情心、共感能力があるから。それはそう。しかし「しない人」がみな生来優しい心の持ち主なわけではない。

ひとつ理由合理的判断だ。露見して罪に問われたら割に合わないから。

>もうひとつ理由抽象思考だ。どういう立場人間尊厳尊重すべきというフィクションに現行社会制度立脚しているのを理解しているから。

そもそも自分より下の階層があるのは安心できることだ、自分より下のものバカにできるのは嬉しいことだという前提でモノ言ってるが、私はその前提を共有していない。

 

共感できないと言うか単純に間違っているのはここかな

教育によって遍くすべてのバカにそうした思考を植え付けることは可能か。できるわけがない。

ここが YESなっちゃうようなら、ペット共生なんて出来ないし、人間限定しても道徳社会規範刑法も要らないんだなぁ

○○をしたら自分社会的に損をするってことを理解させることは可能だし、それが達成出来ればその人物社会化に成功したと言える

動物だって理解させることが出来るんだから人間理解できないわけないじゃない

これを理解させることがすべて保護者義務だし(なのでメンヘラ開き直りDQN保護者として不適格なことが多い)、

フツーに文部科学省もそういう子どもたちがいることをちゃん認識をしていて

特別支援必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ。発達障害の枠組みに入ってるよ

CU特性

共感性に乏しく、悪いことをしても罪の意識を感じない。非行ハイリスク

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~nagasawa/2019SEN.pdf

 

あと『知能が低い=共感性が低い』ではないし、『知能が高い=共感性が低くても"どういう立場人間尊厳尊重すべき"の建前を守ることができる』わけじゃない

アインシュタインがド畜生だったの有名な話(https://anond.hatelabo.jp/20200706223440#)だし、

福沢諭吉大学出身者で世間を賑わせるド畜生発言している人(https://anond.hatelabo.jp/20210911095702#)たくさんいますよね?

あとアカデミアの人間なのに自身バックグラウンドを明示した上で、140文字できゃっきゃやってる人らたくさんいるし、

それだけでも度し難いのに、単純に学術的に間違ったこと(少なくとも国内外学会同意が取れないこと)を言ってる人すらいますよね?

こういう人たちは一刀両断バカで良いと思いますけど、別に知能が低いわけじゃあ無いと思います

ただただひたすらにバカなだけで

 

 

社会にとって、下記の二つに該当する人物は脅威になり得ます

 

こういう人たちが増えないよう出来ることをしたいものですな

anond:20241113155339

他者を見下さないことが差別を生まないことに直結しているか

差別意識はわかりやすい『悪意』からではなく、むしろ無自覚な『習慣化された態度』からまれ

anond:20241113111549

ヤクバハイルって大昔からいなかったっけ?

いまは「暇空を賞賛して一緒にcolaboや堀口英利を叩くことで成り上がった時事系YouTuber」っていう他者認識なんだ

anond:20241112182240

真面目で堅実で石丸とつるまない人が好きなら共産党が一番合うはずなんだけど、反戦が駄目ならしょうがないですね……(反戦が駄目ってなに?)

たいへん気持ち悪いブクマ見かけたけど、奴らの自認では共産党って真面目なんだね

一番警察と衝突して、支持者から一番金を奪っていて、明らかに規模に合ってない不自然金持ち政党

他者罵詈雑言浴びせて暴れるのが趣味みたいな暴徒たちじゃん

anond:20241112174355

自分を「自由主義者」と考える人々が、非自由主義的な考えを持つ人を軽蔑することがあるが、その態度には少し文化的違和感を覚える。

自由主義とは、本来、寛容、対話、そして相互尊重を基盤にした価値観のはずではないだろうか?

しかし、異なる信念を持つ人を「無知」や「素朴」として、まるで自分の考えが絶対に正しいかのように裁くのは、不公平に感じる。

自分の信念が正しいと確信することは自由だが、他者をけなして自己肯定しようとするのは、自由主義本質的価値観から離れているように思う。

2024-11-12

anond:20241112181131

1. 結婚=「所有物扱い」の誤解

ブコメでは、結婚が「所有物扱いで他人性愛恋愛死ぬまで制限できる」と主張していますが、これは結婚制度に対する極端かつ誤解を招く見方です。

結婚という制度が、必ずしもパートナーを「所有する」ことを意味するわけではありません。

現代結婚は、信頼と愛情に基づくパートナーシップであり、どちらか一方が他方を「所有する」ような関係ではないのが一般的です。

結婚は、互いの自由独立尊重しつつ、共同で人生を歩むことを意味します。

もちろん、個々の関係にはさまざまな形があり、伝統的な結婚観に基づく価値観が強い場合もありますが、現代社会では、パートナーシップの形態やお互いの自由に対する理解重要です。

したがって、結婚が「他人性愛恋愛制限する」という描写は、現代結婚観には合わない一面的ものです。

2. 自由責任の不均衡

ブコメは「お互い好きでそうする分には素晴らしい」としていますが、この主張は結婚本質理解していない可能性があります

結婚においては、単なる「好き」だけでなく、相互責任コミットメント重要です。

結婚は、感情的自由だけでなく、相手尊重し、共に人生を歩む責任を伴うものです。

もし「好き」で結婚が成立するならば、結婚の持つ社会的責任や、互いに対する倫理的義務(信頼、尊重、忠実さなど)を無視していることになります

このような視点は、結婚における責任感や倫理的側面を軽視しており、現実関係においてはうまく機能しにくいものです。

3. 自由主義的立場一方的適用

ブコメ結婚を過度に自由主義的に捉えており、「死ぬまで制限できる」という側面を強調するあまり自由責任バランスを欠いています

結婚パートナーシップにおいては、個人自由はもちろん重要ですが、その自由相手との関係社会的責任に基づくものです。

自由主義の立場は、確かに個人自由選択尊重するものですが、これを無制限適用することで、パートナー間の責任義務、あるいは社会的な影響を軽視してしま危険があります

結婚には、互いに尊重し合い、支え合うという責任が伴い、これを無視した「自由のみに基づく結婚観」は、実際には安定した関係を築くうえで問題を生じさせることが多いです。

4. 結婚自由制限することではない

ブコメ結婚自由制限として捉えている部分がありますが、実際には結婚自体が「自由制限する」ものではありません。

結婚は、お互いに約束や信頼を基に成り立つ共同の営みであり、その中で互いに支え合う自由が大切にされるべきです。

結婚が「自由制限する」と捉えるのは、パートナーシップの意義を誤解していることになります

また、結婚をしているからといって、パートナーが他の人との性愛恋愛を一切できないわけではありません。

現代結婚では、カップルによってはオープン関係を築いている場合もあり、「制限」という概念が必ずしも適用されるわけではありません。

要は、結婚をどう捉えるか、どのようなルール関係を築いていくかが重要です。

5. 倫理的価値観無視する危険

ブコメは「結婚してイエに入れば所有物扱い」と述べることで、伝統的な価値観を非倫理的だと一括りにしていますが、このような極端な視点では、結婚人間関係における多様な価値観倫理的側面を無視することになります

結婚には、相互尊重、信頼、愛情責任必要であり、それらを軽視することは、関係における基盤を弱くする危険性を孕んでいます

たとえば、結婚が所有物のように扱われることを問題視するのは理解できますが、それをすべての結婚観に当てはめることは誤りです。

結婚における平等性やパートナー間の自由を重んじる考え方もありますが、これは所有という概念に基づくものではなく、あくまで信頼と協力に基づくものです。

結論

ブコメ結婚に対する自由主義的アプローチを強調しすぎて、結婚における責任倫理的な側面を軽視している点が問題です。

結婚自由でありながらも、互いに支え合う責任が伴うことを理解し、価値観文化に基づく多様な結婚観を尊重することが重要です。

自由重要であることは間違いありませんが、それを実現するためには、個人自由社会的責任とのバランスを取ることが必要です。




またブコメを書いた人の思考はいくつかの偏りが見受けられます。以下にその特徴を挙げてみます

1. 極端な自由主義的立場への偏り

ブコメ結婚を「自由制限するもの」として捉え、結婚批判しています。この視点は、自由主義的な立場を過度に強調し、結婚が持つ多様な意味責任パートナーシップとしての価値を軽視していると言えます結婚が「自由制限するもの」として描かれているため、結婚本質的な価値役割を過度に否定する偏りがあります

偏りの具体例:ブコメは「所有物扱いで他人性愛恋愛死ぬまで制限できる」という見解を示していますが、これは結婚制度実態を過度に単純化したものです。現代結婚においては、パートナーシップの自由独立を重視する考え方も多く存在しており、結婚一面的に「自由制限するもの」とだけ捉えるのは誤りです。

2. 結婚に対する過剰な批判

ブコメでは結婚をほぼ否定的に捉え、「所有物扱い」といった極端な表現を使っています結婚は「自由を奪うものであるという前提を置き、結婚における責任パートナーシップの価値を十分に評価していないように見えます

偏りの具体例:結婚における責任感や共同生活価値無視し、結婚を単に「所有」や「制限」の観点から批判している点は、過剰な批判視点に基づいています結婚は、信頼や尊重、協力の上で成り立っている場合も多く、その側面を無視して自由制限するものだと決めつけるのは偏った見方です。

3. 過度の一般

ブコメでは、結婚という制度がすべて「所有物扱い」や「自由制限するもの」だと一般化していますしかし、結婚制度文化的背景や価値観、個々のカップル関係によって非常に多様であり、その全体を一つの偏った視点評価するのは誤りです。

偏りの具体例:「結婚してイエに入れば所有物扱い」という表現は、伝統的な結婚観に基づく一部の事例を過度に一般化したものです。現代社会では、平等パートナーシップとして結婚を捉える考え方も多く、すべての結婚が「自由を奪うもの」だとは限りません。

4. 理想化された自由価値

ブコメは、自由を非常に強調し、「お互い好きでそうする分には素晴らしい」という視点を持っていますが、これは理想化された自由概念に偏っている可能性があります結婚においても恋愛においても、個人自由尊重することは重要ですが、それと同時にお互いの責任義務存在することを理解していないようです。

偏りの具体例:自由尊重重要ですが、それが互いの信頼や責任感を無視することと結びつくわけではありません。結婚には、相手尊重し、共に歩んでいく責任が伴いますブコメは、自由理想的なものとして描かれていますが、現実的には責任感やパートナーシップの価値も同じくらい重要です。

5. 道徳的相対主義の過度な適用

ブコメには、道徳価値観相対的であることを過度に適用する傾向があります結婚という制度自由を奪うものであると一概に否定することで、他者価値観文化的背景を考慮していないように見受けられます道徳倫理観文化社会において異なるため、その相対性無視するのは問題です。

偏りの具体例:結婚を「自由制限するもの」と一括りにして批判することは、個々の文化価値観尊重しない姿勢に見えます。実際には、結婚が持つ意味価値地域個人によって大きく異なりますが、その多様性無視して一つの視点固執するのは偏った考え方です。

結論

ブコメを書いた人は、結婚に対する過度に自由主義的な立場を取るあまり結婚責任相互の支え合いという側面を軽視し、理想化された自由概念に過度に依存しているように見えます。また、結婚という制度に対する批判が過剰に一般化されており、その多様性や実際のパートナーシップにおける倫理的価値を十分に考慮していない点が、思考の偏りとして挙げられます

リベラルセルフアイデンティファイする人たちが、ノンリベラルインディビジュアルバカにすることがあるけど、そのアティチュードにはちょっとカルチャーショックを受ける。

リベラルって、本来トレランスエンゲージメント、そしてミューチュアルリスペクトを基盤にしたバリューセットじゃないのか?

でも、オルタナティブビリーフを持つ人を「イグノラント」とか「ナイーブ」とか言って、まるでセルフアサートがアブソリュートに正しいみたいにジャッジしてくるのは、どうもアンフェアに感じる。

セルフビリーフが正しいとコンビクションするのはフリーダムだけど、他者ディスることでセルフバリデーションを図るのは、リベラルのコアバリューとディスコネクトしている気がするんだよな。

タイトル不適切でした、申し訳ないです

追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。

どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。

男女問わず思春期空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?

ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。

フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。

十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたか偏見です、これについてもごめんなさい。

ファンタジー小説自分に都合がいいファンタジー空想って言葉もいい加減に使ってた。

ー以下追記前ー

ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。

なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。

「月の影 影の海」

例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。

で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚トップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。

なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。

異世界他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいか他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るとき男装を好むし、この世界女性妊娠出産をしない。

「風の万里 黎明の空」

他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国女王下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。

一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界仙人奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。

これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。

鈴は、自分けが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。

このあたり、小野不由美が読者層の中高生説教かましている側面も感じる。

そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。

(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢もの起源の一つなんじゃないか?)

つまるところ、十二国記シリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説政治小説っぽくなって、中高年の男性ウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやか幻想とたもとを分かったせいか少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。

はてしない物語

似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界ダメ自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。

これってまさにやっていることが同じで、小野不由美少女小説フォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデファンタジー形式を使いながら現実逃避するポルノファンタジー批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。

私はポルノファンタジーダメだとは思わない。エッチものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。

でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手気持ちいいところが全部わかって、自分気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。

あいうイチャラブエロ漫画インスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美十二国記外伝魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。

つまるところ、自分で欲しいもの能動的につかまなきゃダメなんだよな。

なんてことを日曜日ファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。

おまけ

ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リースサルガッソーの広い海」や批評ジェイン・エア幸せになれるか? 名作小説さらなる謎」も面白いよ。

おまけ2

陽子異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理象徴じゃないか冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。

鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失男子割礼・成人の儀礼意味していると読めなくもない。

ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。

こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。

以上だ! いつか男性向けハーレムもの女子向けの後宮もの差異について書きたいぜ!

→ 追記! 昔書いたやつ

https://anond.hatelabo.jp/20200609075504

生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです

読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジーアンチ童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。

2024-11-11

anond:20241111140818

子供に関してだけどね。

ちょっと遺伝について思う所があったので、参考になれば。

自分発達障害持ちで服薬もしてるASD傾向もありのADHD子供に診断がおりたのがキッカケで判明。

自分も診断がおりてから、色々調べて成程自分が感じていた世間との乖離はこの脳機能の偏り由来だったのかと色々納得できた。

そして自分を許す様に努力した。

長年かけて育ててしまった自己肯定感の低さと闘い、自分他者との違いを「違い」として受け入れ、違いから起きてしまトラブルの起因とその対処法に注力するようになった。

診断される前は「どうして私はこうなんだ。死にたい」と考えてばかりだったけど、その負の袋小路から抜け出せた。

そして、自然とそのフィードバックは同じ様に人生障害にぶつかっている子供と共有する事になっていたよ。

この間、子供に言われたんだ。

「母ちゃん自分感覚が似ているから、母ちゃんに悩みを話していると納得するし、自分のなかを整理するのに役立つよ」ってさ。

ほんと嬉しかったよ。

大切な子の理解者でいられた事も、彼の力になってあげられている事も。

障害の原因も対処法もよく研究されていて、躓く場所が予想でき、共有されているから、よしんば遺伝してしまったとしても対処可能である事を、一例として知っていて欲しいなって思ったから書いた。

自分の生も、子供の生も、肯定してやってくれ。そんだけ。

社会正義コスプレは、労働者階級を押しのける新たなエリート手段

https://www.theguardian.com/commentisfree/2024/nov/10/cosplaying-social-justice-is-the-new-elitist-way-of-elbowing-out-the-working-class

2016年にムサ・アル・ガルビがニューヨークに初めて来たとき、彼が最も気づいたのは「人種化されたカースト制度」の存在でした。その制度のもとでは、「使い捨て召使い」が「あなたの家を掃除し、あなたの子供の世話をし、あなたの犬を散歩させ、調理済みの食事配達する」のです。

この「使い捨て召使い」は、その仕事に対して「わずかな報酬しか得られず」、ほとんどが黒人ヒスパニック構成されており、サービスを受ける側はほぼ白人ばかりでした。しかし、誰もこのことに言及せず、「これが普通社会のあり方だ」と考えられていました。

アル・ガルビが描写しているのは、超富裕層の集まるアッパーイーストサイドや、億万長者たちのたまりであるスカーズデールではありません。彼が在籍していたのはコロンビア大学であり、「人種カースト制度」で利益を得ていたのは同級生たちでした。その多くは社会正義について声高に語っていましたが、自分たち生活を支えている社会階層の底辺の人々のニーズにはほとんど無関心でした。

4年後、同じ学生たちの多くがBlack Lives Matterの抗議に参加しました。アル・ガルビは、彼らがニューヨークアッパーウェスト・サイドのブロードウェイで、同じ場所を共有している「靴も持っていないホームレス黒人男性たち」に気づかないままデモをしているのを見ました。抗議者たちは「Black Lives Matter」と主張しながら、ホームレスの人々が使っていたベンチを占拠していて、どうやら目の前の「黒人男性たち」には関心がないようでした。

このように、社会正義を求めて活動するリベラル学生たちの信念と、周囲にある現実不正義への無関心を示す行動との間にある絶え間ない不一致により、アル・ガルビはその矛盾理解するために本を書くことを決意しました。『We Have Never Been Woke』はアメリカ出版されたばかりで、間もなくイギリスでも出版される予定です。アメリカ選挙の背景を理解するための有用な出発点の一つとして、この本が挙げられます。なぜなら、選挙物語は、アル・ガルビが感じた不一致に気づく人々と、それに気づかないか、気づこうとしない人々の分裂という観点からも見ることができるからです。

コロンビア大学活動家たちが周囲の目に見える不正義を無視している中で、なぜ彼らは社会正義言葉採用したのでしょうか?言い換えれば、現実不正義や不平等無視される世界で、その言葉はどのような役割果たしているのでしょうか?これらは、学生時代のアル・ガルビが悩んだ疑問であり、その本の核心をなしています

彼の答えは、社会正義言葉、すなわち「ウォークネス」は、実際には社会正義目的としたものではなく、むしろ特権階段上り続けたいが、自分たちエリートであるとは見られたくないエリート層を結びつけるイデオロギー的な接着剤役割果たしているというものです。

ウォーク」という言葉自体は、あまり有用言葉ではなく、分析よりも軽蔑意味で使われることが多いものです。アル・ガルビはこの点を認識しており、侮辱として使われることを避け、定義することさえ拒んでいます。彼にとって重要なのは、この概念が実際に支持者や批判者によってどのように利用されるかです。

アル・ガルビは、「象徴資本家」の闘争こそがウォークネス理解する鍵だと主張しています。「象徴資本家」とは、シンボルレトリックイメージナラティブデータ分析アイデア抽象概念を扱う専門家、つまり作家学者芸術家弁護士美術館キュレーター技術専門家を指します。この社会階層は、エリートの中で自身地位を固め、すでにそこにいる他者を押しのけるために、社会正義言葉を利用して地位と「文化資本」を蓄積しようとしています。彼らの闘争は、貧しい人々や弱者のためにエリートと戦っているように見せかけながら、実際にはエリートの内部での闘争なのです。

これは単なる皮肉偽善ではないとアル・ガルビは主張しています象徴資本家たちは、自分たち社会役割についての神話を構築し、それによって不平等不正義を助長しながらも、公正や平等を信じていると本気で思い込んでいます。この神話は多くの社会機関権力者によって受け入れられています。その結果、社会正義言葉は「不平等正当化し、覆い隠す」ことに役立ち、エリート層がそのエリートとしての地位を強化し続けるのを可能にし、それはしばしば本当に脆弱で、疎外され、貧困に苦しむ人々の犠牲の上に成り立っているのです。

この議論の多くの側面は、例えば文化理論家のキャサリン・リウや哲学者オルフェミ・タイウォによって以前から表現されてきました。リウは、プロフェッショナルマネジャー階級が自らの自尊心を高めるため、そして「普通労働者階級の人々に対する揺るぎない優越感」を正当化するために、「美徳を貯め込んでいる」と主張しています。また、タイウォは『Elite Capture』の中で、異なる視点からではありますが、エリートが急進的な政治自分たち目的のために取り込んでいると述べています

これらの作品現代政治不条理理解するのに重要です。例えば、アメリカ民主党(および多くのヨーロッパ社会民主主義政党)が次第に富裕層高学歴者のクラブと化している理由、そして多くの労働者階級有権者がそれらを見限るようになった理由説明しています。また、象徴的な表現言葉の取り締まりには熱中しつつ、現実物質的な不平等には関心を持たない私たち文化の執着も浮き彫りにしています

しかし、これらの議論には、注意しなければならない落とし穴存在します。社会正義活動家が物質改善のための闘争放棄し、文化エンパワーメントを目指すようになったのと同様に、多くの批評家もまた、新たな「文化エリート」を主要な問題とみなし、私たち社会における真の物質的な権力の根源を無視するようになっているのです。

今日社会活動の質が低下した背景には、歴史的な変化があることを見失う危険もあります。アル・ガルビは、現代の「ウォーク政治の盛り上がりは、一連の「覚醒」の最新の段階に過ぎないと主張しています。これらの「覚醒」は、1930年代学生たちが共産党や他の急進的組織を支持したことからまりました。

しかし、それでは変化の現実を見逃してしまます。例えばアメリカ共産党は、1930年代アメリカにおいて、彼らは反人種差別運動労働者権利擁護重要役割を果たし、他の急進派、社会主義者、労働組合員、黒人活動家と共に、戦後公民権運動の基盤を築く助けとなりました。

特にジム・クロウ法が支配する南部アメリカでは、彼らはシェアロッパーや製粉工場労働者ホームレス失業者組織化を支援しました。これらの活動家たちは、ブロードウェイで抗議していた人々のようにコスプレをしていたわけではありませんでした。彼らは自警団によるテロ警察暴力に直面し、命を落とした者もいれば、多くが投獄されました。しかし、彼らは人種を超えた階級連帯可能性を示したのです。

こうした連帯運動崩壊したことが、社会正義運動の質の低下と労働者階級利益放棄を招いたのです。そのことを理解することは、「象徴資本家」の役割理解するのと同じくらい重要であり、変革のための運動を再構築するためには不可欠です。

anond:20241110190316

わかる

自由度の高いゲームって他者と比べてしまって、自分の発想力のなさが悲しくなるよね

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