はてなキーワード: パークアンドライドとは
横だけどいわゆるパークアンドライドしてるってことじゃないの?
そうかあ。都会の人は知らないのか。
多くのバス停までは普通、登山道が整備されて、普通にそこまで登山するんだよ。
楽しいよ?この楽しみを知らないとは人生の1/10×10^-24ぐらい損してるわ。
これから憂鬱な出張が待っているとしても、そうやって登山している間に気持ちも晴れやかに開き直れるという高速道路会社の心遣いよ。
だから山の中で不便としか言いようが無い所にバス停が設定されていてもそれは嫌がらせじゃ無いんだよ。わかるか?
バス停には電話ボックスをでかくしたみたいな待合所があるだろ? あの天井にはシャワーが付いてて、登山でよい汗をかいたらシャワー浴びれるようになってんの。
死んだ目をしてこれからお客に謝罪に行く、そのために乗りたくも無いバスに乗って、揺れる車内でDELLのクソダサPCを開いて車酔いで頭をやられながら必死で報告書作っているリーマンと、これからTDLに遊びに行こうとワクワク期待を膨らませて、テンションめっちゃ上がってちょっと声がミッキーっぽくなってるねえちゃんとか一緒に乗るんだぜ?
そんなのを一緒の車内に乗せたら反物質のごとく爆発的反応を起こして、終点に付く頃には時空のねじれが発生して、リーマンが耳付きカチューシャを付けて客先に謝罪に行くようなことになり大変なことになってるよ。
もし登山道がなかったら大変なことになる。
登山道があるから、登っているうちに、リーマンは「もう、どうにでもな~~~あれ☆」って気分になって車内で素直に寝てける気になるし、TDLに向かうねえちゃんたちも、そんなリーマンと登山道のマナーとして挨拶をしているうちに、ちょっと静かにしてよっか、って気になるのでなんとか人類は今日も無事ですんでるんだ。
パークアンドライドができる駐車場が整備されていて、大抵は自治体か、地元のバス会社が管理してる。タイムズがあるところもあったな。
一日500円ぐらい、バスを利用するとそのうち一定期間が無料になるようなサービスをやってるところもあるみたい。
乗降客が多い登山道の入り口には、昔はタクシー会社直通の電話機があったりしたけど、最近は看板があるだけのところが多いかな。呼べば来てくれる。
昼頃書いたが流れたのでトラバで再掲
「11/8(木)京都市の横暴な自転車撤去・10の問題点」― https://note.mu/jss/n/na102e3abebcf
上の記事に批判的なブコメが集まっている。トップブコメの内容はこうだ。
"id:sakuya_little 好きな場所に好きなだけ停めさせてくれなきゃヤダヤダ!駐輪場も無料にしてくれなきゃヤダヤダ!というアホ"
京都市というのは幅広い面を持つ市である。二寧坂や四条河原町といった観光地や歩道の輸送力が逼迫している場所であれば、即時自転車撤去というのはやはり理に適っているだろう。しかし四条河原町で言えば、阪急のターミナル駅が存在する交通の要所であるのに、駐輪場は先斗町駐輪場・七之舟入駐輪場ぐらいしかなく、昼間はほぼ必ず満車である。大規模地下駐輪場を整備せず、自転車撤去政策を推し進めるのはやはり横暴と言えるのではないだろうか?
さらに言えば、地下鉄東西線の東山駅は、地下鉄駅があるにも関わらず、自転車駐輪場が存在しない。そして当然のように自転車撤去強化区域に指定されている。どうしろというのか?市内の慢性的な交通渋滞を減らすためには自転車の活用しか短期的に打てる政策がないという状況で、この有様である。パークアンドライドのパークがなければライドもできない。地下駐輪場の整備は急務かつ義務であろう。
そして本題である。こうした圧倒的に駐輪場が不足している状況で、百万遍以北のような歩道の大きさに余裕があり観光地としてあまり見られていない場所では、市内の自転車撤去を少し緩やかにして、例えば店に入るときに店頭に20分程度自転車を駐輪し、買い物が済めばそのまま乗り去る、という自転車の使い方が出来た方が、自転車が交通の妨げとなって迷惑を掛けられるデメリットよりも、利便性によるメリットが大きいのではないか?さらに言えば、買い物を自家用車でなく自転車で行うことで、交通渋滞を減らし、結局は道路容量の有効活用に繋がるのではないか?
方法は簡単である。駐輪撤去の巡回で、自転車にシールを張って、シールが貼られた自転車は撤去すれば良い。無秩序な駐輪を減らしたければ、京大内にあるような自転車ラックを歩道内に整備し、ラックから外れた自転車は撤去でも問題なかろう。こうしたビジョンを基に、元記事の著者は「駐輪場の無料化」ということを主張したのではないだろうか?
まあここまで書いて、この記事に付く反応は予想できるのだ。自転車が歩道にあるとやはり迷惑であると。家の前に駐輪されて我慢できるのかと。私は全く気にならないのである。歩道なんてすれ違える程度に道幅が確保されていればそれでいいじゃないかと感じてしまうのである。そこは価値観の違いなのだろう。私は、程度にもよるが、駐輪による迷惑よりも、自転車の利便性による快適さを取りたいと思ってしまうのである。
「11/8(木)京都市の横暴な自転車撤去・10の問題点」― https://note.mu/jss/n/na102e3abebcf
上の記事に批判的なブコメが集まっている。トップブコメの内容はこうだ。
"id:sakuya_little 好きな場所に好きなだけ停めさせてくれなきゃヤダヤダ!駐輪場も無料にしてくれなきゃヤダヤダ!というアホ"
京都市というのは幅広い面を持つ市である。二寧坂や四条河原町といった観光地や歩道の輸送力が逼迫している場所であれば、即時自転車撤去というのはやはり理に適っているだろう。しかし四条河原町で言えば、阪急のターミナル駅が存在する交通の要所であるのに、駐輪場は木屋町駐輪場・七之舟入駐輪場ぐらいしかなく、昼間はほぼ必ず満車である。大規模地下駐輪場を整備せず、自転車撤去政策を推し進めるのはやはり横暴と言えるのではないだろうか?
さらに言えば、地下鉄東西線の東山駅は、地下鉄駅があるにも関わらず、自転車駐輪場が存在しない。そして当然のように自転車撤去強化区域に指定されている。どうしろというのか?市内の慢性的な交通渋滞を減らすためには自転車の活用しか短期的に打てる政策がないという状況で、この有様である。パークアンドライドのパークがなければライドもできない。地下駐輪場の整備は急務かつ義務であろう。
そして本題である。こうした圧倒的に駐輪場が不足している状況で、百万遍以北のような歩道の大きさに余裕があり観光地としてあまり見られていない場所では、市内の自転車撤去を少し緩やかにして、例えば店に入るときに店頭に20分程度自転車を駐輪し、買い物が済めばそのまま乗り去る、という自転車の使い方が出来た方が、自転車が交通の妨げとなって迷惑を掛けられるデメリットよりも、利便性によるメリットが大きいのではないか?さらに言えば、買い物を自家用車でなく自転車で行うことで、交通渋滞を減らし、結局は道路容量の有効活用に繋がるのではないか?
方法は簡単である。駐輪撤去の巡回で、自転車にシールを張って、シールが貼られた自転車は撤去すれば良い。無秩序な駐輪を減らしたければ、京大内にあるような自転車ラックを歩道内に整備し、ラックから外れた自転車は撤去でも問題なかろう。こうしたビジョンを基に、元記事の著者は「駐輪場の無料化」ということを主張したのではないだろうか?
まあここまで書いて、この記事に付く反応は予想できるのだ。自転車が歩道にあるとやはり迷惑であると。家の前に駐輪されて我慢できるのかと。私は全く気にならないのである。歩道なんてすれ違える程度に道幅が確保されていればそれでいいじゃないかと感じてしまうのである。そこは価値観の違いなのだろう。私は、程度にもよるが、駐輪による迷惑よりも、自転車の利便性による快適さを取りたいと思ってしまうのである。
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。
中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。
京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。
アホだと思いますか?そうアホなんです!
本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。
京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。
金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。
にもかかわらず交通局は対策をほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。
その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。
京都観光をしたことのある人ならあの不快極まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。
運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?
いくら積み重ねたところで根拠とするには弱すぎるものをあげつらいすぎ。
元トピ職人の釣り解説 • [コラム]釣り分析"「歌い手」だった私にかけられた魔法が解けた
http://topisyu.tumblr.com/post/48442003797
ということらしいが、体験記は私小説みたいなもんなんだから小説言葉を使ってもおかしくないはずだ。この人の理屈だと2chの創作文化に影響を受けた文体で本当のことを書いたとしても創作認定されてしまうことになる。小説っぽい文体の人なんていくらでもいると思うんだが。そもそも「血の気が引いた」や「私の子供でもおかしくないぐらい」なんていう普通の強調表現を小説表現と断ずるところも納得出来ない。
元トピ職人の釣り解説 • [コラム]Facebookで大人気"バスの中で言葉の暴力を喰らった"の釣り解説
http://topisyu.tumblr.com/post/45845841112/facebook
なお、”ムカついたらしく”という相手の感情を表現しているのは、その後の言葉の暴力からすればその人に不快感があったのは明らかに分かるわけで、事実ならばあえて書く必要はありません。小説のように状況を説明する必要がある創作物で見られる、相手の心象を読者に理解させるための表現です。
ここでもまた小説論法だが、この程度の冗語は普通の表現であって釣りか事実かと関係があるようには思えない。
もはや言いがかりにしか思えない。釣りの証拠として何の足しにもならない。よっぽど砕けた口語じゃない限りいくらでも小説表現認定されそうだ。
この記事では、「フェイクによって釣りと同じような矛盾が出てくるのでフェイクと釣りの判別は慣れていないと難しい」という旨のことが書かれているが、自分が釣りだと認定した読み物についてはちょっとした矛盾も突付いて印象操作するので中々のダブルスタンダードだ。
ミシュランの星がついたレストランで同棲中で婚約中の彼女と食事をした
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131015001328
これはとぴしゅじゃないけど、ちょっと前話題になったこの記事には、ただのパークアンドライドかも知れないのに「電車で運転?釣り?」みたいな反応をしてる人がブコメ・増田共にいる。この人たちはとぴしゅよりも杜撰。