はてなキーワード: 信濃川とは
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
蕨変電所の火災でJR線が止まってる問題だが、これは直ぐには復旧できない。恐らく世の人が思っている以上に大きな事故なんである。
何故なら蕨変電所は普通の変電所と違ってハブになる変電所なので東京の1/3の路線に送電できなくなるからなのだ。
その影響は過去の事例から見て不通の解消に1日程度、つまり明日の朝は東京北部のJR線は走らないと考える。
そしてダイヤの大幅な乱れや並行私鉄線の殺人的な混雑は1週間程度続くと思われる。
まず、送電というのは発電所--変電所--変電所--変圧器(電柱の上)--家 となってるのだが、鉄道の場合はちょっと違う。電車が直流で走るからだ(関東以西)。
電力会社の変電所--鉄道会社の直流変電所(ここで交流→直流化する)--架線
国鉄はコストダウンの為に大需要地である東京での電力の自家調達に努めた。因みに見る角度で本数が変わる「千住のお化け煙突」っていうのは千住の国鉄石炭火力発電所の事だったのよ。
それが
・川崎火力発電所(火力/ガスタービン式、燃料はパイプライン供給の天然ガス/鶴見線扇町駅近く)
・信濃川発電所--武蔵境交流発電所(中央線武蔵境駅近くで見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線
・川崎火力発電所--鶴見交流変電所(湘南新宿ラインで東海道線から分かれて直ぐに見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線
となっている。そしてもう一つが今回問題の蕨で
・東京電力(パワーグリッド)鳩ケ谷変電所(岩槻街道沿いの超巨大変電所)--JR蕨交流変電所(蕨-西川口間にあるが少し線路からは離れている)--沢山の直流発電所--架線
となっている。
そして各系統間で電力を融通する為の「連系線」というのが、蕨--武蔵境--鶴見と各交流変電所間にあるんである。蕨交流変電所の隣を電車で通ると「JR蕨」って書いた鉄塔が見えるが、あれが蕨--武蔵境の連系線の鉄塔だ。(東電鳩ケ谷-JR蕨間は地下ケーブル)
因みに福一原発事故で外部交流電源途絶といった時の外部電源はこの連系線の事だよ。
ここで重要なのは、電気は各系統のを混ぜて使うって事は出来ない。
何故なら発電所は交流で位相(+と-が入れ替わる周期)が合っていない。それを「混ぜ」ようとすると打ち消しあって電力が減るし、それ以前にショートと同じだから送電線が爆発する。
だから連系線の電気を使う時は交流変電所から直流変電所への系統ごと切り替えるんだな。
こういう訳なので、架線も直流変電所ごとに区切ってある。その区切りが「エアセクション」ってやつ(架線が変電所系統ごとに平行に張ってある)。よく「エアセクションで電車が止まって立往生」になるのはこういう訳で、変電所毎の区切りをゆっくり進んでしまうとパンタグラフで各系統をショートさせた形になるから過熱して溶けたり燃えたり爆発する訳だ。
ここまで読んでもらったら、蕨交流変電所の復旧が2ステージに分かれる事が判るだろう。
過去に新宿直流変電所が爆発してとんでもない混乱が発生したことがある。山手線が中央線と合流する直前にその間に挟まるように白青の変電所が見えるが、あれが新宿直流変電所。事故以前は小さくてぼろっちい建屋だった。
1994年12月11日は冬の嵐で、多摩地区などでは雷が発生して交通網が混乱していた。そんな中、新宿変電所が漏電により出火。消防隊が臨場したが電気火災なので水を掛ける事ができない。そこでJR社員が遮断しようとしたがもう破壊され尽くしていて不可能。
すると上流の武蔵境交流変電所で遮断するしかありませんな。変電所火災は放っておくと変電器などが破裂して中の絶縁油に引火して大火災になっていきます。
ハブになっている武蔵境で遮断したら当然、東京中の路線も駅も停電して大混乱ですわ。因みにJRの場合は新宿にあるJR病院や本社ビルまで停電しちゃうのな。
それでやっと消火したけど新宿変電所は20万Vで溶接機振り回したような状態で建屋も完全破壊。復旧不可能ですわ。
仕方ないので新宿変電所を切り離す工事をして仮復旧。これで武蔵境から他の変電所に送電できるようになった。これに一日掛かってる。でも電力が足りないので相当な間引き運転で、振替先の私鉄地下鉄各線殺人ラッシュに。
次に新宿が受電してた送電線を他の変電所につなげる分散工事をして復旧。これで普通の運転間隔に戻せた。これが1週間。
話の脱線なんだが、新宿変電所を立て直す際にJRは送電の容量アップ、冗長化を進めたのね。それはインフラ企業として正しい事。
でも冗長性は普段は遊びになっちゃう。そして蕨からの送電は東電への電力料金が発生する。鶴見の発電は天然ガス代の支払いが発生する。信濃川はタダだ。連系系フルに活用できるだけのインフラも増強した。但し取水制限がある…。
という訳で「冗長化した設備の有効活用」が動機になってああいう不正をするようになっちゃったって面があるのよね。
新宿発電所の事故はこんだけ大変だったのだが、新宿はスター型結線の末端(少しハブの機能もあった)。
それに引き換え、蕨は大本のハブなのだ。今回の自体の深刻さが判って頂けただろうか?
望みは連系線フル活用できるように冗長構成がされていて信濃川でインチキしていた頃の取水をすれば被害を減縮出来そうってところ。
明日あたりに国に「蕨壊れちゃった…」と言って取水量大幅アップの許可取るのでは?それと川崎火力のタービン全開にしたら運転間隔半分までにはしないで済むかもしれない。
増田の家は東京北部なんだけど、昼過ぎに2度瞬停があって一瞬暗くなり、デスクトップパソコンは落ちなかったが電子制御の扇風機は動作不安定になった。
今考えるとあれが蕨での事故の瞬間と東電鳩ケ谷の遮断の瞬間だったのかなと。
蕨交流変電所の役目知らない人は「何時復旧するの」とイライラするが、知ってたら諦めた方が良いと判るね。
それでも会社に行かねばならない人は線路脇の送電装置類を眺めてその機能を調べて時間を潰したらどうだろう?電車撮ってる鉄オタは白い目で見られるけど、送電系が気になる銅オタは白眼視されないのでおススメです。
「津」は古くは港を意味する言葉で、代表的な例としては三重県の県庁所在地がそのものずばり、「津」だ。
増田君があげた例のほかに今津なんて地名も思いつくけど、気になって調べてみたら新潟県新潟市に古津、新津、金津という地名が隣り合ってるのをおじさんみつけちゃった。
新潟市は信濃川河口の湿地帯を干拓した土地だとブラタモリでやっていたけど、古津、新津、金津は信濃川流域にせり出した山のふもとにある。
このあたりには東島という地名も残っているから、ひょっとしたら回り一面海で、ここに新潟港のもとになる港があったのかもしれないね。
でも。滋賀県草津市は琵琶湖のほとりにあるけれど群馬県の草津町は山の中だって?
そう、実は群馬県草津町の「津」は港の意味ではなく、当て字なんだ。
硫黄臭の強い草津温泉を表した「くさみず」「くそうづ」より室町のころに「草津」と表記されるようになったってwikipediaに書いてあったよ
東北新幹線が最高時速320キロ運転の新型車両が大部分を占めているのに対して、上越新幹線は最高時速240キロのまま放置されている。
しかも上越新幹線に投入されるのは、東北新幹線から転出したお古車両ばかり。
東北新幹線は北海道新幹線と一体化して運行している最重要路線なので、まあ東北よりも軽く扱われるのは受け入れられる。
だが、ようやく上越新幹線にも新型車両が投入されたかと思ったら、後述するように水没した北陸新幹線のために横取りされた。
上越新幹線の沿線には田中角栄という大物政治家がいたことは事実であり、確かに上越新幹線の建設経緯にそのような話があったことは事実であろう。
東北新幹線や北陸新幹線の沿線にも首相経験者(森喜朗や鈴木善幸)がいるのに、上越新幹線だけが悪者扱いされる。
上越新幹線が、東北・北陸と比べて国土軸を考える上で重要度は変わらないはずなのにおかしい。
2015年3月、北陸新幹線の長野~金沢間が開業した。それまで北陸新幹線(長野新幹線)は上越新幹線の支線のような扱いだったものが、立場が逆転して上越新幹線が支線扱いとなってしまった。
北陸新幹線の金沢開業に合わせて、上越新幹線はダイヤをばっさりと削り取られた。
昼間の時間帯の越後湯沢行きのたにがわは大幅に削減されたりした(新潟行きのときは特に変わらなかったけど)。
詳しく見てみると、2015年3月のダイヤ改正で上越新幹線は東京-新潟間の速達タイプのときが27往復から26往復に、東京-越後湯沢間のたにがわは16往復が9往復に減便された。
そして今年10月に日本を襲った台風19号によって、千曲川が決壊して北陸新幹線の長野車両センターが水没した問題である。
批判を恐れずに言わせてもらえば、長岡市民や新潟市民にとっては長野盆地が洪水になろうが何の関係も無い話である(千曲川が中流域で決壊したことによって、下流・信濃川の長岡・燕・新潟が助かったという問題は置いておく)。
しかしJR東日本は上越新幹線用に新造中のE7系5編成と予備車両1編成を北陸新幹線に転用させる考えを示したのだ。
ようやく上越新幹線でも最高時速260キロ運転が始まるかと沿線自治体は期待していた矢先に、北陸新幹線に「横取り」されたのだ。
これは長岡市民や三条市民、新潟市民は怒っていい問題なのではないか。
新潟・長岡よりも、富山や石川の方が重要だと、面と向かって言われたことに等しいではないか。
たとえば、お湯を沸すには、ガスのエネルギーが必要で、水がお湯になるとガスが燃焼して熱に変わりガスはなくなる。
なべを伝わって熱は水に移っていき、お湯になる。残念ながら、なべはガスが燃焼した熱をすべて、水に伝えることができないため、熱はロスして、空気中へ消えてしまう。
もともと持っていたエネルギーよりも増えることはない。
ガソリンエンジンの場合、シリンダーの中でガソリンを爆発させて、爆発したときにピストンが動くようになっている。ガソリンの爆発でピストンが動く動きは、あまり効率がよくないらしく、ガソリンが持つ熱量の9割くらいは、熱となって車を動かす力にはならないらしい。
無駄が大きいので、バッテリーを積載して、回生モーターでエネルギーを回収しても燃費向上の効果があるらしい。
バッテリーを作るためのエネルギーや重いバッテリーを積載することによる無駄はあまり議論の対象にならない。
位置エネルギーを電気に変える水力発電では、山の上に降った雨を山の下に置いた発電機で電気に変える。
自然が勝手に山の上に運んでくれるのであれば、エネルギーは無限大に見える。
浄水場の送水口に発電機を置いて発電というニュースを見て、目を疑った。
浄水場のポンプで押し出した水のエネルギーを発電で回収したら、送水に余分な電気代がかかるのではないか。
もしかするとそんなことは杞憂なくらい優秀な方々が考えたことなんだろうから、きっとそのような初歩的な矛盾はとっくの昔に解決されているのであろう。
エネルギー保存の法則を越える大発見に思えるがそんな大ニュースが世界を席巻したことは聞いたことがない。
最近聞いたある大学教授の主張だと、天然の鉱山から産出するウランを使う原子力発電も自然エネルギーに分類されるのだそうだ。
この意見には、思わず合点した。石油も石炭も自然から採れるものだから自然エネルギー!とってもエコです。
水力発電用に川から水を分流したら、東京のJRの発電源の信濃川の十日町付近のように水は枯れてしまうし、自然のエネルギーの流れを変えてしまえば、必ず影響が出る。
風力発電をすれば、発電機が弱めた風のエネルギーの分だけ、風は弱まる。風下で風が弱まれば、生態系に影響がでるのだろう。
発電やエネルギーの話題が出たら、エネルギー保存の法則を思い出してほしいと思ったお話でした。
八千八川を集め来て
日本海に注ぐなる
流れも清き信濃川
果てしも見えず末長し
三々五々の村里は
空のいずこに続くらん
左右の岡のたたずまい
絵にも写して見まほしや
春は霞に山桜
秋は錦に竜田姫
もみずる中のこの里は
誰が織りなせるあやならん
げにも瑞穂の名にはじず
岡に続ける桑畑は
幾重のきぬに変わるらむ
家毎に響く筬の音
軒端にめぐる水車
織りなす糸の細くとも
如何にみ国を富ますらむ
原泉混々怠らず
科にみち進むは水の性
洋々滔々果てしなく
行くこそ人の鑑なれ
あわれ瑞穂のうまし国
中魚沼のその中の
ながめも広きこの里に
我等は生まれあいにけり
いざやもろ共いそしみて
八千八川の水のごと
治まるみ代の末長く
み国のために尽くさなん
http://www.tokamachishikankou.jp/modules/content02/index.php?content_id=12
最初に言いたいことは、これだけの雨が降ったにもかかわらず、これまでの治水の成果が出ていると思ったの。
NHKのヘリの中継で新潟の洪水の様子を目の当たりにした人も多いと思うが、アナウンサーの人と河川事務所の人の会話が咬み合っていなかったので、少し補足しておきたいんだよね。
100年に一度、200年に一度とだんだんと洪水の想定規模がおおきくなっていって、今は、3階建の建物くらいの高さがある。堤防の上の道路を走っていると2階建ての家の屋根よりも高いところを走る。
堤防の内側は、河川敷だ。堤防の内側の農地は、「何でそこに農地があるの」ってことになるのかもしれない。河川事務所の人も答えにくい質問だ。ちょっとおじさんがかわいそうだった。
低いところに駐車場をもっている人は、緊急時には、あらかじめ高いところ車を避難させるよね。よく水が上がる地域の人は何とかなる場所を知っています。
普段、河道となっている部分にしか橋がかかっていない橋が幾つかある。残念ながら、橋をかけたときに予算が足りなくて、堤防から堤防まで橋がかけられなかったところだ。この手の橋を渡るには、3階建ての高さの堤防を登って、一度、河川敷に降りて、橋の部分でもう一度、坂を登るような不思議な作りになっている。なので、洪水の時は、河川敷の部分があらかじめ水に浸かることになっている。
ここは自然堤防といって、その周りの土地よりも1から2メートルだけ高い。治水技術がなかったときの助かるための手段だけあって、安全性は高い。川沿いの昔からある家には、2階に避難用の小舟があったりする。
「新潟」という言葉が与える印象について。新潟県は北から南まで北陸3県分の規模がある。関東で言えば、小田原から宇都宮までくらいの広さがある。大きい範囲の一部分のことだということをまず捉えていただきたい。
で、次に新潟市も無駄にでかい。田園地帯を広域合併してしまったので、密度は薄いが面積だけはでかい。端っこから端っこまで車で2時間はかかる。そいう規模だ。なので、晴れて道路が乾いているところもあれば、水が溢れそうなところもある。
越後平野は、日本最大の干拓地だ。もともとは広大な潟湖で、いわば沼だ。強いて言えば、オランダと同じようなもので、海抜は極めて低く、各地の排水機場で必死に水を排水している。県内では柏崎刈羽原発の次にしっかりと警備をしないといけない場所だ。
もともと何の手も打たずに安全な場所は越後平野の中では少ないと認識しておく必要がある。
日本有数の信濃川と阿賀野川の2つの大河は、幾つかの工事によって、かなり治水された。これらの工事をしていなければ、今回の豪雨で新潟平野中が水浸しだっただろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E6%B4%A5%E5%88%86%E6%B0%B4
http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/ohkouzu/
信濃川の長岡の先で、海に水を流して、下流を守る分水路がある。大正11年に完成。堰のデザインがクラシカルだ。日本のパナマ運河とも言われた大工事だった。
ここで、かなりの量の水は海へ排水される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B1%8B%E5%88%86%E6%B0%B4
新潟市の市街地をショートカットする分水路。市街地への水量を減らせるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%B3%80%E9%87%8E%E5%B7%9D
阿賀野川の流路も江戸時代の終わりには海へショートカットされるように直された。
この流路の変更の前は、信濃川と同じ地点に河口があった。
この2つの川は昔からのあばれ川だったので、大幅に人口河川化された。治水事業の実施後の洪水はない。
この2つは、運良く洪水にならなかった。そのため、派手な治水事業が行われず、7年前の大雨のときにはじめて問題が顕在化した。この7年の間に堤防は大幅にパワーアップしている。