はてなキーワード: タブーとは
運動ができるやつが出来ないやつにバッティングフォームを指導する。
これらは微笑ましいことで、アドバイスを受けた方はメリットがあり、
アドバイスする側は無償で知識を提供している。非常に利他的な行動であると思う。
しかし、論理的思考ができていない人に、この部分は飛躍しすぎているんじゃないかとか、
それは詭弁なので次回から気をつけたほうがいいと指摘するとしまいには怒り出す。
「お前は自分を見下している」と。
議論は作法が必要で、ある程度それを意識しないと無意味なものになってしまう。
そのことをやんわりと指摘したいのだが、「頭の良さ」に関連することを指摘するのは現実社会ではタブーなのだ。
と捉えているものが多くてびっくりした。
そだけであればどこにでもある話だ。
それを言いふらしてショックで自殺なんてこともあるだろうし、
しかし、一般的には恋愛沙汰を広めることはやってしまいがちなことであり、
それで責任を取らされては、たまったものじゃないと感じる人も多いだろう。
さて、今回の事件はややこしいが、愛の告白に加え、ゲイであることのアウティングの2つがポイントとなっている。
一見その2つがまるで秘密の思いを告げるという1つの行為に見えるから混同してしまいがちだ。
だが、後者に関して、アウティングされた人間は実害を被る可能性が発生するのだ。
そういう状況下で、不利益な立場に無断で陥れることは重大な責任であるし、
そうなることも容易に想像がついたはずだ。
結局、学生時代の、タブーがないことが強さの証明のようなノリを20過ぎても続けてしまったことが、
加害者の過失だったのではないだろうか。
そしてそれが裁判になり、悪いことだという認識が世の中に広まればと思う。
ある日突然社長が新しく事務員に雇ったといって妙に化粧のケバい20そこそこの女性を連れてきた。
最初の挨拶からなんか社会人ぽくないなと思っていたら、どうも社長がつきあいでよく行くキャバクラの従業員を引き抜いて連れてきたらしい。
仕事ぶりはまあ説明するまでもなく勤め始めた当初はひどいもんで、本人は頑張ってるつもりなのかもしれないけれどもいろいろ作業が雑でこっちは尻拭いでかなり苦労をすることも多かった。
ただその子自体は性根はそれほど悪くなく、話をしてみるとかわいいところもあるなという「頭は軽いけど素直」なタイプらしかった。
この会社に来たのもキャバクラの接客でなんとなく「他にできる仕事もないですし」みたいなこと言ったら社長が勝手に「よっしゃそれじゃ俺が」みたいなふうにして強引に引っ張ったらしかった。
伝聞なんでどこまで本当かはわからないけど、その当時その子は社長とは体の関係はなかったもののなんとなくあっちの態度としてヤりたがってるのはわかると言っていた。
ど田舎の中小企業ではよくある話だと思うんだけど、うちの会社も実質的には仕事をしていない役員である社長の奥様がよく会社を訪れていた。
普段はお茶でも出して適当に営業社員が話し相手をしていれば帰ってくれるんだけど、その新しい元キャバ嬢がいることを見てからあからさまに表情が変わった。
それからかなり頻繁に会社を訪れてはその子の仕事を監視して、ネチネチ文句を言ったり聞こえるように悪口(「言葉遣い一つにも元の仕事って出るしね」みたいなこと)を言ったりしてた。
でもその元キャバ嬢の子はそこそこ負けず嫌いだったらしく、奥様がよく来るようになってから仕事を頑張って以前よりもかなりましな事務員になっていった。
事件が起こったのはその元キャバ嬢が入社して半年くらいしてからのことで、社内の財布からお金が抜かれるということがしばしば起こるようになった。
うちの会社は出張のときなどの交通費や宿泊費は後払いで封筒渡しになっていたのだけど、中を見てみたら額面よりも金額が少なかったりなんてこともあった。
そこで犯人探しをするべく立ち上がったのが社長の奥様で、真っ先に元キャバ嬢を疑い身辺調査をさせろと言い出した。
その子は最初反発したけど強引にロッカーやデスクの中を探ったところ、中から出張費として渡したはずの封筒が出てきたところで犯人確定とされてしまった。
戻ってきた社長が大騒ぎになっているの見て奥様から話を聞き、そこで元キャバ嬢の子に即クビを言いつけた。
田舎だから許されるとは言わないけど、「一ヶ月分の給料は払ってやるからもう顔を見せるな」といってその場で会社を追い出した。
それ以来元キャバ嬢の子とは会ってないし、社内ではその子の話をするのもタブーになっているので真相はわからないけどものすごく後味の悪い話だった。
最近もWEBメディアが適当な記事をあげてカルボナーラ警察に摘発されていたことが記憶に新しい。
でも、ブコメ読んでる人からすれば「何が正解なの!?」と混乱してしまうよね。
というわけで、カルボナーラの組み立てを、できる限り分解しながら考えてみる。
【人はカルボナーラに何を求めるのか】
料理はすべて、最終ゴールになにを求めるかで作り方が変わる。
最初に出来上がりのカルボナーラ像を意識しておくことが非常に大事。
・生クリームを入れるか?全卵に挑戦するか?
・仕上がりのテクスチャはさらさらからドロドロのどの辺りを狙うか?
・卵はどれくらい効かせるか?追い卵黄はするか?
などなど。作る前に仕上がるイメージを考えて、それぞれに適当な料理法を行うと良いと思う。
【作り方】
カルボナーラの作り方は、材料の配合や分量などは千差万別あるが、基本的な動きは以下になる。
1.パスタを茹でる
・ソースが濃厚なので太麺が良い。細麺だとソースが絡みすぎて重たいし、余熱で麺に火が入りすぎてしまう。
・パスタの絞り口がブロンズダイス(ディチェコ)か、テフロンダイス(バリラ)かは好みによって分ける。ブロンズダイスの方が表面がざらついているのでソースの絡みが良くなる。さっぱり食べたければテフロンダイス。
・カルボナーラ用の麺を茹でる時の塩は1%。徹底的にアルデンテにこだわりたい時は3%の塩分濃度で茹でてお湯ですすぐ方法があるが、カルボナーラのようなクリームのもったりソースの場合は、そこまでアルデンテにこだわらなくて良い(というか好みだが私はアルデンテよりもしっかり茹での方が美味いと思う)ので、そのまま美味しい1%で茹でる。
・茹で時間は通常のトマトソースよりも和えてからの加熱が少ないので、表示時間の30秒〜1分少ないくらい。
2.パンチェッタなどの加工肉をフライパンで焼き、ゆで汁(orお湯)を入れる
・表面にしっかり焼き色をつけてメイラード反応で旨みを引き出す。
・フライパンに何もしかないよりも、軽くサラダ油などを入れた方が肉から余分な脂が出やすい(脂は油に融解するため)
・パンチェッタ、グアンチャーレなどを使うと仕上がりに燻製香がつかなくなる。カルボナーラ自体を卵とチーズのソリッドな料理なので燻製香は本来不要。ただし燻製香の効いたカルボナーラが好きであれば、ブロックベーコンでも良い。薫香つけたくないけど、ブロックベーコンしかない場合は一度茹でて燻製香を抜くという手法もある。
・パンチェッタよりもグアンチャーレの方がコクが強く、この料理にはよくあう。
・フライパンに流れた油は基本的には使わない。肉の油は「臭い」や「雑味」が出やすい。また、ただでさえ濃厚なソースに肉の油は余計である。キッチンペーパーできっちり拭き取った方が美味しいカルボナーラになる。
・加工肉にしっかり火が入ったら、最後にゆで汁かお湯をお玉1〜2杯入れて2〜3分程度、中火で軽く煮る。これは乳化の意味合いもあるが、肉の旨みをソースに移すため。加工肉の塩味は商品によってマチマチなので、しょっぱいものを使う場合はゆで汁を使うと塩気が強くなりすぎるのでお湯を入れる。
・味の調整の仕方は、まずはゆで汁を1杯入れて軽く煮て、味を見てしょっぱかったらお湯か水を入れると良い。煮た汁の味が丁度良い塩分になったら完成。火を止めておく。
3.すりおろしたチーズ、卵、生クリームなどをボウルで混ぜて卵液を作る
・胡椒の辛味が欲しい場合はここで入れる。胡椒の香りは熱に弱く飛びやすいので、仕上げにもかける。
・生クリームか全卵か。生クリームを使う最大の理由は、卵の熱凝固をマイルドにするため。カルボナーラは「チーズはしっかり溶かす」けど「卵は固めない」というラインの温度帯を作ることが最も大事なこととなる。具体的には「チーズの溶ける温度 55度〜65度以上」「卵白が固まり始める温度 60度〜」「卵黄が固まり始める温度65度〜」「卵黄・卵白が完全にゲル化する温度 70度〜」「卵黄や卵白が完全に固まってバサバサになる温度80度〜」となるので、全卵でトロッとしたクリーミーな濃厚ソースを作るためにはソースの温度が65度〜70度で止めることが好ましい。(しかも、たんぱく質は急激に変化するので1度単位でテクスチャがかなり変わってくる)
・また、卵黄プラス生クリームをすることで卵黄の熱凝固点が上昇するため、生クリームの分量を増やせば増やすほど熱のコントロールがしやすくなる。
・卵の旨味は「卵黄」が鍵になるので、「卵白」や「生クリーム」を加えすぎると卵の旨味が減ってしまう。
・卵白と比べ、生クリーム+卵黄の組み合わせのカルボナーラは、卵白の熱調整のファクターが減る分だけ簡単になるし、時間が経った時もトロッとした状態が保ちやすい。生クリーム自体が旨味の強い食材という点もあり、一般的に広く支持されるようになったと思われる。
・チーズの美味しさを食べる料理なのでチーズは極力こだわりたい。パルミジャーノレッジャーノ、ペコリーノロマーノ、グラナパダーノあたりから好きなものを選ぶと良い。一般的には熟成年月が低い方がマイルドでミルクっぽい味になる。実はこれ2〜3種混ぜて使うと更に美味しい。パルジャミーノはとりわけ旨みが強いので、パルミジャーノ+ペコリーノロマーノorグラナパダーノがおすすめ。
4.茹で上がったパスタをパンチェッタを煮たフライパンに入れる
・湯切りをしたパスタをパンチェッタのフライパンに入れて弱火にかける。
・ぐるぐる回してパンチェッタの煮汁を麺に吸わせるイメージで2〜30秒かき混ぜる。
・この時、パンチェッタの煮汁を飛ばし切らないのが大事。飛ばし切ると、フライパンの温度が100度以上に高くなるため卵液入れた時に一気に卵焼き化して失敗する。
・流し込むとパスタやフライパンの熱で卵液が熱いところから一気に固まるので、すぐによくかき混ぜる。
・おそらくこの時点ではトロリとするよりもシャバシャバだと思うので、加熱していく。
・コンロを弱火にかけ、よくかき混ぜながら5〜10秒加熱。火から離してかき混ぜるをとろみが出るまで繰り返す。(チーズを溶かしつつ、卵黄をゲル化させる作業)
・とろーーっとしてきたら、完成。皿に盛り、黒こしょうをたっぷり振って完成。
6.冷めると硬くなるので早く食べる。
・チーズは温度が下がると固まるため温かいうちに、できるだけ早く食べたいところ。
まず、一人分の分量、卵黄(M玉18g)を基準に考える。卵黄、卵白、生クリームはそれぞれが1:1:1になるように調整する。
例えば全卵1個だとM玉で(卵黄1:卵白2)の重さなので、卵黄を1個足してあげると良い。
生クリームを使う場合は卵黄M玉1個だと大さじ1強入れてあげると重量比が1:1なるので丁度いい。
卵白・生クリームの分量をこれより減らすと、温度調整が難しくなるし、増やすと味がぼやける。
このあたりは個々人のテクニックもあるので、微調整しながら色々と試してほしい。
分量の出し方は、パルミジャーノなどのハードチーズは3%〜程度の塩分濃度。
(チーズXg×0.03)÷(卵黄18g+生クリーム18g+チーズXg)=0.01〜0.014程度(美味しいと感じるのが0.9%の塩分濃度で、今回はソースなのでそれより少し高め)
となれば良いので、チーズの分量は卵黄の約2倍の36g程度が適量となる。(薄味が好きならば多少減らしても良いと思う)
・パンチェッタの分量
これは好みで入れて良いが、多すぎると肉の味が強すぎたり、しょっぱくなりやすい。
これを読んで、作ろうという気になる人が居るかは怪しいが、ぜひカルボナーラについて思いを馳せてほしい。
【追記】
>パスタの麺の分量は?
卵黄1個ベースで一人前計算。乾麺の状態で80gから100gくらい。
>卵液を入れた後の加熱は失敗の原因では?
そう。卵液を入れた後の加熱は、失敗しやすくなるため多くの料理本でも加熱NGとしている作り方も多い。
また、料理人でもボウルで和える人も多い。
しかし、実際は数秒混ぜながら加熱、コンロの外で混ぜるを繰り返した方が自分が濃度をコントロールしたソースが作れる。
ポイントはゆっくりゆっくり加熱すること。タブーと思っていたら、ぜひ挑戦してみてほしい。
ちなみにボウルで混ぜる作り方の場合は、ガラスよりも木のボウルなど熱を吸収しにくい素材のボウルで混ぜた方が美味しくできる。
すみません。誤字ですね。校正ありがとうございます。
そう。おっしゃるとおり。作ることはとても簡単なんだけど、一個一個の工程を理屈含めて丁寧に解説したかったんだよね。
なぜその工程をやるの?がはっきりすると手順を忘れにくくなるので。
白ワインは確かに良いと思う。個人的には酸味のある炭酸系を合わせるのもオススメしたい。
レモンをきかせたハイボール、白ワインと炭酸とレモンで作るカクテルのスプリッツァー、ドライのロゼのスパークリングワインなんかもとても美味しいと思う。
いろんなシェフの作り方コピーして自分なりのパッチワークでレシピ開発してるから、そのせいかも。
落合さんのレシピは再現性が高くて、コツもわかりやすく、とても完成されたいいレシピだと思います。
>ここまで厳密に従わなくてもそこそこ美味しいのできそう
その通りです。各工程の意味と、どこでどういう処理を施してるか解れば好みに応じて適当に省いてもらうと良いかと思う。
>これは、そもそも誰向けのレシピ?
これは、だいたい普段、家庭で作るレシピ。最後に卵落とすとかは、
飲食店(五右衛門とか)でよくやられてる手法で、ビジュアルインパクトあるので、
持て成しの時とかはやるよ。チーズが旨味の塊だから、うま味調味料は必要ないよ。
>美味しいパンチェッタの作り方〜
パンチェッタ、ピチットでググると出てくるから、いくつかレシピ見比べて作ってみて。
ざっくり簡単に言えば塩振って、ピチットシートで脱水を繰り返すだけ。
>生クリーム重くない?
これはどちらかというと、生クリームの原因もさることながら、肉の脂をしっかり拭いてないと重くなる。
牛乳で割るのも、それはそれで良いと思う。
残念ながら銅蟲センセじゃないよ。小林先生は、パンチェッタ作ってそうなイメージ。
私は、都内でしがなく料理を教えたりしているオッサン増田です。
教室では手順とコツしか伝える時間しかないので、人に教えるために勉強した知識をどこかで吐き出したくなって書きました。
日本は国際社会の中では異常としか言いようのない「戦争のできない国」だった。それが安保関連法案の施行によって普通の「戦争のできる国」になった。次は緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正で「いつでも戦争のできる国」になる。今はまだ声に出して言う人は多くないだろうが、これは私を含め多くの国民が望んでいることだ。はやく戦争を始めて欲しい。そしてできることなら私を召集して欲しい。
その前に、憲法改正では国民投票で投票者の過半数が賛成しなければならない。しかしこれはそう高いハードルではない。国民投票は楽勝だ。投票率が先日のイギリスと同様の72%ほどになると仮定すると、投票権を持つ者の37%が賛成票を投じるだけで改憲が可能となる。実際の投票率はもっと低いだろうから、投票権を持つ者の1/3ほどが賛成票を投じるだけで済む。
「移民が仕事を奪い社会保障を食い潰す」と脅されたイギリス国民は、EU離脱を問う投票で過半が離脱に賛成した。「中朝が攻めてくる」と脅せば、日本国民の1/3くらいは簡単に改憲に賛成票を投じるだろう。ちょろいものだ。たったこれだけで、国民の主権を取り上げ、緊急事態を宣言すれば政府の思い通りの法律を発令できるようになる。そして我々が多数派であることは何度も証明されている。
すでに道は開かれた。私たちが強く望んだ道だ。連帯感など感じたことのないつまらない人生だったが、選挙のたびに、私は小さな希望に燃える。全国に同志がいて、私と同じように考え、同じような行動をしていることがわかるからだ。日本国民は皆、私と同じように馬鹿だ。皆で前に進む実感がある。
戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
上は今からおよそ10年前に書かれた「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。からの引用だ。古い話なので忘れていたという人もいるだろうし、初見だという人もいるかもしれない。できたら全文を読み、興味があればその続編であるけっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──も読んでほしい。
これらが書かれた10年前からすれば、今はずいぶん前進した。もちろん戦争に向かってだ。国民は戦争を欲している。その背景にあるものは、未来に対する深い深い絶望だ。老人は逃げ切れるかもしれない。若者や子供にとって未来は未知数だ。しかし持たざる中年である私にとって未来は絶望でしかない。しかし戦争は、上の引用のようなチャンスとなるかもしれない。
私には配偶者もなく、子もなく、安定した職もなく、資産もなく、趣味も、職能も、持ち家もない。失うものはもはや何もない。私は将来に絶望しきった中年だ。日本人であることだけを誇りとして生きている。
戦争が起きても、何の技能も持たないまま中年となった私には何のチャンスも回ってこないかもしれない。それならば、私は国のために戦って散り、英霊として眠ることを切望する。そう贅沢な望みでもないだろう。もう私には、残された望みはそれしかないのだ。
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
トラバも含めてよく聞く話ではあるんだけれども、この問題は夫婦双方に足りていない点がいくつかあるのだと思う。
特殊かもしれないので男女問わず意見をもらえるとうれしいかも。
レスになる夫婦は男性側のテクニックだったり女性側の積極性、双方向性のセックスに関する話し合いが足りていないのではないか。
毎回のセックスで最低限確実に指や舌、時には道具を使いクリでイかせる、できれば膣内(手マン等)、さらに理想をいけば挿入中にチンコでイかせることができると良い。
そんで最中でも事後でもいいからお互いにどこが気持ちよくてどこがイマイチだとか、もっとどうしてほしいとか積極的に話合うことも必要。
うちの家庭の場合それだけやっててもどちらかの気分が乗らないときはお互い勝手に隣でスマホで動画とか漫画見てオナニーするほどオープン。
セックスはかなり時間をかけてじっくりやるので、そこまで時間のない時は手や口で抜いてもらったり、ローターと乳首舐めでサクっとイかせたりするだけのこともある。
そしてここまでの状態に持っていくためにはお互い大っぴらに話合うのも大事だが、普段からのスキンシップとキスが非常に大切だと感じる。
特にキスは(行為中も普段も)必要不可欠なもので、子供がいようがその気になればいつでもできる手軽さの割に大きな効果があると思う。
読んだことはないけどそういう書籍も女性向けとかにも出ている気がするし読んでみるといいのかな。
えーとなんだっけ、、
あと一つなんか大事なこと書こうと思ってたんだけど今40度の熱が1週間続いて休んでるから頭が働いてなかった。
とにかくだ。
夫婦というのは一般的には赤の他人が何十年も唯一の(セックスを含めた)パートナーとして過ごすわけで、
最初どんなに大恋愛をして始まろうと、将来なんらかの衝突があるのは当然のことなわけだ。
そう考えるとできるだけ早い段階からどんなことでもしっかり話し合っておくと、その時どれだけ喧嘩をしようが後々の幸せを買えるんだよ。
その場その場でなぁなぁで穏便にして現状維持で満足してると、後々になって積もった不満は大きくなりすぎたり、今更言えないなんてことになるわけ。
性の話、政治の話、宗教の話とかよくあるタブー的なものから些細なことや趣味や過去のトラウマでもなんでもお互い納得いくまで話してみたらいい。
うちなんか結婚前はお互いに浮気してバレたこともあるし、最近はセックスもさすがにテクがマンネリ気味だし新しい刺激も欲しいから試しに久々に他の男(女)とヤってみたいわーとか
お互いまじめに話してる。そういうプレイにはお互い興味はないが、自分たちのセックスの質の向上を考えての話だ。現実はなかなか難しいが。
自分も大概なクズなコミュ障だが、その自分から見て「ああ、真性のコミュ障ってのはこう言うのを言うんだな」ってのを前職を辞める直前で見かけたので備忘録がてら書き連ねる。
■対象
ありえない程匂いのきつい香水をつけてくる。どれくらいきついかと言うと20畳程はあるだろうかフロアがその匂いで充満する程きつい。体臭等の理由があるのかもしれないがそれでも度を過ぎていた。隣りに座っている自分は毎日匂いのきつさのあまり頭痛に襲われた。
■やたら細かい所にこだわる、自分の意見を曲げない、人の意見を受け入れない
その会社では作成した画像を正式納品物以外は透かしを入れていた。持ち逃げ対策。しかしこれが気に食わないらしく「なんでこんなことをするんですか、必要ないでしょう」と言って聞かない。持ち逃げ対策で事業部当初からの慣例だと言っても「そんな必要はない」と言って一歩も譲らない。
最終的に「そこは議論に時間をかける必要もないし、これ以上時間をかけるのも無駄だからこの話はしない」とはねつけたんだが、そうすると「そんなレベルの低い話をしたくない」と尚も食い下がる。もううっとうしいから言ってることを無視して自分の作業に戻ったがこれが1週間ほど続いた。ありえない。
それだけでなく、自分は見聞でしか無いが経理側の慣例となっている作業に噛み付いて、そこでも2時間程お局とぐだぐだやりあったらしい。そこでも「レベルが低い」発言が何回も飛び出したそうだ。
10社も経験してれば入社数日の自分の意見で会社の慣例を変えられる訳もなく、それをする為にはまず社内で実績と信頼を勝ち取り、意見が通る環境を整える必要があることくら分かりそうなものだが、それが絶対的に理解できず「自分の意見が絶対的に効率的で正しくそれが理解できないのは君のレベルが低いからだ」が思考の基本形式らしい。
ぶっちゃけると、俺はその会社を退職までの最低猶予期間である2週間きっちりで辞めるよう手続きしていた。担当している仕事分量は多く、はなっからまともに引き継ぎできるともしようとも考えていは居なかったが、形式としては一通りの引き継ぎをしたと言う「建前」は必要だ。
なので一応ざっとした引き継ぎスケジュールを作り、それに基づいて引き継ぎ作業を行おうとしたのだが、今やっている作業が終わったら引き継ぎ作業を行うから声をかけてくれと言ってから2時間、3時間たっても一向に声をかけてこない。しびれを切らしてこちらから声をかけた時の会話の概要が下記の通り。
「手が空いたら声をかけてくださいって言いましたよね。今までの時間全く手が空かなったのですか?」
「はい」
「いくらなんでも3時間全く手が空かないってことはないですよね?何やってたんですか?」
「それは急ぎじゃないですよね、いつやってもいいですよね?俺、後一週間(※)でいなくなりますよ。引き継ぎ全然進んでないんですけど、その辺分かった上でやってます?」
「はい」
「分かってるんならどうして引き継ぎの作業じゃなくて、優先順位の低いそっちの作業をするんですか?」
「そう言うレベルの低い話はしたくないです」
「(またそれかよ)」
※…上記のようなやり取りが延々続いており、引き継ぎ進行率は残り1週間で切った所で20%もなかった。
俺は30代後半で子無し嫁無し家庭無しだ。主原因は俺のコミュ障にあるのは明らかだが、生まれ育った家庭環境の関係もあって結婚と言うものに期待も希望もなく、普段はエロゲ、時に風俗で十分満たされており、今後もその生活を変えるつもりは全く無い。
結婚の話になって「俺結婚するつもり無いんですよ」と言われたら、それなりに裏を色々察してそれ以上突っ込まないのが、普通の感性の持ち主の反応だと俺は考える。だが奴は違った。
「え?なんで結婚しないんですか?頭おかしいんですか?何かの思想信条ですか?それともなんか宗教的な理由ですか?」(入社3日目・原文ママ)
相当親しい人間同士の砕けた会話でも、宗教や思想信条と言う言葉を使っては会話しないだろう。ましては入社3日目、顔を付き合わせて3日目の人間に聞くべき話じゃない。流石に俺はキレ気味に
「それは仕事には関係のないことだし、それをあなたに話す義務もないし、そんな会話を赤の他人とするつもりは一切ない」
と断言した所
「コミュニケーションでしょ、会話でしょう、僕とコミュニケーション取るのが嫌なんですか?」(同上)
と来た。
思えばこの時点で「ああ、こいつ無理だわ」と結論づけて会話に壁を作って、引き継ぎ作業にかなりの悪影響を与えたことが今となっては分かるのだが、当時は香水の臭さとあいまってもはや近くにいるだけで文字通り頭痛を覚えたのは記憶に鮮明だ。
■人間落ちる所に落ちる
経歴だけ見れば大したものだった。業界では名が知られた会社を何社も経験していたし、資格欄にもカタカナと英文が踊っていたように記憶している。
一方、その会社は規模は小さく、給料は安く、将来性もない。俺はメンヘラで数社を転々とし「落ちる所まで落ちた」結果、入った会社だ。
なんで大手をやめてこんな所まで落ちてきたのかと経歴だけを見れば思うが、実物を見てみれば成る程「こんな会社まで落ちてくる訳だ」と納得する人間だった。
被った在籍期間は3週間程度だが、それでも「ああ、こいつは絶対に有り得ないわ」と思えるエピソードが他にも多数あった。
例えば、少し物言いがきつい先輩社員に小言を言われた直後、「社長に呼ばれたから作業に戻ります」と嘘をついて30分程姿をくらます等、細かい話をあげればまだまだあげられる。
そいつが普通じゃないことは明らかだが10社近くも経験しているなら、そいつなりには入社1ヶ月未満と言う自分の立場を弁えた上で、自分なりの「入社まもない転職組が取るべき当たり障りのない立ちふるまい」をしているはずだ。
3週間はまだその範囲内だろう。地が出てくる1ヶ月後、3ヶ月後、社内で起こすであろうトラブルは俺の想像の範疇を超えている。
そうやってどこに行ってもトラブルを起こし、社内での信頼や信用を失い続け、最終的に退職勧告を受けて辞めざるを得ないことを何度も繰り返してきたのだろうと俺は見ている。
ここまで来れば何らかの発達障害を疑い同情して勘案すべきってのが模範解答かも知れないが、それなら相応の診断を受けて、その前提で受け入れてくれる企業に行くべきだろう。
周りに通院を勧めてくれる人間がいないことは当人にとっても周りにとっても不幸なことかもしれないが、それは赤の他人が推測してやらなければいけない事案じゃない。
どれだけ立派な資格を取るだけの知力があっても、コミュニケーション能力がなければそれを生かすことはできないのだと生々しく実感した。
一方、少なくとも技術職に分類される社会人に求められるコミュニケーション能力と言うのは、巧みな会話スキルや時事ネタに通じている等ではなく、
・先輩や上司に当たる人間や会社の慣例を受け入れ自分の考えをすり合わせること
の二点程度で十分なのだとも思う。
顧客の要求を読み取り、技術的に実行の可否の判断や必要なスケジュールを弾くのはコミュニケーション能力でなく、技術職の「技術」の範疇に入ると俺は考える。
■辛い3週間だったが
同席した3週間はとにかく辛かったが反面教師として得るものは、皮肉なことだが1年程在籍したその会社の中で一番濃く実用性が高いものであったと思う。
引き継ぎは結局ろくにしないまま退職した。社会人としてそれは筋が通ってないと責められる点かも知れないが、それは本筋でないから触れる程度にしておくが、筋を通さないといけないような立派な会社ではなかったと言う点については明記しておく。ならば退職の意志を示してから2週間の猶予を持つと言う法律を最低限守っていれば責められる謂れはない。
新しい会社に入って1ヶ月をちょうど過ぎた。まだ試用期間ではあるが、直上の上司である社員からは「もうすっかり馴染んでるね」と評価を貰った。自身ひどいコミュ障である俺にとっては、これはかなり上々な評価といえる。
思ってもいないところからふとボールが投げられる。考える間もなくそれを受け取ってしまう。そしてそのボールを知らずにとんでもないところに投げ込んでしまう。そんな経験はないだろうか?僕にはある。あれは、中学生の頃のことだった。
僕の実家は田舎で、バスは数時間に一本しかないようなところだった。その日僕は下校時刻のバスを乗り逃してしまい、仕方なしに歩いて帰っていた。次のバスを待つのと歩いて家まで向かうのと、時間的にそう大差はなかったのだ。夏の暑い中、日に照らされてじりじりと肌が焼ける中、たちまちに空が曇って夕立が降ってきた。ずいぶんひどい勢いで振ってきたその夕立から逃げるため、僕は走って最寄りのバス停まで向かった。そのバス停には屋根があったのだ。
バス停にたどり着いた頃にはすっかりずぶぬれてしまっていたが、このまま夕立が降り続けるなら、ここでバスを待った方がいいだろう。そう判断して、僕は短くはない時間をここで過ごすことを決めた。
そう思っていると、雨音に紛れて小さな走る足音が聞こえてきた。誰だろう?そう思ったときにはもう足音はバス停へと駆け込んできていた。その足音の主は、同級生の女の子だった。彼女もずぶぬれで、夏服のブラウスが軽く透けている。そんな姿にドキッとしながら、僕は彼女にお互い災難だね、と声をかけた。
でも、彼女は何も答えない。あれ、特別仲良くはないけど普通に話すクラスメイトなのに、なんで何も答えないんだろう?そう思って彼女をよく見ると、雨にずぶぬれた顔の目元には涙があふれていたのだ。なんで?僕の頭は疑問でパンクしそうになりながら、体をふくのに使っていたハンカチを思わず彼女に差し出していた。このときハンカチを差し出していなければ、この後のこともちょっと違った形になっていたかもしれない。
彼女はハンカチを受け取ると小さな声でありがとうと言った。一体どうしたの?僕は彼女のことも考えず自分の疑問のためだけに、そんなことを訊いてしまった。彼女はしばらく躊躇っていたけれど、僕が渡したハンカチを見つめた後、ぽつりと答えた。「好きな人と別れてきたの」と。
その答えを聞いて、僕は彼女に尋ねたことを後悔した。そうだ、こんな土砂降りの中で女の子が泣いていて、その理由が重たくないはずがない。僕はとんでもないボールを受け取ってしまった、そう思った。けれども、ここでこのボールを投げだすことの方が彼女にとってひどいことかもしれない。そう思って、彼女の話を聞くことにした。
僕があまり質問しなくても、彼女はぽつぽつと話を続けた。それはコップに満杯になった水が揺れるたびにわずかに零れるような、そんな話し方だった。
彼女は年上の人と内緒で付き合ってて、でも両親に知られてしまって大反対を受け、そのことを素直に年上の彼氏に相談しようとしたけれど、でも自分と彼氏のことを考えたら何も言わずに別れるのが正解だと思って、別れを告げてきた、そう彼女は言った。
僕はどう言っていいかわからなかったけど、辛かったね、とだけ口にした。彼女も、うん、とうなずいた。ここで終わらせておけばよかったのに、僕は余計なことを口にした。でもそれは何も理由を聞けずに別れを告げられた彼氏も辛いと思うよ、別れたくないなら素直に相談するといいよ、と。
彼女はびっくりした顔をしていたけれど、何かを決心した目をした。そして、うん、本当は別れたくない、だから頑張ってみるよ、と言った。僕もそれを聞いて、頑張れ、と励ました。
そうして雨が止んだ頃、バスが来た。僕はバスに乗り、彼女は雨の止んだ中を歩いて帰った。
彼女が学校に来なくなり、校内には噂が駆け巡った。彼女は先生と付き合っていたのだと。最初のうちは真偽不明だったその噂も、とある男性教師が突然学校を辞めることになり、本当のことだったのだとみんながざわめいた。
僕はその噂と、あの夕立の中で彼女に訊いた話を思い出して、怖くなった。この顛末を引き起こしたのは、僕のあの余計な言葉だったのかもしれないと。
彼女のことはすぐに学校内のタブーになった。彼女が学校に来なくなったのも、不登校なのか、転校したのか、それすら誰も知らない。少なくとも、卒業アルバムに彼女の姿はなかった。
僕はあの時言った言葉を、今でも後悔している。僕があんな励まし方をしなければ、彼女の秘密は公になることはなく、卒業アルバムからすらも忘れられてしまうことはなかったのではないかと。
そしてその後悔を、今まで誰にも話したことはない。でも、心の中に澱み続けているこの後悔を吐き出したくてここに書いた。
女がまんこ使いこなすことをいやらしいとか劣ってるとか卑怯とかいう風に咎めたりタブー化したりするのは
女にまんこ使うだけの存在になっとけって言っちゃうのと同じぐらい極端で非生産的で抑圧的な言論だと思う
使いこなそうと決意した女も悲愴感を持って1から自分で危険なトライアンドエラーをするしかなく
(それをかいま見ていた別の女が「やっぱりまんこなんかに頼るからバチが当たったんだ」と間違った学びを得る)
実際増田でもすごいコミュ障だとかブスだとか友達0人だとかいう自分語り女がそれでも彼氏や配偶者は持ってる
差は何かと言ったらまんこのパワーに他ならない
まんこだけで人生を渡ろうというピーキーな戦略がまずいのであって、
人柄とか知性とか学歴とか職能とか話術とかいろんなパラメーターの中の一つとしてのまんこ
そういう風に理解すればこの使い方も適切に学んで伸ばそうと思えるはず
激務で欝になって転んでしまって、ステータス異常で本来の能力が発揮できなくなった
そこで頼りになるはずのパートナーの男に捨てられたらしい
薄情な酷い男だとも思うし、完全ダウンしたメンヘルを支えるのは結構重いとも思う
2人のことなのでなんとも言えない
ただご本人もそのようなことを言ってたから遠慮せず言うけど
たとえばもっと信用できる適切な男に、もしくはもっと適切にまんこを提供していれば
むしろどんなにまんこだけ張り切っても人柄が最悪ならどんな男も離れていってしまうし
逆に言えば相手のニーズを見抜く知性を持ってちょっと気の効いたまんこ提供を行えば
相手の長年抱えている目に見えない欠乏を満たしたりすることもある
初めて出来た恋人や嫁を大事にする為にやたら張り切って働き始める男は珍しくない
まんこ使うというとすぐ援助交際とか風俗とか最終段階までぶっ飛んでしまうけれども
そういう換金型の使い方はもっともレバレッジの効かない使い方だ
信頼できる長期的人間関係の構築の為にこそ賢くまんこを使うべきであって
有能でタフで自分1人で楽々生きていける女性ですら積み増し分としてこの上手い下手で大きな差がつくので
これは男尊女卑とか男にぶら下がるとかいう話とは関係ないことだ
逆に制御できずパワーに振り回されてメルトダウン原発みたいになるとか、
パワーに味をしめすぎて他のパラメーターを省みなくなったりするのが不味いのであって、
能動的に自律的にまんこを使いこなせる女が増えることは誰のことも不幸にしない
ただまあ
この話は現代の世間ではまだラジカルすぎるように受け止められるだろう
自明の理が受け入れられて教育体制が作られ始めるまでにあと20年はかかるだろう
20年後にはてなのサービスが残ってるかはともかく
男子校拗らせって「女子とまともに喋れない」とか「服装がダサい」とかじゃなくて「人のことを有能か無能かでしか判断できない」とか「ふわっと仲良くなる関係が理解出来ない」とか「上辺を取りつくれない」とか「学園祭はホストに徹するもので自分らが楽しむものではないと思う」とかじゃないすかね
結構な数ふぁぼられたりRTされたりしていたけど、これってどちらも「男子校内部からの目線」だと思う。
小学校から高校までずっと共学だった自分としては、大学で出会った「男子校出身」の人たちの印象は結構違います。
正直に言って、大学で初めてこういったタイプの人たちと出会った時はドン引きしました。
なぜかと言うと、こういった言動は共学の高校では普通タブーとされていて、そういう事をする人は嫌がられる傾向にあるからです。
彼らの特徴は、大きく言って三点です。
誰だって女性の目があるかどうかで多少は言動が変化するものですが、それにしても限度というものがあります。 共学というのは基本的に、常に異性の目がある場です。男子校出身者にとって文化祭とは「女性が来る」から盛り上がるものなのでしょうが、 共学における文化祭は「みんなで何か面白い事をする」から盛り上がるものなのです。そういった物の見方は当然、共学である大学でも引き継がれます。 そういう状況で異性が居る時、居ない時であまり露骨に態度を変えられると裏表のある奴/調子のいい奴だと思われ、ものすごく嫌がられます。 なおこれは、女性側でも同じです。「あの子は男が居るかどうかで態度が違う」という情報は即座に男にも伝わり、避けられます。
共学というのはいつどこで誰と誰の間に恋愛が発生するのかわからない場所です。発生を予想できるパターンもありますが、たまに全く予想の出来ないパターンもあります。 自分から見れば全く魅力の無い女性を、親友がいつの間にか好きになっていたということもあります。そういう時は蓼食う虫も好き好き、あばたもえくぼ、といった諺を身に染みて感じます。 したがってうっかりクラスメイトの女性を貶したら、いつの間にか親友がその子の事を気になっていたとかで大喧嘩になってしまった、という事もごく普通にあり得ます。
そういうわけで共学では、たとえ男しか居ないような場面であっても女性の外見を安易に格付けしたり、貶したりするようなことは控えられます。 内心ではブサイクだと思っていたとしても、それをわざわざ言葉にはしませんし、態度に現れてしまうのもあまりスマートではありません (が、所詮は子供ですから態度に出してしまう人も結構います) 。 ですから、よほどクラスで嫌われている人を貶す場面でもなければ、「あいつと付き合うくらいならあいつのほうがマシ」というような露骨な格付けはまず絶対にしません。 確かに、修学旅行や合宿の夜などに「胸が大きい人」「エロそうな人」だとか、そういうくだらない”要素”でランク付けをすることはあります。 それはあくまでも”要素”なので「俺は胸にはこだわらない」「エロそうだということは付き合う上では関係ない」などいくらでも無視することが出来るからです。
これはタブーというわけでもないですが
童貞だとか非童貞だとかは、共学でもネタとなることはありますが、あくまで冗談の範囲内というところがあります。 経済的にどうだとか「恋愛資本主義」が何だとか思想を振りかざしていたとしても、それはプロレスのようなもので、別に本気で相手を潰そうとしているわけではない事が多いと思います。
ですが、どうも男子校出身者は性の話題になると急にムキになって相手を論破しにかかる人が多いように思います。 童貞だとか彼女がいないだとか、○○の時期に一人だとかいう話題に過敏に反応して急に怒りだし、思想を振り回している人が居ると、あっこの人は男子校出身かなと思ってしまいます(あとで確認すると大体当たっています)。 別に彼女が居るから偉いだとか、非童貞だから偉いだなんてことはありませんし、そんなことはみんな知っていてからかっているだけです。落ち着いてください。
ついでに申し上げておくと「昔、彼女(or仲のいい子)が一人いてセックスする直前くらいまでは行った(≒途中までした)が童貞(or一回だけしたことがある)」というセリフは童貞の常套句でして、 たとえ本当でも聞いているこちら側が恥ずかしくなって赤面してしまうので、出来たら避けてください。
大学入学後の「男子校拗らせ」治癒率には、大学生活の環境が大きく影響します。 とはいえ、理科系の学部で女子は殆ど居なかった、という環境でもサークル活動や社会人生活を通じて一般的には齢25前後までには症状が目立たない程度にはなっているようです。
しかし「理科系の学部で女子がほとんど居なかった」「入ったサークルにも女子がいなかった」「寮生活だったために周りにも似たような奴ばかりが居た」「卒業後に入った会社にも女性が居ない」 など複数の条件が重なりますと、むしろ重症化するという事例も見受けられます。
十分にご注意ください。
池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに
もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して
10年ちょっとになる。
普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、
自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、
新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。
池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。
池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)
で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)
それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。
まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。
そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。
多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?
普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。
「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。
池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。
著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)
さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。
公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
まもなく四十も半ばになりますが、成人後に出席した結婚式の数が片手に満たない。
この年齢にして、この経験値とは、どうなのか。やばいんじゃないのか。
そもそも結婚式なんて、皆そんなに呼ばれてる?
こちとら経験値を積みたいのに、あいつらぜんぜん挙式しやがらない。
結婚式の無駄に長いスピーチってのを目撃してみたい。結婚式あるあるに知ったような顔でにやりとしてみたい。もしも明日突然社長になって結婚式に呼ばれまくっても、笑ってはいけない結婚式を参加者に強いることがないように、あらゆる情報(おもにタブー)を蓄積しておきたい。
いやでも小金持ち社長だったら呼ばれるのは迷惑なので社長の座は遠慮させていただこう。
ニートとか、ぼっちとか、社畜とか、夜逃げ中とかなら、まあ仕方がない。呼ばれる道理がない。
さいわい、大学を出てから数回の転職を挟みつつ働いてきて、親友と呼べる友人にも、親しい同僚にも恵まれている。
もちろん友人が多い方ではないし、人付き合いも上手ではない。母数が少ないという点は認める。
でもそもそも、式を挙げる人自体が少ないよね? 呼ばれる機会ないよね?(裏でこっそり集まっているというネタは却下)
実際のところ、自分のまわりはこうだった。
圧倒的に式を挙げない人が多い。略奪再婚だからだとか、病み上がりだからだとか、まあ理由は人それぞれで、パーティすらしない人もわりといた。寂しい。
何人かは外国で親族だけの挙式をした。相手の国でとか、好きな国でとかで、まあこれは呼ばれても行きづらい(有休的に)。
そして残りの友人知人はみんな未婚。自分を含め、その予定もない。知り合いのおよそ半分が未婚なのは、結果的に既婚者クラスタと接する機会がないから、比率が上がってしまうんだと思う。子供なんて身近にいる?レベル。
あと特殊なのは、いとこたちの結婚式には、なぜか両親のみ出席というスタイルなこと。もはや10人を超えるいとこの顔も名前もよくわからない。侘しい。
というのは言い訳で、やっぱり人付き合いが薄いせいなのかもしれない。いやだって40超えたら疲れやすいよね、休みの日は人に会うより一人でだらだらしてたいよね。婚活とか無駄なことしてないで、家でぐーたらしよーぜー。週末に一歩も外出ないの最高だわー。