はてなキーワード: タブーとは
なるほど。ありがとう。ある程度わかった。
女の代表ヅラして性欲について語るのが気持ち悪いのだろうね、きっと。
一応念押ししておくけれど、匿名でもなければ性欲についてなんて語りませんよ。
でも、性欲をキモチワルイものとして忌避する人は私から見ると辛そうだ。理性的なつもりかもしれんけれど、単に怖がってるだけでしょ?って思う。
自分の性欲もパートナーの性欲もキモチワルクなんかないよ。パートナーでない人から性的な目線で見られることを表明されるのは嫌だけど、表明しないで影でやってくれるだけだったらそんなに怖くないというか、仕方ない。それこそ理性で対処する範囲。
でも重ねて言うけど、匿名でもなければこんなことは言わない。だから、匿名でも言えない人からすると、とても気持ち悪く見えるのは理解した。
どーでもいいーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!僕はチャゲアスが好きだった!!!!!!!!!!!!!ジブリが昔作ったOn your markがタブーになるようなことは絶対やめてほしい!!!!!!!!!!!!!!!
ゲスの極み乙女も好きだった!!!!!!!!!!!!ゲス極はべつにあのチンコ頭だけのものじゃないのにあの対応なんなんだよ。こちとらアルバムめちゃんこ楽しみにして毎日頑張って生きてたんだぞ。なんなんだよバンドメンバー揃って責任取らされて五人組みたいな。江戸時代じゃねえんだぞ!!!!!!!!!!!!!
ベッキーが浮気してようが政治家がSMバー行ってようが成宮が薬やってようがどうでもいいどうでもいい!!!!!あいつらのプライベート興味ねーーーーーー!!!!!!!!!!問題があるなら各々裁判所でやってくれ。大した才能もないくせに凡人が騒いでんじゃねえよ。人類から宝を奪わないでくれ。僕から楽しみを奪わないでくれ。いてもいなくても一緒で替えが効くてめえら凡人と一緒にしてんじゃねえよ。害悪モブは滅んじまえ。
残念、男です。
いわゆるボーイさんです。
忘年会シーズンということで、二次会三次会などで初めて行くキャバクラ系のお店でのお得なマナー?について少し書きます。
初めて入ったラーメン屋で店員に向かって「この店美味いの?」とは言いませんよね?
そんな感じです。
トラブルになったら困るので、本当に可愛い子をつける場合もありますが、それは本当にもめたら困る相手の時だけです。
店は女の子に辞められたら困るので、女の子に嫌な思いをさせない為に必死なわけで、大事な新人ちゃんや、売上をつくるナンバークラスの女の子はボーイさんがこの客痛いなと思ったら絶対につきません。ボーイさんが客みて女の子をつけてる訳ですから、ボーイへの印象で女の子を選ばれている訳です。
じゃあペコペコして良い客のふりしとけってーの?
てか何が良い客?どーしたら良い子つくの?
ですよね。
店からしたら、売上落とすのが良い客です。指名延長するのが良い客です。
つまり「延長しそうな言動」を伝えれば、あなたは良い客として見られるのです!
答えは簡単。
同じく入り口や受付にて。
「延長はどうなってるの?」
と聞くこと。
それ相応の子がつくのです。
仕事できる子が。
「何か延長するっぽいから頑張ってみてよ!」
すると濃厚サービスが始まる訳です。
延長どうなってるの?というのは不思議な言い回しで「延長はいくら?」とは言ってはいけません。ケチなワンセットかな?金ないのかな?と疑われる。
尚これらは店内、店員にのみ通用することで、路上のキャッチと話しても何の意味もないので、路上のキャッチに捕まったら、スルーするか素直にボッタクられて下さい。
それでは良い二次会を。
日に日に尾鰭がついてここに匿名で書いたところでどうにもならないのかもしれないけれど。
まず、何故スケオタが自分たちが釣られたと思ってしまったかのこと。
一番の理由はキービジュアルや声優情報が出る前からアイスショー等に公式がスペースを出して宣伝に力を入れていたことだろう。
私自身アニメもよく見るがかなり珍しい展開順だったのではないかと思う。
ファンなら誰もが知ってる振付師と衣装ブランドの名前も挙げられていたため結構盛り上がった記憶もある。
今でこそタブーになり消えたがキャラのモデルになった選手たちも公言されていた。
スケオタ向けのメルマガでアニメ円盤の特典映像についてのアンケートが実施されたこともある。
ここまでするからには、実際の大会とコラボし推奨作品になったりするようなスポ根もののアニメが見られると思ってしまったのだ。
スケオタだからこそ、普段見られないプログラム製作や衣装作りの過程が見られるであろうことに勝手に期待してしまった。
実際私もスケ連も監修していると勘違いしていた。
勿論その後は個々人がどんな物語どんなジャンルを好むかの問題だし、今のままでも楽しんでいる人も悲観してる人も、追っている人も切った人もいるだろう。
ただ、本格スケートという部分にモヤモヤしている人がいるのは、スケオタについてはこういう事情があったことを分かって欲しいのです。
次に、本当にこのアニメは(当初から)デリケートな性についての問題を描くつもりだったのかということ。このことについては私は否と言いたい。
だって、だったら男性キャラのモデルに実在の女性スケーターを据え、彼女が男性だったなら〜などと言えるはずがない。
(当初とつけたのはことが大きくなるにつれてこの設定が消えたからだ。)
他にも性についてやけに過激な言動が目立つが、それらの言動が周囲から許容されること=寛容な社会なのではない。
異性間だろうと男同士女同士、それ以外だろうと常識やマナーは一律であり、それはアニメ内だけでなくメタなところにも言えることで、
アニメだけを見て理解したつもりになるのは勘違いも甚だしいし、それを絡めて競技ルールや登場国の政治方針にまで言及するのはあまりにも危険なことだ。
少し矛盾するが最初、私は女性スケーターがモデルである件は好意的に受け入れていた。
創作における性の操作は繰り返されてきた表現手段であり現実世界の問題とごちゃごちゃにして狭められるべきものではないと考えていたからだ。
しかし、このアニメがファンが言うように本当にこのテーマを扱う作品なら話は別だ。
マナーの厳しいナマモノジャンルにアニメ公式そのものがなり得てしまうようなキャラ作りは避けるべきだったし、他記事にあった、LGBTを盾にしていると言われてしまうようなぼんやりとした作り込みで済ませられるようなものではダメなのだ。
(ただし、この件は某原案者が盛り上がってるだけでアニメ公式の方はなにも言及していないのでなんとも言えない部分ではある。)
恐らく、話数が若い段階で物語の方向性が変わったことは確かだ。オリジナルアニメではよくあることだし、製作スケジュールとの兼ね合いもあるかもしれない。
最初の項で書いたアンケートの、スケオタ自身の反応が芳しくなかった結果かもしれない(実際アンケートの取り方について少し炎上したのだ。)
ただ、その方向転換が大体的に打ち出したキャッチコピーを変えてしまうもので良かったのか、変えた時点の残り話数で、実在するモデルがいると公言してしまった過去がある状態で描き切ることができる題材として正しい選択だったのか違和感を覚えてしまう。
長々と書いてしまったが、どちらのファンが悪いのかが言いたいのではない。スケオタの中にもどんどんヒートアップしてしまっている人もいる。ただ、苦言を呈している人が差別者呼ばわりされ、実在選手を盾に揶揄されることが悲しくてならないのだ。
12月になった。
SMAPのことを語ることは、すでにちょっとしたタブーとなりつつある。
「事情も知らない部外者がなんか言ってるんじゃない」という批判を受けるからだ。
この初めて使う匿名ダイアリーも同じように怒られてしまうかもしれない。
署名運動が盛んになったり、新聞掲載、都電、ばんえい競馬、TV局へのメッセージなどいろいろなところで何とか解散しないようにと活動するファンがいる。
彼らが出演するメディアへのメッセ―ジ。窓口が設けられている以上悪くはないと思う。
ただ、「彼らが解散したくないといっている」「事務所に解散させられる」「これはパワハラなんです」
こうなるとちょっとどうだろう?申し訳ないが気持ち悪さを感じてしまう。
それは事実かもしれないし、事実ではないかもしれない。それを憶測だけで書くのはどうなのか。ここは間違っていると思う。
「彼らの発言をみればそんなことを考える人ではないことがちゃんとわかる」
人の気持ちは変わるし、気持ちだけではどうにもならないこともある。そして、他人の気持ちは変えられない。
彼らがもし、「解散したいから解散します」と発言したならば納得する人も多いかもしれない。
それがはっきりと示されていないことで混乱を招いたのはよくわかる。私の好きなものの活動が終わるとして、こんな終わり方で納得できないのもわかる。
もし彼らが本当に「解散したいんだ」と思っていたとしたら、存続を願うことは酷ではないだろうか。
でも「彼らが本当に解散したい可能性」を取っ払って考えたら、暴走しちゃうよなぁ、と思う。
一方でこうしたファンをツイッターで裏アカウントだの愚痴アカウントだのを作ってたたいている人。
こちらも気持ち悪さを感じる。
別グループのファンを名乗りながらそのような発言をすることでファン自体、またタレントにマイナスイメージが付くことがわからないのだろうか?
(こうしてここで匿名で書く私も同じかもしれないが、何をどこで書いてもたたかれるので。
私はSMAPのファンでも、そのとあるほかのジャニのファンでもないが、インターネット上でたたき合いをするいい大人たちのよくわからない争いは、もう見るに堪えない。)
何をしても事務所のせい、何をしてもI氏のせい。どちらもしていることはおなじではないか。
もちろん良識あるファンが存在することも知っているが、タグをつけてつぶやいたり、
プロフィールに応援する人の名前を書いているということがどういうことなのか今一度考えてほしい。そういう人の発言が、一番目に留まりやすいのだから。
事情は違えど、彼らは唐突に事実上解散した。解散というのは、メンバーが全員揃っていないこといいたい。
数名はグループ名を変えて活動した。国内、国外いろんなところで。
残りの数名はグループに残留するかたちをとり、以前と同じグループ名で活動した。
ただ純粋に彼らの音楽を、彼らを応援していた人たちは突然スタンスの違いで攻撃しあい、二度と分かり合えないような状態になった。
どちらも応援する人。
どちらかだけを応援するひと。
どちらかだけを応援して、もう一つのグループのことはファンもタレントも徹底的に批判する人。
望まない人。
過去の楽曲について、過去のグループについて語ることはできなくなった。
当時の曲をいいよねといえば、「いまだに全員での活動を望んでいるお花畑、一生懸命今活動している彼らに失礼だ」と攻撃を受ける。
皆ただの一ファン。芸能人にとってのなんでもない。過去の楽曲を聴こうと、彼らの作りだしたコンテンツのひとつにすぎないのだからいちファンに糾弾されるのもおかしい。
スタンスの違いなのか、いったいなんなのか。
私は心底疲れてしまい、彼らのことは全く応援しなくなった。たまに過去の楽曲は聴くが、名曲ぞろいだったなと思う。
話がそれたがSMAPファンも今こうなりつつあるのではなかろうか。
当時の楽曲について話せなくなるのはおかしいし、5人または6人の話をする人は皆復活を望むお花畑だとたたかれないでほしい。
存続を願って活動する人。
それを批判する人。
どちらも今一度冷静になってほしい。
メディアに踊らされているのにメディアに頼る矛盾に気付いてほしい。
何の生産性もないたたき合いに何の意味もないことに気付いてほしい。
単なる一般人の私だが、SMAP報道が出た夜中にはびっくりしてしばらく眠れなかった。
当たり前にテレビに出ていた人にも当たり前はないのだと。
泣いても笑っても、おそらく今月末までというのは変わらないのだろう。
この残された一か月ですべきことはたたき合いだろうか?それとも根拠のない陰謀論を流すこと?同じCDを買いあさること?
本当に彼らのために何かをしたいと思うのならば、すべきことは何だろう?
ここ近年、医療ベンチャーなども目立っており、同時に、健康情報サイトなども活気付いている。
いま問題となっているのが、DeNA運営の医療キュレーションメディア『ウェルク(WELQ)』だ。
私自身、これまで、そして今も医学や情報系のサービス立ち上げやメディア運営などにいくつか携わっているので、この問題がとても深刻なものだと思っている。
そもそも、医学や健康情報系のサイトは以前から多く存在していて、アフィリエイト目的の個人から企業まで多く存在している。
最近では医療ベンチャーが運営し、医者監修のもとで提供しているメディアも増えているし、医療分野の専門家を編集部に加えて、運営しているところも多く確認できる。
また、マネタイズを図っているところを見ると、やはりアフィリエイトでの広告収入やタイアップで利益を作っているところが多く、DeNAのウェルクに関しても同じだと言える。
ただ一点、明らかな問題点があるとすれば「医療」という、扱うことに一際慎重さが必要とされる分野を「キュレーションメディア」としてやっているところだと考えている。
実際、多くの医療・健康情報サイトでも、外部ライター頼みであったり、クラウドソーシング経由で医療従事者などから記事制作をおこなっているところもある。
私が今携わっている健康情報系のメディアサービスでも同様であるが、編集・公開などのその後のプロセスは必ず、医学に精通している専属のスタッフ陣が行い、すべてのコンテンツをチェックする運営体制に尽くしている。
その中で、スタッフ陣の中でも最近は「ウェルク」についての話が増えており、SEOやコンテンツ面について様々な意見が外部の人も含め、盛り上がっている。
その話の中では、コンテンツのチェック管理体制やSEOに関わらず、そもそも、根本的な問題として「素人」が医療・医学関連の情報を書くべきではないという点に絞られている。
ここ最近のウェルクに対する批判の高まりで、複数の記事が削除されており、ウェルクの運営側も対応をおこなっている様子で、ウェルク編集部からのお知らせというページ(https://welq.jp/64151)では、今後のガイドラインの設備などについて掲載されている。
だが、根本的な問題は「医療」をキュレーション(厳密に言えば転載)でおこなっているところに尽きる。ウェルクのコンテンツページを見ると、情報をどこの信頼元から持ってきているかの記載も一切ない。
また、多くが、ほぼ全てが、どこかしらからの転載であり、出典元の表記もない。これでは「著作権侵害」と言われても仕方がない。さらにその多くのコンテンツが医学情報としての信頼性に大きく欠けている。
調べてみると、コンテンツはクラウドソーシング経由であり、社内でもコンテンツを量産できる体制を持っている可能性がある。医療情報を毎日数百ページ生産し、どのように全てをしっかりとチェックできているのだろうかは、とても疑問なところ。
同時にウェルクはその場で誰でも記事を制作し、公開できる仕組みになっている。これが近年、人気の「キュレーションメディア」であり、この仕組みは「医療」を扱う上で明らかにタブーなことだ。
本来、インターネット上で情報を発信するメディアであれば、インターネットのリテラシーを十分に熟知し、その専門性に理解と知識のある「ライター」などが行うべきであり、編集プロセスもしっかり行う必要がある。
これが「医学・医療」の分野であれば、なおさらのこと。クラウドソーシングなどでお小遣い目的でおこなう「素人」が医療・医学に関するコンテンツを作るべきではないのだ。
すでに、ウェルクでは数万にも及ぶ大量のコンテンツが作られている。そのほとんどが「情報源は何で、どこから持ってきたものか、誰からの助言なのか」等の提示もなく、信頼性に大きく欠けており、何より、多くが転載コンテンツの可能性が高く、薬事法にも引っかかるものばかり。
今後、ガイドラインの設備などを強化するとアナウンスされているが、その前に、いや、仮にガイドラインの設備をしたとしても、「医学医療」をキュレーションメディアという形・仕組みで提供することは、それ自体に大きすぎる欠点と明らかな問題があり、モラルがある企業であるならば、決して手を付けてはいけないもの。ではないのだろうか?
「何故学ぶことが必要なのか」具体的な作用を挙げて語っている。
日本はまだまだ、必要論者であれ不要論者であれ認識の根本が呑気な人が多いね。
切実になった頃には、もう何もかも遅いかも知れない。
J・D・ヴァンス
https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class/transcript?language=ja
0:11
初めて洒落たレストランに 行った時の事をよく覚えています 高級なレストランでした 法律事務所が主催した 面接ディナーでした ウエイトレスが食事前に歩き回り ワインが欲しいかと聞いてきたので 「もちろん」と答えました 「白ワインを少し」 と
0:25
すると彼女は即座に言いました 「ソーヴィニヨン・ブランと シャルドネが ございます」
0:30
その途端頭によぎった事が 「かっこつけたフランス語できどるなよ とにかく白ワインをくれ」 それでも推理力を働かせ シャルドネとソーヴィニヨン・ブランは 白ワインの2つの種類だとひらめき 「シャルドネをください」と答えました その方が僕にとって発音しやすかった それだけが理由でした
0:50
僕がエール大学ロースクールに通った 最初の数年は たくさんこういう経験しました 見た目はみんなと同じでも 文化的には よそ者でしたから 僕はエリート層の出身ではありません 東海岸の北東部や サンフランシスコ出身ではなく 故郷はオハイオ州南部の鉄鋼業の町 様々な社会問題に喘いでいる場所です アメリカの労働階級が抱えた問題を 体現している場所です ヘロインが浸透し 僕の知り合いも含め たくさんの命を奪っています 家族間のもめごと 家庭内暴力 離婚により家族が引き裂かれています 社会にも悲観的なムードが 浸透しています このような地域で 死亡率が上昇している事を考え この状況で暮らす 人々の多くにとって 目の前の問題こそが 地域の死亡率を押し上げる 直接の原因だという事を理解すれば 問題は身に迫ったものに感じられます
1:42
僕はそんな葛藤を 目撃しながら育ちました 僕の家族は長年その苦労と 共に生きてきました 僕の家庭は豊かではありません コミュニティーを汚染した中毒は 僕のファミリーも汚染し 悲しい事に 母も犠牲者の一人です 家庭内では たくさんの問題に 直面しましたが その原因は ある時はお金がないこと ある時は 人材や物資や 人間関係に基づく支援が得られないことで 僕の生活にも 大きな影響を与えました
2:15
もし14歳の僕の生きざまを見て 「この子は将来どうなるだろう」と 考えたとしたら 学者が「社会的地位の上昇」と 呼ぶ面で苦労するという 結論に達したことでしょう 社会的地位の上昇は 抽象的な用語ですが 「アメリカン・ドリーム」の核心に 大きな影響力を持っています 社会的地位の上昇とは 意識であり 僕のように貧しい境遇で 育った子どもが そこから抜け出し もっといい生活ができるのか 今よりも経済的に豊かな生活が 可能になるか それとも今までと同じ状況に 止まるかを判断できるのです 残念ながら 立証されているのは この国における上昇移動は 期待するほどは進んでおらず 興味深いことに 地域によって ばらつきがあります ユタ州を例にとりましょう ユタ州の貧しい子供は 実はそんなにひどい境遇ではないのです アメリカン・ドリームをそれなりに 享受できる可能性が非常に高いのです ところが僕が育った地域 南部や アパラチア地方や オハイオ州南部では 貧困から抜け出す可能性は少ないのです これらの地域でのアメリカンドリームは 事実上 夢に過ぎないのです
3:26
何が原因でそうなるのでしょう? まず考えられるのが経済 あるいは構造的な原因です これらの地域を思い浮かべてください 石炭や鉄鋼業といった産業を 取り巻く景気動向は最悪で 人々が向上するのを難しくしています それが一つの原因なのは確かです また頭脳の流出も問題で 優秀な人々は 高度な技術を要する仕事がないため 地元から離れていきます 地元にビジネスやNPOを 作るのではなく 別の場所へと去っていき 結果的に才能が流出します このような地域では破綻した学校も多く 子供たちへの教育的支援ができず 将来チャンスを手にすることを 妨げています これらの要素は どれも重要です こういう構造的障壁を 軽視する気はありません ただ自分の生い立ちや 育った環境をふり返ると 別のことがおきていて それも重要だったのです その影響を測るのは難しい事ですが 同じぐらい現実的な問題でした
4:19
まず最初に言えるのが 計り知れない失望感が 僕のコミュニティーに漂っていた事 子供達は自分の選択は 無意味だと思い込み 何が起きても どんなに一生懸命努力して 向上する意欲をもっていようと 良い結果には ならないという絶望感です 子供が育つには厳しい環境です そんな思い込みを切り替えるのは 非常に困難で 思い込みは時に 疑いの原因になります 例えば いま盛んに議論されている 政治問題である 「積極的差別是正措置」です 差別是正措置は 政治的な見解によって 仕事場や教室の多様性を促す 賢明な方法かどうか 評価が分かれます このような地域で育つと 差別是正措置は そこに住む人々を 抑え込むものだと考えがちです 労働階級の白人だと 特にそうです この措置は単に政策の良し悪しの 問題ではなく 自分の足を引っ張るために 政治力や資金力を持つ人々が企てた 陰謀だと考えるのです 差別是正措置に対する いろいろな陰謀論が 現実であれ妄想であれ存在し その結果 将来への希望は 歪んでしまいます
5:30
そんな世界で育って どうしたらよいか考えた場合 答えは2つになりそうです 1つ目は「一生懸命 勉強するのはやめよう どんなにがんばっても結果は同じだから」 もう1つの答え方は 「一般的な成功の基準を 求めるのは止めよう 例えば大学の教育や一流な職業 等 そんな基準を気にするのは 自分とは違う境遇の人間だし どうせ彼らには 受け入れられないから」 僕がエール大学に合格した時も 家族に聞かれました 「入学審査委員会に通るために リベラルのふりをしたのか?」 これは本当の話です もちろん大学の願書には リベラルが付けるチェック欄など ありませんでしたが これは こういった地域で 様々な社会障壁を通過するために 自分を偽る必要があるのではという 極めて現実味のある 不安感を表しています これは重要な問題です
6:16
たとえ悲壮感に落ち込まずに 例えば 自分の選択には意味があり 適切な選択をしたいと願い 家族と自分のために 向上したいと思ったとしても 僕が育ったような環境では そもそも どんな選択肢があるのか わからない場合があるのです 例えば僕は弁護士になるには ロースクールに行く必要があることすら 知りませんでした 調査で明らかになっているように エリート大学は低所得層の子供にとって 割安だということも知りませんでした なぜなら有名校には より多くの寄付金が集まり より多額の学資援助が可能だからです 僕自身この事を知ったのが エール大学から資金援助の案内が届き 数万ドルの「所得に応じた援助」と 書いてあった時でした そんな表現さえ 初めて知りましたが その手紙を手にしながら 叔母に言いました 「これって 生まれて初めて 貧乏なおかげで すごく得したってことだね」
7:06
僕が その情報を 手に入れられなかったのは 僕を取り巻く社会的ネットワークが その情報を得られなかったからです 僕はコミュニティーから銃を撃つこと それも上手に撃つことを学びました すごく美味しいビスケットの 作り方も学びました ちなみに 秘訣は常温でなく 凍ったバターを使うことです しかし 社会で成功する方法は 教えてもらえませんでした 教育や将来の可能性に関する 適切な判断 すなわち この21世紀における知識経済の中で チャンスをつかむのに必要な事は 習いませんでした 経済学者は 私的な人間関係 つまり友人や同僚や家族から 我々が得る価値を 「ソーシャルキャピタル」と呼びます 僕のソーシャルキャピタルは 21世紀のアメリカ社会では 通用しないことは明らかでした
7:49
もう一つ とても重要な要素があります 今も続いていて 地域ではタブーとされていますが 現実的な問題です すなわち 労働階級の子供は 「子供時代の逆境体験」— 要は「トラウマ」のことですが これを経験する可能性が 非常に高いのです 親から繰り返し殴られたり 怒鳴られたり 罵られたり 親が乱暴されるのを目撃したり 麻薬の常習やアルコールの乱用を 目撃するといった経験 これらは全部 子供時代の トラウマの例ですが 僕の家庭では よくおきていました さらに重要なのは 家でよくおきていた トラウマは現在だけのことではなく 数世代に渡っているという点です 僕の祖父母は 子供が生まれた時 当然の事ながら子供を 良心的に育てるつもりでした 2人は中流階級で 製鋼所の仕事で まともな収入を稼げました でも 結局 彼らは子供たちに たくさんの トラウマを与えてしまったのです 何世代も前から続くトラウマです 母が12歳の時 目撃したのは 祖母が祖父に火をつけるところでした 祖父が犯した罪は酔っ払って 家に帰ってきた事です 祖母は警告していました 「酔っ払って帰ってきたら 殺してやる」 と そして その通り実行しました 子供にどんな衝撃を与えたか 想像してみてください
9:04
ごくまれな出来事と 片づけられそうですが 実はウィスコンシン州 児童信託基金の調査によると 低所得層の子供の40%が トラウマを複数回 体験するのに対し 高所得層の子供では わずか29%なのです これが何を意味するのか よく考えてみてください もし皆さんが低所得層の子供なら およそ半数がトラウマを 数回は体験するのです これは まれなことではなく とても深刻な問題です
9:34
そのような体験をした子供が 歩む人生は予測できます 麻薬に手を出す可能性も 刑務所に入る可能性も 高校を中退する可能性も ずっと高くなり それにも増して心配なのは 彼らも自分達の子供に 自ら体験した事を 繰り返す可能性も高まるでしょう このトラウマや家庭内の混乱は この地域の文化が子供たちに残す 最悪の重荷であり 延々と引き継がれていきます
10:01
これらの要素の全て 絶望 落胆 将来に対する悲観 子供時代のトラウマ ソーシャルキャピタルの欠如を 総合して考えると 14歳の僕が 統計の数値の一部として 逆境に負けた子供の1人になる 寸前だった理由がわかります
10:21
ところが予想外の事が起きたのです 僕は逆境に打ち勝ったのです 僕にもチャンスが訪れました 高校を卒業し 大学も終え ロースクールに行きました 今は満足できる職についています 何がきっかけだったのか?
10:36
一つ目の要因は 祖父母の存在です 人に火を放った あの祖父母が 僕が誕生した頃 自らの行いを改めたのです 2人は僕に安定した 家庭環境と家族を 提供してくれました 子供にとって必要なことを 両親ができない時には 必ず手を差し伸べて その役割を果たしてくれました 特に祖母は意味のあることを 2つしてくれました 1つ目は 僕が勉強や 子供として必要なことに集中できる 平和な家庭環境を作ってくれたこと さらに それだけではありません 祖母は中等教育さえ 受けていませんでしたが とても鋭い人で コミュニティーが 僕に向けて発するメッセージ 僕の選択には意味がなく 不利な立場だというメッセージに 気づいていました 祖母は ある時こう言いました 「ジェイディー 自分を不運と思うような 負け犬になっちゃダメ やりたいことは何でもできるんだから」
11:23
もちろん彼女自身も 世の中の不公平を認識してました 子供に人生は不公平だと伝えつつ 自分の選択に意味があるという事実を 子供にしっかり分からせる これを両立させるのは難しいことです でも おばあちゃんは うまく両立させたのです
11:40
もう一つ 助けになったのが アメリカ海兵隊です 一般には米軍の一部として知られ もちろんその通りなのですが 僕にとって海兵隊は 人格を形成する 4年間の特訓コースでした ベッドを整えることや 洗濯をすること 朝早く起きること 自分のお金を管理すること 僕のコミュニティーからは 学べなかったことです 初めて車を買いに行った時 ディーラーで21.9%という 「超低金利」を勧められて 危うく契約するところでしたが 結局は断りました 将校に相談したからです こう言われました 「おまえバカか 地元の信用組合で もっとましな契約をしろ」 言われた通りにしました 海兵隊に所属していなければ そのような知識は得られず ハッキリ言って 家計は破綻していたでしょう
12:25
最後に伝えたい事はこれです 僕は指導してくれる人や 僕の人生で重要な役割を 果たした人々に恵まれました 海兵隊から オハイオ州立大 エール大学 そして その他の場所で 人々が手を差し伸べて 明らかに僕に欠けていた ソーシャルキャピタルを 確実に補ってくれたのです 僕にとっては幸運でしたが そういう幸運を得られない 子供たちも多く この状況を どうやって変えるかという 我々全員が考えるべき 重要な問題を提起していると思います 我々は崩壊した家庭に生まれた 低所得層の子供たちに 温かい家庭を どうやって提供するか 問う必要があります 我々は低所得層の親たちに 自分の子供や伴侶と より良い関係を築く方法を どうやって教えるか 問う必要があります 我々はソーシャルキャピタルや 指導力の恩恵を受けていない 低所得層の子供たちに それを どう提供するか 問う必要があります 我々は 労働階級の子供たちに 読解力や数学といった 知識や技能を教える方法だけでなく 対立の解消や財務管理といった 社会的技能を 教える方法について 問う必要があります
13:32
僕は答えを全部 知っているわけではありません 問題を解決する方法を 全部知っているわけでもありません ただ これだけはわかっています オハイオ州南部では 今この瞬間も ある子供が 不安そうに 父親の帰りを待ち お父さんがドアを開けた時 しらふか 酔って千鳥足か 気をもんでいます ある子供は 母親が注射針を腕に刺し 意識をなくしてしまい なぜお母さんが 晩ご飯を作ってくれないのか わからないまま お腹をすかせて眠りにつきます ある子供は 将来への希望はないけれど 必死の思いで より良い暮らしを求めています どの子も より良い暮らしへと 導いて欲しいだけなのです 僕はすべての答えはわかりませんが これは わかります なぜ僕がこれほど幸運だったのか そして この幸運を より多くのコミュニティーや この国の子供たちに与える方法について もっと意味のある 問いを発しなければ この厳しい状況は永遠に続くのです
14:32
ありがとうございました
14:33
(拍手)
マスコミ工作ってほど工作出来てない気がするんだよね。実際、NHK以外にも朝日新聞でも大きめに取り上げられていたし。「百日紅」以上には取り上げられている。ブロックバスターじゃないから。普通にもこれ位だと。たとえば、ジブリ配給の赤い亀の映画取り上げられているの見たか?って話。ジブリ配給だって地味な海外アニメだとこれ位の注目度なんよ。これだって圧力なんか無いし、むしろコネはいっぱいある位なんだから。
もうこの手の「圧力には負けない」宣伝文句とか、自分も割とウンザリで。U杉隆あたりもタブーが無い自由なうんぬんとか、また圧力があったうんぬんみたいな事言い続けていて、かなり信憑性が揺らいでいる。もうおなかいっぱいな感じ。
のんさんの事務所の圧力ったって、吉田豪氏はがんがんリツィートしたり喋ったりしてるけど、別にキー局に一切出られないなんて事は無い。その程度の事だって話でしょ?なんとなく極楽の山本がテレビに出にくいのと変わらない。矢面に立とうと思う人がいないだけ。もしかしたら、TOKYO MXなら出られるかも知れない(笑)。
今回は裏サンデー
やり取りのズレ具合がいいね。
シリアスなのに、そうさせる気がないって按配。
ノリといい、そんな雰囲気じゃないだろうに、完全に不意打ちだった。
不覚にもやられた身としては評価せざるを得ないが、客観的にみるなら雰囲気を一貫するべき場面だったよなあとは思う。
気持ちの持っていき方に困る。
なまじっかキリのいいオチにしていないのはエピソード単品としてはカタルシスが薄いが、テーマを踏まえると教訓めいていてこれでいいんじゃないかな。
他者を許容できないような人間が、自分の分身と対面したときその分身の人格を許容できるのか、っていう着眼点は面白い。
できれば、それを最後の語りで説明するのではなく、ストーリー構成で表現しきることができればよかったが。
まあ、エピローグみたいなものだから、今回の本編に対してさして語ることはない。
総括。
紡がれる理屈の是非というものは、作中でも語られたように側面的な話であって、是非はとやかく語らない。
空想舞台を用意してフィクションという逃げ道を残しつつも、それでも「稼ぐ」というテーマに対して真摯に描き続けた作品かと。
デュランも中々に青くさい人間で、「ヘビのたまご」ってのはこいつのことも指していたのか。
当事者に許されたくないってのは、自分自身が許せないってことの裏返しってことね。
それにしても、12話という区切りもあってか、今回はいわば第一部完くらいのノリだったな。
普通の学力テストのようなことはせずとも、この会社の面接にくる時点でそういう部分での能力が高いことは分かりきっているので、見るべきは別の所っていう理屈なのは分かる。
しかし、それは分かっても筆記テストの問題文の意図は分からないまま。
カンニングしている奴を過激に制裁したのは、まあタブーってことなのだろうけれども、テストの正解は何なのだろうか。
正直、いくらでもモノは言いような感じにできそうだが、できれば納得のいく「これがベストだ」と思えるような解答を期待したい所。
前金で払えるようなキャバクラだとしても上司が金出してないのに部下が先にお金を出すのはタブー。
アホな部下なら自分でホイホイ出してしまうかもしれないがデキル部下なら上司に遠慮するだろう。
最後に清算する店だとしても上司に無断でドリンク注文するような部下(アホは除く)はいない。
こういう安いキャバ嬢は目先のドリンクのキャッシュバックのことしか考えてないから話していてもつまらないから絶対に避けろ。
キャバ嬢さん、あなたは部下じゃなくて上司にドリンク営業しましょう。
「上司さ〜ん♪、部下のまるまるさんと乾杯したいです」とでも言っておけばいい。
18歳の夏、父が自殺した。
反抗期真っ盛り、いつも夜遅くに帰って来て母と口論してばかりの父と話すことなんてないと思ってた。
仕事のトラブルから人知れずうつを背負い込み首を吊った彼は、棺の中で首元まですっぽり隠し、薄化粧の下でちょっと気弱そうな、いつもの父だった。
その顔を見た瞬間、思った。
「父を殺したのはわたしだ。」
もっと父の変化に気づいていれば、父を止められたかもしれない。
もっと父と話をしていれば、父は死のうなんて思わなかったかもしれない。
もっと父に笑顔を見せていれば、父はギリギリで思いとどまったかもしれない。
夜明けごろ、家族をかなぐり捨てても彼岸へ逃げたかった父は、どんな気持ちだったのだろう。
家族に自殺者がいると知られたら、どんな目でみられるんだろう。結婚や就活はどうなるんだろう。
自死遺族が自殺する可能性は、通常の3〜5倍らしい。私もいつか父と同じ死に方をするのではないか。
あの時から10年近くが経つが、後悔と自責と不安は消えない。時間が経ち、考える頻度は減っても、その重みは変わらない。
父と死別していることは周りに言えても、その死因は恋人にも友達にも話せない。
このように自死遺族にとって、死者の話はタブーだ。その人を懐かしんで語ることは、見殺しにした自分には許されない。家族を助けられなかった罰として、あけない喪に服し続け、自分を守るために自死遺族であることを隠して生きている人が多い。
そんな中、宇多田ヒカルの8年ぶりの新アルバム「fantôme」の「花束を君に」を聞いた。
朝ドラの主題歌で耳では知っおり、柔らかな曲調とドラマの内容からほのぼのした歌と思い込んでいたが、改めて歌詞を見て、涙が止まらなかった。久しぶりにしゃくりあげて泣いた。
「今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」
それは、母を亡くした一人の自死遺族が、前を向く為に書いた言葉だった。
そして、わたしが10年間、どんなに探しても見つからなかった、自分を許してあげるための言葉だった。
いままで父を思い出すとき、「ごめんなさい」という気持ちばかりで「ありがとう」って思ったこと、なかった。
ありがとうって言ってもいいんだって、背中を押された気がした。
宇多田ヒカルさん。
ずっと、欲しくて欲しくて、でも自分では与えちゃいけないと思ってガマンしてた救いをあなたはくれました。
自死遺族の団体寄付をしたとかしてないとか一部報道がありますが、正直どっちでもいいんです。
あなたがまた歌をうたいはじめてくれただけで、ここで一人の自死遺族がやっと死じゃなくて生のほうを多く考えて生きていけるようになりました。
ほんとうにありがとう。
【追記】
いままでのいろんな感情が溢れすぎて、肝心の曲名で誤字をしていました…。
いろいろな反響をいただけ、とても嬉しいです。
遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。
年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。
何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。
少なくとも「スカスカ」映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか。
ステマだけではなく本当に評判が良い映画が自分に響かないと、ただ普通につまらない映画を見たとき以上にガックリくる。
この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。
映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。
(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)
映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分を映画館に行かせたという効果は絶大だ。
まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。
むしろ新海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。
キャラ、ストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。
むしろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。
思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。
隣りで見てた50オーバーが号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバーを若い世代という世界には住んでいない。
しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。
ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。
例えば主役が高校生だから高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である。
じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである。
RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか。
自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。
歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。
つまりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)
ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。
昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。
しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。
その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある)
結局作りこみすぎると、ヲタクは解説したくなってしまうのだ。(ヲタク=脚本家・監督)
君の名は。はその絶妙なバランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明の狭間だ。
例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。
でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。
見ても無い自分が「フィクションだからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。
きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品のトリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。
男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガールは王道だし。
その設定を使ったこういう構成の脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう。
「薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。
これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須)
おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。
パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。
パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメはミニスカで絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。
ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。
この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。
そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。
(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題は根深い。)
是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れな批判が溢れているだけだ。
どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。
これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ。
そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。
いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。
若者たちは経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。
でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。
フィクションだから、アニメだから、一つの大きな嘘を内包することができた。
なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。
パラリンピックを見ていて、いろいろと思うことがある
この人はどんな障害があるのか、どうしてその障害を持っているのか、使っている義足や車イスの形や仕組みはどうなっているのか
そういうことを思うたび、これは「差別」ではないのか、障害者である前にアスリートなのだからそういう目で見ずに普通にスポーツとして見るべきではないか、と
しかし、そもそもパラリンピックは障害者スポーツの最高峰で、いろいろな障害の人が出場している
その障害にも度合いがあり、その度合いによりクラス分けされている
そういうことを考えれば、どこに障害があるのかとか、どんな障害なのか気にするのは当たり前のことなのではないかとも思う
そしてパラリンピックの話になると、よく「パラリンピックは見世物ではないか」という話を聞く
見ていてそう思うこともある
しかし、それを言うならオリンピックも見世物ではないのか、スポーツそのものが見世物ではないのか、とも思う
ここにさほど大きな差を感じない
どれも感動的なことだし、どれもとても興味深くて面白い
難民の人が出ることが美談で、障害者が出ることがタブーになる理由は自分には分からない
自分では差別意識はあまりないと思っているのだが、パラリンピックを見ていて思うことがある
選手同士で揉めていたり、少し汚いプレーをしていたり、ドーピングが発覚したりするのを見て、とても変な気持ちになる
それは、どこかで障害者スポーツは綺麗なものというイメージがあるからだ
勝負よりも参加することに意義があるというイメージがある
しかし、出場している選手はただ純粋にスポーツをしているだけだ
オリンピックと同じ程度には汚いプレーもするだろう
「アイヌ殺す」はヘイトスピーチか問題について、アイヌの扱われ方や、私刑の是非について議論が深まる中で、
ブコメでは割と言及があるのに主題としては取り上げられているのを見かけない問題がある。
俺は、もう少し「殺す」という単語はカジュアル寄りに用いられるようになって欲しい。
そして、ゲームに関わる文脈ではもっと許されるようになって欲しい。そう希望する。
http://b.hatena.ne.jp/entry/300683494/comment/Hasta_luego
ゲーム上でのカジュアルな殺害予告と言うと「黒殺す」とか「白殺せそう」などと良く使います、囲碁仲間と。
どこまで行っても「アイヌ」の後ろに「殺す」つけちゃいけない、悪いことだ。それは大前提として
「さすがにアイヌと足すのはいかんよね」 程度の批判で済む流れが増えれば嬉しいな、と思うのだ。
リアルタイムでゲームに夢中になっているときにポリティカルコレクトネスとか考えたくない。脊髄反射でつぶやきたい。
そのとき、やっぱり「殺す」は20年、30年のゲーム文化のなかで標準語とは別のニュアンスを持った独自の言葉なんだ。
だから、ゲームの文脈の「殺す」には、もう少し、寛容になって欲しい。
そして、文脈を読んで欲しいという願望というか圧力にも強弱がある。
10人のコミュニティで使える内輪用語です。キツい言葉だけど、twitterの前後をよくよく読めばニュアンスが伝わるから文脈読んでくださいという人はあんまり多くないはず。
逆に話者数の多い方言です標準語に直すとキツい表現だけどこれは方言なのは文脈読めば分かるよね、という主張なら、大方通るんじゃないかと思う。
ゲーム文化は方言に例える程歴史はないけれど、でも20~30年?言葉は生きている以上、元の意味を侵食する事例としては十分長く続いてきたことで、
その中で「殺す」を独特のニュアンスで使う人もそれなりの数に達してきている。注3
今回の騒動の主題からは外れるけれど、それでも燃料の2割程度には
「ゲームの殺す」は文脈を読めと主張していいほどの、大さと歴史があるだろうという意識と、
ゲーム文化なんていう一部の趣味の表現の文脈を何故わざわざ読み取らねばならないのかという意識との温度差の問題があるんじゃだろうか。
注1
但し、小女子事件は日時まで書いた犯行予告でだから有罪だったけれど、
「アイヌ殺す」のtwitter発言を警察に訴えたら、あの文言だと適当にあしらわれるか、不起訴じゃないかな?
注2
同時に「アイヌ」じゃなくて「ナコルル」でいいだろうという批判にも
そういう文化が育っちゃって、もう止めると何か違和感があるのです、と言いたい。
とっさに口をついて出るのは属性呼びで、それを禁止されたら何かを奪われたと感じると思う。
注3
勿論ゲーム大好きだけれど殺すなんて間違っても使わないって人もいる。