はてなキーワード: なおざりとは
去年某所に5年任期の研究職に就いた。「女性を積極的に採用」と銘打った募集だった。業界的には珍しくもないし、こういう募集で女性だけが採用されるわけでもない。
まして5年限定の契約職員。しょせんは使い捨ての人材である。選考する役員の中には、率直に言ってなおざりな態度の人間もいた。
内定の打診をもらったときこそ一時的に心が踊ったものの、いざ女枠で仕事を進めるにつれどんどん不安に苛まれるようになった。
男性で自分より優秀な人がはるかに不安定な境遇にいるのをいくらでも目にする。本来なら彼らのうち誰かがこの仕事をすべきだったのではないか。女というだけで仕事に就いた無能な人間が何をえらそうに人さまに指示など出しているのだろうか。本来の実力のなさが露見して契約更新を打ち切られてしまうのではないか。
かといって、自分から離職を真剣に考えているわけでもない。結局のところ罪悪感アピールで男性社会に取り入りたいだけなのではないかとも思う。しかしそんなアピールはこの募集に応募している時点で男性にとってはうっとうしいだけだろう。
そもそも女性優遇の募集で採用された他の女性研究者が、同じように罪悪感をもってほしいなどとは全く思わない。採用された男性たちがみな優秀だったわけでもないだろう。女性を積極的に採用するアファーマティブアクションは度合いの調整が求められるものの、基本的に有益な方針だと思っている。
https://www.hrpro.co.jp/glossary_detail.php?id=102
成功体験を自分の能力ではなく運のよさだと思う心理状態のことのようだ。なるほどこれはしっくりくる。
もっとも、自分の場合、非正規雇用の一枠に採用されただけで「自分の力で何かを達成し、周囲から高く評価」というのも自画自賛が過ぎるのだが。
不安に名前が与えられる、というよりよくある現象であることがわかると不思議と安堵感がある。
「なんでこんなひどい奴を採用したんだ」と思われることを怖がっても仕方がない。次の職場の確保に向けた行動と、日々の仕事をこなしていこう。仕事そのものは楽しいのだ。
一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?
エロゲが一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか。
ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術を評論してみようとした
浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志や東浩紀がオタク文化評論をしてる。
一方で別の文脈でオタキングや同人誌における作品評論もあって、
彼らはフロイトの精神分析や民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように
指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって
50未満のオタクたちは、かなりのボリュームが存在しているであろうに取り残されている。
(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸や
最近のオタクはルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)
で、重要なのは芸術の評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラスの作業領域で
実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。
西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。
こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクストで
「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので
上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。
でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。
ここで登場するのが、大塚英志や東浩紀が薫陶を受けたポストモダン。
この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学や価値観より
マイナーとされた文学、価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。
そんな低俗な僻み根性を滲ませた批判をしている人がどこにいる。
企業や客の態度が気に食わないだなんて低次元なことを言ってるんじゃない。
利用客が感染することを心配し、また外出を助長して周囲や自分の近くにも拡散されることを心配し、そしてパチンコが中毒性の高い娯楽の皮を被った実質賭博である特性ゆえに客が自制しづらい環境になってしまうことを心配して、事業者側の人間こそ安全寄りの考え方に徹するべきだと考えて、それと真逆の節がある増田に対してみな口を挟んでいるはずだ。バズって吸い寄せられてきた口汚いヤジ連中も、懸念が先に立って絡んできたはずで、言葉のアヤで人格批判やビジネス批判に矛先がそれているだけだ。
それを、正義のフリだの叩きたがりだのと愚弄して、被害妄想にとらわれ、真剣に心配する意見を受けても「それは誤解で、現実の対策はこう」と丹念に説明するでもなく、接触感染や行列などの指摘も、「勝手な根拠」「お花畑」と断じて、クラスターがまだ発生していないんだから余計な心配だと言わんばかりに、死ね、お前ら人殺しだと吐き捨てている。そんな「今まで大丈夫だったから大丈夫」のような薄弱な理屈では拡大を予防できないことが明確に想像できるから、みな自粛している。なおやたらビジネスの正当化に関しては饒舌だが、そこは今は本質ではない、あくまで緊急事態下の振る舞いの話をすべき。ビジネスの是非はさておきこういう事態下で恨みを買っていることだけ真摯に認識してくれれば良いのだが。ともかく書きぶりを見るに、かなり自分勝手で都合の良い受け止め方をしているようにしか見えない。命の選択などと大仰に言って身内の経済的安定を贔屓するばかりで、市民の生命を危険に晒すことには無頓着に感じられる。むしろ市民を恨んでいるせいで自粛要請の意図を理解できていないそぶりがあり、恐ろしい。何度も指摘されているとおり、「日本はクラスターを追ってそこを潰しつつ生活は続けます」というフェーズは終わっている。それでは拡大が止まらない勢いだから国の緊急事態宣言や自治体からの要請が出されていることをなぜ理解しない。そしてその影響はパチンコ店以外の遊興施設も等しく受けている。だから増田の書きなぐっている感情は大衆への逆恨みであり、責任転嫁であり、拗ねているだけだ。むしろ、非公営賭博なのに特別扱いされているパチンコは国(官と議員)との癒着があるからこそ、長いことメディアでは表立って触れられなかった。そのため自粛のムードが迫るのが遅く、周りがみな自粛ムードに移行してもパチンコ店は相変わらずで浮いた存在として目立つようになってからやっと槍玉に挙がるようになっただけで、他業種より猶予期間が長かっただけ恵まれているのではないか?また最初に述べたことと重複するが、ほとんどの国民は、パチンコ中毒者が防疫的に正しい行動を取れるよう態度を改善できるとは思っていない。だからこそ事業者側の増田のような人間が頼みの綱であるのに、はっきり言って増田の被害妄想と自己弁護の強さには失望しかない。業界が増田のような考えの人ばかりでないことを祈るばかりだ。
業界が逆風下にあるなかで、心労の大きさもあるだろうし、常識を外れた荒れた言動になるのもある程度は分かる。けれどそれにしたって、他人を侮り軽んじすぎていないかと思う。その人格をどうこう言うわけじゃない。その素振りが、ともすると営業再開後も隙あらば自粛を無視し対策もなおざりなまま休業を挽回するような性急な営業をするんじゃないかと思えるくらいに、自己正当化が激しい論調だから、これだけトラバやブクマがついている。大手パチンコ店はさすがにまともだと信じたいが、6月あたりに増田のような意識の店長がいる悪あがきせざるを得ない規模の弱小店が下手をしてクラスター発生源になったりしないか不安だ。追記を読んでもそういう思考回路であることがよくわかる。本筋の話でないながらも「違法じゃないんだから合法」「俺らだけが依存者をカモにしてるわけじゃない皆やってる」「具体的な健全化は医療福祉に丸投げ」という事を無難な言い回しで言っているだけだ。この我田引水な考えのまま行動するのではなく、感染拡大下では「~だろう」ではなく「~かもしれない」を極力徹底して業務にあたってもらいたい。「みんなで頑張って乗り切ろう」を揶揄しているうちは増田のような事業者はその業態に関わらずヒステリックな反応を受けても致し方ない。多くの企業が身を削りながら守っているものを一事業者のせいで台無しにされる恐怖に、みなピリピリしているのだから。
新型コロナウイルスとの戦闘は長期化する。J&Jが来年初頭にも十億人分のワクチンを供給してみせると大見得を切っているがこれはブコメによれば怪しい要素もあるらしい。すなわち神風が吹いても今年中の収束は怪しい。俺は近々感染爆発が確定してロックダウンが来たら戦時みたいで楽しいと思っているが、ともあれ移動の自粛は、三カ月先にせよ三十年先にせよ今この瞬間は全面禁止してもいずれは制御された解禁に切り替わらねばならず、いずれかの時点で通勤電車の感染対策が議論されることは間違いないだろう。
この新型コロナウイルスは微細飛沫を喉に受けたり、汚染面に触れた指をなめたりすることで伝染し、概ね「生活圏に感染者が訪れ、知らず知らず接触し、あるいは飲食中に発声で撃ち出された飛沫を吸い込み、感染する」という形で広まっていると推測される。そこで今は感染者と接触者を追跡し、人と人との接触を断ち、飲食を禁じるという方法で抑制が図られている。しかし、人と人との接触を完全に禁じる、飲食を伴う交遊を禁じることは、永久には続けられない。
上の鍵括弧内を精読してほしい。こうは考えられないだろうか。つまり、生活圏が小さければ被害は小さい。異なる生活圏同士で感染者が移動しなければ拡大しない。接触は、意図的に行う知人間に限ればいい。飲食は、まあ別の論者に譲ろう。つまり、いくら東京都が巨大都市だと言えど、ちょうど秋葉原で無線機を買うオタク、エロゲを買うオタク、エロ本を買うオタク、コスプレ用品を買うオタク、パソコンを買うオタク、女たちの元締めに貢ぐオタクたちがそれぞれ互いに接触しないように、サイエンス・フィクション作品《都市と都市》における都市のように、互いに密接しあう複数の《生活圏》が感染可能な形で実質的に接触する機会を減少させ、感染拡大の被害を局限化することは、可能ではないだろうか。
そこで、《号車固定》という発想を提案したい。なんのことはない、特に首都圏の鉄道定期券利用者に対し、通勤電車の列番、号車を指示するのだ。1号車から11号車までの番号を利用者に対してランダムに指定する。例えば、まずは駅で「号車固定を受けていないお客様はご乗車になれません」というアナウンスを流し、改札口に箱を置くなどして、定期券に貼るステッカーを支給する。路線ごとに配るほか、できれば色で奇数列車や偶数列車、朝何時などと分離を図る。ステッカーは、最低一週間程度、毎日支給する。チャージする際には剥がす必要もあるので一時的なものになろう。もし固定を破るものが続出して問題となれば、ステッカーではなく大規模に費用をかけて乗降時にカードリーダーに通させるとか、バッジや六芒星の書かれた青い腕輪や鞄に貼る大きなステッカーに変えるとか方法はあろう。定期券は制度導入から最短1日、最大6カ月で失効する。導入から3カ月から6カ月もあれば、システム改修によって、鉄道会社のアプリなりカードの印字内容の変更なり、最悪の場合は追加の指定番号書き込み機を用意するなどして、番号を券面に表示することは可能だろう。実際の乗車時には、固定が守られているかを厳密に検査する必要はない。「号車固定をお守りください」となおざりにアナウンスでも流せばよい。非定期利用者は、特定号車に移してもよいし任意車両に乗せてもよい。今の今まで濃厚接触していた友人知人の集まりが規則正しく各車両に散ったりすれば、むしろ大惨事である。だが、階段最寄りなど特定車両に乗客が集中すれば、規律が乱れているとして、乗車率が一定程度に下がるまで、全員を下ろすなどする。目的は乗客の《生活圏》のコンパートメント化であって乗客間の感染防止ではないから、満員になること、それそのものを抑制はしない。
乗る号車や席や列車が決まっている人も、世間には多いだろう。しかし、日によって状況によってその日の気温次第で違う車両に乗る人も同じくらい多いのではないだろうか。この《固定》制度によって個々の乗客の《生活圏》を強制的に切り離し、「感染者が山手線の朝八時台の列車に乗れば、最大何万人が感染する可能性がある」状況から「京急本線504号車5、立会川から品川、途中セブンイレブンでおにぎり購入、乗り換えて東北本線0635G号車8の品川から大手町と乗車すれば、最大456名に感染させる可能性がある」などと被害を局限化することは可能ではないだろうか?
ラーメンを食い始める瞬間に思い付いたので忘れないうちに書いておく。9a1a a36b
「基本的人権である表現の自由をもとに、俺にタダで萌え絵をよこせ」なんていいだすくらいだ
(2018年の増田に数ヶ月に渡ってこの荒らしが吹き荒れたことは記憶に新しい。漫画村首謀者逮捕済みだっての)。
そもそもプライバシー権はリベンジポルノ防止法や個人情報保護法などといった個別法をのぞく法的根拠は
基本的人権まで遡らないといけない。
つまり、アイドルが写真週刊誌に「勝手に私的な場面の写真を取るな」といえる法的根拠は憲法に遡るしかないのだ。
それでも事務所だの報道の自由の権利(報道じゃねえよw)にプライバシー侵害されまくりの日本。
いまから法律家でもない通常の男性やオタク男性に(あったはずの女性のプライバシーを)再発見させるのはとてもむずかしい。
一方、表現の自由とは女をエロくかく自由ではあるが、言い換えれば校閲されない自由にすぎない。
漫画家の収入保証やましてコンテンツ受け取り手の乞食権の保証などではない。
わいせつ物頒布等の罪の存在がその常識を支えているからエロが問題にされるが、
グロ、犯罪(自殺教唆、テロ、薬物)、ゴアなども当然うかつに子どもなどに頒布などすれば罪にあたるだろう。
出版界のゾーニングで許してくれという自主規制も役立ってきたし、
侮辱のうちの国籍ヘイトスピーチ少しだけ立法され充実してきた。
ユーザーであるオタクもあとさき考えず「ゾーニング規制やめろ」の大合唱。
女性エロ単体でなくレイプ犯罪やのぞき、盗撮、薬物、洗脳、ゴア、といったエロじゃない悪
(昔のエロコメディのような勧善懲悪の一部でさえない、ただ女性が困るだけ困って男は喜ぶだけ喜ぶという純粋悪)
とのあわせ技がまじりすぎているのに
ひたすらエロいものは自分に役立つというだけで擁護してのゾーニングからはずせ論がひどすぎる。
このままいくと女性侮辱・ヘイトコンテンツ防止法でも立法しないと聞き分けがないオタクは止まらないぞってとこにおちつくのかね。
消費税増税とか、MMTとかから話題が離れてくれないかってことで出してるんだろうなぁ。
外国や軍隊周りはどうしても危機を煽って強気に出るほうが優位だ。だって危機なんだものね。
で、口喧嘩で強い主張をしてたり、軍隊周りの金を増やせば、危機を煽られて威勢良くなってる国士様ネトウヨ様(笑)の要望を満たすことはできる。
でもナーンにも変わらない。
今まで韓国とゴタゴタしてて、大惨事になったことってあったかね。
いや、経済周りがなおざりになって、不景気になるな。特に外交に対して威勢が良かったのは小泉の頃だったし。氷河期世代を産んだのもその時代。
まさに外国のゴタゴタにつられて、経済政策と行っても所詮、公務員に石を投げればいいんだ!緊縮財政が必要なんだ!で、生み出されたのが氷河期世代。
出来る限り釣られる奴は減って欲しいがなぁ。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。
最近仕事で英文メールに対応しなきゃいけなくなったので今更マスター英文法とか引っ張り出して勉強してるんだが、
(基本的にトラブルに関する話題が多いので、受動態とか過去完了とか現在完了進行形とかの便利さが今更理解できた)
よくわからないのがThinkとBelieveのニュアンス。たとえば下記のようなのをよく見かけるんだが
1) I think this issue got solved by yesterday's patch. Could you check again?
2) I believe this issue got solved by yesterday's patch. Could you check again?
(2)の I believeは、「修正済であることを確信しています」なのか「もしかしたらたぶん直ってるので」なのか、どっちなんだろう
Believeで辞書を引いてみると「物・事の真実・存在を信じる、が本義。確信の弱い時にも用いる」と書いてあって、これ文脈から判断するの無理くね? という
ThinkもBelieveも意見の表明であり、 "This issue got solved by yesterday's patch" よりは弱いというのは理解できるので、
その弱い意見の重みががたぶんだろうが確信だろうが大差ないんだろうなあとは思うんだが
とはいえひとつの単語が「信じる」と「たぶん…だと思う」の両方で使われるってどういうこと? というのが正直言って理解できない
パンパンに泣き腫らした目で友人がそう感想をいうので、同じくパンパンに泣き腫らした目で私は
「すごいすごいすごいすごい良かった...」と言った。
大学の授業を抜け出して二人で行った映画は私たち含め四組のお客さんしかいなかったけれど、アニメ映画「若おかみは小学生!」は私が今年一番、みんなにも見て欲しいと思った映画だった。
見たものとしてはやはり、内容に関して無勉の状態で行って欲しい感情がある。
これから見る人に先入観を抱かせたり、見る前の穏やかな気持ちに干渉したくない。
まず、映画「若おかみ」の監督はアニメ映画「茄子アンダルシアの夏」の監督を勤めた高坂希太郎さんであり
脚本はアニメ作品だと「けいおん!」、「ガルパン」アニメ映画だと「デジモン僕らのウォーゲーム」「猫の恩返し」「リズと青い鳥」「ルーのうた」などの脚本を勤めた吉田玲子さんだ。
(これを書くに至って調べたら本当にいろんな作品を手がけていてすごい...)
そして監督含め、美術監督、作画監督、美術設定はスタジオジブリ出身のすごい方達が揃っている。
ぼんやりとだけでも、す、すごい。。。
「若おかみは小学生!」は良い映画なんだろうな、等身大の子供や大人が描かれているんだろうな、という事がわかってもらえたと思います。
私も見る前まではtwitterなどを見ても全く評判が回ってこなかった。(私のTLのゾーニングがすごいだけかもしれない)
私は茄子アンダルシアの夏がすごく好きだったので行ってみただけで、原作の名前は知っていても(若おかみは小学生!の原作は世代の方なら言わずと知れる児童文学作品)
読んだことはなかった。小学生が若おかみをする話で、予告がすごくいい!しか印象はなかった。
しかし見終わってから調べると色んな人が良いとおっしゃっている。私はあまりにも出遅れていた。
twitterで若おかみ良かった!と言っていた著名人は多々いるが、わかりやすい例として映画監督の新海誠さん
イラストレーターのヒョーゴノスケさん(映画ドラえもん〜カチコチ〜のポスターの人)がいる。
そして何と言っても、原作者の令丈ヒロ子さんが「シナリオ段階から映画に関わってきたのに完成を見て泣いてしまった」(一部ツイートを省略しています)とおっしゃっていた。
これって素晴らしいことじゃないですか?!!?!?!!?みんな幸せな気持ちで応援できる作品じゃん。
(しかしその評判とは裏腹に、興行収入などは駆け出しがあまり良くないらしい。そんなの、悲しい、、、、)
□個人的に見てもらいたい人。
アニメ映画「若おかみは小学生!」は仕草や動き、演出でキャラクターの感情や個性、想いを表現しているアニメだ。
それに加えて、そのキャラクターたちがいる舞台も繊細にキャラクターに寄り添うように描かれている。
もう一度言う。「若おかみは小学生!」は 小説において会話文ではない、情景描写に作品としての深みや魅力を感じるように、
語らずとも動きや演出、キャラクター同士、キャラクターと土地との距離感を描くことで作品に深みを生み出している。
そういう丁寧な作品だ。クリエイター関係の方が多く評価していらっしゃったのにも頷ける。
(聞くところによると制作に三年かかっているらしい。ドヒャー)
だからそういう丁寧さに価値を感じたり、感情を汲み取ったりしやすい人に見て欲しい。
(そういう人の方が面白いと感じやすいかもしれない、というだけで本当はみんなに見て欲しい)(強欲)
□最後に
結局のところ、私は「若おかみは小学生!」というアニメ映画が素晴らしいということを知っているのに、何もしないまま、多くの人が認知できないまま時が過ぎさり、この丁寧さがなおざりにされたお金しか生まれないかもしれない、というのに我慢できなかった、という話だ。
そして、今、「若おかみは小学生!」という作品は実際に上映数が少なくなっている。
朝、一日一回の上映で終わってしまうのだ。昨日一昨日見たばかりのどこでもいるような大学生だが、
子供が地団駄をするようにそんなのおかしい!と純粋に思ってしまった。
私はもう一度おっこ(主人公)に会いたいし、また劇場に足を運ぶつもりだが、正直みんなが見やすい、予定が合いやすいのはこの土日しかない。
どうか予定が合う方はこの作品、「若おかみは小学生!」を一度劇場で見て欲しい。本当に、見て欲しい。
(追記、一回だけではないところもあるみたいだ。でも昼までのところがほとんどらしい。昼までだとどのみち社会人には厳しいのだが今後どうなるかもわからないので(ポジティブ)ぜひご自身で調べて見て欲しい。)
私はこういう推奨文ないし匿名ダイアリーに文章を書くのは初めてのことだが、なんだかすがるような気持ちになってしまった。
この作品の純粋さがみなさんの胸にストンと落ちることを心より願っています。(公式予告映像https://youtu.be/oqWEY1pVACM)
(誤字脱字、文章読みにくいなどあったらごめんね!)
いちおうまだSNS上では友達のままなんだけど、過去の投稿は全然私から見えなくなってるし、「イイネ!」も全然押してくれない。前は気が向いたときや気に入った(と思われる)時は押してくれてたのに。
私にとっては一緒に一週間の海外旅行に行ってくれた奇特な人だ。しかも海外慣れしていない私が向こうの小銭も数えられず、すぐにお腹を下してはウインドウショッピングの邪魔をしても怒らなかった。向こうで怒ってもずっと同じホテルで一緒に過ごさなければいけないので、気まずくなるようなことはしたくなかったのかもしれないけど、日本に帰ってきてからの付き合いもそれまで通りだったし、その後国内の一泊旅行にも一緒に行った。
同じ趣味のサークルに属していて、一緒の仕事も担当していた。彼女はわりと身体が弱くて多少メンタルも不安定な部分があるっぽかったけど、自分が話していて違和感を感じるほどではなかった。自分はあまり気の利かないタイプであるが、何か堪忍袋の緒が切れるきっかけがあったとすれば何だろう?彼女に遊びに付き合ってもらった後にお礼のLINEをしなかったとか、その後彼女が体調崩したときにあまりフォローするような連絡を入れなかったとかそういうことだろうか?自分は「会ったばかりの人にいちいちお礼の連絡なんかしなくていい」と思うんだけど、彼女はそのへんとても丁寧なメッセージを送ってくれる人なので、送らないで平然としているヤツを見ると「失礼だ」と思うかもしれない。ましてや私が一人で行くのが寂しいからと誘ったイベントが原因(?)でインフルエンザに倒れたときに、なおざりに「大丈夫?お大事に」と言ったか言わなかったかぐらいの状態だったので、「あんたのせいなんだよ!」と怒ったのかもしれない。
こうやってあれこれ考えていても正解は出ないけど気になって仕方ない。また趣味のサークルで会ったら、「私何か失礼なことした?」って聞けるかな。それとも共通の友人に相談するか。自分では普通に行動しているつもりでも他人を怒らせることがよくあるので、たぶん自分のせいだと思うけど、具体的になんなのか言ってくれないと分からない。悪いけど私は空気読めないし、そうやって怒る人が怒る理由を説明してもらわないと分からない。
ただ、「ああ、またやっちまった…」と思うだけだ。そもそも皆が当たり前だと思っていることに共感できないことが多いので、「言いたいことがあるならはっきり言えよ」といつも思う。自分が何か失礼なことをしたなら謝るのは構わないし、改善のための努力もするけど、何がどう失礼なのか教えてくれなかったら直しようがない。いわゆる空気読めないヤツを皆バカにするけど、全然それを矯正する気がないのは何なのだ。私が空気読めなくて迷惑をかけているなら迷惑を被らなくて済むようにするべきじゃないのか。
ふだん差別や人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。
確かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。
しかし、彼ら運動家を否定できる倫理的な根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?
実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。
以下は、ハフィントンポストの記事に対してスターを集めていた上位2つ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/
そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為の道徳性が疑問とされている。
そもそも、この運動は代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体が問題になっているのであって、なにも「女性専用」であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?
また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動の価値を毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要だからだ。
この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間が不安に駆られる状況こそ、Aが必要な証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間が不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性が証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性が証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義が必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?
賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメがスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。
ただ、浅薄なロジックはさておき、問題意識は理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性を裏付けている、というわけだ。
この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関は必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。
なぜ、女性だけが「暴力からの隠れ家」の恩恵にあやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。
つまり、女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性を排除することは、一般成人男性それ自体が潜在的な暴力の行使者であることを前提としているのではないか?
なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。
例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行を所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコやタイ、イラン、インド、ブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり今欧米で流行りのディストピア・ドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。
http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men
「女性トイレやレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両の正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性だけが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等な負担を強いられるべきではない)、代替選択肢の存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性は潜在的な暴力被害者であり、男性は潜在的な暴力行使者である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。
はてブの皆さん、差別や人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から、馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性が世界標準以下の性欲アニマルだから仕方ない」で開き直っていいんですか?
余談だがロケットニュースでは、ニュースのタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。
https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/
「キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後の良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。
はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterとブコメで寄せられた、いくつかの重要な質問に答えます。
手段が低コストであることが、その手段に正統性を付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間の利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者と中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラクな解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。
マシなものがないのではなく、マシなものが鉄道会社に選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ・警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。
これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両は痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両は必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題にしろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源は痴漢です。しかし、ここでは対策の方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法が妥当か)が問題になっているのです。
また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性はお断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。
その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。
もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社の営業の自由も一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的に認知されていることをもって、女性専用車両の存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢の倫理を問題にしろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法だから正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。
ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米のリベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。
アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性や権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。
ただし、代替手段のない公共サービスの鉄道、それも日本の通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性と女性の関係において、暴力的な非対称性が一般的に存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性は庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴの議論にも通じるものがあるかも知れませんね。
それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。
しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分の観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。
これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員や監視カメラをガンガンに配置する(もちろん通常車両もなおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。
これである程度は、無関係な人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的な理由はどこにもないでしょう。
「女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。
いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンスが勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的なディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレや風呂と違って、ジェンダーやプライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。
しかも男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理で対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。
これは、以前Twitterで流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦しみが、特定の属性の排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?
もともと、入学した大学には興味が無かった。研究室はもちろん、受けてみたい講義もほとんど無いことは受験する前から分かっていた。
その大学を選んだ理由は受験すれば確実に入れることだけだった。親からは浪人だけは絶対に禁止されていたので、受かる可能性は低い、本当に入りたかった大学にはチャレンジしようとは思わなかった。どう頑張っても、センター試験の結果が足を引っ張ってしまい、二次試験ではかなりの高得点を取る必要があった。そんな実力はその当時の自分には無かった。だから諦めた。
幸い、その大学には編入試験があり、大学生も受け入れてくれる心優しいところだった。高校生の自分はとりあえず別の大学に入学して編入試験で本命の大学に入学できるよう頑張ろうと考えた。
高専出身の人なら分かるだろうが、たいていの大学は三年次から編入することになる。これは編入する前に取得した単位は編入先の単位として認定されるからだ。もちろん、編入先でも開講している講義だけが認定される。一般教養や基礎科目なら十分単位認定されると考えていた。しかし、専門科目になるとそうは言ってられない。何しろ専門が違うのでせっかく取得した単位もほとんど認められない。つまり、編入しても入学した瞬間に留年が決まるということだ。
編入試験を受ける前提で今の大学に入学するという旨を両親に話すとあっさりとOKを貰った。もちろん、もし入学できても合計四年では卒業できないことは伝えている。その当時は、なぜ浪人はダメで編入は良いのか不思議だと思っていた。両親は予備校にカネを払うのが嫌だっただけなのかもしれない、というのが今の自分の仮説だ。理由は後で書く。
原因は分かっていた。アルバイトだ。
今の大学に合格した後、真っ先にアルバイトをした。編入試験や今の大学で使うのに必要なお金を稼ぐためが最初の目的だった。しかし、いざアルバイトをしてみると、高校生のときとは比べ物にならない大金が銀行口座に振り込まれていた。高校生のときに欲しかったものを買い、あっという間に減っていく預貯金。そのために働く。その負のサイクルの繰り返しだった。その間の編入試験の勉強はなおざりだった。結局、編入試験直前になってもアルバイトを辞めず(量は減らしたが)編入試験に臨むこととなった。少し言い訳をするなら、編入試験で出る範囲の半分は二年次の講義内容だったというぐらいか。もちろん、そんなことは入学するときに頭のなかでは分かっていたが。
どうしても、やりきれなく思い、両親に来年も挑戦させてくれと懇願した。両親はあっさりとOKを出した。もし合格しても、やっていることは一浪、一留と同じことだ。この辺から両親の予備校嫌いかもしれないという仮説を立てた。
他大学からの編入には六十単位程度取得する必要がある。そんなもの二年次の前期にはすでに取り終わっている。もう一つはその大学に二年以上在籍したという証明が編入試験を受ける条件だ。
今の大学には在籍しているだけで良い。それだけでもう一度編入試験を受けられる。そう思ってしまった途端、今の大学に対するモチベーションが無くなってしまった。少しは受講している内容に興味を向けようと思っていても全くできなくなってしまった。もともと興味も無い状態で入学したのだから当たり前なのかもしれない。きっと後期の単位のほとんどを落としているだろう。テストを受けているとき、頭の中ではこの解法を使えばいい、と分かっていてもどうしてだか自分のシャープペンシルは動かないのだ。それでも、最初の方は無理やり手を動かして答案を書いていたが、後半になるにつれて全く手が動かなくなってしまった。わかっているのに書けないという気持ちは初めてだった。そのままテスト終了時刻までフリーズしてしまう。専門科目をほとんど落とすことになるので、この大学でも留年は確定しそうだ。
在学証明書やその他諸々の書類が編入試験には必要なので、このまま三年次に上がることになる。
もし、また編入試験に不合格だったらと思うことがある。これ以上編入試験は受けられないだろうと思っている。そうなった時、はたして今の大学に行く意味があるのだろうか。