はてなキーワード: 鬱状態とは
でも実際に、「サンタは居ない」といったらおおなきする3才児とか
それがそのまま大きくなったような大人(俺に清潔感がないわけがない、非モテなのは世の中が悪い)とかいるわけですので。
とりあえず非モテと思い込んだままお情けだろうと喚く男と結婚してから
20年かかって記憶をゆっくり塗りかえる(俺はそこそこ持てた)とかよくありますけどね。
全部たとえ話ですけど。
あなたが「嘘じゃなくてすべての真実に耐えられる」とおもうのも、
(「事実」「真実」をあとになって知らされるのは今言われるよりも必ず何倍もつらいはずだという思い込み)
素人が森羅万象すべてわからないのがあたりまえだから、その道のプロに信頼しておまかせするんですよ。
ちょっとした発達障害とか鬱状態があっての一時的なことかもしれないので
心当たりがあるなら一度みてもらったほうがいいです。
裏切られ恐怖症みたいなことになってるかもしれません。
答がでないので増田で吐き出してる。
前にホームレスにまで墜ちた人が自助努力で立ち直った人の話が話題になってた。
あの人は本当にすごいと思う。なぜならここまでどん底に堕ちても自力で立ち直れる精神を保っている人は稀だからだ。
元々のメンタルが強い方なのかもしれない、または文面になかっただけで精神的に頼れる親族や恋人がいて、見守ってくれていたのかもしれない。
残念ながら大抵の人はこうはならない。心を徹底的にたたき折られて自力で立ち直ることが不可能になる。
僕の知っている限りここまで墜ちてダメになった人がたどるパターンは2つ。自分を責め続けて鬱状態になって自殺願望の塊になる。もしくは責任を他者や社会になすりつけてに被害妄想の塊になる。精神が荒廃した状態になる。
ここまで墜ちて心を折られた人は、もう自力で立ち直るのが不可能になる。親しい家族や親族がいたら彼らに支えてもらって回復を試みることも可能であるが、そこまで墜ちる過程でそういった大切な人間関係を自身の暴言や暴力でぶち壊した人も少なくなく、家族や親族も誰も近づこうとしない。
こういった人が生活保護案件になると、「国の金で支えてもらっているのに感謝するどころか周りに悪態つきまくって刹那的に金を使い果たす生活しかできない」というネットでもフルボッコな案件ができあがる。心がある程度正常でないと将来に備えてお金を管理して使うということができないのである。そしてそれを注意してくれる家族もいないのである。
僕の身内にも後者のケースが一人いる。何度も話し合いをしても被害妄想の塊で、彼自身の言動や行動で家族との絆を粉々にして、年老いた両親とあいつの息子はあいつを残して他県に引っ越した。そして彼は現在住む場所もなく軽自動車の中で寝泊まりしてる。
僕からも何度か仕事を紹介したが、初めて数日で「俺をだました両親やお前に落とし前つけるまで仕事なんてする気にならない」とバックレてもう紹介するのも無理になった。
なんとか彼が通えそうな病院や施設への入居を勧めたら激怒されて、それっきり連絡も途絶えた。
何を話しても過去の自身の失敗を認めることができず、結局他者や両親に責任をなすりつける。
正直彼がどうやって立ち直ったらいいのか見当もつかない。生活保護でも受けたらいいんだろうが、そうしたら彼が大事にしてるあの軽自動車も手放すことになるので申請してないらしい。
僕も彼の件があっていろいろな制度を調べたが、どれも当人が自発的に動かないと使えないものばかり。
世の中の制度というのは「自分のことは自分で解決できる大人」むけに設計されていて、彼のようないいおっさんなのに自分では何もできないクズが使える制度は見当たらない。
精神病院などの強制入院も人権侵害に引っかかるのでハードル高い。そりゃ俺や周りの人間が素人判断で「精神病案件だわ」って思っても、医者の診断なしで入院させることなんて無理筋だろう。だがこういった人間は自分で精神科に診察すら行ってくれない。心が壊れているのに自分が正常で回りがオカシイと思い込んでいる人間に何ができるのか。
高校時代はあんなに活発で面白かったあいつが、あそこまで墜ちて、それをみて僕や両親すら何もできないのが現状である。このままだと万引きなどの軽犯罪を犯して刑務所に入れられるのがベストシナリオなんじゃないかとすら思えてくる。
彼のように心が折れてしまった人はどうやって生きていけばいいのだろうか。答が出ない。
追記:これの末路です
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
偉人伝とか発明家の話をよく読んでいたからか、自分は特別な存在でなにか社会的に意義のあることを成し遂げる人間だと思って生きてきた。
色々あって、最近霧が晴れたように自由に自然体で過ごせていて、この状態の自分をBとする。
AとBで考え方の特徴をあげてみる。
【A】
傷つきやすい
優位に立ちたい
なんでも知っておかないと気が済まない
怒りを感じやすく溜め込み爆発する
恥じることが怖い
【B】
意見を否定されると自分自身が否定されたわけではない。視野が広がるので理由を聞かせて欲しい。
言葉はそのまま受け取る
その場で起こってないことで勝手に傷つかない
本当に知りたいことに時間を使う
怒りは言語化しその場で伝える
恥じたところでみんな他人にそんなに興味ない
こうしてあげてみると、すごく楽になったなと思う。毎日が楽。体調も良くなった気がする。
でも、AとBで、変わらないこともあるのであげておく。
【共通】
物事の成り立ちを知るのが好き
1人の時間が好き
服や化粧品が好き
変わったきっかけは、一度ひどい鬱状態になったので無理しないように心がけながら過ごしたのと、正社員登用試験。
試験というか、正社員にふさわしいか見られる期間があって、自分のやりたいことをあげてそれに取り組む姿勢を審査されるんだけど、改善点はあげられるのにやりたいことはとってつけたようなものしかあげることができなかった。
じゃあ自分のやりたいことってなんだろうって考えだしてから、どんどん変化した感じ。
結局正社員にはなれなかったんだけど、変わるきっかけになったこの試験については感謝してる。
周りやネットでも、Aに近い状態で苦しんでる人をよく見るんだけど、そういう人たちにも、私みたいにちょっとしたきっかけが訪れればいいな。
数年前、嫁に携帯を使う必要がある頼み事をされた際、マルチタスク画面(バックグラウンドで起動しているアプリの画面が出てくるアレ)を見たときに、ツイッターのスクリーンが映し出されていた。
かなり刺激的な悪口を書いているアカウントのツイート一覧ページであり、かなりアカウント名も覚えやすかった事、また、当時は、鬼女系のまとめブログを読むことが大好きだったので、刺激的なそういった内容に飢えていた事もあり、から、頼み事が解決した後で、自分のスマホでそのIDを検索した。公開アカウントであったので、自分も見ることが出来た。
最初は旦那死ね。とかそういった書き込みを見ていたが、次第にその内容は、俺と嫁しか知り得ない・遭遇し得なかった内容が記載されていることに気付いた。嫁の裏アカだった。
気付いた瞬間に、吐き気が止まらなくなり、即ページを閉じた。が、どうでも良いことはすぐ忘れるのに、その内容を忘れることは出来なかった。
いつの間にか俺は嫁をここまで追い込んでしまったのか。と言う気持ちと、仕事と、休息時間以外の全てを捧げても、これ程辛辣な事を書かれてしまったらこれ以上俺は何を犠牲にすればいいのか。そういった気持ちになってしまい、それから何も手が着かなくなってしまい、仕事のストレスもあり、軽度の鬱状態になってしまった。
嫁に、鬱になった事を相談したが、今は自分と子供の事で手一杯で余裕がないらしい。確かに、仕事が忙しく、家庭に負担を掛けていたが、パートナーが鬱になった時も、相談に乗ってはもらえないものだろうか、利己的であることは承知しているが、優しい言葉を掛けて欲しかった。
その後、妻とは、仕事が年単位の出張になった際に、別居して、生活スタイルを変えたが、結局は持たず、離婚した。
そして僕は休職をしている。
いや、精神科に行けよ、で終了なんだけど。
なんだけど。。。
そして今、そのサイクルが三週目に入り、軽い躁状態に移っていると思われる。
わかる人にはわかると思うのだけれども
頭の回転も従来比でそこそこ速くなり、ポジティブな考えが出来る。
というか、現状は充実しているので、この状態で居たい。
過去の実績からすると、この状態から本格的な躁に移るのは時間の問題だと思う。
それを抑止すべく精神科に通院するべき、ということは分かってはいる。
そのことを思うと二の足を踏んでしまう。
精神科に行く、それしか答えはないもののこの状態から鬱になることに恐怖している。
現状をキープしたいという願望とやがて来る躁への対処の間で揺れている。
本格的な躁にも鬱にもならずに、今の状態をキープする、そんな都合の良い方法はないものか。。。
------以下、蛇足------
一回目は、十年ほど前のことだった。
今振り返れば、攻撃的な発言が多くなり、周囲とトラブルを重ねた結果
ただ、その後服用した薬を調べればその病名にマッチしたので間違いはないと思う。
その後、数ヶ月で(服用した薬の効果があったのか無かったのかは不明だが、)躁は治まった。
その代わり、2年程鬱に沈み、つらい日々を過ごしながらも、ゆるやかに回復することができた。
二回目は、五年ほど前。
このときは経済的にも余裕があり、一人暮らしであったためいろいろハチャメチャをした。
ただ、転勤を契機に躁転したため、周囲がそれに気づくのが遅かった。
その余りに高いテンションに転勤先の上長がおかしいと思ったのか
転勤前の上長に相談したらしく、転勤前の上長と面談をすることになった。
「一体、どうしたんだ?」という類の質問を受けていたが
何故面談なんかしなければならいのかと、勝手に腹を立てていた。
鬱状態が1年程続いた。
そして、軽い鬱なのか、普通なのかといった状態を経て今に至る。
まだ十数年しか生きてきていない中で四年間くらい鬱で悩まされていて。
鬱の定義って難しいから本当の意味で鬱なのかは分からないですけどね。
最初の2年くらいは生活に支障は無かったのですが、最近は身体を動かすことでさえダルくて。
って話すと、ド正論の精神論が飛んでくるのですが、そういう問題ではないんですよね。
他人と話す分にはなんの支障もないのです。極端にコミュ障なわけでも、不登校になってる訳でもないのですが
ここ2年間。月一ないしは二三回学校を休むようになってしまいました。
学校で虐められているとかそういう訳でもないのですが、簡単に話すと “学校に行く理由が見つからない” のです。
もちろん、就職のため...進学のため....と言った話は分かるのですが....別に生きている理由も無いんじゃないかと最近強く思ってしまうのです。
今は進学という建前で話がすすんでいるのですが極端な話、フリーターでも良いかなって思うんです。なんでもいいんですよね
自殺とかも考えたりはしたんですけど
生きる意味も見つからなければ、死ぬ理由も特に見つからなくて困ってます。潔く死ねればいいんですけどね。
まぁ。そんな中で今日は
「くらげバンチ」というサイトで連載されている「働かないふたり」というマンガが面白かったので、ぜひ読んでみてください。
ニートな兄弟の話なのですが、少し考えさせられるものがありました。
もう既に200話以上あり、公開終了している話もあるのですが、1話完結していて、公開している話だけを読んでいても全然内容は把握出来るので、読みましょう()
.
まぁ自分は自称鬱状態ながら、なにをしたらいいのか分からない日々を送っていますが、もう少しだけだらだらと生きていたいと思います。
文章化することで少しだけ楽になったような気がします。ここまでお読みいただきありがとうございました。
縁が合えば焼肉食べに行きましょう
友人とは中高生のころに知り合い、もう10年来の付き合いである。
友人とは席が前後だったことがきっかけで仲良くなり、お互いオタクだったこともあってすぐに仲良くなった。
友人と私含めたグループで昼ご飯を一緒に食べたり、放課後にどこかに寄り道して遊んだり、土日に集まって
馬鹿な事をして遊んだりした。あの時は本当に楽しかった。短い私の人生の中で一番楽しかった瞬間だと、今も胸を張って言えるぐらい。
大学生になっても、社会人になっても、友人との関係は続いた。会う頻度は減ったけれど、集まればすぐに学生の頃に戻った。
友人がおかしくなったのは3年付き合った彼氏にふられてからだ。
私からするとろくでもない男だったが(友人から話を聞いていて正直別れてしまえと3年間ずっと思っていた)
友人にとっては大切な彼氏だったようで、別れた後の友人の憔悴っぷりは凄まじかった。
体調が悪く、精神的に不安定な状態がずっと続いた友人を私は心配していたが、ある瞬間から友人は持ち直し、以前のように元気になった。
元々ミュージカル等が好きだった友人は舞台にはまり、推し俳優ができた。
友人の推しである俳優Aは確かにかっこよく、人気があるというのにも頷けた。
友人は推しの舞台に足しげく通い、パンフレットやブロマイドを買い、DVDをそろえ、TVに一瞬でもうつっていたら必ず録画した。
一時期鬱状態にも近かった友人が元気にオタク活動をしているのを見て、私は良かったなぁと思っていた。
ただその安心は、今思えばかりそめだった。
初めて違和感を感じたのは、友人が旅行に行くのを渋った時だ。二人で旅行でもしたいね、とは昔からよく話していたのだが、
私が「連休の時にここに行くのはどう?」という提案をしたら「高いから無理」と却下されてしまった。
場所は伏せるが金額にして5万である。いわく、最近入り用が多く、一人暮らしの身としては、今は5万すらも厳しいと。
そもそも私と友人の休みを合わせるとしたら飛行機が安い時期にチケットを取れるわけがないので何を今更とは思ったが、
まぁそういう時もあるよなと思い直し、その旅行の話は無くなった。
だがツイッターを開くと、友人は俳優A目当てに同じ舞台を一月に10回以上観に行き、宿泊込みの遠征にも行っていた。
すっと自分の血が冷たくなるのを感じた。
このエピソードに似たことが他にもあり、自然と友人とは疎遠になった。
疎遠になっている間、友人とは一切会話をしなかったが、ツイートはタイムラインに表示されるのでたまに見ていた。
友人はネット上で舞台仲間を作り、どんどん俳優Aに傾倒していった。
舞台を観に行くだけでなく、写真集を買ったり、握手会などのイベントに参加してチェキを撮ったりしていた。
そんな友人のホームは舞台関係のツイートか『彼氏なんていなくても人生楽しい』『結婚しろと言ってくる世の中はクソ』
みたいなリツイートが大半だった。
この前、学生時代のグループで久しぶりに集まろうという話になり、私は友人と再会した。
その時友人は「旦那はいらないけど子どもは欲しいなwだからまぁ…結婚したほうが良いんだろうけど」と笑って言っていた。
誰がお前みたいな人間愛すかバーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!
普段舞台に金ドブみたいにつぎ込んで?リアルの予定全部ブッチして舞台行って?半年とか1年後も舞台の予定が
スケジュールにびっしりだからそもそもリア友との予定が皆無のお前なんか誰が好きになるかバカ!頭おかしいんじゃねぇのか?
舞台以外に金払いたくねぇから今日の飲み会もテメー一人だけ金少なく出したの気付いてんだよバーカ!
何が「おろすの忘れちゃったwごめんw」じゃねぇよクズ!
リア充に対して嫉妬があるなら同じようにすればいいじゃん。舞台に逃げるのやめればいいじゃん。
趣味が無い人間、彼氏がいる人間、結婚する人間、ディスる意味がわからんわ。
舞台を至高の趣味みたいに思ってその他の趣味をディスる神経もわからん。
お前みたいにプライドが高くて周りの人間を下げなければ生きていけない人間、誰が好きになると思ってるの?
女だろうが、男だろうが、誰もお前なんか愛さないよ。だって一緒にいても楽しくないもの。
学生のころはそんなんじゃなかったじゃん。確かに昔からひがみっぽいとこはあったし、片鱗はあったけど、こんなんじゃなかったじゃん。
今のお前、最低だよ。プライドばっか高くて、他人の悪口ばっかり。なんでこんな風になっちゃったんだろう。
お前じゃなくて私が変わったのかな。どっちも変わったのかもしれない。
結婚しても、何歳になっても、ずっと仲良くしようねって、言ってたあの頃に戻ってよ。
幸せに生きるためには、やらなければならない事と、やってはいけない事があると思うんです。
それは多くの場合、常識や文化として親から子へ伝えられるものなので、「あたりまえ」にできたり出来なかったりします。
今日、4歳の息子が指を失うところでした。
ーー**ーー**ーー
原因は「ガードがない扇風機に指を突っ込んで切断」というものです。
普通の扇風機です。前半分のガード部分が完全にありませんでした。そして、電源に繋がれ、回転して、涼しい風を送っていました。その扇風機は義母の部屋にあったもので、今日はリビングのすぐ前の廊下に、少し下向きにして設置してありました。
自分と息子が風呂から上がると、その扇風機はすぐ目に入る場所にありました。
扇風機に近づき、しゃがんで顔を近づけて覗き込み、指を回転している羽根の中央に、指を差し込もうとしました。自分の目の前で。
怒鳴りました。何やってんだ!って。それで息子は離れた。同時に怒鳴りました。
何考えてんだ、こんなところにこんな状態のもの置くなんて!!!
ふざけんな!!!
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指を切断って思ったけど、もっとひどいことになっていた可能性もあるんですよね。指を弾いたあと、倒れ込んできて顔に当たるとか。そうそう、髪の毛が絡むみたいな事故もあるんですよね。扇風機って。ガードがないむき出しにで使っていれば、ちょっと引っ掛けただけでグチャグチャです。
扇風機が義母の部屋にあった事自体、今日まで自分は知らなかったんですが、息子は義母の部屋に行くことがあるので、他の日に同じ状況になっている可能性がありました。
ブチ切れました。
そんな危ないものを平気で置いていることに。彼女にも伝わるように例えを書くなら、義理の母親が息子を殴っているのを目撃した感じ。言っておくけど「危険性」はその例え話の比ではない。そんなことができる人間がいるなんて信じられない。
まあ、なんですけど、結局。
なんでブチ切れてるんだ、態度が悪い。というのが、彼女と義母と義父の感想だったみたいです。義母が言うには「鉛筆やこよりを突っ込んでどうなるか見せ、あぶないと伝えていたから大丈夫だと思った」ということでした。んなわけあるかよ。
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話を聞くと、義母の親が結構な毒親だったらしくて。70近いですがそこから逃れることは出来なかったのかもしれません。彼女は昔ながらの高級バーっぽい店をやっているんですが。妻と結婚する前、お店の中でお客さんが段差で転んで、頭に怪我をした場面に出くわしたことがあります。
彼女は一生懸命「そんなことが起こるとは思わなかった」「気をつけていれば起きなかったのに」って言ってました。この土地でこういう商売をしていて、このレベルの対応なのかー。と暗澹たる気持ちになったのを覚えています。結構高い金とる店なんですけどね。救急車も呼びませんでした。その後聞いた話によるとそのお客さんは当日一定期間内の記憶を失っていたらしいです。
それを見たことがあるので、彼女の店に、自分の友だちを連れて行ったことは一度もありません。これからも絶対にないです。プロとしての彼女に価値を感じないからです。
余談でした。
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もう一つ、事例を。自分の実父の話です。
『彼』は、兄を水の事故で失っています。『彼』が小学生になる前のことで、彼の兄は小学校の4年生だったそうです。
天気が悪い日が続き、その晴れ間のある日、川が増水していると聞いた『彼』は、慕っている兄に見に行きたいと強くせがみました。いつも見慣れた川がどうなっているのか、知りたかったみたい。詳しくはわからないのですが、彼らは二人で、少し離れたその川を見に行きました。そして足場が悪いところに入ってしまい、兄は川に流されました。後に下流で遺体が見つかりました。
話を聞く限り、それを誰も止めなかったし、子供だけで川に言ってはいけないと言われてもいなかったし、川までの道すがら誰かが声を掛けて止めることもありませんでした。そこが炭鉱の町で、ほんとうの意味で「地元」の人が少なかったことや、そもそもお互いに注意し合う雰囲気ではなかったのかも知れません。
ともかく、事故は起き、『彼』の兄は死にました。
もちろん、これは人づてに聞いた昔話でしか無いので、もしかしたら本当に、ただ、どうしようもなく起きた事故だったのかも知れません。
母親は「お前が殺した」「おまえは地獄に落ちるぞ」「出て行け」と『彼』に言い、宗教に逃げました。そして、三男を猫っ可愛がりするという方法で『彼』を攻撃しました。
父親はほとんどその昔話には出てきません。常日頃は面倒見のいい人だったし、仕事も出来た人らしいのですが。もともと戦争でPTSDを負ってしまった人だったようで、夜中飼い犬がうるさいと言って撃ち殺したなんていう話が伝わっています。その人は『彼』が高校生の時に炭鉱の事故で死にました。『彼』は自分の父親のことがよくわからないと言っていました。
兄の友達からもかなりいじめられたみたいです。小学生ですからね。そしてなぜか、子供の間でも「彼のせいで死んだ」という話になっていたようです。子どもたちの間でも『彼』は、事故で死んだ友達の弟であるとか、兄を目の前で失った気の毒な下級生ではなかったんです。
『彼』は大学に行ってようやく親やその場所から逃れることができ、結婚して子供も出来ました。子供が本当に小さいうちはそれなりに接することができたみたいなんですが、その子が小学生になり大きくなるに従って、だんだんと接する時間が短く、仕事に逃げるようになりました。その子供も、まあ、いろいろありまして、素直にまっすぐ何の問題もなく育つなんてことはなく……。トラブルを抱えたら『彼』はもうちゃんと向き合うことは出来ませんでした。
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いっぱいあるんですが、自分が義父や義母が嫌いになった一つのきっかけなど書いておきましょうか。
鉛筆やハサミなどと一緒に。刃渡りでいうと15cmくらいのやつが二本。
彼女(...つまり自分の妻ですが)は、本人が持つ病気の素養と、事件に巻き込まれたPTSDが合わさって、彼女が中学の頃からずっと鬱状態と希死念慮と戦っています。常習的にオーバードーズやリストカットもしていて、腕の傷跡なんか右も左も白樺みたいな、ひどい状態です。結婚して、また持病に合う薬もなんとか解りつつあり、ようやく腕を切ることはほとんどなくなりました。長袖いつも着ないといけないって、今では本人もすごく気にしているんですけどね。
ね。
ここでちゃんと違和感とか、嫌な気持ちを持ててますか?「刃渡り15cmのナイフが食卓の文具立てにいつも置いてある」んですよ。
「死にたくて腕を切った次の日の朝、食卓で刃渡り15cmのナイフを目にする」なんて、どういうシチュエーションだよ。どんなメッセージなんだ、それは。
刃物を台所から持ち出さないとか、ちゃんと片付けるのは「危険物に慣れさせない」という意味もあるし、ふつう、この状況になったら刃物は一切遠ざけるでしょう……。
妻も、義父も、義母も、たぶん息子も、違和感を持っていないでしょう。それが「あたりまえ」だから。
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もちろん、事故とか怪我とか病気とか、犯罪に巻き込まれるとか、本当にどうしようもないことって起きます。だから、不幸に原因を求めることは「絶対に」「絶対に」良くないことです。
ただ、確かに、「幸せに生きるための文化」があれば、起きなかった「かもしれない出来事」ってあるんですよ。危険の確率だけは減らせるんだ。そして、もし仮にどうしようもなくそれが起きても、フォローしたり、助けたりするために「やらなければならないこと」「やってはいけないこと」は確かにある。
そうすれば、悲しいことはそこで終わらせることができるはずなんだ。
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ちなみに、彼女は二度目の妊娠中なんですが、タバコを辞めていません。(お酒とナマモノをやめたのは評価してます)
彼女はお金の使い方がわかってなくて、リボ機能でカードの残枠埋めながら、夫には嘘をついて使い続け、任意整理に追い込みました。年収600万くらいにようやくなったんで、債務整理と副業含めればなんとかなるとは思うんですけど。
上記文章の通り同居なんですが、義父名義の家のローンも終わってなくて、娘婿から取る家賃は15万/月。税金逃れのために「家賃」ではなく「分担金」と呼びます。もし離婚したりして家賃が入らなくなったら家を売るしかなくて、義父・義母も仲悪いから一家離散するでしょう。その上で、孫を危険にさらし、それに対してふざけるなと怒鳴った娘婿は追い出す気みたいです。彼女は夫より息子より、自分の親との関係が大事だってさ。
ちなみに、書いてないだけで、まだまだいろいろあるからね?笑
ははは。
ね?わかる?
文化って、怖いよね。
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ねえ、君は、ほんとに、どうするの?
「妻は子供に関することはすべて自分が巻き取ると」言っているなら、
家庭内で無料の精子提供者として仕事をすればいいだけではないだろうか。
別に死んでも増田は明日もあるし僕らなんにも痛痒ないけど、自分の遺伝子残るのがそんなにいやという気持ちはさっぱり理解できない。
いわゆるゲーマー世代の発達障害で0か1の極端な結末しか選べない人らしいというのもわかるけど。
自分の周りにも単身赴任のお父さんが子供をほとんどだっこしないで勝手に育っていった話とかよく聞くけど。
何がそんなに怖いのかなと。
奥さんが前言を翻しがちだったりキレたりしやすいのにそういうできもしないことを言っているように見えるのなら、それは子づくりとは別の問題だし。
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くのが辛い。
5〜6日の内訳はこうだ。
1日ソープ(1日4〜6万円)
ソープが減ることと裏引きが減ることはある。派遣の事務は週4の契約なので基本は減らない。私が突発的に休むと減る。
小学生まではまともな人間の擬態ができていた。中学受験のため塾に通っていたのもあり、成績は良かった。
過食嘔吐とリストカット。度胸がないので傷は浅い。アラサー現在残ってはいるけれどそう目立たない。
母に電車で寝過ごしたから遅刻と伝え、体調不良のため遅刻と連絡をいれてもらった。私は体調不良でもなんでもなく、ただ環状線をうとうとしながらやりすごし、3〜4限目から学校に行った。
大学にはいり、生活はいよいよ破綻した。大学に行かないので当然単位は取れない。とくに宿題のある講座が苦手で、宿題ができていないために出席ができない講座がいくつかあった。語学系の講座と、学科の必修科目だった。
大学1年の夏、チャトレ的な仕事で稼ぐ予定だった出会い系サイトで援助交際を知り、サークルの先輩で処女を捨てていわゆる援交少女となった。
大学5年目の秋、卒論の提出期限を家で過ごして安堵したのち、自分の現状が不安になって「やるべきこと できない」でGoogle先生に聞いてみた。
実家から一番近い"大人のADHD"を扱う精神科医にかかり、心理検査などを受けてあなたはADHDですねという診断を受けた。
大学が県内でいちばんいい私立大学だったこともあり(中学受験をした学校の付属校だ。成績が悪くても推薦入学が可能だった)、大学を辞めるのはもったいないのではと主治医に言われた。
私は6年目を過ごしたのちに大学を卒業する自信がなく、親に診断結果を告げて大学を5年で退学した。
実家を出て、インターネットで知り合ったデリヘル嬢と暮らしはじめる。彼女に紹介してもらい、デリヘルで働く。
実家を出て2年目の夏、両親に今の仕事を心配されて正社員になる。第二新卒に強い転職サイトを利用した。
しばらくは順調だったが、友人との関係がこじれたことをきっかけに鬱状態になる。
高校時代学習塾に思うように行けなかったり、大学時代軽音部の課題キーボードが進まなかったことで自殺を図ったことはあったため、彼女が悪いとはとても言えない。
鬱状態になってから、それまでの趣味が色褪せていたこともあり、精神科にかかる。
私の主訴は、見捨てられ不安からの鬱状態だったためか、双極性Ⅱ型の疑いを持たれ、躁鬱向けの投薬をされていた。
ご存知のかたも多いとは思うが、精神科を予約するためには1〜2ヶ月待つ必要がある。私が待っている間に友人との関係はゆっくりと改善され、主訴はADHD的な、毎月1日くらい当日欠勤してしまうとか、仕事中ねむいとか、集中できないとか、そういう内容になるはずだった。
主治医はADHDよりも躁鬱を優先すべきだと言った。わたしはADHDが自己否定感情の由来であり、躁鬱の原因なのではと話した。
私が大学時代検査を受けた病院の診断書を今の病院に届けるのをめんどうがり、そうこうしているうちに職場へはどんどん行かなくなった。
職場に行けていないことや、風俗で生計を立てていることをきちんと話せない病院なら通う意味はないのではと思い、病院に行くのをやめた。
有給がなくなったことをきっかけに、職場を1ヶ月休職した。1ヶ月間給料はもらえなかったがのびのびと過ごした。
生活のなかで、私のできる仕事は今の職場の仕事だけでなく、もっと選択肢があるのではと気付くことができた。
(休職するまでは、そのとき勤めている会社で働けないことはすなわちふつうの会社に勤めていけないことだと考えていた)
仕事を辞めて、派遣の仕事を探しはじめた。私は自分で面接をセッティングすることを避けていたし、できればフルタイムではなく週3〜週4の仕事をしたかった。
派遣先は大企業で、仕事は暇だ。私がいなくてもまわっていく職場にいるとはっきりと言える。
私の当日欠勤の癖はなおらない。朝起きて、仕事に行くことがどうしても無理な気がしてしまう日が月に1〜2度ある。
ソープや裏引きの日も合わせると月に4〜5度ある。
今はマネージャーやソープの店員、裏引きの相手に連絡することで休みをいただいているが、次の派遣先はこうもいくまい。あるいは、今の派遣先でもすでに私の欠勤は問題視されているかもしれない。
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くことが難しいと感じることがよくある。朝行くことができないと感じたり、遅刻してでも出勤できないと感じたりする。
宿題のある講義が苦手だったことを踏まえると、在宅であっても仕事ができるとは思えない。
もしかしたら、毎日家まで迎えに来てくれる人がいることで私の当日欠勤癖は治るのかもしれない。でもその人の給与は誰が払うんだろう。
数年前、鬱と診断された。
精神科へ行き『こんなにしんどいんです、つらいんです』と訴えて鬱という診断をもらった。
今思えば、あれはきっと鬱ではなかった。
その時は本当にしんどいと思っていたから、『やっぱり私鬱だったんだ!』って肯定されて安心した覚えがある。
楽になるかと思ったら副作用がすごくて、1日中吐き気が続いてまともに動けなかった。
先生は2週間くらいで慣れてくると言ったけど、その間副作用がひどいと分かっている薬をのむのはしんどかった。
ある日、薬を飲み忘れた。
多少の離脱症状はあったものの、薬飲まない方が身体がはるかに楽だった。
ストレスはとくに軽減されてなかったけど、薬を飲んでも気分が楽になったり前向きさがでることはなく
だんだん、病院から足が遠のき、薬もなくなり、今までと同じように過ごすようになった。
ストレス源と少し距離を置いたおかげで、薬がなくても気持ちが軽くなってきていた。
きっとわたしは鬱なのだ、と思い込んで、鬱病という診断を受け取るためにがんばり、
本来は飲まなくてもいい薬を飲んで苦しんでいたんだと思う。
一時的な抑うつ状態の時や、ただ落ち込んでいる人には、精神科の薬は強力すぎて害の方が強いのかもしれない。
精神科に行くのは悪くない、でもうつ病系の薬は安易に飲むと本当にしんどくなるから、
処方されたのに飲んでも全く改善しない、飲んでない時の方が楽という場合は、深刻な鬱状態までは落ちてないのかもしれない。
でも薬を飲む時は、本当に薬が必要なレベルで困っているか自問自答してみてほしい。
鬱っぽい、くらいの感覚で飲むと本当に後悔する。
俺は長いこと鬱病で、ストレスがピークを越えると何もできなくなるんだよね。
はたから見ればそれは「何もしてない。甘え」みたいに言われるんだけど、
だから鬱病がどんなもんかと説明しようとするんだけど、これがなかなか難しい。
表面上はダラけてる人にしか見えないんだけど、実際には精神も肉体もボロボロだったりする。
よく誤解されやすいが、鬱病は心の病で体には影響がないという話は間違い。
実際には自律神経がおかしくなるし、脳の血流が悪くなってるのも感じる。
体が緊張するから、肩こり腰痛、首の痛みはしょっちゅうで、腰痛の延長で足首も曲がらなくなる。
心がおかしくなったのが先か、体がおかしくなったのが先かは知らない。
でも鬱病の状態って「体がおかしいから心もおかしくなる。心もおかしいから体も悪くなる」みたいな負のスパイラルに入ってる状態だと思って欲しい。
ちょっとのストレスで体の調子がおかしくなって、その所為で「死にたい」ってなる。「死にたい」って感情の所為で体が重くなる。
書いててなんだけど、クッソめんどくさいな鬱病。
だから治療法として投薬と休息をするわけ。わずかなストレスで一気に悪化しちゃうから。
大まかな原因はストレスなんだけど、ストレスの感じ方や考え方は人それぞれだからカウンセリングをした方が
よりよい治療にはなると思う。思われる。(そのへんはカウンセラーとの相性もあるので一概にはいえない)
あと、見た目で鬱かどうかの判断は難しい。友達と一緒にいれば鬱といえども楽しいんだけど、一人になると暗い顔になってることの方が多い。
さっきまで一緒に遊んでいたのに帰宅してから自殺、みたいな話もちょいちょい聞くけど鬱病の人間からすると気持ちがめっちゃ分かる。
楽しさと虚しさの差がキツ過ぎて死にたくなるんだよな。毎日毎時毎分毎秒がこんなに楽しければいいのにって思う。
鬱病で落ちてるときって、毎日毎時毎分毎秒「死にたい、消えたい、楽になりたい」だもんな。
何を伝えたいのか分からなくなってきたけど、書いてて少しは気持ちがスッキリした。
鬱病じゃない人、何気なく批判したりするのはやめてくれ。悪意はなくても、鬱状態の人間には致命的になることだってあるんだ。批判よりも「大丈夫?」の一言をくれ。
これでおしまい。ばいばい。
病気なら治るじゃないですか
なのに蓋を開けてみれば障害って
そんなの生まれてきた瞬間に人生終わってたみたいな事じゃないですか
ツイッターレポみたいに正しい診断を受けて正しい投薬治療をすればこの苦しみから逃れられると思ってたのにもうこれは自分の特性として睡眠薬と安定剤のみながらやり過ごすしかないらしい
絶望だ
この鬱っぽい気分は発達障害による二次的な鬱状態らしくもう二重苦じゃないですか
しかも医者は一ヶ月後に検査を受けてからじゃないと治療の方針は立てられないとか言う。
一ヶ月後じゃおそすぎるんだ
私は明日元気に学校いって単位を取れるぐらいの精神状態に今すぐしてもらわないと困るんだ。
なんも解決しない
この症状に名前はないけど受け入れていきていこうみたいなことを言ってくださった方、久々の優しい言葉に癒されましたありがとうございます
就活で精神を病み、結局新卒カードでの正社員を諦め、非正規で働いてる者です。
エントリーのみも含めれば、軽く50社以上受けました。100はないと思うけど、途中から数えてない。面接も少なくとも3、40社くらいは行きました。でも、私は結局新卒カードを非正規に捧げました。
そろそろ就活でマジで精神を病む学生が出て来る頃だと思うので(私もこの頃からおかしくなっていきました)体験談と恨みつらみを書いていこうと思います。
◾️スペック
キツい顔系のブス
ボランティア活動あり
ブラックバイトを4年間務め上げる
SPIはたぶん7割くらい
長所はコミュニケーション能力系のこと、ガクチカはアルバイト経験を話していました。ごく普通だと思います。
新卒採用で企業がみているのは、伸び代だといいます。私は、それに加えて、「扱いやすさ」、そして女の子は「可愛げ」を求められていると感じました。
私には、可愛げも、育てる余地もないように見えたんだと思います。正直それなりに仕事も勉強もできるし、受け答えもしっかりしているので、そう見えても仕方ないかなとは思いますが。
面接練習でも、履歴書でも、ESでも、特に大きな問題を指摘されたことはありません。企業研究もきちんとしてましたし、企業の高望みもしていないと思います。
でもとにかく最終面接が通らない。
お祈りしてきた企業はその理由を教えてくれないけれど、恐らくは「新卒っぽくないから」。
就職課やハローワークで、「中途だったらどこでも受かる」と言われた時にはもう笑うしかなかったです。ほかに指摘された点は直せましたが、こればっかりはどうしようもありませんでした。生まれ持った雰囲気の問題じゃん。
◾️就活について
以下は完全負け組からのご意見なので、暇つぶし程度に聞いてやってください。
まず、SPIは早めにいい点を取っておいてください。
精神が疲弊すると能力は下がります。私は集中力の欠如から、夏頃には文字が全く読めなくなりました。ツイッターすらまともに読めなくなっている状態で、まともな点数が取れるわけがないので、ある程度指標になりそうな点数を取っておくことをおすすめします。また、就活は後半に進めば進むほど中小企業を受けることになります。そうなってくると、SPIはまず行いません。別の対策が必要になるので、その意味でも早めにSPIに時間をかけるタームを終わらせるべきだと思います。
非常に混む上、玉石混合すぎて効率が悪い。あと寒いし暑い。クオカードだけもらって帰宅するのがいちばんです。もし、顔を覚えてもらいたい企業が出展しているなら、行くのもいいかもしれませんが、そうでないなら学内の説明会に絞った方が絶対に効率が良いです。結局私がそれなりに選考を進んだのは、学内説明会で知った企業ばかりでした。ただ時期的に学内説明会は終わっているでしょうけど…
長引くと就活どころじゃなくなります。もし病院に行くのに抵抗があるのなら、ハローワークでは就活生を対象としたカウンセリングを行なっている場合があります。調べてみてください。私は実際に受けましたが、愚痴の吐き場所としては非常に有効でした。
教授に泣きつきなんとか卒業させてもらいましたが、本当に留年すれすれのところまで追い詰められました。秋頃になったら、一旦就活ではなく卒論に集中した方がいいと思います。もうその時期の新卒採用は、たまの掘り出し物を除いては、正直ハロワで年中採用を探しているところと大差ありません。ハロワや就職課に行けば、2月3月でも求人はあります。留年してもう1年学費を払うのが嫌であれば、先に卒論にかたをつけるべきです。
彼らにとって私たちは客ではありません。企業という顧客に流すためのただの商品です。もちろん全てが全てそのような人だとは言いません。ですが相性の悪いエージェントに当たってしまったが最後、余計に精神を病んで終わります。あくまでビジネスだということを忘れないでください。学生気分でいると、いちばんダメージを受けるのはここだと思います。
面接の後、社員の愚痴に数時間付き合わされて、帰宅したらお祈りが届いていたこともあります。こっちはキャバ嬢じゃねえんだよ。
後半戦になればなるほど、女の子の比率は上がっていきます。私が就活後半で出会ったのは、だいたいがちょっと地味で、真面目で、それなりの大学を出ている女の子でした。知ってどうなるということではないかもしれませんが、覚悟はしておいてください。
◾️今後について
とりあえずのところは、今働いている会社で、正社員として拾ってもらえるのが目標です。先日、周りに比べてひと回り少ない初任給をいただきました。少ないとはいえ学生時代とは雲泥の差で、380円しかなかった口座が一気に何倍にもなってびっくり。
でもやっぱり、貯金をしてさらに一人暮らしができるような額ではないので、正社員になりたいという気持ちは強まりました。今は新卒入社ではないという立場を活かして、システム諸々の効率化を上に提案したいと考えています。非正規雇用では長くても数年しかいられないので、早く結果を出したいところです。
就活を乗り越えて(結果的に逃げたので乗り越えてない)、もう二度としたくない、というのが本音です。就活は地獄です。
正直まだ長い文章を読むのは苦痛ですし、疲れているとすぐにメンタルにきます。一度折れた金属は元に戻らないと言いますが、メンタルもおそらくそれに近い。
だから、なにかがおかしいと思ったら、寝てください。面接をさぼってください。好きなものを食べてください。それすらできなくなったら、病院に行ってください。
就活生の7人に1人は鬱状態だといいます。体感、もっと多かったように思います。
就活はおかしいし、理不尽だし、歪んでいます。みんな知っています。
だから、やばいと思ったら逃げてください。死なないでください。非正規もわりと気楽で楽しいですよ。給料は少ないけど。院に行った知り合いもいます。公務員浪人する知り合いもいます。新卒カードは3年は使えます。まだなんとかなります。だって若いから。若いだけでなんとでもなります。