はてなキーワード: 鬱状態とは
みんな本田未央が好き!アンチなんてほとんどいない、もしくは、本田未央アンチなんて作品をよく知らないだけで、
なーんて、様々な本田未央Pが執拗につぶやくのを、よくみかける。
他のPは自分の担当アイドルのアンチがどうのこうの、つぶやいてるところを見たことがほとんど無い。
未央Pだけ、やたらそういうことつぶやくんだよね。自己暗示かな?
確かに表立って堂々と本田未央アンチ名乗るやつはレベルが非常に低い。
藍子事件と言い、Tulip事件といい、感情が爆発しすぎて、文章が酷いので同意されない
しかし、実際1回だけ、うっかり表立って未央批判してしまったら、裏から出るわ出るわ同意の声・・・
未央Pからみれば、未央アンチは非常に数が少なく見えるんだろう。
しかし、嫌悪感情と言うのは同意されにくいので、みんな隠したり抑えたりしてるだけなんじゃないかな?
確かに、未央アンチ(堂々)は馬鹿が多いけど、そういう未央Pの方はどうなんだろう?
以前、私が本田未央アンチになった20話21話について、未央Pに突っ込むと、時系列や当時の未央の能力や立場を
(6話はアニメの構成が悪いだけで、7話と合わせて1話分になってれば別に問題なかったんじゃないかな?
実際、6話の時点では未央アンチではなかった。)
21話で未央がやった行為、自分一人だけが輝くために、卯月を見捨て、凛との掛け持ちの約束を破り、しかもその結果の
演技は大したことないという、まさに愚かとしか言えない行為でした。
(せめてTPのライブのような一目見て凄い!と視聴者に思わせる成果を上げていれば…)
秋のライブまでの約2週間~1か月と言う非常に短い期間で、激戦の演劇のオーディションに合格し、確実に成長し成果を上げ
凛に脚本ぶん投げ無理やり演技させ、凛と卯月に自分の成果を見せつけ、納得させることが出来る、と計算し、
あまりにも、ご都合過ぎ。
凛に無理やり演技させ、未央の演技見せた時点で、凛が「ふざけてるの?」と激怒したら終わりなのに。
とある未央Pがニコニコで、未央は凛と卯月のためにソロ活動したんだアンチ黙れ!と閣下動画を上げてしまった。
ところが、未央本人が23話で卯月のことを考えていなかったと、その説を完全否定してしまったんだよね。
この間違った解釈を押し付けまくった傲慢極まる未央Pのせいで、私は完全に未央アンチに陥ってしまった。
実際、卯月は20話の時点で、何も考えられず「非常に」(ここも重要)怯えてたにもかかわらず、無視してソロ活動したのだから。
そのため、卯月は2人に能力不足で見捨てられたと思い、あせって、かなり無理をしてNG外での活動をし、鬱状態に陥ってしまった。
物語に大きく介入するが、あの時点で未央は凛を説得すべきだった。大勢を裏切る結果になると。
それなのに、凛と一緒になって怯えてる卯月を見捨て裏切ってしまった。
結果NGまで秋のライブに出れないという悲惨な状態に陥った。あの時点で本来ならCP終わってたよね・・・
この未央の行為にきちんと説明を出せない時点で、アンチの事を馬鹿にする権利が未央Pにあるのか?
1部の未央Pは総選挙2位になったからアンチを見返したとか、1位になればアンチ黙らせられるとか言ってるけど
非常に愚かしいとしか思えない。そりゃ大金突っ込めば総選挙1位になれるよ?
でも、公式アンケートで島村卯月2位 渋谷凛3位 本田未央27位ってわかってしまってる。
http://cinderella-6th-memorial-party.idolmaster.jp/sp/questionnaire/q1.html
この時点で、金でいくらでも歪められる総選挙はあまり意味ないんだよね。(声無し担当Pには死活問題だが)
そもそも、アンチは順位でひれ伏す存在じゃないし、上に行けば行くほど逆に理不尽なアンチが増えるだけだ。
ましてや、アンチを攻撃したり、アンチなんていないよ!と執拗に同調圧力かけたりするのは、
そうすることで、未央Pは隠れ未央アンチを増やすまでいかないまでも、
途中まで名作だったアニメを、ぐちゃぐちゃにしてくれた憎しみを維持してるようにしか見えない。
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
確かに…本気モードになれない年齢なんだな、と思います。同時に、歳を重ねても「この人は、今の自分の年齢だからこそ、他の男性には渡したくない」と思える男性もいるのかなー…なんて。
ただ、何人か、アポが来た人で、明らかに婚活を諦めている…というよりも、鬱状態?になっていて、疲弊している人が何人かいました。私は、ネット婚活はまだ1週間くらいなんですが、その人達は2年、3年と続けているらしく。会えた人は数人程度。年収だってお顔立ちだって職種だって、決して劣ってるとは思えませんでした。写真やプロフィールを見る限り。でも、「もう、辞めようと思っているんだ。君も、頑張ってね。」という言葉をメッセージで受け取った後、数日後、退会していました。他、何人かも、オンラインになっていたり、数週間オフになっていたりしているけれど、どうしていることやら…。
− ただし、女の子に身体を触られるのは独特の満足感がある。秘部であればなおさらのこと
自分よ、もういい加減こりて風俗に無駄な金を使わず自慰行為で済ませてほしい。その金は何か別の有意義なことに使ってほしい。
ところで、自分は酒鬼薔薇聖斗世代なのですが、アラサーになって彼の手記を読み正常な方法では性欲を解消できない人がいるというのを知りました。
たしか、彼の手記の中では射精に伴って激しい痛みを伴うと書いてあった気がします。それは、彼は性的な欲求を満たすため社会的に許さいない行為をしてしまう遠因になったと。彼自身、射精に関する悩みというものがあったとたしか書いてありました。
風俗に行ったあとで、全く普通の人と異なる方法でしか興奮できない自分の有様をふりかって酒鬼薔薇氏のことをふと思い出したのでした。幸い、自分は悩むほどでなはい(結婚するつもりも、たくさん性交するつもりもないので)わけですが、この世の中には性欲のカタチで深く悩む人もいるのだろうと思っています。
でもこの他責の裏には、「目の前の人を責めないでおこう」という心理があるんじゃないかと思うんだよね。
人間、イラッとしたら咄嗟には目の前にいる人間に対して怒りをぶつけそうになる。
でも理性ある人はそこで押し留まる。いやいや、これでは八つ当たりだ、と。目の前の相手は悪くないんだと。
それに直接の知り合いと揉めるのは色々な意味で賢いふるまいではないし。
じゃあ抑え込んだ感情はどうするか? 自分に向かってしまい、自責の念で鬱状態になる人も居るだろう。
ネットでパブリックエネミーを見つけてぶっ叩きまくり、ストレス発散する人も居るだろう。
或いは、聖人の如くよくできた人であれば、具体的な対象に向けて怒りを発散することなく、別な方法で解消してしまうかもしれない。
ブコメやトラバが付くとしたら旦那を責めるものが大半だろうがあえて書いておく
旦那が悪いというのは前提として、あなた自身が色んな事を抱え込み過ぎていないか? という点だけは確認しておいた方がいい
特に先回りして抱え込んでいって最終的に手が回らなくなり、鬱状態orパニックという状態になることがないか振り返ってみて欲しい
もし心当たりがあるのであればその点だけは改善した方がいい
先回りして抱え込んでパンクする人は傍から見ると勝手に仕事を増やして勝手にパンクしている様に見える
完璧主義者、というよりは自分の落ち度を極端に怖がるタイプの人に多い
こういう人は周囲からの助けを得られにくい
できもしない仕事量をこなそうとして、それが破綻してから助けを求めてくる様にしか見えないからだ
優先すべきは子供が健やかに成長する事だと思うので、その為に必要なものから優先順位をつけていき、手が回らなくなったら優先順位の低いものから手放していく癖を付ける
大して重要でないことはチャンスがあったらどんどん丸投げしていこう
旦那の飯なんざ自分で作らせるか弁当や総菜を買ってこさせればいいのだ
ぎりぎりになってから助けを求めてくる人も最初から丸投げしてくる人も迷惑の度合いでは変わらない、というか大抵の場合、前者の方が迷惑だからね
両親の都合によりアメリカへ引っ越してきた黒木智子(通称もこっち)。
ただでさえ内向的な性格なうえに言葉も通じず、数少ない友人も失った彼女だがそれでも学校へは通っていた。
ある日クイーン・ビーのユウ・チャンに目をつけられたもこっちは激しいイジメに合い、ジョックにレイプされハメ撮り映像がFacebookにアップされてしまう(という妄想に取り憑かれる)。
鬱状態に陥った彼女は黒人クラスメイトに話しかけられた際に「ノーーーーーーーファック!!!!黒人チンポに犯される!!!ヘルプミーーーーー!!!」と叫び、いよいよクラス内でも浮いた存在になってしまった。
ある日街を歩いていたもこっちは英語で話しかけられ狂乱状態になってしまう(実際は道を聞かれただけ)。
日本から持ち込んだ護身用エアガンを取り出した彼女を止めたのは、ミヤギという名の老人であった。
会話する内に彼が空手の達人であることを知ったもこっちは「強くなればイジメられないしモテる」という安直な発想から彼に弟子入りを申し込む。
精神科に通院しながら日々を送っている。
働きなくない、と言うよりも僕は働くべきでない、と思っている節がある。
働けば必ず迷惑をかけ、その上自発的に精神を病んでしまうブラック労働者を誰が雇いたいというのか。
単純に僕の能力も高くない。考えることは得意だが、アウトプット能力は非常に低い。上であげたように負荷に弱いのもあって、やらなきゃならないと理解していることからも何故か逃げてしまったりする。自分が気持ちいい方に逃げてしまう。
直したいと思っても直らなかったしこれが僕の本質的な部分だと思う。直そうとすることすら、とてつもない苦痛で、もうそんなしようという勇気すら湧かない。
人はなぜ働くのだろう、そう考えた時に、ある程度、「幸せになるため、幸せに生きるため」という部分はあるだろうが、僕が働くことは、僕も、僕を雇う側も幸せにならない。
正直特に、何をしたい、とか、こうなりたい、とか、欲や夢、希望といったものは無いので、いつ死んでもいいかなぁとは思っているのだが、僕が死んだら悲しむ人がいるのはわかる。僕の知人が亡くなった時も悲しかった。僕の判断が誰かを悲しませる行為は出来ないし、個人的には自殺は殺人との間に違いを見いだせない本質的な悪だと考えている。だから死ねないかなぁ。どうすればいいんだろうなぁ。
パワハラを受けていなくても、例えば、周りの社員が優秀すぎて、自分が常に足を引っ張る側に回っていたり、
あるいは、ギリギリで達成できないノルマをずっと目標設定され続けたりすると、弱い人は心が折れて鬱まっしぐらになりやすいんだけど、
彼もそのタイプなのかなぁと思った。もうすでに、軽い鬱状態だよね。これ。
ただ、鬱の原因にはストレス以外にも、例えば、栄養の偏った食事をとり続けているとか、事故などの外傷で脳を痛めている等も考えられるので、
仮に仕事が原因だとしたら、職を変えるのが一番効果的だけど、他の増田も書いているように、まずは彼の御両親に報告相談するところからするのがよいでしょう。
大人相手にいじめっ子ってのも変だが、他にいい言葉が思いつかないので。
以前の職場は、少人数なせいか人間関係が閉鎖的で、私が入社した時点である一人の社員(以下Aさん)がいじめられていた。
具体的には、飲み会からハブられたり、職場でほとんど無視されていたり、陰口でボロボロに言われたりなど。
まだ新人でいじめに気付く前の頃に、全部の社員と仲良くなりたくて、Aさんと一緒にご飯を食べたこともあったが、
少なくとも直接話した感じでは特に変な人でもなく、真面目でそのぶんちょっとノリは悪いかなという程度の印象だった。
でも職場内ではAさんは反抗的な無能という扱い。私には親切にしてくれた先輩たちも、「Aには仕事のやり方を聞かない方がいい」などと言っていた。
なかでも一番Aさんに対して辛辣だったのは、平社員だけど仕事のできるBさん。
Bさんは有能だし、仲の良い相手に対しては親切に色々手伝ったり教えてくれたりもするので周囲の信頼も厚く、毒のある口調もキャラとして受け入れられていた。
結局Aさんは私がいる間に転職。私は家庭の事情などもあり5年ほどでまあまあ円満に退社したのだが、先日、当時の同僚と別件で会う機会があった。
そこで聞いたことによれば、Bさんがしばらく前に自殺したらしい。
最初に思ったのは、AさんじゃなくてBさんなんだ、ということだった。
それから、他人に厳しい人は自分がいざ鬱状態になると自分を追い詰めてしまうから危険、という話を思い出した。
こうして実例を見ると、人を呪わば穴二つというのは本当なんだなと思う。
読んで自分の一人目出産入院中の事を思い出した。私は運が良かったのかもしれない。
入院していた産院はあまり人気のないところで、産後の病室は二人部屋なのだけど余程出産が立て込まなければ一人で一部屋使えるということだったので、コミュ障ぼっち気質な私には願ったりだったのだが、私が出産した前日当日に何故か出産がたて続いたせいで、結局相部屋になってしまった。
相部屋に為った人は私と同い年だったが4歳の上の子もいる経産婦だった。彼女は子育てに慣れており、生まれたての赤ちゃんの扱いも上手。赤ちゃんが起きている時は昼でも夜でも赤ちゃんに話しかけていた。
この、赤ちゃんに話しかける、という何気ない行為が私には衝撃的だった。私は、言葉の通じない新生児は宇宙人か動物みたいなもので、ちゃんと人間になるまでは話し掛けても無駄だと思っていたからだ。
だがしかし、赤ちゃんが人間になる前に話し掛けてもいいんだ!試しに話し掛けてみると、目の前の生き物ががぜん一人の人間に見えてきた。
同室の彼女との、授乳しながらの他愛ないおしゃべりも、何か特別な事を教えて貰った訳ではないが、かなり役にたったのだと思う。私はそのお陰で自分の人間性を見失わなくて済んだと思う。
助産師さん達の教えでは、赤ちゃんの意思表示は泣くだけではなく、泣く前に赤ちゃんの出来うる限りのジェスチャーで意思を表現しているという。
そう言われてみると、赤ちゃんはお腹が空いたらしきりに唇を舐めたりちゅぱちゅぱ鳴らしたりしているのが分かった。しかもなんだかこちらに目配せしている様にも見えた(しかし、赤ちゃんの視力は大変弱く、注視が出来る様になるのももっと後の筈なので、これは気のせいなのだと思う。だが、もっと小さな何かサインの様なものを私が赤ちゃんから受け取っていたから、そういう風に見えたのかもしれない。)オムツを替えて欲しいときは一生懸命、地団駄を踏む様に足をぶんぶん降っていた。
赤ちゃんが泣き出してしまってから対応するより、それらのサインに気が付いたら速やかに対応する方が、ずっと楽だった。赤ちゃんはひと度マジ泣きモードに入ると、自分が何で泣いているのか分からなくなり、自分自身の泣き声に興奮してパニック状態に陥り、手がつけられなくなる。特に授乳の時は、あまり待たされるとお腹が空いているのに飲まなくなるというか、ちゃんと乳首を捕らえて母乳を飲み下す事ができなくなる。
赤ちゃんがそわそわし始めたら要求に応える→赤ちゃんが満足して落ち着く
それを繰り返していくうちに、赤ちゃんのことがどんどん可愛くなり、益々人間味のある存在に思えて来た。
お陰で、たった6日たらずの入院期間のうちに、赤ちゃんは私の家族になった。
それから一年くらいは、ワンオペ育児だったから勿論大変だったし、当時の日記には毎日「だるい、疲れた、何にもやる気が起きない、あれもこれも出来なかった」など書かれていて鬱状態ではあったが、子供は何も喋れなくとも私にとっては意思を持った一人の人間であって、尊重すべき存在だった。
よく男性のセクハラとか痴漢、エロ本をネットや実店舗問わず目につく所で売るという不快な性行動について反省しろとか責める女性いるけど、そういうのは男性ホルモンや生物学的なもの由来なんだよね。だからそういった反省しろとか叱りつけるのは、PMSとかで苦しんでる状態の人に気合でなんとかしろと言うのに等しい。
だからそういった男性社会への正しい対応は、男性に対して男性ホルモンを抑制しろとか、薬物などによって鬱状態になって性欲を沸かせないようにするのを勧めるべき。
そして社会がそうした措置を自らにしている男性を犯罪性が低く、女性に不快な行動をおかしづらい少しはマシな男性として優遇するようにすれば、この男尊女卑の日本社会も少しはましになる。
私は双極性障害と診断されている。20歳の時に診断されてから約2年が経とうとしている。
そして今私は2回目の休職中である。理由は鬱状態になり動けなくなったこと、偏頭痛が酷く仕事が出来なくなったからだ。
前職のときは厚生年金保険に加入していたため傷病手当金が支給されとてもお世話になって有り難かったが、現在は国保に加入しているため傷病手当のようなものが全くない。さらに職場からもそのような手当がないため貯金を崩すしかないのだ。
しかし、現在の貯金は10万ほど、再来週から週に数日間働くことになっているがどれだけ頑張っても1ヶ月間で4、5万しか稼げないし保険料、住民税、所得税等が引かれて手元に残るのは3万ちょっとになってしまう。これでは携帯代を支払ったらもうほとんど手元に残らない。
もちろん今現在、自立支援制度で医療費は1割だしこれから手帳の申請も考えている。
でも、国保だとなぜ手当を貰うことができないのだろう。又、障害年金はきっとわたしの症状では軽い方だからきっと申請しても下りないだろう。
親が余命宣告された。
親も私も退院を待ち望んでいた。
帰宅したとたん、環境の変化もあって鬱が悪化した。被害妄想も加わった。猜疑心の塊になった。唯一の家族である私がその対象になった。
私が嫌で家を飛び出そうとするからチェーンに細工した。監禁されていると思い始めた。
いま、自分を憐れんで泣き、心配する私を睨み付け、手を振りほどき、背を向ける。
差し出す水を拒み、用意した食事を拒み、マンションのベランダのフェンスを乗り越えようとする。
翌日には何事もなかったようににこやかとなり、翌々日にはより悪化した憎悪を向けられる。
いつまで待てばその日が来るのか。
こんな親でも1年以内には死ぬ。
憎悪のなかで死んでいくのか。
それを見送らなければならないのか。
その前に、親より先に死ねればと強く願っている。もはや子供の死を理解することもないだろうから、泣かせることもない。
これを読んだひとが、私の死を願ってくれれば、こんなに幸せなことはない。
よろしく頼む。
打ち合わせの候補日をこっちが提示する時に、週半ばにいるのに1週分間違ってしまい今週の日付をだしたり、日付と曜日がちぐはぐになったり、日本語の校正が足りなくて、わかりにくい文章になったり誤字はよくある。
とにかくケアレスミスが多すぎる。気を抜くと忘れ物もよくある。
コミュニケーションについては、(おそらく....)普通なのでADHDと完全にマッチしている訳ではない(と思いたい)のだけど、ケアレスミスが異常に多すぎる......。
思い返せば新卒で入社した研修にて、先輩に送信する日報で誤字を指摘されたのだけど、最後まで誤字を指摘される続けた。
(紙に印刷して音読したり、同期に校正をしてもらう、をしたが誤字は最後まで直らずつらかった。鬱状態にあったと思う。)
ケアレスミスが多すぎてつらい。どうすればいいんだ...
まず、これを書こうと思ったのも目下課題の先延ばし中であるからなんだけど。こんなとこでうだうだ言ってるより課題にとりかかった方がいいに決まってるのに、目先のどうでもいいことがやめられない。
面白そうと思ってとった講義のテキストの数千文字の要約、これがど〜にもやる気出ない。締め切りは一昨日なのに、まだ命乞いすればなんとかなるかなって思ってる。甘えだ。未だ0文字だよ。一応数回読んでるし、講義だってテキストだってすごく面白いから、せっかくなら最後まで出席してちゃんと単位ももらいたい。でもとりかかれない。やる気が出ない。いっつもそう。
中学高校といつもテストは一夜漬けだった。高校時代の中盤からは一夜漬けでさえも先延ばしにしてたら朝がきてて、全く勉強しないままテストを受けることが普通になっていた。
あーあ。勉強嫌いじゃないのにな。締め切りまでにとりかかるのがどうしてもできない。正直提出したものの成績はそんなに悪くない。締め切り後に短時間で出したものでも、必死にやってた人よりいい評価をもらえることがわりとよくある。でもそれじゃだめじゃん。締め切り内でそれなりにいいものを提出できるほうがいいに決まってる。締め切りの時点で点数をつけるとして微妙な人が50点くらいなら、私は0点だよ。社会に出たらもっとやって行けないだろうな。
先延ばし癖は生活面でも私を脅かしていて、家事全般はいつも放置してえらいことになるのでその都度友達や母親が来て処理してくれたりする。泊まりに来た友だちが下着を畳んでくれていたりする。お風呂はたまに入らないことがある。たった数分でできる作業であっても面倒くさくて放置する。放置するものが溜まりに溜まって鬱状態に、というのがいつものパターン。言い訳とか取り繕うのだけが上手くなった。
こういう状態を検索するとADHDのサイトがたくさんでてきて、まさに自分だ!っていう症状(と言っていいのか?不適切だったらすみません)がいくつもあるけど、病院行くのももう2年くらい先延ばししてる。
この増田の死ぬって肉体死(老衰死)だろうとおもうが、他にも死が有る。
犯罪などを犯して世間からクズ扱いされ愚痴や憎悪のはけ口にされる社会的死。
痛みがある肉体的死や病気。
脳死、
認知症による知性の死、
逆に知性があっても気力が失せて一時的に生きるのが辛くて死にたくてしょうがない鬱状態(気力の死)などある。
そうして考えていくと実は不幸だが肉体死が訪れなないまま生き続けなければならないのも
死ぬより怖い。
となると結局は「みんな元気で死なないのがいい」。
それは単なる半径5mの幸福で達成できる。
熱中症にかかると救急車で運ばれて5万円かかるし下手すると死ぬ。
じゃあ1人1人が工夫して自分や半径5m内の人が熱中症にかからないようにすることで、病院のベッドを1つ開けて、他人が生き残るチャンスをつくれる。
丹波哲郎さんの死後世界の説明が(宗教がない人にも)かなり受け入れやすいので調べてみよう。
追記
宗教でいえば、アイドルに全てを託して、アイドルに会えたり握手できたらその日死んでもいい、悩み苦しみもアイドルの一番好きな芝居してるときの写真にむかって告白してればなんか解消できちゃう。がキリスト教その他一神教。
逆に徹底的草食系になって、宇宙とか意識して好き嫌いの感情を常にフラットに保つことで死もこわくない。アカシックレコードの一部として生きるのが仏教。多神教というか、無神教。
どちらにもそれなりの救いはある。
どちらにもハマれず急に本当に辛くなったら、そのときはメンタルのお医者さんにかけこんだらいいよ。