はてなキーワード: 言ってはいけないとは
昨今テロばっかりやってる、名前を言ってはいけないあの宗教は平和的で、誰も殺していない?世界一平和な宗教?
いいや全くそんな事はない。
奴隷にされた数は120万人以上、殺害された記録は探せなかった。だがそれを以て「被害者0人」と言うのは浅はかだろう。
十字軍は元々、フランスの狂信者が言いだしっぺだが、それが支持された背景には数々のテロ行為が存在していたからだ。
サラセン人とエルサレムは関係ないという指摘はその通りである。
双方、勝てるところとしか喧嘩しないから、いつも平和的な人々が被害に遭う。
サラセンが収まると、次に現れたのがバルバリア海賊だ。19世紀まで続いた。
列強がよってたかって北アフリカを制圧した!という話は、北アフリカに住んでいた無実の住人に対してはまあそうなんだけど、
海賊に襲われていた側からしてみれば、自国を攻撃してくる国に対しての攻撃である。
このあたり、奴隷にされても「あの宗教は寛容だから奴隷になっても幸せ、キリスト教は非人道的!」なんて言う人が平気でいるけど、
あれは特殊な例で、中世や近世は優しかったと思えるなら花畑と言わざるをえない。
現代も何も変わらない。
賊は駆逐されるかもしれないがしわ寄せはあの教徒の一般人に来るのだ。必ず。
そして「罪もない一般人を苦しませた異教徒、酷い!」と大々的に言われる。
テロと一般人は関係ないって言うなら、賊を駆逐した軍隊と一般人も関係ないよね?
いいや軍隊は賊の駆逐の時に一般人にも手を出した。って言うなら、先に一般人に対してテロった件についてもそちらの宗教全体で責任持てよと。
東大医学部の面会交流論文が、話題となっている。http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
DVを行ったとされる父親との面会交流を行っている子どものほうが、行っていない子どもよりも、ひきこもりや抑うつなど、精神的問題、行動上の問題を抱えやすい、という論文である。
この論文は、フローレンス・駒崎弘樹氏が3月末にそのブログで、面会交流によって子どもの心が壊される、という彼の主張を裏付ける「エビデンス」として紹介したことを皮切りに http://blogos.com/article/215491/ 、4月末に行われた「当事者の声を国会へ」と題する衆議院第一会館での院内集会や、「「国連・人権勧告の実現を!」実行委員会」による「第20回学習会 ハーグ条約と親子断絶防止法案」 http://jinkenkankokujitsugen.blogspot.jp 等でも取り上げられたようであり、さらに5月5日には産経新聞にも紹介された。
つまり、これは、現在、国会議員らによって提出が検討されている「親子断絶防止法」の策定を左右しうる重要論文である。
日本では、別居親と子どもの面会交流は、家庭裁判所が間にはいる場合、月1〜2回、4時間程度できれば良い方で、高葛藤や面会拒否が強い場合は月1回に2時間未満のことが多いと思われる (参考: http://oyakonet.org/documents/report_h2308.pdf )。DVがあったとされる父親であれば、その頻度・時間はさらに減少するだろうし、FPICのような第三者機関の補助を得て行うことがほとんどで、面会交流時にDVあるいはそれに近いような行為をすることは稀であると考えられる。父親も子どもを愛おしく思い会うでのあるから、短い時間の中ではその子どもを喜ばせようとすることが多いであろう。そのような状況で父親に会うだけで、本当に子どものひきこもりや抑うつの危険性が高まるというような因果関係が本当にあり得るのだろうか?
そこで、研究論文を読むことのできる有識者にこの論文を読んで学術的に評価してもらった。そうしたところ、この論文は、きちんとした学術研究のレベルに達していないひどい代物であるようだ、ということがわかってきた。
研究対象としている母親の数がわずか38名、面会交流を行っている子どもの数が19名、面会交流を行っていない子どもの数が30名と、この種の簡易なアンケート形式の研究としてはNが圧倒的に少ない。混交要因の統制が全くなされていないどころか、群毎の基礎的統計の記載すらない。各群の基礎的な数値(Demographic characteristics)が両群でまとめて書かれてしまっていて、分けて記載されていないのである。つまり、母親の学歴・収入、精神疾患罹患の統計値、離婚の有無、別居からの経過年数、子どもへのDVの有無・程度などが、各群で分けて記載されていない。加えて、両親間の葛藤の強さ、裁判・調停・審判などの有無、なども混交要因として示されるべきであろう。これらの混交要因候補の指標のうちいくつかについては、この程度の少ないNであれば、各群で偏りが出てしまうことのほうがむしろ普通である。本来、これらは分けて記載すべきなのに分けてないということは、これらのどれかで差が存在してしまっているので、それを意図的に隠蔽している可能性もかなりあると推定される。対象の被験者集団は非常にヘテロな集団で、僅かなサンプル数しか取得していないにも関わらず、これらの指標について群ごとに示していないようなものは、まともな調査研究と言えるレベルのものではない。
「面会交流を行っている子ども」が父親と面会交流を行っている頻度の平均が、なんと僅か平均2.2回/年。Nもたったの19名。そのSDが2.2でレンジが0.5回~6.5回/年。年間2.2回というのは半年に一回しか会わないということであり、年間0.5回の面会交流というのは2年で一回しか会わなかったということ。しかも、この研究では、DVをしていたとされる父親との引き離しからの平均年数が6.9年も経っているのである。仮になんらかのDVがあったとして、引き離し後に7年もたったあとの、そのような僅かな回数の面会交流が、引きこもりや抑うつのリスクを統計的に有意に上げることは、常識的に極めて考えにくい。
この研究は、質問紙を使ったアンケート形式のもの。回答を行ったのは子ども本人ではなく、DVを受けたと称している母親。最近のことであるので、当然、親子断絶防止法のことも知っている母親が多いであろう。回答者が研究の(政治的な)目的を知った上でバイアスのかかった回答をしている可能性があり、そのような可能性を排除するような工夫が全くなされていない。
方法によると、リクルートされた69名の母親のうち、8名が「精神疾患に罹患している」という理由で除外されている。除外されていない回答者の中にも精神に問題がある人がいるようであるが、除外の明確な基準は何か?都合の良い恣意的な除外なのでは?また、回答した60人のうち、22人が、「質問に全部回答できていなかった」という理由で除外されている。合わせると実に35%もの被験者が除外されているのである。このような被験者数がごく僅かの調査において、全ての質問に回答しなかった、という理由のみで除外することが許容されるのか?この研究では、各質問について統計解析を行っているのみで、それらの統計を行う上で、「質問に全部回答する」ということは全く必要とは言えない。つまり、除外する必要がない人を多数除外しているのである。これは、後付で、そのように除外することによって「有意差」が得られるからではないのか?
このジャーナルを出している出版社はいわゆるpredatory open access publisherに分類されている。以前、過去にどこかで発表された論文をたくさん集めて無断で掲載していたことをNature誌に報道されたこともあったり、意図的にでたらめな論文を作成し投稿された論文を掲載してしまったり、無断で研究者を編集長として掲載していたり、という前歴のある「ならずもの出版社」の一つ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Scientific_Research_Publishing 当該の論文を掲載しているOpen Journal of Nursingも編集長を調べると、教育しか行っていないような大学教員であり、責任著者としてはこの10年で1報しか論文を出していないような人である。このジャーナルは、医学生物学文献の権威あるデータベースPubMedにも、もちろん掲載されていない。この出版社のジャーナルではまともな査読がなされていない可能性がかなりあり、筆者らの所属大学を筆頭とする多くの日本の大学が、この出版社をうまく利用してしまっている事実が指摘されている。https://science.srad.jp/story/15/12/07/0554222/
上記の各ポイントは他の標準的査読が行われている科学雑誌では指摘されるのが当然であり、普通はこのままでは受理はされない。であるからこそ、このような出版社のジャーナルから発表している可能性が高い。
----
以上のような深刻な問題を抱えている論文であるため、その有識者は、この論文の著者にデータの開示や、群毎の基礎的統計の提示を求めるなどの連絡を責任著者に対し行った。当初、責任著者からは何の返事も得られず、そのため、その責任著者の所属の学科長にも連絡を行った。それでも何の返事も得られなかったため、所属大学の「科学研究における行動規範に係る不正行為に関する窓口(本部)」に通報を行った。
文部科学省の「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
「研究者に対して一定期間研究データを保存し、必要な場合に開示することを義務付ける規程を整備し、その適切かつ実効的な運用を行うこと」
を義務付けている。
「国立大学法人東京大学における研究活動上の不正行為の防止に関する規則」
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/au07410491.html
には
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とある。
当該論文は、国の立法に影響を及ぼすことを目的として各所で用いられているのであり、データとその解釈に科学的に正当な疑義が提出されており、また開示しない特別な理由もない以上、データ開示の必要性があるのは疑いがないところであろう。
つまり、この定義によると、再三のデータ開示の求めにも応じず拒否し続ける責任著者らが、この規則に違反しているとみなすこともできるであろう。つまり、この規則によれば、この論文の著者らは、ある種の不正行為を行っている可能性があることになるのである。
この通報後、窓口担当者らは、本件について医学部長らと議論し、その結果、この論文の責任著者はその有識者に回答のメールを送付した。しかしながら、その回答には、
・倫理委員会で承認された研究手続きを逸脱することになるのでデータは開示できない、
・混交要因の候補の変数について両群で比較した結果、有意差はなかった(実際の統計値の提示は全く無し)、
・その他は、科学者コミュニティーでオープンに議論すべきなので、当該Journalにletters to the editorとして質問せよ、
との主旨の内容があるのみで、リクエストや指摘の重要ポイントについては、実質的な回答は全く得られなかった。
その有識者は、4月26日にその論文のウェブサイト上のコメント欄に上記ポイントについて書き込みをした上、議論を行うよう著者にメールにて依頼を行ったが、著者らからは、5月9日現在、何の返事や回答も得られていないとのこと。
http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=74779&#abstract
著者らの誠実な回答と、著者らの所属大学による速やかで適切な対応が期待される。
その有識者は、こんなことを言っていた。
「科学の基本は「エビデンス」ではないのか?そしてその「エビデンス」とは、データそのもののことではないのか?そのデータがなぜ有識者にすら提示できないのか?連結不可能匿名化されたデータであれば提示はできるであろうし、すくなくとも重要な混交要因候補について各群ごとの統計数値のテーブルくらいは提示すべきではないのか?
データ不在で第三者による検証ができないような「科学」は、もはや「科学」とはいえないのではないか。それは控えめに言って疑似科学、さらに言えば、科学の名を借りたカルトである。そんなものに、国の立法が影響を受けること、そして多くの人々の生活が影響されることがあってはならない。」
・・・・・
以下、5月15日追記。
「ブログの文章を読む限り、分析の妥当性をめぐる疑問のように思われました。そういうことを、「不正」などと言ってはいけないと思います。」
との指摘をツイッター上でいただいた。
しかし、このブログで指摘した不正の可能性は「分析の妥当性」についてではない。指摘したのは、リクエストに応じてデータを開示しないことについての不正の可能性である。
「研究者は、研究活動の正当性の証明手段を確保するとともに、第三者による検証可能性を担保するため、文書、数値データ、画像等の研究資料及び実験試料、標本等の有体物(以下「研究資料等」という。)を別に定めるところにより適切に保存し、開示の必要性及び相当性が認められる場合には、これを開示するものとする。」
とあり、これに違反しているのではないか、という指摘である。この点、ご留意いただきたい。
・・・・・
以下、5月29日追記。
「東京大学大学院の研究グループが面会交流による子どもへの影響などを初めて調査した結果だ。」
「面会交流は子どもにとって良いことだと言われるが、DVがあった別居親との面会では、こどもたちは長期にわたり悪影響を受けている。」
などと、面会交流が子どもに悪影響を与えたと因果関係として紹介されている。
しかしながら、当該研究は単なる相関を調べた調査であり、しかも上記のように混交要因についてきちんと吟味されておらず、(仮にデータそのものが正しかった場合でも)因果関係については主張することは極めて不適切である。相関と因果関係の区別をしないという、基本的な誤りをおかしているといえる。
以下、6月28日追記。
春名氏による当該の論文サイト上での回答を受け、親⼦ネット、中部共同親権法制化運動の会、親⼦断絶防⽌法全国連絡会などが連名で、東京大学の窓口に不正疑惑の申立を正式に行った。
「全国連絡会は構成団体及び杉山弁護士、石垣臨床心理士と連名で「春名めぐみ 東京大学大学院医学系研究科准教授」の論文に対する下記申し立てを同⼤学科学研究⾏動規範委員会に対して行いました。」
小さい頃友達を作るのが苦手だった私は、ようやくできた友達も友達を作るのが苦手と自称するタイプばかりで、キャピキャピした女子グループを眺めては、教室の隅で友達と「何が楽しいんだか」と小馬鹿にするような、こじらせた青春時代を送っていた。
そのノリは大学生になっても続き、私はげんしけんの様な「みんなで仲良く」リア充爆発しろ!と言っては笑い合うようなオタクサークルに入った。
リア充爆発しろ!は確かに本心であったし、彼氏も作らず(というか作れなかった)皆で言うのは確かに楽しかったが、万が一自分がリア充になってしまったら一発で除け者にされそうな雰囲気もあった。
26歳になり、半年前に3歳歳上の人と結婚した。黙っとくのも変だしアピールしてると思われるのも嫌なので一言「結婚しました」とだけSNSに投稿した。
そこから、学生時代の友達から遊びに誘われることがぱったり無くなった。誘ってくれるのは社会人になってから知り合った子ばかりで、不思議なことに既婚者か婚約中の人ばかり。
私は学生時代の友達とも遊びたくて自分から飲みに誘ったりしている。しかしどうも皆歯切れが悪い。「旦那さんに悪い」「新婚さんでしょ?」とか言って、なかなか誘いに乗ってくれない。
教室の隅で女子グループを小馬鹿にしていた自分や、部室で彼氏をよく変える女子を「クソビッチ」とこき下ろしていた自分と、今の私は地続きになっている自覚がある。
生活環境が変わっただけで私の本質は何も変わっていない。しかし、周りからしてみると結婚したら違う人間になった様に見られるのだろうか?
友達に囲まれて「リア充爆発しろ!」と言うことと、旦那さんと一緒に「リア充爆発しろ!」と言うことはそう変わらないと思っているのだが、違うのだろうか。
今いる既婚者の友達や子持ちの友達は、「家族って最高!」を地で行く人達で、妙に明る過ぎて気疲れしてしまう。やっぱり、私が落ち着くのは「リア充爆発しろ!」グループなのだ。
でも向こうが私のことはもう違う人間だと思っているのなら、私は誰と仲良くすれば良いんだろう。
何年か前までは毎日のように新聞記事を読み漁っていた。1日5時間かける日もあった。真面目に読んで整理してとやるとそれくらいかかる。
きっかけはイラク戦争前に大量破壊兵器があるという証拠もないのに攻撃が始まり占領後結局なかったこと。
戦争は結局話し合いが決裂したらいつ起こってもおかしくないというものでしかない。かつて核開発を放棄した例で、リビアのカダフィ大佐がいた。北朝鮮もこの件に関心を寄せていたらしい。どんな交換条件が米などから提示され、カダフィ大佐はどう今後の自分の安全を守るつもりかを知りたかったのだろう。
結果カダフィ大佐は数年後の"アラブの春"の一連の政府転覆のさなか潜伏場所がばれ自国民になぶり殺しにされた。北朝鮮も当時核開発の放棄をするべきではないとの論説を出していたはず。アラブの春と同じことが北朝鮮で起これば止めようがない。政治とは参加する人が動かすものだ。そもそも我々は日本語ではまともな情報を得ることすら難しい(それが僕が新聞を読み見込まなくなった理由だ)。またこの国には発言権を大きくするために使える力が特にないのだ。政治家も国際会議で何もできないなら黙っていろと言われたらそれ以上何も言えずに帰ってくるのではないだろうか。
一部のリアリストに言わせると、我々リアリストの理論では日本が核武装しない理由が説明できないが、日本が存在するのもまたリアルなので理論を修正しないとということらしい(内容は知らないがそれでネオクラシカルリアリズム:新古典派現実主義みたいなのができたのだと聞いた)
また最近ふと考えた。個人主義は、人間はどうしても矛盾してしまうというような問題も、各個人の問題として向き合わないとダメなのではないかと。リベラルも個人の自由を求めているんだから結局は個人主義だからそれをやらないとと。保守派というのは、そもそも人間の限界を認めているからこそ、古くから続いている制度や風習に価値を認めているわけで。
ヘーゲルやそれを批判的に発展させたというマルクスやレーニンの主義は、理性に全幅の信頼を置いていたが失敗した。サルトルが最後まで擁護していたというがその後はもういないらしい。つまり人間の理性はどうせ間違えるという考えの人ばかりがこの世界にいる。
みな自分の間違えが明らかになって修正の必要があれば修正するという人ばかりだろうか?批判されれば耳を貸すだろうか?
そんなことはない。人間の幸せは信じたいこと信じたいように信じることなんだという様に最近考えるようになった。悪いのはやつらだと言い続ければ、自分の信じることが間違っていてもその考えをしばらくは延命できる。ミサイルが頭上に降ってくるまでは。
前の戦争を体験した人は一巡して消えつつある。80年周期で世界は激動気を繰り返すという説がある。太平洋戦争勃発が1941年。その80年後は2021年。
人間は結局おろかだし、おろかであるということを認めるのも辛いことだ。リベラルは個人の辛さをわやらげる社会でないとと言うだろう。また人モノ金の動きは早すぎて保守をやるにはもう世界は狭すぎるようだ。
日本人は戦前から海外から見れば、一見おとなしいが怒りだすと手がつけられなく、何をしでかすか分からない人々という評価が続いている。また中に入って観察した人も、良い面もあるけど、本当の事を言ってはいけないというやり方をどうにかしたほうがいうのを聞く。
http://anond.hatelabo.jp/20170414012241
(人文、文学、新書、文庫、経済、経営、ビジネス、ITエンジニア)
名前 | 2016年のベスト | リンク | 所感等 |
---|---|---|---|
紀伊國屋じんぶん大賞 | [『戦争まで―歴史を決めた交渉と日本の失敗』加藤陽子 | 発表!!紀伊國屋じんぶん大賞2017──読者と選ぶ人文書ベスト30 | 高くて長くて購入を躊躇しがちな人文書を適切にセレクトしてくれてありがたい。 |
Twitter文学賞 | 国内 『吸血鬼』佐藤亜紀 国外 『すべての見えない光』アンソニー・ドーア | Twitter文学賞投票結果上位一覧1-7回|文学賞の世界 | 発起人は豊崎由美。売れ線から距離を置く感じ。 |
新書大賞 | 『言ってはいけない(新潮新書)』橘玲 | 新書大賞|特設ページ|中央公論新社 | 中央公論新社が主催。 |
おすすめ文庫王国 | 『雪の鉄樹』遠田潤子 | ― | 埋もれていた良書を発掘してくれる。 |
ベスト経済書(週刊ダイヤモンド) | 『人口と日本経済 - 長寿、イノベーション、経済成長(中公新書)』吉川洋 | ― | 2016年は学者ほか107人が選考。真面目。 |
ベスト経営書(ハーバード・ビジネス・レビュー) | 『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』入山章栄 | ハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書2016の結果発表 | ベスト経営書|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー | 意識高い。 |
ビジネス書大賞 | 『HARD THINGS』ベン・ホロウィッツ (2015年発行が対象) | ビジネス書大賞 | 2010年~ |
ビジネス書グランプリ | 『LIFE SHIFT』リンダ・グラットン | 「ビジネス書グランプリ2017」結果発表ーービジネスマンの来し方、行く末を考える(1/2) - HONZ | 5分野(イノベーション・マネジメント・政治経済・ビジネススキル・リベラルアーツ)が対象。 |
ITエンジニア本大賞 | 技術書 『ゼロから作るDeep Learning Pythonで学ぶディープラーニングの理論と実装』斎藤康毅 ビジネス書 『最強の働き方』ムーギー・キム | ITエンジニアに読んでほしい!技術書・ビジネス書 大賞 2017 | 翔泳社が主催。 |
今日最終面接のようなよく分からない何かを受けて、今日中に結果を連絡しますと言われているけどまだこない。
いい加減就職したい。
お金がない。
奨学金の支払いもある。
もっと大人は大人なんだから子供にはできないことをたくさんできると思ってた。
だから奨学金借りて専門的な大学に行って、周りは皆遊んでいたけど一生懸命授業受けて。
だから心のなかでは他の人とは違うとか思ってた。
この頑張りはきっと認められて、そして就職先なんてすぐ見つかって。
そんな夢いっぱいの世間知らずで物知らずな私が悪いんだね。そうかそうか。
私が女だからだめなんか。
私が選んだ大学がわるいんか。
私の顔がわるいんか。
そうかそうか、そうだったか。
それでも雇ってくれた所には、ちゃんと心から感謝して、何があっても感謝して。
でも私が得た成果の利益は全て上司のものか。営業のものなのか。
私が今までの人生で正しいと思ってきたものは全て、社会では通用しないのかそうか。
十代の事務の女の子が夜の風俗店に一人で納品に行くことがおかしい。
その私の中での「おかしい」は社会では通用しないのかそうかそうだったか知らなんだ。
私の専門分野を必要として雇ったわけではなかったのか。
そうか私は社長がしたいことをしたいけど技術的にできないから肩代わりするためだけの手足だったかそうかそうだったのか。
それを理解せずに私が女のくせに社会に出たてのくせにゆとりのくせに口をだすのはだめだったか。
社長がしたいことのために、ミスすれば手足が潰れるかもしれないような機械を操作しなければならないのか。
そのために給料が別途付くわけでもなく、そのために色々な体の害を受け入れて、それでもしなければならないのか。
私の後ろを歩きながらベルトとチャックを開けながらトイレにいくのに何も言ってはいけないのも、
トイレのドアを閉めずに用を足しているに怒ってはいけないのも、
3時になったらどんなに別の仕事をしていてもお茶を入れるのも、
何かわからないことがあって聞いても前言ったよねと教えてもらえないのも、
私が女でゆとりで趣味みたいな専門職だからかそうかそうだったか知らなんだ。
それを選んだ私がわるいんか。
女に生まれてゆとり世代に生まれてこの趣味みたいな専門職を選んでばかみたいな高い学費を払った私が悪いんか。
ご安心くださいこの前病院でアスペルガーの疑いがあるって言われましたよ。
あなたの娘が、
好きなことにしか興味持たないのも
人見知りなのも
結婚に興味がないのも
仕事から帰ってきた父親のためにすぐにテレビの前を譲らないのも
あなたが毎日「お前頭おかしいんじゃないか?」と言っていたとおり、
頭がおかしかったですよ。
そうです私が悪いんですよ。
頑張って生きているつもりでしたが、そうか私は頑張っていないのか。
私の価値はどんどん下がるのか。
そうだねもうすぐ三十路だね。
老後何もすることがない暇しかない人のために楽しませるために早く孫を産まないといけないのにね。
そうかそうか。
申し訳ないことをした。
私が悪かった。
そうだね私が悪かったね。
何度も言わせてごめんなさい。
そうです、お陰でこの年で無職でも温かい寝床と食事と服があります。
それ以外はずっと家でごろごろできるのはお父さんのおかげですね。
さっさと諦めてバイトすればよかったね。
そうだね私が悪かったね。
お父さんの年収の半分もないんだろうね。
アルバイトを掛け持ちするさ。
さっさと奨学金を返して、借金のない身奇麗な行き遅れの女になりますよ。
早く孫を作りますよ。
◯◯◯◯
書いているうちに、そして指摘されたとおり、
ああ私はこんなに人のせいにして人を見下して生きていたのかと思いました。
そしてそんな吐瀉物に言葉が貰えることを期待していた自分も気持ち悪かった。
なんだ本当に私が悪いのだなと思ったけれど、
生産的な考えができるようひとまず一日三回ラジオ体操をすることから運動していこうとおもいます。
衰えた筋肉よ、一緒に頑張ろうぜ。
こんな時間(18時過ぎ)だけれどまだ連絡はこないので、
そんな母に検査するからとお金を貰わなければならないのは悲しい。
昔ながらの俺の稼ぎでお前たちは生活できていると脅迫する父親と
何を言われても気にしなければいいんだからと欲しい言葉をくれなかった母親と
どろどろしたところだけ濾したらそんな風に思ってしまう両親だけど、
人間だから自分とは違う考えなだけで、その考えで一生懸命私のために心身を削ってくれた人だから
心の余裕と適当な距離があればちゃんと親孝行できると思っているから。
http://anond.hatelabo.jp/20170211181942
筆者がある種の膠着状態と仮定した上で、ものすごく記述が乱暴だけど今の私の対処法を書く。
幼少期から人付き合い苦手。そもそも人に興味がない。でも食っていけないので社会人でやっていける程度に人付き合いを学習してきた。アスペ、ADHDは思い当たることはあるが真性とまではいかない。現在はアラフォーエンジニア。年齢の割にソロプレイが許されている。この数年間この膠着状態に陥っていた。
「サイコパスの対となる状態が、『パニック障害または鬱』(これを「膠着状態」とする)」
着想の元はこちら
橘玲の「言ってはいけない」と雰囲気がかぶるところがあるが、中野のほうが科学っぽい。
今手元に上記の本がないので正確な記述はできないが、こう仮定する。
膠着状態に陥っているなら、自分の思考をサイコパス側に振ればいい。具体的はこんなかんじ。
サイコパス状態が本来の私なんじゃないか?と考えると落ち着きを取り戻し、静かながら興奮に満ち溢れた状態になる。結果的に膠着状態は脱している。
本当にサイコパスになったらどのような社会的不都合が生じるか?と冷静に考えるが、実際に真のサイコパスになるわけではない。マイナスを0に持ってきただけだ。
もともとサイコパスに近かったのかどうかわからないが、そうだとしてもではなぜ膠着状態になったのか?妄想さらに全開だが、おそらく、社会性の習得において、「Aという状態はBさんがCという感情を抱く。この結果Dという状態を招く」ということを人生を通して連綿と学習してきた結果なのではないかと思う。感情のふるまいまで理性で学習した結果、理性がデッドロックした。
子供の本
どこのスーパーマーケットでも買える食材を使ってうどんを作ります。ゆでうどんは安い。讃岐とか冷凍とか気取った枕詞が付いていないうどんはだいたい格安で買えます。どのくらい安いかというと近所のスーパーマーケットで確認した限りでは税抜きで18円です。税込みでも19円。とても安いです。
供給も安定している傾向があるけれども、閉店間際に行くと売り切れていることもある。とても安いがゆえに人気が高いことも事実です。年金生活の一人暮らしのじいさんやばあさんがこれを一つずつ買って売り切れたのではないかと思うと社会問題を提起したくなる。年金生活になったら、18円のうどんを毎日食べる日々。こんな世の中になることをみんな夢見て働いてきたのか。今を時めく政治家の方々にはスーパーマーケットのうどん売り場の前を一日中見張って、18円のうどん購買層の方々の悲哀を確認してみろ。と、気持ちの昂ぶりを抑えなくてはなりません。
ここでうどんの食べ方を確認しておきます。お店でかけうどんといえば、なみなみと注がれた汁にうどんが入っているこれがうどん業界での常識です。飲むか飲まないかわからないうどんの汁を大量に用意しなくてはならないブルジョワ志向。たくさんのおいしい汁を潤沢に用意することは庶民には高いハードルです。
名前を言ってはいけない元グループのメンバーの一人が宣伝マンをしている昆布つゆという商品があります。昆布の成分のおかげで糸魚川静岡構造線よりも西側の味がする一品。この瓶の裏のラベルには、かけうどんには水で5倍に薄めよと書かれています。さらに冷やしうどんのつけ汁には3倍に薄めよとの助言がある。ところが5倍に薄めると少し上品すぎてパンチが足りないと脳の中枢からの叫びが発せられます。この問題点を改善するために3倍希釈の濃度でかけうどん用の汁を作ると塩辛く、飲み干せない。この汁を捨てるのがもったいないと感じとっておこうと思うのか、いらない汁は使い終わったら下水道へ一直線に捨てることができるのかが貧困線の一つと思うのです。残った汁を保管し、次の機会に使うという行為を始めると家の中に無数のペットボトルやヨーグルトの容器が増殖を始める。うどんの残り汁の入った容器は台所を占領し、そのほかの生活空間をも脅かしていきます。ゴミ屋敷まっしぐら。兎に角も希釈したうどんの汁はその場限りで使い切らないとより不幸になってしまうのです。
ここまでのお話で、うどんが安いこと、薄めたうどんの汁はできるだけ無駄なく利用することが心の安定のために望ましいことがわかります。次にうどんの茹で方と鍋の使い方を話します。
駅の立ち食いそばうどん店やセルフ形式のさぬきうどん店へ行くとカウンター越しに厨房の様子を見ることができます。せっかく見えるのだから、ここから学ばない手はない。この様式のお店では、席の回転を上げるためにできるだけ早くうどんを提供しなくてはなりません。うどんを茹でる鍋と汁の鍋が別になっている点に注目。これはうどんを茹でた濁った汁に汁の素を入れていたのでは汁がうどんから出た小麦粉成分で濁ってしまうことを防ぐために考えられたうどん業界伝統の手法です。しかしながら、家の台所で鍋を2つ使ってうどんを作ることは不経済の印象が拭えない。せっかく安価な18円のうどんを調理するのにお金がかかっては本末転倒です。一つの鍋で沸かしたお湯で経済的にうどんを作ることがジャスティス。一つの鍋で作ることを考えます。茹でうどんはすでに茹でてあるため、温まれば食べれる。この性質は鍋での茹で時間が大変短いということです。手順を説明すると、鍋にお湯を沸かす。お湯をお玉で2杯すくい、どんぶりに入れる。どんぶりが温まったところで、お湯を捨てる。お湯を捨てたどんぶりに昆布つゆを大匙で2杯入れる。大匙を用意するのがめんどうな人は大匙2のラインにマジックで線を描いておくとよい。鍋からお玉でお湯を1.5杯入れる。このお湯の量の加減はお玉の容量によるとところが大きいので、各自工夫してください。ここまでの手順で、汁を温める鍋を準備することが省略されました。手順も片付けも半分になり大変経済的です。鍋のお湯は沸騰したままですので、ここにゆでうどんを投入し、20秒ほど温める。この時間は立ち食いうどん店での店頭でプロの調理人がその時間で茹でていたことに由来します。カウンター越しの学習はとても役に立つ。カウンター席のあるお店は知見の宝庫です。お湯を捨て、うどんを汁の中へ入れます。洗い物が増えることをいとわないのならば、湯切用のテボを使ってもいいのですが、洗い物が増えることは経済的ではない。ゆえに地味に箸でどんぶりに移します。
かけうどんの完成です。このまま食べても昆布つゆの開発者の研究心のおかげで家庭でもとてもおいしい汁のうどんとなります。味に変化をつけたいときは、「わさび」「からし」「七味」を使って刺激を与える。わさびとからしは、粉末タイプをおちょこで溶いて都度生成するのがおすすめです。「うどんにからし」に抵抗感がある人がいるかもしれませんが、豪雪のニュースで名前が出てくる越後の一地方ではからしでそばを食べています。そばに使える薬味をうどんに使わない手はない。ということでからしも薬味に加わった次第です。
さて、冒頭の見出しでは納豆うどんと銘打っているのに納豆が出てこない。ここまでの長文を読ませておいて、これはどういうことだと気が付いた読者は賢明です。納豆はなくてもこのかけうどんは完成する。完成するけれども、栄養面でこころもとない。このうどんをたべても野菜350グラムを摂取することができない不完全食です。できるだけ完全食に近づけるべく納豆を入れる。この時点でできているうどんもすでにおいしい領域に達しています。かけうどんと薬味で半分食べたところで、納豆を入れると食味が変わって、一粒で2度おいしい状態になる。うどんに納豆を入れるときは、汁が多すぎると納豆の粒を箸で拾いにくくなるので、あまり都合がよくありません。半分食べたところで汁を少なめにして納豆を入れるとうどんの中で納豆の濃度をとても高めることができより経済的に納豆うどんを味わうことができます。
ここまでで最低限の納豆うどんの説明はおしまいです。これだけの自炊行為で最低限の命をつなぐことができる。政府関係者から格安うどんをよりおいしく食べる方法として広報されてもいいと思います。
どういう風に自信があるかと言うと、頑張れば私は美人だと信じこんでいる。
しかし実際私はブスだ、まず太っているFやLサイズならたまに着れるレベルのデブ、髪質は父に似て酷い癖毛で千円カットの万年ショート最近は父の若白髪まで遺伝していたと発覚、目は黒目がちで大きいが度数のきつい眼鏡をかけているので小さく見える、鼻は丸い、乳は大きいがデブなので意味がない上に短足の大根足で尻もデカイし背中は曲がっている、身長も高い、化粧も下手な上にたまにしかしないのでより下手になっている。
障害者が美人の友達に美人ー美人ーと言ってる時に、何もしてないのに何故か唐突にブスと言われた事もある。
腰の所を紐で絞める服を着た時に、父親からシュレックみたいだと言われた事もある、その服は二度と着ていない、言ってはいけないクリティカル感想と言うものがある。
男子から執拗な虐めも受けたが、教師が「君の事が好きなんじゃない」と笑って片付けた時に、こちとら毎日自殺衝動と戦うレベルで辛いのにふざけんなと思うと共に、好きだとしてもあんな陰険ゲス野郎お断りだキメェ!!と自然に受け入れた。
自分の容姿に自信があったからだ、今から考えてみたらお前化粧してるだろ!とか虐めの言葉もたまに意味不明に容姿を誉めていた気がする。
それでも私は自分の顔は好きだった。
この自信は私を幸福にしてきた、私は美人だと言う自信は私を行動的にして支えてきた。
自身がなくて努力するなら良い事だと思うが、私は自分の容姿を磨く努力が面倒だ、女を捨てている。
卑屈なブスなんて最悪だし人生楽しくない。
旦那は私の自信を強化してくれた、紹介された時に「めっちゃいい!!!」と私の容姿を誉めていたと聞いた、化粧大好きな妹が化粧とヘアメイクをしてくれたのも大きい詐欺だとは思うが旦那の好みなのは嬉しい。
子供が出来た時も「君に似て綺麗な顔ならいいね」と言ってくれた。
なので旦那の容姿も頻繁に誉めている、旦那に瓜二つの息子も誉めている、そうしていると本当に凄く好みのイケメンに見えてくる。
なので子供も自信を持つように育てたいなぁ。
面接の練習を受けに来た際、講師から「○○○○(会社名)どうだった?」と尋ねられた。
○○○○(会社名)の最終面接を受けたばっかりだった。最終面接だったこともあり、手ごたえを聞いていると思い、こう返した。
「たぶんダメですよ」と、しかし講師は面接の内容を聞きたかったようで、「ごまかして、教えがいがない」と切れられた。
そして無駄と言われ、予約した面接の練習を見てもらえなかった。
その一週間後、別の用事で塾に呼び出されたので、その講師に「あの時見てくれたら受かったかもしれないのに」と私は軽く言った。
嫌味のつもりではなく、純粋に見てほしかった、それだけを伝えたかった。
しかしその言葉が気に障ったようだった。「人の上げ足を取って。二度来るんじゃねぇ」と大きな声で逆切れをされ、その後もひどい言葉を言われた。
ショックだった。それは普段、理不尽に切れるような講師ではなかったからだ。どうやら学生は塾の対応に、客として不平を言ってはいけないようだった。
私はそれから、塾に通わず、謝罪の言葉をずっとずっと待っていた。毎日メール、電話のチェックは欠かさなかった。先生なら謝るだろうと信じていたからだ。
しかしそんなことをしているうちに、二週間が立っていた。そして薄々感じていたことが確信に変わった。どうでもいいのだろうな。
しかし帰ってきた言葉は「学生のことを考えて」「就職活動をなめているから」と的外れな言い訳だった。
さらに追い打ちをかけるように「二度と見たくない」「二度と来てほしくない」などといった言葉をメール、電話で何度も何度も言われた。
就活がうまくいかずに悩んでいる時に、信じていた塾に、自分の存在まで否定され続けた。
それからというもの、説明会、お風呂、電車と場所を問わず、毎日毎日、その講師から言われた言葉を思い出し、涙が止まらなかった。
七月から今日まで一日たりとも、塾に言われた言葉を思い出さなかった日はない。
おかげで体重が10キロ減り、走ることや子供も産む事もできない体になった。
毎日死にたいと考え起床し、死にたいと考え就寝する。そんな生活がこれからもずっと続く。
長くなりましたが、結局私は七月という面接の多い大切な時期に、言われたことにショックを受け、その時の気持ちを引きずりながらずっと就職活動をしてきました。
その後、謝罪してもらいましたが、「いい会社じゃなかったかもしれない」「大切な時期がどうかは塾が決める」などと開き直った対応をされました。
勿論その後、塾からのアフターケアはありません。そしてそのような大手就活塾が、現在も「就活に失敗しないために」などと掲げて、学生を集めています。
その講師も、後悔のない人生を選んでほしいという思いから、学生の就職活動に向き合っているらしいです。悲しいことに、私はそこに含まれていないみたいですけど。
就職活動は自分の人生に関わる大切な岐路です。就活塾と聞くと、悪い噂も聞くので心配で、実績のある有名な塾を選びました。それがこの結果です。
いわく、人類は乱交が基本で、女は1度のセックスで複数の男に犯されるようにできてるらしい。
確かに言われてみると、男は発射したらすぐに終わりだけど、女は最初はあまりノリ気じゃなくても、
だんだん気持ちよくなってくると、男がひくぐらい積極的になって、何回も何回もイキまくるってのは、
一夫一婦制を基本とすると、どうにも腑に落ちない。
女が感じ始めて叫びだすと周囲の男が寄ってきて、連続で犯されるってのが普通なら納得できる。
男は発射後は賢者だから、他の男に女が犯されてても、暖かい心で見守れるのだろう。
そういうユートピアだったのに、キリスト教とかその他余計なすったもんだで、現代の人類はかなり抑圧された不自由な暮らしを強いられてる。
つまり、最先端の乱交システムで男も女も幸せになろうって感じ。
まず美少女は数が少ない。少数の美少女を大勢の男で共有するという形が一番望ましいだろう。
最先端のIT技術を駆使した相互評価システムを適用して、人気の美少女には高額な報酬が払われる仕組みができると良い。
Uシステムに参加するには、男女とも毎月性病検査が義務付けられる。医師が承認した者だけがスマホのアプリ(Uアプリ)を利用可能になる。
セックスは生中出しが基本で、子供ができたら自分で育てても良いし、養子に出しても良い。
女性への報酬や子供の養育費はUシステムの男性利用者が負担する。
高額負担者は優先的に上位の美少女と、その日の最初にセックスできる権利が得られる。
オークション制を採用しているので、少女がもらえる報酬や養育費は、それらの収益によって変動する。
妻、アラフォー
いつももてなしてくれるし、気を遣ってくれていて文句を言ってはいけない。
一つは、義理の両親の仲がそんなによくない。
頑固な義父、口が立つ義母という構造のため、一見仲良く見えるのだが細かいどうでも良い点で言い合いになる。
クーラーの温度とか、料理を出す順番とか、義父が文句をつけて義母が言いくるめるパターン。
妻にとっては結婚するまでの日常だったことも有り受け流せるけど、私の家庭はそうでないため受け流せない。
年に数回の訪問の日くらいなぜ言い合いを我慢できないのか理解できない。
もう一つは、古い価値観が変らない。
妻は長女、少し年の離れた未婚の次女がいる。
我が家は子どももいて古い価値観の中では良い家族、女の幸せという義母の評価。
「それに比べて、次女ちゃんは~。夫君誰か紹介して」と次女がいる前で平気で言う。
「40超えて結婚も子どももいないなんて不幸せ」とストレートに言うのを受け流せない。
結婚も子どもも一つの選択肢であって、独身が悪いとは思わないが、その価値観の押しつけが強い。
上のコメントを半日の訪問で3-5回言われてどう流せば良いか分からないしどっちかというと胸くそ悪くなってします。
ほんとに行きたくない。
妻には正直に言ったが、さすがに顔出さないのは違和感ある(向こうの価値感が古風なので)ので我慢しろとのこと。
わかる。わかるが、ほんとに嫌だ。
お父さんのほうが稼いでないのに、勝手に有給という名の遅刻早退をしているからお母さんより絶対時間余ってるのに、お父さんは一切家事をしない!
今まで全然気にしてなかったしこういうもんだと思ってたけど、逃げ恥とかに影響されて考えるようになり、すごく敏感になってしまった。あと普通に恋ダンスは覚えた。
お父さん、たまーに洗濯物畳んでいるけど、でも年に数回だよね。
お母さんが夜の8,9時まで働いて帰ってきて、バタバタとごはんを作っている横で優いる雑誌読んだり時代劇見たりしている。
バカバカしいなあ。
こんなバカなことってないよ。
だから結婚しても、家事を私ひとりでぜんぶ背負うなんて絶対やりたくない。私が買い出ししてごはん作って、食器洗いと洗濯は旦那がやるみたいなそういう分担がしたいよ。
私は、お母さんが今日も仕事して、風が強すぎて帰ってきちゃったよって笑って、また夕飯の買い物に出かけるのが何だか辛くてしょうがなかった。
1日中動き回ってその上また働かなきゃいけないの……
夕飯なんて適当でいいのに……そのへんのパンとかお惣菜で全然いいのにって。
じゃあお前が家事やれよってそういうんじゃなくて
お母さんがそれを当たり前としていることがいちばん恐ろしいの!
女の人は、たとえ外で働いていようが夫より稼いでようがぜんぶ家事をやらなくてはならないという堅固すぎる何かを彼女から感じるの!!
だから、タイトルの言葉をうっかり言ってしまったときの反応がまた怖かった。
「なんてことを言ってるの!!!」
って、それは言ってはいけないやつだぞお前みたいな、ヴォルデモート的なものに対するリアクションだったから……
あとお父さんが家事を手伝おうとしたときに「いい!いい!大丈夫だから!!」ってものすごい早さで防衛するし
これはどうやるの?って聞いても技術を全然教えてくれないのだ。結局奪うように皿洗いをすることにしているけど他は完全に母親の領域……どうする……
結婚しても嫌々ながら、でもすんなり家事を全て引き受けてしまいそうで、そしてパートナーや社会に対する怨恨を募らせていきそうなのでとても怖い。
というお話でした。
残念、男です。
いわゆるボーイさんです。
忘年会シーズンということで、二次会三次会などで初めて行くキャバクラ系のお店でのお得なマナー?について少し書きます。
初めて入ったラーメン屋で店員に向かって「この店美味いの?」とは言いませんよね?
そんな感じです。
トラブルになったら困るので、本当に可愛い子をつける場合もありますが、それは本当にもめたら困る相手の時だけです。
店は女の子に辞められたら困るので、女の子に嫌な思いをさせない為に必死なわけで、大事な新人ちゃんや、売上をつくるナンバークラスの女の子はボーイさんがこの客痛いなと思ったら絶対につきません。ボーイさんが客みて女の子をつけてる訳ですから、ボーイへの印象で女の子を選ばれている訳です。
じゃあペコペコして良い客のふりしとけってーの?
てか何が良い客?どーしたら良い子つくの?
ですよね。
店からしたら、売上落とすのが良い客です。指名延長するのが良い客です。
つまり「延長しそうな言動」を伝えれば、あなたは良い客として見られるのです!
答えは簡単。
同じく入り口や受付にて。
「延長はどうなってるの?」
と聞くこと。
それ相応の子がつくのです。
仕事できる子が。
「何か延長するっぽいから頑張ってみてよ!」
すると濃厚サービスが始まる訳です。
延長どうなってるの?というのは不思議な言い回しで「延長はいくら?」とは言ってはいけません。ケチなワンセットかな?金ないのかな?と疑われる。
尚これらは店内、店員にのみ通用することで、路上のキャッチと話しても何の意味もないので、路上のキャッチに捕まったら、スルーするか素直にボッタクられて下さい。
それでは良い二次会を。
http://anond.hatelabo.jp/20161212093735
そもそも、これを言った自分がどう思われるのかって心配することが本当に重要なことだろうか?
(目上の相手に媚を売りたい人を除く)
それより相手がどう思うかだけを考えてみると、下手くそでも相手を褒める場合と褒めない場合では、褒めたほうが相手にとってプラスになる可能性が高いのは議論を待たないだろう。微妙な褒め方だったとしても、特に嬉しくもないだけで不愉快になる人は少ない。であればうだうだ言ってないで褒めたほうがいい。それができないのはいろいろなプライドが邪魔をしているからである。
1.褒めると自分の方が下に見られる気がする。文句言ってる方が大きい人間に思われる気がする
これ全く逆で、実は相手の能力を素直に認められるのは自分の能力に自信がある人だけなのだ。
なので自分に自信がない人は自分よりすごいところがある人間を素直に褒められない。
その上、文句を言ったほうが精神的にマウント取れるからとりあえず文句を言って相手をやっつけて一時的な安心に身を任せてしまう。
水は低きに流れるというやつだ。しかしそういう人間は組織を腐らせる癌なのでそんな奴ばっかの会社だったら会社は傾くし本人も業績を挙げられないしで、結局全体最適ではないので最終的に良い結果に結びつかない。
そういう人はとりあえず「人を認めて褒めることができる自分すごい」と思うことにしよう。
他人を認められる人間は、大きな人間なのだ、そう思って部下や同僚をほめてみるといい。
なかなか気分がいい。
そして、人を褒めること自体が特殊能力である日本ではそれは実際すごいことなのだ。
ただしそれを他人に言ったらおしまいなので絶対に口外しないこと。
もちろん根本的な対策は、自分に自信が持てるようになることだ。
そのためには自分のダメなところと向き合う必要もあるかもしれないが、そういう人はとりあえず自分を褒めることから始めよう。
2.褒めるのがなんか恥ずかしい
堂々としていればいい。
相手の気持ちだけに思考を集中していれば恥ずかしさは消えるはず。
3.それでも素直に褒められない
思ったことを素直に口にすることは自然なことだ。
マイナスなことなら言ってはいけないこともあるが、褒める場合は感情を口に出したほうがいいに決まっている。
考えすぎだ。そう思われたら周囲に対する自分の評価はマイナスかもしれないが人を褒められる人になったほうが評価は相殺されて最終的にプラスなのだから気にするな。またそんな疑心暗鬼なモンスタークレイマーみたいなやつなんて何言っても文句言うんだから気にするべきじゃない。
どうしてもそういう考えが振り払えないなら本人がいないところで褒めろ。
褒め陰口である。おせっかいな人が本人に伝えてくれるだろう。それで慣れたら本人に直接言え。
5.人を褒めることに意味を感じない。所詮世の中は弱肉強食だ。蹴落としたほうがいい。
なかなかハードボイルドでかっこいい性格だ。しかし他人を褒めるのは何も他人のためばかりではない。
第一に他人を褒めると人のいい部分を見つけることにうまくなるので、自分のいい部分も見つけることができるようになる。
第二にあなたが上昇志向のある人間なら部下や同僚の能力を見つけて伸ばして上手く使うことは必ず自分の役に立つ。
第三に褒めることを続けて結果的に褒めるのがうまくなれば異性にもてる。
6.褒めるのが下手だから褒められない
実際に褒めないで褒めることがうまくなると思うな。褒めるのが上手い人がはじめからみんな褒めるのがうまかったと思うな、である。
こういう人に必要なのは練習というよりも一歩踏み出す勇気だろう。
それでも練習してうまくなってから褒めたいのであれば、口に出す必要はないから他人のいいところを探すことを習慣づけてみよう。
考える習慣ができれば普段の会話でもそれがにじみ出てくる。
あとは口に出すだけだ。
調子に乗った鉄道好きによる、鉄道野郎と鉄道ギャルの増加のおかげで、鉄道や鉄道好きは都市から嫌われている
車・バイク好きが出て来てもいいぞ
何年かかってでもあの雪辱を晴らす
ボロボロにしてやる
その執念を感じる
今の日本死ねはガチのマジでヤバイ。加速度的に悪化していってる。
国内に目利きできない日本人の意向が入ってるせいで国内が殆ど安定していない。
さらに、日本の宝たる鉄道が平成版ヤンキー人間を育てて日本人からそっぽ向かれている。
さすが終末国家の日本
日本人の鉄道愛が強かったから日本人がみんなしらけるから私が死ぬまで「鉄道=マイナスイメージ」でいいと思う
車バイク好きの鉄道好きに対する陽気かつ横柄な態度も大嫌い 1980年代あたりにC.R.A.C.みたいなカウンターデモしえいれば1990年代には暴走族絶滅できたくせに鉄道好きご愁傷様wwwとか云うな!
キ○チ・チ○ン・ケセ○キが程のコリアンにとっての最大級の侮辱語であるように、サムラ○・○クザ・障○者は日本人に言ってはいけない最大級の侮辱語リストに入れておこう。
バイク乗りの高校生は不良旋風のせいで2012年までの30年間も暗黒時代が続いていたからなw
日本の鉄道バッシングなんてたった2年、しかも国鉄時代の多数の事故についてはバッシングも皆無だったんだし
まだまだだよ